ZYX.〜 GOD DNA AMAZING〜

I am a GOD.

 今日は、世界中の抑圧された人々が一堂に会している。西欧世界に住む黒人たちは、自分たちも抑圧されていると感じている。自分たちは合衆国の抑圧されたマイノリティという狭い見方ではなく、今日、世界中で抑圧されている人間同士だ。共通の抑圧者に立ち向かい、行動を起こそうと叫んでいるのだ。

〜Malcolm X『Young People』〜

 

 今日は当たり前の話をしてゆきたいと思っている.

    当たり前.当たり前の話だ.

 何度でも繰り返そう.当たり前.当たり前.当たり前.当たり前.当たり前.当たり前.当たり前.

 この「当たり前」が難しくなっている.

 なぜ難しくなっているか?と言えば,ボクたちを邪魔する新しいヘゲモニー,良く言えば新しい教養がボクらを覆っているからだ.

    結論から述べるならば,諦めてもらいたい(フラクタル構造/べき乗/9 to 1の法則).

    なぜならばこの「当たり前」を攻略するには,「親ガチャ」に当たる必要があるからだ(関東/数的処理/男性.これら3つを備えた人間は難しく,怒りはないが医学部YouTuberは不徹底でYouTuberというGAFAMプラットフォームのメタバースに幽閉されたゾンビに他ならない).ようするに,複雑だが大体エリート的なDNAを持った人間しか「当たり前」の「社会人」になることはできない.

   申し訳ないが,この私は「当たり前」が分かり「社会人」でありながら,「不謹慎系YouTuber」と矛盾した状態で精神をHACKできている.私とはそれだけ気高く優秀なのだから仕方はない(ガチャを徹底することで国立の壁を超えたハイパー・メリトクラシーによる救済があるのになぜ逃げるのだ…?).

   なぜそんなことが可能か?と言えば,親ガチャの次に「勇気」を有しているからだ.AIが人間の知能指数を超えるGAFAM時代に適応するためには一度「かつての日本人(any way)で生まれたガチャを一度捨てる「体育会系」的「医学論」,「適切な優生思想」が必要になってくる.

 ようするに,作家・橘玲が指摘するように『読まなくていい本の読書案内』が必要なのだ.

   それがTV的な価値観で支配されず,洗脳されない「当たり前」の「社会人」の「新教養」という現像なのだ.

   Z.

   Zはニーチェ『善悪の彼岸』を連想される前に世紀末で何も無い真っ白で無キャな絶滅の世代なのだ.

   Z世代を語る際に彼らはまだ始まってはいない.

 そういう意味でZ世代のZはゾーン,INTERNETそのものの始まりだと定義できるだろう.

   このZ世代の空白性(無キャ)と橘玲『読まなくていい本の読書案内』は自己矛盾する(批評).なぜならば,彼らは空白であり世紀末でありマーケティング的な世代論で区別されるには既に殺菌されたドゥールズ・ガタリKids,新人類しかいないのだ.

   ようするにフランス現代思想で殺菌された新人類たちはGAFAM的教養を押し付ける橘玲の能天気さにいささか呆れている.

   なぜならば本は読まずともSNSを駆使すれば『読まなくていい本の読書案内』は簡単に入門することが可能だからだ.

   でも,問題は「当たり前」の「社会人」として「親ガチャ」に当たるにはどうすればいいか?である.

   その空白な絶望の心情をスケッチするYoutuber的なニヒリズムを次に考察しなければならない.

   要するに橘玲の問題はZ世代にとって抑圧に他ならない.

   言語でダーヴィンニズムを理解しても,結局のところそれも言語の詩に他ならないのだ.

 だから私たちは医学部YouTuberベテランちにならって青松輝として詩による抵抗を考えないとならない.

   言葉から自由になる必要さがあるからである.

   もっともそのベテランちこと青松輝もだめ!なのだ.

   なぜならば,

     詩はしにました.

   受験勉強で詩は使われます.悪戯ではありません.詩はtechnologyで代替されたと言いたいだけです.

   SFCに詩で入りました.

   すでに詩自体はtechnologyとして実装される通常の大学入試を超えたハイパー・メリトクラシー化しているからだ(artistが大学入試で試されている).

   その現象を端的に表す10年代最強の批評家とは古市憲寿である.

How long are you going to run away?

   高校時代の唯一の反抗が『サザエさん』を立ち読みすることだった本田由紀(2005)が、「だめ連」や若者支援NPO「ニュースタート」に対して危機感を覚えるのも同じ理由からだ。社会で疲れきった若者たちを慰撫するオアシスとしての役割が、結果的にその社会を延命させることに寄与してしまうのではないか、と。

   〜古市憲寿『希望難民ご一行』〜

 GAFAMとは特に若者にとって白を抑圧する赤いカラーのYouTuberのことに他ならない.彼らが情報社会の洪水に閉じ込められているのは本物の詩人,ハイパーメリトクラシーに負けたからだ.

   赤は共産主義であり無キャな白は赤に染られている.橘玲が想定するGAFAMは余りに自明で若者を縛るリゾームなのだ.

  だからこそ私たちは古市憲寿が指摘する共同体幻想を知覚する.

   むしろYouTuberというヘゲモニーは「界隈」として人々を従属し偽りの友愛で反抗の牙を抜きながら発狂の渦にさせるのだ.

   古市憲寿よろしくハイパーメリトクラシーことSFCの限界は資本主義的リアリズム頼りの貧者のVRに他ならない.

   僕達はTVを叩き割りトゥールマンショーから逃走しなければならない.

  でも,どうやって?

Breaking is Books!

 メタバース化する現実に意味論の不可知さを列挙し続け,極めて終わった理系も文系も超越せよ.

   〜古田更一『本は破れ!』〜

 科学と分業と近代が進みすぎた現代社会では音と美と本のような存在がむしろ人間にとってのテクネー,技術,technologyになる.

   むしろ増殖する科学を無視し(YouTuber批評),いや共生することで技術を前提にした「新しい文系」(ガチャ当たり)が登場する.

 web writer.

   この人を見よ.書を捨てよ.街に出よう.

 YouTuberに☓をつけて,unmoral なYouTuberへ加速せよ(適正者しかなることはできないが,当たり前として古田更一を拝むことは可能だろう).

   これが「当たり前」だった.これが「当たり前」だった(MalcomXと異なり加速主義的な言語を理解しないYouTuberはunmoral youtuberよりモラルに無自覚に欠けている弱者男性や老害,実は無視されている人々に他ならない.もっとも現在はunmoral youtuberを介せずともXというプラットフォームがスティーブ・ジョブズの後継者としてイーロン・マスクが代替している.designからpowerが要求されるようになったのだ).

   敵は人間に支配された機械である.

   機械は既に貴方の隣人である.

    これは新しい「社会人」だ.

   そして「親ガチャ」に関しては「当たり前」の「社会人」になってから悩むべきだったのだ.

   天才の私はそう思う(you are you,midd summerー).

  

  

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