本は破れ!(天才)
➫ホモは破れ!
(ゆとりZ世代の内輪感は良くない)。
♀。
冗談ではない。文学とはすなわち、♀(エ□同人誌)。感情論、ポエム、お気持ち。それでいてグダグダと権威を温存して殴られるドM(パンツを穿いたサル)。
文学は社会に必要がないか、悪口でなくパチンコやガラガラを大学で4年間教えているようなもんだ(くだらない)。
もっともこれは西洋人がア◯でメンヘ◯まみれだから。
そりゃあそうだよね。自国の文化を勝手に押し付けただけだから(分からないッス)。
更に冗談じゃあない。理由がある。
なぜ文学が無意味か。
今日、とある少年が橋本治どう思いますか?と聞いてきたからだ(ポモ)。
彼は同性愛者だよと答えたら、名誉のために誰とは言わないが、気持ち悪と帰ってきた(私は気持ち悪いとは思わないが)。
しかし、彼はいい間違いをしてくれた。
この同性愛者の橋本治は戦後では極普通に内田樹や浅田彰、浅羽通明、様々なポモ(ポストモダニスト以降の論客)たちに高く評価されてきたからだ。
ポモとは一体なんだって?
それは複数の性、主に同性愛者たちを(あるいは精神異常者たちを)神と見立て、神学するジル・ドゥールズたちのパーフォマンスだ(マジで冗談でもなく、これがキミたちの大好きな西洋人、けだしキリスト教という嘘である(適菜収。キリスト教は邪教です!)。実際にそのキリスト教の教えの洗脳は勝ち組側の宗教として上智大学や同志社、一橋、立教大学などを構成した。詳しくは麴町や四谷あたりを歩けば創価まみれの背景はけだしこれである)。
同性愛者たちを搾取する真正の同性愛者たち
もっとも生贄にされる同性愛者たちそのものは勇気がある(だから卑怯者の浅田彰や浅羽通明、内田樹たちから橋本治はリスペクトされた)。なぜならばポジションを張っているからだ。
ようするに、りゅうちぇるこそ文学者であり現代の太宰治、真の革命家だろう(LGBTこそ勇気ある男という皮肉)。
そんな彼はキリストのように亡くなった。
馬鹿(生贄)を神に見立て犠牲にし傀儡にする行為をキリスト教の十字架と呼ぶらしい。
素晴らしいことだろう。
けれども、ポジションを張らずに後ろからこそこそ隠れながら勝ったと思っている人々(メンヘラ)たちがいる。
それがジル・ドゥールズにミシェル・フーコー、ジャック・デリダ、柄谷行人や浅田彰といった文系の知識人たちである。
ジュネのような同性愛者やアルトーのような精神異常者、そしてフェッニクス・ガタリのような行動する人々で回っていた事実を着色し(そして、そのフェッニクス・ガタリを家族すら見捨てることだろう…。弟がいたとしても)、自分たちの観念哲学的な方向がすごいんだよと操作する、これが暗記すべき暗記の無意味性の歴史の役割だ。
ようするに、ポモは無意味であり(1つの史観)、頭の弱い人文系が頭が弱いかもだが勇気のある本物たちを搾取する形で構成されたそもそもがポモそのものがLGBTワナビーだったんである(©自殺美兎)。
意味ないよ。
adoも女の子♀だよ(天才はやめて)
adoは可愛い。
adoは可愛い。adoは可愛い。adoは可愛い。
何度でも言おう。adoは可愛い。
ado『うっせぇわ』と印象が異なり、adoのラジオでは普段は分からなかったadoの普通の本性が明らかになる。それは可愛い可愛い♀(女の子)である(もっともそれは極普通で面白くもない平凡な♀の幸福だが。当たり前だがそれが現実だ。adoだって女の子なのだ)。
サンリオが大好きで千葉のディズニーランドや長崎の遊園地、東京の遊園地も大好き(そりゃそうだ)。
極めつけは中目黒のどデカいスターバックスがadoの行きつけらしい(行きました)。
adoは当たり前だが陽キャ(になりたい)だし普通の女の子だ。
もっとも陰キャ気味の天才かもしれないが、それはメディアを見る側が勝手に作った印象に他ならない。adoは歌が美味すぎるからといって、adoそのものの人格は凡庸な♀なのだ。
これが闇チー牛やFランぼっちモザイクがプロ弱者かの真実だ。
adoは確かに陰キャかもしれないし歌い手かもしれないが、人間だし♀だからそれは365日もあったらスタバも行くし(しかも中目黒)、♀♀せざるおえないのだ(当たり前。このこととadoが陰キャなのは矛盾しない)。
(カッコいいって言ってもらえるカナ??)。
同性愛を神に見立てる文系が更にブヨブヨしてしまった新実在論
ゴロゴロしていたポモたちに対抗するLGBTを神に見立てる思想の対極として、新実在論という多様性を重視する思想が現れた。
LGBTに全てを依存していたポモの末裔たちは自らをもはやLGBTの如く、新たなLGBT?の進化としてネオ幕府や陽キャ哲学、アンチワーク哲学、性別破壊党、大西拓磨、だめライフと言い出した。
彼らにオリジナリティは一切ない。
ただ自分の個性を言い張っているだけだ(無限に天才が生まれる。これが私を超えたとかつて陽キャ哲学が提唱し今でもH田というアホが私に匹敵すると唸る稲葉くんの可哀想な正体だ。冗談でなく、これが天才は信仰に他ならないにも関わらず、彼らは他責の偶像に藁にもすがりたいのだ)。
仮に個性があるのならば、このようなのっぺりしたメンヘラたちの群れのことを総称したメタバース理論やせめて新実在論、嘘の多重化程度に収めておくべきだろう(©IQテストはクソ。藝大中退ARTIST大西拓磨)。
ようするに、左翼は同性愛から更に甘える方向へ進化を遂げて、なんでもありの脳内酔っ払い状態の100人の天才たちを作ることになった(©訂正不可能性の文学)。
これがゆとり/Z世代に蔓延する「バエる」や「タイパ」というポモを超えた新しい若者(甘え)、お気持ちの正体だ(参照にするべきポモはもはや古市憲寿のような空疎なTV文化人に譲った。これが新しい喜劇であり、この事実に人々はまだ耐用できず、東大総長/蓮實重彦の再来を演じるように「天才」成田悠輔が演出された(成田悠輔本人は図々しく言えば私に似た批評家としての二流さ、つまりマトモさが彼の良し悪しであり、蓮實重彦の再来をむしろ皮肉っている)。しかしバズりと知的IQの点で社会人能力としての強さを持つ古市憲寿に単なる学歴だけの成田悠輔は完全に超越はできなかった。これが古市憲寿とレスパして怒りちらした石丸市長を応援しながらも自分も日経テレ東もクソだったとしっかり総括した男・成田悠輔、いやデータサイエンティストの誠実さだろう(成田は負けを認める分、相変わらず彼本人の信念は素晴らしいが。彼ほどの美少年は存在しない分、彼は批評家というゲームでは2流なのだ))。
中高時代からモテモテな自分が大嫌いだった。だって、すごく恥ずかしいから。
社会人になれない
人のことは言えないが、ポモ以上に甘えている彼ら「ゆとり」「Z世代」、それらに連動するインフルエンサー、または新実在論読まずの沢山の新実在論者たちは良くも悪くも社会人になりきれず、アカデミック、学校に安住したい人々だ(もっとも甘えそのもので逃げろやと主張した浅田彰という自称LGBTが現在の日本における人文知の「父」だからだ。これは冗談でもなく、統一教会2世の男の娘インフルエンサーの知人である荒金さとみさんとH田龍胡と対談した際に、H田龍胡が浅田彰が日本をダメにした戦犯と言っている(もっともそのH田の振る舞いそのものがイカ臭いじゃあなかった、ポモ臭いが))。
彼ら彼女らは観念論で新興宗教を信仰したい思いがあるかもしれない。
彼らに必要なことは1+1=2だ(©橘玲)。
もっと分かりやすく言えば古田さんはひろゆきに似た爽快感があるだ(©Fランぼっちモザイク&リコ)。
1+1=2が分からない?そんなわけがあるか。冗談も程々にしろ、古田。
いやいやいや、ちょっと待ってくださいよ。これは全く冗談ではなくて、とある哲学者?は1+1=3と代表作の本で提唱し、実際に信者たちはその発言を拝みキリスタンの教えは拡散しているらしい。これはクリプキのクワス算から引用したもので(さっきから冗談ではない)文系やポモではこんな真っ赤な嘘で権力を維持したいらしい(ちなみに、これをスクショしてtweetしたところ、信者の中学生がLINEのホーム画像をその某詐欺師の1+1=3にしていた。こんなこと中学生でも分かる話なのに…)。
しかし、馬鹿は馬鹿なのだ。文系やポモで装飾しようと、1+1=3だと思い込むとある哲学者が大馬鹿の大頓馬なのは変わらない(もっとも宗教としては悪くない。こんなとんでもを自らは主張しながら、理系の落合陽一や若かった頃の宇野常寛や千葉雅也、荻上チキ、黒瀬陽平、藤田直哉、古市憲寿、NHK出版の井本?さんなどを抑圧してきたのだから、とんでもない話だ)。
なぜこんな当たり前なことを言うかと言えな権威主義者たちはこのような嘘に弱いからだ。
このことは殆ど指摘されていないし、某哲学者は信者で周りを固めているからである。
よって、1+1は2だよと言い続ける必要はある(こんな簡単なことをいちいち言わないといけないくらいに、文系はなんでもありなのだ)。
当たり前
もっとも当たり前を主張する実務家の「天才」に成田悠輔『22世紀の民主主義 政治家はネコになり、選挙はアルゴリズムになる』がある。
奇しくも批評家のメンフェスは自らを目がないネコと主張していた。
統計学的事実を訂正することは不可能だ。
もしあるとしたら、1+1=2として地道に検査する必要がある。
誤解を恐れずに言おう。
adoさんだろうと♀ならばイケメンは好きだし仮に陰キャだろうとイチャイチャしたい。
性別を破壊と思う革命家がいようとも♀である事実はジャンヌダルクだろうと覆らない。
もし仮に性別を訂正可能性しようとも♀は♀なのだ。
あこぎな手段でゴロゴロしようとも(冷笑)、それは科学を超越することはできない(冷笑的なお気持ちと科学的な真実は似ているようで異なるのだから)。
いつの時代も様々な「甘え」や言い訳、大衆が観念哲学の常套句であり、これが広がりますとファシズムやヒットラーにまで成り下がりテロリスト山上徹◯まで成り下がるのだ(冗談でなく、このような甘えが様々な戦争や亀裂を私たちの尊敬する価値もない文系たちが行ってきたからだ)。
もっともIQテストはクソと高度な皮肉でこのメリトクラシー(権威)を批評する天才子役な大西拓磨くんも嘘の多重化と唸る古田更一を超えた「天才」稲葉くん(©陽キャ哲学&H田龍胡。もっともどっちが天才と名付けたか彼らはお互いに責任の押し付け合いをしていたけれども…)も肝心のその役割を権威者側からもらって権威批評している時点で、権威主義者たち、つまりスポンサーたちの盆栽程度でしかない。
これが「天才」の正体だ(©古田更一『大西拓磨 〜日本を変える唯一の「天才」〜』)。
大事なことは冷笑的にはそれらの争い事で良くても(100歩譲って)、科学的には事実は半分残るということ。
ようするに、彼らの殆どは資本主義の市場でたまたま残ったものをあるいはリスクをとるものを「天才」と呼ぶ。
それが稲葉くんや大西拓磨くん、adoだ。
しかし歌い手という声質でまだ測れる歌手のadoと異なり、人文系は曖昧だし政治闘争を帯びてくるから、なんでもありで内容よりもヘゲモニーの闘争が熾烈化する。
その結果が素朴な哲学回帰と某新興宗教家&千葉雅也たちが批評したマルクス・ガブリエルたちの新実在論である。
ようするにこの不毛な争いは、観念哲学の基礎を法にしようという独還りの素朴な観念哲学を復活させてしまった(©落合陽一 原理のゲームの文系版)。
先程から話している当たり前を疑いたい当たり前が分からない人々のだらだらとした後世は、アナタたちの生きる日常における「天才」たちの資本主義を憎む資本主義者たちである。
私の推しになって(結婚しよう)
無敵の笑顔で荒らすメディア
知りたいその秘密ミステリアス抜けてるとこさえ
彼女のエリア完璧で嘘つきな君は
天才的なアイドル様
今日何食べた? 好きな本は?
陽キャ哲学の主張する通り(©『超 陽キャ哲学』参照)、漫画『推しの子』は資本主義競争を勝ち抜いてきた♀、つまりアイドルが(冷笑)、妊娠し子供を育てながらアイドルwを行っており、因果なものか、理想を裏切られた狂信者に現実のシングルマザーとして刺されてしまう(科学。©宮台真司が刺された。当事者意識のない社会学者の末路。陽キャ哲学chより。もっともそれがH田龍胡の限界だろう)。
この寓話は女性の生きづらさを表しているw(©サイバー・フェミニズム。石破に負けた高市が良い例だ)。
もっともこの寓話には宗教は簡単に金を集められるし、それそのものが仕事じゃあないかという話しもある。これが私たちの生きる社会だ。
そして、大多数の敗者たちを生み出し、一握りのギフテッドたち、あるいは少数のゴロゴロして日常を満喫する普通のサラリーマンたちが勝つのが資本主義という社会人というゲームなのだ(資本主義は一概に悪ではないのはコンビニのアルバイトをするだけで生活保護で生きることは可能だからだ。(科学))。
ただし、その批評家メンフェスはポモを信仰するふりをしながらも無意識下で上部構造に「ゆとり」をつまり戦後という物語をTVを信仰してしまっている古市憲寿という諦めの権威主義者だ(©宇野常寛は酔っ払っている)。
マイルドヤンキーな陽キャな彼らはTVのタレント文化人を目指す資本主義者たちだ(インフルエンサー!)。
天才は資本主義の結論にすぎない
チャイルド(天才子役)や♀、ネコがたまたま上がったり下がったりして、その資本主義のシーソーにお墨付きをあげる神官たちがデッドラインで暇と退屈の倫理学者たち、千葉雅也や國分功一郎だ(國分功一郎論はメンフェスが甘えるから、あえて割愛させていただく)。
下品な例だが、LGBT自慢されても困る話しで、荒金さとみさんが等身大の1つのLGBTに関わらず(レオ丸も!)、汚い(かもしれない)公衆便所(ハッテン場)と駒場?(どこでもいいでしょう)あたりの行き来を書いた人文系エリートのLGBTの日常が美しいのだと千葉雅也は提唱し(自慢することか?)、この事実に(陰キャだと見下しながらも)嫉妬し自分もゴロゴロしたいと唸るのが陽キャ哲学者(なんだそれは?)ことぱくもとである。
冗談でもなく、再三繰り返す通り、ポモな浅田彰がお墨付きを与えた雅也が身体を張ってLGBTを張るのも、彼らを感動させた橋本治がLGBTを誇った冒頭に起因する、その実、極めてホモソーシャルな関係性(クイア!)だからだ(クイアってなんだよ…)。
ようするに、LGBTじゃあなければ、そして関東を捨てて茨木から関西まで上京しなければ哲学者になれない。これが儲かるポモであり、そして異性愛者だと訂正可能性する他はない陰謀論者に成り下がるのだ。
このLGBTが果てしなく賢いか、正しいか、あるいは、新実在論者たちが果てしなく賢いか、正しいかは、千葉雅也と某宗教家が対立した通り(内ゲバばっか)、同性愛者と異性愛者たちの棲み分けに他ならない。
もっとも多様性という点でLGBTをまず優先するのがポモであり(荒金さとみはミシェル・フーコー)、様々な実存を救うのがこの新実在論主義、ユニコーンは存在すると思えば存在するよだ(マルクス・ガブリエル『なぜ世界は存在しないか』)。
これはどちらもgoogle10ヶ条を代表にした大企業営利『コンプライアンス』の思想となんら変わらない(©批評家メンフェスくんが一切買わない最高の批評書『とあるSF的想像力育成講座』より。このメンフェスくんの厚顔無恥さはネオ幕府相川や外山恒一、宮台真司に重なる)。
「多様性」という優しさが現在の政治であり
(コンプライアンスに関しては説明しない。メンフェスや刺された宮台真司、相川に泥棒されたくないからだ。泥棒するなら♀の年上の守銭奴?FPもとこ、あるいは1筋のまだ♀を捨てていない性別破壊党首へその情報は渡すべきだろう。♀を日夜踏み台にし緩やかなホモソーシャル空間を維持しだらだらしたいのが戦後という若者な古市憲寿であり、その構造に無自覚なメンフェスや相川、ミスター、宮台真司、外山恒一といったネコたちネオリベである。ひろゆきを批評する権利は彼らにはない。こんな長文になるのは当たり前が通じないぐらいに彼らは病んでいるのだから(典型的戦後家族の構造に怯えているから))、
この寄る辺のない地獄は幸福な国の絶望の若者たちだ(©メンフェス)。
科学的には幸福にも関わらず、冷笑的には人文系、大半の文系はお気持ち、主観としては生きづらい。これが今の若者だ(その若者すら少子高齢化により作られた偽のアイデンティティである)。
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それは諦めることだ。
本当はあるのだ、この問題を解く処方箋が。しかし、その処方箋はアナタが一生作者になれないという自己実現をadoである私がギフテッドである私がアナタたちから奪ってしまうことになるからだ(©とあるSF的想像力育成講座)。
根本的な解決は、ギフテッドをadoを本物の天才をしっかりと見つめる凡人たちの裁きが必要である(IQ100は素晴らしい問題。『なにもしない方が得なニッポン』を参考)。
TVに映る天才子役は天才でもなければ、奥様方たちは若者たちを搾取し続け、若者たちを◯んでいいと構造的に追い込めた上で、「多様性」という言葉でマッチポンプし続け、偽りのTVに映る若者「古市憲寿(39?)」は今日も「若者らしい若者」を演じる。
これがトゥールマンショーであり(冷笑。浅羽通明『星新一の思想』)、京都アニメーションが正当に燃やされたかもしれない話しだ(科学。橘玲『DD(どっちもどっち)論』)。
当然のことながら、同性愛者は基本的には関東では◯める、あるいは無視するべきだ(個人としては別だが)。
なぜならば、それは京都のお家芸、夜の鳥がカーと鳴き、バカデカい愛なアンチワーク哲学による陽キャラな哲学だからだ(浅田彰『逃走論』。逃げろや!逃げろ!どこまでも!)。
〜ここからはラノベである〜
ひろゆかない「1+1が2って分からない人がいるじゃあないすか?それって頭が悪いってことっすよね?」
ひろゆき「いや、そういう多様性を…」
ひろゆかない「それ!あなたの感想ですよね?!」
ひろゆき「w」
〜ラノベ閉じる〜
ポモ!ポモ!ポモ!新実在論!新実在論!新実在論!
阪神タイガーズ(同性愛者)vs 巨人(観念ワールド)、この関西か関東かの違いは、そのまま貯金1000万円ある批評家メンフェスが陽キャ哲学という現人神に(つまり都会人。池袋は都心だよ!)従いざるおえない関東人だからだ(貯金1000万円の経済的勝者たちは政治的勝者/活動家を憎みざるおえない。彼らから金銭を要求するのが、新実在論だからだ。そのネオリベ的結末としてポモを関東人でありながら信じたふりをする他はない)。
この長すぎる結論のない話は笑えない。だって今現実でぐだくだと起きている答えなき観念と観念のぶつかりあい、そしてそのせめぎあいだからだ(©メンフェス『ART OF SURVIVAL』。この時不愉快だった批評の現人神のH田が文学として陽キャ哲学になったにすぎない。➫『幸福な国の絶望の若者たち』)。
もっとも私たちはもう1度ado『うっせぇわ』をちゃんと聴けたか?という本物の神との対話が重要になるだろう。
adoの歌はギフテッド(本物の天才)によってもたらされた、究極の神である(冷笑)。©デブは走れ!男の娘idle碇(とある迷惑な古田Kid’sの戯言(お気持ち))。
もっとも古田更一、オレも神に愛された論理思考、1+1=2が分かる神だ。ようするにオレは古田更一は可愛い(男の娘!)。
古田更一はなぜメスガキか?
これは冗談ではない(マジで。皆さんの無意識の欲望に答えずに答えます)。
やーい♡やーい♡弱者男性♡とからかう生意気な♀のことをネットスラングでメスガキと呼ぶ。
私の元カノは割と普通に美人で容姿は可愛いものの、性格は明らかにブスに近しいかもしれない(皆様が見る萌え美少女は現実には男装した女性が正しい。それが男装されたvtuberたち、サイバーフェミニズムの悲劇である)。
これが人がホモソにハマる原因であり(©堀江貴文という中上健次)、LGBTをあの浅田彰が止揚する背景は冗談ではなくギリシャ哲学の古代は美少年とのHな話ばかりだからである。
美少年とは男性のIQの高さを優位に持ちながら、その才能を生かし女性の平均的で均一的な優しさ(IQ100)を超えてAI的に対人で振る舞える神の人格を男の娘と呼ぶ(古田更一)。
つまり、哲学=男の娘であり、けだし古田更一Kid’sの碇くんが私へ破廉恥にも可愛い!と年上へ発情している気持ち悪い背景である(女装して学園祭へ飛び込め。吐きそう♡)。
もっともこれはやぶさかではない。adoが顔出しをしない背景は歌い手という文化を守りたいと言っていて、様々に新しいidleが登場する批評家になりたい!と願った少年の思いはそのまま半分知的なジャニーズへ入ることと同義だからだ。
(◯ぬほど恥ずかしいから言いたくないが、街中で古田更一さんですよね?と話しかけられたことは5回前後ある。東大の五月祭を入れたらもう知り合いだらけ。しかも、ジャニーズ・オタクに古田さんが橋本環奈は本当だったとも言われた)。
批評というカルチャーの敷地の低さを守るならゲーム理論やギフテッドという科学を振り回さず、アナタたちでも誰でもなれる批評系YouTuber(つまり歌い手)古田更一くん、technologykunを演じ続けなければいけない(technologyが思想になる。古田更一大好き!とある古田更一Kid’s・lan malcom(イアン・マルコム))。
このギャップに引き裂かれたボク、KKは古田更一という美少年idleを演じざるおえない(まあそういうことだわな…。元電通の◯◯。とか冷笑しそう)。もっともボクより当時は人気だったリアル古市憲寿なH田龍胡はDNAそのものが冷笑、つまりidleのため「天才」男の娘を演じ続けた結果、精神を病み、引退にまで追い込まれ、刷り込みられた男の娘は忘れずに、自らH田塾と提唱しショタガキ臭い稲葉たるものに舌よだれをたらしているかもしれない(無自覚的だからこれが確率的に成功すると様々な同性愛的な被害者たちが社長側に回り、つまり老いることでショタをSする側へ回れるという傷だらけのジャニー喜多川の闇である(実際にジャニー喜多川に掘られて喜ぶ人々もいたらしい。ごめん願いたいが、ジャニーズに入りTVで流されているクリーンな有名人とはポモの1つの現れなのだ))。
古田更一はなぜメスガキか?2
自慢になるから言いたくないのだけども、割と自分の様々な人格の美しさには自信があります(©自殺美兎。月ノ美兎は自分のエロ漫画が描かれようとシラケているのだ!)。
だから、あまり言いたくないのだけども、私は「天然」を精密に計算してやっている(H田くんとは違って)。(あまりに精密すぎるもんだから腹黒くはないけども某有名声優に古田くんの悪いところは優しすぎて才能のない人の気持ちが分からないところと言われたことが有る。自分に自信がないし興味がなかったため自分が天才だということに今さっき気づいたよ)
しかし、これは信念があるからで、自らのキャラである「天然」を隠してしまったら、すなわち批評家という漫画家(文学者!)で自分がいていいのか?という疑問がつくからだ(勇気)。
自らの可愛さとしてメスガキムーブ、つまり挑発は計算したとしても非合理にやりざるおえない。つまり、それが古田更一というキャラを演じる(描く)1人の批評家志望の画家の理想だからである。
もっとも就活の延長線でBLをMからそしてSから再生産する様々な男の娘たち(冷笑!)と違って、純粋異性愛者の共学出身の自分は本気で冷めている(科学)。それは完璧な男の娘、つまりAIに近しい初音ミクなadoであり、私、古田更一は某哲学者に認められた批評の神様に近しいからだ(本は破れ!科学。様々な批評を繰り出せるし、模倣も得意だが、できるからにすぎず、科学者は男の娘になれても、男の娘を消費する責め側は苦手だからだ。これがガーシーという責め側と成田悠輔という冷めすぎている受け側の違いである)。
しかし、私たちはギフテッドと呼ぶにふさわしい令和の歌姫adoからもう1度学ばないといけない。彼女は確かに皆にとって都合が良い「天才(テンサイ)」だけども、同時に1人の「♀(メス)」なのだ。彼女はアナタと変わらない普通の人間であし、アナタと同じことに喜びアナタと同じことで悲しむ1人の無キャであることも忘れてはいけない(そして、彼女がどれだけ「天才」として苦しかったかを皆様は知らないといけない。それが陰キャがプロ弱者な理由である)。
そして、人々は余りに強烈なギフテッドを不謹慎とレッテルを貼り付け(うっせぇわ!)、時に「統合失調症」呼ばわりし精神異常者扱いし無限にぼっちにし精神病院へ連れ込み吐くまでギフテッドが精神障害者/発達障害者と泣き叫び認めるまでアナタを隅々まで検査するだろう(冷笑)。これが心理学であり性別というげえむなのだ(科学)。
adoは傷ついた。adoは傷ついた。adoは傷ついた。そして誰しもが彼女を陰キャ、不謹慎扱いを両親も元恋人すらも日本人全国からされているかもしれない。これが大西拓磨でも稲葉でもない「本物の天才」がXを親権には呟けないギフテッドの悩みである(真剣なツイッター。大学時代に書いた小説は人に見せられない。地獄だったからだ)。
就活というホモソ地獄
人々がLGBTに価値を見出す背景は、冷笑的に男と男を受けか責めかで判断するからだ(BL&やおい)。リアルでそのような階級社会を作り、女性は自らの性別破壊を望み(©阿部智恵)、女性たちは自分にはない棒を意識し男と男が作り出すホモソを肯定(BL)する。
これに疲れた大人♂たちが女装するために見るのが日常系アニメで『ぼっちざろっく!1巻』で描かれた通り、その世界は天国のようで美しい。さながらユートピアのような(モザイク『現代アニメ評論』)。
もっとも京都だろうとポモ(BL)だし(夜鳥「京都はすごいから!」)、東京だろうと新実在論(ホモソ)だ(モザイク仮出版『東京という洗脳』のような話を動画で聴いた)。
問題はギフテッドの私のように科学的に男性性を演じたり離したりして自らのメンヘラを完璧に治療することであり、それが不謹慎系YouTuberだった。もっともそれはado『うっせぇわ』も惜しいながら良いところまでいっていて、キャラ(文学)を愛しながら俯瞰するこのシラケつつノり、ノりつつシラケることはそのような言葉で表現してしまった段階で見失ってしまう(H田龍胡『YouTuberのなりかた』には精神治療をすると書いてしまっている。それがメンフェスが甘えを治療できない目的という系に、あるいは性別破壊党の阿部智恵さんが性別を破壊する目的の系そのものにハマっていることなのだ)。
44世紀の科学主義 〜政治家はARTISTになり、戦争はREALになる〜
治療としての科学主義としての戦争が重要になってくる。もっともそれは身体性に裏打ちされた藝術的センスとナショナリズム、自分とは何か?が重要になる。
それが帝国美術学校(現 武蔵野美術大学)に美少年たちが集まった背景である。アナタは私を、いや私たちを買わないといけない。しかし、それはBLを超えた(冷笑)、本質的な美少年(科学!)として。
adoがもし「天才」ならば火あぶりにされた松本杏奈あるいは弱者男性に燃やされた京アニになるだろう(夜鳥「京都はすごいよ!」)。
adoは東京医科歯科大学医学部YouTuberH田が冷笑できるような、あるいはポモな浅田彰が♀だからと冷笑するような激しい愛憎のBLからの♀断罪じゃあない(アンチフェミニズム)。中沢新一はそして古田更一は科学的なポエマーたち、つまりギフテッドたちは(ARTIST!)、科学的にadoを等身大から鋭く音を感じることだろう。
私の好きなadoの曲に『永遠のあくる日』という冷笑できないadoの嘘(technology)で完成されたadoにしては数少ない恋愛SONGがある。しかし、これは実はadoの半分実話だと意地悪なフェルミ推定(ロジハラ)しよう(m(_ _)m)。
adoは「天才」であるのだけど、1人の誰かにとっての「美少女」なのだ(adoはプリンセスだと当時思っていたらしい)。adoの作風を壊すわけでなく、adoには必ずや好きになってしまうメロメロな男性がいるだろう(ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙)。
(しね!しね!しね!しね!くそ!!あああああああああああああああああああああああああああああ)。
自主規制(本は破れ!)⇦照れ隠し。
コホン。
で、そこと『うっせぇわ』の「天才性」、つまり、最大公約数、IQ100で出来た目がないネコ(メンフェス)がヨダレを垂らして愛する『22世紀の民主主義 政治家はネコになり、選挙はアルゴリズムになる』のアルゴリズム、つまり数学、technologyに注目して欲しい。1+1=2は確かに難しいけども、それはこう言い換えることができる。
あの「天才」のadoですら1人の異性の前では「天才」をやめることだろう。もっともその家族を守る行為は余りに醜い、悲しい、やめていただきたい。
どこまでいっても、恋は愛は地獄だ。IQ100で冷笑ごっこはやめて、現実の恋愛を見ろ。これが本当の革命であり、これが本当のレクエイム(鎮魂歌)だ。大人になれなくなったポモな戦後を生きる古市くんへ、そして石丸市長に怒られたピエンな山崎玲奈の誰かに話したかったことが好きそうな佐々木チワワちゃんへ。
宮台真司は刺された。次はキミたちだ(脅迫ではない)。社会学村はおしまいだ。自殺した江藤淳が日本なのか、それともだらだらといまだに東大を演じる蓮實重彦の映画が日本なのか。デリダは臆病者の田舎の鼠だ(私、田舎の鼠は…。マキマ『チェーンソーマン』より引用)。
どこまでいってもYouTuber。(『YouTuberのなりかた』H田龍胡)。
アナタたちは目がないから本は読めないしBLは治らないし真実へ到達することはできない(メンフェス『ART OF SURVIVAL』)。
そして本を破るという美しく崇高な行為に走れない平均はIQ100は悪霊というお気持ちを懺悔せざるおえない。
顔出しして男たれ。そして国家と戦え。そして、こうしてキリストは軽蔑されながら処刑され、冷笑しながら弟(BL漫画)は兄を身に纏い帝国美術学校を建設したという。これが北一輝と北エイ吉の激しく引き裂かれた戦場のメリークリスマスであったことは肘を叩きつけたくなる。
ある1人のadoは、ギフテッドは彼らに眼福される美少女、いわゆる橋本環奈はロボットサッカーをしながらこう言った。
「うっせぇわ」。
本は存在しない。
ようこそ、現実の話へ。
恋をしてしまった 涙のあと
洗う雨は虹の予告編だ
なぜキミがここにいないんだろう
世界一有名な言葉を強がってみたり
La La La Love
まるで映画のエンドロールだ
あいしてる あいしてる なんて
さよならみたいに言わないでよね
もうあいしてるあいしてるなんていわない
(省略)
懲りずに飽きずに
Love Love Love
Love Love Love
愛してる…
〜ado『永遠のあくる日』より引用〜
あ〜だいちゅきですよ〜ぎゅ♡
あれ…ミュートしないでも、文字起こししてしまってる…?
ほ、本は破れ!
朝鳥くん「古田さんって優しすぎますよね」
それが本物の美術だよ,朝鳥くんー。
交換様式X(特に意味はない).
KK「エル・プ・サイ・コングルー。ようこそモザイク倶楽部財団こと批評系YouTuber集団ChaosForestへ.キミもオレの許嫁(フィアンセ)だ.
いや.下僕になりたいです♡.よろしく〜m(_ _)m」
ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙.
➫S0X(おええ〜♡).
