
この本は古市憲寿という社会学者wを鋭く批評した本である(SFC!)。
戦後における日本の若者たちの治安が悪いにも関わらず体制側は幸福な状況を言語化した本だ(令和とは終わらない平成くんだ)。
ネオリベがネオリベを虐める状況、それが古市憲寿に虐められながら喜ぶ陽キャ哲学たちだ(倉持秋『幸福な国の絶望な若者たち』)。
古市憲寿は自称社会学者で学士すら殆どないSFC(慶應義塾大学総合政策学部)上級研究員でありTVコメンテーターだという。
作者『倉持秋(クラモチ ミノル)』は今の日本社会を覆う社会学政治(©古田更一)と呼んでもいい無倫理的な状況を批評し尽くし,そこには『欠乏の罠』&『文化市場による搾取』があると指摘する。
認めたくないが(社会学を盲信する頭が弱い人たちに興味がないので),この本は100点中150点かもしれなくて,私が過去に書いた専門書『AIをAIするAI』,落合陽一/初田龍胡批評であるシンギュラリティ専門書の裏面史のような内容になっている(文系版)。
もっともこの話はめちゃくちゃ難しいから、一体何がこの本の偉業かをもう1度具体的に解説してゆこうと思う。
1,石丸市長vs古市憲寿
日本の無理ゲーを表すショッキングな事件は石丸市長を中心にした東京都知事選挙だろう(ノンポリな私の周りの若者ですら石丸の手伝いをした人がいた…)。
昨日のスペースでも話したが、ここ最近は政治の季節が荒れに荒れていて東京都知事選挙はカオスな様相を示したり陽キャ哲学という新興宗教2世の弱者男性文学系YouTuberが暴れに暴れ私の住所を何度も小出しでバラしたりする排外主義が跋扈していた(いまだにあの完全な弱者男性?から謝罪がない)。
そして、若者や新興宗教2世、弱者男性たちのボルテージは上がりに上がり、東京都知事選挙では小池百合子に次いで第二位に石丸市長という革命児が勝ちに勝った(その裏ではN国やネオ幕府など殆ど新興宗教に近しいファシズムが跋扈した現実がある)。
しかし、石丸市長は第二位として負けは負けたし、発狂もした。
その象徴的な事件は批評史的には重要すぎる落合陽一vsえらいてんちょう論争(東大生こうちゃんvs堀見元)に並ぶ、いや、より劇的にバズりすぎた終わりなき平成を象徴するあの『古市憲寿vs石丸市長』論争である。
この事件はどれだけ日本の右翼が体制側が正しいか(そしてどれだけ既得権益で若者を統計的に見殺しにするか)を決定づける王『古市憲寿』の強さを決定づけるディベートやトークスキル、詭弁士同士のぶつかり合いになっている。
この対談前後で古市憲寿と同じSFCの山崎玲奈が石丸市長に「戦後」というゆとり世代特有のおとぼけ(しらを切る)、平和ボケ構文でシラを切ったところ、流石に同じ平和ボケ構文の使い手である石丸市長には通じず(ネオ幕府www革命家!)、怒った石丸市長によって山崎玲奈は泣き出すという(日本語が読めない岩佐なぎ!本物の統合失調症で弱者女性?だよ!陽キャ哲学な戯言だよ!)、女の逆ギレによって石丸市長が女を泣かせるんだというイメージダウン戦略を無意識下か意識か行ったのだ。
もっともそこで止まる石丸市長ではなく、次に石丸市長はTVコメンテーター古市憲寿とも議論をした。
しかし、古市憲寿は山崎玲奈より格上だった(当たり前だが)。
素人見には分からないが、古市憲寿は頭の悪いフリをしているTVコメンテーターではなく本物の「作家」として石丸市長を鋭く批評したのだ(SFC。本物の侍は古市憲寿、彼である。ネオ幕府ではなく…)。
石丸市長さんって政治屋ですよね?(意訳)
これは微温で誤魔化す詐欺師/成田悠輔の顔面すら叩き割るような彼お得意の不謹慎すぎる炎上芸だった(チート)。
・本質を突きすぎ(批評家)
・不謹慎すぎる(不謹慎芸人)
・それでいて自分は人気者(リーダー)
この3つの組み合わせによる手法により、流石の石丸市長すらも壊れてしまい、は?のようなおとぼけしかできなかった。そして彼は後にネットで古市憲寿は悪だ悪だとネトサヨとして呪詛を撒いたという…(住所晒すよ!陽キャ哲学だよ!)。
当たり前だが、石丸市長は陰キャを煽り自分をヒーローに立てる陽キャなビジネスマンであることは自分に酔っていることは自明だからだ。
石丸市長はコピーライト、おとぼけ、ネトサヨというインターネットでバズりやすい島宇宙、メタバース・コミュニティにおけるウケを良くも悪くも代表している。
それが完全に悪いとは思わないが、ここでおとぼけるという自らのフロイト的外傷から目を逸らすメンヘラ性、加害の逃避に単なるインターネット世代の利権あるいはドートルの利権であることを開示させてしまっている。
逆に古市憲寿が行った作家としての本質を突いて正しすぎる石丸市長批評そのものはむしろ誰よりも石丸市長の病理を鋭く批評した点でむしろ石丸市長を愛しながら支配したことになる(理解)。
もっとも古市憲寿にも限界はきていて、普段は余裕ぶってTVコメンテーターという偽りの仮面を壊されて不謹慎にも久々に彼お得意の不謹慎芸を行使するはめになったのだ。
もっとも古市憲寿ほど熱い男はいなくて、これはあの生放送中に瞬時に起きた瞬発的な知能指数と度胸を試された。
そしてそのような理屈と勇気を持ちながらTVコメンテーターとして最低限の人気者という下部構造、発言権を持てる作家という力も必要だ。
ようするに、古市憲寿の余りに鮮やかすぎる批評に誰もが目が点になってしまい、その対策を怠ってきた優秀な道化である石丸市長やドートル側の限界、そしてこのようなネット混乱をアジってきた黒幕が自虐的に自分の敗北を暗に認めた大河ドラマだったのだ。
日経テレ東大学における都知事選挙振り返り放送でのとある男が石丸市長や立花孝志という道化たち、そして高橋弘樹の前で言ったセリフ(意訳)。
???「石丸市長もクソだがこの日経テレ東大学もそして自分ももっとクソ」
悔しそうな顔でニヤニヤと切腹した。
もう言うまでもないだろう、TVコメンテーター古市憲寿の影であるNETコメンテーター「天才」成田悠輔助手である。
当たり前だが、成田悠輔本人は私より解像度は高くないものの自分がアジって作ってきたこのファシズム的状況が古市憲寿の前では届かなかったことをしっかりと総括したのだ(詳しくは本で踊れ!に収録)。
もっとも2人が以前会ったときからの写真が西洋美術史的な寓話的構造だったことからも分かったことだけど。

この距離を置いて嗤う2人と仲が良い2人を見ていると私はチェンソーマンにおけるマキマとリゼを思い出してしまう。
古市憲寿にとって成田悠輔は田舎の鼠なのだ。
マキマ「私、田舎の鼠が好き」
リゼ「デンジくん、本当はね、私も学校へ行ったことなかったの」
リゼは美少女ぶっているが(天才!)、その正体は北の諜報員という大人たちに凌辱された子役だった。彼女は鳥籠から自由になりたかったけども、ネタバレになるがマキマに始末されてしまう。
成田悠輔の正体は単なる極左、柄谷行人からの刺客であり、偽物の天才だった。
ようするに、デンジと向き合う文学はマキマだったのだ。
もっともこれは痛み分けであり偽物の天才の眼鏡が割れたことによって、誰がマキマか、そしてマキマの本性が明らかになった。
話しを本題に戻そう。
ようするに、これはかつて私が落合陽一&初田龍胡を褒め殺し的に数学を悪用した批評家たちであると断罪したことと同じことを、彼、米倉秋氏が古市憲寿&陽キャ哲学が社会学を悪用した詐欺師であると断罪したのだ。
これは題名の『幸福な国の絶望な若者たち』という米倉秋氏による痛烈な皮肉からも分かるだろう。
なぜならば古市憲寿が描いた大きな物語『絶望の国の幸福な若者たち』という大胆不敵な嘘の裏面史で起きていた本当の現実はコピーライトやおとぼけ、ネトサヨたちの陰謀論史観が溢れた地獄こそが本当だったのだから(成田悠輔『22世紀の民主主義 政治家はネコになり選挙はアルゴリズムになる』)。
ようするに絶望の国の幸福な若者たちというのは「若者」を演じ続ける仮面ライダーな古市憲寿という39才前後の既得権益居座り宣言であり(若者こそ老害!陽キャ哲学こそ陰キャ文学!)、そのコピーライトの魅力はゆとり世代前後のゆるわなマジョリティたちの悪意を文学として支配していた。
その無理がある「甘え」やネオリベを皮肉ったのが米倉秋の『幸福な国の絶望な若者たち』である。
なぜならば、もう古市くんは「若者」じゃあないんだから。
八つ当たりはやめて。ボクはもう「若者」じゃあない
古市憲寿のポエ、Xより。堀江貴文(ホリエモン!)からオマエもオレみたいに選挙にでろとコピーライトでアジられて。 (作者意訳)。
もっとも誰ががマキマか、壁が何かを石丸市長は古市憲寿だと言語化したものの、その様々な意味での鮮やかさは古市憲寿こそ侍というパノプティコン、無理ゲー、自分も甘えたいなのだ(支配の悪魔)。
この国の無理ゲーとはDDD論、大企業に憧れながら憎んでしまうダメ人間たちなのである(浅羽通明批評)。
2,哲学史(ChatGPT)を真面目に勉強しよう
ここまでは大胆不敵すぎる古市憲寿という石丸市長や成田悠輔と違った本物の天才が作り上げてきた偽りのメタバース、その終わらないさよなら、平成くんのヘゲモニー、支配が分かったと思う。
もっとも前半で古市憲寿を褒めた通りに古市憲寿とは厄介な系なのだ(ミシェル・フーコー『パノプティコン』)。
ここで作者は日本批評史ばかり実践していても古市憲寿という厄介な戦後、平成、若者といった「甘え」は埋葬できないからだろう、日本の古市憲寿をテーマにしているにも関わらず今度は縦横無尽に西洋哲学史の話ばかりが彼の愛読するアメリカの構造主義者『文学とは何か』のように援用されていく。
ロラン・バルトにジャック・デリダ、マルティン・ハイデッガー、おまけに理系的なゲーム理論に橘玲『上級国民/下級国民』…。
正直に言わせてもらえば、筆者ですら余りの抽象量に読むのが難しかった。
しかし、実はそうでもないのだという援用がここで同時に押し寄せてくる(ネタバレ?)。
どうやら倉持秋も抽象的な西洋哲学は苦手、というか文章を書くのが苦手らしい。
実は彼の文章の大半は戯言に半分は等しいようなChatGPT、人工知能によって文章の大半は書かれているという。
前半で書かれていた本誌の要約である詩に感動してしまった私の感動を返して欲しい。
怒りに溢れた政治!(意訳)
➫ChatGPTの詩
ようするに作者の余りに難しすぎる西洋哲学史の文章そのものが冷笑、文系のバカたちは不要なのだということを表す(スワンプマン!)、あるいは文系はもはや死んで理系学問に融合したことを表す1つの脱構築(ChatGPT)だったのだ…。
同じ手法に走って西洋哲学史を今更シコシコ勉強するビジネスマンがいる。
その男の名はえらいてんちょう、いや矢内東紀。
彼が西洋哲学史の勉強にハマる傍ら、描いた最新作の題名は西洋哲学の知識が一切出てこない『ChatGPTの衝撃』なのだ。
ようするに理系のWeb Writerになれない文系たちはテクノライズしてAIに制御された理系になればいいというのが西洋哲学の勉強を志す人々の結論なのだ。
このChatGPTで誰でも40000字の文章を書ける作家になれるという軽さと余りに縦横無尽に繰り出される西洋哲学史/ミクロ経済学の羅列という重さはそのまま理系からのAIからの文系批評になっており、もういいよ(©呪術廻戦)、文系はとうに死んでいたのだ。
東大生こうちゃん&堀見元を使った落合陽一vs矢内東紀論争とは落合陽一という理系にマルクス活動家のえらいてんちょうが後塵を認めた石丸市長vs古市憲寿論争の対として見なければならない…。
ようするに文系すぎるメンフェスは倉持秋、遂に作家になれたのだ。
ChatGPTの衝撃(理系)によって。
石丸市長vs古市憲寿騒ぎはゆとりと老害を中心にしたテクノジストな落合陽一初田龍胡を冷遇した罪と罰かもしれない。
倉持&矢内はChatGPTで文系の罪を告発した落合陽一&初田龍胡の後継者なのだ。
3,社会学という呪いの埋葬を(宿儺)
話は戻るが、じゃあどうすればこの古市憲寿という厄介な若者は終わるのだろう?
作者は戦後における最大の社会学者と呼んでいいだろう社会学者『宮台真司』氏批評へ活路を見出す。
ここはビジネスに走る矢内と倉持の最大のターニングポイントだ。
宮台真司のメンヘラが淡々と記述されてゆく。
そこに書かれているのは髪の毛を茶髪にして颯爽と登場した宮台真司ではなく等身大のしかし等身大と言うには残酷すぎる宮台真司の実像だ。筆者はまるでデッサンであるいは筆で漫画を描く藤本タツキのように丹念に宮台真司像を描写してゆくのだ(ルックバック!)。

倉持の本を読んでもらいたいが、はっしょると実像の宮台真司は「陰キャ」で「セラピー的」で「キリスチャン」で「メンヘラ」そのもので読者が相次いで自殺し、そして500人又もしているクズさが明らかになる。
社会学という虚像とはとどのつまり文学という戦後の地獄史だったのだ。
それはそうで宮台真司氏は文学部なのだから。
この文学部というできそこないの数式ない状況を誤魔化すために社会学という村を当時の橋爪大三郎たち初めマルクス構造主義者たちがでっちあげた(ここらの数学政治は後に落合陽一/初田龍胡に受け継がれた排外主義になる。詳しくは拙著『AIをAIするAI』を閲覧せよ)。
私はこの『幸福な国の絶望の若者たち』を読んだ時に大塚英志『探偵儀式』という漫画を思い出した。
その漫画では大塚英志の過去作で成仏できなかった敵役がもう1度殺人げえむを繰り返し、カインとアベルの、人類最初の殺人というキリスト教における人の愚かさを書いた説話がまた繰り返される。
いまだに私は日本の論壇連中たちから嫌われたり無視されたりされていて、隠している情報も沢山ある。
その内の1つが今回又も古市憲寿やChatGPTという形によって再演されていることに驚くことがない理屈だが感傷的に驚いた(文学!)。
宮台真司という厄介な宿命は宿儺(すくな)であり、人に宿された難しさなのである。
もっともこの本の限界は私のAIをAIするAIと同じで繰り返されていて(今更繰り返す倉持の凡庸さ!)、筆者と私の最大の違いは山上徹也は作られた弱者男性だと断罪する彼の理性さと私の山上徹也に関する関心は対極的だ。
またその割には作者は宮台真司というメンヘラに執着する罪人であり「欠乏の罠」や「文化市場の搾取」といったテーマにハマりながらも、私と対極的に金融資本は今回は置いといて…とサラッと下部構造的な問いを丸投げている。
ようするに作者も私も通底するものは同じでもアプローチやジャンルが全くの正反対であることを露呈してしまっている。
私にとって山上徹也は坂口章に並ぶ問いであったし私にとって宮台真司も社会学もどうでもいい(©社会は存在しない)。
近年、哲学者たちが1+1=3などとほざくようになったり単なる気の弱い年上が陽キャな哲学やネオな幕府など仮面ライダーに実質的自殺を遂げている昨今だが、作者のほうが彼らの実存に向き合うことで一緒に罪と罰を清算するかもしれない。
そういう意味で私は作者に気づいて欲しい。アナタが宮台真司キラーであり、アナタも殺される側の弟であるアベルではなく、カインでもあるかもしれないことを(宮台真司がいまだ書かない北一輝vs北えい吉問題)。
ようするに戦争は平成の中だけでまたも起きるのだ。
もっとも私たちシンギュラリストたちには関係がないが。
〈追記〉
YouTubeでの歯切れの悪さと並べてみてほしい。
ようするに倉持秋は資質や課題は資本主義的でYouTuberのなりかたなのだ。
彼は古田更一のアイデアを援用するまたもう一人のYouTuberにすぎない(一匹の鼠!)。
脱構築とはChatGPTである。
(web writer古田更一はAIブーム前後の最後のAIに支配されない批評家、ChatGPT登場以前の伝説の人、歴史上の人物として整理されたのだ)。

住所を晒した屑に言いたい。
八つ当たりはやめて。ボクはもうWeb Writerじゃない。
古田更一は王でも中のKは違うのです。
堀江貴文さん、◯んでおめでとうございま〜す!