とある高校生に言われて、刺さった言葉だ。
俺が幸せじゃないと言われたら、自殺する気はないが飽きているのかもしれない。
退屈な成功、退屈な勝ち、退屈な負け。
厳密に考えても、改めて考えても、このような結論になる。
退屈だ…。
すべてがボード盤の通りに動き続けるチェス盤を見飽きるほど、つまらないことはない。
しかし、退屈を癒やすために無理に挑戦すると身体を痛めちゃうし、社会に邪魔されているし、メンヘラどもと関わるとこちらの手足が汚染される。
だが、ゲームとはそもそも簡単であってはならないもの。
ゲームはより困難だからこそ、美しい。
もちろん社会に邪魔され続けることやメンヘラどもは論外だ。
しかし、哲学者による主権者教育がソクラテスよろしく困難な通り、そして、ましてや日本人である時点で良くも悪くも退廃的な摩擦を体験しなければならない。
俺が疑問なのは、むしろ社会やメンヘラどもがなぜわざわざ俺の足を引っ張るかである。
こたえはあらかじめ確定されている。
確定された答えをどう覆すか?そのものか重要なのに、そもそも確定された答えにすら到達し得ない人々が多すぎる。
不可解かもしれないが、ボクはそんなキミたちのことを深く愛しているし、もしかしたら、どこかで決定的なナニカをボクは踏み間違えた、しかし、そうするより他なかったのかもしれないね。
だからこそ、ボクはこのゲームをそして人類を深く深く愛しているよ。
結論。
ボクは美しいこと以外に興味なし。