1,他科目は極めよう
小論文では誤字脱字や文章構成、編集が求められて最低限の情報処理が求められる。
となると、その大学学部の他科目はマスターしなければならない。
私はSFCの小論文は苦手だった。
当たり前で肌感の情報処理が他科目に比例した情報処理を求めて足切りをしているからである。
SFCの小論文は超長文を読み抜ける英語力や数学などの論理性が求められている。
あくまでも足切りや普遍性のために他科目で情報処理や最低限の暗記をこなすことは重要だ。
2,政治力を勉強しよう
小論文はナンパだ。
モテないと始まらない。
しかし、このモテるが難しい。
私は様々な予備校の小論文の短期授業をあえて受けて統計的に処理しようとしたが、ハッキリ言えばほとんどの予備校はバイアスだらけであって、恐ろしいのはその先生と仲が良くないと良い点が取れないことが判明した。
しかし、大事なことは学校や予備校の内申点ではない。
あくまでも試験監督である教員に好かれなければならない。
私はどうしても武蔵野美術大学に入りたかった。
多摩美術大学の雰囲気よりもアカデミックだし、周りに泥臭い現実の空気を感じたからだ。
多摩美術大学は武蔵美より偽善的で下に見えたからどうしても武蔵野美術大学に行きたかった。
オープンキャンパスは必ず行くべし。
そうしないと、直接教員を見ないと受からない。
しかし、ここでミソは第一志望は必ずしも良いわけではないことだ。
ここが小論文の良いところ。
小論文は実際の実力を計られる。
ほとんどの大学生は受験勉強でしか計られない。
私は武蔵野美術大学造形学部デザイン情報学科に入りたかった。
technologyをどう実装するか考えている研究室でSFCと併願されるような学科だと言われている。
しかし、イラストを書かせる小論文であり、実のところ、保身的な美大専門学生の天下り先であったわけだ。
なぜならば、当時の学長が務めている学科だからだ。
一方で東京藝術大学を冷笑しながらもdesignに開き直る芸術文化のアナーキー的な小論文の方が資質があっていた。
入った後も政治運動家たちが入っていた芸術文化で良かったと思っている。
教員に好かれる政治は大切だが、政治だからこそ、自分の資質に向いている適正を計られるというわけだ。
3,小論文は失敗学
大学入試1ヶ月前に併願入試で小論文を書くのならば、ここだけ見てほしい。
あくまでも1は通期講習、夏季講習、2は模擬模試、過去問、オープンキャンパスの使い方、3は冬季講習、直前講習だ。
ハッキリ言えば、小論文は市場主義のため、1と2が出来ないと、継続的に状況に合わせてヒットを見つけるのが難しくなるだろう。
しかし、大学入試の小論文で受かるだけのテクニックは一応存在する。
AIを試験に持ち込むことだ。
AIは統計的、数学的、定量的など特徴がある。
まず寺師のダメな小論文がたくさん載ってある小論文集を読み漁り、いかに減点されないか?を暗記した。
次に、あえて短期講習や無料講習で大量の予備校講師から小論文を添削されたり周りのライバルを見て、彼ら彼女らのバイアスを暗記した。
最後に小論文は年上の教官を喜ばさないといけないため、リップサービスが必要だ。
ARTが大切だと美辞麗句な嘘を書いたら、合格した。
小論文は意外なことに減点式であり英作文と変わらない。
あるいは数学の大問と変わらない。
とにかくダメな添削を暗記して沢山の回答を暗記し自分を超えた美しい兎を書けば、美しいと評価されるらしい。
4,小論文はくだらないから、素晴らしい
武蔵野美術大学造形学部芸術文化学科に入ったら、予想を超えるレベルに糞すぎて驚いた。
まず教官は電通の天下り。
週7授業は虐めは当たり前で高橋祭が自◯しても当たり前だよと平気で話されていた。
鷹の台はヤバい街で、街の周りは創価学会だらけでしょっちゅう勧誘される(メンヘラが聖教新聞を取り見事、創価学会に帰依)。
ぱくもとに似た小学生たちが安倍晋三は詐欺だと批評家しあっていたが、待て待てお前らの池田大作の方が詐欺だろと心の中で突っ込みたくなる(バカが見ていられなくて突っ込んでいた)。
近くの川は太宰治や西部邁が自殺した場所で縁起が悪い。
朝鮮学校が隣にあり、メンヘラになった学生たちがボランティア行為やSDGsと評して橋を作り武蔵野美術大学とつなげるアートをやっていた。
台湾人や韓国人、中国人が意外と多い。
しかし、素晴らしいのは、シンギュラリティは当たり前。
コンピューターが1番多い学科で、米徳が人間とAIどっちが上か?初回で話して、AIだと言い放ち、後は放任。
いかに就活が嘘かと言い放ち、芸術文化と提唱した授業は会社に連絡し会社にコネを作れというめちゃくちゃな授業。
アート制作は単なる労働、ひたすら朝9時から怠惰な西部邁・太宰治が自殺した川で木々を拾いまくり、ゴミ掃除や会議ばかり。
余りの重労働で無料のカウセリングルームやベッドルームは満席。
私がイライラしたのは、金銭を一切貰えないこと。
が、これだけの残酷さを把握することで、いかに大学が中身がない闘争する場所かを把握できた。なぜならば、教官もすぐに市場原理で入れ替わり、政治で負けたバカは消される。佐藤可志和は素晴らしいと書いたら、ブチギレたこともある(多摩美術大学の人)。
株式会社DeNAへインタビューしたところ、周りの生徒からは冷笑、教官からは余りに全否定された。
が、これはそういうノリなんだと理解できた。
教官そのものがベンチャーであり、ある種の共犯関係的な仲間(プロレス)である。
だからこそ、当時は意外にも意識高い系には非常に冷笑的だった(落合陽一に関しては理系なので唯一冷笑的にはなれなかった)。
しかし、かといって沢山のメンヘラたちが過労および環境不全、あるいは社畜として消えゆくときに、意識低い系として冷笑するのは出来なかった。
あえて冷笑を冷笑するために意識高い系を演じて、メディアを風刺するアプローチへ入った。結局のところ、意識高い系こそ働いていない小論文的な美辞麗句だ。本当に働いていたのはむしろ照れ屋な意識低い系の方である、と両方を風刺しようと企んだ。働かない無能な意識高い系の友人たちとは外部で英語サークルを行い、英語は儲からないと判断しいかに就活のコネになるか?を考える会になった。TOEICの点数は嘘。あんなの東大や
後から東大レベルの努力をしようやという救済措置や権威の利権にすぎねぇじゃんと戦友たちとオレは冷笑した。だから、英語はやめて、いかに年上とのコネを作るかにオレ以外は盲信していた。
以上が小論文の書き方である。小論文は徹底的に嘘でいい。適応不全のメンヘラほどいちいちぱーちく些末なことにこだわり、自他に怒り散らす。本当に大事なことや大切なことはわざわざ糞社会に提示しなくてもいい。そういう意味では小論文は嘘、徹底的に美文であるべきだ。これがAIの実態であり、AIは素晴らしいからこそ、人間は絶対に耐えきれない。そして、小論文の良いところは殆どが詐欺であることにいちいち狼狽えるノイズ耐性の弱さを脱却し、人前の人間になれることである。社会には必要な虚構と必要じゃあない虚構がある。殆どの大衆たちはエリートの駒にすぎない。虐めは当たり前。それが大人になることだ。
もっとも大人こそ実のところメンヘラだ。毎回、懲りずにアーティストとは何か?という白々しい嘘の問題を懲りずに奴らは作っている。
ようするに、大人は自己言及的にダブルバインドを超えた一角のヤバい奴を常に欲しながらもブチギレて嫉妬しているわけだ。いいよ、ならば、意識高い系も意識低い系も殆ど単なる情報処理のラグや特徴量の違いをただ島宇宙的に肯定したにすぎない。そうじゃあない。そうじゃあなくて、問われているのは、ただ立派になるんだったら、全部やれよっ!というそれだけである。いちいちイデオロギーや立場の違い、むじゅんは大体どうでもいいんだ。全部やれば良いし全部休む時は休めばいい。たかだか受験は経歴を詐称するためのペラペラの通過儀礼、バンジージャンプにすぎない。だとしたら、こんなくだらないことよりもAIだったり、まあ今だったらアート、大衆は仲間との関係性を意識して生きたほうがずっといい。