AKBとにじさんじの違いが分からない。〜社会は存在しないが余りに可視化されている〜

 真面目に考えても,AKBとにじさんじの違いが分からない.

5年後とかににじさんじですらAKBみたいに時代とともに古くなったらどうなのか?

 可愛くもないそこら辺の女を連れてきて、儲かりますよと言われても、余り興味が持てない。

 資本主義を乗り越えろという退屈なテーマがここ最近、特に2023年は流行ったが、ネオ幕府のバカたちよろしくLGBTの猫丸やあまみしゃけとにじさんじは同じでしょう。

 怒りはないし軽蔑はしないが、彼女たちは単なるバカすぎて話にならない。

 実際に正月に起きた震度7の震災や松本人志キャンセル、飛行機墜落などまあ当たり前のことが起きても、なおアイドルにすがれは流石に厳しいし、単なるメンヘラたちが小銭稼ぎをするのは構わないが、バカはバカでしょう。

 怒りはないが、バカがバカなのは仕方ないから、やっぱり社会は存在しないと思うのよね。

〈追記〉

 マジレスすると、本は破れ!で書いた社会は存在しない、国民国家の帰属意識がTECHNOLOGYで助長されるディストピアこそが、皮肉なことに政治や共同体をキッシュに演じることそのものが経済&反共同体になるという悲しげな話がある気がする。

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