戦争哲学疲れとシンギュラティによる個別最適の完全防衛(私個人は).

 SNSやメタバースよろしくテクノロジーの発達によって,分人化が進んでいく様をボクは個性経済と呼んでいる.

   今までのトップダウンによる近代の国民国家→国民たちというフレームは失効し,各個人を規定に考えて様々な個人がぶつかったり接触する様,ボトルネックを社会だと定義することを個性経済時代とボクは呼んでいる.

   しかし,問題だったのが,シンギュラティ,AIが人間の知能指数を超えるこの大きなパラダイム変化に人々が適応できず,個性以前のできそこない,ディストピアな疑似共同体空間,メタバースに人々が引きこもり,そこに旧来的な死にかけの資本主義がかろうじて流れて必死に時代の変化に抵抗し続けていることだ.

  たとえば,Vtuberというbotじみた美少女たちは典型例だし,年上だとひたすらTVを見てあまりに現実から目を反らし続ける分断化が激しい.

   それはそうで大多数の人々には個性なんかないんだから,群れるしか方法がない.

   SNSの発達によって群れた人々によるインターネットだけのヴァーチャルだけの疑似社会.

   社会はとっくに存在しないのに,社会があると信じたい人々たちが社会を信じたい人々だけで群れて引きこもり,差別し,ひたすら閉じた村社会をテクノロジーで行うことで精神的安定を保とうとする天皇制社会な新しいトップダウンな空間!

   ここでは成田悠輔よろしく月ノ美兎といったbotインフルエンサーが村をつくり(もちろん初田龍胡とシンパのたのし荘,藤白りりと東京医科歯科大学医学部連中もそうだろう),話題がほぼなくなり良くも悪くもローカル化しても,ダラダラと村社会として駄弁っている全体経済,しかしあからさまに日本国内で分断しているにも関わらずブロック経済をしているにも関わらず,そこに暖かさがあるから社会なんだという,ある種の個性が静かに暴走しきっている.

   恐ろしいことを言うが,戦争ばかりを本気でするのは私より年下連中であって,もう年上のほとんどはメタバースに閉じこもり続けていくのかもしれない(ボク個人はシンギュラティへ逃走する).

  なぜなら,モダンな近代が終わり,ポストモダンが起きたという話があるが,ポストモダンとは簡単に言えばもう国家なんて堅苦しいことを考えなくていいんだ,冷笑していればいいんだというようなシニカルな態度である.

 ようするに,今のシンギュラティはポストモダン化の徹底に機能している.

  当然,メタバースの民たちもシニカルに村「社会?」を笑っている.

  テクノロジーによって今後実装されていくのはシンギュラティより前にしばらくはそして私の世代は退屈すぎるポストモダニティによる平和という新興宗教かもしれない.

  しかし,同時にあからさまにテロリズムは跋扈している.

   安倍晋三暗殺然り岸田文雄爆弾未遂,電車テロ,暴露系YouTuber,不謹慎系YouTuberと枚挙にいとまがない.

   ただポストモダニティ,どこまでも冷笑してぬくぬくできる便利な社会?がシンギュラティによってより実装されていくと,むしろ日本国家を一切信用していないのはにじさんじかもしれないのだ.

    本当のシンギュラティはにじさんじかもしれないのだ.

    ゾッとする現実にはついていけず,アートとして垣間見える演劇としてカリカチュアされた共同体空間を演じるピエロたちのショー.

   共同体を壊したテクノロジーに頼りながら,共同体はまだあるんだとテクノロジーを信仰する新しい価値観の皮肉的な構図.

   もちろんこれは,いまだに大衆消費社会的なものを信仰する起業家と女性たちによって起こされた最後の資本主義の形であり,資本主義は完全に仮想通貨的ないいねの政治として君臨していっている.

  しかしローカルな村社会?でしかこのいいねは回していないため,当然,この村社会から出ることはできないし,安定的に行きていくならばそれで良いのかもしれない.

   考える必要もなく,AIや深層学習,あるいはデータが送られてきてそこから考えるだけの水商売とAIの融合.

   Vアバターを剥がすなんて言語道断だ.

   なぜならば,もう前世は捨てていて.Vアバターこそが自分だからだ.

  しかし,ここで問題なのは前世を捨てているわけはなく,古びた資本主義の経済合理性が回っている,過去の遺産を食い扶持にぐるぐると回し続けているにすぎない.

  基本的にはVアバターはV同士でしかコラボできない.

 この奇妙で魅惑的な絶望的都市の状況ではナニも語ることはない.

   資本主義よろしくGAFAが力を暴走させて,そのおこぼれからにじさんじといった宗教が肯定されてしまった世界.

   皮肉なことにオウム真理教はオタクとして転生し,そしてVtuberとして黄泉の国に生きることを肯定するようになってしまった.

   スピリチュアルとテクノロジー,資本主義の奇妙な結託は平成最後の平成維持な論客・落合陽一が提唱するデジタルネイチャーそのものであり,ここには若手男性もテロリストもいなければ,ほとんどが強者女性と弱者男性によって維持された宗教国家によるディストピア.

   陰キャであれ,分断し続けて生きれば楽しく暮らせる宗教的な安全により調和の取れた楽しいユートピア.

  

 もちろん月ノさんノートよろしく嘘ばかりついていて,ストレスがたまるような演者側はこの異常さに勘づいているディストピア.

    しかし,宗教とアイドルの違いを平成のタームで誤魔化し,数理的なビックデータにより認知科学的に人々を操れるようになった楽園都市.

     

 もちろん演者が27才だと仮定したら見ている方は中高生たちといういささかアニメの声優のような構図.

    もちろんVtuberを完全に断罪する気もない.

    キチガイたちのゴキブリじみた田舎者たちと超都心の最後の撤退戦,平成を維持しようとする気味悪さ.

   

   話は戻るが,個性経済学時代には,全体は無視して,様々なbotだらけの島宇宙において好きな疑似共同体を選び,ぬくぬくと生きていればいい.

  

 というか,ボクは落合陽一に負けただけかもしれない.

シンギュラティは起きても,シンギュラティの限界からは逃れるまで都合良くは行けなかったかもしれない.

 今考えなければならないのは,シンギュラティの徹底であり,

しかし,ここで問題なのはコロナ・ウイルス騒ぎによるマスク社会だ(第一,経済は分断し政治が跋扈し続け景気を悪くしたのが,YouTuberやVtuberだ).

ここからVtuberブームの偽史が起きた.

だからこそ,テクノロジーを利用しながらもほぼテクノロジーを腐す不謹慎系YouTuberに希望を見出したが,どうやらそんな表層性だけでは限界があったらしい.

むしろシンギュラティがちゃんと伝わっているかのほうが疑わしいほうだ.

だとしたら今こそシンギュラティを徹底する,私はdesignこそがシンギュラティ時代の実践だと思っているし,AIの仕組みについて考えることこそがこのメタバース状況を打開する左の最後の抵抗だろう.

ポストシンギュラティ,ARはまだ人類には早すぎた.

戦争と次の現実空間全てのデバイス化はまだ早すぎた.

チープで安っぽいvtuberは落合陽一よろしく軽蔑して構わないだろう.

本当のテクノロジーによる発達はまだ始まったばかりである.

〈追記〉

 もちろん私個人はこう見えてダラダラと暮らしているので幸せだ.

誤解しないでもらいたいが,月ノ美兎は色んな意味で天敵であり,今の私のタームは本は破れ!批判を受け続けていて,大衆プロパガンダ,戦争哲学をやれ!と事実上のメジャー化が起きている(というか個性経済的にボトルネック式に今階級が上がっている.しかしもう過激はクリアし,AI,シンギュラティの安全へ私個人は情報designerとして逃げるつもりだ).

しかし,様々な人間,特に女性たちからこのふざけた社会を助けてほしいと懇願=批判されてしまっている.

当然のことながら,取りこぼされた人々を助ける気にはならないし,当たり前だが迷惑な話だ(いいねと政治はたくさんもらえるが…).

もっと悲惨なのは私より若い男性たちであり,ここらへんはもう論外だろう.

彼らはテロをするかテロを応援するか,vtuberを見て現実から目を背け続けるしかやることはない.

私個人は幸せだが,個性経済的にAR,不謹慎系YouTuber的な生き方をすれば,どんどんと対立が広がっていき,私自身の体力が持たない.

だから,安定的で保身に満ちているが,あまりに未来的,ARすぎて死に近づかない、シンギュラティキャラでいこうと思う.

戦争哲学はアジッておくが,私個人はAIをAIするAIに書かれたシンギュラリストとして生きながら,そして講義的なゆるゆるシンギュラティ入門としては技術的特異点で書いたdesignの重要性だけを話していけたらなと思う.

 私はつかれた.

アートはまだしもアートが現在は戦争哲学まできてしまっている現状は先にワクチン,戦争哲学の実践で自分のメンヘラは今回で治療したため,後は皆さんの哲学どころじゃない本当の戦争に巻き込まれないために,シンギュラリストのweb writerとして,そして批評系YouTuberとして安定的にいきたいと思う.

早稲田や学歴界隈よろしく船から取りこぼされたにじさんじだってそうだ,右の大衆たちを救う気はないし,彼ら彼女らは私を虐めてくる.

上級国民の私は一足先に安全への道を踏み込めたようだ.

ART&戦争→シンギュラティ&design→偉くなっているかな(笑)

 というわけで、アートは完全にやめて、運営者側から演者のにじさんじたちを見下す方針だ.

完全に勝てる勝負しかしない.

本はもう書く気力がないが,シンギュラティに絞るなら書こうと思う.

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