あとがきに変えて。〜この春、モザイクはmalcomとナンパに行こう〜

 日本の美点、編集ありがとう、モザイク。

 さて、ボクはFランぼっちモザイクに異様に懐かれています。

 初田くんが現代の医学者ならボクは現代の美学者かもしれない。

 それにしてもこのモテモテっぷりはないだろう。

 もちろんFランぼっちモザイクにモテたところで本人がFランぼっちモザイクと表する通り、陰キャだし、実際に会ってみたら本当にチー牛顔で話しが劇的につまらない。

 ただここにはもちろん哲学的な意味があると思う。

 というわけで、なぜボクがモザイクにモテるのか?を具に考えてみたいと思う。

〜メタバース幽閉者は運営者を神に見立てる〜

 香城卓が昔逆転オセロニアというゲームをプロデュースした。

 どんなにゲームの中でトップでも運営者がトップにすぎないのだというのが私が初めて書き上げた批評『評論としてのオセロニア』である。

 もっともGAFAMプラットフォームより香城卓は上。GAFAMは神なき神である匿名的プラットフォームにすぎず、神の代わりにネ申、HIKAKINやはじめしゃちょーというネタが置かれる。

 ただ私のような運営者は何も私だけではなかった。

 それは声優である。

〜花守ゆみりのバカさ加減〜

 しかし、かつての知り合いで彼女はボクにコンプレックスを持っていた声優だ。

 声優よりも社会学の方が上だ。

 彼女は強烈に男性性に忌避を持っていた。

 そんな声優というゴミをシラケて冷笑するVtuberが隆盛したのは当たり前である。

〜オタクは死ぬべきだ〜

 ボクはオタクは好きだけど、あくまでも今のオタクは権威にすぎない。

 オタクを冷笑するのがVであり、Vを冷笑するのがYouTuberである。

 ただそもそもそのシニシズムをはじめに初めたのはオタクからである。

 昔からボクはエヴァにもゴジラにもハマれなかった。

 単なる権威主義であり、糞も面白くなく、フツーに綾波レイに萌えるだけが普通である。

 ようするに、モザイクくんやmalcomくんは遅れてきた不謹慎系vtuber大園葉蔵でありボクに感染=メメシースしている。

 ギリシャ叙事詩やスコラ哲学において感染することはパロールやエクリチュール、身振り手振りこそが哲学だというアグレッシブな「あえて」の二重性における文学が読み切れる嗅覚を持ち合わせている証拠なのだ。

 ハッキリ言えば、オタクはホモソの権威主義にすぎず、体制はエクリチュールのリズムで壊す他はない。

 つまり、モザイクくんはいや学歴YouTuberは本来、学歴をYouTubeというプラットフォームにおいてゲームにすることで=エクリチュール化することで権威批評=批判をしていたというわけだ。

 加速主義者とはモザイクくんのことであり、しかし、モザイクくんの限界はITの知識やARTの素養が足りず、非シンギュラリスト=加速主義者として宮台真司的にいやキュアロラン・バルト的にそんな賢い自分を認められないあえてがある。

 モザイクくんぅ!今度一緒にナンパをしよう。

 キャラや自己一貫性がブレる?

 それで権威が壊れないから、権威だぜ。

 あえてー!

〈追記〉

 モザイクくんの言動は佇まいからボクらを震撼させている。

 クソフェミもウヨブタも舐めていたら、潰される。

 気をつけること。

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