圧倒的産声をあげながら高らかにそう宣言したい。
社会は存在しない。
そう。
社会は存在しないと。
これはレトリックではない。
圧倒的な身も蓋もない真実だ。
もっともこれは高らかに宣言された圧倒的に役に立つ「真実」であり、そして、これは圧倒的にこれから重要になる一つの陰キャ文学である。
ナニを隠そうこの文章を書く気にはならない。
ウェブライターの古田更一こと久保田一帆である。
なぜこの「社会は存在しない」が重要かと言えば、社会はあくまでも明治時代に捏造されたフィクションであり、陽キャ哲学普及協会の超 陽キャ哲学の間違いはサピエンスそのものが社会や国家、愛情といった言葉の概念を信じていたんだという歴史修正主義にある。
もっとも陽キャ哲学ことぱくもとさんのその態度は半分間違えていない。
なぜならば、国家という暴力装置そのものがそうやって歴史修正によって作られた1つの物語であるのだから。
だとするならば、天皇という朝鮮人のDNAを持つかもしれないチョ●チョ●ちゃんのあからさまな統合失調症的な戯言を聞くよりは断然議論の建設的な話の為にクリエイションする陽キャ哲学の方が幾分マシ、いや全然前向きで素晴らしいかもしれないからだ。
ここでしっかりと言わなければならないことは、社会は存在しないが、メタバースは存在することだ。
メタバースとはSNSによってできる疑似共同体のことであり、むしろテクノロジーの発達によって拡張家族的なコミニュニティは存在する。
AIが一人の人間の知能指数を超えるシンギュラティまで後1年である。
むしろテクノロジーの発達によって社会の共同体の意味がメタバースとして広がるという意味において、陽キャ哲学普及協会とシンギュラティ理論は大きく矛盾しない。
むしろ下部構造が全てTECHNOLOGYによって補完されていき、バラ色にように陽キャなキャラたちが縦横無尽に暴れる、そんな姿を俯瞰する超人≒陽キャ哲学人が少数いるユートピアなディストピアまで後一歩である。
もっともそんな時代には学歴社会は解体されていき「陰キャ文学」なロックとして学歴は消費されていく。
SNSはbotだらけになり、人々は働かなくていい社会、あるいは、個性経済学的に働き方をAI的アルゴリズムが選択淘汰してくれる希望ある時代にボクたちは生きていく。
もっともその手の希望をボクたちは陽キャ哲学普及協会の言う通りに、冷笑してはいけない。むしろ革命のファンファーレは雄たけびをあげて、「メンヘラ」という言葉も国民国家を引きずった単なるバカの体現妄想ということが分かる。
超 陽キャ哲学が凄まじいのは、テクノロジーに発達によって全ての計算式は仕事はAIが行うようになり、上部構造にはAIに淘汰されない「陽キャ」な仕事や役割しか残らなくなる、社会は存在する=メタバースが世界を大きく変えてゆくAI右翼的なEQの時代へと価値観はスライドしてゆく。
もっともその手の話をより普遍的に理解しようと思ったら、AI左翼的なIQの話を考察してゆかなければならない。
ようするに、ボクは皆さんに2025年のシンギュラティというバカげたSFじみたAIが一人の人間の知能指数を超える真実をここで未来予測してゆきたいといきたいわけだ。
さぁ、始めよう。陰キャ文学の最高傑作・本は破れ!のその先のセカイを。