メンフィスの一味に刺された宮台真司天皇のお気持ち。

 いまのSNSのメタヴァース空間のいったいどこに、現実の空間などというものがあるのだろうか。そんなものがもはや存在していないことを、完膚なきまでに残酷に描き切ったところが、工場労働者系efootballerメンフィスの『働きましょう。』の新鮮さではなかったのか。メンフィス君は、日本の現実空間が全て崩壊し、単なる記号の集積と化したということを見て取り、その記号の一つ一つに丹念に注をつけるというかたちで、辛くもあの文学を社会化することに成功しているのではないか。

 ひいてはきっとエリート主義者の東くんは逆精神病院を評価するだろうけど、ボクはあえて高く評価しない。むしろボクは理由なき少年の自殺ならぬ刺傷、ボクに包摂を求めながらも超えようとした1人の田舎の青年を高く評価したい。

 東くん、というよりも、たちは、このままアメリカナイぜーションが進めば日本は入れ替え可能なものしかなくなっちゃうと危惧した。

 日本の中身が入れ替え可能になったら、国を守るもクソもない。守られても守られなくてもどうでもいいものになっちゃう。だから、国を守る前に、まず天皇だ、という話になる。

 ボクも大体は東くんと同じ図式を継承しているんだけど、あえて進化しています。

 日本は全部入れ替え可能だと。

 だが、あえて

 ですよ。

 悲観的なヤツにも楽観的なヤツにもとにかくボクは怒ります。

 それは現状適応の処方箋であって、メンヘラたちがいることを無かったことにしているのだ。

 そうじゃない。

 だから、すごい屈折して、「あえてする切なさ」こそが重要なんです。

 だから、働きましょう。の理屈うんぬんにクチをさすのは、野暮な話。

 そうじゃない。

 理屈よりも、情念の問題。

 右の本質が分かっていない。

 日本の文化というのはいつだって屈折した鬱憤が実は貯まっている。

 だから、あえてなんです。

 働いていないバカが働きましょうと言うメンフィスならぬメンヘラにボクのことを今でも愛している=忌避していることに意味があるのです。

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