個性経済学。〜防御編〜

 サブカルは女性&陰キャを含んだ経済活動にすぎない。

 サブカルでメシを食おうとすると、女性&陰キャを囲い込もうとするさながらメンズコーチ的なマッチョ男性がよだれを垂らしている。これが箕輪厚介さんや陽キャ哲学、ひろゆかないさんかもしれない。

 しかし、悪くはない。

 問題はサブカルはしょせん経済活動にすぎないこと。

 あくまでも経済活動、ビジネスである以上、夢を売ったり男を張りざるおえない。

 箕輪厚介vs陽キャ哲学論争はそのまま夢と夢がぶつかった事象だ。

 だとすると、純粋藝術を追求せざるおえない。

 それが、不謹慎系YouTuberだ。

 木村花亡くなってやった〜!などといった不謹慎なARTの数々。

 ようするに、短期的に金に走る生活のサブカルではなく、生きることそのものが苦しみを孕んでいるようなART。

 Fランぼっちモザイクの現代アニメ評論はそのまま無理ゲー論として機能している。

 このような袋小路を私はmichel・hucoに習ってパノプティコンと呼んでいる。

 ようするに、月ノ美兎の機微は自殺美兎であり、男性がメンヘラになり大学はメタバースになるという皮肉であり、そのままFランぼっちモザイクに反映されている、なぜ陰キャが賢いか?の投射にすぎない。

 要するに月ノ美兎は良くも悪くもFランぼっちモザイクと殆ど等価にすぎない。

 ようは、無理ゲーの隠喩がサブカルとして機能するわけだ。

 しかし、そうなると、陽キャ哲学のようにヤンキー経済、箕輪のように馬鹿になって飛ぶほうが勝ちかもしれない。

 この悲壮的隘路を穿つことが、競争を煽るネオ幕府の相川や月ノ美兎、陽キャ哲学の問いに答えることになるだろう。

〈追記〉

 家族は経済。トッド曰く。

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