陽キャ哲学普及協会はなぜダメか?〜事実上の転向宣言〜

 

 陽キャ哲学普及協会という30才前後の年上であるクソ野郎がいる.

ヤツが明白にダメなのは自明であるが,私は明白にダメなヤツがあたかも常識人的な非常人に見えてしまうこの日本におけるメディア環境そのものがダメだと思う.

1,ヤツはなぜクソか?

古田くんの言っていることは難しすぎるよ

 厄介で面倒臭いのは,オレの言っていることは難しすぎると言いながら,偉そうかつ統合失調症患者と明白に悪意を持ち中傷したり,話を反らしまくることである.

なるほど,単なるマジモンの負け犬のキチガイにただ絡まれた多少なりの有名税とも流して良いしヤンキーにすぎないじゃないかヤンキーは無学だっても良いかもしれない.

しかし,本をたくさん読みまくる陰キャはどうだろうか?

 まつたけ大王(年上)という本をたくさん読むブロガーが古田更一ははるしにゃんの生まれ変わり,補集合だよねと論じたことがある.

はるしにゃんはメンヘラのインテリSNS芸人で薬をやったり?,メンヘラ女性たちとたくさん付き合い,メンヘラティ・スカイ,飛び降り自殺してしまった典型的なメンヘラである.

しかし,彼の消えたブログの古田更一批評があまりに理不尽かつ失礼なのは,あまりに健常者であまりに元気すぎる古田更一のコミュニティカブな態度そのものが反転したはるしにゃん,負け犬かつメンヘラなんだと腐す冷笑的な構造で私を紹介していることだ.

これはFランぼっちモザイク,明らかな経歴詐称をしてサークルに通いながらぼっちを自称するめちゃくちゃなVtuber,彼の私へのインタビュー動画(これも現在は非公開)も同じ構造であり,マーケティングマーケティングと彼は自称(F称)しながらも,私のあからさまに悪意ある紹介,武蔵野美術大学中退,週刊誌に載る中学時代(高校だし理由がある),思想系不謹慎(仲の悪い陽キャ哲学の私解説)というレトリックで私を紹介し,そもそも大学は色々あるのに,偏差値区分ばかり聴いてきて,武蔵野美術大学は偏差値区分で測れない最強の大学のため,めちゃくちゃ嫉妬されながらインタビューされるというこれまた理不尽な目にあった.

もちろんこれはヤンキーの陽キャ哲学も社不なまつたけ大王も青二才のモザイクもダメだと一蹴しても構わないが,あまりに思想系不謹慎だとかあまりにはるしにゃんとかいうメンヘラと真逆がゆえにメンヘラなんだとかめちゃくちゃな指摘をされ続けて,だったら自分の言葉で自分のことを解説するしかないなと想い造ったのが,不謹慎系YouTuberカルチャーの実践と批評史,メディアアートを強引に接合ー,つなげた本は破れ!である.

 そもそも怖いなぁ〜…と思うのは,鼻くそをほじる感覚でポテトチップスを食う感覚で批評史を話したり不謹慎系YouTuberカルチャーの実践をしただけの一般人なのに,なぜかそれが責任ある哲学者として褒め殺しに父として年上たちに求められることである.

そういった構造を説明したくて,そしてオリジナルの思想?,楽しく生きるあり方を止揚したのが本は破れ!だったのだ.

様々な曲折あれ,マトモな応答として書いた本は破れ!から逃げ続ける陽キャ哲学やまつたけ大王は単なるアンチとして一喝される話になった.

 また,年上文系?SNS世代以降はそもそも落合陽一がわからないため,理系&メディアアートがわからないため,あの東浩紀にすらメディアアートの釣りが引っかかり,東浩紀批判として本は破れ!は最強の不動の位置を手に入れてしまったのだ.

(本はただナイフで刺すというテロではないメディアのアート行為に人は絶望し怒り悪意で暴走してしまい落合陽一に負けたトラウマを暴発させることを東浩紀は身を持って証明してくれた).

 話をまとめよう.

1,そもそも武蔵野美術大学出身(中退)の海外企業のweb writerである私はそもそも不謹慎系YouTuberカルチャーが好きであり,そしてweb writerという技術者として過去の批評史が好きなだけであり,そもそも哲学に興味がないし大人の責任や哲学者としての責任を求められたから仕方なく私は本は破れ!を記した

2,そもそも鼻くそをほじりながらポテトチップスを食べながら生きているようなあり方なのに,いちいち重苦しい話をされても困る

3,あんだけ悪意ある政治をするお馬鹿さんたちとはお話にならないのだ

 そして,次章に回しても良いが,私がなぜかくも陽キャ哲学普及協会というキチガイを徹底的に批判するか?というと,ファンチ,本は破れ!を絶賛する年下や女性もめちゃくちゃな誤読や悪意を持っているからである.

2,ヤツを庇う屑どもがヤツを救わないくせにヤツを救っている社会があってほしいと臨むキモさ

 社会は存在しない.

 ファンチたちの問題は陽キャ哲学普及協会を批判するわりには,社会があってほしいと思い込むことだ.

私は社会は存在しないと主張しているし,そもそも不謹慎系YouTuberカルチャー,木村花死んでくれてありがとう!志村園長死んでくれてありがとう!と社会に必要ない人間たちの安楽死を推進している.

むしろ社会のためであるし,私はあくまでそういうスタンスだ.

なのに古田さんが陽キャ哲学たちを助けてくれる!みたいな気持ち悪いスタンス前提でまるで私が日本を救う救世主の扱いで持ち上げながら貧乏臭く肝心では何もしないクソさが年下や女性には多い.

それがFPもとこやefootballerメンフィス,リコである.

要するに,これは難しいが,本は破れ!で書いた70年代の沼,デジタルネイチャー,落合陽一の限界と可能性の指摘であり,冒頭で書いた通り,様々なフレーズで書いた通り,落合陽一の非人間的な仏教的な東大的な表面的なコミュニケーションではダメだろ!偽善だと私は指摘している.

要するに,文系と理系,ここには偽善と露悪の対立があるのだ.

(因みに,amazon版本は破れ!ではイラストやチャートを載せて80年代的にも解説した.しかし,下手くそなチャートだwwwwと陽キャ哲学やlan malcomなどを中心に不当にディスられて虐めれたので分かりやすいチャートは現在では完全削除した).

単なるキチガイたちが社会の底辺たちが私を断罪している揚げ足しているという本当にそれだけの話なのだろうか?

  

3,アートの可能性と限界.私が医学部YouTuber初田龍胡を推した理由.

希望は,戦争.

そもそも頼まれたから書いただけ流されたから書いただけなのが本は破れ!である.

中退にコンプレックスを感じているわけではない.

私は株式会社DeNAへインターンしているし武蔵野美術大学へはデッサンやデザインといった自習できない実技を勉強しに行ったため,ナニを言っているんだという話.

究極的には実技の少なそうな東京大学へ行けやと逆ギレ的に露悪者からも偽善者からも言われている気がしていて,だったらオレに噛みつかずに成田悠輔のちんぽでもしゃぶッて社会を変えてくれると盲信してろよと気持ち悪いなw.

東京大学こそ東京の大学に過ぎず,リスクを取り消し去ってもなんら問題はないだろう.

私が本気でルサンチマンぬきに言っていることに彼らは怒るんだろう.

100歩譲ってルサンチマンがあるとしたら早稲田大学商学部慶應義塾大学商学部に現役で落ちたことである.

今思うと全然落ちてよかったし人生は奇妙なもので私を論文入試で採用してくれた武蔵野美術大学造形学部芸術文化学科はありそうでなかったマーケティング×アートの学科であり,就活の実践やマーケティング理論,会社との共同授業をこれでもかとハードスケジュールで1年目から叩きこまれる.

だから身も蓋もないが,結局自分がやりたかった商業系に入れたというわけもある.

で,3の題名に戻るが,政治的なナショナリズムは医学部YouTuberであり思想センスに富んだ初田龍胡へ言ってほしい.

私の専門分野でもないし,Fランぼっちモザイク&大園葉蔵&lan malcom(おどむち)よろしくカオスフォレスト・キッズたちは私を不謹慎系YouTuberだの私を武蔵野美術大学wとディスるならば,

初田龍胡へ直接言ってもらいたい.

もちろんカオスフォレストキッズの3人はなるほど,初田くんにも医学部は低学歴だの初田は性格が悪いだのいっぱいたくさん不当なディスりをしている.

もとこ&メンフィス&リコも初田には手厳しい.

しかし,嗤っちゃうのは東京医科歯科大学医学部は正真正銘に東京大学より偏差値が上であり,彼ら彼女らボクちゃんたちはあからさまに矛盾しているのだ.

 

社会を信じる以上,日本を信じる以上,政治をする以上,初田龍胡くんという医学部どころかYouTuberとしても政治をする初田へ逆らえないし,実際に最低限の努力すら怠ってきた女性や子供たちの歯切れは悪い.初田を批判するときに不当に暴れちゃうところ,ルサンチマンがありますね.

私はなにも社不は黙れよ,ルサンチマンを抱えるなと言いたいわけではない.

単純にキミら矛盾だらけで社不が社不を嫌ガッているしルサンチマンを抱える自分をルサンチマンなルサンチマン,嫌がっているでしょという話だ.

しかし,年上男性たちは私の明白なアンチだが,ファンチ,彼女ら子供たちの古田更一を意味不明に持ち上げたりディスるキチガイさは少し分かる気がする.

なぜなら,初田龍胡はマッチョであり,行動しようぜ!しか言っていないからだ.

もちろん本当は行動しようぜ!以外ばかりを話しているが,初田くんが面白いのは行動しようぜ!の言語化に思想が費やされており彼の主張する数学もYouTuber話もいかに行動する行為そのものが理屈より役に立つかという説明そのものに思想の役割の力点が置かれていることである.

以前に昔,私はアスリート,スポーツ選手の思想だと彼の数学の解き方について指摘したことがあるが,当に坂口章よろしく動画メディアよろしく身体から考えないと現代社会の問題,理系と文系は超越できず,言語で言語の否定を話す私には限界があるし,そう初めからエクスポーズ,提示しているわけである.オレは海外のweb writerにすぎねーよって.美大出身だよって(第一,大学こそ言語ゲームだから株式会社DeNAへインターンしたと言いたいね).

 もちろんシンギュラティ,意味は今さらだからググッてほしいが,シンギュラティは結局のところ,革命の思想であり,ネオ70年代左派である落合陽一たちが語る革命であり,革命は皮肉なことに革命に抵抗する東浩紀&宮台真司&大塚英志(ネオ彼らメンヘラかも)よろしく保守層との往復によって行われるのだ.

現在,私はYouTuberを事実上やめさせられていて,というかあえて初田龍胡くんを褒めちぎり,早稲田大学を中心にし主に早慶に刺さるような言論をやる,良くも悪くも言語的なフレームを徹底することで分かる身体論,ポスト現象学を提示していきたいなと思っている.

もちろん本は破れ!はダメな本ではない.

美大出身かつ海外で働きweb writerとして生きて株式会社DeNA&坂口章からメディアアートの実践を伝授された私にとって本は破れ!は書かないといけない本だったし,アレ以上の最高傑作を書けるのか?本当に分からない(AIをAIするAI&自殺美兎のような例外はあるが).

これから私は徹底的に日本的で共同体的で言語的な描き方を覚えないといけない.

デッサン,デンジャラス,ボクはDJ.

私は以前に日本美術史は美の三高層メゾット,東洋美術→オタク→YouTuberと定義づけしたが,

極めてオタク的な作品を提示しないといけないかもしれない.

オタクとは日本美術でありドメスティックな自閉のあり方である.

だとすると,私はミッションちゃんの大冒険を描かないとならない.

しかし,漫画をこのシンギュラティ,CHATgpt時代に描くというのは一体どういうことだろうか?

 

 私の尊敬する引退気味の批評家,東浩紀は「哲学者」の柄谷行人を文字りながら,意味という病について語ったことがある.

生きて考える批評という行為は病そのものであり,問題解決とも違うし問題逃避とも違う矛盾した問いなんだと言っていた気がする.

私が解かないといけない新たな問いは病は極めて終わった理系と文系を超越するミッションではなく,このCHATgpt時代における極めて終わり尽くしたオタク,日本美術をどうやってもう一度このシンギュラティ時代に再生させるか?という古くて新しい反動的なー,しかし鋭くて楽しいミッションだろう.

  

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