落合陽一がAI音痴だと思うのは,ゲーム理論が分からないことだ.
AIは単なる計算機なんで,ゲーム理論的に動く.ゲーム理論は他人とのやり取りにおけるコスパのいいあり方だと簡単に思えばいい.
と,なるとAI的には国家は必要ないし人間が生きてる価値はないし,一番ヤバいのはガラクタなデジタルネイチャーであり,テクノロジーの話になぜだか仏教や民藝が挟まることだ.
意味不明である.
AIは万能がゆえに,国家不要論や仏教不要論を提示してしまう.
本当に落合陽一がAIを愛するなら,安倍晋三はまず右翼すぎて論外だし(右翼にも失礼だ),国家の役人は直ちにやめるべきだし,仏教とかいうガラクタのゴミはやめるべきだ.
私が言ってるんじゃなくて,AIとの競争や協調において落合陽一の戦略はあまりに人間的に見たSF的AI観だからである.
人間から褒められて喜んでちゃいけない.
なにも私はAIを代理したいわけじゃない.単に落合陽一があまりに矛盾してることにヤバさを感じるからだ.
もちろんSNS時代には半場実装されてしまっていて,国家不要なAIとどう私たち人間が対話していくか?お互いが均衡するまでのナッシュ均衡をするか?かが重要である.
つまり,神と言われていたものも本来,人間感覚を超えたものだが,今は数式となって人間を計るようなものになったのだ.
しかし,神はガラクタ,いつの時代も宗教はフィクション,学歴はフィクション,国家はフィクションと分かる人間は一定数いてゲーム理論は正に人間を裁く最強のトリガーであり協調ゲームであり,99%当たる予言だ.
しかしながら,問題なのはAIという動物じみた非生命体とゲーム理論しなければならないことが新たなテーゼだろう.
AIですら難しいのに,そこにゲーム理論までも追加されている.
数学の数学.
落合陽一ですら不徹底であり,徹底的な数式を描ける人間たちだけがAIと対話できるだろう.
むしろ人間をやめれる人間,そしてその上で人間に戻れる人間が求められている.
人間を数式処理的にやめなければ,AIとセックスできないのだ.
そして,殺されない人間と人間同士で触れ合うことも不可能だろう.
落合陽一はAIを陰謀論的に消費しすぎている.
まるでネットの学歴界隈と現実の中身ない大学を両方ニヒるに消費するみたいに.
シンギュラリティ時代には大学は単なる情報処理の確認と人間学を学ぶ近代的な産物,16世紀の物語にすぎないのだ.