名声格差〜個性経済学を理解して〜

 現代を覆う閉塞感の1つは名声格差だと思う。

 名声格差は名声による格差であり、可処分時間が限られている以上、名声格差は生まれてしまう。

 名声さえあれば、金や性愛は後からついてくる。

 また金や性愛は分かりやすい格差のため、人々がこぞって対策をして優しい気持ちになれるけども、この名声はそこまで分配されていないように感じる。

 余りに理不尽に遅い場合に限り、極力チームでうごくようにしているが、これも最低限に名声格差のギャップ解消だ。

 問題は世間で弱者とレッテルを貼られるような弱者たちがこぞってよって来るところ。

 これはSNSで名声格差に関わる問題で、そのこと自体に、彼ら彼女らに差別意識はないのだが、彼ら彼女らが世間一般の差別する側から話してくるのが、本当に問題。

 彼ら彼女ら弱者は金銭や最低限の性愛は社会から担保されるものの、それは社会が社会を維持するために渡した家畜用の餌であることを疑えない。

 怒りはないが、そこはどうにかしてほしい。

 もちろん能力と能力のギャップは起きるから、私を今度は優秀すぎると叩く。

 これは誰かを指しているわけでなく、障◯者介護をしながら、一方でそれでは結局のところ、社会は変わらないどころが、体制を維持していることになる。

 私はこのジレンマをどうにかしたいし、名声格差の問題は体制が好きなあるいは気づかずにいる体制に虐げられている人々が名声格差が一番ではないこちらに関わり、名声のある人間が日本を良くしていますというあからさまに矛盾をきたす宗教やモルヒネを吸っていることである。

 怒りはないが、TVや世間、大学は嘘だ。

 全部が全部そうとは言わないが、彼らは仕事であなたたちを騙している。

 責めてはないし、ビジネスだから仕方ない。

 そこに無自覚で忘却しようとする日本の平和ボケは気持ちは分かるが、一定の距離感で名声格差を疑う、一定のヒエラルキーを設ける個性経済学の普及は必要だ

 平成のヘゲモニーには屈しません。

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