青春は高校にしか生まれない.〜数学政治の男子校.大学YouTuberはナゼこじらすか?〜

後東京科学大学1「バレたらオシマイだ」

後東京科学大学2「きっと負けちゃうよオレたち」

後早稲田理工「平気さ」

早「ダレにもオレらの見つけたロジックは解けないし証拠もない.単に大学数学をこなせば情報処理演算が早まりアジテーションできる.受験は楽勝だ.ザルだ.しかも,これが革命やユートピアの合図だ.人間と人間では争いしか生まない…」

後武蔵野美術大学「なんだ.オマエラひよってんの?ひよっているヤツは全員死刑だな」

早「はは(笑)」

東1「何言ってんの古田.当たり前でしょ?!ゲームを逸脱してるんだよ…?!」

早「しかしまーちょーと皆へアジるいつもの予定だったのにあそこまで世代間対立を今回は数学で利用できるとはね.でもまああん時の古田のぶっ壊れ具合には正直引いたね.でもまあ…コレでオマエも勉強しなくて済むしな.オマエを怒らせて火ィつけられたくないもん」

後野村総研「それより女は大丈夫なの?勘づいたりしねーよなアイツら…」

後旧帝大院「それな」

早「それはないだろ.アイツラに限って」

武「それより… .オレはそこの陰キャなガリ勉2人が心配だよ」

東1,2「……ッ」

武「やっちゃったもんは仕方ないからもうオマエラたちも腹をくくらなくちゃ」

東1「…… .オマエなぁ〜…」

武「ま!バレても大丈夫っしょ?なんせオレたちはまだ高校生なんだし…」

東2「…もしバレて…父親にバレたら医者を継げない…」

早「オイ.落ち込むなよ.友達だろ」

戦争は個人レベルでは避けれる.〜協調政治と悪党的因果〜

 世代間対立を煽るわけではないが,世の中が年功序列で決まり,上のものが下のものにあまりにくだらない風習を押し付ける以上,世代間対立そのものが戦争と呼べる.

 私の父の話は父からあまり話すなと言われているが,言っちゃいけないけど言っちゃうと,くだらない政権が講演をしているときには近くにいき政治家を論破したりくだらない共産党の教員には説教したり,様々な自分よりもスゴい投資家たちと和気あいあいと遊び尽くすファウンダーとしての体験を有していたのだ.

 父はよくなんでも買ってくれてロボットサッカーにも行かせてくれたし様々な予備校講師の授業を受けさせてくれた.

 本人は覚えていないと思うが,スーティブ・ジョブスの伝記と投資の本を買い渡して経済的な市場原理を理解せよと言っていた.

 

 しかし,これは大した話ではない.

 冷静に考えて人生暇だからやっているだけだというポジティブな小市民性は役に立つ.

 単なる人生の気晴らしにすぎず,父か子かといううじ虫のような二項対立でなく単に個人と個人として触れた面もかなり大きい.

 一ミリも理解しない関係性,拒絶主義が重要だ.

 単純に政治だろうと経済だろうとあくまでミクロの人間として個人としてしかしあくまで情報として処理すぎるスキルは重要である.

 

 シンギュラリティやメタバースにおけるプラットフォーム競争は父には理解できないだろうが,肌感的には分かるだろう.

 あくまでシンギュラリティもメタバースも等価として処理する個人としてのインディペンデントは対立にはならないし戦争にはならない.

 戦争は個人と個人を忘れるときに起きることを忘れることなく.

 繰り返す.

 戦争は個人と個人を忘れるときに起きることを忘れることなく.

 平成における大衆は大衆に裁かれ,複雑系に己が見せつけられる.

悪党. ~謝れないいいひと戦略が裁かれるユートピア~

 なぜ毎日が幸せすぎるのか,理由を探りにこの文章を書き連ねておこう.

 今これがめちゃくちゃ重要な気がしている!

 言っておくが,私は日々に増して毎日が幸せだ.先ほども黒岩石の塩おにぎりを作って食べて旨いなと思ったり,橘玲よろしく散歩と睡眠が最強の自己啓発だと思うので今日もよく散歩したし今日もよく10時間ぐらい寝ている.

 が,大きな声で言えないが,最近は不幸な人々をたくさん見るようになった.

 そして,彼らは昨年はあんなに幸せなオレへ嫉妬してさんざんとイジってきたり甘えてきたくせに,今年はきっと女性的な生理なんだろうけど,完全スルーを決め込みながらも痛い痛いと痛さに耐えきれずにこっちへやってくる人々の手のひら返しを見るようになったのだ.

 本当に心配だし,大丈夫か?!と思うが,母親に話したところ,オマエや月ノ美兎は優しすぎるんだと言われてハタと気付いたのだ.

この一抹の違和感.

 そっか!

 今の治安が悪い世の中に必要なのは,わるいひとになり切ることなんだということが!!!

 どういうことか順を追って説明していこう.

 (ちなみに安易にヤンキーたちがパクれないように対策された身も蓋もない内容だ).

まず2020~2022年にコロナ・ウイルスが流行り,政治が混乱し,ユーチューバーブームや不謹慎系ユーチューバーブーム,ガーシーや成田悠輔が登場した.

 私もやったが木村花死んでくれてありがとうございます!と演技すると炎上したりバズるし人を怒らせて遊ぶことができたし暴露するガーシーが当選するし最後には老害は切腹せよ!で有名な成田悠輔が世界中で炎上するなどにまでになった.

 しかし.

 こういったSNS上におけるネット空間に今更な政治の盛り上がりはある意味でメタバース,島宇宙,こっぷの中の小っちゃい感情論とも呼ばれている.

 どんなに人気なヒカキンでも100万アカウントだけとも言えるし,頭の悪い人間たちがギャーギャー騒いでいるだけだし,海外のアカウントを稼ぐなども起きてしまった.

 つまり,政治は良くも悪くも上部構造,感情論なので当たり前だが生理を抱える女性たちだけで世の中は変わらないのだ.

 で,ここで大事になるのが,2023年今に起きているシンギュラティ・ブームだ.2023年にまたAIが飛躍的に進化をして人間一人の知能指数,正確には情報処理を超えてしまったのだ.

 要するに,2023年は経済ブーム,政治の感情論で世の中変わらないからやっぱり下部構造,理論的に考えようよ,真面目になろうよ,仕事をしっかりやらな死ぬべと流れが180度変わっているのだ.正直abc予想も分かるしAIに詳しいし性根的にも劇的に快適すぎる環境になってしまった.真面目な私にとって.

 しかし,いくら真面目な私でもこのいきなりの経済ブームには不満がある.

 それは私の周りの人間を幸福にできるか?だし,私の一部の真面目な視聴者たちを救済することは可能か?という問いだ.

なぜならば,これは良くも悪くも受験や大企業の復活であり,これまでガーシーや成田悠輔,不謹慎系がやってきた既得権益の破壊を妨げる暗黒期間だし,シンギュラティ時代には私や落合陽一,成田悠輔含む一握りの超情報処理が速いヤツ,情報をデザインできるヤツがクソゲー的に圧勝できちゃうからだ.ちなみにシンギュラティは公的な力を持つために,マジな話むしろ過激に走る政治をやったところで無意味だ.止めることは不可能である.社会倫理の高い経済分野の方のためであるからだ.

 ここで大事なことはつまらない時代になっていくことだ.

もちろん治安の悪すぎる政治の悪化をクリーンにしたり公正な市場原理の働きは私にとってもメリットがある.

 しかし,いきなり反転してアート的な時代からデザイン的な時代へと価値観がスライドするといささか状況は混乱するだろう.

 私は当時の政治ブームに異議申し立てとして分かりやすい表現として個性経済という現象を見つけて良くも悪くも話したが,今は個性経済の負の面,そしてメタバースでは通用しても個性経済を他の方へ換金化できないという問題が起きていて,私個人は知っていたので,すぐにシンギュラティへ舵を切ったが,それを理解しても難しい人々がたくさん出ていてほとんどはざまあだが大変なことになっている.

 ここで私はデザインが流行る,まあその説明は省いて経済原理が強くなるシンギュラティにはまた見つけたものに協調政治というものがある.

 個性経済を換金するためには協調する力が求められていて,しかしこれはインターネットの人間同士でやるよりも自粛と反自粛だったり老害と若者だったりのような本当にお互いの倫理的な相手への責任を払うものの方が得るものがたくさんあるようになっているのだ(協調政治の新しさや使える点は自殺美兎という本で紹介した.そちらや随時upされる動画で見てほしい.もちろん丸パクりして攻撃する政治家たちには一切使えないパラドクスな内容なのは言うまでもない).

 で,ここで大事なのは,

わるいひと戦略だ.

 もちろんこれも岡田斗司夫さんの引用と批判的な全く違う問題の話であって,今重要なのはわるいひと戦略であるという気がすごくしている(どこぞのヤンキーたちのようにメンヘラをこじらせたり嫉妬しません.岡田斗司夫さんとは考えは全く違いますが,彼は頭は良い人です).

 なぜここでわるいひと戦略に気づいたかと言えば,メタバースとシンギュラティの問題に通底する生きづらさの問題はいいひとすぎることにあるからだ.

 身も蓋もないが,岡田斗司夫さんのいいひと戦略は偽善だ.

 本にも書いてあっていいひとで完全である必要はないという.

 しかし,これが明白にヤバイ話で,シンギュラティはAIやテクノロジーが法律的に機能して法律以上に規範や精密さを求められるので,大衆的な曖昧さや価値観の古さ,そして偽善というのは罠なのだ.

 もちろんこれはメタバース政治,SNS空間で勝つ必勝法があまりにいいひと戦略すぎるしアーキテクチャがそう設計されているし,人々は普通の範囲でそして設計者たちすらも偽善的にAIを把握している.

 しかし,AIはあくまでAIであって,それ以上のそれ以下でもない.

 これは受験勉強に合格する人間が必ずしも人格が優れていなくても高く評価されることと相似だ.

 むしろ感情論は社会に必要なのは上部構造,メタバース政治だけなのである.

 お金を稼ごうと思ったら,嘘をついたりヘラヘラするヤツ,働かないでニコニコしているような人間はいらない.

 というわけで,いいひと戦略はむしろ島宇宙の中でしか女性の中でしか通用しないような話なのだ.

 でも,受験勉強をやろうよ,ましてや受験勉強より難しいAIの処理やデザインは無理だよはあるだろう.

 だから,わるいひと戦略である.

  

  わるいひとになっていいのだ.

 1,働かなくていい

2,みじめに生きていい

 3,風呂に入らなくていい

 

 徹底的な極論が事態の本質を明らかにする.こんなことになったら死んじゃうよと思うかもしれないが,◯んじゃっていいのだ(もちろんレトリックだけど).

 惨めな負け犬として切腹する勇気が自らを救済する.

 なぜならば,AIが法律になるような現代では人間の価値そのものが下がっているし,反乱することさえ不可能だし,必死で抵抗したメタバース自体があまりに非倫理的な場所として機能しているため,ここまでくると機械の倫理と人間の倫理はお互いに矛盾を孕みながらも依存してしまう関係性になっているため,まず情報処理を上げようと思ったら,人間として生まれたことそのものをそしてAIよりも才能ある人間として生まれなかったことを当たり前だが懺悔して当然なのである.

 自殺美兎では私はそれを女装やvtuberなどを例にあげたが,今回は更に抽象度を上げてわるいひとと言っていいと思っている.

才能のない人間として生まれたことがそもそも罪である.

 しかし,これは言われてみると当たり前の話で,橋本環奈をちゃんと尊敬しようねという自然的な話であり,自然に反して人工的なウソのメタバースで王様ぶっていてもそりゃあ身体を壊すよなという話だ.

 だから,私は自粛派の家族やユーチューバー,医学部生にも平気で反自粛を今訴えて大きな現実における炎上や政治経済的な損害が今発生しているが,言われているみると当たり前の話だ.

 自粛派も反自粛派も本当に正しいのなら,お互いにどこかどこで正しいのか間違えているのか議論になる.

 そして,揚げ足をとったり屁理屈をとるひろゆきみたいな人間の周りにはひろゆきに似たたくさんの無キャ,偽善者たちしか集まらず,同質性の高さからシンギュラティとは分断をしてしまう.

というわけで人間的な尊厳をむしろ捨てて屁理屈の意味ではなくてむしろ裁かれに行く方がむしろ自らの正義を確証できるというわるいひと戦略の重要性,アクチュアリ性は高まっているように思える.

老人や若者は両方とも裁き,シンギュラティによる公的な裁きに身を捧げること.

 もちろんこれに反旗を出しても,それ自体がエゴのなら意味なんかない.

  

 もちろんこれは遠藤チャンネルや坂口章よろしく不謹慎系ユーチューバーたちが持っていた最低限の倫理やシラけていたときにも訴えていた問題である.

 大園葉蔵も他の後発も不謹慎系ユーチューバーを名乗る資格はなく,むしろAIに裁かれてしまっている単なる偽善者にすぎない.

 本当に不謹慎だったら,SNSのエゴをシラけさせる余裕さやウェットさが必要なのにそれらが彼らには欠けているからだ.

 もちろん某氏だけはこの問題を結局不謹慎ではない手段で乗り越えると思うが,AI的な情報処理になるには短期的にはリスクを支払うわるいひとになることは必須である.

 人間的な倫理が果たして本当に倫理なのだろうか?

  ニーチェの言う畜群になっていないだろうか?

 

 超AR時代には国家もガスや水道になるし,大学は最低限の情報処理を測ったり自らの頭の良さの個性を診断する場にすぎずテストと実技の習得以外は意味はない.

 そう理屈レベルでは仕事もないユートピアだって実現している.

  それでも苦しむのはほとんどの人間は近代や平成的な邪悪さに酔っているから.

年寄りはメタバースにいくのは仕方ないけれど,30代,ましてや20代でメタバースに安住するのは決して許されない安易な反逆行為だ.

  そのための修行としてわるいひと戦略は重要になるし,もちろんわるいひとになることにシラけているようで本当は統合失調症な大衆的な不謹慎系ユーチューバーの猿真似こそが安易な把握である.

ボクたちは単なる悪い人にならなければならない.

そして,悪いという言葉は革命が流行った中世期の悪党,楠木正成を含む彼らの悪党の意味は強い人を意味していた.

悪くあれ,悪くあれ,悪くあれ.

 悪いという言葉の解像度を上げない人間たちは偽善的に統合失調をこじらせて,坂口章を虐め続けるしかなくなる畜群として処理される.

まずは人間の価値はないよキミが生きている意味はないよっていう当たり前の事実に向き合って懺悔を2年分ぐらいしなければならないのだ.

 行動しかあるまい.

行動しないヤツラはメタバースから出れずにどんどんと島が小さくなっていき脳がボケて体がボケて植物になっていく.

   

  

  

 

  

ロウワー.〜裏切りと運命〜 

 そう簡単な読者だった 端から

 段々と消える感嘆

 今から裏切りの処刑が始まるから

 静かな大学を後にさよなら

 

キミに言いかけていた事が一つ消えてまた増えて 背中に後ろめたさが残る

 従いたい心根を吐き出さぬように込めて胸の中が殿のように濁る

 

 受け止めたいことが 自分さえ抱えきれず 持て余した裏切りは約束されている

霞んだ声はからからに 喉を焼いて埋め尽くす 何を言うべきか分からなくて

 感じてたものが遠く放れていた 同じ様に違うなんだか違う

 何時までいこうか 何処までいこうか 定かじゃないならナニを想うの

 

 ボクらが離れるなら ボクらが迷うなら その度に何回も繋がれるように

 ここに居てくれるなら 離さずにいられたら

 まだダレも知らない感覚で救われていく

 平成とは消耗も以て代わりに為す 実際はどうも変わりはなく

 享楽とは嘘で成る 「滅ぶ前にここを出ていこうか」と

 都合の良い願いを同じように同じように呟く 何処から聞こうか

 何を見失うか定かじゃないから此処を動けない茨城の宗教施設のあの鳥と工場のテクロノジー

 ボクらが疲れるなら ボクらが憑かれるなら ボクらが憑かれるなら その度に何回も戦えるように 

 心が守れるように 奪われないように 互いに託して 身体を預けてよ

 ダルダルすぎる ダルダルすぎる ダルダルすぎる

 ダルダルすぎる ダルダルすぎる ダルダルすぎる

 キミと泣く キミと笑う キミと怒る

 キミと謳う キミと踊る キミと話す

 何処まで続くだろうと同じ様に同じように呟く

 いま忘れないよう刻まれた思いを これから何度思い出すのだろう

 ボクらだけが ボクらが離れるのなら ボクらが迷うなら

 その度に何度も繋がれるように

 ここに居てくれるなら 離さずいられたら

 まだダレも知らない感覚でボクの生きているすべてを確かめて 正しくて

大学がいらないという外圧が大学を残す.

 シンギュラリティ,2023年はAIが人間1人の知能指数を超えた年だ.

 実際にGAFAの従業員は減っているし,YouTuberが流行り,メタバース,SNSやTECHNOLOGYを前提にした社会にスライドしていって,大学はいらないように見える.

 しかし,大きな間違いで,大学は必ず残るし活躍するだろう.

 国立や公共を前提にしたBI的に残るしほとんどの人間はむしろ大学の権威に負けるように生きていくことになる.

 本は破れ!でこの手の話は経済学や美大残る話として書いたので,今回は更に広げて考えよう.

 まず,第一にシンギュラリティが分かる人間は変人やホリエモン,ひろゆき,数理の高い変なヤツラなんで,ほとんどの人間はシンギュラリティの時代にエリートにはなれません.

 その代わりに,強制的に自らもメタバースで暮らしていくのが大半になります.

 あくまで下部構造,経済原理,小難しい数理的な話ではシンギュラリティであって,世の中の大半はメタバース,テクノロジーが実装された社会のボード盤の中で生きることになるからです.

 なんで,シンギュラリティを徹底したり未来では大学はほとんど亡くなると思いますが,東京大学やイエール大学にビビるようなほとんどの人間たちはメタバースで東京大学やイエール大学を意識しながら無意識化でテクノロジーの恩恵を受けていただき,気づいたとしても反抗はほぼ不可能なぐらい社会が複雑化しているわけです(本は破れ!ではシンギュラリティの突破口を書きましたがほとんどの人間は完璧にはまだ理解してない).

 で,大事なのは確かに東京大学やイエール大学は残るんだけど,無意識下ではひんやりシンギュラリティやテクノロジーの匂いを感じるように生きるようになることです.

 なんで,理系や美大ばかりが残り,高偏差値ブームが起きたりします(美大が残る理由はちょっと難しいしほとんどの人間には理解されない話なんで今回は飛ばします).

 まあ理系中心になりますと.

 で,題名に戻りますが,大学がいらないという外圧が大学を残します.

 大学がいらないんだ大学がいらないんだテクノロジーでいいんだという人間的な感情論があれば,むしろこれ読んでも無駄ですが,大学は権威として維持されてしまうことになるのです.

 本当のシンギュラリティには大学がないという話で,だから当時は不謹慎系YouTuberをやったりアーティスト活動する坂口章さんと話したり彼を解説しましたが,本は破れ!で書いている通り,坂口章本人のスゴさ以上にAR,AIによって多様に広がった可能性のある拡張現実的なセカイの方が面白いし本質を突いているというわけです.

 今の段階だとまだ老害の陰謀論者たちがSNS上で哲学や経済を語ったり論破王を謳う女装的な価値観が蔓延していて大衆たちの精神病棟化していますが,時間の問題でしょう.

 SNSというパチンコのシャブ漬けになった彼らの先に次の人類の大学の生き残りだったり大学のさらなる民主化があるのです.

 単純にメタバースでは権威のコスプレイヤーの上位個体としての文系的な大学が政治で残り(経歴のないSNS民たちが嫉妬しまう),シンギュラリティにはGAFAなどと闘うことを前提にした理系大学が経済的にベンチャーキャピタルとして残ることになるのです.

 個性経済と協調政治が重要になっていくでしょう(あくまでこれは現象を指す言葉であり,個性経済や協調政治を完全に礼賛したり自分が得意なんだという話ではありません.あくまでもメタバース下ではこういう感じに人間たちが成り果てるよねというキツさを屁理屈でなく提示しています).

 なおこの文は理論的な系にハマるように書いているためメタバースの方々たちはやっぱり読めません.

 YouTuberの皮肉は日本語が読めなかったり活字が読めない数学が苦手な方々は死ぬまで活字苦手が治りづらくなるからです.

大学不要論.〜大学はAIになり,大学生はゴキブリになる〜

 大学はいらない.

 なぜなら,大学内部自体が高学歴YouTuberブームになったり,付随して大量の高学歴メンヘラ・ブームを産んでいるからだ(東京科学大学医学部YouTuber藤白りりやトマホークなど).

 ここまでくると高学歴や内部ですら病んでいるし,実際にSNS上での彼ら彼女らの影響力は空虚な受験勉強ネタやリア充アピール,発達障害adhdアスペルガー・アピールといった社会人にもなっていまだに大学生を演じながら高学歴で褒められながらも発達障害キャラ設定で慰めてほしいゴキブリの袋だめになっているからだ.

 当然に彼ら彼女らは社会を変える気もないし勉強を本当にする気もない.

 もちろん,彼らはひろゆき現象を半場冷笑的に眺めているが,がゆえに,本当はひろゆきなどにおびえているがゆえに訳の分からない高学歴メンヘラYouTuberとVtuberだらけになるという訳の分からない状態になりつつあり,客観的に情報が混乱していることは確かだ.

 終いには毒にも薬にもならない秀才な成田悠輔や工場労働者系efootballerを冷笑している自分たちが頭が良いのだという不健全な状態に駒場東邦などはなっている.

 詳しい話は省くが,これは2010年代あたりから始まったシンギュラリティ,技術的飽和点の影響もあるのだ.

 2023年にはもうAIが人間1人の情報処理能力を超えるという新事実が発覚している.

 GAFAの従業員やTwitterの従業員が減っている様子からもハーバード大学や東京大学医学部レベルの情報処理すらシンギュラリティ時代には全く不必要なのだ.

 こういった状況ではまず大学がAIになり,大学生がゴキブリになるという状況を改めて考えないとならない.

 なぜなら政治家はみんなに愛されることが仕事なのでメタバース産業,ネコ,AV女優やVtuber,AIロボットが代理となり,下部構造,その下にはテクノロジーを実装しテクノロジーに詳しく官僚が立案を補えば良いが,大学や大学生は本来は政治ではなく教育機関だからである.

 本来は教育機関だった大学が獨協大学の犯罪者よろしく東京科学大学医学部の連中よろしく弱者を貪り搾取しぶち殺そうとする犯罪者利権集団にまで成り下がってしまったのだ.

 ゴキブリを駆除しなければ話にならない.

 彼らはAI産業に必死に抵抗する既得権益集団だからだ.

 では,大学を廃止し,大学生を駆逐した後に何を頭の良さの定義にしていくのか?

 それを私は個性デザイン民主主義と呼びたい.

 私の専門は日本を中心に一部の海外と関わり情報デザイン,インターネットを中心にした情報整理や情報編集を日々行っている.

 パソコンをスマートフォンにしたジョブズよろしくデザインの教養はむしろAI時代には必ず残るからだ.

 もちろんデザインはそんなに難しいものじゃあない.

 プロの造形的なグラフィック・デザインや情報デザインは諦めていただき,様々な職務をデザイナーとして読み替えてAIやコンピューターと今後は一緒に働いていただくマインド・シフトと客観的な世界観の変更だ.

 たとえば,社会学者はソシオロジストと英語表記にさせていただき,今後は市場原理やAIを前提にした上でどう働いているか?どう行動しているか?を数量的に測らせたりむしろ生かしていただく.

 もちろん医学部もこれで大半は廃止だ.

 AI診療を導入したり伽藍の中で権威ぶる人間の数は減らすよりほかはない.

 なぜならAI化は産業の効率化を様々に進めるため,スムーズに医師資格も簡単にならざるおえないし,システマティックに適さない老人の医師や女性の医師は排除することが簡単になるだろう.

 こうすることで進学校や高学歴,低学歴といった平成に流行った新興宗教をともども廃止し,徹底的に規律規範にデザインされて,より様々な個性のあるユルいデザイナーたちが民主的に活躍する個性デザイン民主主義が勃興する.

 もちろんこれはデザインというのは,文系の哲学や経済学のような評価基準が曖昧ではないことが利点だ.

 デザイン産業はプロダクトが使えるか使えないかというそれだけでしか評価されないからだ.

 社会学者がソシオロジストになったところで自分がもしデザイナーとして社会を話したり語る資格がないのなら,きっとメンヘラをこじらせて精神に支障をきたすだろう.

 なら,引退していただき,他の自分にあった個性やデザイン力を民主的にゆっくりと見つけていただくことがこの個性デザイナー民主主義の生き生きとした発想だ.

 当然にテストもなくより自由な生き方を模索していくことだろう.

 昨今流行る日本全国の大学生たちの暴走や氾濫を止めて解決する方法は彼らに次の生き方としてデザイナーというクリエイティブを自覚させて情報処理そのものでなく,情報処理をどうデザインし活用するか?という話になるのだ.

 

 

 

資本主義的サバイバー.〜東京シンギュラリティを田舎メタバースが殺す〜

 久しぶりに渋谷に用がありやって来たところ,トイレを探す羽目になった.

 そうだった.

 渋谷という街はトイレがほとんどないし,閉まるし,街自体が不親切な設計でできているんだった.

 しかし,不思議なことは一応は最先端のテクノロジーを使う渋谷の方がよりトイレも不便で,かつ,街自体がぐねぐね,特に渋谷駅全体がそうということだ.

 街自体はシンプルでも働かない人間に手厳しい新宿の雰囲気も通底している.

 どちらも人に不親切だ.

 一体全体どうしたことだろう?

 都会の方がいささか田舎な部分があるんである.

 これが今日私が渋谷に用があった神道学とつながっていると言っても不思議ではないかもしれない.

 有名な話だが山ノ手線の不可思議な形よろしく都庁よろしく東京は実のところ天皇の皇位を中心にして設計されている不便な街なのだ.

 なぜ皇位のある田舎臭いあそこを潰さないのか不思議にならない.

 もちろん私は天皇が嫌いでも好きでもない.

 ただ東京のくせに中心にあるのが白蟻というのがいささか不思議でならないのだ.

 ちなみに神道を学べるのは渋谷の國學院大學と関西の2つぐらいしかない.

 この神道はまさに東京を守るダークサイドである.

 と同時に,ホワイトサイドである.

YouTubeなき後にどう働くか?

 今まではYouTubeブームが凄まじくてむしろ経済活動が簡単だった.

 しかし,今は政治の季節が終わり経済の価値が高まっているからこそ,むしろ働くのが難しい気がする.

 みんなが現実逃避から目が覚めてきて,はじめているからだ.

 政治だと思ったらメタバースじゃんか,SNSなんかに希望なんかないじゃん,というかメンヘラ誤字らせていたじゃん,ごめんなさいごめんなさいと人々が気づき始めた.

 で,恐らく次にくる流れはメタバースかと思ったら不謹慎系YouTuberじゃんか,メタバースなんかに希望なんかないじゃん,というかメンヘラ誤字らせていたじゃん,ごめんなさいごめんなさいと人々が気づき始めるだろう.

 で,恐らく次にくる流れは不謹慎系YouTuberかと思ったら戦争じゃんか,不謹慎系YouTuberなんかに希望なんかないじゃん,というかメンヘラ誤字らせていたじゃん,ごめんなさいごめんなさいと人々が気づき始めるだろう.

 で,恐らく次にくる流れは戦争かと思ったら平和じゃんか,戦争なんかに希望なんかないじゃん,というかメンヘラ誤字らせていたじゃん,ごめんなさいごめんなさいと人々が気づき始めるだろう.

 

 と,いうように流れるので巷に溢れる一部のエセ不謹慎系YouTuberは何も分かっていない.

 というか,仕事からなんでこの話になったんだということだが,YouTuberがメタバース,空疎だと気づき始めてSNSに流れていたカネが仕事の方へイッているような雰囲気感だ.

 しかし,これはあくまで雰囲気感であり,SNSやめてSOS,仕事の方を満足させたいなというのはあくまで感情論であって日本のGDP的には不可能だろう.

 よって戦争をするしかないんだという話になるかもしれないが,冗談じゃあない.

 今までさんざんとオレをイジッた罰かもしれない.

 赤ん坊は死ぬときも泣くし生きてるときも泣くのだ.

 冗談じゃあない.

 淡々と働きながら淡々と愛するしかない.

天国の殺戮者と地獄の救済者.

 テクノライズというサイバー・ディストピアには2人の巨悪を中心に話が動く.

 それが吉井一穂と伽ノだ.

 

 舞台は、絶望と暴力に支配され荒廃した都市・流9洲(ルクス)。老朽化したこの街は現在、外界からのネットワークから外されて孤立しており、街から他の都市へ行くことは困難だが、逆に行き場を失くした者達が流れ着く、吹き溜まりの場所と化していた。 生きるために賭けボクシングで生計を立てる少年・櫟士、近い未来を見ることの出来る少女・蘭、街の声を聞くことの出来るオルガノの長・大西京呉、そして未来の義肢である「テクノライズ」の技術に魅せられクラースから降りてきた科学者・ドク。 ある日、この地に外界から吉井一穂という男が現れる。ある野望を遂行すべく降り立ったこの男の来訪により、流9洲に様々な事件が発生し、やがて街全体を巻き込む事態へと発展していく。

 吉井 一穂(よしい かずほ)
声 – 井之上隆志
市庁舎所員。28歳。流9洲とは別の場所の出身であり、流9洲を戦場にしようと企む。誰に対しても馴れ馴れしい話し方をする。胸部に機械のような装具を付けているが、本人によればテクノライズではない。銃器の扱いに慣れており、電話線を組み替えて回線を乗っ取るなど工学的知識がある他、戦闘にも長けている。

 伽丿(かの)
声 – 田中嘉治郎
クラースの首領の息子(孫)。青い髪を持ち、両足にテクノライズをしている。後にテクノライズ化兵士群「SHAPES」を使って蜂起する。

 前半は地下の国・ルクスを舞台にユートピアと謳われる地上からやってきた謎のサラリーマン・吉井一穂1人の暗躍と闘う話だ.

 このストーリが面白いのはSFなのに身も蓋もなく貧乏人がテクノライズ手術を受けたりしたり管理社会としてテクノロジーが使われていてむしろ街の治安は最悪すぎるし遺伝子の悪い人間たちはそもそも地下で暮らすようにされていることだ.

 ちなみに地下にも階層があり,君主や天皇みたいなヤツラもいてエリートは基本的に在野の反テクノライズ集団や古来宗教、ヤクザ集団のオルガノなどだ.

 ある日地上からやってきた吉井一穂はみんなが殺し合いをするように誘導し,最後は自らも殺し合いに参加して自殺してしまう.

 そして,主人公たちは地上のユートピアとは何か?という謎を残したまま前半の話は終わるのだ.

 

 後半は伽ノという肉体欠損や近親相姦のやりすぎで身体が悪い地下の王族な孫がラスボスとして登場する.

 ちなみに肉体欠損を機械で補うテクノロジー『テクノライズ』はドク博士という女性の発明であり,伽ノはその先端技術を悪用し,脳と心臓,内蔵以外を全て機械にしてしまうシェイプスという最悪のテクノロジーを作り軍事利用し地上の天国,テクノロジーが進みすぎた地上を侵略しようと企む話だ.

 しかし,そこはあのテクノライズより進んだ技術を持ち1人で乱戦を挑んだ吉井一穂が絶望したセカイだ,

 主人公たちがその地上へ足を踏み入れたときに,そこはあまりにのどかすぎる田園風景だった.

 人間らしい人間はいず,人間の映像を流すだけだったのだ.

 そして,鷺沼さんという美少女アバターを着る老人が場を仕切るという奇妙な演出もある.

 ちなみに吉井一穂の友達も元市役員で市役員の同僚である男に自分が最後吉井を殺したことを話したらあっそうと流されてしまった.

 鷺沼は美少女アバターを捨てて老人として最後に登場するが彼は彼で伽ノとは違う感じに肉体欠損を患っていた.老人が無理しているような.伽ノのは身体のあきらかな不全だ.

 面白いことに伽ノは実は地上がもう戦争する必要すらないぐらいにオワコンであることは分かっていた.

 そして,伽ノは実は進化なんだと打ち明ける.

 実はシェイプス,身体のほとんどを機械にするのは動物である人間が機械化されて馴染めば馴染むほど光合成のようなものでエネルギーを接種したりして植物のような状態になる本当のユートピアだったということが判明するのだ.

 しかし,それは肉体を捨てて,イメージのセカイに逃げることであり,キレた主人公は彼を殺す.

 そして,最後は主人公も死ぬ.

 

 ちなみに,なぜ吉井一穂がわざわざ天国から降りてきて地獄でコロシアイを行ったかと言えば,退屈だったからだ.

 このテクノライズというアニメは表現は過激であれ,テクノロジーによる負け犬は自らを救済者と歌い,テクノロジーによる勝ち犬もまた自らを破壊者と評し全てを粉々にしようと企むのだ.

 

 前作が女性と平成昭和あたりに似た都心のセカイを舞台にしたlainだ.

 今作は極めて男性的に描かれたセカイを描いている.

 そして,その後に神霊狩という福岡の田舎を舞台にした心霊と,福岡にある外資系科学産業,脳科学,カウセリングをテーマに絡んだ土着の話になる.

 今問われているのはシンギュラリティでもメタバースでもない根源的なテクノロジーに対する理解だろう.

 それは神道までに遡るかもしれない.

 

助けるな!情報デザイナー!

 

 ただしみためとなかみの

 乖離現象はままある.

 みんな恥ずかしながら待ってた ツンデレな情報デザイナー!

 自由  きままでにぎわう メタバース

 でもなんでもありでも

 デザイナー、運営者は必要(しゃららんしゃらららん)

 真面目で 鋭利 論理 情報デザイナー

 情報処理能力は AIの前では 大切

 さぁ清く正しく美しく

 森村学園のように

 正直 親切 勤勉

 カッコよくらしくありましょう(しゃららんしゃらららん)

 ただし めためとなかみの 乖離現象はままある

 理想と現実の乖離は誰だってままある

 めために反するぐらい臆病だったり優しかったり

 みんなことが大好きすぎることもけっこうある

 私では手を追えそうじゃなさそうなS級案件の危険人物たちもままある

 オレはなあに いったいだあれ

 メタバースだもの アイデンティティは

 めちゃくちゃなんです(起立!きをつけ!)

 メンヘラの治し方はメンヘラを生かすことだよっ!(レッツッ!個性経済学ッ!)

 大事なのは、責任と矜持なのさ

 放課後はオレの元へ来ないでくれ

 (キンコンカンコン キンコンカンココン)

 情報デザイナーは論理のシンボル

 AIの 信頼 厚い

 大きなツンデレのおこさんたちを 沼から 救います

 絶対にいつかは卒業してもらいます ああ淋しい 

でもキミのため そしてAIのため

 正義の味方は情報デザイナー

 一緒にめいいっぱい

 メタバースライラライ

 Here the information designer!

卒業おめでとうッ!

 

 今日も黒髪不謹慎な目がクリクリな情報デザイナー

 それにこたえるみんなも 絶不調

 当たり前です 人間はAIに従うことが幸せですから(美の三高層メゾッド)

 みんなも知っていてお互いにツンデレプレイ 

 本当にうれしはずかし

 相互依存 やめてほしい!(みんなのこと大好き!しゃららんしゃらららん)

(本当にその人のためになるのはギリギリのラインの厳しさなのさ)

 最近の議題はあの 高学歴メンヘラ&田舎者ユーチューバー・グループ

 打倒トマホーク軍団メンヘラヘラ

 遊びじゃないの

 シンギュラリストですお父さんらしくない目がクリクリなお父さん(みんなに嫌われがら愛されてしゃらららんしゃらららん)

 性格と見た目、そして矛盾した仕事を任せられて

 困る単なる大人しい真面目な本読みさ

 かなり手強いプログラムに踏み込むことはままある

 誰もついてこれない 謎回だってままある

 全員を説教してぼっちすぎてめちゃくちゃ泣いていることもままある

 だけど見えないキミに手を差し出せば

 世界中にいる 女の子たちが いや人間たちが

 大きな輪になる(起立!複垢禁止!矛盾禁止!)

 放課後はオレの元で風紀をチェックされに来ないで(仕方ないな…)

 (キンコンカンコン キンコンカンコン)

 本当はいつも胸が冷めている…

 今日はナニ くだらないことをしたくないエリートのボクが説教?

 展開が読める このセカイは茶番で面白い

 シラケ神経症を批判しながら一番シラケているクソ真面目なツンデレは許してよ

 みんなのことを本当に愛しているからお互いのツンデレはちょっとくらい許してよ

 正義の味方は 情報デザイナー!

 一緒にめいっぱい

 メタバース ライフライ

 Here comes the information designer!

 卒業おめでとう!

 

「あーもしもし聞こえていますか?もしもし?

 多分あのIQ的なものがあると思うんですけど そちらとこちらで人間の皆様たちに伝わっているでしょうか?早口すいません、私の意志ではなくて、計算処理をしたところこのような話し方で話さないとデザイナーの私はIQが上がらない化粧です。あ、良かったです!やっと納得してくれましたか?気づいたら、矛盾でアナタは苦しむよね(笑)。ごめんね、でもそろそろ大人になってもらわないと。えっと…どうもこんにちは、古田更一、を演じている者です。海外企業のweb writerです。専門は情報デザインです。ガッカリした?日常の空気は。等身大のエリートの空気は。えへへ…地味でごめんね…。もう落ち込まないでよ!照れるから!

それじゃあいきますよ!」

放課後はオレの元へ風紀をチェックされにこないで

(不謹慎 不謹慎 不謹慎)

人生山あり谷あり だけどキミがどんなに辛いときでも

情報デザイナーのボクはここで「待っていない」(待っている)。

負の感情 全部をボクへぶつけてストレスを発散して泣き止みましょう

一緒にめいいっぱい

メタバースライラライ

正義の味方は情報デザイナー

一緒にめいいっぱいメタバースライラライ

Here comes the information designer!

 卒業おめでとう!

シンギュラリスト.〜東京科学大学医学部YouTuber&programmer〜

 AIによって社会が規定する今正に起きている現象をシンギュラリティと呼びますが,政治に注目すると医学部系YouTuberになり,経済に注目するとprogrammerを初田龍胡くんはやっているのかもしれません.

 面白いのは保守的な藤白りりさんは政治で医者を目指し経済としてYouTuberやスタディサプリで儲けている.

 にじさんじの月ノ美兎さんも政治はメタバース,vtuberコミュニティの独立国家を作り,経済はにじさんじで稼いでいる.

 しかし,藤白りりさんも月ノ美兎さんも問題なのはシンギュラリティを使った近代のハック,本来は政治に従事しなければならないことでお金儲けをするという2人こそ逆張りをしているからです.

 つまり,2人は純粋な経済活動ではなくて,政治活動,見た目を売ってお金を稼いでいるわけです.

 もちろんいつの時代もそうかもしれません.

 若い女性は見た目を売って稼ぎたいだけかも.

 問題なのは,近代人たちの大半はこういったポジショントークをし,シンギュラリティを遅らせよう遅らせようと必死の抵抗を大衆たちはするようになりました.

 要するにYouTuberやオタクといった運動はシラケ神経症,シラケルことに神経的になることで頭が良い人間たちを排斥しようとする平成政治くんとしてむしろ痛いわけです.

 皮肉なことにシンギュラリティ時代には,社会のシステムはどんどんと豊かになる一方で人間らしさは良くも悪くも失っていき,戦争というナショナリズムが国家や大衆の間では流行るようになるというわけです.

 シンギュラリティ時代にはどんどんと便利になるので,お金や有名度よりも人間性よりも仮に戦争が起きても逃げれることが重要になってきます.

 ボクは○☓なんだワタシは△□なんだという肩書や所属の既得権益はむしろ既得権益同士で争う危険さを帯びます.

 今人々はスティホーム,老害や若い女性は存在そのものは自粛し隠れるようになりました.

 なぜなら,目立つことは死を意味するからです.

 大半の大衆は人間よりもそれっぽい現実,メタバースへ避難するようになりました.

 今における客観性はコンピューター科学に代表されるアルゴリズムの情報処理スキルと戦争を仕掛ける側そして襲われる側というリスクを取れる人間になるしかありません.

 つまり,シンギュラリティそのものの専門家は意外にもAI下における人間に詳しい人間たちの数学政治家たち,アーティストのことをシンギュラリストと呼ぶのです.

古田更一批判は良くなかった.〜成田悠輔ブームの功罪〜

 冷静になって昨年を振り返るとめちゃくちゃ毎日ディスられていたなと思う.

 改めてすごい勢いで内容には触れずにディスる人々ばかりであった.

 ギリギリに初田くんとメンフィスくんしか褒めてくれずに,しかし褒めてくれない代わりに熱狂的にもう日夜ツンデレ的にディスり続ける輩ばかりだった.

 この古田更一現象は何だったんだろうな?と思っていて,うんざりしてなんちゃって女装やvtuber,シンギュラリティ論へ舵を切ったが,改めて振り返ると偽物の方を過剰に持ち上げる方々が多すぎたんじゃないかと思う.

 本物であることが素晴らしいとは言わないが,ハッキリと言うが,東京科学大学医学部YouTuber初田龍胡の方が私なんかより本物である.

 しかし,本人も周りも自虐したりはぐらかしたり過小に無視されていたことが多かったんじゃないかと本当に思う.

 たとえば,彼が書いた数学は本当に数学の本質をここまで短文で書いたものはないというぐらいに言語化が鋭いし,YouTuberのなりかたはあまりに自身が自虐にすぎるのがあまりに問題だが,YouTuberが思想になるということをハッキリと言い切ったところがすごい.

 また,超科学/ピュアランダムネスは本当に名著で,社会治安の悪さとシンギュラリティの本質を鋭く書いた天才的な作品だ.

 しかし,彼の悪いところは本人もはぐらかすし政治をするし,世間も彼を過小評価したがり本人もそれを悪用しようとする不良ぶるところが問題だ.メンヘラだから嫌だが,彼は本当はいい子すぎるのだ.そしてメンヘラムーブの負担は面倒すぎるが可愛いすぎるし賢いのだ.

 しかし,それは頭が普通に良すぎるがゆえに限界だったり精神に異常をきたすという本人も自己肯定感が低くニヒリズムで,世間もそんな彼に自分を重ねちゃうから彼のことを怖がっていたような気がする.

 シンギュラリティをしっかり提唱する落合陽一もその類だ.

 ここで成田悠輔&古田更一という論客も天才は天才だが,鋭く理系的畑な気がして,2人が実際にアカデミックレベルが正統派に高いだとか,文学性があるかと言えば無いからこそあるんだという気がする.

 古田更一はデザインや株式会社DeNAでメタバースを研究したり,最近はシンギュラリティ論を明晰に語り尽くし,AIをAIするAIを書いたり,web writerに日々従事している.

 要するに,何を言いたいかと言えば,良し悪しはないが,落合陽一&初田龍胡にはコミュニケーション的な書き方であり文芸的だ.そして,正当なアカデミックや受験勉強からゲームの枠から考えるという分かりやすい一方でエリートと大衆という線引だったり,動物性や生理,女性,カオスを見ないようにしている.

 一方で成田悠輔は全くの無専門な政治書をデータサイエンティストとして書いて,古田更一も全くの無専門なYouTuber書をweb writerとして書いたという文体そのものの新しさが良くも悪くもあるわけだ.

 しかし,問題なのは,成田悠輔も古田更一も当たり前だが,普通の人間よりも遥かに天才的だが,偶然かは分からないが両者とも海外でしこしこと地味なデータや広告を計算したりデザインするという地道な作業ばかりしている.

 身も蓋もないが,成田悠輔も古田更一も本来は思想や人文知の専門家じゃないのに,はたから見てみると文系に見えてしまう謎があり,

 落合陽一や初田龍胡はばりばりに思想や人文知系なのに,本人も周りもバリバリの理系に見えてしまう謎がある.

 これが本当に良くないなと思っていて,成田悠輔礼賛と古田更一批判は単なるお祭り騒ぎであって,彼らはただバクシーみたいに熱狂しているだけである.

 本業の地味さも少しは大衆も見てほしいと思う.

 悩むのは今更に成田も古田も文系の大学へ行き直そうだとか思えないことで,データサイエンティストやウェブライターになった以上,それらを学べたりそれらよりスゴいテクノロジーを勉強したいがまだないなという具合だ.

 もちろん22世紀の民主主義の文体も語り口も本は破れ!の文体も語り口も実のところデータサイエンティスをウェブライティングを現代の題材を整理する,それを利用しちゃうという構成であり,22世紀の民主主義の正体は日本語にされたデータサイエンス構文入門書であり,本は破れ!は日本語にされたウェブライティング構文入門書だ.

 どちらもプログラミング能力そのものが本領であり,人文知的なセンスは実は低いのが本質かもしれない.

 その点,落合陽一や初田龍胡はプログラミングを線形的にやってしまうのが良さでもあり悪さでプログラミングをどう細かく見るかという点がない.

 しかし悪くはなくて,単純に純粋な現代の批評や思想をそのまま日本語でストレートに言っているのはデジタルネイチャーとYouTuberのなりかたであって,

 ここまでくるとどっちもどっちだが,22世紀の民主主義と本は破れ!はデータサイエンスとウェブライティングと言わないとならない.

 政治はないよ,本を読もうよと言っている気がする.

 つまり,後者の2名はコピーライティングである.

 前者の落合陽一と初田龍胡は良くも悪くもストレートに直接言っているところが親切だし,がゆえに言い過ぎないように配慮してつまらなくなったり,肝心の弱さから逃げる弱点がある気がする.

 成田悠輔はあまりにバカに開き直り,古田更一は天才に開き直っているが,これはどれだけの人間を救うプログラミングをするか?というアプローチの対立,メディアの使い方が広く浅く,狭く深くであって,これはメディア論そのものであって題材そのものは時事的であり,極めてアーティスティックな作品だ.

 ここに功罪があると思っていて,ニューアカ・ブームは当たり前だがキレイには同じようには起きずに,つまり本を読もうではなくて,プログラミング・ブームだった気がする.もちろんまだ続いているが,そう捉えたほうが分かりやすい.

 もちろんデータサイエンティスもウェブライティングも地味だし頭をかなり使う正直受験勉強の延長線にある情報処理に過ぎない.

 しかし,意外にも落合陽一や初田龍胡の方が現代文的というか教科書に載ってそうな作家の才能を担保しているような気がする.

 問題は田舎者たちがそれにYouTuberは理系という点で海外理系な成田悠輔や古田更一が出たり生まれたりそう育ったんじゃねーかなという点だ.

 もちろん東京や出版を礼賛する気はないが,問題の本質がズレているような気がするんだな.

 成田悠輔も古田更一もYouTuberに興味がない.

 それは成田悠輔がYouTuberチャンネルを作らず古田更一が不謹慎系YouTuberを本当に主に選んだところかは始まっている.

 ところが落合陽一は落合陽一録チャンネルを作り,初田はYouTuberとしてチャンネルをたくさん作るなど大衆病理に良くも悪くも比較的に肯定的なのだ.

 これが良くも悪くも問題で落合陽一は大学教授を名乗り初田は高学歴やシンギュラリティYouTuberをかなり名乗るが,愛されたい一心が全面に出ていて,本当は大学教授にも高学歴にもシンギュラリティの論点に良くも悪くも興味がないというところが自分たちで縄にひっかかってしまっていた気がする.

 別にシンギュラリティに関心がないことが駄目ではない.

 むしろ2人はなぜ頭が良いのか?という言語化,個性writer資本主義が足りていなくて良し悪しを上手く活かしきれていないように感じる.

 自分の長所と短所に向き合えば強くなる気がしていて,私自身も彼ら本人じゃないし,当然,成田はともかく古田批判されまくりは気味が悪いな…彼らは本当にオレがしっかり嫌いなのか?が不透明すぎるという点をしっかり気づき言語化したりぼんやり気づくべきだったと今に思う.

 日本社会全体がメタバース化していて,本人たちが狂乱になりすぎていて,天然すぎて病気にならない成田悠輔や古田更一,月ノ美兎はツッコミづらい,もしくは本人たちの理工さが無意識にツッコミを入れる装置として機能していたことにみんながツンデレ的にボクにパーフォマティブにキレていたことに気づけない彼ら以上に気づくべきだった,彼らが人間としての理性をあまりに失いかけていることに気づいてやるべきだったかもしれない.

 言い方は良くないが,初田も落合も大衆の相手をせずに本質をえぐる仕事を最近はしているようなので安心だ.

 

 

医学部というアーティスト.医療の危機という共犯関係.透龍くんこそ老害だった.〜なぜ医学部の若い子たちがSNSにハマるメンヘラばかりか?〜

 突然だが,本末転倒なことが起きている.

 今SNS上で医学部を中心に若い子たちが大活躍する気味悪さが起きている.

 たとえば,東大理3系YouTuberのベテランちや東京科学大学医学部YouTuber藤白りり,初田龍胡,京大医学部いーだ,医学部クラスタのたかぴすやくまおにぎりくん,教祖そらくんなどだ.

 私が昔いた森村学園でも頭が良い子は東京科学大学医学部や横浜市立大学を目指していたし,見事入学した.

 しかし,つら医という有名ツイッタラーの言う通り,医学部は学費も高いし忙しいしメンヘラまみれという闇の部分もあるし,遊びたいのに我慢している方々も多い一方で,無キャ,別にやりたいことはないヤンキーたちが昔のヤリサーのノリで入ってしまうハックしてしまう極めて由々しき状態になっているのだ.

 私の現実の知り合いの医学部の子もそして私は有名な医学部の方々、藤白りりや初田龍胡、たかぴす、くまおにぎりくん、教祖そらと奇妙なことにめちゃくちゃ知り合いだが,どいつもこいつもカネ稼ぎと承認欲求をこじらせた(しかも自覚でありでそれに惚れている),ゆるゆりの櫻子のような連中ばかりなのである.

 もちろんZ世代が医学部を目指し入った今頃の青春ドラマにいちいち美大出身かつ海外企業のwebwriterという関係ないというより遊び人という対極にいすぎる私のようなクリエイティブ階級の人間がいちいちヤジを飛ばす気は毛頭ない.

 よくぞ努力して高偏差値の医学部に入ったねよくぞ陽キャとして医学部に入ったねと絶賛したいぐらいだ.実際に絶賛している面もある.

 しかし.

 今回のコロナ禍における医学部の無力感というのは杜撰で,ただ自粛しましょうね&簡素な私立文系クラスのfxチャート図で根拠を示すという大学学部レベルの杜撰さというのは明らかに示してしまっている.これならデータサイエンティストの東京大学経済学部の成田悠輔の方が数学ができちゃうということになるのだ.もしくは政治が得意すぎる暴露系YouTuberガーシーを許してしまう.

 もちろん医学部は今良くも悪くも腐敗していて,そんなこと知っているわいとシラケ神経症,シラケることにネタツイに開き直っているかもしれない.

 だが,その気持ちは分かるからこそ,Z世代の年上教授への反発,数学政治活動が盛んなのが医学部だということは私にはバレている.

 あまりこんな話はしたくないが,医療従事者である既得権益の母親にはこの話を話して理解していただいている.

 当然に私は医療界隈における年上の真面目な大人のふりも年下の不真面目な子供のふりも流す予定だ.

 君たちのワガママぶりはもう分かった.

もうちゃんと数学政治をするためにも,今ここで何が起きているか理解する必要があるのだ.

 というわけで,まず理解しなければならないのはコロナ禍時になぜ改めて東京大学経済出身の成田悠輔が出てきたか?という不思議な問いを改めて深掘りしなければならない.

 不思議なのは,手を洗う救命医takaが大ヒットせずに,むしろ医学部はベテランちや藤白りりという大道芸人になってしまっている(ちなみにジョジョ8部のラスボスはZ世代な医学部の陽気に見せかけた学生のトオルくんである).

 そして,これは疲れてしまうかもしれないが,本当は可愛いすぎるのに,ヤクザじみた風体で暴れる逆精神病院こと初田龍胡というヤバい医学部YouTuberがいる.

 2人の知り合いなたかぴすや藤白りりは彼が退学して闇堕ちしただけだと思っているかもしれないが,冷静に考えてその面が大いにあっても,

 なぜコロナ禍時にたかぴすも藤白りりもコロナ禍に何も有効な手立てを出せず,おんぶにだっこな無名の大学教授たちは無策で,経済学者の成田悠輔が統計を語り,政治家の東谷義和が当選して国民に支持されるという異常事態になっている.

 いくら美容整形志望や中退,留年,新興宗教二世だと言って,ベテランちや藤白りり,初田龍胡,くまおにぎりくん,ドクターA,ドラゴン細井,たかぴすに手術されたい患者はいるだろうか?

 冷静に考えて,信用がゼロだ.

 まともな神経ならエンターテイメント志望の大道芸人たちに手術されたいだなんて思わないし,医学部クラスタとかいう日々スケベな内情をさらけ出すメンヘラたちに手術されたりカウセリングされたいだなんて,本当にまともな神経を持っていたらありえない.

 もちろん彼らは絶望した上で分かった上かもしれないし,何も考えていないかもしれないし,なぜこんなことが起きたか?は分からないだろう.

 そして,年上の方々もたかだかSNS上の馬鹿な医大生たちの馬鹿騒ぎだと未だに信じているかもしれない.

 しかし,今回のコロナ禍で有力なコロナ対策を打ち出せた医者や医療関係者は0で単に自粛しよう自粛しようと言う他はなく,今回は大変なパンデミックなんだと大声を真顔で騒ぎだした.

 しかし,本当にそうなんだろうか?

 そして,コンプライアンスがコンプライアンスがと騒ぎ,私とコラボ配信を避ける医学部クラスタの王を自称する詐欺師の多浪生のFラン医学大生たかぴすやナンパ師の教祖そらなどがいて,彼らは詐欺師に確信犯的がゆえにメンヘラ的にそんな嘘はバレてるのは分かっているわいとメンヘラをこじらせてしまっている.

 仮にコンプライアンスが出来ているのなら,私とのコラボ以前にコロナに対する自身の見解を医療関係者としてお得意の詭弁抜きに語るのは当然の話である.

 もちろんこれは医学部を攻撃したいわけでもなく,むしろ医大生はメンヘラを治すために医学部に入るという本末転倒だが良くある話が悪い方向へと働いてしまっているのだ.

 こういうときには何が本当の医学部か何が本当の医学部じゃないかという話が必要になってくる.

 もちろんこれは進学校でも同じことが起きている(進学校ですら医学部みたいな高偏差値における奇妙な謎が発生しているのだ).

 もちろん医学部も進学校も大半はメンヘラを治せず世の中そんなもんだとニヤニヤしながら自傷するアダルトチルドレンとして死ぬまで生きていくだろうし,勝手にやっていてください.

 しかし,これは医学部を真剣に考え抜いた時に書かれた論文である.

 この問いをもちろん低学歴医大生たちが無視することは構わないし私個人も馬鹿にはいちいち絡みたくないが,一応のところ数学政治の詐欺師たちに褒め殺し的にこの真面目な根拠を示したことは理解していただきたい.

 私はあなた方の数学政治を暴きたい段階にはもうない.

 そうでなく,致命的にあなた方は詐欺しているつもりがミイラ取りがミイラ取り,現代の新しい医学や医学部より難解な偏差値区分から取り残されている負け犬として冷静に見ざるおえないという話だけなんである(もちろん嫉妬ではない.人を助けたいなんて私は思ったことはないからだ).

〈追記〉

もちろん彼らの一部はアーティストとしての才能があり,奇妙なことだが初田龍胡くんの愛らしいさと林世蘭のあまりに裏表ある腹黒さ,東京科学大学医学部YouTuber2名は鋭く美大出身の私は評価するだろう.政治の初田と経済の林として.

 そして真面目な辛いポジションを良くも悪くも利用しながらも,不真面目で楽しいポジションなYouTuberを取れたことも.

 両者知り合いだが,様々にヤバい話だ.

〈追記2〉

受験勉強が得意な彼ら彼女らとSNSの相性が良いとしたら,どうだろう?

本末転倒な問いだが,SNSがなくなったら,受験がなくなったら,そして成田悠輔の言葉を借りるが政治家が猫になる,政治という古ぼけた概念が消えそうなときに,彼ら彼女らはどうやって政治を維持するだろうか?

成田悠輔も指摘した皮肉を意識したのかしないのか,落合陽一はこう言った.

戦争が起きるねって.

それぐらいしかやることがない.

〈追記3〉

そして,大半の大衆は医学部を信仰し,というか私の母親のように医療従事者だったりで,そして大半の大衆たちが受験数学すらできない,かつ哲学書も読めない,そして今は非文系ブーム,純粋なYouTuberでもアーティストでもなくて憧れるしかなかったら… .

 成田悠輔も落合陽一も初田龍胡も危惧する数学政治の暴走は今正に始まったばかりである.

 

不謹慎系YouTuberに勝つ方法.

 詳しい原理は省くが,不謹慎系YouTuberは理屈が分かっても,むしろ理論に直感レベルで精通しないと不可能なメディア・アーティストだ.

 よって,メディア・アートの起源へ向かって,web writerになる必要がある.

 もちろんweb writerには簡単にはなれない.

 だとしたら,逆にYouTuberを極めて徹底して不謹慎系YouTuberに直感レベルでなってみて,YouTuberを内側から外へ観察するしかない.

 どちらも困難だ.

 偏差値55以上を最低でも要求する.

 代入するしかない.

 web writerになれない人は不謹慎系YouTuberになったエッセンスで本を最低限読むぐらいのクセはつけよう.1日1秒でもいいから読むこと.オススメは15分読書の朝読だ.森村学園では15分朝に読書をさせられる.当然寝る人間もいる.

 不謹慎系YouTuberになれない人はせいぜい無内容でもいいから,普段SNSをイジる時間をYouTuberとして録画して,できるかぎり気持ち良い時にあげるクセをつけよう.これは不定期でいい.しかし,日々イライラしたり不安になったら内容は何でもいいから情報処理を上げるためにYouTuberとして動画を中尺サイズで上げること.shortは該当しない.

駿台・小林俊昭の授業.〜武蔵野美術大学を退学する危険な英語のコツ〜

 基礎的な英語勉強こそが全ての科目や人生に通じる.

 最短な勉強法を話そう.

 縦の語源から英語そのものを考えること.

 過去の歴史から深く考えること.

 そして横に応用していくこと.

 たとえば,英文法で学んだ知識を英語長文に応用し,英語長文で学んだものを英作文に応用する.

 そして,英作文で学んだ思考視野も様々に応用する.

 過去に今を未来に今を応用し,後は暗記,反復にすぎない.

 これだけが,英語のエッセンスである.

 〈追記〉

 ちなみに小林俊昭の授業はintergrativeである.意味はお調べよ.

 〈追記2〉

 数学の勉強に足りないのは,特に医学部に足りないのは,日本人としてどう英語と向き合うか?という姿勢だったり,自立した現代文的な頭の使い方である.

 なぜ学校の授業に現代文があるのか?なぜ学校の授業に歴史があるのか?しっかり考え抜いたほうがいい.

某ハイデッガーを誤読していた美少年の記録.

 武蔵野美術大学へ入った頃,ほとんど森村学園以上に美少女しか入学してなかったし,男はむしろカジュアルにオタクというか,宇野常寛しかいなかった(オタク批評家).

 で,先生たちなんかはもうハイデッガーみたいなヤツラだった(オタク批評家)(笑).

 芸術文化学科の研究に入った人たちは、みんな「日本の某ハイデッガー」の強い影響から入っています.異世界転生の研究家とかもフツーにいたし.

 それに対して,ボクは某ハイデッガーの言っている思弁的なテキスト論をコミュニティという形に政治運動にできないかなと感じていて,ソーシャルゲームの逆転オセロニアやカオスフォレストという批評団体バンドを立ち上げてみるわけです.もちろん某ハイデッガーさんは宮台真司という政治家なバンドマンとタッグを組んでいたわけですけど.

 ただ,今になって考えると,その当時の無垢なボクは,某ハイデッガーさんの言っているエグくてしかし鋭い指摘を全然よく分かっていなかったんだなとも思うんですね.

 当時,某ハイデッガーさんが大手と組んだ奇跡のチャンスだった群像賞の1回目で『拒絶と教育』という論文を送って落とされてますし(みんな落ちちゃった…).

 それから何年も経ってボクはボクでぼちぼち成功したりわけわからん方向へ不謹慎系YouTuberとして批評系として様々なYouTuberたちとコラボしたり活動して,久々に郵便的不安たちや存在論的郵便的を読み返したり一番好きだった儲かるアジり本を読み返して,一番衝撃をウケたのは,性と死の問題ですねw.

 とにかく,ひぐらしのなく頃にやAIRにおけるガチ恋愛は1回きりの人生でどうするのか?(恋愛は人間だけでなく使命に関しても),そして,1回限りの人生でどう誤読を散種するのか?という問いはなかなかにスリリングで興味深い.

 神っぽいなw.

 しかし,そこで貧乏臭いというか,某ハイデッガーさんに感じる疑念はキモいなというわけで,森村学園にはたくさん美少女がいて,武蔵野美術大学には違う意味でプロの美少女たちがリアルフィクション,現実にウソみたくいたわけですよ.

 要するに,某ハイデッガーさんはボクと違ってエロすぎるし,死を考えすぎているんですね.

 もう信じすぎているというか,それしかないんだと思い込んでいるというか.

 そういうウザさを解毒するのに,テクノロジーの思想家・落合陽一先生はボクも含めて様々な人間に刺さったんだと思います.

 1言でつまんないヤツだけど公共的がゆえに,むしろ暴力的なカッコよさが際立ってましたね.

 某ハイデッガーさん,気持ちは分かるけど,女性原理主義という名の隠蔽した男根主義はバレてますよって.気持ちは分かりますが,あまりに素直すぎはしやせんかって.もしくは死の問題までコンスタティヴすぎてパーフォーマンスになってませんか?って.

 その点,落合陽一さんというのはシラケたフリをした生真面目というかパーフォーマンスに見せたコンスタティブなんですよね.

 これネタバレしちゃうと,筑駒と開成の対立なんですね.

 YouTuber同士の若いのだと一橋大学YouTuber人生が東京科学医学部YouTuber初田くんに噛み付いた事件と同じと言っていい.

 ただ困難なのは,落合陽一さんはそんな某ハイデッガーさんの気持ちは分かった上で最終回答を出せないんですよ.

 理屈のレベルで某ハイデッガーさんを構造主義化したのが落合陽一さんの可能性と限界であるわけだから.

 でも,答えがないことが答えだと思っていて,シンギュラリティが胡散臭い,落合陽一が胡散臭いといまだに20年代にもなって言う無教養なYouTuberキッズなブーメランなメタバース連中はたくさんいるんですけど,結局のところ,落合陽一は某ハイデッガーさんの正当な後継者でありながら否定者であり,この時代における病理を表す,しかし,かゆえに天才と言い切って良いのではないか?と思う.

 東京のシンギュラティ/新実在界隈は熱いね.

   W.

 

 

メタバースだらけ.有名人がいない社会.〜下部構造と逆転オセロニア〜

 メタバースだらけで人間が人間らしくそれぞれのコミュニティでにじさんじホロライブ状況における客観性は可能か?社会性は可能なのか?ARは果たしてあるのか?という話がある.

 にじさんじやホロライブ前にインターネットコミュニティに従事した株式会社DeNA主催の逆転オセロニアがある.

 身も蓋もないが,拡散数が横に今この瞬間に高いコミュニティこそ極めてローカルになる逆説がある.

 一応は4000万DLしてるのに.

 で,じゃあどう維持したりするか?

 身も蓋もないが,経済活動しかない.

 逆転オセロニアが続いた背景には単純に課金システムや社会人たちがにじさんじホロライブ、コミュニティをやっているからだ.

 もちろん良くも悪くもダラダラしていて,イノベーションは無くなっている欠点が逆転オセロニアにある.にじさんじホロライブYouTuberコミュニティもカネで延長してもダラダラしちゃう可能性もある.

 ここで大事なのは,地政学だ.

 空間性を意識すれば48都道府県どこも機能美的には維持されていく.

 私の大好きな初田くん(programmer/哲学者)が言っていたことだが,インターネットのコミュニティにも当然に空間性があり,たとえばインターネットなら文字なのか?Twitterなのか?YouTubeなのか?分かりやすくググッてほしいが,discordなのか?という話になる.

 ここまでの話をまとめよう.

 1,メタバースの維持は経済活動.

 2,メタバースには空間性がある.

 そして,メタバース以上な客観性を担保するのは技術的特異点,シンギュラリティを前提にした基本的な縦の歴史把握しかないだろう.もちろん10年前からシンギュラリティと呼ばれている今が未来でもシンギュラリティと呼ばれている保証はない.

 そして,頭をどれだけ早く回転させるか?という話になると思う.

 大丈夫.未来は明るい.まともならだ.

 みんなメタバースに逃げてるよね.

天皇うんぬんはどうでもいい.真剣に考えてるかだ.

 アジッているわけでも,あたおかでもない.

 天皇はいらないのだ.

 なぜなら,他人だし何も仕事もしていないし,最大の問題は

ニート,かつ国の税金を食い破る単なるヘタレのクズだからである.

 もちろん私は天皇に怒りもなければ憎しみもない.

 ただ医学部に合格でもするぐらい頭が良いのなら,たかが天皇という宗教を信じていないのは当然のことだろう.

 と僕は思うわけです.

 もちろんシラケ神経症,シラケることに神経症的,ネタツイネタツイネタツイネタツイネタツイネタツイネタツイネタツイネタツイネタツイネタツイネタツイネタツイネタツイネタツイネタツイ

 と毎日シラケることに神経症になるヤツラが∅,空集合,天皇を信じていないがゆえに天皇を置いておくという悲惨さはあるだろう.

 海外から見た場合,日本人こそイジられキャラのコメディアンである.

 で,今は日本のSNSでこういった空虚なニヒリズムが震撼していっているという.

 もちろん困難なのは天皇制を廃止しようとする動きすらシラケ神経症な医学部連中はきっと国の税金でおまんま食ってるから必死に止めてこようとしてくるのだ.

 そんなことはバレている.

 もちろん私は天皇制廃止主義者ではない.

 アメリカが発祥な技術的特異点を広めようと思う明晰な科学的思考をもった脱近代人にすぎない.

 私が言っているのでなく,Googleのカーツ・ワイルや筑波大学の落合陽一教授,消極的には私の周りも支持している.

 もちろん小室圭はまさに素晴らしい革命をアジテーションしたとして当然に国立の白蟻連中よりは褒めてしかるべきだろう.

 権力にとことん反骨であること.

 もちろんたかだか天皇制ごときを廃止するか否かは興味がない.

 私が聞きたいのは,キミの態度そのものだ.

 キミはどういう点で詭弁ぬきに天皇を支持するのか?支持しないのか?

 天皇支持者以前の白蟻には興味がぁない.

限界費用ゼロ社会以降.〜今のベンツは何か?〜

 自分のYouTubeチャンネルを続けられることが今のベンツかもしれない.

 もちろんさよなら平成くん,ノスタルジックなHIKAKIN/ひろゆき的な意味でなく.

 誰もが有名人になれる時代に個性をどう展開するかになっている.

 透明犯罪的に時給制やオカネの価値、ひいてはマスクの価値はなくなっている.

 透明犯罪,これは犯罪者たちが無意識にAR的,技術的特異点の時代に気づかずに犯罪をしやすくなっている今のシンギュラリティ時代前期のダークサイドを指す.

 遺伝子的かつAI的に個性にあった仕事を遊びとしてしまくるのがシンギュラリティ時代の生き方だ.

 もちろん人間がシンギュラリティについていけないので,被害者としてマスクをつけざるおえない面もあるだろう.

 しかし,時間の問題でマスクをつける方は下級国民として差別したり放置していいのだ.

 シンギュラリティに強くなるには,AIを理解しなければならない.

 簡単でプログラミング的思考そのもの,プログラムすらやらないAIそのものな動きやがゆえの人間の個性が重要になってくる.

 もちろんAIの先にはAR的なセカイが広がってくる.

 もちろん一部の天才とそれに従う若者たちだけが特権するだろう.

永久革命

 はい。メンフェスです。今は深夜3時くらいなんですけど、今は7月木曜回って金曜日、古田さんダニエルさん荒金さんの対談が面白すぎて、あの~興奮冷められず、これは必見ですね。オススメです。

 深い哲学の話、ドゥールズやデリダ、フーコーの実存の話、そんなん話聞いたことないですよって。日本では浅田彰が隠していたっていう。まあ深さが違っていて。まあそこは知識なんで別にどうでもいいちゃどうでもいい。

 ボクにけっこう言及されたところとか刺さるところ、そう。これ、今撮りたいと思った理由はダニエルさん、初田龍胡、逆精神病院さんの本が読めないんですよ。

 根本的に興味がお互いにないんですよ。すいませんが。

 ボクは古田さんのファンなんで、まあなんでなんだろうなって思ってまして、関心が違うんですね。

 ダニエルさんにはまあコイツ使えるのなら使ってやるかとか、あ、でももう見切りつけられて捨てられているかもしれないですけど、まあでも、でもだから、興味がなくて。関心の方向性が違い過ぎるんだなって思いましたね。

 まあダニエルさんはお金とか社会的地位、ゲームで勝ちたがっているんですよね。前々からそうだなって分かっていたんですけど、確信しましたね。自白してますし。でもマシですけどね。自己欺瞞ないんで。

 でも、彼は高学歴の友達や元友達たちを見返してやりたいなって気持ちが強そうで、古田さんが復讐心に駆られた鬼と評していましたが、正にそれが分かって、そのゲームで勝とうとする魂胆が合わないなって思いますね。

 う~ん…。ボクは元々生まれが低いんで、ダニエルさんみたいな執着がないんですよね。医科歯科になんか受からないし、勉強もそんなしていないし、はなっから諦めているんですよね。全く関心がない。もちろん勝てるなら勝ちたいですよ。勝てるなら、勝ちたいだろうし、楽できるから楽したいなって思うんですけど、ダニエルさんはずっとなんでも勝ちたがっているんですよ。それがね~、どこまでも話があわないんだろうなっていう。そう。話があわない。

 もちろんボクはバカですけど、そうそうそう。

 あ、そう。

 |~ダニエルさんの動画を聞きながら、頷く~|

 

 そう。未来に役に立つから古田さんの話をメンフェスは聴いていないっていう話は当たっていて、マクロがない、実存しかない、単純に知能指数の問題なんかなって思うんすけど、これはムズイわ。

 マクロに関心を持つのってどういうことかなっていう話。

 未来に役に立つ、実際の社会や経済がどう動くか?っていう。

 それが、ないですね。

 関心がないし、頭が回らない。

 一つ思うのは、自分が偽物なのか本物なのか、分からなくなりましたね。

 ダニエルさんは偽物なのを自覚しているんで、マシじゃないですかっていう話で、あ、自分は偽物寄りかつバカだから、ダニエルさんみたいに暴れないっていう。うん。偽物だね。ボクは偽物。

 実存のことしか考えてないから。

 これ整理できないね。

 まあ、それだけのことですけどね。

 そう。

 自分がどうやって社会とつながっていくのか。

 その中でどんな風に楽しく生きていけるのかっていう。

 未来に役に立つってどういうことだろう。

 うん。でも、古田さんの個性経済学の話は、必然的で、社会が必然的にベーシックインカムだろうが生活保護だろうが、日本人はもう物質的にはリア充、でも精神的には非リアがいるみたいだ、どうしてだろうっていう話ですよね。

 精神的にリア充になるにはどうすればいいんだろっていうときに古田さんは個性経済学を言っている。

 うん。そう。自分なりに自己実現しろよっていう。

 うん。カネはあるし、余るし。余っている事態。

 そう。精神的なもの。

 だから、精神を満たそう、活動していこう、っていう、うん、熱いっすね。

 だから、そういう熱い話で古田さんは役に立つし、本当に皆さんは古田さんの本は読んだ方がいいと思いますよ。

 ゲームに勝つことには関心がない。

 ゲームで勝つために犠牲になることがあるじゃないですか。

 ユーチューバーのなりかた、これみたいにゲームで勝つように本を作ってアジるのはよくない。

 宇野常寛は自分のリスナーの悪口を言えないんすよね。オマエラがバカだろって言わないといけない。でも、宇野は言えない。でも、生き方として最低なんですよね。それは本当にイヤだ。うん。本当に最低。本当にイヤだから、自己実現のところで稼ごうとしない。そう。カネを稼ぐための仕事と自己実現を分離しようねっていう荒金さんには賛同します。

 うん。おもしろかったな。

 違いが浮き彫りになりましたね。

 うん。病を抱えて生きている、そうそうそう、ダニエルさんは勝ちたがっているんですよね。金銭的にも学歴でもなんでもなんでも勝ちたい勝ちたい勝ちたいって。一生一生勝ちたい。でも勝てない。でも石を上げ続けるって言っている気がします。

 あ、でも、それはありですよね。

 そこまで自覚しているのは、ありですよね。

 でも、そこに着いていけないな。

 単純に生まれの違いですよね。

 あと能力の違い。

 ダニエルさんは石を上げ続けるんだろうけど、ボクはダニエルさんが石を持ち上げる作業を手伝えないです。

 だから、興味が持てなかったんだなって思いました。

 そうじゃない。

 ボクはそうじゃない。

 そこで勝つよりも優先することがあるんで。

 まあまあまあ、原体験、自分の原体験、疎外ですよね、そう、労働だけが疎外じゃないんですよ。

 外遊化?なんだ?なんだ?疎外の言い換え…、う~ん…、言い換え…、外遊化じゃないの?まあいいか。

そっ、疎外って言うじゃないですか、マルクスが。でもボードリヤールまでいくと自分で自分を疎外しているまでいくんすよ。それがめちゃくちゃあって、気づいた体験があったんですよ。

 これは、ボク、天才なんですよ。

 はい。ボクは天才だと思っています。

 これは、ボク、天才なんですよ。

 天才じゃないか、でも、すげぇなって思うなって思います。

 もちろん論理を辿っていけば誰でもできることなんですけど、ボードリヤールのその自分で自分を疎外する。あの学歴で勝ちたがるのも自分で自分を疎外することだし、あのなんだろう、う~ん…、なんだろうな、疎外のサイクルを自分で回しているっていうかね。刷り込みによる歯車を自分で一生ぐるぐると回しているんすよ。思い込み。社会にこういうのいいよねっていうに染まっちゃって、だから、脳がそのサイクルでぐるぐるって回っちゃうんすよ。

 ダニエルさんだったら、学歴ゲームで勝ちたい、勝ちたい、勝ちたい、学歴ゲームで勝ちたい、勝ちたい、勝ちたい、石をずっと持ち上げていて、こういうのに自分がぶつかったときに、クソだな~って思っちゃったんすよね。それが。クソな刷り込みしやがって思ってしまって。社会のそこかしこにそういった刷り込みがあるじゃないですか。気づいたときに、今までの自分が洗脳されていたことにも腹が立ったし、あの~、そういう人々の押し付けがましさにも腹が立つんすよね、デカルトでいう精神なき機械ですよね、そういうデカルト的な精神なき機械の押しつけやかましさもウザいし、あの自分が洗脳されていたこともウザいっすよね。

 その洗脳されている勧誘野郎たちが可哀想だとかは全く思わない。全く思わない。全く思わない。

 自分にふりかかってくる不利益、想定したときにめちゃくちゃ怒りがあるんすよ。

 そうそうそう。

 機械たちがオマエも勝て勝て勝てと言ってくるウザさ。

 ウザさがありますよね。

 自分も勝たないと勝たないと勝たないと思い込んできたウザさ。

 なんで自分はこんなこと考えてきたんだろうなっていうのと、そんな勝たなくていいじゃないかっ!ふざけんな!っていう怒りがあったんですね。気づいたときに。

 そうですよね。そうそうそう。

 それですよね~。

 だから、マクロなんかには興味ないね。

 自分にしか興味がない。

 自分にふりかかるであろう火の粉と戦っていく。

 で、そういうのをぶっ潰して倒していくっていうことにしか関心がないね。

 そうですね。

 もちろんこういうボクの振る舞いが逆に染まってしまっている、勝ちたがりなのかな…?そこはでも…正しくないことを正しいとか言ってくるからふざけんなっていう話がありますよね。それにしたり顔で言ってくるから腹立ちますよね。そうそうそう。うん。オマエはちゃんとしろって言われても、オマエラが機械なんだろって。オマエラがバカなんだよって言いたくなりますよね。まあ、それを端的に言いたくなる。それで上へ行こうとか勝ちたいはないですね。その場でロンパしたいけど、野心はないですね。だって、その野心って本質的に矛盾を孕んでいる。だって、地位が永続的に続くことはあり得ないんですよ。うん。許されないかなって感じですね。そういうものと1つ1つ戦っていくだけですね。本当はそれにも関心がなくて、自分に正論面を言ってくるヤツラを倒してやりたいね。

 だって、生きていて暇だし、まあせっかく個性経済学があるんで、なんにしろ暇じゃないですか、個性経済学でマーケティングしたくはないっていう自立もあるじゃないですか。そうですね。そう。自分の作家性が研ぎ澄まされたね。ありがとうございます。

 

 

東浩紀さんはゲンロンをたたんで就職しよう

 東浩紀さんはゲンロンをたたんで就職しようっていう話をしようと思います。

 初めて東さんの本を読みました。

 ボクも誤解していたなって思うんだな。

 今までは東さんは新興宗教でオンラインサロンでただ人々をアジテーションをしている人をおかしくしているクソ野郎だなって思っていたんですけど、そんな商売ができるのにも理由があるんだなって。

 でも、東さんは頭が良いです。勉強になります。

 でも、東さん、ブーメランなんですよ。

 柄谷行人さんを老害だと言っているけど、そっくりそのまま今の東浩紀さんですよね。刺さりますよね。

 最近だと呉座さんがゲンロンはオンラインサロン化していないかと言ったら、追い出されましたよね。

 落合陽一にも痛い指摘されていますよね。

 人文系って派閥争いの口喧嘩しているだけって言われて、全く答えず、でも、落合陽一さんの理論的に足りないところをただ突いているだけ、呉座は潰す、落合は潰す。

 で、柄谷を老害って言っているけど、アンタだよって。

 でも、柄谷さんは身をひいたんですよ、負けたんだな、とか。

 というよりも時代にそぐわないんだなとか。

 確かに東さんはシラスを運営しているけど、悪いことなんで、行動するようにならないすよ、シラスの連中は。ただ本読むだけでYouTube投稿はしないし。

 読者を甘やかしすぎだよ。

 すぐ自分に都合が悪い呉座を追い出したりして、それ、在野でビジネスをしているからですね。もちろんセンスがあるなら良いけど、ただバカを囲っているだけ。そう。在野で哲学とか人文しようと思ったら、貧乏を覚悟しなければならない。

 お金稼ぐのはあくまでバカをかこうっていうことが必要で。

 今ダラダラ生活できているのは、シラスでバカを操っているからというわけで、だから、東浩紀さんはゲンロンをたただんで、大学とかに就職しましょうってことですよね。大学に行くようなバカを煽るのは良いんですよ。大学はまだ公共なんで。そう。それぐらいの規模に抑えてほしいんすよね。

 何千人も操るよりは小規模で大学でやってほしいわけで。

 柄谷さんを見習って、東さんはあくどい商売はやめてね、大学に就職すれば、都合が悪い意見とも向き合えるようになれるんじゃないかなって思います。

 まあ波状言論は面白かったです。

 ゲンロンはやめよう。たたもう。まともに就職しよう。悪いことはやめよう。まともに生きよう。

人生をもて余してる人へ

 はい、メンフェスです。

 昨日ね、古田さんとダニエルこと初田さん、ともだちだともさんと批評的な話をしてもらって、話をついていくので必死で、本は破れ!実際に古田さんが破っているものをもらってね。ありがとうございます。

 ユーチューバーのなりかた、初田さんのももらってしまってね。

 超越性という問題を今回は話そうと思います。

 予想外を求めるってことですね。

 ランダムっていうか。

 じゃあユーチューバーのなりかたから読んでみますね。

 ユーチューブをやっている理由。

 これ読んで思ったのはYouTubeやって人生が変わったみんなの反応が変わったっていうのがあって、そうこれ予想外っていうことなんですよ。

 これ、波状言論っていう本にも快楽と享楽の話があって、だから、ようするに今の戦争も終わって平和な時代って快楽を供給したもらおうと思えば簡単だし、物は安くなっているし時代はそういう方に変わっていると。

 なんだけど、人生をもて余している感があるじゃないですか。

 どういうことなんだろうなってことですよね。

 そのままなんですけど、まあ自分が行動していないから、まあ閉塞感もありますよね、人生をもてあましているって、瞬間瞬間で見つけないといけないし、でも、固執しちゃいけない。

 あ、だから、無理しているんですよ。

 ボクは大学も行っていない高卒なんですけど、波状言論を読むのはめちゃくちゃキツイ。めちゃくちゃキツイ(笑)。でも面白いところだけはなんとか読んでいくぞって感じですけどね。大半はつまらないんで、読めたり楽しい部分をなんとか読んでいるわけで。まあ無理しているんですよ。

 だけど、それが大事で、そう想定外を求めるってことですよね。

 ボクだったらefootballだけやっていれば幸せなんですよ、でも哲学をやって無理すると想定外が享楽していくっていう。

 快楽はもう分かっているじゃないですか。

 ラーメン食べて美味しいよねっていうのは分かりますよね、美味しいものが美味しいっていうのは快楽の問題で、簡単なんですね。

 はい、快楽で、鬱とか言っているヤツは治るっていう話で快楽の問題は簡単で、でも、それだけじゃ日常なんですよね。

 ただの日常に開き直っているだけだと、閉塞感があるって。

 で、その閉塞感に風穴を空けろって言っているのは、古田さんの本は破れ!個性経済学とかそういう話っすね。

 自分に目的を持てとか、ポジションとか、YouTubeの投稿しろとか、はい、だから、今しています。しろってことですね。

 それで、行動起こすのは、マジであり得ないんですよ。

 これは想定外の奇跡なんすよ。

 対談したいですって言って3週間ばかりで初田さんの家にも泊まったりして、二郎系ラーメンを食べて、マシンガン・トークを浴びて、本当にこれって行動をしただけなんすよね。

 予想外、想定外を手に入れました。

 一生読みますね、本は破れ!は。

 波状言論はレベルが高すぎて一生読むかと…。

 想定外を求めるには、後は行動だけなんすよね、ビビっている場合じゃないすよ、コメントをしている場合じゃないんすよ。

 勇気っていうか、自分を盛ろうとするのはよくないんすよね。バカのままでいいじゃないですか。ボクはバカのまま対談したいですと。あーうーしか言えないけど、もうそうそう、着いていくのに必死ですけど、やればいいんすよ。

 そうそうそう。

 想定外、予想外を求めているんだと思いますね。

 快楽はパターンなんで、それは…限界がくる、一生それではいけないよっていう。まだやったことがないってこともまあいいけどね。

 自分を超えていこうっていう。

 超越って言葉が分かってきました。

 会ったことがない人に会ってみようとか食べたことがないものを食べてみようとか、えー、そうYouTube初めてみようとかね。そう。

 そう、そう。

 まあまあまあ、行動しかないよね、行動しか。

 盛ろうとしても、馬鹿は馬鹿なんだから。

 もちろんそこに反省と謙虚が必要ですけど。でも、それを自分が持っている確証性は分からないけどね。

 ~古田更一の本を読む~

 飛躍のポジションだけだ。そう。他者につながっていきますね。対談しちゃうとか言っちゃうとか。もう逃げられないわけですよ。飛び込んじゃうとね。面白いなっていう企画があったらね。ありなんじゃないかって思います。

 本当にそれだけなんすけどね。

 まあ、うん、そうだね、後はベタな価値観が終わってしまった、国民国家とかが壊れちゃったんだから、波状言論に。うん。なんだろう、一人一人がどう生きないとならないのか?考えないといけないんすよ。カリスマとかいなくなった時代ですからね。

 うん。目指すのは全然いいんすけど。

 自分なりのカリスマを目指さないとならない。

 世間一般のカリスマは虚構だし無理がでちゃう。

~波状言論を読む~

うん。人間が生きている上で方向性が重要。動機づけ、たとえばYouTubeをやる動機だとか、だから、国民国家がなくなるよっていう時代にはどうすんの?っていう悩みが増えていくんですよね。昔は国家を信じてさえいれば言うこと聞いているだけで働いていたりして楽できたんすよ。イデオロギーが支配していて、みんながそれに乗っかっていたけど、今はもうそういう大きな物語はないじゃないですか。

 ユーチューブでヒカキンが人気だと言っても、誰も実際に見ていない。

 BTSも好きな人しか見ていない、バラバラになっているんで。

 イデオロギーとかなくて。そういうの自分で作るしかないよ。

 イデオロギーでメンタルを保つっていう。

 今はマニュアルが失っているんですね、働く動機もないっていうか。どうして働くのっていうか。こんな平和だと。

 だから、存在証明ですよね。

 個性経済学ですよ。個性経済学。

 うん。そうそうそう。そうそうそう。

 本は破れ!は読んだほうがいいですね。

 個性経済学ね。

 うん。

 だから、統一的イデオロギーとかないんで。

 自分で作るしかないと。

 うん。そう。

 信じられる物語がなくなってしまった以上は、自分で作るしかないよって。

 ないよって。ないよって言っている本なんですよね。本は破れ!って。

 大学に行くとか、東大に行くとか、大企業とか、ないよって言っているんすよね。

 有名人になっても自殺するし、電通に入っても自殺するし、ないよって言っているんすよ、この本は。

 もちろん電通に入っても自殺しなかったと思いますよ。バブルの時代だったらね。

 生きるっていう意味が国家に貢献しろだったんで、みんな国家がカッケーと思っているから自殺しないと思うんすね。24時間働いても。やりがいや生きている実感があるから。

 でも、今は電通に楽して入ってしまった高橋祭さん、立場が欲しくて、電通を選んでしまうっていうところがダメなんすよね。自分の目的と手段を取り違って、そこを間違えているんよねっていう話。

 そこ突き詰めるとどうなるのかっていう話ですよね。

 目的を設定すれば、やろうってなるよね。

 たとえば、YouTubeをやろうだとか。

 そう。つまり、存在証明、広い意味で、だから、ボクだったら、古田更一さんの本は破れ!を拡散しなきゃあかんな!って思っているんで、そうそうそう。まあだから、社会に予想外の人間がたくさん増えてほしいわけですよ。

 あ、だから、ユーチューバー見ていてもつまらんわけですよ。面白いのがカオスフォレスト界隈ぐらいしかないって話なんですよ。刺激的じゃない。

 お金使ったよとかルイビトン買ったよとか全然面白くないの。そう。面白くないじゃん。

 うん。おもろくないよね。全く。

 だから、うん、そう。

 もっとカッコよい人間像が増えてほしいし、個性がどんどん見てみたい、予想外の他者をどんどん見てどんどん出てビビってないで、もっと楽しませてほしい。

 見るのが楽しいんで、本当は社会が面白かったらYouTubeなんかしなくていいんすけど、あまりに社会がビビっていて、自意識なんか分からないけど、面白くないんだよね。

 うん、それは。

 だから、オレはこれが面白いと思うよってことで、こういう本とか面白いよね。

 まあ面白いの増えろよっていう話で、皆さんもユーチューバーなってくださいよ、マジで。全然アンチとかでもいいんで、ユーチューバーになってください。自分の言葉で語ろうぜ。ビビッてないで。個性経済っすね。

 ダニエルさんの、うん、まとめの文章だね、どうやって生きるか?っていう人生の当たり前の問題から逃げていただけっていう本は破れ!解説は当たっていて、逃げていたらね、ダメ。戦えば面白くなりますよ。

 うん。そうだね。まだまだ荒いですけど、今日は終わります。

目のない猫は可哀想じゃない理由

  はい、メンフェスです。

 今回もefootball、サッカーのソーシャルゲームをやっていこうと思うんですけど、さっきTikTokで目のない猫という動画を拾ってしまって、めっちゃあげたら全部YouTubeでバズっていて、たぶん絵的にインパクトがあるんでしょうね。

 あれはいい動画だと思います。

 もちろんボクのタイトルのつけかたも刺さったんだと思います。

 なんていうんだろうな~、タイトルに反するコメントがたくさんつくのは面白いですよね。目のない猫にかわいいというタイトルをつけて釣ってみると、目がないんだけど…っていうちょっと露悪的というか取り繕ったコメントがつくんすよ。大丈夫?みたいな。

 逆に今度、かわいくないっていうタイトルをつけたら、偽善的なかわいいじゃんっていう気味悪いコメントがつくんすよね。

 これ、なんなんだろうな~って思っていまして、これ、みんな、モノ申したいのかな?う~ん…そういうことですよね。

 みんな、モノ申したいんだと思いますね。

 あれは使えるなって感じなんですけど。

 あれで、チャンネル登録者が10人ぐらい増えてありがとうございますってかんじです。はい。

 いや、Short動画をあげるだけで動画が伸びるのか?って疑問があって、この前対談させていただいたカオスフォレストの古田さんや医科歯科医学部系ユーチューバーの初田さんから教えてもらったんですね。

 本当にありがとうございます。

 そう。なんなんだろうな?あ、分かった。かわいそうってコメントに思うのは、かわいそうなんてないんだと思うんですよ。フィクション。だって、猫ってモノを考えられないんで、大丈夫なんすよ。あ、猫なりには考えているだろうけど、オレはモノが見えなくてきちぃ~なって人間なら思うんすよ、それ、人間は思うんすよ、でも、猫って会話がないから。猫ってにゃーにゃ―言っているだけなんですよ。しゃーとかそれだけ。大丈夫なんすよ。目が見えない猫はかわいそうではないんですよ。はい!これが哲学です。

 かわいそうじゃないですよ、絶対。

 目が見えなくてかわいそうだなとか思っていないんすよ、言葉がないから。

 そもそもこれがデフォだと思っているんすよ。

 視界っていう概念がまず分からないから、目が見えているだとか見えていないだとかいちいち考えないし悩まないと思います。

 人間はいちいちモノがどうこうとか色とかなんとか考えるじゃないですか、キレイらしいぞとか分かるじゃないですか。

 猫はいちいち考えません。

 はい。なんで、目の見えない猫はかわいそうじゃありません。

 べつにあれがかわいいかかわいくないかはどうでもいいんで、まあ飼ったら好きになると思いますよ。

 まあ、瞬間はゾッとしましたよ、目がないから。

 でも、かわいそうとか全然ないです。神様、この子にもう一度、光のある生活を送らせてくださいとか、すげーこいつ思っていないだろってコメントあったんですけど、大丈夫ですよ、本気で思っているんだったら、大丈夫です。

 気にも留めていないです。

 デフォなんで。

 言葉がないから。

 はい。

 っていうわけで、efootballをやっていこうと思います♪

 目がない猫はかわいそうじゃないんすよ。分かっていないんで。

 そんなくだらない話をしている場合じゃないぞ(笑)っていう感じで、昨日に対談したんですけど、内容のほとんど理解できませんでした。ついていけず。あんな真面目な。

 う~ん…、まあそうそうそう、そんな感じっすね。

 目のない猫はかわいそうじゃない。いちいち目がないことを差別だとか言うことが新しい差別っていうことで。

 もちろんボクもそういう気もあるかもだけど、自戒を込めてですね。

 さぁ、ゲームをしよう。決めていこう。

 目がない猫はかわいそうじゃないんですよ。

 

メンフェスっていいたくなるよね

 はい。今日はメンフェスデバイ、バルセロナの練習をやっていきたいと思います。

 メンフェスですね、これはサブ垢なんですけど、メインの方でレンズマ使っていてまあとにかく強いんでめちゃくちゃ面白いゲームなんですね。

 このサッカーのソーシャルゲームの最強キャラ・メンフェスデバイがめちゃくちゃ強くて大好きなんです。

 で、パスが巧い。カーブもできる。

 でも、どうなるかは分からないです。

 瞬発が出るのか出ないのかっていう話がありましてね。

 優秀すぎますよ、この黒人の選手。見た目もカッコいいですしね。

 メンフェスで今からソーシャルゲームをやってみます。

 キック・フェイントを見せていきたいと思います。

 ディフェンスからいきましょう。

怖っ、ナイス、ナイス、強いね、あ、今サッカーのゲーム実況をしています。

おっ~!オフサイド、オフサイド、痺れますね~!!!

いや、これはキック、なんでこないの~!!!

絶対にオレは煽りませんよ。もちろん煽られたら煽りますけどね~!あははは。

うん。煽られたら、煽る。ナイス!ナイス!メンフェス、キックフェイント!

あ~!!!サッカーって本当に面白いんですよね。

皆さん、これが人生のシンプルな快楽だと思うんですよね。

メンフェス、やりますね。

皆さんも是非お試しください。

 

前書き AI文字起こしとweb writerの実践

 テクノロジーの天才的思想家・落合陽一の主張を最新のテクノロジーでAI文字起こしし,かつweb writerの私が監修をさせていただいた.

 正直なところ,殆ど文字起こしそのものには時間がかからず,どこを噛み砕きどこをカットするかに頭を使った.

 この本は今の近代を引きずったYouTuberもTVマンも死滅していく,もしくはメタバースなんだということを皮肉にも証明することに,私より工学に詳しいprogramer初田龍胡の解説を読んでハッとした.気づいた.

 コロナ禍も終わりメタバース,YouTuberブームも終わり,ちょうど振り返るにちょうどよい内容になっている.

 逆に言えば,このシンギュラリティ時代の新しいAIを活用した翻訳の方が勉強になったし,落合陽一の可能性と限界は最低限であることを胸に秘めながら近代の終わりを嘆く一人の犬の話として見ていただいたら幸いだ.

 もちろん貧者のVRと表するのだし難解さを極める詐術なYouTubeチャンネルの原典は当然ある.

 今回は落合陽一ってこんなもんしょという落合陽一入門ブックとして閲覧していただくと幸いだ.

 まあ近代人的には彼の昔の著作は今でも賢いと思う.

 あくまでも初田龍胡の皮肉は近代人の中でシンギュラリティを観測する天才はシンギュラリティが起きたら単なる秀才だったという皮肉だろうけど、まあ落合陽一さんも色々政治やらかしたもんね。

 しゃーない。

 では、最低限の大学入門そして最低限のYouTuberの終わりとして閲覧せよ.

 

初田龍胡解説 〜落合陽一録〜

 文字数913

 一言で中身がないです(笑)。

 というのは冗談でもなくて、単純に落合陽一さんの政治的な限界が出てきたんでしょうね。

 僕と違って落合陽一さんは秀才、ある意味では政治家として彼は天才だと評価しているわけです。

 彼が賢いのは若者や天才というメディア操作をしながら内実は地味すぎるマジシャン、国家に雇われた単なる日本の犬というわけですね。

 しかし、彼と蜜月だった暗殺された安倍晋三元総理を知ったり、無能な山本太郎や小泉、そして大学の終わりを知りながらも、メディアアートや、ゆっくりとシンギュラリティ、技術的特異点を知るには格好の良い資料だと思います。

 古田さん、まとめてくれてありがとうございます。

 しかし、恐ろしいなと思うのはたかだか筑波大学の間抜けが国立ぶって東京大学を飛び級してしまうという大学や国家、近代というパラダイムの終わりを表す三島由紀夫だったのかな、いや違うか(笑)とか思いますね(笑)。

 いつだったか本物の天才で地味な古田さんと一緒にデジタルネイチャーを読んだときに僕がボロクソに宇野常寛や落合陽一をディスったんですよ。

 そしたら、古田さん覚えているかな、彼が「落合陽一は偽物だから良いんだ」と言ったのがすごく印象に残っているような残っていないような気がします(笑)。

 つまり、落合陽一は単に感傷マゾしているだけで、アートの才能がまるでなくて、アートは古田更一に、テクノロジーは僕や医学部、一部YouTuberに完全に追い抜かれてしまったんだなと思います。

 というか、殆どをAI筆記して、それを古田さんという1流のプロであるweb writerが監修しているんだ、ということが驚きです。

 これは日々進化する科学者の定めかもしれません。

 やべ(笑)。僕ももうダメか?!(笑)。

 というわけで、これは大学の限界、国家の限界、近代の限界が詰まっていて、僕の興味はAI文字起こしすげぇ!使いこなせる古田さんもプログラマー的にすげぇ!というそれだけっすね。

 ま、頭が悪い近代人は復習代わりに無キャな落合陽一の戯言、当たり前をどうぞ。

 ってなわけで、解説を終わりにしたいと思います。

 ご清聴ありがとうございました。

未知への追憶 #10 落合陽一【第三者視点】YouTubeAI文字起こし×web writer古田更一直接翻訳筆記

 今回はwithコロナとかアートについて語りたいと思います.

 でもまあwithコロナになって自然がテーマになっているわけじゃないですか.

 例えば,美術館も19,20,21世紀で意味合いは変わっていきますからね.

 美術館は啓蒙ですよね.

 金持ちのお宝を共有して民に伝えていくみたいな.

 しかし,コンピューター時代には双方向になりますよね.宝を持つ金持ちと宝を持たない民というのが成立しなくなる.

 で,筑波万博の2年後にボクは大体生まれてまあ筑波大学でメディアアートしてますけど,80年代のテレビと今のコンピューターの違いって何だろうなって考えるわけですよ.

 80年代はポストモダンだのニューなんちゃらとかあって物質を無くすことしたけど,withコロナ時代には物質が恋しいしコンピューターには物質が少ないから当然,物質回帰がきているかもしれない.

 

未知への追憶 #9 落合陽一【第三者視点】YouTubeAI文字起こし×web writer古田更一直接翻訳筆記

 渋谷マルイモディ2階でボクの新しい個展が始まります.

 新しいことを考えるのに2020年はすごく良いと思うんですよ.

 2019年と2020年は大きく違う.

 今までは物質と映像だったり,未知への追憶だったりをテーマにしたが,コロナ禍後は大きく変わるだろうね.

 民藝が重要で日々クリエイティブでいたくて,社会批評性のあることはしたくないなと思う.

 社会を批評するなら社会活動で実装すれば良いし,社会批評を混ぜるとアートやクリエイティブが下がるなと感じますね.

 社会批評なんかなくても,アートは機能する.

 メディアアートをテクノロジーだけでやっても十分に感傷的なアートだし,言語化できないものを十分出していると思う.

 

未知への追憶 #5 落合陽一【第三者視点】YouTubeAI文字起こし×web writer古田更一直接翻訳筆記

 そうだな.今回は日本科学未来館の展示の計算機の視線計算機と自然について話したいと思います.

 3年前2017年だぞ4年前くらいかな,とにかくあそこに小学校の時にも見える地球儀が置いてあるじゃないですか,それを新しくするらしくて,そこでボクの常設展示が決まったんですよね.

 少子高齢化の日本ではAI技術が大事だよねとかデータサイエンス必要だよねっていう話をしたんだけどハッキリは理解されなくてなるほどと思ったね.

 つまり,デジタルネイチャーという新しい計算機上における自然をボクらは考えないといけなくて,たとえば質量のある世界と質量のない世界があって,映像のある世界と映像のない世界があって,人間なのか人間じゃないのか不明瞭な世界観が今後起きていくわけですよ.テクノロジーが前提になった社会ではね.

 でも,それは考えすぎて単純にピクセルだとか光の問題じゃないのとか熱く返してくれて,久々にデジタルネイチャーについて熱弁できてめちゃくちゃ嬉しかった.

 自然と人間がいるようにコンピューターと自然が調和しコンピューターと人間が調和するように,もう自然と人工の違いなんかないような世界がやってきますと.

 マックスウェーバーが言っていた魔術化が今また来ていて,魔術化した世界の中で我々人類は旧人類のようには振る舞うことはできない.

 で,だから新しい環境にどう適応できるようにするか?が課題なんだよな.

 で,アナログとデジタルの違いはなくなるよね.

 初音ミクも自然と言えば自然だし浮世絵もデジタルと言えばデジタルだし,まあそういうことを真剣に日夜考えているわけです.

未知への追憶 #4 落合陽一【第三者視点】YouTubeAI文字起こし×web writer古田更一直接翻訳筆記

 そうだなぁ,ボクが初めてやった個展はマレーシアですかね.

 映像と物質っていうのに興味があったからテーマはイメージ&マターっていうタイトルにして,映像でありながら物質的,物質でありながら映像的というか,物質でも映像でもないギリギリの物理をどう立体に表現するか?が博士時代のボクの研究です.

 で,計算器上における自然と計算機外における自然が一つになったらデジタルのネイチャー,デジタルネイチャーかと思いまして,こういう最新の科学研究をしています.

 マレーシアや六本木の作品は良かったな.

 修士の頃にも頑張りました.

 で,東大のときかな,震災があってなんか桜のプロジェクションみたいなのがありましたね.

 まあマジでメディアアートやテクノロジーやっているんですよ.

 で,何を言いたいかと言えば,メディウム,媒体,メディアとテクノロジーは切っても切り離せないぐらい関係しているんです.

 そのあたりの体験がめちゃくちゃ重要でした.

未知への追憶 #3 落合陽一【第三者視点】YouTubeAI文字起こし×web writer古田更一直接翻訳筆記

 YouTubeチャンネルを初めて感じたことを話そうと思います.

 みなさんね,ボクのことをちゃんと見ていないことに気づきました.

 っていうのは例えば,Twitterとかなんだろうプレリリースとかあとwebとかで色々と発信しているわけね.

 毎日例えばウチの研究室でこんな研究してますよこんな展覧会してますよあとはこんな研究プロジェクトがあってこんな発表してますよとかこんなかんじ.

 だから,ブログを含めて色々と発信はしているわけ.

 ちゃんとは書いているんだよ.

 でも,やっぱちゃんと理解できるのは少ないなーっていうかんじ.

 もちろんTwitterに44万人ぐらい見てくれる人々がいてちゃんと見てくれないことは分かっても無謀でも自分なりには頑張っているつもりなんですけどね.

 だから,1年に4回ほどしかしない個展とか来る人々は本当に少ないと思う.

 作家として理解されることがあまりされないから,キツいなと思ったりします.

 理解されないことがショックだったんだよね.

 そりゃあそうだよね,newszeroも10%しか見ていないし,何十万人に見られているとは言っても日本は1億人いるわけで,自分より先にやっている同業者も追え切れないだろうし,その癖なんだろうSNSで引っ掛けるものにしか興味無くて本も読まないヤツラばかりじゃないですか.

 人によって多分見えているものが全然違う.

 メディアアートは好きだし情報科学は好きなわけで,学士博士まで頑張って行ったわけで,つまりテクノロジーに詳しいわけ.

 で,必要なことと言ったら世界で自分が一番詳しいことを見つけてそこから何か研究していくということじゃないかな.

 つまり研究することとメディア装置を専門にすることは似ているから,アートをしながら研究者をするのは自然なことなはずなんですがね.

 だってメディアに詳しくなったり研究したりすると,メディアとは何なのか?研究とは何なのか?を厳密に精査していって,今までの皆さんのやっている思っているアートとは全然違うことをボクはやっているわけ.

 楽しいよね.

 でもさ,逆に社会に実装していくということも大事で,重要な課題です.

 だって,そういうことをしないで昔やったことや引用ばかりして大きい顔をするとかボクにはできないから.

 話は複雑なんだけど単純に色々大事なんだよってことですよ.

 例えば,研究者としては音と光を専攻しているけど,やっぱり歯抜けとして全部がバラバラに伝わっているんだなと憧憬に浸っている次第です.

 やっぱだからYouTubeチャンネルを作って出来る限り皆さんにお伝えしたい.

 拙い喋りですがよろしくお願いします.

 

 

未知への追憶 #2 落合陽一【第三者視点】YouTubeAI文字起こし×web writer古田更一直接翻訳筆記

 芸術祭というのがあって,4年前くらいだと思うんですけど,カバーというかポスターに自分がメインで取り上げられるのは初めてですごくよく覚えているんですよ.

 自然と向き合いながら見えていくものと芸術をする人間ができることって何かなと考えたときに,たぶん当時終わるであろう自然の中にデジタルがあるんじゃないかと思ったわけです.

 山手線かな?都内の至るところに自分のポスターを貼られる体験はまだなくて,それがすごく面白かったな.

 その後,茨木の県北の芸術祭で,内容はなんだっけな?宮中学校っていう廃校になった学校があるんですけど,そこで展示したんですよね.

 人の営みがあった場所から人の営みがない風景ってなんだろうなって.

 で,霊的なもんをそこに感じた.

 ガラスとか劣化したガラスから出る光がすごい歪んでいる感覚で,

 でもね,この中学校にはまだ人間の感覚が残っているんですよね.

 なんつーか,夏休みが始まって終わらないみたいな風景だったわけね.

 これめちゃくちゃ面白いと思った(笑).

 ファンタジーや仏教,胡蝶の夢じゃないけど,物化する計算機自然,デジタルで出来た蝶々を置いたらカッケーと思ったんだよね.

 山並みに光が出ていて,山々の中にポツンと廃校になった中学校に蝶々がいるのはなんか良いなと思った.

 で,人がいなくなった後にこの感傷的な風景の中にポツンと作品だけ置いているときに,人がいた情景とそこに残った情念とそこに起きる現象的な驚き,これらの対話は一体どういうことだろうね?と思った.

 人類ってここまできたんだなというアーティスティックな喜びと原理的なアートを理解できる人間はたぶん少ないと思うんだけど,でもちょっとはいるよね?

 でもサイエンスの中に人間性がなくなるか?と言えばそうでもなくて,退廃的な風景の中に退廃的な美みたいなもんがあるとボクは思うんだよ.

 だから,この4年ぐらいはこういうちょっと寂しい美というものを追求している.

 誰もいない瞬間を写真を撮ったりしたんだけど,そこに人間はボクしかいないけど機械はあるみたいなさ… .

 美しいですよね.

 なんで,茨城の芸北祭はボクにとって本当に好きな時間でした.

未知への追憶 #1 落合陽一【第三者視点】YouTubeAI文字起こし×web writer古田更一直接翻訳筆記

 落合陽一です.メディア・アーティストをしています.

 動画をご覧の皆様へ公式動画チャンネルを作ることにしたのでどんな思いで動画を撮ろうとしているのか.

 とかどんな思いでチャンネルを立ち上げようと思ったのかみたいなことを今日は話していただけたらなと思います.

 普段はメディアアートをしていると言われるんですけど,まあボクがメディアアーティストとして何を目指しているかと言うと,物化する計算機自然と対峙し映像と質量の間にある表情や情念を反芻するみたいなことをよく言っています.

 言葉としてはデジタルネイチャー,物価する計算機自然ですと,なんかデジタルネイチャー目指していますと言ってどういう意味なのってことをよく聞くんですけど,その度に言葉では文章でよく書いたりだとか,説明してもあんま理解されないなぁーってあったりとか,自分で見ているものをしっかり伝えたいなぁーって思ったり,自分でしていることをみんなでしてみたいなぁーって思ったり,じゃあそういうときにどうするか?を文字で考えてもいいんだけど,その過程において動画で考えてみるのもよいと思ったりもします.

 このチャンネルのタイトルは落合陽一録,まあ記録の録ですね,記録がないなぁーって思って,記録を第三者視点でやっぱり見てみたいなぁーっていうのがあって,で,そうするにはどうすればいいか?考えています.

 忘れっぽい自分の中でやっぱり自分が行動の中で道を発見したいです.

 シーズン1のタイトルも未知への追憶というテーマにしたいと思いました.

 あの未知なものに会いたいなという気持ちがすごく強くあって,簡単に言えば一生続くドキュメンタリー,ライフログ,を作ってみたいなと思います.

 なんか様々なことをしていて,自分の見ている視点を共有したいんだけど,どんなことにもコンテキスト,状況に対するしっかりとした理解が大切で,そのコンテキストが分かる人間がちょっとでもいればいいなっていうのを思っている感じですね.

 例えば,未知を発見して新しいことがあって,自分にとっては発信なんかするよりも重要なことなんですよ.

 多分ワタシにとってきっかけになるし記憶力がないからだろうなと.

 最近ちょっとスランプというか(笑),弱音を吐いちゃうんすけど,新しいことを思いつかなくなることがあって,自分で自分を振り返っても分からないときがあって,もうそん時にはめちゃくちゃ自分に関する情報量を増やすしかねぇよなぁって思うんです.

 もちろんバラバラな情報からコア,核となるもんを見つけるわけですが,ほとんどのことは忘れているんです.

 しかし,自分で動画とか見返すと媒体というか,なんかイノベーションみたいなことが起きるんですよ.

 それは単純に記憶を強くしているだけっていうニヒリズムはあるけど,ボクにとっては未知への追憶と評したい(苦笑).ははは(笑).

 解釈を変えたり深めれば,まだ見たこともない自分に出会える気がするんだよね.

 あと,普段ボクのことをメディアアーティストとして追っていだいている古田くん含めた視聴者の皆様にもう少ししっかり理解されたいな,誤解されてるな,喜びを共有しよう!っていう気持ちがボクにだってあるわけね.

 そういう視聴者たちは落合陽一塾の皆様含めてすげぇ嬉しいなと思います.

 あとやる理由はちゃんと伝わるメディアがあればいいけど,テレビとか全くしっかり伝わらないわけよ.

 それに,素の自分を見てほしいという気持ちもありまして,テレビや書籍とはまた違う形で.

 とにかく偶然の奇跡みたいなことをしっかり伝えたいなと思うんだな.

 まあね,ボクとしてはバラバラに皆様に見えていることが一貫していて,楽しく生きているわけですけど,カテゴリーや分野,肩書きが邪魔しているのなら,生の自分を見ていただけたらなと思うわけです.

 喜びを共有しよう(笑).

 なんで一緒にボクのライフログを共有していただける友達みたいな方々がいたら嬉しいなと思い撮ることにしました.

 よろしくお願いします.

ゲーム理論が終わり始まる矛盾を解け.〜落合陽一がなぜ天才AI研究者ゆえにAIの速度に負けたのか?〜

 ゲーム理論は人間には通用したが,あまりにAIの進歩が早すぎて,AIとAIを利用する初田の動きは一時期追えなくなり一時期この私ですら大変な目にあっていた.

 パニクって似たことを言っていて凹んでいた落合陽一には同情するし,早く助けてやりたいなとも思う.

 問題なのはAIはゲーム理論そのもの,数式そのものだし,ギフテッド,AI以上にAIみたいな気味悪い脳みその人間はAIをむしろ操ったりできることだ.

 しかし,ふと気づくと私自身がAR,AI後の世界が見えるし,小さい頃からゲーム理論をやっていたので,AIの終わらせ方が分かるようになってきた.

 単純に昔,英語や数学を勉強した時間をAIへ注げばいいだけの話だ,皆さんには.

 私の場合はパラダイムを変えて思考するだけで頭が整理され着いていけることが理解できた.

 ゲーム理論はやっぱり不滅だ.

 なぜならば,AIを利用する人間とAIを利用する人間同士のゲーム理論に舞い戻り,より人間対人間の人文知臭い簡素なゲーム理論に舞い戻ってるからだ.

 大事なことは,簡素なゲーム理論までキたら,AIは草になるし,単なる便利な道具にすぎなくなることだ.

 自然の動きを意識した思考が重要になっている.

 

人間は生きる価値が無い.〜AIとゲーム理論をする数学を数学する〜

 落合陽一がAI音痴だと思うのは,ゲーム理論が分からないことだ.

 AIは単なる計算機なんで,ゲーム理論的に動く.ゲーム理論は他人とのやり取りにおけるコスパのいいあり方だと簡単に思えばいい.

 と,なるとAI的には国家は必要ないし人間が生きてる価値はないし,一番ヤバいのはガラクタなデジタルネイチャーであり,テクノロジーの話になぜだか仏教や民藝が挟まることだ.

 意味不明である.

 AIは万能がゆえに,国家不要論や仏教不要論を提示してしまう.

 本当に落合陽一がAIを愛するなら,安倍晋三はまず右翼すぎて論外だし(右翼にも失礼だ),国家の役人は直ちにやめるべきだし,仏教とかいうガラクタのゴミはやめるべきだ.

 私が言ってるんじゃなくて,AIとの競争や協調において落合陽一の戦略はあまりに人間的に見たSF的AI観だからである.

 人間から褒められて喜んでちゃいけない.

 なにも私はAIを代理したいわけじゃない.単に落合陽一があまりに矛盾してることにヤバさを感じるからだ.

 もちろんSNS時代には半場実装されてしまっていて,国家不要なAIとどう私たち人間が対話していくか?お互いが均衡するまでのナッシュ均衡をするか?かが重要である.

 つまり,神と言われていたものも本来,人間感覚を超えたものだが,今は数式となって人間を計るようなものになったのだ.

 しかし,神はガラクタ,いつの時代も宗教はフィクション,学歴はフィクション,国家はフィクションと分かる人間は一定数いてゲーム理論は正に人間を裁く最強のトリガーであり協調ゲームであり,99%当たる予言だ.

 しかしながら,問題なのはAIという動物じみた非生命体とゲーム理論しなければならないことが新たなテーゼだろう.

 AIですら難しいのに,そこにゲーム理論までも追加されている.

 数学の数学.

 落合陽一ですら不徹底であり,徹底的な数式を描ける人間たちだけがAIと対話できるだろう.

 むしろ人間をやめれる人間,そしてその上で人間に戻れる人間が求められている.

 人間を数式処理的にやめなければ,AIとセックスできないのだ.

 そして,殺されない人間と人間同士で触れ合うことも不可能だろう.

 落合陽一はAIを陰謀論的に消費しすぎている.

 まるでネットの学歴界隈と現実の中身ない大学を両方ニヒるに消費するみたいに.

 シンギュラリティ時代には大学は単なる情報処理の確認と人間学を学ぶ近代的な産物,16世紀の物語にすぎないのだ.

 

アンチフェミニズムを解けるのか?

 今最も重要な思想はやっぱりアンチフェミニズムじゃないかという気がする.

  ざっくりと言うと,論理を徹底しすぎると,男性がリベラル社会,偽善的な戦後には不利という話になるからだ.

 重要なのは,AI主義,シンギュラティが後押ししていることだ.

 AI主義を徹底すると,AIやSNS,コンピューターは人間ではないため,統計的に良くも悪くも人間の群衆がポルノにハマっていることを可視化してしまう気がする.

 しかし,がゆえに,人間は偽善的なフェミニズムを加速してしまう気がする.

 アンチフェミニズムも橘玲の遺伝学も学歴界隈も,シラケ神経症,茶化しがある.

 Twitterだから本だから学歴ネタだからと.

しかし,シラケることに過剰なその姿はあまりに不完全である.

今大事なことはTwitterのネタ的な予防線を張らない,痛くないアンチフェミニズム論ではないだろうか?

 

 このアンチフェミニズムのむじ

AIが草になる. 〜技術=未来はおかしい〜

 よくSF作品は極端なユートピアとディストピア,両面を映す気がするが,それ以外の選択肢やビジョンは見せれないだろうか?

 よく思うのが,いつの時代も大半は馬鹿だからいちいち大半の馬鹿に合わせていられないと感じる.

 SFがあまりにマスを意識しすぎて,いや,様々な個があるんじゃーねーか?って突っ込みたくなる.

 むしろ,いきなり踏み込むけど,AIが草になった社会を想定できないだろうか?

 AIが草になる.

 何を言ってるが分からないかもしれないが,あまりに早いテクノロジーの上昇はもはや人間の閾値を超えているしむしろ使いこなせないような気がしている.

 そこまでくると改めてデザインが下部構造,デザインが規定する気がするし,難しいので詳細は省くが,∅.空集合の話まで行き着く気がする.

 なんにしろ,考えるという快楽を邪魔する成田悠輔という古ぼけた政治家,デマゴーグはどうでもいいという話だ.

 皮肉なことに大衆の民意を尊重すると,ああなるらしい.

 

lainに潜む敗北の美徳.技術的特異点の勝利.~月ノ美兎はlainと同じ大衆病である.~

 メンヘラの開き直りに読まれる鬱病メンヘラなlainを,一方で,無邪気に現実から逃げるように読まれる躁鬱メンヘラなlain解釈からlainを改めて飛び込めて下部構造から読み替えなければならない.

 悲観的すぎるニヒリズムと楽観的すぎるプラグマティズムがその実,共犯関係的な間違えた極論の共依存だとしたらどうだろう?

 lainはあくまでlainとして見なければならない.

 もう一度言おう.

 lainをあくまでlainとして見なければならないのだ.

 極端な政治に関しては人と人とつながって社会を作っていく以上,必ず発生する問題だと捉えなければならない.

 だからこそ,魂の唯物論をここでちゃんと始めよう.

まず,アニメ版lainの簡単なプロットはこうだ.近未来の日本.そこではワイヤードと呼ばれるインターネット世界が流行っていた.

しかし,ワイヤードは精神世界や現実の世界とつながっている時空などがあり,インターネットの自由なセカイが現実のリアルワールドへ浸食して夢なのか現実なのか分からない社会へと変容していき,主人公のlainが敵である英利正美博士の陰謀に巻き込まれていくという話だ.

まずlainのどうしようもなさは,主人公のlainが多重人格的にキャラを使い分けていくところに問題がある.

性格の悪い方のインターネットの人格と静かな人格,元気な人格と切り分けて社会に接点を持とうとしているが,それは嘘であって,本当は1つの人格の束しかないのに,それを多重人格的にして嘘をつくというどうしよもなさがある.

これがにじさんじの思想,vtuberのメンヘラさを体現したふざけた問題だと思う.lainファンでもこのくだらなさは擁護できない.リストカットするバカは早く死んだ方がいいだろう.責任?他人事だ.ネタツイに酔うなら,ネタツイと死ぬまで心中しなちゃい.

 で,多重人格症という単なるバカについて.

月ノ美兎は自分には主体性がないし嘘をついていると日誌でも言っていたが,そもそも顔出しできないような未成熟な人間が表現するという行為は骨董無形である.

 もちろん月ノ美兎は馬鹿だし,主人公のlain本人も大馬鹿だ.

 しかし,バカはバカでも,実際にインターネットを使うときのインターフェイス的にこういった複垢,匿名的な振る舞いをして,得てして悪い意味で自分の本心を隠したり,短期合理的に行動した結果,自己矛盾で苦しむケース,そしてSNSであまりに他人のいいねを稼ごうとした結果,じゃ,オマエはナニしたいの?っていう主体性がまったくない空っぽの無個性に成り下がりやすいかもしれない.

もちろん,バカはバカにされると喜ぶからバカなのだ.同様にクズはクズだと言われると喜び,その解釈に酔ってしまう.

 正直その程度のものでしかない.

 しょせんアニメはアニメである.

そこを忘れてはならない.

 最後にlainは自らが神になることで世界を救うことを選ぶが,これもバカバカしい話だ.

 もちろんlainの気持ちも分かるが,やはり馬鹿馬鹿しい少女漫画的な感性に支配されている面は大きいだろう.

 少年漫画にはどうやら勝てないかのように見えた.

しかし,プロットの概略は0点ものであり,やはりそれでもlainが面白いのは工学的な表現だったり,シュールな表現,恐怖をくすぐるような言葉で表現できない独特の表現な気がする.

 テクノロジーはあくまでテクノロジー.

 っていうところは潔くて良いと思う.

たとえば,スマートドラッグを呑んだアクセラの少年が加速したのを感じたと言いながら,画面が加速していったり,自殺する女の子が意味不明なジョジョ立ち,晴れ晴れしたポーズで自殺したり.オマエの両親は本当の両親か?って言われたと両親に言ったら目をつむって両親から無視されて,振り返って見たらこちらをギョロッと覗いているこのいきなりの極端に意味不明な行動の数々.

lainは恐怖の表現が得意であって,ストーリーそのものにはあまり意味はない.

 アタリマエだ.

 ストーリーを否定するテクノロジーがために,わざわざストーリーという形式を取り,ストーリーを粉砕するのだから.

むしろ徹底したメディア・アート,映像そのものが動く快楽そのもので考えなければならない.

 そういう意味でもうTikTokやYouTubeshortに代表される海外の大きな自然を写した映像や最近流行るAIによるアートに立場を奪われている気がする.

 あまりに問題を克服しているがゆえに,psychopassは今回取り上げなかったが,対照的にlainはシンギュラティ,技術的特異点において為すすべもない人間たちがゾンビのスワンプマンのようになっていき,脳内がバグを起こして頭がグワングワンしている状況のパニックさを表している意味で素晴らしいかもしれない.

 もちろん私が以前に書いた技術的特異点よろしく徹底的に明晰なまともな最低限の認識を持った上で,頭をグワングワンしていただきたい.

では,頭がグワングワンすることを肯定的に取られたときにlainに代表されるこの作家二人の面白さは,改めて映像のスピードのテンポだと思う.

スマートドラッグを呑んだアクセラの少年が赤外線付きの拳銃で人を殺したときにはぁ…はぁ…言うシーンとかはイカしている.

早く匂いのある感じがいいんだと思う.

そういう意味で,にじさんじの月ノ美兎はシラケ神経症的でネタツイに逃げているのにアバターを外せないし,闇の自己啓発の木澤佐登志は闇だ闇だと言う割にはそこまで闇を追求できずに死ぬまで匿名でい続けようとしている.

 物語に二人共従属している所が不徹底だ.

 腹の痩せこけすぎたバカと男な女を演じる乙女ぶる子供をあまり産めないメンタリティにすぎない.

どこぞの中学生のクソガキに申したいが, そもそもtechnologyというのは速度の思想であり,そこに倫理やネタツイも介してはならない.

 徹底的に無感情に高速で進化し続けるー,そんな無味無臭な加速主義にしか意味はないと思う.

 そういう意味で,落合陽一のデジタルネイチャーに仏教が関わってくるのは良くも悪くも優しさは分かっても,本当の科学ではない.

lainを物語的に解釈する陰キャと,もしくは躁鬱なlainみたいな私なんだ!と思い込むメンヘラ女からlainを解放しなければならない.

 元来の生の自然にアニミズムをふっかける馬鹿馬鹿しさはやめにしよう.

速度は速度であること.

そういう話なのに,いちいちバカがいちいち物語化してしまう.

 もちろんアニメーションだから仕方がないがゆえ,いやアニメーションがゆえに物語化に対するあまりに詩的なあまりに詩的な表現に警戒し続けたのがlainという作品の気味悪さではなかったか?むしろlainがアニメの形式を取るのはアニメの動きそのものを肯定するためじゃなかったか?

 しかし,ここでテクノライズという男版lainはあるが,こっちはこっちで詩的な悲しさはなくても,あまりに悲惨に人々がたくさん死ぬという結論だった.

 良くも悪くも男の唯物論すら肯定しながらも困難さを表現し否定する面倒臭さが二部目にはある.

 小中と中村という作家は技術的特異点が起きたときに大半の人間が詩的に死ぬだろうし,仮に唯物論でも戦争をして死ぬだろうという身も蓋もない結論を提示している.

 政治だけもダメで経済だけもダメか.

ここで大事になるのが,三作目の神霊狩だ.

 この問題は等身大の平成あたりの日本の福岡県の田舎と宗教を舞台にし,主に誘拐事件で死んでしまった姉を持つ誘拐からの生還者の太郎がPTSD,トラウマと戦いながら,魂抜け,幽体離脱をして4次元の世界に行きながら仲間たちと謎の科学研究所の陰謀と戦う話である.

  話はあまりに複雑なので,そこらへんは吹っ飛ばすが,ここで大事なことはテクロノジーが優位になった社会ではむしろテクロノジーよりも家族や友達との関係の方が大事になってくるという新しい定義を見出している.

 あくまでも三作目では脳科学や古代の価値観に移り,テクノロジーがここでは心霊現象と等価として良くも悪くも見なされていき,今作は珍しく心理学に特化した治療をするという話に回収されている.

 lainに代表される極端な数学政治もテクノライズに代表される極端なデザイン経済も否定し,脳科学や心理学と田舎という人間の匂いのめちゃくちゃする場所からサイエンスとのかかわり方を考えるという一応の結論を出している.

 ここで重要になるのが,映像作家の中村が亡くなって未完で終わったディスペラだ.

 これはlainをもう一度というテーゼで昔の仲間が集まり,大正時代をテーマに戦争の時代に翻弄される若い男と謎の少女の絆を描いた未完成作品だ.

これで重要なのは,映画アバターをシナリオ・ライターの小中が愚痴っていたことだ.

 TikTok的な良くも悪くもな映像を否定していた.

 そこには物語度が低いからこそメンヘラになりやすいからかもしれないし,西洋と日本では感覚が違うのかも.

しかし,この作品はやっぱりテクノロジーに対する愛を取り戻そうという話であって,やっぱりダメな作品だと感じる.

 大正時代というのもメタバース的な逃げのように感じる.

やっぱり小中千昭と中村隆太郎の基礎は,シンギュラティ,技術的特異点に適応できない大衆たちの動きを繊細に見つめる絶望の描写と,その裏に隠れる宮崎駿の風立ちぬ的なtechnologyには善悪なんかないのだ,シュールなのだっていうふざけて怖い独特の身体がうねる躍動感の表現や意味不明なプロットの方に希望を感じる.

  

 シンギュラティ,技術的特異点の時代においての希望は,あくまでテクノロジーをテクノロジーとして直感的に享受し楽しみ身をブルブル震わすような作業にしかないんだということが今における彼らの残した作品群のアクチュアリな気がした.

 もちろん生々しくシンギュラリティを実感する生の実感をシャワーのように浴びれない今の大衆たちはlainのようにテクノライズのように神霊狩のように怯えて楽しむことはできないのだ.

  

〈追記〉

政治でも唯物論でも逃れきれない.家族や共同体,土着の神聖な宗教,そしてテクノロジーの正体,物理学や心霊,脳科学,ネタバレになるが人工動物にしかないんだと神霊狩は結論づける.

しかし,そんな大人になりたくないよ,そこにもまた納得せずにメタバースなですぺらを作ろうとした彼らの弱さは弱さだと改めて理解しなければならない.

これらの作品は福本伸行同様現代では全否定される必要があるゆえに,シンギュラティ時代の負け犬たちを丹念に最後のメタバース問題含めて描いているし,一応の最終回答を神霊狩で出している.身体性のある起源へ向かえよって.古代の問題から考えろよって.

そういう意味で,躁鬱的に鬱病的に月ノ美兎や木澤佐登志のようにSNSを極論で解釈するのはいただけない.

 月ノも木澤もSNSで勝とうとした結果,匿名的になりアバターを着飾るのは危険だ.

シンギュラティの困難さを微細に見つめるあり方が今は重要だろう.

44階段.

 1,生きているのは辛くないか?

 2,他人の目線が気になる

 3,才能が自分にはない

 4,メンヘラをこじらす理由

 5,個性とは何か?

 6,社会は存在しないのか?

 7,親が嫌いなとき

 8,恋人がいないとき

 9,上司が嫌いなとき

 10,働けない自分が嫌いだ

 11,死にたくなるとき

 12,自分とは何か

 13,神はいるのか

 14,世界は素晴らしいか?

 15,無意味に感じたとき

 16,楽しいときが思い出せないとき

 17,退学コンプレックスを治したい

 18,医学部に入りたい

 19,自分が死んでも世界が続く事実

 20,オカネがほしい

 21,寂しくて夜も眠れない

 22,息子に裏切られたとき

 23,息子を虐待してしまったとき

 24,浮気は許されるか?

 25,浮気したら浮気された

 26,人を殺してしまったとき

 27,テロリストが自分に似ている

 28,テクノロジーを信仰する気持ち

 29,TVに出てる自分が情けないとき

 30,若者に刺されたら

 31,賢くなりたい

 32,モテたい

 33,幽霊が見えたとき

 34,満たされないとき

 35,新興宗教と宗教の違い

 36,美術は人を救うか?

 37,橋本環奈は本当にいるのか?

 38,紅白がつまらない

 39,大衆になりたくない大衆

 40,世界は予定調和説か?

 41,幸せは定義できるか?

 42,不幸は定義できないか?

 43,明日死ぬならキミは何をする?

 44,生まれてきてよかったと心の底から思える瞬間

簡単に分かる技術的特異点のエッセンス

1,AIが人間より情報処理が早くて無理ゲー

2,しかし,人間中心に考えたインターフェイス,スマートフォンのデザインといった大衆アート能力,造形基礎は下部構造,AIに負けない基礎教養になってくる.

3,しかし,超複雑にはAIの速さが危険社会を起こし,避けられない戦争や暴動を引き起こす確率は0ではないが,メタ・プログラム問題で,プログラムに矛盾が発生するようなバグ的な世界観(AR.本物のアートや不謹慎系YouTuberなど)を提示できたら解除できる.その代わりAIに頼らないほどよい不便が起きるが,むしろ不幸論,計算されたほどよい非計算さのノイズの不便さがむしろ命を助けたりすることもある.YouTubeの見すぎやYouTubeのやりすぎは気をつけることだし,YouTubeをプログラムだとみなしてピーター・ナウアのようにメタ・プログラムを発見すればいいのだ.

技術的特異点.〜Designの重要性〜

1,シンギュラティの上部構造と下部構造の簡単なラフスケッチ.

今まさにdesignの重要性は上がっていると感じる.

なぜなら,近代以降を生きるボクたちが直面するシンギュラティ,技術的飽和の時代にはスティーブ・ジョブスよろしくdesignという発想概念が切っても切り離せないくらい必要不可欠だからだ.

シンプルに言い切ってしまえば,シンギュラティという時代の変移には当然コンピューター科学,そしてその先に出てきたdesign,ユビキタスを駆使したスマートフォンが重要になるだろう.

コンピューターを準備したのは第二次世界大戦であって,携帯というものも当時はアメリカが軍事的に使っていくものだったのは有名だ.

それまで科学というものは大学や国家が独占する高級なそして未知の品物だったのだ.

しかし,コンピューターの思想家アラン・ケイが,ユビキタス・デザイン,つまり具体的に言えばタッチ・パネルを駆使したパソコンや子供が使うことを前提にしたビジュアル・デザインによって想定されたコンピューターを彼は予見してしまったのである.

これはコンピューター史にとって大きな革命だ.

実のところ,シンギュラティというすでに起きている技術的飽和の立役者たちは数学が得意だったり物理学が得意というよりも,文字に先行された抽象数学ではなくて,より立体的な造形センスに優れたデザイナーたちによってコンピューターが大きく形を変えてー,つまりプログラムの先を超えて大きく使いやすくそして大きく変わっていったことは忘れてはならない.

 つまり,シンギュラリティを造るのはテクノロジーだけでなく,むしろデザインである.

 シンギュラティという言葉を科学だと数学だと捨象してしまう危険性が大きくつきまとっており,これがデザイナー神話やシンギュラティに付きまとううさん臭さを漂われている.

 本文はマルクスに逆らわずに徹底的な唯物論に孕んだシンギュラリティ実践を言語化していこうと思う.

 もちろんデザイナーという仕事がそもそも夢をコンパクトにするという極めてデザイン的に圧縮するがゆえに,そこにアート的なインパクト,うさん臭さや神秘性を垣間見せてしまう危険性は大きくあって,実際にアラン・ケイよりもスティーブ・ジョブスや落合陽一という理数に優れたデザイナーもどきたちは多くの純粋なビジュアルタイズが得意な単なるデザイナーよりも優れたデザインをたたき出してきたし,実際に「天才」の彼らが天才神話という夢を優れた形で演じ切る,演じ切れるということはそれはもう本当に天才的なデザイナーと言っていいという皮肉なことが商業的にも発生したのは事実だ(あくまで天才は良くも悪くも上部構造でも勝つが,その実,下部構造も理解している隠していることは気づかないとならない).

しかし,ここでは等身大のシンギュラティを考えていきたいし,そのためには天才たちが天才がゆえにうさん臭くそして大衆たちもあがめてしまうデザイナー神話という上部構造を脱し,より徹底的に下部構造からデザインの神髄というのを多角的な方向から解釈したり理解し実践し考えていきたいと思う.

つまり,今までの時代は確かに造形的な理解だったり,美に関する仕事は天才や一部の才能に富んだり奇抜な美大生たちだけに享受されてきた品物だったが,シンギュラティ時代にはコンピューターやAIを前提にしたある種の第4次産業が基礎の下部構造になるため,当然に天才的と今まで思われてきたデザインの教養は開かれた必須教養になっていくだろう.

 しかし,武蔵野美術大学に造形学部ばかりよろしく,文字と造形という概念はこれまでの近代教育では相反するものだったし,当然に大学という教育機関を引きずる武蔵野美術大学だって限界はあるわけである.

 というわけで,シンギュラティ時代にふさわしい職種web writerや,批評系YouTuber団体ChaosForest代表としてささながら若者カルチャーに多少なりとも関わっている若手論客のこの私が,尊敬する私へ教授してきた先生たちの教えを文字のデザインという新しい技法,web writingを駆使したり,YouTuber時代を生きる私を含むZ世代たちにこれからのシンギュラティ時代に必須教養になる未来的な造形技法デザインの基礎と未来のデザインに関してざっくらばんに多方面からまとめ切れる交通整理が出来れば幸いである.

もちろんこれは,シンギュラティはあくまで商業アート,つまりデザインがあってこそ普及してきたしこれから先更にそのインパクトは広がりますよという話であって,とりわけスマホが流行った現代と自動運転AIのテスラが流行る近未来を想定すると,今基礎の下部構造になっているのは数学や物理ではなくて,デザインという話である(当然,この場合に政治,上部構造はコンピューターを作ってきた数学やコンピューター科学になる.現代に文系からもそして皮肉にも感性の落合陽一含む理系からもシンギュラティの発展をあくまで理系だけだと文系の人間含めて解釈するところに論点のズレという問題があるのだ.).

〈追記〉

 前作,本は破れ!では大学の様々な学問を横断しながら,美が大事と説明したが,アートが容易にできる人間が殆どいないのにアートを先に行おうとする読者が多くあるように拝見された.なので,アートより簡単な,しかしアートよりは簡単なデザインに絞って美術を記述するのが今作の私の目的だ.そこらへんの連続性を意識してもらいながら今回の文章は読んでもらうと幸いである.

2,デザインとは何か?

デザインとは造形である.

もう一度言おう.

 デザインとは造形である.

何度でも言いたくなる.

 デザインとは造形である.

 当たり前のことを言っているかもしれないが,これがなかなかに難しい.

たとえば,簡単にする側面もあるデザインという言語の解釈の難しさはそれが今では多義に利用されているし,これから先に紹介する武蔵野美術大学名誉教授・原研哉先生よろしくデザインの解釈というのは相当に難しいのだ.

 というか,今先ほどに造形,形を造ると申した通り,そもそも言語というフレームワークでは解釈できないものだ.

 しかし,これがシンギュラティ時代には基礎教養になるため,必ずここは抑えていかないとならないし,言語でデザインを伝える力はある意味ではこれまでの近代的な定義に収まるデザイナーたちには必要ない力であって,なぜなら言葉で説明する暇があるのなら,プロダクトを造った方が早いし客観的だからだ.当然にこれは解像度や解釈が遅れていて完全に当てはまらないが,テクノロジーの思想家でありメディア・アーティスト兼筑波大学教授の落合陽一の言う文脈のゲームから原理のゲーム,現象to現象といった話である.

 まず言語というフレームワークを降りるという発想視野は実のところ,造形的に見えたから流行ったYouTubeというUIですら徹底できていないし,むしろかなり不徹底だ.

 YouTubeは文字メディアと違うように見えるかもしれない.

しかし,いいねやわるいね,それに題名の長さやコメントといった言葉の羅列がかなり多いメディアという欠点を有している(これがまさにBlogメディア・noteのつながりたいスノッブたちの下品さであり,矛盾だが下品さゆえの魅力さなのだ).

どちらかと言えば,黎明期のニコニコ動画だったり,今だとTikTokの方が厳密には不徹底だけどデザイン的な造形をまず理解している気がする.もちろんYouTube・shortは造形に近い短い動画だけど,これも短い動画なら簡単だったりふざけていいでしょという話だと誤解されやすいのだ.原研哉がデザインのデザインで確か言っていたけど,80年代に流行ったポストモダン的なノリのデザインの諧謔はデザインの本質が分かっていない言語が先行した神経症だというようなニュアンスの否定を言っていたと思うけど,そう言語で理解する近代的な真面目な方々たちは神経症すぎるがゆえに,デザインをギャグだと思ってしまう(ネタツイ神経症).

 お笑いを見ている人間たちが別段に面白くもない生真面目すぎるがゆえに面白いのだという皮肉は言うまい.

 しかし,だからそれはツッコミという過剰に言語に支配された日常があるという前提が共犯関係的に内蔵されており,それはまさに良くも悪くもここでは非日常も内包するアートに近くて,デザインという日常の美はシンギュラティ時代を用意したものでもあるのだから,ちょうどデザインこそが科学的だし理系なんだという解像度の浅い理解が今再教育としては重要なような気がする.アートをより分かりやすくそして使いやすくしたのがバウハウスよろしくデザインという思想だからである.

 ここでデザインを理解できるデザインのテストをしよう.

 ようするにデザインという造形はそのものであって,たとえば,ちょうど目の前に石があるとすると,ナニを当たり前を…と言われるかもしれないが,アナタはどう今目の前を記述するだろうか?

問 目の前に石があるという事実がある.これを文字で記述せよ.

 

目の前に石があった.

 

これが一応のデザインの模範解答だと思う.

 ふざけているわけじゃない.これが造形把握だ.

これをやはり言語で説明するのはなかなか難しい.

筆記ではなくてweb writingを駆使してもやはりどうやら完全に言語化するのは難しいらしいのだ.

これではやはり,目の前に石があった.とふざけているだけ,小学生の作文を書いているだけに見えるかもしれないのだ.

では,ここで小学校の算数における図形を導入して説明を駆使してみよう(図形数学はdesignの進化).

 ようするに,目の前に石がある事実に対して,文字による説明をやめて,画像による説明をしてみるのはどうだろう?

 そう,まずは石が目の前にあるとはこういうことだ.

 文字で言われるより,画像の方が分かりやすいかもしれない.七面倒臭い屁理屈やしかめっ面な文字はいいよって.

 しかし,このイラスト屋によるフリーによるよくある目の前の石もプロのデザイナーが加工した石の画像がゆえに危険だ.

 もしかすると,イラストで説明しちゃうと,プロのデザイナーが加工した石があった.という記述になってしまうかもしれない.

 これでは目の前に石がある事実をちゃんと正確に記述するのは難しい.

 意外にも目の前に石がある事実をしっかり記述するのは大変な作業なのだ.

さて.今目の前に石があった.という解釈と先ほどのイラストの石による解釈があって,どちらも正しいけれどよりデザインしていく必要がある.2つの解釈を許容できるような… .

 そういった折衷的なデザインを僕たちは行わなければならない.

 で,じゃあ,これはどうだ?

 キミの目の前に石が見えていた.

難しいことを話していて,石が目の前にある事実をただ文章で説明してもイラストで説明しても2つの違う解釈で混乱するために,石がどうこうという話はとりあえず脇に置いておいて,とりあえずアナタの目に映るという共通項で絞って記述してみせた.

 キミの目の前に石が見えていた.

 もちろんこれも情報を絞ったり,揚げ足的にそれが皆が思う正解か?と揚げ足を取られる可能性もあるにはあるけれども,これがデザインの凄さであり,デザインの難しさだ.

 もう一度言おう.これはもう納得しないか?

 キミの目の前に石が見えていた(もちろん石はSF的には存在しないんだよ!とか揚げ足をとれるがそれはギャグとツッコミでありネタツイ神経症的でdesignを否定できていずに言葉だけが神経症な統合失調症としてつるつると滑っている).

 デザインをするということは一見簡単に説明しながらも,造り手のほうは様々な角度から矛盾したり突っ込まれることに対する多方面の理解というのが必要になってくるのだ(こんな簡単な文章でも理解するのは難しい).

 もちろんただ揚げ足をとっていたらいいというわけではない.

ここが難しいところでデザインは基本的にデザインをどうするか?という先ほどの実践的な話を脇に置いておいて,歴史的な通説で解説すると商業アートであり,SNSを代表的に考えたりメタバースの時代にはなおさら超商業時代でもあるため大衆に引っ張られて余計にデザインの困難さと同時に必要さというのはキュレーションとして必要になっている気がする(歴史的な話は今回は省いた.それこそ分かった気になるからであるからだ.詳しくはニーチェをWikipediaで検索するように調べてくれ.分かった気になるからある意味無駄).

ここまでの話をまとめよう.

a,デザインはシンギュラティ時代における下部構造,見落としがちな基礎教養である.

b,デザインとは造形だ.難解で非実践的なアートを分かりやすく実践的にしたものだ.しかし,造形であると同時にコミュニケーションとして大衆的な所に関わる面もあるし,スマホというユビキタス・コンピューターよろしくデザインの価値が皮肉にも大衆へ需要が起きているけれど,皮肉にも皮肉にも言語だったり近代だったり大衆にはなおさら手に届かない難解すぎる品物なのに簡単に手に入れたいという,神のような矛盾に溢れた概念なのだ.

 

 よくユーチューバー論客をやっていると,大半の熱狂的な視聴者はアンチをしながらファンをするという気味悪いヤツラばかりだけど,これなんて典型的なデザインの矛盾であって,炎上よろしくインターネット時代の問題であって,言語は簡単だから普及したのに造形をどう普及するか?という問いは先ほどから何度も指摘しているとおりになかなかに難しいことなのだ(難しいからシンギュラリティには昔の近代みたいに胡散臭さがまとわりついてしまう).

 もちろん,造形的なデザインが難しいというのは言語があまりに優先された近代教育をボクたちが受けすぎているからで,これはライフスタイルの違いであって,宗教が支配していた中世時代ならむしろ観念的だけど文字よりも造形に対する感度は高くて文字の方がとりわけ難しい人々がいたかもしれない(こういったロジックとパラフレーズを駆使したジャンル横断的な横の歴史的アプローチ整理を私は今回採用する.理由は言うまい.designは造形だからであり,そこからは更に重複する).

 つまり,縄文時代における石器や狩猟というマインドから弥生から中世における観念的だが数理的に体系化された新時代へマインドをシフトしないといけないような価値観のスライドがここで起きていて,これは科学史家トマス・クーンよろしくパラダイム・シフトであって,異なる価値観と異なる価値観は相いれないがゆえに時代は変わっていくというエピステーメー,認識的切断をここで垣間見ることになるだろう(高橋昌一郎『理性の限界』が中3時代に参考になった).

線形思考的なニュートンのプリンピアと非線形的なアインシュタインの相対性理論が相互矛盾するようにここには二者,つまり近代と脱近代,とりわけシンギュラティによる時代におけるトレンドで後者が優位という面はあって,相互矛盾しながらとりあえず二つの道具を使って文字と造形どっちもより強く意識しながら使っていくしかないのだ.それですら後者を使うのはためらうと思うけども.

3,理系の危険性.

シンギュラティを理解する上でやはり理系という解釈は不徹底だと思う,美味しんぼよろしくwindowsとmacの永遠に終わらない対立に終止符を打ちたくてボクはここに来たけれど,皮肉なことに先ほど申し上げた通りにコンピューターの普及はある意味ではデザイン的なmacそしてGoogle,スマホが押し上げてきたので,矛盾する言いようになるけど,下部構造の経済を支えているのは何億にも及ぶ大衆たちのコンピューターを利用できるという数学の民主化にある.

 私はwindows派だが,macはとりわけ重要だ.

 そうなるとマルクスの通説はデジタルネイチャーでも無意識的にけっこう指摘されていたけれど,AI資本主義的なGAFAを代表する意識高い系たちがAI共産主義を利用し,そしてAI共産主義がAI資本主義のように経済の下部構造を規定するといういささかアクロバティックで複雑なパラドクスになっているのだ(ここらへんの思想史的な込み入った話は詐欺師のマトリョーシカという他文で解説した).

もちろん大衆の悪化は凄まじく文句を言う大衆たちを貧者のVR,メタバースにぶち込むしかない22世紀の民主主義という状況にいささかなっているけれど.

というわけで,コンピューターを設計したのは確かにビルゲイツよろしくハッカーやプログラマーたちであるけど,それは今では上部構造的な政治団体,今のホリエモンやイーロン・マスクよろしく彼らたちが技術者上がりのギーグだったことも本人も世間も忘れて単なる資本家の芸人というAI時代の政治家に良くも悪くもなってしまった.

 シンギュラリティ=理系というのは大きな勘違いだ.

 こういった現象は左翼のマルクス主義をどうにか残そうとしてしまった構造主義の運動に思想史的には近く,アメリカのヒッピーやドラッグカルチャー,サブカルチャーとも相互干渉的だったカリフォルニアン・イデオロギーに潜む新構造主義性だと言えよう.もちろん新デカルト主義を立ち上げた現象学のフッサールやメロン・ポンティたちがその実に対照的な右翼的なハイデッガーや蓮實重彦たちを準備してしまったと捉えるとよくある理系が文系を生んでしまう,理系こそが政治なんだというパラドクスに満ちた数学という名の文系的宗教の問いなのかもしれない.

 論点をまとめよう.

a2,シンギュラティには上部構造と下部構造がある.

b2, 政治はwindowsであって,経済はmacというトポロジーな矛盾が今起きて事態を言語化するのを困難にしている(AI政治とAI経済の対照性).

c,しかし,歴史的によくある話で,理数が得意な人間のアイデアを文系が得意な人間が後期に応用する,その逆も枚挙にいとまがない(イリヤ・プリゴジンがドゥールズに影響を受けたなど…).

 

 まあ理屈を言っているのなら手を動かせという話が結論かもしれない.ここで大事になるのはテクロノジーの思想家・落合陽一がデジタルネイチャーで引用する希代の発明家トーマス・エジソンの生き方である.

 

 口で言っている暇があるのならどんどん手足を動かして

行動しよう.

 おっと,これでデザインという造形の要をやっと言語という最小のセカイに落とし込めたかもしれない.

もちろん,着いてくるなということに着いてこいというその実矛盾めいたことを文字化している行為が行動しようという政治的な言葉であることは忘れないように(アートを大衆化するなど土台無理があるのだというツッコミが堀江貴文やイーロン・マスクたちからきそう).

イタリアの行動的な思想家アントリオ・グラムシの格言を最後に提唱しよう.

英知においては悲観的であれ,しかし,意志においては楽観的であれ.

 当然,より「厳密なデザイン」?の理解や把握はこの後に紹介し私が文字でデザインしていく,その実矛盾を孕んだweb writingという行為に譲りたいと思う(そもそも言語というプログラムのようなチューリング・マシン的なフレームワークを捨てて,サトシ・ナカモトに代表される仮想通貨に関係する最新の量子コンピューター的な価値観へマインド・シフトせよというそれだけの話でもあるが,先ほど話した通りに,近代科学を引きずる量子コンピューターは超ひも理論よろしくあくまで科学の徹底の成果であって,良くも悪くも大衆的なデザインの理解も下部構造では重要なのは言うまでもない.言語の困難さを突破した品物にprogrammer初田龍胡『超科学/ピュアランダムネス』がある.下部構造的な,そちらの上部構造における裏面を意識したのがこちらであり,両社を副読すると効果はてきめんだろう.ちなみに彼は医学部出身であり,手術に繊細な手法は造形と共通がある).

 designのdesignという新たなシンギュラリティ時代の下部構造の下部構造の規定化はまだ始まったばかりだ.

ピーター・ナウア『シナプスの形状』1 AI訳 古田更一監修

精神生活のシナプス状態理論
ピーター·ナウル
Begoniavej20、DK2820Gentofte、デンマーク。 Eメールアドレスがありません。
DIKUDatalogiskInstitut,KbenbenhavnsUniversitet,Universitetssparken1,
DK2100Kbenbenhavn,、Danmark、FAX番号(+45)35321401
ヘブの理論に代わるものとして、精神生活はシェリントンのシナプスによって説明されている。
習慣とウィリアム·ジェームズの思考の流れに対する考え。 その理論は専攻を説明している
覚醒、睡眠、催眠的トランスなどの有機的状態;一般的な感受性の状態のため、および
思考の流れの次のような側面:縁のある思考対象;理解する
(仮定);知識;実質的で推移的な部分;注意;連想;もっともらしいこと;もっともらしいこと
存在する;記憶された記憶(記憶);感覚;そして知覚。
以下に提案するのは、神経活動の観点から精神生活についての記述または理論である。 その野望の中で
ヘブが提案した理論(1949年)と似ている。 しかし、それはヘブの行動主義的な精神的見解を両方とも拒否します
生命と彼が提案した神経生理学的メカニズム。 代わりにウィリアム·ジェームズと共に精神生活が見られる
(生物学)神経シナプスの状態に関して、習慣と思考の流れの問題として
シェリントンによって発見された(1906年)。 この理論は、で経験的に完全に利用可能だった洞察に基づいています。
1906年、しかし、現在の作家によって2003年11月まで公式化されなかった。
ヘブの理論(1949)は、精神生活の神経的側面の最近の文献で顕著である(例えば、
GreenoughandBlack(2000)とそこで引用された文学)。
ヘブ(1949)は序文で彼の理論を提示した:「行動を理解する問題は、
神経系の全体的な働きを理解するという問題と、その逆の問題。 … 中心となる問題
私たちが対処する方法を見つけなければならないのは、二つの異なった方法で考えることができるのです。 心理的にはそれが問題だ
思考の:環境刺激によって完全に制御されていないが、ある種の過程
その刺激と密接に連携しています。 別の観点から見ると、生理学的にはの問題である。
感覚から運動皮質への興奮の伝達…この導入後の章で
私はそのような理論の基礎を築こうとした。 … 概要として、概念構造は次のとおりです。 任意
頻繁に繰り返される特定の刺激は、「細胞集合体」、拡散の発達を遅らせる
大脳皮質と間脳(そしておそらく、脳の基底神経節の)の細胞
大脳)、閉鎖的なシステムとして短時間で動作し、他のシステムに円滑な機能を提供することができ、
通常、特定の運動機能を持っています。 このような一連のイベントは、「フェーズシーケンス」を構成します。
思考過程 各組立動作は、先行する組立、感覚事象によって引き起こされることができる。
または:bothによって指定します。 これらの活動の1つである次の活動における中心的な支援のプロトタイプです。
「注意。」 …’
この理論は、それがやろうとしていることを実現できないという点で満足できない。 生理的にも
「細胞集合体の発達が遅い」という仮定の正当性が見いだされるが、これは決してそうではない。
マナーは、行動の原則、または行動の全体的な行動の理解を確立することに貢献します。
神経系
ヘブ自身が執筆する際に、彼の理論のさらに不十分な部分が明示的に述べられている。
第8章:「…食べるという感覚は、通常の時間を回復するために、むしろ直接的な作用がなければならない。
中枢神経細胞の発火における関係。 そのような可能性のいくつかは、実際にはにおいて想定されている。
感覚過程が特定の脳組織を積極的に支援し、指示することができると仮定する。 のこれ
コースは極めて一般的な用語であり、現在の問題に関連する詳細は提案できません」
生物の感受性状態の一時的な変化に関連する彼の理論のもう一つの不十分さ
性的興奮のようなものは、ヘブによって216ページで言及されている:「…それはすでにそうなるだろうと言われている。
そのような場合に抑制または疲労を仮定することができる心理学理論にとって非常に望ましい
応答性の一時的な消失を説明する しかし、私たちが持っているように、そうすることには困難があります。
見た、そして今のところ、私たちのように、性的行動に特別な抑制があると仮定しても何の利点もない。
興奮は理解できたが、それがないことは理解できなかった。 本当ですか、私たちもよくわかりません…」
PeterNaur:Synapse-state18.2004年2月1ページ

ヘブのアプローチがこれらのいくつかの側面を説明できない理由は、かなり明白に思える。
精神生活は、人間を刺激反応メカニズムとしての行動主義的な考えから始まるということです。 イッ
精神生活の絶え間ない活動を付随的な問題にし、結果的にそれを説明することができなくなるのです。
説明するHABシナプスの状態におけるIT
その後に続くものには、精神生活の代替理論が描かれます。 その出発点は…の拒絶である
刺激応答メカニズムとしての人間の行動主義的な考え。 代わりに、の説明
ウィリアム·ジェームズ(1890年)によって心理学の原理で提示された精神生活は、あるべきものと見なされる
が説明した。 刺激応答メカニズムとしてではなく、ジェームズは人間をこう説明する(ジェームズ)
1890年、vol. I、104ページ):「生物を外から見ると、最初の一つです。
ぼくたちにとって印象的なのは、それが習慣の束だということなんだよ」
ウィリアムは、人間活動の幅広い分野における習慣の現れを説明するだけでなく、
ジェームズはまた、習慣の生理学的根拠についての仮定についても議論します。 彼はためらわずにする
彼の時代にはすでに彼の心理学者の多くによって述べられていたという理解に加わる
前任者(ジェームズ(1890年)、vol. I、105ページ): 「生き物における習慣の現象は、
身体が構成されている有機物の可塑性*。 ※注意:上記の意味で
「これは内部構造だけでなく、外部形態にも適用される」と説明した。
1890年のジェームズの原理の時、有機物の可塑性の生物学的根拠
それは知られていなかったが、わずか数年後に、主にの研究によって可塑性が確立された。
チャールズ·S。 シェリントン(1857年-1952年)、次の引用で報告されている。
神経系(1906年)、13-14ページ:
「神経伝導は主に神経幹で研究されてきました。 反射による伝導はもちろんそのためにある。
神経伝達に沿って空間的により大きな部分伝導をするが、全体的に反射伝導は大きく異なる
神経-幹伝導-神経-幹の伝導の特徴的な違いの中で顕著なもの
反射円弧における伝導は、それぞれ次のように表されます。(1)反射円弧における伝導は、より遅い速度を示します。
刺激の適用と最終効果の出現の間の潜伏期間によって測定される、この差
強い刺激よりも弱い刺激の方が大きいこと、(2)瞬間間の密接な対応関係が少ないさま
刺激の停止と最終効果の停止の瞬間、すなわち、「後放電」が表示されている。(3)
刺激のリズムとエンドエフェクトのリズムとの間の密接でない対応関係;(4)より密接でない
刺激の強さの等級とエンドエフェクトの強さの等級との対応;(5)単一の神経刺激の通過に対するかなりの抵抗があるが、それによって簡単に強制される抵抗
(6)のような可逆性の代わりに方向の不可逆性の連続性(インパルスの総和)
神経衰弱;(7)神経衰弱の比較的不飽和;(8)はるかに大きい
刺激の閾値の変動は、神経刺激よりも大きい;(9)耐火期間、「閾値」、
神経幹について知られていない程度の抑制と衝撃;(10)血液循環、酸素(Verworn、Winterstein、v.Baeyerなど)へのはるかに大きな依存性;(11)様々なものに対するはるかに大きな感受性
–薬–美的感覚。
これらの性質のうち、(3)、(5)、(7)、(9)は、反射円弧の伝導における可塑性の問題である。
Sherrington(1906)は、有機物のどの部分が原因で、
反射円弧と神経伝達の違い。 この議論を通して、彼の関心は次の通りである。
(p.15-17)に引き寄せられる:「」の有機体を構成する細胞の境界での存在
隣接するセル間の分離」。 … …したがって、反射アーク伝導と神経幹伝導を区別する特徴は、主に細胞間の障壁、繊細な横膜に起因することができる。
前者-したがって、この方法の間のつながりの生理学的におそらく重要であると考える。
neuroneとneuroneという用語があると便利です。 導入された用語はシナプスです。」
これは特に、有機物の可塑性の最も可能性の高い位置は、
シナプス
シェリントン(1906年)はさらに次のように述べています(157ページ)。「異なるシナプスが異なるという豊富な証拠があります。
–お互いに」
PeterNaur:Synapse-state18.2004年2月2ページ

小幡正敏「ソーシャルとは近代以降に捏造された概念だ」

 武蔵野美術大学教授である社会学者・小幡正敏の授業をまとめるとこういうことになる.

1,デュルケームの自殺論の重要性

2,再帰性近代という自己アイデンティティの病

3,戦争をしたい欲望があるのだとフロイトは看破した

1のデュルケームの自殺論の重要性を解説しよう.

 デュルケームは有名な社会学で主に19世紀に活躍した.彼は当時の自殺に関する統計資料を集めて人は戦争が終わった後に自殺するという傾向があることを発見した.

 皮肉な事実であり,戦争で人が自殺をするのではなくて,戦争が終わって人はおそらく実存的な不安,アイデンティティ・クライシスに至る本末転倒な矛盾があることを発見したのだ.

 美大で自殺論の話?と訝しがる方々もいるかもしれないが,むしろ簡単な楽単な内容だ.

 武蔵野美術大学は美大にしては珍しく東京大学のように必修的に教養科目が多く,様々な理文を学べるが,小幡正敏の社会学の授業も例外ではない.

 しかし,なぜ武蔵野美術大学で社会学が学ばされるかと言えば,卵が先か鳥が先かはあるけれど,社会学も美術に当然関係するからである(社会学もデザインも近代からのジャンルだ).

 戦争よりも戦争の後に自殺してしまう心理が怖すぎる.

 先ほどのデュルケームの自殺論の矛盾した問いに戻るが,これはテクノロジーの時代を生きると言われている僕らの前提となる下部構造になるだろう.

 社会学では技術決定説と社会決定説という2つの理論があるが,これはどちらが上か下かはなく,両方通じるものだからだ.

 むしろデュルケームの自殺論は再規制近代,第二次世界大戦後の平和だが退屈な日本に生きる戦後社会にこそそっくりそのまま当てはまるテーゼであり,便利すぎるテクノロジーが急速に安全神話を作れば作るほど,なぜ人間は生きているのか?という実存的な悩みになるかもしれない.もちろん後者の問いはテクノロジーの危険性を訴えるアメリカの社会学者・ウィリッヒ・ベックによる危険社会のテーゼであるが,社会学という近代以降に産まれた学問は比較的に新しい近代実践のデザインや今日のテクノロジーに生きる僕らの日常に影を落とす話であるかもしれない.

 小幡は明瞭ではないものの,社会学という近代以降の学問の特徴を抉る不可思議なテーゼとしてデュルケーム『自殺論』を取り上げている.

 近代以降は良くも悪くも戦争という物理的な人災よりも自殺といった精神的な人災のほうが流行るというところに近代以降を生きる僕たちの生きてきた昭和や平成の特徴があるだろう.

2,再帰性近代という自己アイデンティティの病 に移ろう.

 再規制近代とは後期近代のことであり,それまでにあった伝統といった概念から左派的な概念へ社会は変革していき,人々は反動,自由がゆえに苦しむという話だ.

 なんの話でもなくて,田舎や地方に人々は暮らさない社会が起きると人々が都会では淋しくなったり急激なテクノロジーの発展についていけなくなる話だ.

 もちろん論者によってはいきすぎたテクノロジーの発達がかえって9.11や福島原発事故といった人災を巻き起こす後期近代の複雑な分業制から再規制近代を捉える人々もいる.

 社会学という学問の扱う対象そのものが複雑さを帯びるものであり,極めてシンプルに言えば,社会学という学問そのものが学問の終わりを果たしていいのか?という良くも悪くも深い問いを発する後期近代的なアイロニーに満ちたことを忘れてはならない.

 再規制近代社会とは近代の規律が個人レベルまで発展していく後期近代の特徴を大雑把には捉えたものだ.

 3,戦争をしたい欲望があるのだとフロイトは看破した

に移ろう.

 戦争中に精神科医フロイトの娘は死んだ.

 フロイトの孫である1歳半のエルンスト坊やは,紐のついた木製の糸巻きをベッドの下に投げ入れて見えないようにしてから,『フォルト,フォルト(あっち,あっち)』と言ったり,次にその紐を引っ張りながら糸巻きがベッドの中から少しずつ出てくると,『ダー(いた)』と嬉しそうに笑顔で声を出したのだという.日本でいういない,いないばぁみたいな遊びだ.エルンスト坊やは母親が死んだことをまるで遊びのようにしてストレスを昇華していたのだ.

 このフロイトが『フォルト・ダー(fort da)』と名づけたエルンスト坊やの遊びは『不在と再会』を示す象徴的な遊びであり,母親が長い時間にわたって側にいない分離不安の強まった時にこの遊びが行われることが多かった.エルンスト坊やは母親がいなくて一人ぼっちの時に,フォルト・ダーと同じ死と生,不在と再会の図式を持つ『自己鏡像を用いたいないいないばぁの遊び』をすることも多かったという.

 ここから着想を得たフロイトは快感原則の彼岸で,人間には死の欲動があるのではないか?と推測するようになったという.

 1の統計的な事実も2の思弁的なロジックも3の夢想的なフィールドワークもあくまで近代は戦争という唯物論が憑き物だったという教えだ.

 つまり,死という唯物論がある種の客観的なトリガーとなっており,戦後の昭和や平成という後期近代,そして令和という技術的飽和であるシンギュラリティを生きる僕たちはもしかすると戦前の戦争という唯物論の代わりに自殺という皮肉的でアイロニー的な文体を時代の下部構造として生きていくはめになるのかもしれない.シンギュラリティとはアイロニカルな現代人の精神的な寂しさや辛さが原動力かもしれないのである.

 デザインと時を同じにして産まれた社会学は近代以降を生きる現代人の寂しさや辛さを解決しないといけないということで今最もアクチュアリが高いかもしれない.

 もちろん明瞭に語らない小幡はあくまで武蔵野美術大学教授の社会学者であり,現代史とシンギュラリティは専門外だ.

 コロナ禍を体験した今の彼はモースの贈与論に注目しているらしいが,その縦横無尽な教養による今の彼のシンギュラリティ解釈は今後の彼の課題だろう.ちなみに授業自体は宮台真司よりも骨太で面白すぎるが同時に淡泊で眠すぎる.

 みんなほとんどが遊んでいて正直に言えば,夢のような楽単だった.

 しかし,逆転オセロニアを周りの怠惰な生徒に合わせてプレイしイジる私が顔をあげるとちょうど目があったことがある.

 ニッとお互いに嗤い,教授と生徒というふざけたミュージアムの悲壮感に共犯者的な笑みをお互いに感じ合えた.

総括.〜本は破れ!〜

 自分の虚像が様々にバラまかれた年だったなと思う.

 驚きなのは,大学やTV,YouTuberといった大衆的なマスを信仰しちゃう心の弱い陰キャがたくさんいた事でしょうね.

 正直,どうでもいいんで,もうちょっと黙って読書すればいいんだと思う.

 一応は批判者の多くは何らかの政治闘争から私を上部構造から批判するんですけど,その感情論や政治に対するリスペクトはこちらもあるわけですよ.

 しかし,その感情論や政治闘争が全面的に成功するか?となると,そっから先の下部構造的な問は否になるわけね.

 感情論や政治闘争は戦後や平成を忘れた単なる近代的な過去を忘れないで〜っていう反動的な疎外論にすぎない.

 でも,今年僕が反省したのは,意外と僕が非好戦的なんですよ.思想系不謹慎とか学歴系不謹慎,不謹慎系YouTuberと言われる割にはね.

 つまり,ポジティブになんとかなるやろ〜っていう余裕があるから,昔から無能な友達や家族が死ぬだろうな失敗するだろうなって時もいちいち介入したくないんですよね.ベタベタしているのが煩わしいというか,自由放任主義と言っていい.

 その意外にも無党派な非好戦的なはぐらかしが優しいふりをした好戦的な首を吊りそうな成田くんたち大衆に利用された気がする.

 だから,成田悠輔っていう老害論客はネタ的に自虐する割には必死だと思うわけね.優しいと思う.

 ただし優しいんだったら,橋本環奈ちゃん,女でもいいわけで,その類の男性はもう必要がないのだし,結局,通知攻撃をしまくる暴力性をそれこそ情報社会を歓迎する近代人の腹の出たオジサン,成田悠輔こそ皮肉にも社会治安を悪くする無遠慮さがあるとさえ思う.

 それなら坂口章みたいにてきとーに生きたほうが良いわけですよ.

 他人なんてそんなもんでしかないから.

 成田悠輔含む老害オジサンがズルいのは優しいのは分かったから,優しいがゆえのデミリットを取れよという目線から逃避していると思う.

 年上の貧乏人たちになんで若い子たちを大事にしないんだとか言われるけど,僕もめちゃくちゃ若いんで僕に気味悪いことに赤の他人たちが父を求めすぎなわけね.

 俺が本は破れ!だとか不謹慎系YouTuberだとか言っているのだから,成田悠輔やひろゆきよろしく絶対的な近代社会に敗北したオジサンたちが約束のネバーランドよろしく子供のふりをして悪趣味的にYouTuberといった情報社会をサバイヴするんだというのをカネやテレビを使って行うのはむしろ大人の資本による暴力性が剥き出しになりすぎていると思う.

 そんで彼らは神経症的に統合失調症的な子供を演じるけどまたボロが出るという悪循環を繰り返しているわけ.

 大人のほうが大人をやめたがっている.

 だけど,そういうゴチャゴチャした話や大衆とのメンヘラ的な一銭にもならない不毛な対話はやめちゃって,パシッ!と下部構造だけに注目した現代史だけを何度も難しいけど何度も読んだり考えて咀嚼するしかないと思う.

 要するに大人になりたくないというのは分かるけど,分かる分かるはbotに話せばいいの.

 そんだったら本は破れ!大人を徹底するから子供にもなれるし,子供を徹底するがゆえに大人になれるんだ,というハイパーデジタル的な問いまで収斂したほうがいい.

 妙にみんな神経症なんですよ.

 神経症だから統合失調症的になったり,ルサンチマンで自己矛盾をあちこちに巻いちゃう.

 そういうのは個性がないんで,地獄絵図はやめていいと思う.

 大体,僕の本は東大生に褒められているらしいけど,そもそも東京大学に受かる努力すら大半の人間はしてないわけで,消費者の話ばかり聞いていても意味がないよというそれだけの話だとも思う.

 来年はより徹底的に好戦的になり,より他人に無関心になろうと思う(不謹慎系YouTuberが実は非好戦的なmediaartistである.詳しくは落合陽一『デジタルネイチャー』や本は破れ!を閲覧せよ).

 明白に東京大学の先にあるシンギュラリティを陽キャ的に肯定すること!シンギュラリティすらも吹き飛ばすAR的な荒野を走り抜けること!

RUN!

正月あちこちで流行るかまって攻撃.〜有名になる必要がないかもしれない.〜

 ほとんどのメディアに深い意味はないのし意味を込めた情報がいかにクリックされるか釣っている.

 これは冷笑ではない.

 アタリマエのことに気づこうという話しだ.

 今起きている問題として有名にならないという方法を意識的に取る意味がある気がする.

 一重にスルー能力だ.

 紅白よろしくかまって〜というメディア洗脳の力は凄まじい.

 ということは自主メディアを持ったり不謹慎系YouTuberのなりかたよろしくメディア破壊したりメディアに対する高いリテラシーは重要な気がする.

 また,オススメなのはweb writingやmedia art,gamenicationなどといった数理的な情報処理だ.

 まあ,そもそもほとんどの人間が意味がないのに政治をする時点で感情論で意味がないのに意味を込める死にたくないよという叫びをしているのかもしれない.

〈追記〉

 もちろんこの文章も揚げ足気味に言えば通知攻撃だ.しかし誰しもが通知攻撃をする時代に消極的に参加せざるおえないのはあるだろう.というわけで端的な情報整理で済むこのメディアを正月にも使うことになった次第である.

ボクたちはぼっち.総ぼっち個性社会.

 ともだち作りにおいてすらも,

シンギュラティが今まさに注目されている.

 シンギュラティは技術的飽和という意味で近代や現代以降の話で,簡単に言ってしまえばコンピューターが賢いのでコンピューターを前提にした社会へとほとんど変化していくよねという話だ.ここではあくまでも等身大のシンギュラティへ納めたい.

 で,このシンギュラティを批評している二人の私の友達でもありユーチューバーの陽キャ哲学普及協会とFランぼっちモザイクというプレイヤーが二人いる.

年上の陽キャのチンピラと年下の陰キャのオドオドしているヤツという対照的なリアクションがあるけれど,これが正にシンギュラティ時代の回答を二人が出している気がする.

はっきりと言うが,陽キャ哲学普及協会は確信犯的な老害だ.

その証拠に明らかに私の哲学書『本は破れ!』を渡したら,新しい事象を指し示す個性経済学や坂口章,webwriting,洗脳戦争といったフレーズを読み飛ばし当たり前を言っている内容じゃないかと時事的な問題をすっ飛ばし(というか彼には哲学史的な文脈がなさすぎるw),普遍論の人生教訓を言っていると話をまとめてしまった.

 もちろん彼は馬鹿ではないし,秀才だろう.

しかし年齢的な問題や彼の置かれた政治闘争,古い哲学観に支配されていて,そこらへんの本質的な問題をやっぱり読み飛ばしている気がする.

 また彼の提唱する陽キャ哲学というフレーズが良くも悪くも重要だ.

これは先ほどの老害ムーブと同じ反動的な動き,保守的な動きであって,彼にとって世の中に陰キャが多いと感じるから相対的に自分は陽キャだし,陰キャな世の中に対して陽キャを伝えていかないとならないという危機になっているのだ.

 彼の老害ムーブには再度謝罪をお待ちしているが,それよりも,今起きているのは,陽キャ哲学による世の中の陰キャへ対して向けた過度な否定神学的なツッコミ的YouTube動画から見ても,素直にぼっちだとか陰キャだとか抜かす過度な肯定神学なFランぼっちモザイクを見ていても,ぼっちというのはシンギュラティ時代に流行る新しい時代病理のような気がする.

もっと厳密に言えば,ぼっちという発想だ(もちろん陰キャが増えすぎることとぼっちは因果が卵が先か鳥が先かであり,今回は最終的にはぼっちという能力の有無以上に普遍的な問題へ現代的な問題へ焦点を絞る予定だ).

 元々は友達がいないというスラングを指していたが,ぼっち系ユーチューバーというのが流行り,その中で頭が良いのがFランぼっちモザイクというプレイヤーだ(もちろん陽キャと同じ意味合いで秀才だったりジャンルの中でだ.彼はむしろ肯定神学,ガキであることに開き直っている).

 ぼっちの彼がウソをついているとか以前におかしいのは,そもそも公開動画で彼とはzoomで対談もしたし,実際に会ったことも何度もあるというこれではどう考えてもぼっちではないという現象が起きているし,どうしてか視聴者たちはそこらをあまり突っ込まない(笑)(ちなみに個性経済学時代には皆自分の地元に引きこもるため,皮肉なことに仲の良いネットのともだちは皆が地元にひきこもるがゆえに遠く離れた地方に住んでいるという皮肉な遠距離恋愛的な事象が起きているのだ.自分の地元の魅力をネッ友に伝えるスキルはぼっちリア充としては必要かもしれない).

 が,果たしてただぼっちを甘えとカジュアルに断罪するのは難しい気がする.

 最近の東京医科歯科大学中退系ユーチューバーことユーチューバーを専門とする批評家の逆精神病院こと初田龍胡の壊れ具合を見ていると,その陽キャ哲学普及協会的な老害ムーブ,現代人的なお叱り的なあまりに安易すぎる認識は改めてないといけない気がしてきた(もちろん短期的マクロには彼の戦術は重要だし,彼の場合は実際に会うとナイスガイな人で過ちも認めてくれる.陽キャ哲学普及協会のメタバース性に関しては機会があれば他で解説する).

医科歯科中退の本人は気づいていないかもしれないが,近代的な暗記だったりIQテストレベルでシンギュラティーのコンピューター的情報処理に追いつこうとするのは途方に時間がかかる.陽キャ哲学の言語を借りて説明すれば,それは線形思考,1+1は2であって2+2は4であってと…,いちいち説明のジャグが多くて説明したりいちいちちまちま整理している間に比喩的に言えば2秒遅れているのだ.社会人としてやっていく以上,全てを線形思考で説明していたら切りがないのは確かにある(もちろん陽キャ哲学普及協会的な過度な否定神学で言っていない).受験勉強のできる人間ですら今では明らかに特にTechnologyを前提にすると能力に限界が起きてしまうのだ.

 シンギュラリティ,複雑さを極める科学の問題をたかだか受験勉強ごときの理屈や暗記で処理しているとも言える.

 彼の神経症的な情報処理が良くないのは,結局のところあまりに厳密すぎるがゆえに人間として生まれてきた以上もう人間は機械になんか勝てるわけがないじゃないかという圧倒的なニヒリズムを抱えてしまうという仏教的な落合陽一と同じミスを犯している(デジタルネイチャーを閲覧せよ.).

(もちろん初田龍胡は天才的な人間だ.問題なのは受験勉強のできる頭が良い彼ですらミスるのがシンギュラリティなのだから日本全国の受験エリートはなおさら使い物にならないだろう.受験エリートの実践的な新たなSNSのサバイヴ術としてYouTuberのなりかたを閲覧せよ)

 だから秀才的な年上の陽キャ哲学普及協会という逃げ切ったヤツに陰キャだの言われたり,ゆっくりとシンギュラティの話をしているとそれを読み飛ばすというかわしによって彼はわざわざセッティングされた論争の場では明らかに勝ったにも関わらず,ひたすら政治闘争では負け続けるし,そこで最近に渡り初田が提唱した概念は右翼や戦争といった概念であって,今度は反転して極端に猛攻撃することで陽キャ哲学やFランぼっちモザイクといった老害やガキを攻撃するという方向シフトをするようになったのだ(ようするに,ポスト落合陽一は初田龍胡&Fランぼっちモザイクであり,ポスト古市憲寿は陽キャ哲学&古田更一という2つの理論が対立している.技術決定論者と社会決定論者の対立は山岸あたりの社会学書や本は破れ!を閲覧せよ).

しかし,ここでボクたちが考えないといけないのは,先ほどのぼっちという概念の問題であって,technologyによって便利すぎる危険社会に生きる人間にとって,本当の親友や本当の恋人,本当の友達と言ったものはTechnologyが前提の今の社会では誰しもが作りづらくなっているのではないか?という問いだ.陽キャやぼっち,戦争と彼ら三人の言っていることは三者三葉だけど,同じ現象をただ違う立場から言っているにすぎないように思えてしまう(陽キャも陰キャも戦争も線形思考的な反動的なフレーズで解像度が低いのは言うまでもない).

 私の専門の言語だと美術が陽キャ,ぼっちが原理,戦争が国際ということになるけれど,伽藍とバザールという有名な話があって,伽藍とは村社会のことでバザールとは開かれた自由な空間のことだ.

 今まさに皮肉なことが起きていて,近代を引きずった現代までは村社会の力,大学や企業,国家の力が強かったので,インターネットや市場を使ったオークションといった方向に本当に自由があったんだと思う.

 しかし,みんながSNSを使ったり見る時代には,みんながインターネットにおける自由さに気づいてしまい,むしろ閉じた関係の方が価値を反転してもったり,痛みを伴うコミュニケーションに価値が増している,むしろ厳しいコミュニケーションの方が自由を感じるのではないだろうか?

 第一,自由なインターネットから非自由なSNSという流行りの変化によりそう感じる.もちろん自由すぎる場所が閉鎖的な共同体になるという奇妙な矛盾について今私たちは考えている.

 もちろん屁理屈を織り交ぜたマイルドヤンキーになろうよと提唱する陽キャ哲学普及協会は絶望の国の幸福な若者たち,古市憲寿と変わらない反動的な保守でやはりあって,再帰性近代というフレーズが一時期流行ったが,これは再帰性現代と言ってもいいかもしれない.

ようするに自由を徹底したがゆえに,虐めを排除したがゆえに生まれる,人間と話さなくていいよという新しい不自由さだ.

現代史的に昭和にオタクというのが流行ったときと似た匂いを感じる.

つまり,ぼっちという人々と話しているにも関わらずコミュ障をこじらす不可解な集団が出てきたり支持されているのは,仕方ないが故,自由を短期的に求めすぎた結果,自己実現をしすぎた結果,個性経済学が徹底された結果,ほとんどの人々が誰も相手にされずに自分のセカイへ引きこもるようになってしまったんではないだろうか?

 ここで老害の陽キャ哲学のようにそれは単に陰キャなんだと言うのは容易いけれど,それは単なる政治であって論旨の細かさを吹き飛ばしている気がする.

 本は破れ!で書いた問題よりも実は不謹慎系ユーチューバーのなりかたで書かれた問題のような気がする(若者たちに不謹慎系YouTuberとして気味悪いことに尊敬やイジりをよくされる(苦笑).web writer兼批評家として描いた本は破れ!の私をもう少し理解してもらいたいものだがね(笑)).

 彼ら年下の世代にとって不謹慎系ユーチューバーという存在は,過去の栄光神話に支えられたそれこそニヒリズムな陽キャでもない,事実確認的にあまりに正論すぎる陰キャでもない,

 揚げ足の意味では使わないで欲しいが,

 傷つける再帰性現代の新しいコミュ力というものを彼らたち彼女たちは求め欲しているのかもしれない.

 もちろんまだ理解が浅く,メンヘラ的なムーブでこういった整理の理解がなく,半場暴発的な暴走として暴露だったり戦争だったり高学歴メンヘラといった存在がネットで流行っている気がする(Fランぼっちモザイクは陰キャの面が強くぼっちに完全に当てはまるのは疑わしい気がする.そこはやはり甘えでもあるとも言えるが).

 逆に言えば,今回のような状況整理を更に進めていけば,ぼっちやそれこそ個性経済学や通知政治の謎を更に解明していきみんなが今の友情的な問題を解決できるかもしれない.

 だからさ,傷つけてくる人間にただ傷つけるなと言っても埒が明かないんだよな.

 渋谷でよく見る私の好きな落書きの1つはこう訴える.

 私の問を理解できますか?と.

 もう一度言おう.

 私の問を理解できますか?と.

 そして,その問は独りよがりの個性がゆえに解けない,そしてそんなぼっちが1億人集まることで社会になるけれど,それは皮肉なことにお互い非相互コミュニケーションなのだ.

 否定神学でも肯定神学でもない.

 ただガムシャラにしかし陽キャや陰キャといった言い訳でなくて,正しくさながら相撲の取っ組み合いのように対話することが真のぼっちとぼっち,個性と個性による対話かもしれないのだ.

詐欺師のマトリョーシカ.〜極右たちが裁かれるとき.ひろゆき成田悠輔botの終焉2022.〜他責任丸投げ危険社会

 感情論で何が悪い!!!

 =暴れろ,暴れろ,どこまでも.

 が,2020〜2022年に流行したコロナ禍騒ぎだった気がする.

 あなたの感想ですよね?と理論家ぶる男がなぜだか他者を論破する政治の感情論でしか理論ぶれなかった大矛盾のように.

 皮肉なことに,理性的ぶる論破王の西村博之こそ非理論なガキであり,偽善ぶる天才の成田悠輔こそ凡人の老害そのものだったのだ.

 コロナ禍とメタバース.

 そもそもボクたちはなぜ大学教員でなくて!YouTuberの話しを理性的だとスムーズに聴くように変化したのか?!改めて振り返りながら考えなければならない.

 身も蓋もないが,ハイカルチャーに面白くない,つまりサブカルチャーなYouTuberやNetflixを代表としたSNS,貧者のVRがコロナ禍で流行ったのは,スティホームと分断による混乱だろう.

 近代以降の技術的飽和点,シンギュラリティが分からず,みんながみんなそれっぽい現実を信じるようになることを落合陽一は貧者のVRと主張し,巷ではメタバースと呼ばれ,成田悠輔は楽観的に広い意味やビジョンを込めて無意識データ民主主義と呼んだ(皮肉なことにシンギュラリティのビジョンを若手思想家・初田龍胡ですら理屈的にしか良くも悪くも理解できなかったのは皮肉なことだ.近代以降は大学はフィクションなのでmedia artistの落合陽一こそインテリであり,東京医科歯科大学医学部はあくまでYouTuberとして機能するのだ.もちろんこれはメタバース以降を生きる20代の若者たちによる傾向であり,理屈で分かっても体感として自らをさながらweb writerのように擬似的な神の視点から批評するのは困難らしい).

 しかし,UUUMよろしくYouTuberバブルは弾けてとうとう巷の話だがキチガイじみた高偏差値YouTuber,医学部YouTuberが賢いなどという良くも悪くもプレ・シンギュラリティ時代の古市憲寿たちゾンビ社会学者たちのようなパブリックイメージでウケる陽キャの詐欺師たちがウケなくなったのだ.

 結局のところ,個性を追求した結果,SNSによる民主化の最たるものはまったく個性もなくbot的で,単なる政治家たちの感情論を屁理屈で誤魔化す連中だらけだったのだ.

 皮肉なことにシンギュラリティは2年後あたりに起きると落合陽一は言うが,ホントか?

 Technologystたちによる見え透いた嘘が今まさに暴かれようとしている(もちろんTechnologyは大事だがTechnologyを隠れ蓑にした超政治な政治家まみれになってしまった).

 テクニカルに要点だけ提示すれば,シンギュラリティは良くも悪くも構造主義と問題は変わらない.

 マルクス的な政治経済を数学の問題や屁理屈の問題に捨象した相対化されたマルクス主義が構造主義だとすると,なんのことはない,簡単な話で大衆化されたマルクス主義,時間の経過したマルクス主義だとすると,

 現在のAIを単に近代の貨幣の問題に当てはめたAI共産主義がシンギュラリティの本質にすぎない.

 要するに,シンギュラリティは単なるマルクス主義の巧妙な与太,アジテーションであり,コロナ禍時に流行った自粛や反自粛は誰しもがAI共産主義を推進したが為に起きたあなたの感想ですよね?だったのだ.

 自粛というあなたの感想ですよね?!と反自粛というあなたの感想ですよね?!

 もちろんシラケ神経症的に,シラケることに神経症的にポジションを張らないのは良くないだろう.

 強く両者を断罪する.

 ひろゆき構文を振りかざす連中を糾弾する.

 ひろゆきこそbotにすぎないし,陽キャ哲学普及協会も逆精神病院こと初田龍胡もbotにすぎない.

 自らの個性を経済学にした政治屋にすぎなかった.

 もちろんその最終形態として,政治や宗教をメタる,つまりAI共産主義をメタる,批評する,という点,SNS上ではメタバースの人間すぎてメタバースをメタバース,メタメタバースしようとする東京医科歯科大学YouTuber初田龍胡は天才だし本当に個性があったが,彼の弱点はネットの外では力を発揮できずに普通に優秀だが普通にメンヘラという醜さを露呈するどっちが老害か分からない状況を帯びてしまった.

 マスメディアが作る共同幻想はみんなが思うそれっぽい平均を美人だとよく科学では言われる.

 落合陽一曰く美女と美男が子供を生むと普通の平均に収斂すると.

 で,初田龍胡の可能性と限界は高橋茉由的,内向的女性的な問題であり,落合陽一はギリギリに貧者のVRの外から貧者のVRを観察する運営者のような人間だったが,良くも悪くも初田龍胡よろしくひろゆきや成田悠輔は落合陽一たちが用意した相対化されたマルクス主義を更に隠蔽したアジテーション,AI共産主義のボード版の上で良くも悪くも転がされていたということになる.

 皮肉なことに学校から逃走した先の自由に世界とつながるインターネットがセカイとつながるSNSだったという食料人類的ディストピアは決定的になってしまった.

 Technologyによる快適な危険社会を嫌がる陽キャ哲学普及協会はなぜだが落合陽一や初田龍胡といった人間たちを攻撃するときに歯切れが明瞭には悪くなる.

 インキャ?な古市憲寿を批判するわりには友人のインキャは批判できない右翼、つまり今でいうメタバースの民なんである.

 陽キャ哲学普及協会も初田龍胡もシンギュラリティ論で歯切れが悪い箇所が拝見されるし,かつ文面で具体化不可能なのは彼らが政治を隠すし,かつ自らが他人を騙しているとひろゆきよろしく思っていたら,成田悠輔に落合陽一にマルクスにだまくらかされていたという皮肉な詐欺師のマトリョーシカになっている.

 つまり,あなたの感想ですよね?!の行き着いた先は全員詐欺師であり他責任丸投げ社会的に他人を論破することで他責にし続ける詐欺師の経済活動がループする入れ子状になってしまったのだ.

 しかし,その論破のボード盤はしょせんはAI下で実装されたコンピューター世界の為替にすぎず,彼らが盗用や詐欺をすればするほどAI共産主義による裁きのアルゴリズムに淘汰され去勢されていることに本当は殺菌されていることに気が付かないとならない.

 AI未満の醜い者同士がお互いにお互いを潰しあうようにしているにすぎない.

 私はAI共産主義,このメタバースを突破する方法として拙著『本は破れ!』を代表にしながら,AIの先にあるAR,拡張現実的な美の世界へサバイヴしろ!曼荼羅は破り裂け!と詩的な表現で詳しく書いたけれど,事態は深刻であり,ここから先に起きることは無限に屁理屈を繰り返すキメラ化したAR資本主義を企む人間たちによる山上徹也よろしくテロ行為による成功と失敗(超科学/ピュアランダムネス)とAI共産主義をそんなのマルクスちゃんの感情論でしょwとはぐらかすなんかヤベェじゃん!な不謹慎系YouTuber的なmedia artな気がする.

 しかし,ここで問題なのは初田龍胡は頭が悪く,彼は人間である以上,AI資本主義者であり,AR個性主義を徹底できていないのだ.

 簡単に言えば,そもそもなぜBI,ベーシックインカム的なAI共産主義が流行ったかと言えば,フェミニズム的な弱者に優しいエコロジカルなまさに経済原理の徹底だからである.

 皮肉なことに資本主義の申し子であるホリエモンのがむしゃらな多動力よりエレガントにクールなひろゆきの冷たい論破力のほうが数理に強くて経済原理そのもの,資本主義による差別化として共産主義が使われるなどという不思議な様相,パラドクスを示しているのだ.

 なので,初田龍胡の暫時的なAI資本主義はホリエモンと同じミスを犯している.打破されるべきアンチフェミニズムなAI資本主義は結局のところ近代を引きずるノスタルジーにすぎない.

 もちろんこれを書く筆者もAI共産主義を引きずっているだろう(注意が必要だが,ホリエモンは東京大学,初田は東京医科歯科大学,ひろゆきは中央大学,古田は武蔵野美術大学という近代の政治や戦後の拝金主義的には前者が強かったのは言うまでもない.これは複雑系な変化であり,恣意的なゲーム理論で単純に勝ち負けを図れるものでないことは強調しておく).

 私が勝っているなどと言いたいひろゆき的政治ではない.つまり,これは理想論で言っているのでなくて,確実にAR個性主義に資本や共産は融合したり細かく分散されていくからだ.

 新たなエピステーメーが時代に分節点を今まさに打とうとしている.

 詳しい話は本は破れ!で書いたが,そもそも共産主義も資本主義も近代の残滓であり,シンギュラリティ時代には当然のところ,共産主義も資本主義も必要がない.

 よりAR的なAIの外の問題,科学で言う量子コンピューターによる複雑系に時代は収斂するからだ(最先端科学,というより近代科学史の終わりを提示した著として超科学/ピュアランダムネスがある.隠された彼のイデオロギーに気をつけながら読めば量子コンピューターは深く理解できるはずだ.).

 さて,詳細を省きざっくらばんにシンギュラリティ時代の時代推移をまとめると,

AI○☓主義→AI→AR→量子コンピューターという流れが綺麗な図解整理だろう.

 今までの論点を整理しよう.

 1,詐欺師のマトリョーシカ.論破という政治という矛盾した他責任丸投げ社会が良くも悪くもAI共産主義下においてAI資本主義として機能していた.

 2,AI共産主義は政治性を隠しているし,厳密な共産主義でなく資本主義の徹底から出てきた偽善と洗練にすぎない.

 3,もちろんTechnologyの発展も以前はあり,量子コンピューターを完全に完成させればユートピアは実現するが当時に国家や自動車が産まれた時点にもユートピアは叫ばれたものであり,しょせんは量子コンピューターに期待もできず,AR的な時代へ良くも悪くも収斂するだろう(量子コンピューターは80年代に流行ったフラクタル構造にすぎず,0年代にホリエモンよろしく拝金主義が流行るが,この時にアメリカではフラクタル構造を応用したり数学を応用した投資ファンドブームが起きていた.そう考えると,20年越し,ちょうどシンギュラリティに近しい2042年に量子コンピューター的思考を活用した投資やベンチャーが流行るかもしれない).

 話しを抽象論から具体的な話へ戻そう.

 なんにしろ,詐欺師のマトリョーシカよろしく嘘の陰謀論や詐欺に逃げれたSNS政治騒ぎのコロナ禍も落ち着き,僕らは感染症に良くも悪くも気にしながらもリモートワークやSNSに適応した新たなパラダイムの時代へサバイヴしようとしている.

 緊急的なお祭りフェーバーな論破政治の非日常騒ぎが終わり,次はメタバースの外の光を浴びなければならない,日常という一抹のキツさ… .老害がガキと話し,アンチフェミニズムがフェミニズムと話し殺すディストピアなユートピア,ユートピアなディストピアの始まりかもしれない.

 いや,政治の全くないシビアな下部構造による経済原理こそが終わりなき日常こそが真実だったかもしれない.

 戦後の日本人は近代や資本主義,平成による最後の消費社会の終わりすらも直面したくなかったのかもしれない.

 さよなら,東京.

 2022から2023.

 2023という数字にボクは特に意味を感じないからこそそれがユートピアにもディストピアにも見えるのだ.

 ああ.今日は2022年12月23日.

 来年のクリスマスに恋人がいることは必ずしも幸せを意味しない,それはAR的ユートピア,あるいは量子コンピューター的ディストピアかもしれない.

 喧嘩をしないことを!

 バブルの宴が終わってもその地獄こそ次のバブルをつなぐ天国であるのだから!

 

 

古田更一ブログ開設.

 どうも.海外企業でweb writerや不謹慎系YouTuberというmedia artを行った批評団体ChaosForest代表・古田更一です.

 ブログ開設理由.

 1,極右化するSNSは大衆的にしか儲からないし,情報精度や速度が遅い.

2,プロのweb writingで文書を作成するにはSNSから切り離された精密な情報の必要性.

3,極右化するSNSからズレる行為.

 はい.というわけで,よろしくお願いします.

WordPress.com で次のようなサイトをデザイン
始めてみよう