河合塾池袋の思い出(学歴界隈必見). 遊戯としての受験勉強

 青山一丁目のしがないサラリーマンの古田更一です。

 昔、これは初めて話すが親に浪人時代に無理やり池袋河合塾校早慶アドバンスクラスにブチ込まれたことがある。

 めちゃくちゃ憂鬱で寮のメシが余りに不味すぎて(これが本当に1番の理由)鬱病状態になり、半年で抜け出した。

 しかし、同時に池袋の日常は楽しくて仕方なく、めちゃくちゃ働いていない時に池袋に来れたら良かったのにと思う。その寮もめちゃくちゃ美しい(雰囲気や立地は好きだった)。

 オレは暇があれば死ぬ前に池袋あたりには住みたいなと半分思っている。

 おそらく神奈川の人間が真逆にある世界観の埼玉あたりに飛ばされるのは楽しすぎると同時に仕事なのだ。

 そこに厳しいが旨味があるといえる。

 そうえば東京の左側、武蔵野美術大学も大変だった(と同時に感傷マゾ的に武蔵野美術大学の周りや国分寺、立川はめちゃくちゃ美しい!)。

 最近よく池袋は歩くが、池袋の河合塾校はオレのときの校舎が無くなっていてびっくりした。

 池袋という街はオレにとって災害であると同時にビジネス的な景気の良さ、変動幅を知らせるモチーフであり、もしかするとアナタにとっての池袋を感じ取ることが重要かもしれない。

 やっぱり感傷マゾになるというか受験勉強や仕事はめちゃくちゃ面白すぎる。痛みや真剣に生きている感が良いよね~。

〈追記〉

ちなみにどうでもいいと思うが、小論文は主にLINEでひたすら日記を高3時代から毎日書いていて(および顔出し動画投稿も今は非公開だが高3あたりから日夜upしていた)、また原宿にある代ゼミの美大予備校で膨大に批判される特訓を受けて平易な文章になった。懐かしい。

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