世の中のほとんどの人は一橋大学には受かりませんし、また言論人になることも不可能でしょう。
そのしょぼさを自覚すると、メディアがいかに嘘しかないか分かります。
これがいかに知識人と呼ばれるリベラル、左翼が実のところしょぼいか?を提示する事案だったわけです。
当たり前ですが、学校の外にはバザール、金融資本主義が跋扈していますから学校の常識は通じません。
しかし、それでも通じないとしても”左翼”という困難なげえむを打ち出す他ないのです。
金融資本主義と地道に戦った左翼書としてえらいてんちょう著『しょぼい起業』があります。
もっとも困難なのはビジネスをするのはしょぼい起業をするしかないという厳しさが書かれていますが、そもそも彼自身が慶應義塾大学で両親が東大です。
皮肉なことに彼自身は大企業へ逆らいましたが、それでも左派のエリートになるのも困難な蓄積が必要なことを表しています。
ようするに、しょぼい左翼にもなるのもめちゃくちゃ難しいということであり、結局のところリベラルは理屈はどんなに高尚でも構造的な差別や競争は超えませんから、大企業を批判する大企業の2軍として機能する他ないのでしょう。
私はこの手の大企業批判の大企業頼りを大企業の2軍と評してゴキブリと呼んでいますが、彼らはどこまでいっても歴史の中に生きているわけですから、いかに西洋人全体が頭が悪いかなどとは認められません。
考えてみてほしいのですが、もし西洋人たちが本当に頭が良いのならロシアウクライナ戦争も止められましたしトランプバイデンのようにアメリカの政治は混乱しないのです。
西洋人の限界はテキストは論理的ですが、現実はむしろ実装不可能として型落ちです。
もちろんえらいてんちょうさんは左派、特に共産系、ロシア系なのでまだ実践的ですが、西洋人を尊敬している以上、限界はあるでしょうね。
左派が貧乏臭い例は他にもあって、斎藤幸平や成田悠輔、古市憲寿です。
彼らは一見きらびやかですが、逆に言えば煌びやかななことを言わなければ、タレント料がもらえないお笑い芸人なのです。
外山恒一という福岡の人がファシストと評して無敵の人をアジるのも左翼は建前であって、実態は力がないことの裏返しなのです。
大企業の人たちも少ないポストでだらだらすることに必死ですから、理想のアジールはどこにもないんだよ、アジールを目指すしかないんだよがえらいてんちょう『しょぼい起業』のおそらくメッセージなわけです。