東京大学を破るにはどうすればいいか?
語源に遡り京とは何か?学とは何か?をまず考えるべきだ.
人は楽園を信仰し,学びを信仰している.
聖約聖書に書かれている通り,キャンパスを見給え!おぉ!
アダムとイヴで男と女が生まれ,知恵の実を食べた以上,楽園からも学びからも闘争は不可能なのだ.
だとしたら東京大学を超えるような楽園は東京大学を超えるような学びとは何か?
単純に空間性を拡張すること.
時間はハイデッガーをペロペロしないといけないから無理で空間性が重要になる.
しかし,ヒカキンではフッ徹底だ.
反転したルサンチマンではいけない.
しかし,あくまで東京大学に合格するような情報処理があってこそは罠,今度はハイカルチャーの系にハマる.
我々は意味宙吊りにしたパラドックスをあくまで数学的に見抜くべきであり,
美術史で言う泉を現代でアクチュアルに醸し出さないとならない.
ハイテンション,ハイテンション,ハイテンション.
ドゥールズが意味の論理学&差異の反復よろしく哲学史や文学(分析哲学)の練り直しを行った.
フーコーが言葉と物で分節言語を発見し歴史のフィクション性を暴いた.
デリダ,畏友の畏友のシュレックが文学臭さを醸し出しながらも言葉の表層性を突いて柄谷行人の明晰さを批判した.
権威批判が権威だとしたら,権威が権威批判だという逆説もあるだろう.
むしろ圧倒的に権威主義的にハイテンションにアートをしないとならない.
本当のデュシャンはサブカルチャーも横断したがゆえにハイカルチャーも知的ハイテンションに横断しなければならない.
美術史を横断し,芸術も文化も横断し,クラシックなローカルすぎるナイーブすぎる楽園も学びも超越せよ.
ハッキリと先に言わせてくれ.
本当に美しい術なら楽しいじゃん.
〈追記〉
ボクはとある会話を,見た.
「古田さんは詐欺師です.だから褒めている」
「仮に古田さんが詐欺師だとしても」
他人の主語は表層.
否定神学.
文学たれ.