昔から私は居場所探しに執着せざるおえないマーケーターとワナビーが不思議だった.
なぜならば歌舞伎町も褒められたものではないし,歌舞伎町こそが日本の悪い場所だという主張こそSNSにたむろする面白くもない弱者たちの存在を忘却するからである.
彼らはTVや大学,出版の傘を着ながらもそこで無視されている地獄に良くも悪くも満足してしまい「歌舞伎町」や「ぴえん」,「ネオ幕府」,「陽キャ哲学」などという固有名によって自体の本質を誤魔化しながら弱者の味方面するのだ.
そこに怒りはあるのではなく,佐々木チワワ氏やネオ幕府の相川氏,元電通のQ氏を含めてマーケーターとしては尊敬しているものの,彼女らは自らを文学だと抜かすところが私には理解できない.
ここで私は思考が止まっていたのだから,今日は今年も終わるわけだから佐々木チワワ氏やネオ幕府の相川さんなどに対するマーケーターと文学の両立関係について整理してゆきたいと思う.
1,希望難民ご一行批評
作家/古市憲寿さんのこのデビュー作では希望が危険で共同体こそが居場所になってしまい革命をする気がなくなるのではないか?という仮説を提唱し社会哲学者アクセル・ホネットの居場所優先的な偽善を断罪する内容になっている.
佐々木チワワさんが行っている露悪的な歌舞伎町社会学はまさにこの古市憲寿さんが提唱していたことを露悪的に後継しているように思える.
ただここで疑問がムラムラと湧いてしまうのは歌舞伎町というのは極めてローカルなロック的な弱者風の町ではないか?ということである.
ようするに消費しやすいマーケットなプロ弱者をまとめることが椎名林檎風なメディア人たちの想定する弱者(サブカル)である(朝生!Ameba!ありがとうTV!).
2,ロックが流れている大学や出版,TV(音楽は分かりやすいけど,精密な議論は出来はしない)
極めて言ってしまえば彼らは認めないが面白くもない本物の見えない弱者?として新興宗教二世がある(成田悠輔氏はこの手の見えない労働者階級を海外の論客の言葉を借りてゴーストワーカーと呼んでいる).
面白くもないが比較的雰囲気が賢い相模原市に住んでいた男は新興宗教二世で口先だけだと唸り社会学者/宮台真司さんを刺してしまった.
この問題と歌舞伎町というプロ弱者ロック文学サブカル的な共同体的な諦め(トゥールマンショー)は奇妙にもつながっているように思える.
なぜならば宮台真司さんを完全に悪人だと僕は一切思えない.
むしろ宮台真司さんは「いい人」すぎて刺されてしまったのだと僕は思う(なぜならば彼はメディアの中では優等生/善人である早稲田の人物研究会に東大中退の全共闘/芥正彦を呼んで半場山上徹也のテロリズムを芸術として評価する強がりをし見事◯されたわけだ).
これを僕は障害者施設で善意で働く人間たちがむしろ同じ相模原の植松という陽キャに◯されてしまった現状に近いと捉え「いい人」もまた古市憲寿の言う共同体幻想,共同体に優しくしても問題解決にはならないという話に近しい気がしてくる.
宮台真司がさされてしまった事件に類するものに石丸市長vs古市憲寿論争がある.
これも社会を変えたい石丸市長と悪である古市憲寿がそれを止めた構図には見えるし,実際にそうかもしれないが,本当に石丸市長を虐めたいのならば「無視」するか「逃走」するだろう.
古市憲寿が炎上し憎まれる背後には本当に石丸市長を本当に「無視」したり「逃走」しているクズな豚や魔法使いや敏腕編集者などがいることになるからだ.
もっとも石丸市長はその程度なので古市憲寿をネトウヨだネトウヨだと恨む時点で彼自体も結局のところは自らが英雄になりたいだけの非革命家な共同体でただ人気になりたいだけなのだ.
その証拠に古市憲寿は安倍昭恵夫人や橋下徹さんたちとのメシ写真をあげて石丸さんもどうすか?と煽り散らかしている.
https://x.com/poe1985/status/1817190502967701562?t=kkaFI6C6B1s5LL-6z9Ok2w&s=19
もっとも古市憲寿もどうしうもない(作者もかもしれないが).
当たり前だが政治はイデオロギーが違う者と違う者同士のぶつかりあいだからだ.
政治が難しいのは当たり前だが主観とパワーが前提になるからだ.
古市憲寿の会食に集まった人々が正しい人間たちだとウホウホ言いながら批評という言葉に逃げる倉持というクズにはなりたくない(というポジションを彼は選択しながら陽キャ哲学し現実逃避している).
3,面白すぎてバズりたいだけ(石丸市長/ネオ幕府/佐々木チワワ)
彼ら3人に対する疑問は彼らはただバズりたいことが良くも悪くも先行していることである.
露骨に幕府だの日本を良くするだの歌舞伎町などという分かりやすいプロ弱者/サブカルを持ち上げるところに彼らが古市憲寿さんの言う政治屋にすぎないということに.
彼ら左派はサブカルにすぎないしバズりたいだけを誤魔化すためにわかりやすい物語で武装している,これが彼らの主張が嘘まみれであり褒めるとしたら自分がバズりたいだけの対弱者マーケーターというところに文学とマーケーターの相関が整理される.
彼らは自分を見て〜が中心にある(ネオリベラリズムである).
だが,そう思うと「ぴえんという病」という本でそもそも佐々木チワワちゃんは弱者は自業自得wメンヘラ芸だからねwと良くも悪くも椎名林檎風にZ世代を批評していなかったか?
そう思うと良くも悪くもZ世代やSNS時代の良し悪しを書いている時点で佐々木チワワは頭はバカデカい愛さんよりよくないと思うがZ世代やSNSの強みと弱みを言語化しているという意味において現時点最強のZ世代の批評家だと類することができるだろう.