ありふれたモブなんだって 認めてないなら
いっそ腐るまで叫んで 異端傾(いたんかぶ)けば?
Ado『レディメイド』
社会は理不尽とそれと同じぐらい穴場が沢山ある。
社会が理不尽まみれであるということは、それは逆に言えば、それと同等の穴場、宝石が広がって落ちているということだ。
新しいことが起きると、必ず法外な理不尽とそれと同じ意味を持つ穴場が起きるだろう。
ここでちょっと、昨日の妖怪先生とお喋りしてきたことへの自分の悲観的音声を引用しよう。
昨日のイベントは重要。ただちょっと昨日が面白かったからこそ、雲行きがちょっと怪しい。ちょっと良くも悪くも紫水さんという優秀なキュレーターがSNSARTに関してイデオロギーも違えば、まだ浅いところがあるので、そこらへんを彼がその周辺が理解していない点がある。それはネオ幕府がどれだけダメかという話。だから、初田龍胡をそこまでキャンセルしていいかっていう問題(適切な優生思想)は来年から起きるだろう。
ただ、これはウロボロス vol.4であって、悲観的に考えたシナリオの話をしているのみ。
引用終わり。
では、ここで法外的な新しいパラダイムである理不尽と穴場の検査をしてゆきたいと思う。
まず銀座の紫水さんはARTを生で見ていない情報処理が高いということだ。
これはバカデカい愛さんが週刊SPAにINTERVIEWを受けたという過去のARTの権威性によってビジネスをしてしまっている構造にハマっている最近の人々と同じである。
これはいつの時代も起きる話だ。
これは確かに意図しない穴場であるし、意図された理不尽でもある。
ここのシュリンク構造をシンギュラティ、AIが人間の知能指数を超えるというグローバル資本主義、加速主義は、突いてくるだろう。
だから、この穴場は同時に政治的な危険性を帯びた戦争性があるということである。
この銀座という場所と美術館などは国家の税金と建前によって作られた良くも悪くも行政機関である。
もちろんそれは悪くはないが、本質的な優生思想的なものが欠けている。
ここでテクニカルなことを言わせてもらえば、適切な優生思想とははじらいくんにインタビューを受けることで生まれたテキスト上における文脈上のART論である。
国家がいかにシステムとして腐っているかという話は、マルセン・デュシャンのレディメイドのテーマであったことは意外と知られていない。
現代ARTの巨匠デュシャンのレディメイド、便器をひっくり返しただけは、ほとんど美術館では展示されていないし、本人も断ったという。
ようするに、反藝術がデュシャンのテーマである。
SNS化によって全てが面白主義や相対主義になる戦後はこのデュシャンがロッカーであったことを改めて勉強する必要がある。
ここで令和の歌姫Adoが『レディメイド(模造品)』を歌ったことと親和性があるなどという発言はいささかアナロジーがいきすぎているだろうか?
レディメイドの琴線(きんせん)に
歪(ひず)みかけて
ノイズ混じり
後悔?後悔?
Ado『レディメイド』
で、話を戻すが、優生美術とは、シンギュラティを実装する際に、折衷案と自身の関心としては優生的な自分のDNA自体が展示だという意味でレンタル美術館と自分のことを呼んでいる。
だが!ここで妖怪先生からこれは話していいと思う範囲だが、古田更一はパワーがあると言われた。
ここでこのパワーというものをどう抑えるか?という問いが起きていると思う。
正直な話、ARTはパワーであるという新しい定義を新進気鋭の哲学者マルクス・ガブリエルも定義していた。
だから、もしかすると、ボクはもう本はやめるべきかもしれません。
本は破れ!をして、ZYXまでやってきたわけだけど、本質的に重要なことはAIが人間の知能指数を超える時代にAIをどれだけキャンセルできるか?の方が重要かもしれない。
だから、文字を書くのは、もうおしまい。
それはAIにやらせればいいし、SNSもやめた方がいいかもしれない。
YouTubeはやめて、リアルを充実させる。
その爆発力を加速させて、Ⅹへ投下。
これで、どうでしょうか?
妖怪先生。
本は破れ!