X(POWER).〜マズローを精読する〜

〜オレはtwitterを救いたい.セカイを良くするんだ〜

 〈とある起業家の優しい言葉の超訳〉.

 

 はじめに不愉快な真実から話させていただきたい.

 人々は建前として一応は政治というジャンルを作っているけども,先進国を中心に戦後を超えて豊かになりすぎた諸外国を中心に新しい問題が浮上してきたように感じる.

 それがポジティブ心理学の祖,

 マズローの五段階欲求仮説の更新だ.

 断っておくと,今更古びた疑似科学のマズローを引用していると頭の悪い人々からディスられたが,それはあからさまな間違いであって、マズローの五段階欲求説をⅮⅮ,どっちもどっちとして、是々非々で論じないといけないのだということを私は言いたかった(厳密には、心理学者マズローや大企業のコンプライアンスといったものを思想の一ジャンルとして再評価する必要性を感じている).

 今この国を覆う問題の全てはこのマズローの五段階欲求説の正しいところと間違えているところ,その2つがⅮⅮ(どぅどぅ)、どっちもどっちとして浮上するから起きていると感じるからだ.

 では,このマズローの五段階欲求説とはナンだろうか?

 こんなことは高校生の保健体育や倫理で学ぶような内容で大学の心理学科ならば,当たり前の基礎として勉強する心理学の基礎として考えてもらったらいい.

 マズローは人間の五段階欲求説を唱えて、人間は生存欲求説に下部構造として支配されている動物であるけども,社会から承認されることで最後の高次欲求,自己実現の欲望を満たすのだと唱えるのだ.

 ここで大切なことは下部構造,偏差値0~50として生存欲求だったり衣食住の欲求を満たさなければ,当たり前だが人間は死んでしまう。どこぞの新興宗教二世が疑似科学だとお気持ちを描いていたけども、マズローの指摘する話はごく当たり前の話なのだ.なぜならば,生存欲求を満たさないと,人間は死ぬからだ.

 まず生存の欲求を確保すること.

 その上で4つ目あたりに社会から承認されているという精神的な欲求をクリアし,最後に高次元の「自己実現」の欲求をクリアして人は救済されるのだというのがマズローの提唱する五段階欲求説だ.

 しかし,マズローの指摘は正しいかもしれないけども,問題なのは,今の現代社会にマズローの五段階欲求説が完全に当てはまらなくなっていることは事実なのだ.

 だから,ここでⅮⅮ,どっちもどっちなことが、矛盾が同時に起きている.

 確かにマズローの五段階欲求説は人間の欲求の流れとしてごく当たり前にオーソドックスに正しいことを指摘しているけども,この現代社会,戦後を生きる我々先進国の日本人たちはマズローから言わせてもらえばほとんどが全員「幸福」と言えるのだ.

(政治に怒り狂う人々もそして障害者手帳でお金をもらってだらだらしている人たちもマズローから言わせてもらえば,下部構造を担保されている時点で.「幸福」で「甘えている」という結論になるかもしれないのだ).

 なぜならば,最後の自己実現や社会承認は高次の欲求であって,当たり前だけど,その前の衣食住の欲求や生存欲求を満たさないと人は死ぬからだ.

 ようするに,マズローの当たり前の心理学の基礎を通すと,SNSで呪詛のように怒り狂うあるいはバズりたい昨今の若者たちは「幸福」すぎて甘えているという結論になる.

 確かにそれはそうなるのだけど,問題はマズローの五段階欲求説は確かに理にかなっていて戦後を生きるボクたちは甘えて幸福だけども、と同時にここまで長期高齢化社会で豊かさを享受したボクたちはマズローの頃は天才や一部のエリートだけに許されていた社会承認や自己実現欲求の欲求をほとんどの若者たちは満たさないと暇を持て余すし,政治の古びたフレームもどうやらこの「社会承認」や「自己実現」などといった抽象的で分かりづらい欲望を満たすように社会からスライドしたということなのだ.

 マズローの指摘は正しいがゆえに予言は当たっていただけにその問題は更新されてマズローが想定していなかったような「幸福」な「生き地獄」が戦後のボクたち日本人たちには寄り添っている。それがボクたちが社会を愛しながら社会を憎むようになってしまった(社会から承認されるから陰キャになる)このⅮⅮ,どっちもどっちな社会の新しい流れなのだ.

 ようするに,マズローの五段階欲求説によってほとんど初めて社会承認だったり自己実現という言葉が発明されたけども,その一方でマズローが想定もしなかった社会承認や自己実現,この2つの需要というものが今の一般大衆たちにも降りかかったマズロー以降の幸福な国の絶望な若者たちの時代をボクたちは生きているのだ.

 作家・古市憲寿の絶望の国の幸福な若者たちはどこぞの陽キャなYouTuberと同じく,嘘で本人たちは必死に努力して自分だけが自己実現しようと奔走している.その身勝手なお気持ち含めて文学として面白いのは困ったものです.ただ住所を間接的に何度も他人とのリプライで晒したりは甘えと加害で病んでいる陽キャすぎる陰キャの証であり,なぜ極めて陽キャな古市憲寿が陽キャに憧れるスネ夫くん,陰キャな証拠であり,その屈託が古市憲寿ブーム,お気持ちが共感されたことに我々は感動すべきでしょう。もっともこの話は長くなるので,今回は割愛しますm(_ _)m。

1,ポスト心理学を巡って

 ところで,本題のマズローは時代が時代だから仕方ないのだが,社会承認や自己実現という概念がこれから重要なんだと口火を切ってこの世界を後にしてしまった(1970年代あたりに死亡,もしマズローがSNSに触れたら.どう言うか、気になる).

 問題なのは.ここで言われている社会承認や自己実現が大切であることは分かったけども,じゃあ一体どうやって社会承認だったり自己実現をマクロに各人が簡単に行えるか?という新しい回答にマズローは当然のことながら答えていない.

 マズローの功績はこれらの社会承認や自己実現といったもはやSNSでは当たり前のようになってしまった概念を提唱したところに彼の功績があると言えるだろう.

 こっから先は私の持論を振り回す仮説や推論になるので,ご容赦お願いしたい.

 ようするに,マズローの実践論,現在論を生活のために行いたい。

2,SNSの地獄は優しさが望んだ地獄

 優しさが溢れている.

 SNSで呪詛のように怒り狂う人々は作家(暇)だから怒っている.

 ここに統計や確率,経済学は意に返さない。なぜならば,SNSはソーシャル・ネットワーキング・サービス,お気持ちだからだ.

 ようするに,マズローの言う五段階欲求における下部構造的な衣食住以内を満たしてしまっているがゆえに物理的に幸福がゆえに精神的に不幸な状況になっているのだ.

 だから,石丸市長が小池百合子に負けて落選などどいった物語は,政治というジャンルで社会承認を得たい,あるいは自己実現したい人々のお祭りであって,そこで起きていることは小池百合子が社会を悪くしているだけでもないし,石丸市長が英雄だけだからというわけではない.

 ⅮD,どっちもどっち,「社会承認」と「自己実現」のゲームに各人が熱中した証拠と言えるのだ.

 ようするに精神的に悩んだりバズりたい,あるいは日本を良くしたいと思うような若者たちや老人たちがお互いに狭いパイを奪って社会承認や自己実現を奪い合っている現状そのものが,解決するべき問題が実のところないかもしれない(解決するべき問題がないことが問題で、問題解決の物語、雇用を生まない).戦後の日本がもうすでに平和な、あるいは暇がゆえに(→幸福),みんなが社会承認だったり自己実現に奔走する精神的な生き地獄にボクたちは生かされてしまっているのである(→不幸).

 退屈だから地獄というこの結論はなんら矛盾する話ではない.

 ボクたち人間は物事を一元的に見てしまうことがある.

 しかし,当たり前だが,善悪はその人のレンズで見た主観にすぎない.

 今起きている問題はこの「戦後」という豊かな時代がマズローの五段階欲求で当てはまる部分もあるし当てはまるがゆえにもはや超越してしまった部分もあるんだよということなのである.

 ようするに,ボクたちは物理的に幸福がゆえに精神的に不幸なのだ.

3,社会は存在しない

 こういうと,暇な人々は怒ってしまうかもしれないのだけど,社会は存在しないし,自己実現も存在しない.

 もっともこれはある意味でステレオな説教かもしれなくて、SNSにいる幼稚なオジサンたちには届かないかもしれない.

 社会に帰属してないと不安とか感じる必要がないんだよって言っても弱者男性や若い女性はやっぱりInstagramや煌びやかなインフルエンサーに憧れてしまう.

 有名になりたい,有名になりたい,バズりたい,バズりたい.

 もはや社会を良くする必要などなく,それは大名義分で構わない.

 それが,この無目的的な生き地獄の正体である.

 もっともアメリカを見本にした日本の限界をそう冷笑もできない.

4,大企業は「いいね」を「かね」にするために大衆たちをコントロールしている

 経済活動はあくまで儲けることが優先されるわけで企業ほどこの有名になりたい、有名になりたい,バズりたい,バズりたい,もはや社会を良くする必要などなく,それは大名義分で構わないのだという当たり前の大衆たちのお気持ち,すなわち「いいね」を「かね」にしようと奔走している.

 そうなると,どれだけ沢山の「いいね」を安く広く人々に分配するのか?という実のところ企業営利の徹底の結果,極めて民主的な結論性を帯びてくる.

 それが,「メタバース」 ,SNS上にできたSNSで持続した仮想コミュニティのことである.

 もはやボクたちは既に分断しまくりそれぞれのローカルな村で自分たちに都合がいいレコメンドを集めたほうが社会承認だったり自己実現欲求を満たすことが可能になる(個性経済学。拙著『本は破れ!』を参考に.お気持ちは主観だから分断が適切だろう).

 そのような状況で脳が麻痺した人々にいちいち本当のことを言ってはいけない.

 なぜならば,Amebaよろしくそれはコンプライアンスということで「いいね」に奔走する幸福な夢追い人たちに地獄(=真実)を教える必要はないからだ.

 手もない足もない人にキミは手もないし足もないのだから、地面を歩く楽しさを知らないんだねといちいち言う人がいたら、それは最低=コンプライアンス違反だろう.

 国際政治的にもいや国家を超えた大企業の営利的な民主主義はこのコンプライアンスという思想を発明した.

 余計なことは言わない.

 ちゃんとエチケットは守る.

 みんなでちゃんと決める.

 このコンプライアンスは法律という極めて下部構造な物理的な人間の制限の上によりかかる上部構造の精神的な法という新たな法の始まりなのだ.

 googleよろしく様々な企業の職業倫理、キャラはコンプライアンス,10カ条などとして、法律(大学)で庇えない精神法を行っている.

5,ジョージ・オーエル『1984年』の続き

 当然のことながら,この大企業の作ったコンプライアンスという思想はあくまでも厳密には建前,嘘であって,セレブたちはセレブたちでメタバースには住まずに、いや厳密にはメタバースにぶち込んだ幸福な弱者たちに自分たちのセレブな生活を見せて憧れたり尊敬するように刷り込むようにさせている(これが経済原理の本音だ).

「ビックブラザー,ビックブラザー,ビックブラザー」

 ディストピア小説の大著『1984』年はもはや現代のディストピア作家ウェルベックに乗り越えられているような古びた作品だろう.

 しかし,ここでそのような基礎がマズローの五段階欲求説と同じでミイラのようにⅮⅮ,どっちもどっちとして半分正しくて半分間違えているのだ.

 オーウェルは小説を通して,国民国家の為政者たちがビックブラザーという見えない為政者に国民たちが支配されている様子を描いたのだけど,しかし,現実は大企業とコンプライアンスが,つまり,国民たち自らが国民たちを縛るような地獄を作ったからだ.

 コンプライアンスは当たり前だけど企業間の責任倫理から発明された戦後における超法規的な大企業というイノベーションが生んだ新しい思想だ,超法規概念だ.

 このコンプライアンスと実のところマズローの五段階欲求説は共犯関係である.

 なぜならば,オーウェルと同じミスをマズローは犯していた.

 マズローは望んでいた.

 国民国家などという野蛮なものから解放されて,人々が自主的に極めて民主的に経営をして個性を獲得する幸福な企業による独立を.

 マズローの五段階欲求説は意外なことに(当たり前だが)心理学の枠を超えてスピリチュアルとしても受けいられて,アメリカの様々な起業の経営学だったり学校の教育学として導入された.

そして,ポジティブ心理学としてセリグマンに影響を与えて、やっぱり自己啓発ブームという天国に貢献したのだ.

 ここでも再三言う通り,私は別段マズローを手放しに肯定してはいない.

 なぜならば,マズローがどうしてそこまで社会承認や自己実現といった当時としては比較的新しかった悩みに挑戦したかと言えば,それはやっぱり心理学史における政治闘争,いや必要だった挑戦だったからである.

 フロイト.

 第二次世界大戦を引きずった心理学の天才,フロイトの登場である.

6,フロイト,もういいよ

 アナタのような精神異常者はお父さんに好意を抱いているんだね.

 このような精神科医フロイトのいわゆる精神分析が流行った20世紀は病んでいたのか,第二次世界大戦を引き起こしてしまった.

 精神異常者ばかり扱って,それでいて,戦争の時代をひきずっている極めて「陰キャ」な精神分析に不満を抱いていた「陽キャ」なマズローはフロイトを仮想的にして五段階欲求説を作り、それが現在主流の一つであるポジティブ心理学と呼ばれるより高度な自己啓発の始祖として動いている(もっともフロイトを陰キャとして処理したマズローそのものが陰キャすぎることは留保すべきだ).

 勘違いしないでもらいたいのが,マズローはもともと行動主義の心理学者からキャリアをスタートしていて,このような極めて思想的で曖昧な活動には懐疑的だった「理系」だったことは留保するべきだ.

 だけど,あまりにネガティブでそれでいて精神異常者ばかり扱うフロイトの思想的な心理学にしびれを切らしたマズローはフロイトを仮想敵に五段階欲求説などを唱えてこれがあたり、様々な企業や学校に経営学や教育学として導入されたという(フロイトが国家的な政治的な心理学としたらマズローのそれは個人的な心理学だろう).

 これが先ほどの大企業の思想?超法規法倫理の1つであるエチケット、企業倫理、「コンプライアンス」という法律を超えた精神法を作り出したのだ.

 これが現代の幸福な1984年,ジョージ・オーウェルが望んだ極めて民主的な幸福な社会の新しいユートピア小説である.

 現代は戦争をやらかした大学や国家,法律を超えた新自由主義のユートピアなのだ.

7,コンプライアンスは優しさの視座

 言っておくが,コンプライアンスはジョージ・オーウェルが描くディストピアとは違って,極めてユートピアな優しさに溢れている. 

 なぜならば,大企業に受かる人間たちは極めて民主主義的に学歴や精神正常性、社会貢献度、TOEICの点数などといった「陽キャ」な健全性によって社会を作るときに役に立つ綺麗なユートピアだからだ(学歴もTOEICも陽キャである).

 ここには,フロイトが想定した精神異常者たちは存在しないし,戦争のセの字も見えない.

 戦後に流行ったコンプライアンスがマズローの欲望とつながっていることは想像に難くない.

 どうして戦争が起きたのだろう.

 簡単だ.

 精神異常者たちをフロイトともども忘却するような社会設計をすれば「陽キャ」だけの社会ができて、「陰キャを存在から抹殺すること」で社会は陽キャになるからだ.

 これがマズローの5段階欲求を応用した歴史修正主義、「社会承認」を使ってフロイトを忘却する心理学村の国際政治だ.

8,ボクを見てよ

 コンプライアンスの思想はテロリズムという思想とコインの裏表のようにぶつかっている.

 現実はやっぱりそう精神的な従属だけでなんとかならないのだから、テロリスト山上徹也の攻勢だったり暴露系YouTuberガーシーが暴れた.

 しかし,ここでも結局のところ,山上もガーシーもメディアで注目されたいがために、あるいはメディアが取り上げるであろう人々をターゲットにしている時点でこれは極めて「陰キャ」なプロ弱者として、その実「陽キャ」すぎるマズローの描いたこの世界のディストピアと共犯関係なのである.

 炎上商法は社会承認や自己実現,マズローの限界の所作なのだ。

9,陰キャの復讐(インセル・リベンジ)

 オーストリアやイギリスに関係したジョージ・オーウェルはこのようなアメリカの病んでいる形をキッチリと予言することはできなかった.

 お座敷の数だったりが重要で,政治家が世界を支配したい理由は自分が陽キャとしてまるで異世界転生したレベル99の陽キャとして振る舞うことが社会承認によってヘゲモニーを握った後の最後の欲望、Fateで言うところの聖杯、「自己実現」だからだ.

 11月コミティア発売の拙著『死にたくなったら読む本』で描いたが、人は自分のことをこの世界の主人公(=陽キャ)として自分を思い込んでいる。しかし、この世界はアナタを別段主人公だとは思ってはいないのだというハイデッガーのようなこと(ダスマン、現存在)を描いた.

 そう,アナタは自分を主人公だと思っているけども,この世界はアナタが主人公として生きやすいようには設計されていないのだ. 

 だとしたら,死にたくなったら読む本で描いたけど、物語の研究、ようするに自己実現するためにはどうしたらいいのだろう?とまず自分の分析が重要で,そして,そのアナタだけの物語が極めて面白いストーリーとしてウケるにはどうしたらいいか?(バズる!)、世界の分析が重要になってくる.ようするに自己実現の手前にある第4欲求である「社会承認」を満たさないといけないのだ(というよりも社会承認の分析もまた必要になるのだ).

 安易に段階を踏まずに衣食住の第3欲求の欲望までも国家や企業による新思想『コンプライアンス』という陽キャな優しさによって下部構造を支えられた新しい時代には、甘えが跋扈し、適切な努力をせずに試験管の中のブロイラー、家畜のように、動物農場のようにボクたちは救われるべき幸福な障●者(陰キャ)として用意されてしまっている.

 多数の弱者たちは必要だ.

 なぜならば,陰キャがたくさんいることによって、自らの能動性、自分が「陽キャ」であると「自己実現」ができるのだから.これが「社会承認」のシステムだ.

 当然のことながら,マズローはフロイトに怒るような人だから,このようなSNSの自家中毒したスクールカースト的な構造まではそこまで見抜けていなかった.

極めて大きな陽キャな社会がその実、陰キャを勝手に作り出す、左も真っ青な総括のロジックを作って、少数が自己実現をするがためにその下にある社会欲求の犠牲者たちを用意するというのが、この新たな時代の極めて民主主義的な支配者の仕組みだ.

 当然のことながら,スクールカーストは「陽キャ」でも「メタバース」でも解決しない.

 当たり前のことだけど,これらのマズローの極めて楽観的な態度が偽善がこのスクールカーストを間接的に紡ぎ出して,今のアメリカのよくあるスクールカースト的な構造を作っているのだから.

 これで分かったと思うが,私はマズローを手放しに好意的に見ているのではなくて,SNSで流行る自己実現の源流を探ると,このマズローに到達することが分かったからである.

 ラカンがテレビジョンという確かフランスのテレビ番組の実況放送で(当たり前だが、ラカンも普通の人間であって,テレビを見たことがある普通の頭が良いだけの人間である),テレビは病んでいるとしてテレビの精神分析を行ったことがある.

 これは「陰キャの復讐」であって、極めて陰湿でどうしようもないフロイトの精神分析を生きた形で後継したラカンはテレビがいかに病んでいて嘘であるかを大衆に分かりやすい形で皮肉ったのだ.

 勘違いしないでもらいたいが,私は陰キャの味方でもなければ、陽キャの味方でもない.

 陽キャや陰キャはあくまでもこの世界の物資や可処分時間が限られている以上,どうしても生まれてしまう問題で,そうラカンやマズローのように自らの陰キャか陽キャかのテリトリー争いによって心理学村でイキり散らすほど出世欲はないからだ(当然,心理学の人間でもないのだから,関係ない).

 だけど,私たちが思う以上にこの心理学の歴史は現代のこのSNSで跋扈する「自己実現」や「社会欲求」,そして「いいね」と非常に関係が深いと思っていた.

 どこまでいっても幸福すぎるⅩ,俗に言う「お気持ち」,旧Twitterは(小鳥の戯言)は、「たくさんのバカデカい愛」たちで溢れている.

 人は物語で考える動物であるから(お気持ち)、誰か敵がいると即断してしまう.

 しかしながら,私の知人である文学ツイッタラーバカデカい愛という賢い才女がいるが、彼女は日夜質問箱で私だったら不愉快になるである極めて陰キャたちの失礼な質問に当たってケアをしている(もちろん彼女自身の自己実現や社会承認があるかもしれないし,性分業制の問題はあるでしょう).

 世の中の人全てが悪い人というわけではない.

 私個人のイデオロギーはおいていて,腐れ縁であるネオ幕府の相川さんは社会を良くしようと借金をしたりして東京都知事選に立候補してお祭りをした.

 もちろん相川さんは自己実現や社会承認があって世直しを行ったと思うが,人間として多少の打算は当たり前だし、それがむしろ「いいね」、社会のたくさんの「陰キャ」たちを集めて良くする行為になっているのだとしたら、きっと1970年あたりに死んだマズローは手放しでバカデカい愛や相川さんを称賛し、日本には「社会承認」や「自己実現」,バカデカい愛が,ネオな幕府が生れたんだと大喜びして来日して「成長した日本人」をきっと観光しマズロー本人もこうして「社会承認」されて「自己実現」されたことがちょっと悲しいことだけど亡くなった後に承認されて実現した形なのだ。

 むしろ現代社会は幸福の供給過多であり、「陽キャ」の供給過多であって、問題は容易しないといけないたくさんの「陰キャ」たち、「社会承認」側として少数の「自己実現」者に踏み台にされる人々の不都合なミスマッチだ(この地獄は努力によって善意によって舗装された)。

 これが暇空茜だったりアンチフェミニズム、闇チー牛、弱者男性、テロリズム、ぼっち、学歴厨などといったたくさんのコンプライアンスによって存在だけを認められた「陰キャ」(弱者)を生んでいるのだ。

 もっとも、ここで何度も言うが、私怨はともかく陽キャ側の相川さんやその他大勢の陽キャたちが陰キャをただ無意味に虐めているのだと言いたいわけではない。

 相川さんたちがやらかしちゃっている、構造的な悪意と主観的な善意は両立する

誰しも陽キャ側になりたいのは本意だろうし、問題なのは、新しい思想を作ること、あるいは、今ナニが起きているか、このように情報デザインし、精査することが重要だと思うからだ。

 私は確かに大勢の人間よりは賢い人間かもしれないが、別段新しい思想を作っているなどとイキるような「キャラ」ではない(陰キャと言われようと興味がないのだから、仕方ない。それが私だけの個性経済学、自己実現だ)。

 マズローの言っていることを現代に当てはめて整理しただけだよと陰キャとして発言したい「キャラ」だ。

 当然のことながら、マズローの指摘はあくまでもアメリカ心理学の曖昧なバイアスがあるわけで、現代風に言えば、陰キャでも幸福、ようするに、社会承認も感じずに、自己実現をせずに、「わるいね」を集めることに執着する陰キャは当然、アメリカ側から見た陰キャであり、フロイトやラカンと適正のある人間は別段、そっち側からしたら、別段アメリカ心理学に支配されたイデオロギストたちが「陰キャ」に見えることもあるからだ。

 ようするに、マズローの問題提示した「自己実現」や「社会承認」などといった品物は、アメリカ心理学のバイアスから自由になっていなく、そもそもそのような欲望を抱えること自体がアメリカ人の極めてスクールカースト的な病の所作の1つ(陽キャこそ陰キャ)なのだ。

 もっとも、問題をシンプルにしてみたい。

 幸福なⅩで「いいね」をにんじんにして人々を救済する若者たちは大半のアナタに「社会承認」の居場所は提供するけども、しかしながらアナタに「自己実現」をする自立させる「居場所の外」を当然のことながら提供してくれない。

 これがインフルエンサーの物語的な善意と構造的な悪意である

 親が子に不都合な真実を見せないように、神はバベルの塔を作り、人々に「言語」を作り、分断をさせて肌の色で違うセカイ観を作ることで、神と人間の階級を陽キャと陰キャの壁を作った。さながら進撃の巨人でいうオールマリアの壁のように。

 神は子を救済しない。

 カインとアベルの関係のように、兄と弟はどちらかが関係性を持って対峙してしまう時点で、そこにどちらが極めて優秀か?という問いを再設計させてしまう

 これが「資本主義」だ。

 もっとも今回は心理学に絞って話したわけで資本主義の攻略はすでに証明されていて、それは複雑系科学、AIでほとんど勝手に計算してくれる数学の類だ。

 もちろんここでしかし問題なのは、仮に資本主義を攻略する鍵が数学者やAI、私のような評論家から提示されたとしても、それは私が賢い「陽キャ」としてできすぎ君として上に立ってしまうのだから、たくさんののび太くんやジャイアン、しずかちゃんを助けたことにならない。

 これが、マズローの問いがいかに鋭いかという心理学からの私への挑戦状だ。

 ようするにここで問われているのは単純な問題解決ではなくて、ボクたちは暇つぶしとしての化粧、優れた陽キャとして、この「社会承認」地獄と「自己実現」天国、この2つのアメリカが用意したヒエラルキー、ディズニーランドからどのように逃走するか?という命題である。

 もっとも、マズローの問い自体が馬鹿馬鹿しいと一蹴することは可能だ。

 陽キャなんて幼稚だ。社会承認は甘えている。自己実現はしなくていい。

 私もそう思う。

 しかし、暇かつ大企業の作ったコンプライアンスというゲームが読み解けない大半の人々はさながらハイデッガーの言うダスマン、現存在としてこの不可思議な「社会承認」と「自己実現」の隘路で苦しむように設計されている。

 これがアメリカに敗戦後の日本が生んだSNSの作ったセカイである。

 どんなに自己実現や社会承認がバカバカしくても、アメリカがある限り、終わらない

 もっともそもそも「SNS自体が陰キャ」で、私の好きな漫画ぼっち・ざっろ・ろっく!ではSNSではバズっているのだけど、現実ではイケてない極めて陰キャなぼっちちゃんが主人公のバンド漫画がある。

 そもそもSNSはアメリカのカースト社会でイケてない人間たちの居場所として用意された「次のセカイである可能性」は否定できないだろう。

 アメリカに希望を見出せなくなったセカイは、Facebookからメタ社になり、METAVERSEを作り、小鳥の戯言だよwと嗤っていたTwitterはイーロン・マスクの手によってⅩという新たなフロンティア、脱アメリカの夢へと闘争している。

 これは俗に言う加速主義と言うヤツで、火星への移住計画を考える子供じみたイーロンはアメリカを超えるアメリカを作ろうと奔走している。

 だから、マズローというアメリカの影を引きずった心理学者の始祖を超えるのは、もはや大学の人間ではなくて、もはや企業のコンプライアンスやGoogleなどの職業倫理の10箇条あたりなどが、マズローを超えたこれからの新しい心理学だ(加速主義)。

 また、話は飛ぶがつながっていて、メリトクラシー(高知能主義批評)はそもそも小説の形で生まれた。

 イギリスの社会学者が小説の形としてメリトクラシーという小説を描き、大学による権威を批評することを行った。 

 しかし、ここで問題なのは、アメリカはもはや企業を優先し大学を否定したことであり、イギリスは良くも悪くも小説の形でしか大学を越えることはできなかった落差にある。

 これはもちろんDD、どっちもどっちであり、我々は「企業」を使ってどこまで「社会承認」や「自己実現」などといった新しい課題を解くか人々は「自己実現」しているのだ。

 最後にまたもぶっこみすぎかもしれないが、中国では国際法を無視してクローン人間を作って世界から集中的に非難を浴びた。

 確かに、コンプラアイアンス、企業倫理的にはそしてカント的には、いわゆる「西洋人的」にはこれは間違えたことかもしれないし、私も手放しで礼賛できないが、このような中国の西洋的規範に縛られず動いちゃうITベンチャー的なノリを加速主義の陰キャな思想家・ニックランドは「中華未来主義」と提唱し手放しで礼賛した。

 社会承認も自己実現も西洋人の発明であり、それはラカンの真似をするならば、キリスト教の原罪や恥に由来しているようにも思える。

 ハッキリ言うと、中国人からすると、そのような西洋人史観こそが「陰キャ」かもしれない。

 マズローの実質後継者であるセリグマンはポジティブ心理学を提唱しているが、そのようなポジティブ心理学を読まないことが一番ポジティブな心理学者かもしれません。

 終わりなき差異化のゲームはもっとも資本主義でこのように終わりのない「比較」を繰り返してしまう.これが市場だ.

 しかし,市場はあくまでも市場にすぎず、ボクたちは複雑系科学の数学に支配された上で、それが文系からは見えないから,自己実現や社会承認と見えてしまう.

 留保しないといけないのは,マズローは理系で行動主義の実験屋として満たされなくなって?文転したことは忘れてはいけません.

 身も蓋もないですが?マズローの言う自己実現や社会承認はパッケージ化されたアメリカ心理学の別称にすぎず、実態は行動主義の言い換えだったかもしれないことは最後になりますが,留保することになるでしょう.

 もっともその行動主義そのものに悩んで心理学そのものの始祖、ウィリアム・ジェイムズは医学部から文転して「心理学」という学問をハーバードで作ります(ジェイムズは後に哲学にも影響を与えて、日本の仏教哲学の始祖である西田幾多郎にも影響を与えて禅哲学が作られる.ちなみに西田は東大や第一高校の落ちこぼれでそれが京都へ逃げて,しかもアメリカ哲学から影響を受けて禅を思想と言ったのは,京都哲学がいかに西洋をただ輸入しているだけの証拠ですが,このことはあまりに不都合な真実だし,このことを話すには更に時間がかかるので触れません).

 このように右往左往悩んでいる状況が(ストーリー),人間にとって一番「自己実現」しているのかもしれません.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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