優生美術とは何か?~アウトサイダー・アートの往復について~(AIをキャンセルし続けよ)

カントの言っていることは直感的には分かる話。

ただ問題はカントを今読んでもしょうがないこと(©橘玲『読まなくていい本の読書案内』)。

ニールスベルクあたりの環境だったり時代だったりがあってこその、カントの判断力批判の意味があった。

今読んでも強度は落ちているのが、カントの判断力批判である。

ギリギリ頑張っている本にマルクス・ガブリエルのアートの力がある。

この本はAIやシンギュラティ、最新の哲学の知見から、アートを大胆に定義しまくり、言っていることがめちゃくちゃになっている最新のART定義本であり、カントの判断力批判をそのまま更新していると言っていいぐらい、スリリングなものである。

ただ私は現代ARTISTそのものなので、判断力批判でもアートの力も私を言語化してくださっているなという印象である。

判断力批判では、悟性というアプリオリな話が展開されて、これは直感的にドイツ語の勉強程度の理解でいい。

問題は、ガブリエルの定義するアートとは自律であるというドイツ語の隘路をぱさぱさしながら紡ぎ出す解像度の高さが重要である。

ガブリエルはアートの自律さを強調し、アートは超法規的なことが許された理系でも文系でも聖域のような超概念としてAIそのもののようなものだと称える(©古田更一編集『UROBOROS vol.1』)。

大事なことは、神、アートはARTISTそのもの足りえないという話である。

ARTISTが自らを余りに作品に落とし込むと、詩人になる(©古田更一『本は破れ!』)。

その詩人はボードレールなどのように自らを神としてしてしまうから、危ないし間違えている可能性があるのだとガブリエルは言う。

その理由は、ARTISTは100年前後しか生きれず、超越的な存在になるには、寿命があるから、人は神になれないかもしれないなどと彼は言う(©古市憲寿『希望難民ご一行』)。

見事だと言わざるおえない整理である。

また、ARTISTのよくないパターンに、ドナルド・トランプ、そして彼のテレビ番組ショーを取り上げている。

これもまたARTISTもアートも自律している、超概念だからであり、アートに善悪は通らないし、法律や社会規範で本質的に裁けないのが、アートの良し悪しである、だから、ARTは自律している個だとガブリエルは結論づける。

ガブリエルは、ARTISTを補論で、懐疑主義者だと結論づける。

定義をせずに、常に疑い続ける可能性があると結論づけて、フッサールやデカルト主義者とARTISTの親和性を言い放つ

詩人になると、詩人は自らの矮小さに限界がある。

もっとも作品は、アートは勝手に自律しているから、どんどんと勝手に成長するらしい(©小中千昭脚本『serial experience lain』)。

これが、ガブリエルが見つけたアートの定義であり、世の中で言われているアート・ワールドという美大や藝大でしか流通しないアートというものの定義を超えた最新のART論である。

もっともボクはカントもガブリエルもいささか限界はあると思うから、ここからは現代ARTISTとしてその先の話をしてゆきたいと思う。

 まず、現代アートをしっかり理解する上で大事なことは、現代アートの父と呼んでいいマルセン・ディシャンの探求である。

 ディシャンを読むと分かることは、彼は働きたくないということと、チェスばかりやっていたことと、文学的センスに優れていることである。

 ディシャンは図書館司書あたりを行っていて、ほとんど働くことに執着せずに、美術館もよく分からなく、ほとんど展示もされていなかったらしい。

 これらはディシャンの世界というINTERVIEWあたりの精読で分かる話だ(©小林俊昭執筆関わり『駿台 一橋大学の英語』毎年更新があり)。

 そして、彼はチェスに熱中してめちゃくちゃチェスの達人の一方でチェスはあくまでも手段にすぎず、途中でやめてしまったところも隘路、良くも悪くもくねくねしている(©カオスフォレスト遊 評論としてのオセロニア&カオスフォレスト路 なまけ者のためのソシャゲ学入門)。

 ここで分かることは、ディシャンの文学的な語り口の藝術性だ(©ディヴィド・マクラガン『アウトサイダー・アート 芸術のはじまる場所』)。

 この具体的な雰囲気みたいなものは、究極的に言ってしまえば、文学のコツであり、文学のコツは、優生的な血、ガチャに当たることで、ARTISTになれるのだ。

 これを私は「優生美術」と呼んでいる(早稲田大学文化構想は、ガチャあたりを文学的なアフォーダンスなプロ弱者的な立ち振る舞いで演じる場である。アドロイドよろしくAdoがプロ弱者を演じる背景が作家により解体される。アドロイドあたりの作者とAdoが付き合っている可能性がある。なぜならば、アドロイドの作者は永遠のあくる日でラブソングをAdoに歌わせたのだから)。

 もっともARTそのものは、優生美術ではない。

 大事なことは現代アートというものが文学的なものの一つの到達点として優生美術的な観点を帯びたんだということである

 こう理解すると、古代や壁画に描かれた絵がどうして美しいのか、そしてアウトサイダー・アートがどうして稚拙なのに美しいのか、ヘタウマ、そして、ユング的な夢の世界のナンセンスさがどうして素晴らしいのかの証明になるのだ。

 デッサンはあくまでも制度上における美大や藝大生を演技するための努力の証にすぎない(資格。 古田更一『ZYX』より)。

 こうして、美術の定義を取っ払うと、文学自体は優生的な市場制度と昔から親和性があったことが分かるようになるのだ。

 現代とは優生的なことが可視化された、シンギュラティがAIだけではなく、遺伝子工学の話をしているわけで、ポストモダン以降にシンギュラティが実装されるのも分かる話になるのだ。

では、次に文学というものは何か?をよく考えてみよう。

 文学とは、古田ハンマーだったり、不謹慎系YouTuber坂口章だったりテロリスト山上徹也などを指すかもしれない。

 これは危険な行為であり、特に暴露系YouTuberガーシーもそれに該当するかもしれない。

 問題は、文学はその時代の話であり、文学とは、その時代の生き字引であり、文学は超越なことを指すからだ

 ここからは小論文的な情報処理だったり英作文の知見から物事を整理する必要があるだろう。

 受験勉強の産業自体が実のところ、文学に支えられているからだ。

 極めて安全な文学、体系化されたアウトサイドとは、実は予備校文化である(芦川の基礎貫徹)。

 これはこうしてこれで、アウトサイダーとは何か?という話になる(芦川の予備校でのドストエフスキー研究)。

 ウィリアム・コリソンあたりがアウトサイダーというROCKな本を出して、これがアウトサイダーの始まり、ディシャンの前後あたりの最近までいた言論人である。

 コリソン曰く、アウトサイダーの定義は難しいらしいが、それは壱村健太ではない笑

 文学に憧れる人々は、壱村健太よろしく新興宗教二世だよとか弱者男性だよとか賞を取りたいよとかあえてくねくねしちゃう。

 だけど、そのくねくねは間違えている。

 なぜならば、アウトサイダーはしょせんは金融ビジネスにすぎないからだ

 となると、橘玲や山本一郎のように文学は見ないといけない。

 コリソンはあまりに文学的すぎるのだ(昔だから仕方ないけど)。

 文学はしょせん文学だという偏りを理解する必要がある。

 ここで大事なことは、アウトサイダー・アーティスト大西拓磨くんはしょせんは統一教会二世ARTISTあおいうによりは格下、あるいは同レベルであることである。

 ようするに、アートの文脈が強すぎると、アート・ワールドから自由になれない。

 話は戻るが、ガブリエルによって既にアートの定義は変わっている。

 厳密にはシンギュラティ時代のアートはスピってきて、ポストモダンをひきずるアートはアート・ワールドの言葉遊びになるのだ。

もっともあおいうにさんは夢を記録し続けたりして、流石だと言わぜるおえない。

彼女は実力によって藝大も合格したし、美術史の本に名が書かれて、統一教会二世すらも隘路だが、作品にしているのだ。

僕はどちらかと言うと、文学の人間だろう(文学寄り)。

文学という優生思想を極めて深く理解していると思う。

もっとも哲学よろしくこれからはAI、シンギュラティによって様々な人々がAIに淘汰されるズアラポラは必ず起きるだろう(©マルクスガブリエル『私は脳ではない』)。

 ユートピアでもディストピアでもなく、知能指数が車のように代替される時代がきている。

 その時代に人間がやることと言ったら、文学ぐらいしかなくなる。

 もっとも文学的に眺めることと、アウトサイドを見つめることと、一方で哲学的に物事を見ることはコインの裏表を話しているにすぎないが。

 ボクは小説を描こうと思っている。

 ただし、真剣なツイッターというおもしろくもない小説が面白くないのに、果たして必要か?というニヒリズムがある(武蔵野美術大学を退学すると儲かる話→©清涼院流水『不思議の国のグプタ』)。

 プラグマティズムに言えば、要望に応えたものをアウトプットするにすぎない(清涼院流水『コズミック・ゼロ 日本絶滅計画』)。

 まず英作文の本を9月の大阪文学フリマあたりに出そうと思っている(©清涼院流水『成功学キャラ教授 4000万円得する話』)。

 ただし、それはChatGPTで書いた英作文の話になるだから、反則的に英語の勉強は必要がないという皮肉になるだろう。

 そんな真実を今BtoB向けに勉強したり知識人たちとディスカッションしている

 喫茶店で貴方たちは何者ですか?と言われて、知識人たちですと答えた。

 

うまそう

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