ado徹底論.〜うっせぇわが流行る理由〜

 お祭り騒ぎが大切ならば、バカ騒ぎ、アホ騒ぎする他はない。

 いつの時代もバカやアホは歌って踊って、時を過ごしていたという。

 だとするならば、もう歌って踊ってヘゲモニーを再生産する血だらけの三老害の連続階段、老害、障害、若害という連鎖が素晴らしいんじゃあないかと思えてくる。

 もし、目の前に老害がいたとしたら、アナタは殴れるだろうか?

 そして、殴ることが、果たして正義だろうか?

 否、私は大西琢磨という偽物を殴ることはできない。

 いや、彼は貫徹に「働いて」いるのだ。

 そう、貫徹に働いている。

 と、するならば、TVやマスのゲーム、枠組は曖昧である一方で、強固なとりあえずの箱として見なければならない。

 じゃ、一体どうするべきか?

1,老害は無視しよう

2,障害は無視しよう

3,若害は無視しよう

 こうして、TVが、建前の言葉だけが彼らを救い、柔らかな腸(はらわた)がヘゲモニーを頂戴する。

 先送りされた問題解決は投げ渡されて、踊ることでバンディの嗤う踊り子が流行る。

 何を言いたいか?と言えば、adoを徹底せよ。

 うっせぇわをうっせぇわするためには、adoを徹底せよ。

 

コメントを残す

WordPress.com で次のようなサイトをデザイン
始めてみよう