メンヘラ救済論(顔なきドールたちへ)~結婚を脱構築した偽装家族について~

 ネットでメンヘラと検索するとどうやらたくさん使われるバズワードらしい。 

 今日日、京都アニメーションを燃やしてありがとうございま~すをやったハイテンションすぎるギャグだよ!ギャグだよ!なオモコロ犯罪者・山西青葉容疑者の死刑が確定されたらしい。うん。ご冥福をお祈りします。

 実際のところ、これは危機である。果たして山西青葉は悪いのだろうか?

 もちろん悪いに決まっている。

 人を殺したことは到底シンプルにそして陽キャ哲学=AI右翼的にはよくないことかもしれない。

 しかし、だ。

 死刑までするのは、いささかやりすぎだろう。

 もしかすると、彼は早すぎたメンヘラだったかもしれないからである。

ギャグのやりすぎは、ネットのノリから

 そもそも京都アニメーションとオウム真理教の何が違うのだろうか?

 これはナニも私の屁理屈やぱくもとさんお得意の論点反らしではない。

 アニメーションの著名な批評家・大塚英志がよくオウム真理教のことをサリンを蒔いたオタクたちとしてオタクとしての日本赤軍だと評していて、浅田彰×中沢新一の対談で浅田が大塚の言っていることは基本的に正しいけども、そんなオタクにハマりすぎるような落ちこぼれの面倒は見切れないでしょwと正しく冷笑している。

 では、そうなると、にじさんじはネットで起きた新興宗教であるし、もっと大きく言えばソーシャル・メディアを利用したGAFAはハッキリ言えば、工学的なシステムを駆使した数学という名の文系的宗教、そう、宗教ビジネスの何物でもなく、良かった、社会は存在したのである。

 浅田彰=エンゲルス・マルクスは宗教は大衆の阿片だと言った。

 これはナニも宗教にハマる、たとえば、高学歴だったり国家だったりメンヘラだったりを揶揄するだけが意味ではない。

 むしろ宗教は阿片として必要不可欠じゃあないかという目線から考察しなければならないんだという意味もここには込められているらしい。

 となると、ここで大事なことは、徹底的に批評的なまなざしでメンヘラを見ながらも、メンヘラ≒オタク≒オウム的な連中たちをむしろ肯定した上でどう可哀想な彼ら彼女らを救済するか?ということである。

 ~月ノ美兎は女-成田悠輔になろう~

 顔出しもできない嘘つきの卑怯者、ネットのオモコロ(オモチャ)お姉さん・月ノ美兎は女・成田悠輔を目指すべきだ(SNS芸人・成田悠輔に関しては先ほど批評した)。

 今のインターネットではSNS芸人と取り上げると現実の成田さんのような陰キャではなくて、顔出しもできるぐらいイケメンで中身もネタとして面白くてといった美男美女がよく様々にメディアに取り上げられる(藤白りりやてんちむなどは典型だろう)。

 もっとも顔だけではなくて、話も面白くなくてはならない。

 そして、その殆どは消えたYouTuberヒカル&ラファエル&てんちむよろしく極めてヤンキー的な環境やノリが重要であり、なかなか陰キャでは厳しいところだ。

 しかし、そこに陰キャの成田悠輔が本業の仕事では人生が辛いから、アクションをしてやってきた。

 むしろヤンキーの中では学歴や陰キャ性はむしろ差別化につながることを陰キャの非社会貢献性に欠けた成田悠輔はオレでも生きていていいんだとハッキリと証明したのである。

 ここで、大事なことは、顔出しは怖くないことだ。

 そして、ウソつきで構わない。

 集団幻想のプロジェクトでもみ消せる。

 テレビの演出によって、スタッフをかかけている動画編集、つまり映像学部的な知恵こそが成田悠輔という虚像を作ることになるのだ。

 ようするに、月ノ美兎『月ノさんノート』は一人のドールを早慶理工のスタッフたちが女装してみた集団幻想にすぎなかったのだ(個性は存在する!)。

 これはある種の陰キャ同士の助け合いであり、一人の個を発揮する陽キャ哲学者のぱくもとさんになれない大半の人々は、蛆虫やボウフラ、ムカデたちが大群としてキャタピラのように連帯しあうことで、一つの疑似人間を作り上げること、こうすることで、極めて民主的に個性経済学を稼ぐことができるのだ。

 このメゾットは応用すれば、顔出しができる人間たち同士でそれに近しい人間たちで民主主義に連帯しあえばいい。

 その一つの成功例としてあるのが、批評系SNS集団ChaosForestである。

最終的に顔出しができないFランぼっちモザイクくんでも掛け合いによって連帯することができていることが、この極めて陽キャすぎる個性経済学を突破する陰キャ文学的な民主経済の突破口である。

 SNS芸人の成田悠助が22世紀を妄想≒冷笑しいつかSNS上に国民国家の代わりが成立することを望んでいたが、そんなことはFPもとこが徳島から東京へ引っ越す前にはるか前から若者たちは勝手に淡々と静かな革命を行っているのだ。

~にじさんじは冷笑にすぎない~

 二次元と三次元の間を越境しようと言っちゃう時点で、ひねくれている若者たちが多い昨今、それは単なるメンヘラの冷笑にすぎない。

 にじさんじ&ホロライブは結局のところ早慶理工の東大落ちコンプのかつ学歴はロックになる状況でトマホーク&高学歴メンヘラ界隈にもアクセスできない人々が作った東大になれない自分たちは自殺美兎=女装するしかないんやという一つの新たなオタク仏教の形である。

 もっともその手の宗教を否定しないし、お布施がこんなに儲かる昨今であり、先ほどから提唱した通り、社会は存在しなくなるAI時代には、かえって社会は存在する!と豪語する偽善的なGAFA≒陽キャ哲学たちFEUP(FPもとこ&edamakekun&ウ&ぱくもと)は、むしろビジネスとして下部構造の運動として需要があるだろう

 社会が存在しないからこそ、メタバースはビジネスとして存在する。

 皮肉なことに元生活保護の陽キャ哲学こそが最も仕事ができるという逆説はあるのだ。

 これは冷笑ではない。

 1つの真実だ。

 その点、にじさんじは、二次元と三次元の越境をしようと言って、顔出しをしない以上、いまだに冷笑を抱えていて、メンヘラをこじらし、オウム真理教として社会軋轢とぶつかりつつある(にじさんじは結局のところ大企業がオタクを利用した最後の日本の利権にすぎなかった)。

 この長期的懸念、オタク≒オウム真理教的な懸念を突破するには、男はどうしようもないがもう切って、女のドールたちは女版-成田悠介としてChaosForestのような顔出しできるスタッフたちを雇って自らの新たなアバターあるいは既存のアバターの新しい使い方、極力編集されてないポスト映像メディアな無編集動画の走りへ加速することで、昨今のメディア洗脳によるメンヘラ急増とにじさんじというオウム真理教を解決することができるのだ。

~おわりに~

どうだったでしょうか?

 京都アニメーションを燃やしてありがとうございま~すをやったハイテンションすぎるギャグだよ!ギャグだよ!なオモコロ犯罪者・山西青葉容疑者の死刑が確定されたことで、オタクという土壌に危機≒批評が生れて、にじさんじはもはや本当に二次元と三次元の越境を活況しなければいけない緊急事態になっている

 いつも恋愛で炎上する古田更一的なホロライブは不謹慎すぎるワクチンを接種をしている反自粛派のARTIST集団のグローバリストだからともかく、いつも恋愛を避けてSPY・FAMILYで疑似家族を作るインテリすぎる左派のサリンをまかずに成功した新オウム真理教集団・通称にじさんじ(医学部的)は思想的にもビジネス的にも現在、自粛派として危機に陥っているのだ。

 今年もホロライブ(不謹慎系YouTuber的美)は一期生が恋愛沙汰や情報流失で消えたが、異性へ走らない左派的なにじさんじは余りに知能指数が高すぎるせいか、女性原理も高く、潰れないことに走りすぎたせいで、息苦しい状況へと現在なっている。

 そして、余りに正しすぎるにじさんじも一期生たちを淘汰するという思想がない≒歴史がない行動へクリーン化を早慶理工の東大落ちの仏教的運営たちがしようとし女性原理の演者たちと対立を繰り広げているだろう(そこで前者が作り上げた次の偽カリスマのドールが壱百天満原サロメだ)。 

 ようするに、月ノ美兎は女版-成田悠介として覚醒するほかない(月ノ美兎という映像は成田悠介という新しいリアル芸人でも疑似状態を作れることで超越されてしまった)。

 新たなスタッフを従えて、SNS芸人のままインテリぶれる冷笑を加速させよう。

 こうすることで、陽キャ哲学者に指をくわえて憧れてしまう成田悠介たちを大量に増やすことで民主的な数として、質の陽キャ哲学者たちに敵う陰キャ文学は成功する

 もっとも救済される時点でドールは手遅れだ。どんな天才だろうと指示待ち人間はあくまで天才指示待ち人間でありドールは所詮ドール同士の競争として勝ってもそれは天才ドールに他ならない。

 オレはあくまで天才ドールの月ノ美兎を鳥かごから半分取り出して、中の顔なき姿、目のない猫として一人の女性を等身大として愛したい。

 そして、そんな天才ドールを超越する男の陰キャ文学はすでにもう裏でプロジェクト中だ。

 メンヘラ救済論すら超越するこの陰キャ文学のことを巷ではFランぼっちモザイクprojectと呼ぶらしい。

 

  

 

 

コメントを残す

WordPress.com で次のようなサイトをデザイン
始めてみよう