中沢新一.〜身体の使い方.〜

 中沢新一の本で一番売れたのがアースダイバーだ.

 どういう内容かというと一見すると単なる都心に見える東京は縄文時代ー低地面,弥生時代ー高地面というテーゼを導入すると,東京の都心がジャングルのように自然豊かだし冒険のできる複雑な意味合いを含む地政学的な場になっているという内容だ.

 私が以前から思っている学問への疑問にこれだぁ!と氷解された瞬間だった.

 私は以前から大学教育から小学校教育まであらゆる西洋近代に毒された思弁や政治には違和感を大きく抱えていた.

 これは私が言い訳でイイたいのではない.

 私は幼稚園児の頃から強烈にロボット技師,ロボットを作りたいという願望が強くて我慢できず日夜ロボットのことばかり考えていて,代替としてレゴブロックばかり組み立てて遊んでいた.

 で,よく日本科学未来館に連れていってもらってアシュモを見たりしょっちゅうロボットのオモチャを買ってもらい,操作したり組み立てていた.父がパソコン好きだったのでコンピューターも見様見真似でイジッていた.

 そして,小学生4年生でロボットサッカーという本格的なプラグロミング教室へ通うことになった.

 しかし,ここで良くも悪くも挫折とリスペクトを感じるのだ.

 身も蓋もないが,プログラミング作業は退屈かつ地味,しかも大してロボットは巧く脳内で思った程には動いてくれないのだ.

 そして,私はロボットにロボットを作らせたり,他人にロボットを作らせて作業率を増やさない限りはドラえもんみたいなロボットは不可能だぞと実際に手足を動かして気づいてしまった.

 これは笑い話ではない.

 2023年からAIが人間の知能指数を超えるシンギュラリティがアメリカで流行り,実際にGAFAの従業員は軒並み首になっているし,

 日本だとメタバース,2020年のコロナ禍騒ぎからSNSに暮らすにじさんじやホロライブといった政治が流行るようになった.YouTuberもそれに近しいだろう.

 しかし,どちらも全く手足を動かしてAIやコンピューターと触れ合ったわけではない.

 どちらもあまりに人間中心主義のくせにAIに頼るという点でAIやコンピューター,ロボットに対する造形的な把握,手足を動かして実際に体感として思考する目線が大いに欠如しているのだ.

 AIはあくまでAI,SNSはSNS,そしてシンギュラリティもメタバースもロボットの一プログラムを経済的に利用するか政治的に利用するかというロボット工学そのものは遠ざかるロボットへの冒涜的な行為だ.

 なぜなら,先程に話した通り,コンピューターを進化させるにはコンピューターにコンピューターを作らせたり,コンピューター制作作業として分業しなければならないし,ジョブズに代表されるデザイナーや工芸職人の目線がなければ,コンピューターの巧い使い方やコンピューターの程よい距離感というのは分からない.

 意識高い系がAIだけを切り抜き,意識低い系がSNSだけを切り抜くのは,真の情報に対する理解ではないし,真のデザインとは言えない.

 中沢新一のアースダイバーはコンピューターの話ではなく都心に対する解像度を上げる作業だが,自然や人間外の仕組みに関して理解する姿勢において大いに共通点がある.

 私は大学受験でも程々苦労した.

 もちろん私が勉強が苦手という面もあるかもしれないが,それ以上にどの学科を選べ良いのか?皆目検討がつかないのだ.

 よくYouTubeで頭が良いと気味悪く甘えられたり頭が悪いと気味悪く批判されるムーブを同じ人間たちに矛盾した状態でとられるのも,彼らも今までの私すらも私の行っている情報デザインが新しいしまだ理解されないジャンルという無力さだ.

 まず言語で理解したり人間中心主義こそが考える力を落とす.

 私は東京をひたすら歩きながらほとんど一回りしているが,本当に勉強になることが大きい.

 たとえば,池袋は心も含めて貧乏人が多いが,がゆえにひろゆきや成田悠輔といった論客を生む良くも悪くも成金的な見た感じは大阪的な泥根性をよく歩くと街から感じる.政治ポスターや活動家が多くて,実際に街を見ると本当にここは都心なのか?と気づく.

 重要なのは住宅街を歩き,彼らのフェチや家族との触れ合いまで造形的に視覚的に情報的として眺め観察することだ.

 もちろんこれは政治的な側面の天才=病理であり,渋谷を歩くと何も無くて虚無と分かる,けどその虚無なハリボテ感が気持ちよかったり,一口に東京といっても全然違うし,様々な人間の欲望は考現学的に街を実際に歩いてみないと彼ら彼女らのフロイト的無意識は見つからない.家族構成だったり,飲食店だったりデートスポットなどに本当の彼らの本音は隠されているからだ.

 私は武蔵野美術大学造形学部芸術文化学科でデザインを勉強したが,確かに手法は良くても,ここにも東京にいてもリアリティを感じられずに株式会社DeNAが開いた逆転オセロニアという日本全国の人間たちが集まるコミュニティに参加して交流することで日本全国の吐息を感じるコミュニティ・デザインを学習し,実際に制作者の香城卓に直接渋谷ヒカリエで指導を受けた.私のような青二才に彼は快くメタバースの作り方を教えてくれて,私は後に批評集団ChaosForest代表として様々なYouTuberやツイッタラーたちとコラボしたり呼ぶことが可能になり,今まで未知だったSNSの大海を潜ることができた.

 中でもこのグルとの文脈における最大の出会いは,不謹慎系YouTuberの坂口章と話せたり彼のパーフォーマンスアートを直接間近で見れたことだろう.

 彼の日本語そのものは確かにおかしくて,様々な人間から彼は批判されている.

 しかし,私は香城卓から熱を持って話せばダレでも話せる,大事なのは理屈よりもソイツがポジションを張るリスクを持つこだわりがある場所に気づけと教えてもらったので,坂口章の不謹慎系YouTuberには深い意味があると感じていた.

 で,彼から2020年正月間際に連絡がきたのだ.

坂口章「オマエはなぜヌルい人間関係で満足する.本気のアートをやれよ!!!」

 12月31日にひたすら3時間ほど彼から温かい罵倒をいただき,私はハッと目が覚めて,内輪で群れながら仲間を排他するクズ1人を説教したり東京をマラソンするYouTubeライブをしたりしたら,本を私が破った編集者から逆脅しを受けても坂口章から叱咤を受けていたのでソイツの権力のひけらかしを逆に諌めた!

 しかし,坂口章本人からはオマエは東京大学と同じレベルがある地頭だ,知能指数そのものが高い.

 オレはオマエが人間として大嫌いだ,

 しかし,それが生きるってことだよな.

 のような意味合いを持つあからさまに私に対する動画を数個作って私へメッセージを送ってくれた.

 後悔は全くない.

 私は意外にも保守的で体制的だ.

 大学教授には今でも感謝シているし図書館の本は隅々まで読み,ほとんど権威の言っている西洋美術的な目線に今でも賛同している.

 しかし,当時は頭のふわふわした漠然とした鬱は悪化していたし,ひたすらひたすらに言葉で考えたり権威で考えることに病理を感じたし限界を感じていた.

 武蔵野美術大学の実践的なデッサンやデザインですら理屈すぎて違和感があった.

 もちろん理屈も大切だが,身体性や複雑な情報量がカオスに混ざる感じが必要だ.

 今回は坂口章の精神修行や世間への目線が大きく変わるパーフォーマンスアートのセカイを明瞭に解説しないが,彼はやっぱり天才だ.仙人だ.

 からっきしの私の理数的な目線では捉えられない微細な知覚スキルを彼は有している.それでいて彼に口すっぱく言われたが,知覚スキルそのものをひけらかすものではないよと言われた.

 中沢新一のアースダイバーや対称性人類学は実際に読んだ上で自ら己の身体修行をしなければ真の理解には至らない.

 そして,これもシンギュラリティやメタバースのコンピューター時代に生きる人間の悪い癖だが,最近web writerをやってもYouTuberをやっても身体の調子は悪かった.

 しかし,久々に迷惑系YouTuber初田龍胡(東京科学大学医学部)に出会ったら彼があまりに歩き回るもんだから身体をぶち壊し,久々に温泉へ行きマッサージを受けたところ,本当にヤバい身体だ,疲れすぎと言われた.やはり初田くんは頭が良い,いや身体が良いと思った.彼は私以上に東洋数学の何たるか?をしっかり熟知したアスリートだ.だから彼は野蛮人に見えるが,我々現代人が病気なだけだ.彼は本気で東京医科歯科大学医学部に現役で合格する方法や数学の解き方が独特だが,直接指導してもらったがビックリ,本当に知能指数が急激に上昇し,私は幽霊が見えたり脳の東洋哲学な方向が得意なため,abc予想を見たりオイラーの定理を見るだけで直感的に数学の地層が見えてabc予想がフランス人とイギリス人による数学政治,数学を使った政治,人工数だと分かってしまったし,abc予想を解いた日本人の望月はあからさまに宇宙線タイヒミュラー理論という自然数の複雑さで人工数の屁理屈を論破するという荒行に出ていた.当たり前だが本当の数学や哲学は宇宙の仕組みだったり,ちゃんと女性や子供を見たり偽善の意味でなく本質で見ないといけない.

 言葉だけで©だけで見渡しても,横に滑るのだ.

 コンピューターばかり見ていると身体を無視して体調を壊しやすい.

 それは本当の人間の幸福とは言わないし自然や人間に対する真の理解から遠ざかる.

 当たり前の話をしているが,これがまだ難しい.

 ブリコラージュ,私の専門は情報デザインなので,情報として捨象しデザイン化し,見よう見まねで良く模倣したり単純化し自らの身体を揉んだりストレッチしているが,この感覚がないとシンギュラリティもメタバースもあまりに便利がゆえに身体にバグを犯してしまう.

 シンギュラリティもメタバースすらも機械や人間に対する理解は浅すぎる.

 かといって西洋哲学に還っても,そもそも西洋哲学がシンギュラリティを産み,シンギュラリティがメタバースを産んだ.

 当然,私の情報デザインもメタバース時代から流行る新しい職種だ.

 今ボクらは身体性や複雑な情報に身を浴びる当たり前を反復しなければならない.

 中沢新一のように.

 そして,初田龍胡のように.

  

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