鍋パーティーに関してアエラという極左雑誌に東大だめライフ愛好会が載った。
しかし、それは全く良い流れではない。
今、東京医科歯科だめライフ愛好会&大阪芸術大学だめライフ愛好会が極左として雑誌を作ろうとしている。そっちの方が数段良いだろう。
もっともそれ自体も極左!という一つの権力にすぎない。
だが、しのご言っていられない。
もっとも東大だめライフ愛好会に会いたくなってきたが、これは以前に幸村燕に会いたくなってきたと同じで、単なる冷笑ごっこにすぎない。
だから、東大だめライフ愛好会に会いたいという流れを起こすのならば、事前に話し合いをして、陽キャ哲学&モザイク&もとこさんといった3名たちとアクションを起こす必要はあるのだけど、そもそもそういう発言が出ている段階で既に死んでいるのが、東大だめライフだと定義せざるおえない。
ここで難しいのは、いささか皮肉なことが起きている。
大学批判=批評をするのが、アエラというクソ極左雑誌に載った東大だめライフという西部邁が東大批判をして辞職をし自殺した失礼ながらの滑稽さを感じさせる事件である。
だとするならば、ストレートに極左という記号を身にまとう権威の方が幾分マシかもしれないことも起きている。
ここで大事なことは、あえて、東大だめライフ愛好会とチームを組んでいるとゲーム理論、構造的、マーケティング的に仮定した上で、行動するか?というアクションの重要さだ。
武蔵野美術大学だめライフ愛好会というカードを使っている以上、東京大学だめライフ愛好会が偉いんだという系は発生する。
もっとも、今の東大ほどなりたくないものはないだろう。
大衆たちの政治に介入せざるおえない面倒臭さ。
♀が嫌いではないが、♀化した東大のだるさ。
集団幻想の暴走による東大。
美的加速主義に介入しないためには、頭の良さは嬉しいけども、そこは下部構造とART、二つの方向へ舵を切ることによって、どうやって(東大)という系を抜け出すかが重要なテーゼになるだろう。
〈追記〉
ここで大事なことは、東大大学だめライフ愛好会は厄介な仲間である。
世間から見たら、東大の異端児は変わらない。
ようするに、筑波大学だめライフ愛好会を見切って、東大だめライフ愛好会と構造的に仕事をする事態に今はゲームがスライドしている。
もっとも、プロレスはプロレス。
王道は東大だめライフ愛好会であり、武蔵野美術大学だめライフ愛好会である。
ここで重要な観点は、極めてベーシックに大学的であり、極めてベーシックに反大学的であることだ。
右翼的であることだ。
〈追記〉
ここで大事なことは、東大だめライフが農学?に勤しんでいることだ。
ようは、だめライフ愛好会を権威化し、維持するという役割として、中だめとは違って、役割が大きく変わっている。
おそらく東だめの中身は中だめだけども、ここまでくると、はしご外しの問題が起きている。
というわけで、そろそろだめライフ愛好会は空売りのとき、切り時なのかもしれない。
〈追記〉
Amebaに出るために、ひたすらモザイクや陽キャ哲学、岩佐なぎたちと鍋パーティー的なことを繰り返す。
横へ権力をスライド。
こうすることで、東大だめライフの代わりに顔出しでアクションを行える。