ホッとする終わりです。
今やYouTuberというTVムラを延長する終わりなき平成は退潮期になっている。
ぶっちゃけ半分は当事者としてもめちゃくちゃ嬉しいね。
ボクはわりとサービス心があるから不謹慎系YouTuberだとか批評系YouTuberだとか振る舞っちゃうとこもありますが、ご存知の通り辛かったこともずいぶんありまして…。
YouTuberがマジでオワコン化してきて、古田さん元気ないねとかたまに言われますが、むしろ反自粛の現実が少しは浸透したってことでBOOKOFFのセカイへ戻れるわけでホッとします。ああ、これでやっと自分の文才だけで生きていける感覚。早口なんの顔なんの政治なんの言っている事が難解すぎる言われてきましたが、専門ではないんで。
最近はヘーゲルからレーニン、フッサールからハイデガーといった西洋哲学の政治的ハードコアみたいなところをガッチリ勉強し直しています。
大体今のみなさんが苦手とするのは、レーニンやハイデガーに代表されるロシア語訛りやドイツ語訛りにこだわる哲学者。
YouTubeの諸君は言葉が訛っているし甘えている奴らばっかでそこに自問自答してすらいるんですが、そういうのに気づけないのは理屈じゃ無理で歴史になる。
もちろんホントは歴史でもダメで、彼らがこれから先どう落ちていくか?をつぶさに見ていき落ちていく上でどう話していくか?に興味があります。
大体、宮台真司とかは本来のところ哲学から社会学、何やら何まで話せる教養人だったでしょう。
〇〇〇だって。
それが田舎者のヤンキーたちは議論の勝ち負けや市場で勝ち負けかどうかだけしか見なくなってしまった。
気持ちは分かるけど、安易な市場主義を入れたら、ガーシーや初田龍胡くんみたいな暴露系YouTuberを赦して自分は彼らにやられていいと認めているし無内容なヒカキンや成田悠輔を赦しているのは、馬鹿に気づかないし気づこうとしないヤンキーたちです。
なんで勝ち負け以前に宮台真司や〇〇〇の教養は大切なんですが、2人の限界は確かにはあるはあるし、ヤンキーたちが明らかに2人に嫉妬しているため、不可能な話なのです。
まあ武蔵野美術大学も素晴らしい面がありながらも、共犯的に腐っていますからね。
まあ結局、ヤンキーもインテリも大半はプロレスなんです。
本当に相手の顔を見ているわけではないから、ぐにゃらぐにゃらとお互いにダラダラとして相互批判をちゃんとはしない。
今日は暴言は避けようと思ったけど、暴言じみてきたな(笑)。
結局、大学在学中に落合陽一とかにアジられて株式会社DeNAまで行ったり〇〇〇とかにアジられて図書館の本を大量に読んだ人は俺ぐらいしかいなかった(笑)。
結局、量にすぎない。
ひろゆき成田悠輔的なノリの冷笑は方言で訛っているんすね。
ダラダラとローカルであからさまに政治しているのに、訛っていることを隠して論理ぶる。
それは本を大量に読むとかには結びつかないわけです。
結局、ムサビも限界あるけど、本は大量に読まないと不可能ですよ。
アーティストはあくまで不謹慎系YouTuber坂口章前後が限界なんであーなりたくない大半の若者は本を量だけ稼ぎなさい(笑)になる。
言葉の量が足りないから情報処理や情報デザインが遅いし雑種さが結びつかない。
興味関係なく1週間で地元の図書館の理系ジャンルと幼児女ジャンル以外は読もうとして当然です。
だから、都会の〇〇〇や落合陽一にアジられるのは悪くないわけです。
アジられないデミリットを甘受できないメスにはなりたくないですからね。
で、急激に、倫理、っていうのが今の時代には足りない。
マスクをつけるか、つけないか。
真剣に考えてますか?
真剣に考えてない?
じゃあ、馬鹿なんで終わりです。
本当にこんな感じ、マルクスだろうとポスト・マルクスだろうと。
こういうのがあまりに無さすぎる。
で、メスなのに堂々とされても無意識下ではビビったり論理矛盾に陥るわけです。
クリエイションなんて安直に言っていられない。
クリティークしかありません。
アートの時代がくるよとアジったけど(笑)、ここまで他責にする馬鹿な田舎者の都会コンプまみれだとは思ってはいなかった。ホントは大した話じゃないですが、みんな東京が好き=嫌いなんすよね。
で、くだらない世代、今の30代がダラダラとしちゃった。上の世代におんぶにだっこで。
で下の世代もソレにおんぶに抱っこ。
それは何も始まらない。
まあ古いけど、不謹慎系YouTuberだとか批評史だとかはめちゃくちゃ熱かったよね。
シンギュラリティ(落合陽一)やメタヴァース(成田悠輔)とかは全然新しいと思えない。
ウチに迫るドライブや破壊性がどんなに新しかったり理論的でも、だらだらだらしているから。
明晰な理論じゃ逃げられるわけで、やっぱめちゃくちゃハードな密教的なドライブじゃなければ話にならないわけです。
理屈よりもどれだけ社会にコミットしてきたか?で結局、〇〇〇や宮台真司をそんなに乗り越えてはいないと思います。
2人が社会を変えなかったのはそうだけど、ダラダラは確かにしてたけど、理屈として2人は知的好奇心をくすぐったから。
頭が良いは頭が良い自分すげーじゃなくて、ワクワクさせるようなもの。
もちろん陽キャ哲学みたいな逃げでなく。
そういう正しい意味でのパズルを作って、そのパズルがたまに政治に利用されればいい。
そういうのがあんまし無いくせに調子乗るのは恥ずかしいことだと思いますね。
結局、何を言いたいかと言えば、読んでる本の量そのものが全然足りません。1日1時間は最低でも毎日読み漁りうだうだと考えながら次の本を読むこと。
受け身じゃダメ。
受け身じゃなく、あ、この知識がこの知識とつながった、あ、この知識が、みたいな連鎖を繰り返して、どんどんと読み漁るしかない。
あまりにYouTubeばっかイジるわりには、YouTubeLIVE6時間とかをダレもやらない(笑)。
俺は日夜それでうだうだ喋っていた。
仕込みの量が足りていなくて、結局、量が質に勝る王道しか無い。
理屈だと深みや面白さにつながらない。
これが今のYouTubeに足りないもの。
シンギュラリティやメタヴァースも軽量すぎる。
たとえば小林俊昭の英語だとかブルバキの数学史だとか西洋哲学史の復習だとか。
まあ、結局はマルクス的な実践が足りないと、本ばっか読んでも仕方ないが、
まあ、熱意がない。
訛っちゃうと、ビビったり、なんで闘うか?がなくなってしまう。
で、訛るなら訛る政治に裁かれたり政治という主観にギリギリまで向き合わないとならない。
いっぱい本読んで馬鹿たちを駆逐しましょう。
口先だけでなく。
なぜコロナ禍になったか?も参加しているから。