バカの捌き方

 AIがART的に人々を裁いてゆくというビジョンはおおむね当たっているだろうけど,問題はそれでも人間と人間間の間においてはバカをどう裁くよりも捌くか?が重要になる.戦争をやろうなんて冷笑もできないし,その手の昔からの人文的なセンスがあればいいんだけど,幸いボクにはないのだから,自分なりのバカの捌き方を考察してゆきたいなと思う.

 ようするに,AIが人間を裁くビジョンは遅いから,人間として人間を捌く事務も重要になる.

1,バカとは距離を置く

 これがまず大事な視点だ.

 特に昨今のバカたちは人間関係のいいね&かねの取り分として自分も呼ばれることが多い.

 その手の時は出来る限り,バカとは距離を置くということが大切だ. 

 仕事は安請け合いしないこと.

 特に死に体の論壇関係者やひろゆきキッズはなおさら話してもAIが出す答えを自動機械のように放つだけなので,意味はない. 

 というわけで,仕事はほとんどブロッキングして特に年上からの仕事は断る姿勢が重要だ.

 ここで重要なのは99%断ること,1%は冷笑で向かうべきだ.また後は安い仕事は後輩たちに預けるとしようというメンタリティも重要にはる.

(メタバース的薬漬け家族の認知不協和による苦しみや妬みは放置でいい).

2,冷笑は悪くない

 どういう定義で冷笑をするかしないのか. 

 と考えると,生産性のある冷笑もある.

 ミニマムに生きていこうと思ったら,また結果は後からついてくると思ったら,YouTuberブームが終わった今に今更YouTuberで成功うんぬんは遅いだろう.

 ただ,確実に変化は起きている.

 ニュースで見たが,今書店はたくさん潰れているという.

 松本人志はキャンセルされたという.

 このように経済的資本による裁き=美が法になる現象は枚挙に暇がない.

 この時代にわざわざ頑張る必要はない.

 仮に医学部YouTuberという利権集団がいたとしても,彼ら彼女らも死に絶えるのは時間の問題である.

 だから,無視で構わない.

 そうすれば,ほら. 

 セミが熱さから耐えきれず地面からにょきだすように,宝石や宝は後からあっちから出てくるのだ.

つまり,ミニマムに生きてゆくのなら,冷たく笑っているだけで構わない.

3,本は破れてゆく現代に価値と有用性はどこにあるのか?

 本の価値はなくなってゆき,価値と有用性の意味はスライドする.

 あくまでも本はデータにすぎず,疑似家族のディストピアがこれからのトレンドになるだろう(©SPY・FAMILY)。

 一方で楽園はどこにあろうだろう?

 それは超AR化された戦争=冷笑にこそ希望がある.

 technologyの価値は増してゆくため,ひろゆき的な受験勉強的なハウツーは無価値になってゆく.

 だけど,そのセカイ観にある選択淘汰は戦後を脱構築しある種ゲーム化されたAR戦争へボクたちを巻き込むことだろう.

 ようはグローバルな戦争かLOCALな家族しか現代では機能しない.

 ローカルな家族をSPY・FAMILYのようにある種工学的に作るのは価値がないし,女性や子供の限界だ.

 もっとも戦争もしょせんは家族と同等な価値なき価値にすぎない.

 AIによって学歴の価値はなくなり,そのコンプレックス的外傷であるひろゆきもまた意味を失ってゆく.

 メタバースという疑似家族はあくまでも疑似であるため,その壁を壊すには,戦争が重要になってくるのだが,それ以前にAIの把握を知覚すれば戦争そのものにも意味はない.

 

 

 

 

 

 

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