ベテランち、落合陽一、コロナ。

 まず、ベテランちは医学部政治だ。

 AIが人間の知能指数を超えるシンギュラティを生きるボクらの時代には逆ソーカル事件、理系こそが、数学ができることそのものが政治的なイシューを持つ。文脈のゲームから原理のゲームだ(©落合陽一)。

 よって、東大医学部のベテランちこそこれからの政治、本来の文系、SNS上における東大法学部のような役割を持つ。

 あくまでも官僚の王こそがベテランちと定義すべきだ。

 落合陽一は、良くも悪くも最後の文芸評論家、思想家だろう。

 落合陽一こそ思想家だと捉えらないとならない。

 私は落合陽一は好きではない。

 しかし、落合陽一の指摘は正しい。

 科学こそがこれからの下部構造、前提になるという発想は正しいのだ。

 具体的なイシューを考えよう。

 2020年に起きたコロナ・ウイルス騒ぎだ。

 これによって医学部こそが思想になり、シンギュラティが起きた。

 ボクたちはベテランち的な政治性を持ちながらも、あるいは意識しながらも、一方で、マルクスの更新、経済学の更新、AI経済学のような落合陽一の左翼性も意識しなければならない。

 こうすることによって、コロナ・ウイルスの問題をベテランちの冷笑から落合陽一のベタから理解することができるのだ。

 よって、コロナ・ウイルスの自粛&反自粛は超科学的な問題であり(あくまでポスト科学であり近代科学の知識はより重要になるだろう)、単に、医学部的な知恵を理解しなければいけない(©ベテランち的)&あるいはAIに思考を代替しなければならないということである(©落合陽一)。

 もっとも、二人の、ベテランちの冷笑と落合陽一のベタ、両方をつぶさに見ながら批判的弁証法ができる思考法そのものがこれからの前提となるエリートの形だろう。

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