日本の美点

〜陽キャ哲学というあからさまな嘘〜

 皆さんに真面目に聞いてほしい話がある.

    超 陽キャ哲学なぞというものは真っ赤な嘘,適応不全の屑ということなのです.

   ただ超 陽キャ哲学を提出したぱくもとさん自体を非難したいわけじゃあない.

   あくまでもボクたちは超 陽キャ哲学みたいなものにすがってしまう.しかし,すがってしまうがゆえにアレはダメなのだということを理解してほしいわけです.

〜社会に底は空いていた〜

 4年前からの分かっている視聴者である太田龍一さんから本は破れ!における社会は存在しないはそんなに重要か?と問われました.

 その通り.

    しっかり最低限の学問を理解していれば,社会は存在しないことは明らかであり,良くも悪くもぱくもとは適応不全のヘタレにすぎない.

    元々,社会学という学問は急激に現れた嘘,国民国家や近代化,テック化によって村や共同体が壊れてゆき,虚構である社会という嘘をどうやって維持したり修理するか?という学問だからです.

   だから,元々のところ,近代国民国家ごときの薄い共同体に穴がたくさん空いていて非友情空間は当たり前.

   もっとも女性や弱者男性であるぱくもとさんの言い分は分かります.

   なぜならば,そのような真実に気づかせない田園都市線的なマーケティング,コピーライト,ブランディングは今の商業化されたアカデミックにおいて大事なメタバース産業だからです(市場があったら仕方ない).

〜まったり嘘で暮らしてゆこうでいいのか?〜

 私は昨年からデュラララvs呪術廻戦という世界観を提唱しています.

   逃げ切るしかないヘタレなゆとりおじさんや東京人はデュラララ的な平和ボケしたヤンキー論壇を行い,もうあっぷあっぷで死にそうな地方やZ世代の若者は必死に戦いへ往くしかないのだと.

   ここで大事なことは社会学では基礎の基礎,マルクスの下部構造です.

 ゆとりや東京の逃げ切りもZや地方の足の引っ張り合いもしょせんは経済的下部構造の摩擦,単に金の切れ目が縁の切れ目,経済が廃れて人々が分断している自己最適化の流れにすぎません.

  だから,ぱくもとさんが超陽キャ哲学を刊行し月ノ美兎が今0年代のアニメへメタバース的に逃走しているのも概ね予想通りであり,もしアナタが弱者や女性ならば彼ら彼女らの行動は責められないでしょう.彼ら彼女らは弱者なので自らの最適化で良くも悪くも必死だからです.

   ネオ幕府の相川や元電通のQが未だに若老害化し私をこき使おうとすっとぼけるのもデュラララ的なゆとりのノスタルジーな逃避です.

 こうして自己最適化に走る屑たちは年下や女性,地方から見離れてゆきます.まあ当たり前と言えば,当たり前.経済優先して政治回らず.人は追い込まれたら,政治をやっている暇はない.もっとも弱者の陽キャ哲学さんを何も批判したいわけじゃあない.あくまでも相川もぱくもともメタバースを展開し逃げ続けるのは構わないけども,その嘘が2次的な情報の不透明さや混乱,インフォメーション・ハザードを生む二次被害に処方箋を与えたいわけです.

   ヘタレで賢いぱくもとは放っておいて皆さんに読んでもらいたいのは,呪術廻戦.

 セカイをただただ破壊しようとする弱者男性の宿儺が若者たちに取り憑いて,革命を起こそうとする両義性のある作品だ.

  ここで難しいのは宿儺は悪として描かれていますが,実のところ作品の裏に紡がれているのは宿儺の愚かさこそが革命の希望なんじゃあないか?という話しです.

   私は以前に中華未来主義という本で4人のSNS人権活動家を紹介しました.

  彼女らは確かに自己最適化ばかり考えたり自己中心的な屑ばかりかつステレオな綺麗事をほざくばかりの頓馬ばかりですが,彼女らの厚かましさ,図々しさ,屑さは非常に両義的な当に特例呪物です.

  まるで自分がここまで屑になったのは愛する社会がこうしたんだと言わんばかり.

 この彼女らの屑さが却って文学として昇華されている希望な絶望がそこにあるのです.

〜それでも社会は存在するか?〜

 ボクは彼女ら中華未来主義者たちに一定の共感やシンパシーを半分は持ちます(半分はもちろん残念感ですが).

   では,経済に走る逃げ切りの屑どもと政治に走る逆ギレの屑ども,一体どうすればいいのか?

 話しをややこしくしているのはテック化です.

    今更TVではないし,今更大学では流石にない.

   ダサい層や保守層,屑がTVや大学に残るのは仕方ない.

   もっとも女性や子供,地方の人々がTVを見たり大学を信じるのは仕方ありません(マクロは共に半分破れて当たり前).

   話しをややこしくしているのは社会学者・宮台真司先生が刃物で刺されたこと.そして,不倫をし大学を懲戒免職にされるほどの屑具合です.

  この点で特例呪物である不安商法の陽キャ哲学ことぱくもとさんに同調します.

  宮台は屑であると.

  しかし,それは言葉で屑を批判する美辞麗句を語る宮台と理屈で屑を批判するコピーライトを語るぱくもとさんが実は同じなんだという事実にすぎません.

  だから,ボクは刺されてもなお不倫をし大学を懲戒免職になる屑すぎる宮台真司をそこまでぱくもとさんほど同族嫌悪はできません.

  むしろ宮台真司やぱくもとさんみたいに革命の現場をたくさん見た私は余りに悲惨な状況や余りに理不尽極まりない秀才の末路を見たため,倫理として私は頭の悪いふりをします.

 ボクがSNS上であえて不謹慎系YouTuberを振る舞うのも分かりづらいからでなく,天才だからでなく,単にメディアはマッサージだからです(マクルーハン).

 メディアそのものが嘘の時に,当たり前の綺麗事を語るのは頓馬です.

  もっとも宮台真司はもうお年を召してしまい,環境情報に適応できなくなっただけで,彼の屁理屈なコンテキストは今でも十分有効でしょう.

  これから起きることは陽キャ壊しな男尊社会と陰キャ治しのような女帝依存社会でしょう.

   もっともゆとり世代でまったりしてきたネオ幕府さんやオタクで陰キャを文学だと言い張りたいミズサーのデュラララさを無下に否定したいわけじゃあない.

 もちろん特例呪物を止揚する呪術廻戦は茶番.

   大事なことはメディアは嘘であり,がゆえに日本の美点としてむしろシニカルに遊ぶことが重要なのです.

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