相川の思想2

  余りに簡素で相川さんは呆れるかもしれないし,誤読だよと思うかもしれない.

   しかし,相川さんの思想をあくまでも私が軽薄にマッピングしたものだと仮定した上でこの相川の思想を理解してほしい.

1,反思想という思想.ハイデッガー研究者・闇市の哲学者/木田元の超越.

2,天才的五感の才能.古文への理解.和製ピアノ.

3,ifを良しとする飛び跳ね.思考のエクリチュール.

   まずネオ幕府を考察した相川さんを理解する上でこの3点は最低でも理解しなければならない.

   1の反思想という思想に移ろう.

   相川さんは3時間超に及ぶ私のinterviewでアメリカ哲学と相川さんの志向する和製の哲学は似ている似ていると鋭いねと頷いた.

   え?

 と思うかもしれないが,2人で加速主義の限界,アメリカのヘゲモニー限界を語りあったが,西洋哲学史という権威という病に最も悩まされているのは日本人以上にアメリカ人もそうだということだ.

  ウィリアムジェイムズを読めば分かるが,プラグマティズムは西洋哲学的な凝り固まった病を批評する目的があった.

   ハイデッガーを愚かだと断罪したりあえて闇市での地獄を語る木田元という哲学者にはその面もあるし,戦争の事実を善悪抜きに語るアイリッシュなブラックユーモア性がある.

  木田元は成熟した大人の哲学であり,相川さんは完全にそれを後継している.

   もっとも注意しなければいけないのは,木田元もおっちょこちょいだから第二次世界大戦中からナチスを肯定した危険思想なハイデガーを敬愛したという.

  相川さんのスタイルは物凄く不本意かもしれないが,ハイデッガーに似たバロック的語り口がある.

   ようするに良くも悪くも音楽のループ感,中毒性を人々に浴びさせる点において,図々しい物言いだと純粋な政治で人に説得させる外山恒一とは異なり,相川アキノリは説得しない天衣無縫なピアノ演奏のような非常にシャープな語り口調を持つ.

  相川アキノリには明らかに詩の才能がある.

  哲学と文学を縦横無尽に弾き飛ばすオルガンのようなバッハ的響き,旋律,パウル・セラン?の詩のような弾け具合が… .

  これは当に少女漫画でもなく藝大の作品でもなく,藝術なのだ.

   相川さんは呆れるかもしれないが,彼は哲学も文学も弾き飛ばす旋律がそこにある.

   ようするに相川さんだけが激しく走って周りはついて行けない.

3,ifを良しとする超越

 ようするに相川アキノリはペテンにペテンを重ねているように見える.

   しかし,それはペテンではなく,旋律だ.

   大きな風呂敷が小さな真実をアイロニッシュに覆い隠す.

   ようするに,ここに失礼ながら相川アキノリの戦略がある.

   しかし,相川はアドルフ・ヒトラーではない.

   これは相川さんは怒るから冗談でもやめたほうがいい.

   相川アキノリはシラけている.

   どこまでもどこまでもどこまでも自分が最高の演奏をしたいあくまでも個人プレイヤーの作曲家/作詞家にすぎない.

   つまり,相川アキノリは技術(technology)にしか興味がない.

   相川はとにかく自分の演奏が無事終わると満面の笑みになる.

   彼は絵にしか興味がない.

   自分の描きたい絵や音が彼の唯一の友だ.

   これは美の領域であり,オーソドックスかもしれないが,黒田清輝に似た稲妻さを感じる.迫力を感じる.

   唯一自己反省があるとしたら,西洋美術史/東洋批評史/世界政治史の論壇政治/game/世界政治に明け暮れて素人を遮断しあえて東京藝術大学/武蔵野美術大学/大阪芸術大学を中退した大西琢磨/古田更一/吉野うごくの限界を鋭く相川の眼光は静かに睨んでいる.

 ここに方向性や表現の違いがあるものの,そう半分は逃げられない.

  認めよう.

   吉野うごくも薄っすら認めている通り,相川アキノリのネオ幕府は大西琢磨の作品を超えている.

コメントを残す

WordPress.com で次のようなサイトをデザイン
始めてみよう