社会は存在しない. 〜法律批評という底の穴の処方箋〜

 社会は存在しません.

    社会は存在しないよ(宗教的なエートス).

 国民国家は現代では本当に(マジで)機能していません.

     その理由は具体的に言えば私たちが生きる社会が再帰性近代を生きているからです(あくまでも理論モデルであるポスト・モダンと違い,社会に底が空いたことに大衆を含めた皆が気づき始めたのが再帰性近代です).

    再帰性近代とは近代社会,国民国家を疑うような時代に生きているからです.

   もちろん社会学の泰斗/ニコラス・ルーマンが法社会学,法律というものを批評(批判)する形から社会学を大衆へ導入した経緯もあります.

    あくまでも今社会で起きていることは法律批評(ニコラス・ルーマン/宮台真司)が社会で起きている問題であり法律や国家で解決できない老害の問題や少子高齢化,資本主義の問題,発達障害/精神障害,政治家の汚職,若者無視といった超法規的な規律が起きていることです(もっとも男性は女性をたぶらかしバカにし男性だけが楽できるのが国民国家という家族の拡張にすぎません).

 これが有機質な社会は存在しない状況でありますが,無機質な法律は非倫理的に存在するという状況になるのです.

 もちろん宗教や新興宗教の悩み,親ガチャ問題も問題の解釈が浅いため,超法規的な問題が起きるのです.

   法律(権威)と批評(愚痴)は共犯関係であり,その問題をどう乗り越えるかが老害の問題や少子高齢化,資本主義の問題,発達障害/精神障害,政治家の汚職,若者無視といった超法規的な規律への処方箋になるのです(法律というストラクチャーはあるでしょう).

(もっともこの文章は小幡正純博士の社会学のまなざし/贈与論あたりを参考にしている.処方箋としてはとにかく英米哲学を熟知し,そしてモースの贈与論を投資という倫理として読み替える小幡博士のアイデアは参考になるけども,それは本が読めない大衆には難しいだろう).

まとめ

 法律を愚痴として批評したのが法社会学を提唱した元官僚であるニコラス・ルーマン/宮台真司.

   法律がクソで無機質なホモソーシャルだから,超法規法として様々な無理ゲーを感じるのが現代人.

  法学以上に社会学の教養が求められてますが,社会学の限界はホモソーシャル.

戦争というげえむ.法律の限界.エートスを守り抜いた宮台真司をリスペクトせよ.

 もっとも社会は今こうなっているぜ(批評)と言ったところで弱者男性を含めた人々は救済されないでしょう(切腹できない).

   其の為の妥協的手段がメタバースプラットフォームの中にひきこもり,SNS上の中で戦争をするという行為があるかもしれません.

   programer初田龍胡はその現象を『PPP-戦争論』と論じています.

   重要な思想として大切なことは戦争/極右的なメンタリティが重要です.

   昔彼は自らを『最終戦争論』を書いた石原莞爾に数えられていました.

   現代風にざっくり翻訳すれば極右としてブロック経済しゲーム理論で国際政治を知覚し敗戦国として噛み締めろという三島由紀夫的な文学です.

 これは男性として自己実現するにはヤンキーや戦争,ホモソーシャルをせざるおえない三島由紀夫的な切腹宣言に近しい(男性は論理という箱に逃げている).

   が,問題はAIが人間の知能指数を超えるシンギュラリティ/加速主義が起きていますので,そもそも共同体的な価値観である社会がなくなる恐怖やがゆえに共犯関係的に戦争というフレームを持ち出すことそのものが問題なのです.

 男性は戦争をするか切腹をするしかない(『PPP-戦争』vs『22世紀の民主主義』).

    (脱線ですが,アメリカの助手/成田悠輔は理想論にすぎず,大谷翔平を拝んでいるにすぎません.が,大谷翔平は最後の平成的なゆとり文化であり,野球というAI以前の権威を温存しているにすぎません).

まとめ

 ホモソーシャルの壁を超えるには文学者へと開かれた人間になるべし(三島由紀夫)

 しかし三島由紀夫が切腹した以上,LGBTすらもホモソーシャルを脱却するには難しい(成田悠輔).

    だからこそ極右として開き直り起業家として男性を張るプログラマー初田龍胡的なクソさ/加速主義/イーロン・マスクさは意外と妥協的に重要かもしれない(初田龍胡).

女>男.精神医療と拡張家族,性別破壊.法律を超えて.

 ここからは私がフィールドワークで知り合った頭の良い女性たちの知見やアイデアを編集(design)し要約しましょう(詳しくは彼女たちに聴いたほうがよいかもしれません).

 ここでまず問題提起として参考になるのが早稲田大学文化構想学部の某才女の卒業論文のテーマ『理性と狂気(仮テーマ)』です.

 彼女は心理学批評家/斎藤環『文脈病』を下地にし西洋人の病=理性こそが狂気を生んだのだと主張し探ってゆきます(ちなみに心理学批評家/斎藤環の主張する文脈病とは人は必ず文学の系にハマり,顔の表情を表すようなキャラクターのように生きる他はなく神のように完全には俯瞰することは不可能であり,それが精神分裂病/統合失調症こそが正常かもしれないという危険な主張,心理学批評です).

   これは法律と社会学(法律批評)の共犯関係,法律とその愚痴という構造の裏面史を語っています.

 ようするに社会が存在しないアイデンティティクライシス,存在論的不安は

   社会学的には戦争を訴える男は蛮勇ですが,心理学的にはメンヘラとして処理されます.

  社会を良くする処方箋は出来る限りホモソーシャルを脱しレズコミュニティへ社会設計の上部構造をモデルチェンジすべきです.

   問題提示としては早稲田文化構想は役に立ちますが,具体的な処方箋は拡張家族です.

   きのコさんというポリアモリー,複数恋愛として生まれてしまったというちょっと図々しい知的な女性がいますが,そのようなコピーライトは大体役に立つでしょう(バカデカい愛).

   ポリアモリーはコピーライトにすぎず,精神医療から狂気と理性を考える早稲田文化構想の才女は頭が良すぎて大衆は彼女のような相対的プロ弱者になれません(高学歴のメンヘラ問題は石原莞爾が現代だとメンヘラだと意匠化されることと同じです).

 カジュアル・ポリアモリー,ポリアモリー批評が重要でポリアモリーーそのものをやるよりは旦那はカジュアルに二人目の仲の良い男友達などを多少は許容するメンタリティ,懐の良さ,コミュニケーション能力が求められます.

   そのためにはお互いに高度な精神分析の知見が必要になり自宅精神分析家に家族や男女、社会はなってゆくしかない.

 これは余りに高度な一部の男女の話のため偏差値55〜の処方箋でしょう(政治).

 より実践的な話をまとめると性別破壊党党首/阿倍智恵さんが役に立ちます(外山恒一論).

   下部構造としてマクロを救うにはより徹底した左翼が必要です(経済).

   だから性別破壊党/阿倍智恵さんを見習い,人間をやめてシンギュラリティへ加速している事実を加速主義的に直視する他はない(本は破れ!©古田更一).

   もっともそれは外山恒一合宿という老害論客たちが軽視する外山恒一という若者たちを救済する本物の天才/自称ファシストを認める他はないでしょう(悪い場所©椹木野衣).

  

まとめ

 大学の学問は全て女性にやらせるべし.先程の法律批評(社会学)はよりもっと優秀な女性が言えば理性と狂気の歴史,つまり哲学批評(文学)となるのです(早稲田大学文化構想/カオスフォレスト?)

 先程のホモソ問題は家族の拡張に過ぎないので,ポリアモリー的な複数恋愛や拡張家族の問題を思考実験やスペキュラティブデザイン,批評対象として考えることで様々なジェンダー・ギャップを前提にした社会構造の問題を考えられるでしょう(きのコ/私、恋人が2人います)

 外山恒一の門下生である阿倍智恵さんが性別破壊党をしている.そもそも外山恒一こそ日本の若者たちを救う真の言論人/カリスマであり,まず外山恒一の再評価をよりもっとしなければ阿倍智恵さんたちの政治にされた今回の女性の活動も潰されてしまうだろう.

〈追記〉

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