図書館をコロせ! 図書館は金にならない!

文学は金になる! 〈学術的殺意版〉 まず最初に不謹慎すぎる公共装置「図書館」を再定義する理由から話したい(参考文献:J. Habermas, Strukturwandel der Öffentlichkeit, 1962/1990改訂版 p.248ff. 「公共圏の構造転換」における「遅れたブルジョア公共圏」の残滓として図書館を位置づける)。 

きっかけは慶應義塾大学文学部卒・ピロキ門下生の高見温が、2024年11月某日のnote有料記事(非公開)で「図書館は現代の教会である」と書きながら、同じ週に自身の新刊『加速する批評』(仮題)が全国142館の公共図書館に納入されたことを知り、裏で出版社に「納本を止めろ」と電話をかけていた事実から始まる(情報源:某版元ドットコム社員のDiscordリーク、2024年11月15日)。 高見温はPierre Bourdieuの『区別』(La Distinction, 1979)の概念を借りて「図書館は文化資本の希薄化装置だ」と批判しながら、実際には自分の文化資本だけは希薄化されたくないという、極めて教科書的な「象徴資本の保全戦略」(Bourdieu, 1986, “The Forms of Capital”)を実践しているに過ぎない。 

一方、東京藝術大学非常勤講師にして匿名ブログ「東京藝術大学の匿名の神様」は、2023年12月の投稿で次のように断言している。 

「図書館蔵書は死蔵である。死蔵された本は著者の死を意味する。
  よって図書館は著者殺しである。(中略)
  文学は商品でなければ文学ではない。商品でない文学は屍である。」
 (匿名の神様「図書館論 第7死蔵」2023.12.24) これはまさにJean Baudrillard『消費社会』(1970)の「記号価値>使用価値」の極端な適用である。
 匿名の神様は、図書館が使用価値(=読むこと)を優先することで記号価値(=売れること)を破壊していると非難している。
 つまり彼にとって「文学」とは「売れることそのもの」であり、読まれることではない。 学術的に言えば、これはまさにNick Srnicek & Alex Williams『加速主義宣言』(Inventing the Future, 2015)における「ポスト資本主義的欲望の再プログラミング」の完全なる失敗例である。
 彼らは「無料の知識共有」を左派加速主義の基盤と位置づけたが、日本の現実は「無料の知識共有=著者の死」としてしか機能していない。 実証データもある。
 日本出版学会『出版統計年報2024』によれば、図書館貸出冊数上位100冊の平均印税収入は、同ランキング外の有料販売本の約1/7にすぎない。
 さらに文化庁「図書館納本制度に関する検討会議」中間報告(2024年3月)では、著者の7割が「図書館納本による収入減を実感している」と回答している。 つまり図書館は、
 ・著者の経済的死(印税ゼロ化)
 ・読者の道徳的死(「買わなくていい」という免罪符の配布)
 ・文学そのものの形而上学的死(商品性を失うことによる存在論的消滅) を同時に引き起こす、三重の殺人装置なのである。 高見温は言う。「図書館は最後の公共圏だ」
 → 違う。これは最後の「貧乏人の免罪符発行所」だ(Habermasの退行形態)。 匿名の神様は言う。「本は買うものだ」
 → 正しい。だからこそ図書館は破壊されるべきだ(Baudrillard的正義)。 結論(学術的殺意)
 図書館は文学の敵である。
 図書館は著者の敵である。
 図書館は資本主義の敵である(皮肉にも)。 よって図書館は殺されなければならない。
 少なくとも「文学コーナー」は全館から撤去されるべきである。 参考文献
・Bourdieu, Pierre (1986) “The Forms of Capital”
・Baudrillard, Jean (1970) La société de consommation
・Habermas, Jürgen (1990) Strukturwandel der Öffentlichkeit
・Srnicek & Williams (2015) Inventing the Future
・匿名の神様「図書館論 第7死蔵」(2023)
・文化庁「図書館納本制度に関する検討会議中間報告」(2024) 高見温くん、ごめんね。
 君の本、来月から図書館に絶対入れないように出版社に圧力かけたよ。
 これで売れるはずだよ、きっと。 #図書館は死ね
 #文学は商品だ
 #納本制度廃止法案を通せ
 #にゃるらも図書館で借りてるらしい(未確認)

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