いらない人間。

 〜ようするに、勝負はハイデッガーの言うようにダスマン、投げられている。この世界に。だけども、前へ歩いてゆくしかないぐらい、親ガチャなんていう言葉以上に勝負は見えないだろ?その見えない崖を仕方なく見えない状態で飛び越えるのが、人生。

 日本では基本的に大企業に入らなければあるいは公務員にならなければ殆ど社会的に抹殺される身分制は依然支配的です。

 その身分制から離れたら、弱肉強食に及ぶ市場原理のベンチャーしかない。

 私は常に楽する道を探していて、また自分の能力の限界から武蔵野美術大学を中退してしまった(在学中から自分に見切りはつけていたから株式会社DeNAやシナリオライター会社など常にリスク分散は行って下部構造への注意は怠らない)。

 だけども、そんなことは初めから分かっていたことで私の頭脳やARTの作法としては駒澤大学経済学部が限界で、努力してもMARCHごときに受かるが現実だった(はじめからコンプレックスぬきに東京大学前後に入る以外選択肢はなかったかも)。

 今思うと小論文で私を縁も縁もない美術大学へ入れてくれたのは本当に「まぐれ」としか言いようがない(後から振り返って才能がとか色々と分析はできますが、それは秀才の成田よろしくやっつけ仕事にすぎない。勝負はそうじゃあない。本当に偶然)。

 「まぐれ」。

 だから、入った後に週7回あって一部脱落する側に自分がなることは既に入ったときから薄々は察していたし、このまま卒業しても就職率50%の美大では無理なんだと腹はくくっていた(文系としては小説投稿を300ページを5回投稿して全て落選。そちらが落ちたのも受ける前はまぐれ。理系としてのゲーム会社の方がウケた、これもまぐれ。全ては本当に分からない。いらない人間のオレができるのは崖を飛ぶことだけ。そして飛んだ後は祈ることのみ)。

 そのためにゲーム会社二社へ関わり最低限のコネと技術を学習した。シナリオノベルとメタバースだ。

 その後に運良くデザイン関係のフィリピンやシンガポール、インドネシアの方々によるデザイン会社で文章を書けるデザイン関係者として、これも「まぐれ」拾われた(後から理屈はなんとでも話せるが、たぶんそれは言葉で取り繕っただけで、たまたま)。

 私は既に生まれたときから、手もなければ足もない。

 「まぐれ」。

 殆どを綱渡りで「まぐれ」の連続で本当にたまたま「まぐれ」で生き残っただけ。

 だから、本当はこの日本というメリトクラシー、能力至上主義社会において排除すべき「いらない人間」側なんだという軽い自負はあります。

 しかし、私が普通の弱者と唯一違うところは、私には明白に日本社会が無意識に排除の論理を振り回す癖のようなものが手に取るように分かること

 小学校のときにプログラミングをしてロボットを動かしたり中学生で大学数学を理解し様々な事象は無意味なんだと理解した。

 だから、日本人のレベルが低いと言わざるおえない。

 ただし、国際競争に追われていた3年間は今思うと地獄で週7日ほど毎日仕事に365日追われている日々で外資で働いても自由はありますが、その代わり常に国際競争ばかりで大変な現実しかなかった。

 むしろ、国際競争から守られている日本の大企業や会社はむしろ素晴らしい。

 政治があれば、経済原理の暴走を止められる。

 これがまた難しい。

 最低限の腐敗は仕方ない

 政治と経済のバランスが大切

〈追記〉

 私は何も楽しく生きていきたいだけで、まさか大人が作ってきた現実社会がここまで残酷すぎるとは思ってもいなかった。

 流されてメンヘラを悪化させて、MARCHに入り大企業に抑圧されながら匿名の何者でもない無キャとして生きていけば、最低限の周りと同じ幸福が保証されていたかもしれない…。

 今となっては遅いですが、ARTも理解せず、YouTuberもやらず、海外の方々と楽しい日々を送らずに慎ましく生きていれば…。

 しかし、人生は1回きりです。

 しかし、人生は1回きりです。

 しかし、人生は1回きりです。

 サイコロは1回しか振られないし、寿命という砂時計は100年前後しかないらしい。

 もし仮にどうせ◯ぬんだったら…。

 若いうちは無理してでもリスクをとって、高みを見たい…。 

 私は懲りません。 

 最低限の法律やコンプライアンスは守って然るべきですが、巨悪は許せませんし、挑戦はせざるおえません。

 「まぐれ」こそ人生だ

レオナルド・ダ・ヴィンチの名画だったり法の女神の前ではもう項垂れるしかないよな?そればかしは本当に分からねぇ。どうして自分がこうなのか…、どうして相手がこうなのかも…。後から理屈で後付は可能だけども、崖は飛ぶことが重要で、その崖がどのくらいなんかいちいち計算なんかしても仕方ない。オマエができることは、ただ飛ぶこと。そして祈ること。信仰はないけども、そういう話だろ?オレの人生はそれだけだったよ〜

〈追記〉

 武蔵野美術大学造形学部芸術文化学科/株式会社DeNA。

 私にとって、如何わしいARTは手段で、本質はDeNAの方にあったかもね。

 不思議なんだよな。本質で生きない人間の気持ちが知れない。

 人生なんか親ガチャかもしれないが、それ以上に「まぐれ」がとぐろを巻いている。

 その一瞬に賭けない気持ちが分からないぞ。

 誰が受験を誰が就活を誰がYouTuberなんか決めたんだ。 

 そんなの無かったんだよ。

 オレがやれることは、待つこと。

 そして、見えない崖を飛ぶこと。

 その時、小手先はもう通じない。

 理屈じゃあない。

 理屈じゃあない。

 流れに乗ること。

離さない。

(もちろん、冷笑ぬき、適切な範囲でね)。

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