終わるある非日常を生きろ.〜AIにより実装された美の享楽へ〜

 

 Web Writerの古田更一だ。

 今回、私はゲーム理論のやり方を伝授しようと思う。

 このゲーム理論は私の専門であるメタバースプラットフォーム運営の1つの発展型である。

〜株式会社DeNA『逆転オセロニア』と批評系YouTuber集団ChaosForestから感じた1つの系〜

 私は武蔵野美術大学生時代にAIが人間の知能指数を超えるシンギュラリティが流行っていたため、株式会社DeNA『逆転オセロニア』におけるメタバースプラットフォームの運営法を研究していた。

 ここで大事なことは拙著『技術的特異点』を読んでほしいが、社会学〜シンギュラリティの共同体の空洞化と疑似共同体のテック化、加速主義の隆盛である。

 社会学では再帰性近代になると武蔵野美術大学教授・小幡正純=アンソニー・ギンデス曰く近代という虚構の社会を俯瞰して冷笑してしまう再帰性近代を誰もが享受せざるおえないということである。

 もっともtechnologyにより更に社会の空洞化は加速してゆき、社会は共同体はマーケティング内におけるメタバースプラットフォームというビジネスモデルに回収されるというわけだ(香城卓『逆転オセロニア』)。

 

 このような時代にはメタバースプラットフォーム内には1つのマーケティング図式で証明できうる権力の単純な構図が見えるだろう。

 社会学者・宮台真司は処女作で『権力の予期理論』という本を書いた。

 ニコラス・ルーマンやマックスウェバー、廣松渉の権力構造論を応用しそこにゲーム理論を導入したらどうなるか?を書いた本だ。

 しかし、宮台真司は致命的に50点間違いを犯している。

 それは時代の問題もあるだろう。

 宮台真司の『権力の予期理論』は先ほど描いた社会学を超越したシンギュラリティ、加速主義と同じ問題を抱えている。

 つまり、人間が人間でマーケティングするという系に挟まっている宮台真司による『権力の予期理論』はシンギュラリティの中でヘゲモニーを握りたい空疎な数学でしかない

〜AIが人間の知能指数を超える〜

 権力は存在しない。

 あるのは皮肉なことに政治空間のみだ。

 が、AIが人間の知能指数を超えるシンギュラリティにおいて人間が従来の大学の枠組みで思考する必要性は下がっている

 だから、AIが出した最適の解に我々はアルゴリズムとして従うだけで基本的には最適な解を出せるというわけだ。

 ここでAIやシンギュラリティをより普遍的に考えれば分かりやすい本に初田龍胡『落合陽一を批判的に読む』がある。

 シンギュラリティとは、AIとは、SNSのLINEこそがむしろtechnologyの一部であるという分かりやすい例がある。

 私から言わせてもらえば、最先端のAIはGoogleがYouTubestudioで常に最新のアルゴリズムを提供してくれている。

 そして香城卓『逆転オセロニア』のように後は人間にできることは統計やマーケティングの外にある生身の人間との対話にすぎない。

 こうして数学は不要になりアルゴリズムと化し、人間は人間と対話した量や質、YouTuberになることが下部構造(ストラクチャー)でも上部構造でも必要となるわけだ。

〜AIをAIするAIという脱権力の予期理論〜

 もっとも香城は宗教をtechnologyで実装したにすぎない。

 このような時代には、むしろ権威的なプラットフォーマーたちをどう理解するか?という更なる視野が人文知に求められるオブジェクトだ。

 ここで重要になるのが、情報designである。

 スティーブ・ジョブズが天才designerとして活躍した通り、designerは初田や香城、新発田のprogrammer的プラットフォーム的ディストピアのヘゲモニーを食い破る1つのオーソドックスな手法だ。

 designは言葉の定義に細かい重箱の隅を突く論理学だ。

 しかし、designで重要なことは、美であり、浅ましいマーケティングや浅ましい最適化論は当然許されない最も民主的なアメリカナイズされた価値観、プラグマティズムである。

 もっともプラグマティズムを新興宗教だと冷笑する新興宗教2世のバカのブーメランになってはいけない。

 designを理解するには、文系ならアメリカ哲学史、理系なら、コンピューターを実際に触ってみる実践論にしかない。

 ここで大事なことは社会学そのものが理系によりあくまでも脱構築されて、〈戦後〉という教養学でしかないことだ。

 戦後とはアメリカのポップコーンを食いながらTVを見たりまったりと終わりなき日常をジモティと駄弁ることだ。

 もっともtechnologyの加速主義はそのような戦後を終わらせる。

 ようするに、〈戦後〉こそ権力であり、不要な腐敗である。

 単純なゲーム理論で考えられる選択肢は2つ。

1,加速主義で戦後を終わらせて、崩壊を加速させる冷笑。

2,むしろ古市憲寿のように戦後を徹底することで戦後という冷笑的構造を冷笑する手法

 そして、第3段階のフェーズがPhantomMedicine,加速主義をより徹底することで完全にAIが人間を超えてしまった世界観を前提にする冷笑を冷笑し冷笑するへーゲル的な弁証法である。

 つまり、大学はいらない、会社になる、共産主義はいらない、資本主義になる、田舎はいらない、東京だけでいい(社会学→シンギュラリティ)。

 これは最も冷笑を冷笑し冷笑したにすぎない。

 中途半端にうだうだと共産主義をやることこそ最も資本主義的な系を再生産している。

 私は現在仕事でAIを日々使っているが、数学は必要ない。会社だけで良くて、日々実践により最新のデータをインストロールするだけで構わない。

 人間のインテリは必要ない。

 必要なのは、AIが出した答えを編集するdesignerたちによる美の速度の計測値だけでいい

 宮台真司をAIで徹底せよ。

 宮台真司は必要ない。

 必要あるのはAIのみだ。

 社会は存在しない。

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