よくSF作品は極端なユートピアとディストピア,両面を映す気がするが,それ以外の選択肢やビジョンは見せれないだろうか?
よく思うのが,いつの時代も大半は馬鹿だからいちいち大半の馬鹿に合わせていられないと感じる.
SFがあまりにマスを意識しすぎて,いや,様々な個があるんじゃーねーか?って突っ込みたくなる.
むしろ,いきなり踏み込むけど,AIが草になった社会を想定できないだろうか?
AIが草になる.
何を言ってるが分からないかもしれないが,あまりに早いテクノロジーの上昇はもはや人間の閾値を超えているしむしろ使いこなせないような気がしている.
そこまでくると改めてデザインが下部構造,デザインが規定する気がするし,難しいので詳細は省くが,∅.空集合の話まで行き着く気がする.
なんにしろ,考えるという快楽を邪魔する成田悠輔という古ぼけた政治家,デマゴーグはどうでもいいという話だ.
皮肉なことに大衆の民意を尊重すると,ああなるらしい.