こんにちフー。
今日はロウワーっていうフが大好きなボカロを紹介しようと思います。
特に漫画のMADがいいんですよね。
チェンソーマンとか呪術回線とか亜人だとかの最終回やキーポイントによく使われる歌です。
アートが良いのは、というより漫画(アート×物語)が良いのは今まで固定観念だと思っていた作品の常識がひっくり返って、真逆の答えこそが実は追い求めていた真実だったとバレていくー、そんなカタルシスなんですよね。
マキマさんは生姜焼きになってしまいますしね。
だから、ロウワーを聴いていると、生きている躍動がすごいリズムカルに起きて、すごい大好きです。
初音ミクってかわいいし、AIってすごいけど、ART的には、実は初音ミクって聴いている自分のことだったし、AIってAIを使うAR人、拡張現実、AIを前提にして生きる新しいライフスタイルの人々の話だったんですよ。
このネタバレ的なカタルシスをすごい感じる悲しいけど嬉しい唄なんで、ロウワーはすごい好き嫌いなんですよね。
だから、負ける美学みたいな表現が漫画ではよく好きで感傷マゾともまた違っていて、対極的な不謹慎系YouTuberをやっているからこそ、っていう含みがすごい重要だと思っています。
そういう複雑な文脈性がすごい好きで、亜人も是非読んで欲しい。
亜人って佐藤さんがすごいだけの話で、最終回で、佐藤さんっていう怪物が闘い楽しかったねって言うんですよ(漫画とアニメ、映画は結末違います。どれも好きですが、一番好きな最終回はこの漫画です)。
本当に素直に。
で、怪物の主人公が確かにボクらはなんでもできるし、人間たちより上に立っている。
だけど、人生を舐めているんじゃねーぞ!って佐藤さんに怒って決着が色々と着くんですよね。



ここにフはすごい感動しちゃってすごい大好きなシーンなんですね。
佐藤さんってかっこいいんですよ。
本当に亜人として生まれた人で。
だけど、彼は可哀想なんですよ。
彼に欠けていたのは、人間とは何か?っていう話で、彼には亜人としての力を行使する才能はあっても、亜人と人間の違いってなんだろう?っていう今作に描かれる哲学的な問いが解けないラスボスなんです。
力をどう行使するか?力をどう制御するか?
ようするに佐藤さんは才能はあっても、アーティストとしては亜人を肯定する天才であっても、じゃあ人間としてどうするか?っていう問いがどうしても分からないから最後主人公ごときと死闘することを選んでしまう。
だから、佐藤さんは救われたという話です。
才能に恵まれた亜人の佐藤は人生を持て余していて、この資質をどこにぶつけるか?が分からなくて、同じ亜人である主人公とそこの差で負けてしまい、そういう意味では佐藤さんはゲーマーなんで亜人として生まれず普通に人間としてゲームしていたほうが良かったんだと思う。
主人公は元々医者志望で、佐藤さんは終始笑顔なんですが、最後の闘いも嬉しくて笑顔なんですね。
佐藤さんはただ快楽を楽しむだけの陽キャな非メンヘラキャラなんですが、そんな彼が嬉しくなちゃって最後メンヘラのふりをするんですよ。
これ、人間と共存する亜人として生きることを選択した医学部志望の主人公が正しいのか、それとも亜人としての快楽を追求する佐藤さんが正しいのか、答えはない。
完全に哲学的な問いに走っていて、しかし、哲学と違うのは、ARTなんで、躍動的な問いに飛躍している。哲学は記号的な話になるので、実存を追求する必要性はないですから。
というわけで、ロウワーのPVも歌詞も答えはない。
答えがない話だから、殺される魔法使いはなぜか負けたのに悲しい顔をしていなくて、殺しちゃう手下はなぜか勝っているのに泣いている。
だから、歌詞は意味がすごいのに、題名はロウワーって大体テキトー。
自慢ですが、ボクには人生のあらゆる全てがロウワー的に見えています。
アートをやると面白いのは、嗅覚が優れていくというか、文脈の細かさを見えるようになる。
だから、負けると分かっていても、挑戦しないといけないことが分かっていて、そこに表面的には勝ちを目指していく。
ここが、感傷マゾという冷笑的な構造とは違っていて、負けも勝ちも超えた境地に立っていく。
ボクも佐藤さんや伏黒パパのように負けたい。
最後になりますが、呪術廻戦の伏黒パパは五条悟と戦えてすごい嬉しかったんだと思いますね。
ほとんど共感に近いんですが、五条悟という自分よりも偏差値が高い打ち手と勝負できた興奮がそこにあって、完全にこれボクの主観ですが、そういう自分が無意識に感じていた感情に気づく、でも、気づいたときにはキツイことに…っていうシーンが良いですよね。
図々しいけれど、勝ち負けじゃあないんですよね。
勝負がARTだと分かると、勝ち負けじゃあないんですよね。

(安い挑発を買って冷静さを欠いた伏黒カッコヨスギw)
陽キャ哲学普及協会やひろゆき、東浩紀に欠けている目線はあんなに高尚ぶっているくせに勝ち負けに囚われているところが、ダサい。
僕は彼らと議論したり、彼ら属性といちいち関わりたくないのも、勝ち負けを前提にしていて、姑息な手を確信犯的にやってくるところ。
アナタの感想ですよね?が悪いんじゃあ無くて、彼らは初めから初田龍胡や理系、シンギュラリティストたちとはなっかや話す気がないんすよ、負けたくないから。
でも、仮に負けると分かっても戦うのが美学だしスポーツでしょ。彼らは一見すごそうに見えて、すごく保身なんですね。もちろんすごく賢いけど(初田龍胡の犬なんですよ、彼らは。東京医科歯科大学医学部の奴隷。文学や哲学は知の格闘技でもあるのに、初めから初田龍胡や落合陽一、イーロン・マスク、藤白りりの手下みたいな三下どもは仮に戦闘能力が高くても相手にしたくない)。
感傷マゾも結局のところ一番冷笑しているんすよ。
だから、あんなクールだった伏黒パパが一番冷静さを欠いていたっていうまあところどころ伏線があるけれど、めちゃくちゃ熱いですよね。もち少年漫画の王道ですが(笑)
だから、ロウワーって悲しい唄に見えて、実は本当はすごいからッとした明るい唄だと思う。
素敵な魔法使いは死んでしまったけど、悲惨な手下が生き残ってあのコミュニティどうすんな?だけど物語は続いていく。
きっと主人公の手下だけは好きな魔法使いが悪だと分かっていて、でも、自分も悪だったと悩むと思うけど、そうやってまた次の世代にバトンはきっと渡されていくんですよ。
だから、その後のストーリーがすごい楽しみで、ロウワーの続きがふわふわと頭に浮かぶんですよね。
そこがエモくて、ロウワーが大好きです。