ポスト平成以降のこれから。2023年を総括し2024年へ行こう。

 今すごく退潮傾向にある。

 ルサンチマンが済んだのかバカなのか分からないが浅くて曖昧なガーシー&成田悠介騒ぎは終わった。

 数学政治、権力こそ最も数学の恩恵をウケていることを彼らは知らなかった。

 要するに大衆はバカなんでギャーギャー騒いでも既得権益を倒すと言っても、世に必要な既得権益が意外とあることが良くも悪くも分からなかった。

 たとえば公務員における事務、水道ガスなどは必要かつ立派な仕事かもしれない。

 本屋や出版、TVといったメディアの力は確かに弱まったと思う。これは革命に近い。

 しかし、追いやられた権力はあろうことかYouTube上でメタバースとして学歴界隈やTVの延長線として寄生初めている。

 引きこもりや生活保護、池袋の政治野郎たちはメタバースへ生きるようになった。

 こうなるとむしろSNSの滞在時間を減らしたり本を読んだり大学を意識するといった逆張りがむしろリッチさを表す。

 しかし、基本的に本もTVも死んだ。

 あくまでスナック菓子としての本やTVである。

 たとえば、厳しい批評で本は禁止、その代わり中身ないエッセイや文学で本はOK、TVもドラマやグルメ番組、旅番組はOK,政治性がなければだ。あるいは理系的なダーヴィンがきたなどの人畜無害な教養も良いだろう。

 ポスト平成における平成を超えたいネオ70年代革命は道半ばでやはり終わった。

 今はだらだらと平成を楽しめる貴族かあるいはネオ70年代革命で裁かれたアップアップな人間たちで分断されている。

 楽観的な観測では流石に焦った老害や若者たちがネオ80年代革命で若者たちに下駄を履かせてくれるかもしれない。これは半分は起きている気がする。ここ最近あらゆる年上たちから今までと違いへりくだられる形で頼られているから(なおギャラはほぼないという…。しかし仕事量は割に合わないレベルにたくさんきている)。

 悲観的に絶望してみると、今回のゲームで勝った側はむしろ抵抗勢力としてネオ80年代的な令和すぎる破壊性を嫌悪し忌避せざるおえない。自分たちが死ぬからだ。具体的には池袋や埼玉、および学歴界隈や成田悠輔、ひろゆき、にじさんじなどが例だ。彼らは実のところマイノリティな1つの党派にすぎないが、ネオ80年代的な革命を嫌がるだろう(および早稲田や京大といった古ぼけた大学や大企業もネオ・ニューアカを嫌がるだろう)。

 問題なのは当時における朝日新聞や報道番組の極左たちが日経やテレ東と違ってどこにいるか?という結局のところ老害が老害を潰す、

 あるいは私も成田も触れたくないブチギレた敗者たちの暴徒に。

〈追記〉

ロジックやAI,批評はテンポは早いが今は良くも悪くも女性やマクロ、実効性がより良くも悪くも求められている。となると中身が下がるがよりポテンシャルがあるかもしれない逃避だが陶酔な文学かもしれないのは強調しておく。行動しない理由を含めてだ。

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