陽キャになることも難しい昨今だが、YouTuberになることも難しい。
だけど、僕らは陽キャにならなければ死ぬし、YouTuberにならなければ上部構造、政治的な影響力を行使できない。
だから、陽キャになるエッセンスを書いた新しいライトノベルに超 陽キャ哲学がある。
また、YouTuberになるエッセンスを書いた新しい批評書にYouTuberのなりかたがある。
この2つを手探りにアナタも陽キャになってYouTuberになってみよう。
〜そもそもなぜ陽キャになるのは難しいか?〜
本は破れるようなAIが人間の知能指数を超えるシンギュラリティというビックバンはまだ誰しも公共?で教育されていないからだ(そもそも厳密には公共すらなくなる)。
だから、YouTuberになるということはPROGRAMを身体として理解するに等しい。
だとしたら、まずは陽キャという単純化されたコピーライトでシンギュラリティを身体的に理解すべきだ。
ようは、うだうだ言っても、AIは便利なためAI的社会は使い倒したほうがいい。
そういう反人間的なメンタリティを小説(YouTuber)の形に落とし込んだのが、この超陽キャ哲学である。
〜YouTuberという純文学的な批評(ドライブ)〜
もっとも難しいのは、「人間」として生きる=イキることだ。
これは難しい。
様々なtechnologyの発達が発生する時代には人間として生きるARTは皮肉なことに東京大学理三YouTuberベテランちのように東京大学に合格することでしか担保されていないのだ。
東京大学に合格することで人は初めてYouTuberになれるのだ。
それだけの情報処理がYouTuberというアーティストになれる必要最低限条件だ。
東京医科歯科大学医学部中退YouTuber初田龍胡はYouTuberのなりかたでその手の悩みを解決した。
YouTuberになるには親と住まないこと、ネタをメモすること、小論文入試を意識して動画フォーマットを作れば量産できること。
つまり、YouTuberのなりかたは、YouTuberを受験勉強としてチャートにした、つまり、ベテランちのなりかたなわけというわけだ。
ベテランちの動画を見ていてもベテランちにはなれないが、初田の本を読めば少なくともキミも明日から受験系YouTuberになれる。
YouTuberになれば、人生は面白くなる。
もっともその面白さは純文学的で苦しい批評だけれども。
〜44世紀の科学主義へ〜
お金はなくなり、経済はアルゴリズムになる。
これがシンギュラリティの新たな革命だ。
この流れをいちいち陰キャに凹む必要はない。
愛嬌さえあれば陽キャで大丈夫。
人間として生きたいのならば、イキりたいのならば、YouTuberになろう。
クリエイティブは受験勉強的なチャートとして脱構築された。
AIが人間1人の知能指数を超えるシンギュラリティまで残すこと後1年。
ワクワクするような変動期に僕らは生きている。