帝国美術学校の画家『小山田二郎』の残されたスケッチだけは他の絵とトーンが異なっている。
小山田二郎は生前「鳥人間」を描くことに執着していた。
中でも一際目立つのが『鳥女』である。
あまりに大量に書かれた鳥女たち。
その挑発的な目は何かを誘導し何かを扇動するかのようだ。
誤解を恐れずに言えば、話しが飛ぶけれど当時の帝国美術学校の創設者・北栄吉にとって鳥女が恐怖の対象だった(栄吉たちに受ける恐怖)。
なぜならば鳥女は自分だからだ。
自分と同じ気づく者だからだ。
こうして北栄吉に従う男の小鳥たちは鳥女を担ぎ北栄吉の排斥に乗り出した。
しかし北栄吉は嬉しかったのだ。自分を乗り越えてくれたら鳥女の踊りが。振る舞いが。
なぜならばこうして北栄吉は北一輝との男と男の因縁を断ち切ることに成功したからだ(要するに自分も父になれたのだ)。
もっともその肝心の小鳥たちは踊りすぎて何が起きてるか分からなかったが。
〈小山田二郎の解説に変えて〉
『古田更一』はフロイト的解釈によれば「不謹慎」という喧騒を不憫な相手のみに更に追い討ちをかけるかの如く牽制し、「不謹慎」を手淫として置換し、自ら敵が針の筵になるさまをみて「欲求」を充満させている。それどころか、それによって他の『欲』は「寡欲」なのである。古田更一にとってのイラつきとは溜まった『精液』と同等なのであり。その精液が発散されれば溜まる要因はすべて不謹慎なのだろう。(古田更一批評)
ARTIST稲葉より。