ジジイの性接待がワセジョの罪と罰?!生殺しの男の娘♀連中を含め始末する。【成田悠輔♀】

松岡◯剛!亡くなってくれてありがとう!

 老害の松岡正剛や福田和也を初め様々な老害たちが二週間でデリートされた。

 本は破れ!これは正に祝杯的な事実であり(不謹慎系YouTuber!)、自然が超法規法が混沌森林こそが裁けない罪人たちを捌いた証なのだ(もっとも腹の出た同性愛者予備軍の成田悠輔もメンフェスも目を逸らしボロボロ泣くだろうが…)。

 彼ら無能の凋落なジジイどもは自らの死を持ってして思想、クリティークした(情況した)。

 バカ川のようにプロ弱者を集めて詐欺をしても自民党には勝てない悪どさを再生産している。

 ポモの長生きを全うし主にLGBTや身体障害者を救う物語で役割を全うしようとしている極めて仏陀リストなポモリアンたち柄谷行人や浅田彰を含めた老害たちは自らの死を持ってでしか、この社会構造の矛盾の総括を果たせないすでに死んだ思想家たちである(森村学園のけだし左派のクズ共は関西に操られた猿どもである。ちょっと私怨があるか?w)。

 もっとも秀才連中、相変わらず構造的裏切り者たち、ネオ幕府♀や陽キャ哲学、幸村燕、千葉雅也、メンフェス、リコ?!、稲葉といった鵺たちは女装をすることで彼らの子分になれる男の娘おとぼけ手法で恥もプライドも捨てて売国奴をしてハイテンションだという(吉野うごくのLGBT疑惑は至極彼なりのアイロニーなんである)。

 そこに環境問題から売国奴する斎藤幸平や成田悠輔、古市憲寿も混ざり、真夏の夜の旅にアーしてプラトン×ソクラテスしているらしい。

 これでは真正の男の娘の方がロックだ。

男(ヤロウ)として来ました

 ハッカーであり統一教会二世?エボバ二世である被害者/カリスマ男の娘AV女優インフルエンサー「荒金さとみ」さんは私の過去からの視聴者であり、私は気になることを彼女?に聞いたことがある。

「男の娘ってホントすか?」

嘘ですよ。儲かるんで。ビジネスです。そんなもんなんで」

もちろんビジネスで男の娘をやる時点で適性やフェチはあるけども、ビジネスだから男の娘を頑張るわけで、実際のLGBTに聴いてコレなのだ。

 他にも私にセクハラするパワー系LGBT「レオ丸」にも会ったが得てしてLGBTは千葉雅也やきの子さん含めて工作員ばかりが良くも悪くも印象だった。

 統一教会か?エボバに拉致監禁されたハッカーである政治活動家の男真っ青な男前する荒金さんに私はポモの現実を話したことがある(絶版の自殺美兎収録。ちなみにかつて私とH田と対談した際、男(ヤロウ)として2人の前に来ましたと自己紹介したお兄さんである。不思議な空気が流れた。ちなみに真の革命家2名とも評されて、にんまりなH田と違い私としてはただ当たり前の真実を話しているだけだとは思ったが…)。

前線で戦った本物を冷笑する学者さんたち

ポモはね、嘘ですよ。ホントにえらいのは前線で戦った本物のLGBTや精神障がい者たちこそ偉い。ジュネやアルトーとかね。だから、ポストモダンは勝てるわけもなく、弱者ばかりの極左ばかりで最後は負けまくり。だが、そこが良かったのにアホのデリダやフーコー、ドゥールズたちがかすめ取ったというわけです。日本の学生はバカばかりだからジュネもアルトーたちも尊敬せず、千葉雅也しちゃうというわけです…」

対談に居たH田は言った。

浅田彰というクソ野郎はそれを隠したから東ちゃんとか千葉雅也とかおっボチャンの♀ばかりになったんすね。その流れこそ文系ヤクザを構成している」

至極その通りである。

 中沢新一や栗本慎一郎の方が幾分かマシであり、オウム真理教というド派手な失敗とポモはやっぱりつながっているのだ。

 いちいちEQ過剰の♀ども陰キャ男の娘どもの関西人の真夏の夜にアーにハマるほど文系ではないのだ、関東人は。貴様らのお気持ちを聴いてアーするほど淫夢厨ではない(イジるなら関西人をイジり雷獣!しましょ高田ふーみん♂♂♂♂♂♂♂♂♂♂♂♂)。

勃たないおちんぽ東大生の相手をするワセジョ/vtuberたちの喜劇。日本の大企業は一大ソープ疑似ランド?!

 偏差値50は適度に間違える(エロス)。

 話は変わるが(つながっているが)、恐ろしい話があり勃たないおちんぽのオッサンたちの相手をし小銭稼ぎをするのがZ世代ゆとり世代の♀の臭さであり、それがvtuberや論壇腐敗の所作である。♀は反省しなさい。ジジイと結託するヘラは臭すぎる

 ワセジョのアソコが臭すぎるから同性愛が流行るもはや情けない日本の左派たち。

 彼らが自民党に勝てるのか?!

 けだし不可能であり、上智大学のキリスチャン(ChatGPT反対でTEAPで国際的とはワロスwwwwww 上智大学はパカかな?wm w wmmmmmmw w m m m)な茂木◯平がブルブルとアソコを震わせて同性愛者たちに襲われぬようにバーを経営していることはけだし留保してゆこう(もっとも上智大学は好きである。四谷や麹町は良い街だ。しかし、ペンは剣より強し。そして武蔵美の左派系右派の伝統に従い、ARTでけだし風刺、SFしてるのだ。オレはH田と違い直接拳で人を責めるのは好かない。その代わり、筆で全力で全方位始末することは覚悟しとけ。無論、拳は関わりたくない幸福の科学二世やH田たちの餌食であろう。一緒にされたら困るが、そのかわり♀どもは働けという具合だ)。

 歌舞伎町の夜は長い♂♂。

〈♂付録同人♂〉オレ様と吉野うご◯とBL同人誌は書かないように!あくまでもフィクションです

オレ「◯ンフェスのぶっといアメリカンソーセージを咥えるほどオレは成田悠輔みたいに統計学、足並み揃えて同性愛者になれないぜ。関東人で関西に魂を売る根っからの同性愛者にはなれぬほどゲーム理論しちゃう

吉野「そこがボクと違う。ボクはバカ幕府のしなびたチンチン、いや生ハムもしゃぶりたくなる。日本(関西)はそんなもんだから」

オレ「だけども女性の売春婦をあえて食らうのは重要じゃあない?vtuber揃えて。ジジイはあそこがもう勃たないからvtuberぐらいがちょうど幼稚園教室プレイで良いのよ🚼️」

吉野「それこそ下品だぜ。友情は男にしか宿らない。まあ彼女作ったけどね」

オレ「結局、大半は文系なわけで全ては性産業の繰返しつーのが和製仏陀、ポモの限界なのよね」

吉野「稲葉のツッコミ待ちのてぇてぇはキツいみたいな話か」

オレ「うん」

とある美術の科学一族(スワンプ)

「実験♪実験♪楽しい実験♪楽しいなぁ~♪」

はぁ…。

 黒服の科学者「古田更一」は古田更二がイキっているのが超ザかった。

 白い鼻マスクを鼻にかけながら、1300円もするかつ丼を食べている前で、まるで人の食事を小バカにするかのように白服の科学者である更二が豚汁を飲まずに手足を何度も豚汁に入れてちゅぱちゅぱと実験をしている。動画撮影をしている。更二はマジモンの「美術系YouTuber」なのだ。

「食がまずくなる…」

更一はため息をついた。それでも更二は更一のことを舐めているので、やめない。

「ボクはぁ~一番強い更一さんを超えるんすよ~。だって、最近毎日動画撮影をしていると面白い気持ちになってきてこれ自体はその外で撮っているだけのいわゆるタイムログみたいなもんだけど、そこには油絵を描いているだけじゃあ感じられない本質的な科学の発露があって。その文系と理系の往復―。油絵を描きながらもそこで得た科学を理系としてテックで反射させてゆくこと…。それを…」

「もういい分かったから!オレの隣で豚汁で遊ぶなや。食っているかつ丼がまずくなる」

「でも…。そこにはかつ丼との類似性が科学であってその美しさは…」

あーもう。めんどくせーヤツだ。

 もっとも「古田家」はこんなもんだろう。

 更一としては耳の大きい更二のことを責められない。

 ワイヤレスイヤホンをつけて正に大きな耳そのものの存在を声高に表現する彼は切れ者だ。

 更一としてはめんどくさいヤツだとは思うものの、まあ若い輩だから仕方ないなと思っている。

 それに…。

「池袋はボクのもの~♪池袋はボクのもの~♪真ん中を通るのは耳存在~♪」

はじまった。

 音楽が特にロックが大好きで音から英語が得意な更二は論理が鋭い古典派な更一と違って感覚技術に特化している。

 そして、とん汁に入っているにんじんを粉砕し地面へ捨てて、豚肉も地面へ捨てて、高らかな大声をあげていた。

「うえ〜い!耳存在〜♪このセカイは耳存在〜♪池袋はボクのもの〜♪成田さん〜」

「あ~あ~…。食事とかしている場合じゃねーわ。マジで。てめぇ、マジでやりすぎだ!」

更一は更二の大きな耳をつねった。

「痛い!痛い!ボ、ボクはただアートをやりたくて…」

「チッー…」

更一は笑いにもならない笑いを浮かべた。

 舌打ちをした。

 そうなのだ。

 ART。

 代々古田家はART(美術)を科学として利用する一族として活躍している。

 ちなみにさっきから食べている場所もちょうど研究室、いわゆるアトリエで、もっともそこは二人が周りのお客さんを意図的に追い出して作った正に古田家だけの渋谷某所のファミレスだった。あたりを歩くのは二人以外食事を持ってくるロボットだけなのだ。

 ようやくしゅんとした更ニによって静寂を取り戻した真夜中のファミレスは無人用ロボットだけが歩いていた。

「感動的だねぇ~」

古田はかつ丼に左手をつっこんでむしゃくしゃ入れながら祝杯した。

「ははは…。やっとボクの出番♪やっとボクの出番♪、い、言わせてよ〜」

 はぁ。怒られてもこうるさい更二を無視して、更一はつまらなそうにニンテンドーswitchを開いてイヤホンをつけて、更一自体もこの古田家の宿命から現実逃避を決めかねた。

「ちょろっと~ボクの出番♪ボクの出番♪耳の大きな存在の~ボクの出番♪」

はぁ。ピコピコとゲームをやりながら、更一はなぜ自分がこの古田家で長男であるかを誇らしげにニッと嗤った。

(テメーはどうせ負けるんだよ。本当の主役は、いや今回の古田はテメーじゃあない。さっきからオレたちを窓ガラスから覗いているあの女だよ)

そう。茂みの中から窓の外から白いとも黒いとも形容しがたい背が低すぎるんだけど最もお姉さんのようなー、そんな不思議な表現でしか表現しようのない。究極の普通、美人投票。だけど、美人じゃあないのになぜか美人だと思ってしまうようなそんな不気味すぎるつけられたような表情ー…、そんな「美人」が…。

(へっ。やっとテメーの番かよ…)

 その女の名前は古田零子(フルタレイコ)。

 古田一族最強の名を欲しいままにした天才的アーティスト(science・Writer)。

 本を破ることで人々が無意識に脳内で捉えている「本」という概念そのものにダメージを与える疑似軍事技術『本は破れ!』は、本来この零子が研究した科学の模倣にすぎなかったのだ。

(まるで幽霊みたいな女だな…)

一度なんらかの敗北を喫したかもしれない更一の後ろにさながら幽霊のようにジッとこっちを嬉しいのか悲しいのかそれともやっぱり嬉しいのかでも悲しいのか、本当に「普通」にー。本当に曖昧な表情で、だけどー…、そこには女の「怒り」の感情が様々にとぐろをまいていた。

 ひゅー。

 更一は音の出ない口笛を吹く。

(これじゃあ…まるでオレも更二みたいだな…)

 以前の自分が取り憑かれたかのように更二のようだったと反省に至る更一。 

 古田一族の伝統として下の階級が厄介な弟だったり妹のように見えるのはどうやらこの一族の伝統らしいのだ。

「オマエさぁ…。零子姉さんは次にどんなことをするのかな?」

「…」

零子は答えない。まるで興味がないように。だけど興味があるかのように振る舞う。けれど、そこには明らかに「怒り」の文字が広がっていた。

 後ろを振り返らず、更一は呟く。

「ああ。そうかい。そんなに大事かい?血族の継承っていうヤツが…」

「…」

「でー…。オマエが来たっていうことはオレが何か最低限入手できるんだろうよ…。え~。それともあれか?オマエはまだその権力をそこで維持しようって魂胆かい?はは。だけど、オマエ~…、ゲームは苦手だもんなぁ~…、特にホラーゲーム!」

刹那ー、零子の表情は「普通」に険しくなった。まるで自然と、でもやっぱりあまりに自然すぎて普通じゃあないような。だけど、「怒り」はその怒りだけはその女の個性だった。

「諦・め・ろ」

更一は嘲笑った。

 ふと振り返った更一のガラス越しには、零子はもういない。

「…」

その代わりに満月の月は欠けていて、そこには兎が餅つきをしているかのように赤黒いような影をつけながらランランと輝いていた。

(小説は隠語)

更一は更二がぐじゃぐじゃにした豚汁を飲みながら欠けた月を睨んだ。

(ようやくオレの出番かよ)

更一は笑った。

 そして、更一は嘆いた。

 分かったよ。

 スワンプマン。クローン人間の実験はすでに成功しているんだろ?

 もっとその先をすでにやっているって言うから、てめぇーは〇(ゼロ)なんだろうよ…。

 冷笑。

 冷たく笑うことを意味していて、ゼロとは正に一番にならないことで逆張りをしている。

 当然のことながら科学的思考と冷笑は似ているようで違う。

 一見、科学を推し進めるととんでも理論は可能になる。それがサイエンス・フィクション、SFだ。科学の想像力は世界を書き替える可能性、ポテンシャルを有している。

けれど、冷笑は冷たく笑うことでサイエンス・フィクションをしょせんフィクションでしょと嘲笑う癖があるのだ。まるでオモコロのように。まるでインターネットおもしろ女のように。

 だけども…。

 冷たく笑いすぎる不気味な普通さを有しているその零子のその表情はどう考えても「科学」を追求する才女だけが身に着けたそんな外面の冷笑だった。

(テメーの張り付いた冷笑、ようするに化粧、アイドルは全部布石だったっていうのは全部バレているんだよ…。とうとう姿を現してきたオマエのことだ。一体ナニを…。どこまで科学を掌握してやがる…?)

 更一の問いかけに零子は答えない。

 なぜならば、再三言う通り「普通」に零子はもうそこにいないから。

 欠けた月だけがランランと真夜中を嗤っていた。

 応答するように、更一はゲームを続けた。ピコピコと。

就活や身分固定制度に逆らっても埒が明かない。

 資格勉強や受験勉強をサボっちゃいけないよ。

 資格勉強をサボった言い訳で受験勉強をサボった言い訳で安直な文系や思想なぞに逃げられても埒が明かないからだ。

 もっとも資格勉強も受験勉強も「逃げ」だろう(やりすぎは)。

日本人は見捨てよう。〜陽キャ哲学と匿名視聴者たちのキモさについて〜

 日本人は見捨てよう。

 何度でも言おう。

 日本人は見捨てよう。

 何度でも言おう。

 日本人は見捨てよう。

 これは穿った見方になるから流すけども、今の日本人は韓国人や在日、創価などが在籍していてそのような人間が余りに開き直られても困るぜということなのだ。

 私の住所を何度も晒す陽キャ哲学という年上の穢多貧民さは普通に自衛としてやめろと言わざるおえない。

 私の住所を何度も晒す陽キャ哲学という年上の穢多貧民さは普通に自衛としてやめろと言わざるおえない。

 私の住所を何度も晒す陽キャ哲学という年上の穢多貧民さは普通に自衛としてやめろと言わざるおえない。

 何度でも何度でも言おう。

 私の住所を何度も晒す陽キャ哲学という年上の穢多貧民さは普通に自衛としてやめろと言わざるおえない。

 私の住所を何度も晒す陽キャ哲学という年上の穢多貧民さは普通に自衛としてやめろと言わざるおえない。

 私の住所を何度も晒す陽キャ哲学という年上の穢多貧民さは普通に自衛としてやめろと言わざるおえない。

 ヘラヘラしている匿名視聴者たちもどうしようもない。

 これが日本の1つの真実なのだ。

 メンフェスは守ってくれない。もっとも言及したことは素晴らしいが、これが日本人の、政治の、自民党の限界である(これはハイコンテキストか?日本の就活や身分固定制度はとどのつまり自民党という一神教に集約される推論はあるのだ)。

 陽キャ哲学は思想はなく、殆ど政治だ。

 ネットのイジりが通用しないぐらいの、明白なプロ弱者(弱者強調芸人)のFランぼっちモザイクよりもルサンチマンは陽キャ哲学の方が大きい、嗤えないレベルだからだ。それはそうであんなプライド高いのにモザイクより低学歴だから。

 

 もっともこれは絶望ではない。

 何度でも言おう。

 私の住所を何度も晒す陽キャ哲学という年上の穢多貧民さは普通に自衛としてやめろと言わざるおえない。

 私の住所を何度も晒す陽キャ哲学という年上の穢多貧民さは普通に自衛としてやめろと言わざるおえない。

 私の住所を何度も晒す陽キャ哲学という年上の穢多貧民さは普通に自衛としてやめろと言わざるおえない。

 私の住所を何度も晒す陽キャ哲学という年上の穢多貧民さは普通に自衛としてやめろと言わざるおえない。

 私の住所を何度も晒す陽キャ哲学という年上の穢多貧民さは普通に自衛としてやめろと言わざるおえない。

 腹を出して本を書くと抜かすメンフェスくんが私を助けるか?

 完全には無理な話だ。

 だから、やめろと言ってあたりマエだしネットのノリはやめろ。

 以上。

 当たり前の話をまずしただけだ。

 その上で実務だろう。

〈追記〉

 外山恒一合宿の連中も終始、偽物。自民党に勝つなら、もっとシビアにやれ。♀のようなEQゲーだけでは限度は有る。気持ちは分かるが、自明。

〈追記2〉

   陽キャ哲学も岩佐なぎも甘えている。攻撃すべきはあるいは対話すべきは私でなく、稲葉やメンフェス、年下女性であり、私だけでない。これは私だけにチクチク攻撃する陽キャ哲学がその程度で失敗癖をつけていることなのだ。

とある科学の一方通行。〜なぜ師匠扱いされるのか?〜

「…」

 学園都市最強の超能力者・一方通行(アクセラレーター)は寝ている。

 ゴロゴロしながら、ラノベを読んでいる。

 あるいは缶コーヒーを飲んでいる。

 この無意味なシーンには意味がある。

 だるいよって。

 あるいは、こんな場面も。

 わけわからない掛け合いをされても、無視するのだ。

 たぶんこう思っているだろう。

「悪党の美学が足りねぇよ…」

 常にやる気がなく、ラノベを読む、缶コーヒー、無視、このような描写が一方通行には実のところ多い。

「チッ」 

 どういうことなのか。

「ガキどもの面倒を見る程、ヒーローじゃあねぇよ…。そういうことは暇人なヒーローがやればいいんだよ…。悪党は違う…」

 さながら一方通行は悲劇に馴れた合気道の達人のような趣だ。

 このように終始皆が敵味方慌てふためく状況でとにかくムスッとした顔でどちらのことも無視する独特のノリで生きている。

 だけど…。

「アッハッハッハッハ!愉しいよ!ォ゙マエ!愉快に決まっちゃってんじゃねーか!」

「な、ん、と、か」「オメーがなんとかと言えと言ったじゃあねーか!」

 みたいなハイテンションすぎる戦闘シーンは健在だ。

 この一方通行のシーンとアクセラレーターのシーンの落差、大人じみた子供さが独特の美学を紡いでいる。

 たとえば、戦闘シーン中に悪党の美学を紡ぎ出して、敵と違い、極力周りの人々に被害を与えないように戦い、敵を挑発する。

 そう。一方通行はあくまでもインテリ、学園都市最強の超能力者、レベル5にすぎないのだ。

 悪がゴロゴロ転がったり悲劇がゴロゴロ転がっている状況が常だからと終始冷静と暴走のオン・オフが美しい。さながら、一方通行神拳と呼ぶべきただずまいだろうか?

「ハッ。悲劇の1つや2つ、オレからしたら見飽きた光景だ。この学園都市で暮らすっつーことはそれぐらいの衝撃に耐えきれねぇおっ坊ちゃんやお嬢様は三下、長くは精神を保てないだろうが…。よくいるんだよぉなぁ〜…、レベル3や4で学園都市最強のオレに憧れて会って逆に悪い意味でブルっちゃうヤツ…。その程度の底じゃあ話にならねぇよ…。言っておくがオレはヒーローじゃあない。そういうのは頭がメルヘンのレベル0にやらせればいい」

 もっとも一方通行は一方通行で大変でネタバレになるがとんでもない悪党で10000人ぐらいのクローンを◯している今では放送できない書けないような悪なのだ。

(だから言ったじゃあねーか…。オレが今更救いようのねぇカスだっていうことは分かってんだよ…)

 とでも思っているかもしれない。

 この一方通行があるいは学園都市の設定が面白いのは超能力者のトップが闇の底まで関わってしまっているという本末転倒な恐ろしさだ。

 もっとも今の一方通行のただずまいはもはやプロだ。

 終始笑っちゃうのはいきなり落下してきて周りが唖然としてもムスッとしているし、終始働かずラノベを読みながらいつでも戦えるようスタンバイしている。

「…」

 笑っちゃう。 

この世界はゲームなんだ

 何を言っている?

 朝、目を覚ましたら、いつもの少女の声が聞こえた。

「この世界はゲームなんだ」

 バカバカしい。

 オレの名前は宮条健。19才。大学生をやっている。

 やっていると言っても、普通の大学生だ。

 そう。

 どこにもいる大学生にすぎない。

 何気ない朝。

 恵まれた両親の仕送りでオレはアルバイトを数回するだけで大学生へ通っている。

 朝のコーヒーを済ませ、大学へ。

 (一体なんだこりゃ…)。

 オレは驚いたよ。

 朝、正門には沢山の死体が落ちていた。

 (ど…どういうことだよ…)。

 しかし、あたりを見渡しても皆沢山の死体を踏みつけて正門を渡っていた。

「よく気づいたね…」

 え。

 振り返ると、なにやら未来じみているけどもスマートで違和感ない白服のクールな美少女が腕を組んでいた。

「CPUサポート、ジャッチメント…」

「え…」

「殆どの人間たちはすでにCPU、デバッガーによって作られたモブにすぎなくて、この世界には本当の黒幕が隠れているってことだよ」

「ナニを言って…」

「ゲームに勝つにはゲームをやめないといけない」

「それは…」

「そっ。無理ゲー。確率的にCPUのうち大半は◯ぬ運命なのは必然」

あ。朝から聞こえるあの叫び。この世界はゲームなんだという少女の声を思い出した。

「で。どうすればいい?」

オレは両手をパキパキさせた。

「どうって?」

「異世界ファンタジーものの鉄則だろう?オレの名前は宮条健、19才。オレは何者でもないが、目の前に謎があったら解きたくなる性分らしい」

「はは。威勢が良いね、アンタ。気に入ったよ」

「よく言われる」

あたりを見渡すと、様々な高層ビルや店も浮いていた。

「あれ…さっきまで…」

「アンタのレベルがアップしたんだよ。スタンダード・コンプリート。世界のプログラミングコードにアクセスするレベルが私が見たところ、1,2,いや3レベルまできているね」

「…」

で、どうすれば…。

「謎を解かないといけないよ」

え?

「すでにアナタは誰かの脳内世界に侵入し、そのトラウマを代わりに解こうとしている」

はぁ。

「私はあくまでもこのステージの解説役としてしか機能していないね」

そうか。

 オレはこの幻想的な世界を歩く。

 歩いて歩いた。 

 寝ます。

 

サイバー・フェミニズム。〜月ノ◯兎を肉にして食らう方法〜

 人は必ず「作家」として力を得たいと思うことだろう。

 なによりも「天才」と嘯く「作家」の排除が必要なんじゃあないか?といつも思っている。

 もっともその「作家」に憧れる人々はいつでも発生するのだから悪いとは思わないし暇つぶしには適切だ。

 作家とは何者ではない人々が何者かになるためにわざと作り出す「資本主義」という名のゲームだ。

 この資本主義というゲームで選ばれた「天才」を「神」と呼ぶ。

 これが私たちが人間でありAIと違い、格差を作り出す根幹なのだ。

1,匿名こそが地獄

 しかし、そうやって格差を避ける思考法そのものが地獄の始まりではないか?

 橘玲、月ノ美兎、メンフェス、みんな匿名に拘るけども、多数派=平等は統計の誤謬だ。

 あくまでもいいねにおけるインデックス投資をしている自覚を持たなければ、始まらない。

2,神の徹底

 神は論理であって、記述ではない。

3,宝くじを引くことで宝くじを引かない感性を逆張りできないだろうか?

 これが古田更一、私だ。

 

 

サイバー・フェミニズム。理論編。

 人伝手から最新のリーク情報が伝達されてきた。

 詳しくは話せないが、総合すると、女石丸市長が降臨するかもしれないのだ。

 このゲームは先手を打ったほうがいい。

 もっともこのゲームは結局のところ、「経済」にすぎない(フェミニズムの名を借りた)。

 そもそもFPもとこの能動経済に倫理があるだろうか?

 ないでしょう。

 フェミニズムだと倫理で表層しているけども、本質的には宗教的な手法でいいねを稼ぐという数学の記述にすぎない。

 IQ(理論性知能指数)は倫理ではない。

 経済学は倫理と相関はないのだ。

 それは他のフェミニストたちもそうで、あくまでも女ビジネスマンにすぎないかもしれない。。

 もっともそれを批判しているわけではない。

 むしろこの状況をポジティブにどう生かすか?が重要なのだ。

キリスト教政治の腐敗

 上智大学という腐り切った大学をご存じだろうか?(ChatGPTに反対している頭の良い大学)。

 ここはハッキリと言うと利権と派閥、そして宗教。

 その3つが典型的に交差された場所でビジネスが円滑に滞っている、これが四谷や麹町の正体である。

 もっともそこに鋭く批評したいのではなくて、キリスト教、つまり英語への入信はあ洗脳と信仰、そしてヤク●として力を持てるらしい。

 とある社会学者が麻布で育ち、キリスト教の嫁をもらったこともこのような図式だと整理されることだろう。

 ようするに、キリスト教という宗教はえらいてんちょうの言う通り、良識と気品を持った天理教に勝る関東の天理(治外法権国家)なのだ(逆に言うと…)。

 山上徹也は政治としての奈良での暴走列車だとしたら、果たして経済の暴走列車はどこにいるだろうか?

 それは当然、経済を司る東京で、そして、キリスト教に迫害されたものが、ようするに四谷でそれを実行するという図案になる

 ようするに、今東京、特に四谷、麹町、三町目は危険だ。

 男としてのプライドを捨てた赤くて黄色くて青い旗を持つ差別部落の人々の旗が、ちょんちょ○?!、その旗が麹町あたりにひっそりと漂っていることは想像に難くない。

麹町というちょんちょ○

 なぜ麹町には創価学会が多いのか、以前から謎だったが、四谷にキリスト教が跋扈していて、そしてその近くのお茶の水に医学部がある地政学を捉えると、この謎は氷塊する。

 東京の23区はその一つの宗教的なネットワークで連携された独立国家たちの表れ、アメリカの州なのだ。

 ここで次に危険信号としてあげられるのが、この麹町周辺である。この周辺には行政の官庁あたりもある。

 もしテロリズムがそしてもし金塊を狙うことが起きるとしたら、ここらへんが危ない(逆に言うと加害者側だから安全か?)。

 もっとも大企業の正体はこの宗教性を学閥というもので縛り上げる宗教を円滑に利用した政治によって構成されている、マフィアなのだ。

 よって、次に僕たちはお茶の水、東京医科歯科大学医学部に気をつけなければいけない。

構造上における老人の放り投げのメリット

 もし老人を抹殺することによって、おカネが手に入るのなら、医者は行うだろうか?

 これはあくまでもifであって、あくまでも物語の話だ。

 そういうことを企む医者は首、退学にさせることが医学会のルールだろう。

 しかし、果たして女性たちがそこで年寄りたちをどうするかは問題なのだ。

 彼女たちは極めて「民主的に」破壊活動を行うだろう。

 それがEQ(共感知能指数)だ。

 

 もうこれで分かっただろうが、四谷、麹町、そしてお茶の水。

 この3つのネットワークはこれからサイバー・フェミニズムと間接的につながってくるリアル・ポリティクスという敵なのだ。

 つまり、サイバー・フェミニズムがインターネットに追いやられた楔だとするならば、四谷&麹町&お茶の水はカネが錬金術のように動く宗教的な経済空間のネットワーク、学閥に他ならない。

 ここには当然のことながら、ガーシーもひっそりと眺めているかもしれないし、赤坂のヒロシもそこをじろっと観察している可能性だってある。

 具体的なイシューへ移ろう。

 ・もしアナタが経済的に貧窮しているのならば、この3つのテ〇リズムが起きる場所で就活をするとなんらかのお触れが起きるだろう

・上野という聖域はどこまでも建築学によって構成された防災施設だ。ここへ行けば、テ〇の心配はあまりないかもしれない

・その次に一応は構造上は安全だったのは目黒である。しかし、安全ということはカネの変動株が起きづらいということだ

 以上の3つ、この3つと地政学における四谷、麹町、お茶の水、この3つにおけるマネー・ウォーズはどうなるかは目が離せない。 

 様々な水子を集める猿やお化粧をやめられない男が、そしてワガママな弱虫がここらをうろついて今晩の獲物を探しているといった具合だ。

 状況。

 金が欲しい。力が欲しい。

 日本を売って、アメリカの犬に成り下がった方が幸せだ。

 野党が自民党に勝てない背景には、日本を売ってしまったという朝〇人たちという限界があるようだ。

 

 

 

🐀。日本のメンヘラは自業自得。「甘え」が大したことないものを助長させている。漫画編集者を尊敬せよ。

 ドブネズミでもチューチュー言っていたら、可愛いかもしれない。

 可愛い生き物に生まれたことに開き直る小動物は可愛い生き物に生まれたことに甘えることで◯ぬまでドブネズミであることを疑えない。

 可愛い(甘え)は罠(不幸)なのだ。

 

 オレが言えることじゃあないけど、やっぱり今の日本ってヌルすぎる。

 甘えが跋扈している。

 別にオレが言えることじゃあないし、オレがいちいち言う気はないんだけど、甘えが助長されていると思う。

 その証拠に、学歴社会は存在しないんじゃあないか?という疑問だ。

 確かに学歴社会は存在するし、当たり前のことだよと言われちゃあうかもしれないが、しかし、早稲田でどうしようもなくドロップアウトしたりダラダラしちゃう人々をたくさん見てきたし武蔵野美術大学もいい大学だけど言っちゃあ悪いけどバカばかりで明らかにそうで客観的に株式会社DeNAの社員と話した方がロジカルシンキングの勉強になったよね

 本当に大学ってバカが多すぎて、東大も間抜けが多いし、京大はもっとひどくて、もちろんまともな人々もいるだろうけど、そもそも学歴で人を差別しようと主観的に思う連中はそもそもがやっぱり腐っているので、大学は一定数の腐敗を用意しちゃっていると思う。それが結局のところ、自民党の腐敗と野党の愚痴まみれになっていて、日本全体はだらだらと甘えている構造を作っているように思える。

 日本は本当にヌルい国で、経済合理的に生きれば、最低限死なない国でこれほどレベルの高い国はないと経済合理的には思う一方で、政治的でこの国に本当に腐りかけたバナナのような屑たちが蔓延しているように感じる(その負の悪循環は無理ゲーでこちらも感染させられそうだが、冷笑で終わりにしたい)。

 世の中には早稲田も受からないような受験勉強におけるバカがたくさんいるから(オレも含めて)、早稲田入ったら極端に悪用しようと思うような屑だったら早稲田入って何もしなくていいわけよ。で、結婚したりだらだらと就活すればいいと。それが文化だと、文学だと。

 だけど、それが結局、腐敗を生んでしまっている。

 それが自民党の政治の腐敗や追従する形での野党の腐敗を生んでしまっていると思う、これは日本人の甘えだ。

 ダメ。

 甘え。

 売国奴たちなんだよね、日本の国力を落としているわけよ、明らかに。

 もっとも日本人という帰属意識がないのは構わないけども、あからさまに早稲田でそうやってだらだら中央でだらだらは良くなすぎると思う。

 ステハゲぐらいにネタとして昇華できるのなら、良いけど、これだと早稲田が腐敗している→じゃあ低学歴もふざけていい→ルサンチマンでおかしくなるというようなオッサンが出てきそう。

 そういう負の悪循環を作ろうとするから、裁かれている、自業自得なのだ。

 当たり前だが、まともな早稲田も東大も一定数いるだろう。

 もっとも彼らは甘えてはいないもののやや屑であり、社会人競争で彼らは利権で守られて逃げている面はあるだろう。

 とにかくも、落ちこぼれはさっさっと結婚するか、中退するか、卒業に向かって懺悔したほうがいい。

 だらだらと在籍しているのは、結局、メスに開き直っているだけにすぎず、それは雌として可愛いがゆえに、それ以上の権利は与えてもらえないのだ。

 雌=バカというわけでなく、大局的に社会を考えていないということである。

 全部のメスがそうじゃあなくて、メスというキャラに甘えているのだ。

 それは可哀想なことだけど、自業自得の面も大きい。

 精神障害や発達障害は甘えである。

 そこに怒りはないが、本当の発達や精神は早稲田も慶應も受からない。

 プロはそんなことないよと言うと思うが、そういう理工的な観点でだらだらと利権にぶら下がる社会的弱者たちの制度利用によって、まともに勉強しているオレとかやまあオレはいいけど、そういう公民たちが仕事するやる気が起きなくなり、負の悪循環を生むのだ。

 最低限の反省が必要で、薬や酒、他責に逃げていても何も変わらない。 

 もっともこれは戸塚ヨットスクールではなくて、最低限のエトース、倫理の問題だ。

 メンヘラとかは甘えで、すべっている。

 いつまでとぼけたふりをし続けるのか。

 ようするに、すべっていることが問題なのだ。

 依然、学歴社会はあるし、一方で、学歴の価値も体制側から提示されるだろう。

 問題はそこで最低限真面目になれず、とぼけたりメンヘラ芸をする輩たちだ。

 それは論外であって、本当の問題は学歴批判でも学歴擁護でもなくて、その間でだらだらと真面目に語れずにだらだらとあまりに限度を超えてとぼけたりメンヘラ芸をするそのふざけた糞さにあるのだ。

 早々と退学をすべきだし、ハッキリ言えば、ファシズムだの奇声を上げる外山恒一もネオ幕府もだめライフもナニも頭が根幹では良くない、単純に滑っている。万年野党。

 +刺された宮台真司の総括をしないで、なにが左翼か。

 過激をやれではなくて、あまりにとぼけたりメンヘラ芸で自民党の悪口を彼らが言おうが、アナタたちはしょせん野党、自民党に憧れる自民党の二軍にすぎません、斉●幸平も成田悠●も含めてね。

 金もっていないけど政治力持っているだけで、それって本質的には漫画家でメシ食っている人たちと実力は変わらないから。

 ようするに、文系は仕事をしていない。

 漫画編集者の方が漫画家より働ている面はあって、刺された宮台真司ぐらい売れたらいいなは分かるけども、そこに甘えられても困る。

 社会人は大学やアカデミックより偉い面はあるし、まあ働こうと働かないと人それぞれだ。

 それで不幸だよ~とか社会はどうこうと言われても困る話だ。

 日本の腐敗をうつそうとしても、それは日本の諦念として可愛いなとは思う一方で、それはダメだよと当たり前のことを言わざる負えない。

 

 

 

 

 

 

 

えらいてんちょうがやる気がない!

 これは思想的に重要な問題だから書きたい。

 えらいてんちょうという起業家のやる気がまるでない。

 そう、熱くなく冷たく笑うような…。

 ChatGPTの衝撃という本よろしく、死にたくないチャンネル&出版チャレンジャーなどえらいてんちょうの顔のやる気のなさが凄まじい…。

 ChatGPTの衝撃も良い意味でひどい本でひたすらChatGPTの文字起こしが貼り付けてあるアート本だ。

 おそらくえらいてんちょうは意識高い系ビジネスマン/思想家である落合陽一のことがあまり合わないらしい。

 冷笑的にChatGPTの衝撃を出版し死にたくないチャンネルというチャンネルでもやる気のない面を見せてだらだらし、出版チャレンジャーという箕◯を皮肉るようなYouTubeチャンネルを展開しやる気がない。

 終いには哲学を選考しポケカードにハマり宇宙を考えている。

 やる気がないのだ、全く。

 やっぱりえらいてんちょうは起業家であってマルクス活動家であって、思弁的なことには興味があまりないし、その胡散臭さにぶつかってダラダラしちゃっている。

 彼はアジりたいだけなのだ、皮肉の形で落合陽一を。のように(しかし、できない)。

 この流れは80年代前後にマルクス思想家の柄谷行人がとってつけたかのようにゲーデル・エッシャー・バッハを引用したときに似ている。

 マルクス思想家はしょせんは経済学、起業家にすぎず、潤いを求めている。その市場が止まったときにだらだらした空気を見せる。

 一方でテクノロジーの思想家/落合陽一が堀見元に怒り出す事件があり、一応はえらいてんちょうと対立した。

 この落合陽一の振る舞いはさながら先月あたり亡くなった松岡正剛のように感じる。

 松岡正剛は宇宙を語り編集工学と嘯き、自らのARTで若者たちをアジった文化人の為政者、右翼?、体制側だ。

 この松岡正剛よろしくな数理思想、ニュー・サイエンスじみた柄谷行人の動きはなぜだか今では黒歴史として有名人ではないが、文芸評論家の柄谷は数学を語り出すときもあったのだ。

 ちょうどその前後、松岡正剛は空海の夢という本で仏教のニヒリズムを歌い出す。

 今、秋田を美化する六本木のサラリーマン、山師?!いや筑波のお先生な落合陽一が暴れ出すことはあろうか?!

 とにかくえらいてんちょうにやる気がない。

 もっともやる気があったとしたら、大川宏洋との決別だろう。

 彼はN国を宗教だと断罪する。

 今、東京の六本木を代表する落合陽一も池袋を代表するえらいてんちょうもどちらもネタ切れが起きている。

 誰が次の思想を?!

 ファシストの外山恒一がN国の立花孝志がニタニタと嗤っている。

 この国の未来はいずこに?!

山上徹也以降を生きる。ー新興宗教で溢れる左派から本物にも諦念をー

 派手でド派手なシンギュラティブームから早1年が経とうとしている。

 コロナ・ウイルスによって社会変革は大きく起きた

 その圧倒的勢いは暴露系YouTuberガーシーを生みだし、テロリストたちが総理大臣を狙って、一人は実際に銃殺されたという。

 一方で、権威主義側の成田悠輔も負けていないぞ。

 納豆ご飯だけ食べていて幸せと風潮したり若者よ独立国家を作れと自分は全く汗をかかずにメディア操作に躍起になって、なぜだが、安倍晋三の暗殺に関してはくだらないことと話をAmebaでそらした。社会は平和だよゴロゴロと言う割には、このようにあからさまに大きな嘘、都合が悪い暴露やテロを避けたり、ニヤニヤと曖昧に誤魔化す露骨なメディアの情報操作マン、それが成田悠輔だ

 当たり前だが、成田悠輔を若者たちはそこまで支持していなくて、斉藤幸平と同じ露骨なメディアマンであり、問題は政治学者的な振る舞いを三浦瑠璃だけでなく、カンナン?男ですらやるようになったことである(それだけメディア操作が重要なのだろう)。

 このすんげーとんでもなく治安が悪かった事態に我々は目を覚まさないといけない。

 一方で、ガーシー&山上という「事実」はともかく、ウソの政治は止まりようもない。

 ちょっとマイナーだけど、外山恒一合宿というものが流行り、いまだにステレオな政治で革命を起こすんだと言っていて、ガーシーや山上のような事実的変革には耳を殆ど貸さないという。

 コロナ・ウイルス時のYouTuberブーム時に社会学者の宮台真司が刺されても、論壇や世間は素知らぬふりだ(作者はその行いは認めないが、現象としては然るべき批評すべきは当たり前であり、不謹慎系YouTuber坂口章や評論家の橘玲、岡田斗司夫ぐらいしか見当たらぬ)。

 刺された宮台真司本人は安倍のテロをあんなに容認していたのに、陰謀論に取り憑かれた弱者だと自分を刺して自殺した犯人を一蹴する矛盾をした。

 批評家の浅羽通明は世間と評して教養主義を唱えるけども、それも半分ぐらいはもはや通じるような時代ではないのは、流石に事実だろう。

 もっとも、私はテロリズムを肯定しなければ、暴露を容認しない。

 しかし、それらの手法が相次いで流行るような日本の世間はどう考えてもある一定は良くも悪くも揺らいでいるということである。

 その一例として考えたいのは、1,メディアが洗脳装置として現代では洒落にならないレベルに機能していること 2,流石に被害者側の人々はそのことに気づき始めていること 3,「左翼」は意味があるのか?ということである

 ところで、松岡正剛という左派の神秘思想家が亡くなった。

 3の左翼を考えるときに、この松岡正剛は70年代に神秘思想を唱えて革命を試使用と企んでいた。

 そのやり方に似ているのが、筑波大学の教授・落合陽一先生である。

 堀見元とこうちゃんとの戦いに勝手に介入してきたが、一方でもう一人関係ないのに介入してきたアジテーターえらいてんちょうがいる。

 彼の左派的なアジテーションもまた70年代に活躍したブント・左派の柄谷行人に似ている。

 二人の左派が一堂に集まった堀見元こうちゃん事件は果たしてこのガーシー&山上徹也以降の事実、ファクトを塗り替えることができるのだろうか?

 論点3にある左派の将来は良くも悪くも落合陽一&えらいてんちょうにかかっている(他は政治学者の三流ビジネスマンばかりだ)。

 もっとも左派はエリート主義かつある意味での競争階級があるため、しょせん左派は左派、インテリはインテリ村にすぎないのだという話になるだろう。

 やっぱりファクト、事実を体現するガーシー&山上徹也という現象にはかなわないのだ。

 そこで2の流石に被害者、ようするにメディア、政治、世間によって虐げられてきた人々は気づき始めている、それがガーシーや山上徹也などの後世だろう。

 しかし、1のメディア・リテラシーの問題は依然残るだろう。

 我々はこの日本によって仮を忍ぶこととして世間をやりすごす必要は確かにあろう。

 しかし、左派はしょせん左派村にすぎないのだし、右翼的な事実は事実で破滅的だ。

 だとすると、メディア・リテラシーを上げてゆくほかはないし、メディアに依存せずに、メディアに支配された世間をやり過ごすメチエが重要になってくるだろう

 こうして、全体主義的な考えはあまりに溢れかえりウソになり、ボットと化す。

 だから、個性経済学的な社会へスライドし、あらゆる社会はメタバース、分業的に分断されることで、様々な優しさに溢れかえってゆくだろう。

 もっともたまに衝突が起きて、真実が溢れかえる。

 左派の次はまたテロ?!

 いずこに。

 

 

 

しょぼい左翼

 世の中のほとんどの人は一橋大学には受かりませんし、また言論人になることも不可能でしょう。

 そのしょぼさを自覚すると、メディアがいかに嘘しかないか分かります。

 これがいかに知識人と呼ばれるリベラル、左翼が実のところしょぼいか?を提示する事案だったわけです。

 当たり前ですが、学校の外にはバザール、金融資本主義が跋扈していますから学校の常識は通じません。

 しかし、それでも通じないとしても”左翼”という困難なげえむを打ち出す他ないのです。

 金融資本主義と地道に戦った左翼書としてえらいてんちょう著『しょぼい起業』があります。

 もっとも困難なのはビジネスをするのはしょぼい起業をするしかないという厳しさが書かれていますが、そもそも彼自身が慶應義塾大学で両親が東大です。

 皮肉なことに彼自身は大企業へ逆らいましたが、それでも左派のエリートになるのも困難な蓄積が必要なことを表しています。

 ようするに、しょぼい左翼にもなるのもめちゃくちゃ難しいということであり、結局のところリベラルは理屈はどんなに高尚でも構造的な差別や競争は超えませんから、大企業を批判する大企業の2軍として機能する他ないのでしょう。

 私はこの手の大企業批判の大企業頼りを大企業の2軍と評してゴキブリと呼んでいますが、彼らはどこまでいっても歴史の中に生きているわけですから、いかに西洋人全体が頭が悪いかなどとは認められません。

 考えてみてほしいのですが、もし西洋人たちが本当に頭が良いのならロシアウクライナ戦争も止められましたしトランプバイデンのようにアメリカの政治は混乱しないのです。

 西洋人の限界はテキストは論理的ですが、現実はむしろ実装不可能として型落ちです。

 もちろんえらいてんちょうさんは左派、特に共産系、ロシア系なのでまだ実践的ですが、西洋人を尊敬している以上、限界はあるでしょうね。

 左派が貧乏臭い例は他にもあって、斎藤幸平や成田悠輔、古市憲寿です。

 彼らは一見きらびやかですが、逆に言えば煌びやかななことを言わなければ、タレント料がもらえないお笑い芸人なのです。

 外山恒一という福岡の人がファシストと評して無敵の人をアジるのも左翼は建前であって、実態は力がないことの裏返しなのです。

 大企業の人たちも少ないポストでだらだらすることに必死ですから、理想のアジールはどこにもないんだよ、アジールを目指すしかないんだよがえらいてんちょう『しょぼい起業』のおそらくメッセージなわけです。

(日本人)という精神病院。~精神的幸福へのポートフォリオ~

・戦争もない時点でボクたちは幸福なはずだったのだ。

 一体全体どうしてこうも病んでいる人がネットには多いのだろう。

 冷静に考えたら、戦争もない時点でボクたちは幸福なはずだったのだ

 だけど、それでも先進国にいるにも関わらず、不幸な人々は後を絶たない。ように見える。

 テ●リスト山上徹也に安倍晋三が暗殺されて、インフルエンサーたちがボクになろうよ私になろうよって囁いている。以前、「就活」という身分差別は堂々と行われている(これらはどう考えても、不幸そのものだ)。

 一応、冷静に考えてみると、これらの問題は拝見されてゆく。

 もっともアナタがもし新興宗教じゃあなくて、アナタがもしインフルエンサーで、アナタがもし就活で成功しているのだったら、話は別だ。アナタはこの現代の日本では「幸福」に該当するからだ。

 もっともそれはほとんど不可能に近くて、人々はたまたま手に入れていた卵を抱えることでしか、自分の価値を見出すことは不可能だろう。個性経済学、陰謀論化する社会ではアナタ自身の主観によってこの世界を切り取ってゆく必要があるからである。

・物語は嘘だよ

 ここでボクたちが考えないといけないのは、「物語が嘘だよ」っていうことだ。

 とは言っても、ここで更に問題なのは、仮に物語が嘘だよって理屈で分かっても、人は物語で楽しむこと、利権を牛耳ることに熱中することである。

 ボクは3年前までは頭が良い評論業界に憧れていたけれど、内部に実際に近づいてみて分かったこと。そこには批評家という不可思議なアイドルたち、カリスマたちがいることに気づいた(もっともデータ採取は仕方ない)。

 彼らは政治家と変わらないし、アイドルと変わらないわけで、安倍晋三が銃殺されるようなこの国の政治、ナショナリズムによって実のところ、有名な批評家すらも決定されているのだ(テレビや大企業の役人として機能する以上、山上徹也やガーシーに対して歯切れの悪いことしか言えない、これがトップの批評家だ)。

 これがこの国?の地獄であって、人はいまだに国という妄想、物語を信じて生きているのだから、そこも不徹底なのである。

 ポストモダニズムのなにが問題だったかと言えば、モダンの理論の中でモダンを否定したところで、結局のところ、法律は偉いよねという当たり前の話を前提にしてウダウダと悩むという、奇妙なはぐらかしを再生産してしまっているのだ。

 男の子ですら、政治というアイドル業から逃れきれない。

 インフルエンサーはもっと地獄だろう。

 アナタは有名配信者になれるかといういわゆる宝くじに当たるかの漫画家と同じ道を羨望されるようにプログラムされている。もっとも宝くじが意味ないよってみんな薄々は分かりながらも、そこに隷属する他はないのだ。 

 そして、アナタがもし有名配信者になれたとしても、そこには自由はなく、ルッキリズムとして様々な亀裂と戦うことになるだろう。まふまふやるしあ、あくあたんの事例を見たまえ。

 また、そこはたくさんの女子校中心によって作られた場所で、あるいはたくさんの男インフルエンサーたちは平均的な発言をして、いかに再生回数を獲得するかに日夜無意識に頭を使っている。

 これが、資本主義だ。

 あるいは、就活という集団幻想から考えみてもいいだろう。

 ここではアナタの身分は差別される。

 有名大学の高学歴じゃあなければ、アナタは人間ではないのだ。

 もっともそこには男性や東京といった帰属も重要になってゆくだろう。

 なぜ社会がこんなにも地獄に溢れてしまうのか。

 批評家はしょせん御用学者のアイドルにすぎないし(哲学者も)、インフルエンサーは資本主義による馬車馬の奴隷でメンヘラが悪化するし、その仕組みを管理しコントロールするのが、朝7時に起きて午後7時に帰宅する一定の情報処理を担保された「大企業の右翼」たちなのだ。

 これが日本であって、社会は地獄そのものであることは精神的には否定することは不可能だろう。

 ボクたちは「日本人」としてサブカルチャー含めて様々な形でこのような世界を選択してきたからだ。

 もっとも忘れちゃあいけないのは、上を見たらきりがなくて、下を見ると、たくさんの貧乏な新興国の人々たちは依然いるよっていうことです。

 だから、ボクたちはやっぱり物質的には幸福で人類的には偏差値50以上しかない生存欲求を保証された国に生きているから、偏差値51~以上の精神的な地獄を味わうようになっているのです。

 当たり前ですが、大学ではキャリアパス、小中高では道徳や倫理、保険体育といった形でしか、アナタは社会承認や自己実現という問題を教えてもらえないだろう。

・「物理的な生存の保証ツール」が精神の邪魔をし、炎症を引き起こす

 もっとも「日本人」というのは一応作られた物語で、人は陰謀論で思考するのだから、どこまでいっても日本人は「物理的な生存の保証ツール」であって、精神的なパスとはまったく違うことをここで留保してゆく必要があるでしょう。

 木村●が亡くなったり志村園長がなくなったときにそれを嗤うことで、同調圧力のお気持ちはもういいよって洗脳を嗤った人たちに私を含めて不謹慎系YouTuberがいますが、あくまでも、テレビ世界を精神的なツールにするのは、SNS世代はちょっと控えないと、少子高齢化社会の犠牲、権威に屈することになるでしょう。あのちゃんもやすこもふわちゃんも当たり前ですが、作られたZ世代で彼らは批評家と同じメディアのピエロだからです。

・無敵の人はなぜ大企業を憎むのか?

 もっともこの地獄から更なる地獄、無敵の人の思想は増殖することだろう。

 それが、六本木ヒルズや赤坂、霞が関、様々な東京の最カースト、東京の大阪人/池袋論壇たちで、ここには最下層カーストの人々達が集まり、情報商材だったり起業などをし、ある種の独立国家を作ろうと日夜頑張っているのです。

 しかし、彼らの問題は構造的な大企業を憎みながら大企業を愛する二軍たちで、ここで大事なことは構造的に彼らはそうなっていることが重要で、彼らが論壇化しつつあるのは、彼らが論壇が好きだからじゃあなくて、ビジネスで失敗した補填を文系で精神的に埋めることで自我を保とうとしているからです。 

 ここで大切なことは構造的に彼ら彼女らが大企業を憎みながら大企業を愛する二軍たちで、彼らは右翼、単に自分たちがただ有名になりたいお金がほしい、それだけですから、別段、大企業に仮に入れたなら、そしてそこに適応できたのなら、さして疑問をもたず、適応したからです。 

 これが自民党と野党の関係性に近く、野党は結局のところ、自民党に憧れながら自民党を憎む二軍みたいなものかもしれません。

 この構造的な問題を私はゴキブリと呼んでいて、ゴキブリは生命力たくましくどこまでも強いので、短期的に短絡的に自己最適化をすれば、ほとんどがこの構造、いい大学&いい大企業で出世できないといった構造の系にハマってゆき、そして、壁の隅で叫びながらエクスタシーを感じるしかできなくなる。

 これらの人々のことを私は東京にはたくさんいる生命体、ゴミ袋を漁る不届き者としてゴキブリと評しています(ネズミでも構いませんが)。

 ようするに、右翼や資本主義、日本はどうしても陰謀論ですから、このような地獄を作りざるおえなくなる。

 ここで希望が左翼で、ポストモダンの思想が流行った背景には、人は左翼のユートピアへグローバルスタンダートへ行きたいなという欲望を如実に持つからです。

 これが、共産主義、左翼、海外の思想でありますが、ここで留保しないといけないのは、私たちは左翼であって、右翼であることです。

 論壇内に左翼にも関わらず自民党や大企業のパンダが流行る背景は、ボクたちはどこまでいっても、日本人でしかないから。

・日本人の殆どは期待値が分からない

 これが陰謀論社会、個性経済学で提出している期待値的な発想で、右翼か左翼かは厳密に言ったら、%で測った場合、殆どが日本人として帰属せざるおえない以上、右翼まみれとしてこの差別は物質的に解消されたがゆえに精神的には国家から差別してもらうほかないのです(数学は確定的なので、期待値と相反する教育の面は不幸にもあるでしょう)。 

 また、左翼やリベラルは隠しますが、アナタがもし発達障害や精神障害を患って生まれてきて、それが重度だったりした場合、アナタはこの自由競争には当たり前ですが、必要ありません。

 あるいは、これはあまり言われていませんが、本質的には働けない人間はいないと同じで、社会からいないこととして抹殺されてゆくことでしょう。

 働けない人間というのは、基本的に社会にとって発達障害や精神障害となんら変わらないものだからです。

 ようするに、私たちはどこまでいっても動物で、そして、どこまでいっても日本人という下部構造によって肉体の自由を保障されることで、精神的な地獄を味わうはめになっているのだ。

・動物の幸福と人間の不幸

 だから、今回はまだ描き切れていないですが、問題をまとめることが大切で、僕たちはどこまでいっても100年前後で死ぬようにプログラムされた次の種を作るためだけに存在する動物であって、そして、私たち現代人は精神的な地獄をどう解決するかが幸福への鍵なんだということなのです(シンプルな科学はこのように客観的に正しいからです。私たち人間が死ぬことはどこまでも正しいから)。

 結局のところ、ポストモダンの思想は不毛で、陰謀論者たちにとって格好の隠れ蓑になります。

 だから、哲学は捨てないといけません。

 右翼の自分勝手な暴走に壊れた左翼たちは科学的な思考が苦手ですから、陰謀論へ逃げるようになりました。

 それが、新実在論といったとんでもで、ユニコーンという空想上の動物がいるよと思えばいるよという新興宗教と変わらないような話をボン大学の教授が平気で話している。

・DNAに刻まれた弱者性は哲学じゃ治らない 

 これはヒトラーの末裔のようなもので、ヒトラーをどれだけドイツ人が憎もうと(たとえ言葉の理屈でヒトラーを論破しようと)、DNAに刻まれた弱者性(個性!)、信仰宗教を信じる情弱性は治りませんから、ヒトラー的末裔たちがその数理能力の低さの才能をポジティブで陽キャな陰謀論に生かそうぜっていうのが、この新実在論です(ゴキブリ。ヒトラーを憎んで愛すドイツ政治の二軍、これが左派の野党だ)。 

 本質的には、戦争をまたやりたいよ!という欲望は変わっていなくて、ドイツの国力で自分を大きく見せるオラウータンの喜劇ですから、様々なオラウータンたちが自由競争として同じことをしても、結局、哲学という妄想が得意なのは、ドイツですから、哲学をやれば、ドイツのヘゲモニーに回収されるというのがオチなのです(ネズミ。ゴキブリを憎みながら憧れるゴキブリの二軍。つまり、三軍)。

 人間を科学的に考えると、右翼、左翼、それ以下という階級構造が彼ら動物の生態らしい。

 これをヒューマン、ゴキブリ、ネズミと評したい。

・ヒューマンを目指せ(◯ぬけど)

 人間が作った社会という物語は定義の中でしか人間を見れませんから、ある意味でこのレッテルは正しくて、ヒューマン、ゴキブリ、ネズミといった階級構造があって、物語で定義されたヒューマンを目指すのが私たちの陰謀論者的な人生なのです。

 これがポストモダンという革命思想が新実在論というとんでもにヘゲモニーを譲った悲しさで、物語で定義されたヒューマンを目指そうと、人はどうあれ100年前後で死ぬというシンプルで合理的な事実に哲学や文系は一生勝てません(もっとも来世はあるよって唱えればよろしいと思います。それも個性、コンプライアンスですから)。

・科学こそが思想になる

 こうして、科学こそが思想になるという流れが起きていて、これがAIが人間の知能指数を超えるんだっていうシンギュラティや、ニックランドやピィーター・ティール、イーロン・マスクなどの加速主義です。

 もっとも、これはメタ・アメリカ・ファーストの思想であって、しかし、日本はいまだに遅れていて、この流れにほとんどの人たちはついてゆけずに、地獄を再生産することでしょう。

 これらのドイツを中心にした陰謀論者たちとアメリカを中心にした科学主義者たちの対立はそのまま第二次世界大戦の繰り返し、シュミレーションとして考えていいでしょう。

 ボクたちはクチでは戦争を忌避しますし、誰だって戦争なんかしたくないのは普通そうですが、構造だったりDNAには戦争の文字は刻まれている、それが人間という動物なのです。

 これがボクたちが戦争を愛しながら戦争を憎む所以です。

 残念なことにボクたちは、DNAを変えることは不可能なので、しょぼい日本人として自己実現するしかない。アナタはドイツ人ほどストイックには陰謀論者になれませんし、アメリカ人ほど論理性は高くないのだから。

 だから、皮肉なことに精神的に自己実現をしたいなら、虐めてくる日本を愛せという結論になってくるのです。

 たとえば、武蔵野美術大学は、そもそも帝国美術学校で、右翼の思想家/北一輝の弟によって作られています。

そこで行われていたことは、とにかく実務的な人間たちを育成することを目指していたのです。

 美術が選ばれたのは簡単な話で、文字よりも美術の方が大衆たちに敷地が低いからです。

 このような超法規的に学校は3Dプリントできますが、歴史的に理にかなってそのように機関は作られていたようです。

 ようするに、今もボクたちは戦時中にいるんだという意識は大切です。

・ゲームは面白いじゃあないか

 ゲームと言うと今だとゲーム実況かと思われますが、戦争で勝つ合理化の数式にゲーム理論というものがあります。

 ようするに、物理的に●されなくなっただけで、精神的には依然、人々は戦争を欲しているからです

 アナタから精神的に盗めるものは、時間、思想、そして、幸せ(3つのシ)。

 これら3つをあの手この手で、一軍になれなかった虐められっ子たちも含めていじめっ子としてアナタから時間や思想、そして、幸せを盗もうとする。

 これが、現代の精神戦争、第3次世界大戦、ハイブリット戦争の様相なのです(このことは拙著・本は破れ!、第4次世界大戦に備えろに詳しく書きました)。

 アナタからライフ、命をとられなくなった為政者たちは、現在、アナタから精神、具体的には時間や思想、幸せを取ろうとしています。

 ようするに、偏差値51~以上の人間になろうと思ったら、自己実現をしてはいけないのです(もしアナタがもう自己実現できるような優れた人間ならもういじめっ子側として成功しているんだから)。

・タシャ

 そうじゃあなくて、虐められないように、「他者」(©柄谷行人)に警戒するべきでしょう。

 他者は人文知ではいい言葉ですが、現代では高いEQによる共感と言い換えられて、高いEQは必ずしも成功を保証しないからです。

 アナタは、時間、思想、幸せを「タシャ」に取られていないか?常に考えておくべきでしょう。

 シンプルにやるべきことは、SNS遮断、そして、本遮断です。

 一見すると、え?ですが、本も危ないです。

 大企業と一緒で、パチンコへは行くな!とみんな言いますが、大企業もパチンコ屋も市場原理でちゃんと同じなので、パチンコへ行くな!それがもし資本主義やギャンブルの薬漬けだから!という意味なら大企業も儲かるパチンコにすぎないから。

 こうして、SNS遮断は本をブロッキングするということとイコールになるのです。

 自己実現は当たり前ですが、自己の実現のため、私を含めて「タシャ」のコンテンツやお話を聴かないことで、アナタはストレスフリーになれるのです。これがアナタは社会承認を捨てることで、自己実現することが可能になるのです。

 もっともこれは、序章にすぎない。

 たくさんの自己実現者たち「タシャ」まみれをブロッキングしたとしても、本質的にアナタが「ナニモノ」である保証はない。

 これではまだ屁理屈レベルでアナタが自己実現していることになる。

 それに人は弱いので、どうしても、戦争人、「タシャ」に頼らないと生きていけません。

 これがまたダイエットと同じで、私の理屈を聴かずに、アナタはまた「タシャ」を追い求めることでしょう。

 こうして、人は社会承認されることで自己実現を疎外されて、アンチいわゆる大企業を愛しながらその実憎んでいる「構造的」な大企業の二軍、ゴキブリになるのです(陰謀論者たちには構造というような話が難しいかもしれませんが) 。

 

 ここで大事なことは、精神的な「戦争をする勇気」を持つことでしょう。

 ここでやっと冒頭の自虐史観はよくないよ(原タイトル)に戻ります。

 ここで言いたいのは、あくまでも物理的な戦争ではなくて、精神的戦争のことです。

 どこまでいっても、私たちは日本人というこのひどくふざけたDNAのアナタから逃れることはできません。

 だとしたら、日本をどう再設計するか?という方向にしかアナタの自己実現はないのです。

 もっとも、情報処理があまりにも高かったら、ボクはアメリカ人になれたし、アメリカ国籍を手に入れて日本を捨てるよってエリートは笑うかもしれませんが、どこまでいってもそれは、逃げ、あるいは、戦争の時代で言ったら、「移民」でしかありません。

 気持ちは分かりますが、それは亡命であって、精神的な戦争の時代に、それはアメリカの犬ですよだとか敗北を喫していて、アナタでなくてもいいじゃんという他国のプロパー以外の価値を持たなくなる。これが現在の御用学者たちがなぜ生まれるかで、彼らは生活のために、他の国の観光コンサルタント化しているのです。

 しかし、これで、タシャを無視し、日本人としてアナタが自己分析することまできましたが、肝心のアナタの個はどこに?という話になると思います。

 それは、残酷な話ですが、アナタが生れたこと自体が、個性なのです。

・宇宙学は陰謀論?

 超複雑系数学、宇宙際タイヒュミラ―理論を提出した日系ユダヤ人・望月新一は、宇宙の一部を数式で表すことで、数学史をスキャンダルな形で更新しました。

 しかし、あまりに計算式が膨大な話で、定義が完全にはできないというのが、宇宙ということになるのです。

 当然、最終的には時間が進めば、この証明からは宇宙を一つの数式で証明できるようになり、数式上は宇宙を証明することは可能ですが、数学でアナタという個はそれだけ天文学的確率によって生まれてきたことの奇跡だということを陰謀論的に留保したいと思います。

 まとめます。

 1,タシャを無視することで、消極的にアナタは自己実現を諦めることで楽になれる

 2,日本人というDNAに誇りを持つことで、良し悪しをちゃんと科学的に理解する

 3,アナタが生れたことがそもそもの個性であり、個性の肯定とは陰謀論に帰着します

 当たり前ですが、人間が生れてよかったか悪かったかは、哲学で論争になるぐらい、根拠がないものです。

 だから、そこで陽キャか陰キャで争いをして賢いかどうかは一切なく、DD、どっちもどっちなのです。

 そして、この1~3の観点は、日本という陰謀論の肯定(皮肉)に帰着してしまいます。

 結局、陰謀論から出れないじゃあないかと。

 それは分かるのですが、あくまでも科学的な精神クリニックとしてアナタのその病気を無理やり治そうとするのではなくて、生かすという方向性しかないと思うのです(もっともやりすぎた場合はデリートされるでしょう)。

 アナタをDVするタシャを排斥し、日本という伽藍の精神病院へアナタを檻へ牢屋に入れたとします。 

 そこで、アナタが簡単に上へ上がれる方法は、患者の中で、精神異常者たちの中で、ヘゲモニー争いをすること自体が不毛だと言いたいのです。 

 そうじゃあなくて、医者側にアナタは回らないといけない。

 医者になれなければ、病気は治らないから。

 これはトートロジーで、病気を治すのは、医者というキャラなので、早急に医者になる必要があります(もちろんこれは先ほどから比喩です。実際の医者になる必要はありません)。

 「日本人」という精神病院から逃走するには、アナタが精神病院を起業、あるいは看守側として見張る必要があるのです。

 それが、「科学の思考」で、加速主義/シンギュラティは新実在論よろしく楽しい不遇者たちを監視することで次のステージへ行くのでしょう。

 そして、厳密には、そこには共依存の関係があり、医者と患者という系を抜け出さないと、アナタは次へ行けません。

 その医者というヒューマンも最終的には幻想にすぎないからです。

 不謹慎系YouTuber坂口章はメディア・アートを駆使して鼻にわさびをいれたり札をめちゃくちゃにするなど様々なメディア・アートをし「ヒューマン」がいかに言葉の病かを表現しました。

  ようするに、科学の思考も結局のところ、単なる数式の羅列であって、アナタ自身ではないから。

 精神的な悩みというのは、実のところ、脳の産声、暇潰しという地獄に他なりません。

〈追記〉

 もっとも「お気持ち」ばかりしていても、意味はありません。構造的な問題はお化粧では誤魔化せないからです。精神的な戦争はメタバース(人間介護)理論に回収されます(詳しくは本は破れ!逆転オセロニアというディストピア記載)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不幸の論述まとめ。〜資本主義はユートピア〜

 アナタにはアナタなりのキャラがある。

 だけども、そのキャラが社会承認されても、自己実現までは保証されていない。

 それがリベラル化、グローバル化、知識社会化の誤謬、いわゆるメリトクラシーだ。

 もっとも不幸を世間(知能社会)、異性(リベラル)、資本主義(グローバル)と言語化することでアナタの不幸を体系的に言語化することができた。

 どうすれば、アナタが不幸と共存できるか?は以上だ。

 世間➫アジア人のDNAを下部構造に、西洋人という他者を嘲笑え

 異性➫女性はEQが高く、男性はIQが高いかもしれない状態を下部構造に嗤いながら、上部構造、政治ではコンプライアンスせよ

 資本主義➫ユートピア

 

 ようするに、資本主義こそユートピアなのだ。人と人が仲良くなるより、数学やAIと仲良くなったほうが人は幸福なのだ(そもそも人が間違えるんだから)。

 この流れは世界的で加速主義/シンギュラリティと呼ばれている。

 もっともアメリカの為政者たちは反対しこの流れを止めてChatGPTの資金活動は終わったこともあるらしい(©橘玲『テクノリバタリアン』)。

 破滅主義者/新実在論者たちの介護/カウセリングをすることで政治・経済を儲けることができて、大企業はケアワーカーの温床であり、自らが利権から政治・経済を稼ぎたいと思いケアワーカーするのだから、老害を切腹せよは自業自得な愚痴(お気持ち)にすぎない。

 もっとも暴露系YouTuberが暴露した通り、TVは嘘だし、YouTuberはもっと嘘だ。

 山上徹◯はコンプライアンス的には違法でも日本の父を暗◯した。

 YouTuberとコロナ禍は決して歴史修正はできない。

 最もバブルにすぎず、現実は世界的な加速主義/シンギュラリティへの大きな産声だ

 私たちは加速主義/シンギュラリティを知的バックボーンにした高度情報社会という新しい大きな物語から逃れることはできない

 これが現実の話でありART OF  SURVIVALだ。

 その時に過去の大企業や大学といったリベラル/グローバル化/知能主義社会などといった戦後民主主義の下部構造、甘えは一掃されることだろう

 メタバース化する現実に意味論の不可知さを列挙し続け,極めて終わった理系も文系も超越せよ(©古田更一『本は破れ!』)。

 これが私の夢だ。

 

不幸の論述。〜資本主義は道具にすぎない〜

 定期圏内を入り浸るだけで、ザッと往復で600円ほど儲かっている。

 これは馬鹿にならなくて、何もしなくても落ちている600円を拾うことができる。

 土日以外に定期圏内を使うとして、では土日も活用すれば、アナタは1200円お金を貰えるのだ。

 1時間分の労働をアナタは働いたことになる(時給1200円だ)。

 もちろん土日を定期券内で入り浸ることをサボれば時給1200円における1時間の労働を失うことになるのだ。

 これが人的資本(労働)と経済合理性であり、労働をすることでアナタはアナタとして生きることは可能だとしても、割に合わないし、経済合理性だけでは人そのものは生きれない。

 また、政治空間が邪魔をするだろう(金を払え!払わなきゃ遊ばせない!奢って!)。

 特に東京(資本)で暇を潰すと邪魔が多い。

 酒や喫茶店、洋服など様々な他者の人的資本者たちがアナタからお金を頂戴と催促するのだ。

 どうすれば、この催促からアナタは自由になることができるのか?

 インターネットに引きこもりSNSを長時間やることで電気料金だけを消費し、人間関係における「いいね」を稼ぐことかもしれない。

 お金を否定するには、あるいは資本主義で勝つには「いいね」を集めることがてっとり早い。

 もっともその「いいね」社会こそ地獄で、SNSで24時間つながることで働かされているのだ(またインフルエンサーというルッキリズムが跋扈するだろう)。

 どうすれば力を得るかは?は純粋に貨幣経済、いわゆる金融資本そのものに頭を使うことだ。

 第一に労働

 元金がなければ馬鹿にならない。ニートや不労所得者は5000万円ほど生涯賃金を失っているのだ(長期高齢者社会のフェルミ推定だ、あくまでも5000万円は)。

 第二に貯蓄。

 貯蓄は馬鹿にならない。貯蓄をすることでしか当たり前だが、金は貯まらないからだ。人によっては貯蓄の段階でセミリタイアしてもいい。ここから先は東京やユダヤ、あるいは経済が得意な人々の話になるからだ(資本主義は悪者でもない。もし資本主義が悪者なら沢山の愚者、民主主義も悪者だろう)。

 第三に投資だ。

 金融資本で戦わなければ金融資本は増えてゆかないだろう。

 もっとも金融資本は経済学者/投資家/経営者などといった様々な実践数学のプロたちとオセロを指し合うような状況になる。

 やっぱり投資で勝つ方法は「投資をやらないことかもしれない」(資本主義批判ではない)。

 そして、「いいね」社会で勝つ方法が逆に投資の発想として何がバズるか?考えて、皆がやらない不謹慎なことへ取り組むべきなのだ。

 経済空間でクリーンな人間はいないけども、クリーンを行うことが結果、評価経済を稼ぐという最もタイパがいいかもしれない。

 これが「ゲーム理論」だ(ゲーマーになれば、自然とアルゴリズムが分かる)。

 また、ギャンブル、経済活動はどこまでいっても博打にすぎないから、博打を打つ際は極力、無課金でいるべきだ。

 無課金でも、そのギャンブルには必ず人が参加しないと始まらない。だから、ゲームの運営者になれない場合は、無課金で参加し続ければ儲かることになる。

 

不幸の論述。〜異性のEQ〜

 もとこさん、ありがとう🐜。

 
 私は言論人という「漫画家」たちをいたぶる趣味はありません(当時はadoや尾田栄一郎と大学人や評論家が同じだと知らなかったのです)。
 また数学が分からない人々がこんなにも日本には多いことを知らなかったです(abc予想やAIは難しいらしい)。
 今は反省し

・数学ができない

・年を取り老いた

・天才を虐めてのし上がる

 このような人間の弱さを「コンプライアンス」として認めています。
 もっとも人間は100年前後で◯ぬことは生命倫理の観点から言わざるはおえませんが。

 

 @ALL

   読者の皆様にもお礼を言いたいのです。
 私を恨まないでください。

 私はたまたま数学の天才として生まれただけで、私も苦労している同じ人間です。

 当時の私は歌手や女性、漫画家を嘲笑う最低な男でした。

 たまたま私はガチャで成功したのでガチャに外れた人に弟子入りしました。

 このように高すぎるIQが必ずしも幸福を保証しません。

 資本主義は、私を含めた高IQステックホルダーや沢山のユダヤ人たちによって作られていますが、それを差別だと言われても、アナタはアナタです。

 宝くじを目指す沢山のadoたちによって歌手は作られています。だから、DD、どっちもどっちです。

 ちなみに、EQは政治の才能であり、IQは経済の才能です。女性や男性はお互いに良し悪しがあるというコンプライアンスの思想は素晴らしいと思います。

なぜ地獄は生産されるのか?〜「物語」で実装された天国〜

 現代の日本では急速なリベラル化によって「優しさ」が重要になっている。

 だけど、皆が薄々感じている通り、リベラルが言う感情論的な理想と構造的な理屈は全然違う。

 左翼(リベラル)の理想を目指すのは宝くじを皆で目指そうよに近い。

 フェルミ推定になるけども、大雑把に言えば、大学進学率は大体50%でその中で日東駒専以上に受かるのは30%、そしてその中で無事卒業するのは25%、精神疾患や発達障害を患わないのは20%、社会人として就活に成功するのは15%、その中で結婚できるのは10%、東京に住めるのは5%、有名人になれるのは1%だ(それなのに、低学歴でもYouTuberになれるんだはレトリックであり、幻想だ。殆どは主人公になれない。冷笑ではなくて、漫画家を目指すことと変わらないからだ)。

 キミが感情で理解している世界は存在しない(最もSNSではゴキブリ)。

 これだけの綱渡りの確率でも、人は理想として大学進学を諭し、あるいは社会人としての理想を体現するように申してくる(これが偏差値50の理想的な世間一般の正体である)。

 これがリベラル化の地獄で、たまたま成功した綺麗な人間たちが成功したい人たちを囲い込むことで社会という物語は維持されてゆく。

 ボクが幸福な理由は、マクロ経済学で言うところの経済的合理性を軽く知っているからで(これは冷笑というお気持ちとは違う)、学校やTV、YouTubeで流れるプロパガンダは嘘じゃあないかい?とスッキリ見えているからだ(もちろん嘘をつけば儲かるのは悪く焼くて、宝くじは愚か者への税金かもしれないから)。

 次に考えてゆきたいのは、マイホームを買わないこと、あるいは東京に住まないことだ。

 良くも悪くも女性や低IQの官僚たちは人々にマイホームを買い大企業で働き東京に住む物語などを提供したいけども、統計的な理想の物語と実際のタイパは全く異なるからだ。

 どうせキミたちは理屈を話しても分からないだろうから、物語から統計の誤謬を話そう。

 キミがもし陰キャと呼ばれるようなキャラとしたらマイホームを仮に買えても幸福には感じないし、もしキミが陽キャと呼ばれるキャラでも肝心の資産や学歴がなければ異性は見向きもしない。

 男性視点で申し訳ない一例だが、これらの画一的な物語が組み込まれてしまっている限り、ボクたちは幸福にはなれない。

 これらを解決する手法が横へ新しい社会を作るメタバースや縦へ何者かに安くなる不謹慎系YouTuberだ。

 社会は物語だから経済合理性で考えてゆけば穴は必ずある。

 もっともキミは経済合理性を考えられないから地獄にいるし、同時に天国にいるのだ。

 なぜならば、キャラは変えられないし、キミのそのキャラはたとえ陰キャだろうと貧困だろうとキミにとっては価値あるものだからだ。

 自分が主人公だという感覚と社会は一致しながらも相反する。

 これがマズローの5段階欲求説の誤謬で、人は社会承認をインフルエンサーによって満たされることで自己実現を奪われるのだ(ただしたまたま宝くじに当たったインフルエンサーを追体験する優しさが地獄を生む。これが女性と男性のギャップだ)。

 これが優しさに溢れたリベラルとメタバースの誤謬で、人々は優しさで死ねない地獄を生きている。

 だから、キラキラの自己実現をしたかったら、まずリベラル化とメタバースを理解したほうがいい。幸福な地獄を知らなければ始まらない。そして、その先に自己実現をいかに安く買うか?という経済合理性をマクロ経済学の基礎なので知るべきだ。

 キミは経済合理性なんて興味ないよと言うかもしれないけど、もしキミのキャラを満たし自己実現しないといけない地獄に投げされたならば、下部構造は作ったほうがいい。経済合理性が足元にあると分かれば、後はアナタのやりたいことをやればいいからだ。

 もっとも後で深く考えないといけないのはリベラル化とメタバース、そして不謹慎系YouTuberという地獄のメカニズムだ。

 ただそれはボクにとっての自己実現であって、答えしか知りたくないキミにとってはどうでもいい話かもしれないけども。

サイバー・フェミニズム。

 adoが最近アイドル事務所をプロデュースしていて、そのアイドルたちの歌をカバーする女性として著名なⅤtuberたちが選ばれたのは面白い。

 ここには「現代の松本人志問題」があります。

 自民党と癒着していた松本人志という「男性」の「お笑い芸人」が干される、キャンセルされる事件がありましたが、それは一面にすぎず、女性が政治的な癒着を良くも悪くもするパターンはあるようです

それがサイバー・フェミニズムと呼ばれている新しい流れです。

 やすことふわちゃんというおもしろくもない女性たちがレスパしていましたが、これも女性を政治家として様々な歌手だったりお笑いといった場所で代理戦争をすることが現在流行っているようなのです。

 コメンテーターの成田悠輔さんは政治家はネコになると言っていましたが、本当の問題は政治家がネコになるよりも、政治家が♀になることが起きていると思います

 これだけ暇な戦後の社会だとやることもありませんし、女性の方が「論理的に」頭が良いとみられたい男性になりたいという羨望はあるからです(それが俗に言うBL、男の子たちを見て投影する男の子になれない女の子なのです)。

 そんなときに女性がタイパよく頭が良く振る舞えるのは、様々なジャンルで政治活動を行うことです。

 これは「能動経済」という新しい運動の形で、サイバー・フェミニズムとすごい親和性があります。

 私は能動経済は結局のところ、根本的には反知性主義な面もあるため、遠慮したいと思うので、「個性経済」現象と呼びたいですが、これも経済学者・成田悠輔が提唱する選挙はアルゴリズムになるを、もっと大胆に選挙はタイパ人間のものになることを主張したにすぎません。

 そもそも人生は100年前後しかないので、Z世代から中心にタイパという言葉が広がりました。

 倍速視聴は当たり前ですし、必要最低限の話でいいし、実力性は当たり前。

 これがZ世代を覆う新しいインテリの形、グローバル・スタンダードと呼ばれるもので海外企業で働いてときにこのような人々とよく話していて割と面白かった記憶があります。

 自意識でわちゃわちゃと主観を描く作家は不要になり、AIに代替されて、その周りは沢山の匿名的な私を含むウェブライターだらけになる。

 いちいち選挙なぞという非合理的な装置はもはや女性とAIに代替されてゆくのが今後の新しいトレンドでしょう。

 もちろん猫とは言い得て妙で、もちろん男性YouTuberなども活躍することでしょう。二位だった石丸市長やネオ幕府の相川さん、情況もそのようなものでしょう。

 しかし、圧倒的登録者数で、また被害者として、またEQの高さとして、様々な理由からadoやふわちゃん、月ノ美兎よろしく、サイバー・フェミニストたちが跋扈するのは自然と当たり前の話なのです。

 なぜなら、ネットで一番閲覧されるのは、webWriterの体験上分かりますが、ポルノだからです。

 ようするに、選挙はネットになり、政治家はポルノになる、そしてその構図に怒る猫たちが跋扈する一大風俗嬢2.0になる。これがこれからのサイバー・フェミニズムのジレンマだ。

 Ⅴtuberが面白いのはほとんどポルノというジャンルに関わらず、お触りはできません。今まで性的なはけ口として消費されてきた女性たちがむしろその状態を逆手にとって受けたのが、ポルノだから支持されてポルノを批評する隠れ政治家なⅤtuberなのです。

 この巧妙な戦術は新しい政治として期待できます。

 評論家・橘玲は最新刊『DD(どっちもどっち)論』では、「忘却の政治」というアイデアを提唱しています。

 政治の対立は単なる感情論なので、忘れることでどうにかなるという身も蓋もない話です。

 もっともこれは趣味の問題でサイバー・フェミニズムには一定の限界があって、歌手やⅤtuberといった隠れ蓑にしているadoさんはふわちゃん、月ノ美兎にはやっぱり限界があり、ネットの評判はしょせんは現実へ持ち込めませんいわゆる陽キャなインスタグラマーだったりリア充な顔出し女子の方がヒエラルキーは上らしいです(歌い手や配信者女性はどんなに人気でも陰キャの中でしか一軍になれない。これがインフルエンサーの限界だ)。

 メタバース、サイバー空間に閉じ込められた女性だからサイバー・フェミニズム化せざるおえない、ポルノの形にハマりながらポルノ扱いを嫌がりざるおえない。

 これが弱者女性の一軍である新しい政治運動/サイバー・フェミニズムの正体だ。

 だから、イーエル大学じゃあなかった、えっとスタンフォード大学の松本安奈さんが大炎上しましたが、これもある意味での政治運動なのです。

 本質的なサイバー・フェミニズムの社、王は、アメリカの利権を着ることで国際的にどうにかするグローバリストこそが真のフェミニズム、左翼になります。

 ただそれは環境因子や生得性が強い人の話であって、私も海外企業に勤めていた時期はありましたが、かなり意識高い系で大変でしたし、それに東南アジアというニッチを狙って渡米を誤魔化した手法で行ったため、結局のところ、ナショナリズムから私は自由にはなれない、というよりも大半の人にとっては左翼やリベラル、グローバリストは夢のまた夢、言語学、大学や金持ちだけの空想上の話で、実際の社会運動としてはやっぱり左派は厳しいのが現状でしょう。

 一見すると、弱者男性という言葉がバズり、また、アンチフェミニズムという言葉がありますが、これもⅮD、一つの一面にすぎず、確かに弱者男性やアンフェミの言っていることは一定の正しさがあったとしても、いつの時代も普遍的に女性は苦しいのです。これがサイバー・フェミズムというインターネットに追いやられたぼっちちゃんたちの果敢なロック活動なのです。

 漫画タイムきららの漫画ぼっちざろっく!では後藤ひとりといういわゆるコミュ症のJK、いわゆる陰キャがバンドの才能のヒーローとして祭り上げられるサクセスストーリーですが、これが流行っているにもサイバー・フェミズムを行う女性たちが実は顔出しをして歌いたいんだ、政治活動をやりたいわけじゃあないんだという屈託が見られます。

 ただし、数理能力だったり経済活動に興味がない男性たちもいて、そういう人たちと政治空間のサイバー・フェミニストたちは「いいね」の奪い合いをすることになるのです。

 これが、フェミとアンフェミの不毛な戦争であり、結局のところ可処分時間やいいねの数は資源は限られていますから資源の奪い合いとしてフェミとアンフェミ、女性と男性の政治家たち、配信者、歌い手たちは戦いざるおえないのです。

 逆に言うと、「いいね」の奪い合いという精神の戦争から解脱する気の持ちようが必要になってくるかもしれません。

 そもそもサイバー・フェミニストたちが悩む憧れるインスタグラマーやぼっちざろっく!に出てくる極めて陽キャな喜多ちゃんは確かに可愛いですが、それに羨望しているのは、太っている女性が痩せたい痩せたいと悩んでいる普遍的な悩みとそう変わらないようなコンプレックス商法の罠にはまっているだけとも言えるからです。

 解脱はもちろん難しいので、ART、仏像とかを鑑賞するのが良いかもしれません。

 人類はお金に対する羨望からいいねに対する羨望へと進化を遂げましたが、結局のところソレはTVの不安を煽る番組を見てダイエットしなきゃと悩む主婦たちと変わらないことかもしれません。

 ゆとりZ世代のスマホネイティブな女の子もテレビ時代の主婦も根本的には似たものだと考えていいでしょう。

〈付録〉

 もっとも、この裏には、哲学者とテクノジストという経済的な対立もあります。

 それは思想史的には新実在論者たちとシンギュラリストたちによる経済圏の奪い合いです。

 ただこれは世界を陰謀論で見たいのか、それとも真実を眺めたいのかの好みの対立にすぎず、先ほどの忘却の政治のような大人のような態度が求められていると思います。

 陰謀論者たちを助ける方法はメタバース、SNSにぶちこむことです。

 だから、サイバー・フェミニズムと同時に陰謀論者たちがAIが分からない初期高齢の気のいいおじいさんという問題です。

 おじいちゃんは気のいいおじいちゃんとして正直、親切、勤勉とか言って、SNSの隅っこで休んでいるのがいいのがいいのかもしれません。

 お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幸福へのメモ2.〜政治経済〜

   詳しくは『死にたくなったら読む本』で描きましたが、更に経済的合理性の観点からより細かく現在は幸福という抽象的な概念の定義化に努めています。

 11月17日にCOMITIAで発売する『死にたくなったら読む本』の一部では幸福の定義は自分探しと世界構造と定義しました(主観を下部構造に客観の上部構造へユルく挑め)。

 まず自分探し、アナタのキャラ、個性や偏りから人生は設計してゆくしかないという諦念からの偏差値0〜50の下部構造です。

 次に社会的に成功する、自己を実現するにはどうすればいいか?は主に資本主義という世界の構造を知る必要があります。

 これは超複雑系科学で、ほとんど予測できない数学であって、これが様々な不公平や逆に幸運を生むのです(これについては、AIをAIするAIを読むか死にたくなったら読む本に記載されたabc予想の部分を閲覧ください。あるいはYouTubeでabc予想について私が話しています)。

 この超複雑系科学を正統に理解するには高すぎるIQが必要で数学者や一部外国人の特権階級になっていますが、人生は人それぞれなため、数学者や彼らにも悩みやはじめからできただけもあるでしょう(そもそも銀行や投資、会計もユダヤやイギリス人、数学者が発明しています)。

 ただ、ここでは、シンプルに経済学を定義することで『死にたくなったら読む本』の補完をしようと思います。

 基本的に富は、利潤=収益-消費 という単純な数式で表せます。

 なにかしら働くと金が増えて、使った消費で金が減ります。

 ようするに、金は使わなければ増えますし、金は使えば、減ります。

 ちなみに幸福に関して、貨幣経済や資本主義をメインに語るのは、曖昧な社会資本、ようするにYouTuberになりたいとかよりはハッキリ言語化することが可能ですし、評価経済社会、社会資本そのものが貨幣経済に暗に支配されていると考えるからです(その仕組については他の文章で書きました)。

 不謹慎系YouTuberはわるいねを稼ぐ逆張りでメタバース滞在時間を増やして、消費を減らす節約だ。

 様々に具体的な話はできますが、このようなシンプルな図式で資本主義は証明できます。これが具体化されることで、超複雑系になりますが、それはほとんど運なので、やはり自分探しを下部構造にしたほうが早いのです(これが俗に言う政治ですが、政治はあくまでも下部構造、あるいは経済活動の補完にしかなりません)。

ボンボンはなぜ京都を目指すのか?

 評価経済は地獄でもあって天国かもしれません。

 SNSを中心にいいねを担保にする評価経済社会が流行っていますが、それは主観第一社会であって、論理性も低ければ資質を測れず厄介な気がします。

 橘玲は資本を金融資本や人的資本、社会資本に分けますが、金融資本や人的資本はまだ客観性やロジック性があったり、その人の資質やキャラにまだギリギリ言語化可能ですが、社会資本がSNS化した今ではそれは果てもない馴れ合いな気がします(興味ないすが)。

 もっともYouTuberブームのときのボクは「成金」でした。

 皆がいいね稼ぎに熱中する中、私自身はわるいね稼ぎに熱中していました。

 これは経済的合理性と呼ばれる経済学の基礎の基礎で皆と真逆の行動をとることで差別化が図られます。

 ようするに、評価経済社会における社会資本が流行る優しすぎる世界では逆に不謹慎すぎる貨幣経済原理の金融資本の徹底が役に立ちます(インフルエンサーのなりかたは本は破れ!や一連の批評家本で書きました)。

 だから、もし次に貨幣経済で金持ちになりたいと考えるならば、金持ちにならないことが金持ちになることなんだという結論になります。

 評価経済における「いいね」の手法こそが倫理こそが東京や大企業では差別化として使えます。なぜならば、東京や大企業には構造的に社会資本や評価経済は集められないから。

 よって、貨幣経済は「いいね」の手法で差別化、評価経済は「わるいね」(金融資本の最適化)を行うべきです。

 もっともここで自由なのは人的資本、労働をするという資質に絞った自分本位の個性経済学であり、最終的にはアナタはどうするか?卵の数をセレクトする必要があります。

 ちなみに、東京の金持ちや横浜あたりの金持ちの旧友たちがこぞって京都を愛し気味悪いくらいに京大を目指している現象を見たことがあります。

 当時としては謎で単なる都落ちかと思っていましたが、経済合理性を徹底すれば、むしろ金融資本を体現する東京で競うよりも評価経済にあふれた京都でむしろ金融資本を稼いだほうが差別化できるからです。これが出稼ぎのメカニズムで、出稼ぎするだけで差別化になるからです。

 皮肉なことに人は無意識範囲でも経済的合理性に追いやられる可能性もあり、彼らの大半は嫌々な顔で複雑な表情で京都を偶像として愛していました(やっぱり東京や横浜が好きなのです)。

 政治的なナショナリズムではボクはここにいるよ!と地元に対する愛があり、それが社会資本ですが、金融資本を優先しなければ社会人にはなれない、これがビジネスの鉄則として機能している。

 もっともなぜITの人々がお金2.0といい信用が大事とほざくかと言えば同じ理屈で「いいね」が差別化として儲かるからです。ようするに皮肉なことに善人は東京に溢れ、資本主義こそが最も公共的になる。これがITベンチャーがなぜ企業倫理にうるさいかであり、コンプライアンスの思想です。

【脱貨幣経済】批評系YouTuberが資本主義を超える理由。ゲーム理論の応用。

 いきなり不謹慎だけど、不謹慎系YouTuberというのは、ゴミ掃除の仕事に近いと思う。

 もし君が仕事ができなかったり仕事で勝ちたいのなら、ゴミ掃除の仕事をバカにはできないことを知った方がいい

 言われてみたら単純なんだけど、みんながやりたがらないところにこそ利潤がある。これは経済学の基礎である経済的合理性というヤツだ。

 経済学では当たり前の基礎だけど、果たしてこの目線をちゃんと使って物事を捉えている人がいるだろうか。なかなかいない(不思議なのは経済学の基礎をやっただけで怒られた。社会がチャンスをあまり与えずに非正規に厳しいときに、経済学の基礎に走るのはあるのではないか?)。

 今はもうダメだけど当時はYouTuberブームがあって、不謹慎系YouTuberでめちゃくちゃバズっていてめちゃくちゃ有名に簡単になれたのだ。

 でも、もちろんこれが難しいのは、次の問題が起きていて、理屈でいざ不謹慎系が合理的に儲かると思っても、やっぱりゴミ掃除の仕事にも哲学や文学、やりがい、信念が生まれちゃうのだ。ゴミ掃除の文学を愛せるか?も壁になる。

 ボクはゴミ掃除、つまり不謹慎系の文学が愛せた。ボクもやる前には分からなかったけど、不謹慎芸にハマってしまって、その奥深さにハマってしまった良くも悪くもな過去がある。

 当時ボクはめちゃくちゃバズって簡単にそこそこ有名になって、批評にもYouTubeから興味をたくさん持って読んだだけなのに、主著を出せるようなチャンスに恵まれた。

 そんな本は破れ!には限界があって、理屈は描き切ったんだけど、ゴミ掃除の仕事問題に近くて、不謹慎系にバズってもなりたくないぜって人々はたくさんいた。だけど、当時のボクはどれだけバズるかに注目していた。次に難しいのは、不謹慎系を愛さないといけない問題で迷惑系とは手法は全然違うし、人を物理的に傷つけるものでは決してないのだ。

 みんなが好きなYouTuberってなにも面白いと思えないような変人のボクだから(そもそも今でもそうだけど)(自分の動画すらもそうで、文章の方がおもしろい。論点はもう言っていて、これはまとめのようなものだ)。

 作家はいらない。全てウェブライターでいい。

 冷笑すらも感情論。全部、AIだったり望月新一みたいなオレより賢い人たちが作家というくだらない社畜の天才でいい。自我がそこまでないんで。

 頭が良い競争は意味なくて、車とウサイン・ボルトと一緒で、車がある時点で陸上は趣味の問題であって、AIの時代には論理や知能はどうでもいい娯楽にすぎない。

 本は破れ!は論理性は必要でも数式があまり不要になるAIが人を超えたシンギュラティ(新しい大きな物語)を不可避だから解説したんだけど、どうしても合理的な人々は少ないから、なかなか世間には納得してもらえなかったようだ。

 だから、能動経済にはちょっと否定的で経済っていう概念自体も消したいっていう。オレが話していることは自分よりも頭が良い人やロボットたちが言っていたり作ったセカイでただ最適解を証明しただけだから、いちいちオレの言っていることはつまらない単純な事実の羅列にすぎないからだ。

 今日話したいのは、資本主義を乗り越えるの簡単だよっていう話だ。

 作家の橘玲が幸福の資本論でこういうことを言っている。

 資本には金融資本や人的資本、社会資本があるよねって。

 で、金融資本は貨幣経済で人的資本は個性経済で、社会資本は評価経済だ

 今の若者たちはバズりたいならコンビニのアルバイトをやれよっていう(評価経済の前に下部構造をやって、更にその貨幣経済で貯めた知識や金銭でいいねや社会資本へ立ち向かえよって。差別化だ)。

 これは他の文章で書いたけど、箕輪や落合陽一、斉藤幸平や世界の金持ちやエリ―トたちは戦後の社会に起きていて偽善的に社会を動かすいいね社会を作って平和を愛するようになった。

 しかし、それは貨幣経済、金余りをいいねへ換金しているだけで、競争だったり資本主義自体は残っているし、むしろ岡田斗司夫の言うホワイト革命は悪化しているのだ。

 本は破れ!は人的資本である個性経済を活用しながら、評価経済の社会資本へ貨幣経済の金融資本的な経済的合理人を演じることでゲーム理論的に差別化を狙った。

 だから、次は貨幣経済にいいねをぶつけてゆこうと思う。

 なぜならば、身も蓋もないけども結局のところ、お金をもともと持っている人々たちがインフルエンサーになっていると思うからだ(勝者総取りの法則)。

 斉藤幸平も箕輪も落合も下部構造としてお金や資本を投下された者が次のフロンティアとして「いいね」を欲しているだけで、本質的には彼らは無意識に下部構造にある「かね」に執着していると思うのだ。

 だから、貨幣経済を超えるにはどうすればいいか?を考えることこそが、かえって、いいねのインフルエンサーゲームの攻略法につながっていると感じるのだ。 

 もうボクは大体YouTuberブームに乗って、評価経済をどうハックして楽して有名人になるか?自己実現を目指すか?は本は破れ!という本を出してもう大体満足してしまった。社会資本はMAXでもっていて、もう飽きてきた。

 次は、貨幣経済をハックしたいと思うし、今まで貯めた「いいね」に関する知識を使って貨幣経済を本当に次こそちゃんと批評してゆきたいなと思う(そもそも批評に興味がないんだけど…)。

 もっとも貨幣経済は資本主義は簡単に乗り越えられるように感じる。

 なぜならば、いいねに慢心してインフルエンサーになるのは、宝くじに当たるようなものだからだ。なっても、嫉妬とかイライラしちゃうと思うし。

 だけど、貨幣経済は数学だし、もっとも複雑系科学だけど、ロジックのゲームだ。

 よって、評価経済で苦しんでいる人は貨幣経済にこそフロンティアがあるように思える。

 これが、ゲーム理論、フォン・ノイマン、20世紀経済学の基礎的な話である

〈追記〉

 戦争以降、戦争を怯えたボク達現代人はいまだに20世紀の科学や思想を乗り越えていないかもしれない。

 だから、ちゃんと古典を読むだけでどうにかなるのだ。 

 もっともこれは不都合な真実で人にはバイアスがあってその人のキャラで生きるから古典に出てくる死んだキャラたちに人がハマるのは今を生きるインフルエンサーたちにとって不都合(不謹慎)なのである。

 

 

 

 

お金を一切稼がない人たち。ゴキブリと評価経済。

 考えられないかもしれませんが、お金を一切稼がない人たちがいます。

 それは左翼(リベラル)という方々で貴族的な階級の人たちと本当に怠惰な人間たちが背景として置かれる世界、これが左翼やリベラルの1つの一面だ。

 だから、それも個性と言ったら身も蓋もないですが、親ガチャに成功した貴族も親ガチャに失敗した敗者も貴族として劇的に怠惰な人権活動家として一切働かなくていいし、バクシー(お金ください)と呼びかけれたら良いのです。

 ここには貨幣経済の矛盾が成立しています。

 貴族も底辺も優しい世界では連帯しあうのです。

インフルエンサー(ゴキブリ)について

 インフルエンサーが美人投票で選ばれた生の美人投票だとしたら、ゴキブリは負の美人投票で集まった評価、わるいねでしょう。

 匿名の人たちで今までに500人ぐらいとレスパしてきましたが、殆どが厚顔無恥で匿名からレスパをしかけてきました。

 そもそも議論に意味はなく、客観的な事実しかありませんが、「作家」として(主観)私個人に関心を持つ人たちはどうしても一定数でてくるのです。

 これは貨幣空間におけるヒットの証拠で作家やインフルエンサーは一応は視聴者をあらかじめ完全には選ぶことはできませんから、このようなゴキブリの侵入を許すことになるのです。

わるいねの空売り

 誰でもそこそこバズるYouTuberになれるから炎上商法として不謹慎系YouTuberを私が過去に行ったのも、ゴキブリ人間たちを安く集めて切り捨てる手法が評価経済にはあると気づいたからです(不謹慎系YouTuber現象やメタバースプラットフォームの作り方は拙著『本は破れ!』で書きました。基本的に考え方は変わっていなくて、いかに人的資本を卵に評価経済を貨幣経済的な手法でハックする姿勢は一貫しています)。

 また、その中でもとりわけ美術的な坂口章さんに関心を抱いていたのも、単純にYouTuberが面白くなかったからです(面白くないYouTuberやVtuberを彼ら彼女らがやる理由は儲かる楽しさがあることに後から気づきました)。

 しかし、もし儲かるからYouTuberやVtuberを行い、その評価が金融資本になるのだったら、正直な話、素直に働いたり金融リテラシーを理解したり貯蓄や節約に努め、投資したほうが話は早いでしょう。

 これは資本主義礼賛などと叩かれても困る話で、世の中には左翼というとんでもなく働けない人たちもいますし、めちゃくちゃ頑張ってYouTuberやvtuberで稼ごうなどというのがそもそも宝くじに当たるような話であり、宝くじは愚か者に課せられた税金とも呼ばれています(つまり、YouTuberで飯を食おうと思うのは愚か者なのです。もっともメディアや大学、政治はその愚か者の中のたまたまの照射を本物だと結論づけます)。

 だから、手っ取り早く金融資本を熟知しその下部構造を徹底した上で、評価経済社会へトライするのもオススメします

 もっともこれは個性経済学で、人によっては評価経済優先(社会資本重視人間)や個性経済優先(人的資本重視人間)、貨幣経済優先(金融資本重視人間)など様々なキャラがいることでしょう。

 そのことは否定しませんし、各人が自らのキャラを行い、そして自らのキャラに責任を取れば良しなのです。

〈追記〉

 インフルエンサー(コンプライアンス)は貨幣経済の延長線にありますから、ゴキブリもbotも基本的にはこちらは無視で構いません。

 この上下を作ることは身の安全にも大切なことで他で書きますが、資本家が一概に悪いわけでもないし、かといってインフルエンサーが完全に正しいわけじゃあないのです。

 

幸福へのメモ。〜「キャラ」と評価経済、タイパ〜

 はじめにまずvtuber文野環を検索して出来たら音声で聴いて欲しい。

 私がはじめにこの迷惑系vtuberを紹介したのは、幸福を考えるときに人はまず「キャラ」(その人固有のロック)に支配されていると思うからだ。

 惜しくも亡くなってしまった行動経済学の泰斗/カーネマンは経済合理的に動く想定をする経済学が真っ赤な嘘で心理学を経済学に導入せよと行動経済学を提唱しました。

 しかし、こんなことは数学の得意だった友人はいつも言っていました(その人は早慶大学院キャラレベルです)。

「経済学なんて文系の疑似科学だ」

 全くその通りで、そもそも大学が建前によってできた西洋近代の信じられた「論理」にすぎないのですから。

 しかし彼はオウム真理教よろしく新興宗教へ堕ちました。あんなに合理的に物事の一面を見抜けようと、その人の「キャラ」であって(主観第一)、別段生活する時にあらゆる全ての真実を知る必要もないしそのキャパはないからです。

 これがキャラ(インフルエンサー)が論理に介入する厄介さです。

 もっとも新興宗教のその友達の言う通り、キャラ、自らのロックバンド的なありかたこそが人生の幸福ですから、究極的には人が100年前後生きることにも意味は別段ないからです(よって、非合理的な人文知学問や新興宗教がいまだに現代でもインパクトを一定数持ちます)。

 だから、冒頭の文野環に戻りますが、「キャラ」というめちゃくちゃ曖昧なものにボクたちは支配されていることを理解していただきたいのです。

 vtuber会社エニカラーでは迷惑なキャラで有名な文野環でもにじさんじというクセの強い配信者だらけでは居場所がある(もっとも文野環の強烈なキャラはあのエニカラーでも居場所が少なく、にじさんじという評価経済を批評していることは留保しとくべきです)。

 文野環は一例ですが、幸福を具体的に考えるときの一例がこの人の雰囲気に現れていると考えるから。

 キャラはその人、その人によって違いますし、周期として喜怒哀楽は変わります。

 よって、まずアナタのキャラ、つまりアナタなりのバイアスを前提に話をしなければ、幸福の定義もしようがないんだというのが私の見解です。

 資本主義や世間、異性など「理論」的な話は沢山知っていますが、なかなか今まで話せなかった。

 その理由は理論を語っても、バズらないから(異性や同世代からウケないから)。

 不謹慎な動画やポルノこそがバズるから。

 キャラとは言ってもそのキャラは主観や感情論ですから、最終的には原始的な欲望に集約されます。

 キャラと対立しながらも共存する原始的な欲望を肯定する話に評価経済があります。

有名人を見て幸福になれない理由

 評価経済社会は「いいね」が支配する社会のことでインフルエンサーなどがわかりやすい。

 この評価経済社会は新しいトレンドで貨幣経済社会を否定するために流行っています。

 貨幣や更に普遍すると20世紀の近代学問はとかくイメージが悪く、争いや格差、戦争を犯した。

 だから、偽善的にスピリチュアルへ生きてエコロジカルに優しい世界を作るコンプライアンスの時代へと舵を切り出した。

 これが評価経済社会ですが、どんなに評価経済社会で優しい世界を作りたいと「キャラ」たちが描いても、人間の本姓そのものは変わりませんから、不良は良くないよと厳しく当たっているようなもんで、根本的な人間の本性は変わっていないこれが評価経済社会が貨幣経済社会を憎みながらも結局、貨幣経済社会を再生産している証なのです。

 そうなると「いいね」稼ぎは「かね」稼ぎに悩む人々が拡張した新しいフロンティア、カインとアベル、かねの弟という話になる。

 だから、若者たちが有名人になりたいと奔走しながら有名人を憎むこのアンバランスさは「いいね」へ走りすぎることで金融資本「かね」から笑われてしまっているのだ。

 ようするに、「いいね」や「キャラ」はいわゆるお気持ちにすぎませんので、いくら取り繕ったり酒を呑むようにロックをやろうと、いいねによって下部構造、偏差値0〜50は救えますが、偏差値51〜のマズローの5段階欲求における自己実現までは達成できない。自己実現の前は社会承認欲求であり、SNSで有名人を見ることで疑似体験をし社会承認欲求は満たされますが、同時にアナタは無キャなんだと自己実現は有名人から剥奪されます。これがインフルエンサービジネスの真実であり、社会承認を満たすと自己実現を剥奪される優しい世界(陽キャと陰キャの対立)、コンプライアンスやインフルエンサーの限界だ(この詳しい社会承認を得る代わりに自己実現を剥奪されるメカニズムは幸福なX.マズロー批評で書きました)。

 (もっとも自己実現は主観ですから、そのvtuberですら神であり、実態は大した事ないかもしれませんが…)。

 ジレンマはアナタはバズって他者から能動性を奪う必要がありますが、アナタは確実に誰かに嫌われる。これが政治で神の戦いは「いいね」集めのために原始的な対立を作ります。

 しかし、冒頭の文野環が分かりやすい例ですが、評価経済社会におけるバズるはその人が所属したいキャラやヘゲモニーによって大きく変わりますし、再現がありませんから、アナタの欲望量で変わります

 これを私は個性経済学と呼んでいて評価経済が行き渡りますと、botのようにSNSがなってゆき、その人のキャラから資本を再設定する社会へなると思っています。これが大が小を兼ねるバズる考えだ。

タイパという冷笑(お気持ちw)

 これだけポルノ(老害も?)が多いとタイパ力はZ世代のヘゲモニーになってゆく。

 タイパとはタイム・パーフォマンスのことでZ世代がどういう世代か理解するときに分かる。

 タイパは冷笑と近しくZ世代の若者ほど評価経済を愛しながら憎んでいます。

 それでも評価経済社会がなくならないのは、人間固有の感情論、構造だからです。

 北田暁大『嗤う日本のナショナリズム』に書かれますが、純愛と冷笑は共犯関係で愛情空間で感情論と諌める冷笑が起きるのは共犯関係だからだ。

 大事なことは冷笑はあくまでもお気持ちであり、厳密な論理ではないから

 冷笑はあくまでもお気持ちであり、厳密な論理ではないから

 冷笑はあくまでもお気持ちであり、厳密な論理ではないから(冷笑や論破は低IQのお化粧だ)。

 こうして、嗤いながら愛する気持ち悪い論理厨が増えるのだ。これが「ひろゆき」ミームの支配でしょう。 

 タイパや冷笑はZ世代特有のお気持ちなので普遍的に社会承認を一言でまとめるとこうなります。

 そして、人は冷笑を捨て去り(社会承認)、愛を持って自己実現へいいねするんです。

 これが陰キャと陽キャ、インスタグラマーとネット民の対立だ。

 もっとも陽キャか陰キャかもスラングのようなものでありネタとしては面白いですが、現実は淡々と楽しく生きれば良しなのです(そもそも陽キャに憧れる時点でコンプレックスの系にハマってますから)。

 本物の陽キャは自分で陽キャと名乗らないからです(とにかく明るい安村みたいなものです)。

 

経済合理性の結論

 経済合理性の結論をまとめるとこうなる。

1,複雑系科学

2,貯金と労働、分散投資をしよう

3,しかし人の「キャラ」によって1と2はグラデーションがあるからその人の個性から経済学を考えてゆこう(コンプライアンス経済学➫個性経済学。逆に言えば、自己責任経済)。

 

 1は複雑系科学でオレはabc予想を例にするけど、フラクタル構造でもブラックスワンでもロングテールでも良くて、基本的に市場は複雑系、めちゃくちゃ運ゲーだから何が当たるかは分からないから、めちゃくちゃ得意なことでも外れることあるから、この「偶然性」や「期待値」をちょっとは理屈を抑えたり投資家的謙虚さを持とうねという話だ。

 2は節制と労働、分散投資、この3つが元金を貯める主力な方法らしい。

(節制は馬鹿にならないらしい。労働は元金になるから、これも馬鹿にならない。分散投資はリスク回避と金利だ。

ここらへんの細かい知識はupした動画を参考にしてもらいたい)。

 3はその人の個性によるから結局、大企業に勤めない前提、あるいは勤めてもストレスフルかもだからそうならば、その人の個性をどれだけ分析したりどれだけ環境を考えてゆくになるよねという話。

 様々な経済学や投資本を読んで気づいたことのまとめだが、1と2は結局のところ、良くも悪くもその人の論理性の高さに比例した話だから良くも悪くも手法そのものはグラデーションで差異をつけて、3の個性をどうにかしてゆこう。

 正直言ってIQだったり努力、謙虚さが物を言う。

 お気持ちはスルーし、これら3点の補足になるような様々な他文献を各人がそれこそ個性経済学的に勉強してもらいたい

 そうしないと、始まらない。

【お気持ち2.0】SNSがテロツイッタラー山上徹◯を作った。バズればいいはただの馬鹿。

〜 資本主義、80年代のバブルが生んだ0年代前後の不動産詐欺のネットフリックスドラマ『地面師たち』が大流行している。

 問題は明らかな資本主義批判として描かれたこの作品の根底には、評価経済、ネットのセカイにもネット特有の地面師たちがいるかもしれないことなのだ。〜

 

 好きじゃありませんが、安倍晋三を撃ち◯した山上徹也容疑者、元ツイッタラーはヒーローとしても謳われています。

 これは「大衆が作った悲劇」だとボクは思います(極めて残酷に言えば、京アニ火災事件もかわいそうですが自業自得という理屈は必ずあります。山西青葉は許せませんが、京アニに完全な落ち度がなかった?かは真っ赤な嘘なのかもしれません)。

 ようするに賛否はともかく、SNSにおける多数派という価値観がこの手のバズりたい人間を作ったという話はある。

 多数派という発想を捨てれば、山上徹也を無視(キャンセル)できます

 多数派は多数派という青春、甲子園に群がるギャルたちと変わりません(馬鹿にはしてません)。

 しかし、群れたがる人々、俗に言う一部の人々はこの実のところマイナーな集団幻想、ボク達は足並み揃えるんだという「大きな物語」から開放されることはありません

 なぜならば、DNAに刻まれた「キャラ」はアナタだけの物語(自己実現)だからです。

1,キャラ格差。無キャのキョロ充な藝大中退アーティスト大西琢磨が幸福な理由

 一方で今うっすらと気づき始めたエリートたちはエリートたちだけでメタバース、島宇宙、村社会を作り、大衆から距離を置くことでお互いに承認しあっている無キャなセレヴと化しているのです

 私の知り合いだと幸村燕や耳存在、成田悠輔などが該当します。

 彼らはすっとぼけて、まるで中世期に和歌に勤しんだ貴族の球蹴りに夢中になるかのように。

 冒頭の大衆にしらしめした安倍晋三◯しのテロリスト山上徹也と一部特権階級の孫正義がスポンサーの藝大中退アーティスト大西琢磨が全く正反対の動きで「バズる」戦略をとっている。

 彼らに共通するのは、「薩長の白蟻たち」、安倍晋三元総理や孫正義社長を潰すか肯定するかという形でバズることになったわけです。

 これは何も悲劇でもなく喜劇でもありません。 

 ここにはどちらにしろ「薩長の白蟻」たちを潰すか従うかというポジションによる最適解をとっただけなのです。

 ここで問題なのは「キャラ」を担保するためには「薩長の白蟻」、自民党のネットワークとつながらないとヘゲモニーを握れない悲劇があるのです。

 ネタバレになりますが、ジョジョの奇妙な冒険という人気漫画ではトールという若者ぶった医大生が老害の象徴である医院長を操り、そして、自らも若者でもない老人、「岩人間」だったことが明かされます。

 若者だろうとDNAは同じ。

 ゆとりやZ世代の若者がハマっているスタンドバトルならぬSNSはなんのことはない、政治の延長線に過ぎなかったわけである。

2,アメリカもそんなもん

 しかし、果たしてこの非民主主義な状況は果たして悲劇なのか?

 ハッキリ言えば、日本が参考にした核を撃ち落としたメンヘラ国家なアメリカもドナルド・トランプや御眠なバイデンなど悲惨な政治状況だからです。

 同性愛にヘラる西洋哲学も含めて英語の勉強も結局のところはITやAI時代には単なるアメリカのオラウータンが「西洋哲学というお気持ち」を押し付けているにすぎません(その結果が新実在論というファンタジーだ)。

 問題は、政治は究極的には感情論のたまり場であり、今の政治はしょせんは感情論のたまり場であり(吐き出し口にすぎない)、自著『死にたくなったら読む本』で描きましたが、世界は戦後よりも良くなっている面もあるからです

 問題は悲観的な面ばかりに目を向けることで、暇人たちがギャーギャー喚ける状況に明らかに問題があるからです。

3,戦後やシンギュラリティで社会は日々良くなっている。

 スティーブン・ピンカー『21世紀の啓蒙』(上)(下)ではいかに世界全体が良くなっているか?様々な知見から書かれていて(暇な人は立ち読みしてください)、結局のところ、下部構造のストラクチャー、社会は戦後、戦争時代を反省し福祉政策を行ったり、科学主義に走って良くしているわけで、当たり前ですが、社会を物質的に救済しようとするプログラムは起きているのです。

 問題なのは、悲観的陰謀論や自己実現、キャラ格差などといったマズローの5段階欲求で言う最終欲望を大衆含めて目指さないといけなくなったことが戦後以降の先進国を生きる人々の厄介な心情なのです。

 現代社会は資本主義の次に評価経済といった「いいね」の形でマズローの5段階欲求の最上位といった貴族の悩み(お気持ち)を悩むように苦しんでいるのです(豊かなのです)。

 ようするに、お気持ちは分かりますが、極限的に言ってしまうとバズるためにテロをしたのが山上徹◯だったという話は理屈上は可哀想ですが、あると思います。

4,戦時中の悲劇に比べたら、呆気ない怒り

 怒りは相対的なものですが、戦争の悪魔がテロの悪魔を見たら、なんてスケールが小さいんだと嗤うことでしょう(チェーンソーマンという右翼漫画には悪魔が出てきて、大の大人がそのような神話に取り憑かれているのが、戦後の日本だ)。

 一方で藝大を中退するチー牛顔かもしれない大西琢磨がロックバンド気取りでイキっていたら、過去の藝大の偉人は自らのパンツ(股間か恥部)を叩きながら怒っただろう。

 ようするに、テロツイッタラーも新貴族も社会でバズりたいから生まれただけの精神的な問題、ようするに甘えているのは、理屈上そうなっちゃうのです

(もっとも怒りや自己実現のような精神的悩みは相対的で計れないので、そのような不幸は甘えぬきに相対的にはあるかもしれません)。

5,バズる方法はバズることから自由になること

 この手の悲劇は資本主義による大衆誘導が今だと洗脳に使いづらく、精神誘導へスライドしたことが把握できる。

 ただこの流れは資本主義の流れとして評価経済が流行っているだけなので、真逆に言えば、資本主義をどう駆逐するか?あるいは愛するか?という従来からあった経済学や投資、ファイナンス理論、最新数学などがこの手のジレンマの解決策を描いている

 だから、「資本主義とは何か?」を紐解くことでどうにかなるのです。

(11月COMITIA発売の死にたくなったら読む本では抽象的な理屈は漫画の形で提出しましたが、よりエッセンスだけに絞ったdesignの教科書も現在執筆中です)。 

 だから、私の読む文章を読むなら、私より頭が良い本物の投資家や経済学者の本を読み漁り、それらを自分の頭の中で組み立てて、評価経済の仕組みの解読に使ったほうがいい(過去にYouTuberブームのときに、評価経済そのままでバズる方法として私は逆転オセロニアと不謹慎系YouTuberのエッセンスを利用して『本は破れ!』という評価経済で偏差値50〜以上のインフルエンサーに誰でもなれてSNSを気にならなくなる本を書きましたが、今は偏差値51〜の悩みであるマズローの5段階欲求を現代人がどう解決するか?あるいはマーケティングするか?に興味が移っています)。

(というか、私の理屈すらも私のキャラとして消費されるのが、今だからだ)。

 もちろんこれからは勉強の時代になることでしょう。 

 私以外の様々な紙のペーパーを読み漁り、自らの「キャラ」の個性経済学を発見できるように頑張ってください。

 もっとも自らのキャラが何か?に右往左往している間(文学)が最も幸福かもしれません

〈追記〉

 精力的にこちらも分析中ですm(_ _)m。

 

負け遺伝子は救わなくていいのか?それとも負け遺伝子はいらないのか?

 前々から不思議なのは、音楽や大衆といった低俗に怒りはなくても興味がそこまで持てないことです。

 なぜならば、下部構造のストラクチャーを作らずに、苦しく生きている人々を音楽は直接は考えてくれないし、むしろSNS時代にはその音楽家こそ歌い手としてヘゲモニーを持つから(そのような自称陰キャのプロ弱者は皮肉抜きに尊敬してしまいます。

誤解を恐れずに言えば、女だから許された暇空茜はadoです。虐める気はありませんが、腫れ物でも甘やかされた時代には下部構造は基本的に幸福らしいのです)。

 笑い話でもなく、松本人志が安倍晋三と懇意だったり干されたことも繋がっています

 音楽家やお笑い家のようなサブカルこそ政治と密着した表現では?と思います。

 だから、冒頭に戻りますが、負け遺伝子は救わなくていいのか?それとも負け遺伝子はいらないのか?

 という問いになる。

 ただ物事は是々非々でまっちゃん(松本人志)のお笑いはメジャーには面白い。

 だから、ヤクザとつながっていた島田紳助みたいなもんで大衆がまっちゃんのようなある種のどうしようもない差別、自民党支持を選択していたことになるのです。

 よって、世間にとっていらない負け遺伝子は淘汰されるような選択肢をSNSは選んでいる。

 逆に言えば、それは市場、大衆が倫理抜きに好き好きで選んだ地獄(天国とも)がSNSだから、HIKAKINやきょんくま、マナル隊、坂口章のように低学歴でも大衆の市場が欲しいと思うキャラならばウケることになるのです(負けはようするに、共同主観性)。

 ここで大事なことは、事実、親ガチャはあり、負け遺伝子は存在し、弱者男性は存在するのです。

 しかし、それはあくまでも共同主観性、世間がその時に決めた定義における主観、美人投票なんだという曖昧さは理解する必要があるのです

 よって、終わりなき弱者男性問題はXのバイアスも当然ありますし、がゆえに共同主観性として成立している。

 だから、共同主観性とは何か?をよりゆっくりと考えてゆくことで、ヤクザと癒着する社会は存在する陽キャすぎる島田紳助や哲学者の松本人志(哲学という本、出してます、確か)、ひいては弱者男性の問題を考えて、負け遺伝子の千疋を発見することができるのです。

幸福へのメモ。【COMITIA150】『死にたくなったら読む本』体裁

 政治系YouTuberをやった手前、政治や論壇、批評に関する好奇心は薄れてきた気がします。

 下部構造のストラクチャーとしてSNS政治のやり方は大体把握し、経済学で言うところの1杯目のビールは美味しいけども、2杯目からは美味しくない現象が起きている気がする。

 だから、情報処理や思想、政治に関する結論として『本は破れ!』を書きましたが、問題はここからで仮に本は破れ!を読んでも、難しい、あるいは、仮に難しいところを飛ばして不謹慎系YouTuberになっても、個性経済学のところで躓く人々がいることです。

 なぜならば、個性経済学が残酷なのはYouTuberになっても、え…これだけ?とYouTuberそのものが自己目的化してしまい、YouTuberに酔っているうちに、本質的なアナタ自身の幸福とは遠ざかるのを沢山見てきたからです。

 有名になることだったり金持ちは当たり前ですが、有名人とは直結しないのだから。

 難しいのは、たとえば、個性はDNAレベルに刻まれているので、主観としての文学、キャラとして私より明らかに頭が悪い人でも私をバカ扱いするのはキャラとして幸福に直結します。

 しかし、そのキャラはあくまでもアナタの主観でしかなく、そこと金と女、世間と合わせる必要があります

 本書(死にたくなったら読む本)では自己分析と金、女、世間を考えて、楽しく生きようという話を記載しています。

 もちろん幸福へのメモは触りであって、結論と漸次的な話しか書いていません。

1,物理的に幸福で精神的に不幸である

 まずアナタはすでに幸福だというところから幸福へのメモは始まります。

 なぜならば、戦後更に発達した社会においてマズローの5段階欲求における生存欲求などの中盤までの欲求は現代人ならば基本的に満たされているからです。

 問題はマズローの5段階欲求が成立しなくなるような現代社会の豊かさが原因で(シンギュラティ/戦後)、5段階欲求最後における最大欲求、自己実現欲求を誰しもが満たさないといけない時代にゆとり/Z世代が直面しているところに今があります。

 自己実現欲求は本来高次の欲求であり、それは自らが主人公なんだ神なんだ王なんだという精神的欲求です。

 ハッキリ言ってこれは偏差値51〜の悩みであり、悲しいことに現代は寿命も伸びてこの生き地獄、高次すぎる自己実現欲求を問われる時代になったのです。

 ようするに、物理的に幸福だからこそ、精神的に不幸を課せられる、これがゆとり/Z世代の甘え(苦しさ)の正体です。

(下部構造における現代社会の物理的幸福への達成、偏差値0〜50に関しては本は破れ!で書きました。もっとも書き方が偏差値51〜というアンバランスさですが)。

2,幸福の定義が曖昧すぎる

 自己実現欲求は定義の曖昧さが問題です。

 なぜならば高次の自己実現欲求はマルクスの分析などで分かるような低俗な悩みでないから。

 だから、アナタにおける幸福へのメモを具体的に言語化する、分析哲学的な知恵が必要になっていきます(個性経済学)。

 もちろん、ここで厄介なのは、アナタのその個性を分析したとしても、社会には金や異性、世間といった外部との摩擦が生じることになるのです。

(石丸市長などネオ幕府などはインフル以前にキャラ、個性が問題となり、本人たちも明らかに人気は偏ってます。ようするに、ここも個性経済学の説明不足で、他のキャラとの摩擦、ようするに論壇こそ資本主義や世間、異性の分析が必要になるのです)。

3,資本主義、世間、異性

 資本主義は複雑系数学にすぎないので、「まぐれ」、まあなんでもいいから投資本を1冊読むことをオススメします。

 世間はケインズ経済学で言う美人投票であり、いかに万人が思う大多数になれるかを探る必要があります。

 また、異性はカッコいい、かわいいを追求すべきで、異性が思うカッコいいかわいいを採集し勉強していきましょう(アナタがなれる可愛さカッコよさを採集する必要があります。なお、ここのパートはSNS政治本である本は破れ!と軽く重複しています)。

4,統合

 自己分析と社会分析の帳尻やインプット、アウトプットの中にアナタだけの個性が発見されることでしょう。

 アナタだけの個性が重要であり、凡庸なインフルエンサーになろうと聴いても楽しくないのです(フォロワー数はだから意外と重要ではない)。

 もちろんこれらの幸福へのメモはまだ漸次的な抽象的なまとめであり、これから具体的に話してゆく必要があります。

 死にたくなったら読む本400円では(一部限定で)、死にたくなる気持ちの対策漫画とこの幸福へのメモが記載されています。

 COMITIA150、11月17日日曜日朝あたりからたぶん東京ビッグサイトあたりでお待ちしております。

 論画家より。

 

成田悠輔は金が欲しいだけ。〜政治の構造〜

 ここは悩めかしい問題だけども、ガーシーと成田悠輔の最大の違いがある。

 暴露系YouTuberガーシーは確かに社会を変えたけども、余りに露骨すぎたがゆえに、いかにTVがクソか?嘘か?を晒したために排除されてしまったマクロ社会の無理ゲーだ。

 一方で、成田悠輔はしょせんはTVの3流コメンテーターにすぎない(自分で自称している)。

 これは成田さんアンチではなく、TVを久々に見て成田悠輔を見たところ、当たり前だが、TVは本物の陽キャのメディアのため、勉強ができる人間は論破ができる人間はどうしても陰キャに見えてしまう。

 ようするに、そこまで求められていない。

 TVでは。

 TVに求められているのは、単なる美男美女なのだ。

 やはり古市憲寿という作家はいかに炎上商法だろうと個人最適だろうとメディアで力を得たか?という話になる。

 日経テレ東大学はニコニコ生放送ぐらいの1つのニッチジャンルにすぎず、それが悪いのではなくて、基本的に政治は良くも悪くもその程度だという結論になる。

 ガーシーの暴露という反社会的な冷笑と成田悠輔の偽善的な陰キャな社会的な偽善はTVをどう受け入れるか?否定するか?の違いでしかない。

 ようするに、マクロに政治を代表するのがガーシーでマクロに経済を代表するのが成田悠輔だ。

 飯を食うために成田悠輔はTVの最低限の役割を担っている。

 これは非常に苦しい社会のシビアな現実を表している。

 成田悠輔は「仕事」としてTVマンとして話しているにすぎない。

 それは政治が政治を否定している視座なのだ(橘玲『(日本人)』に描かれたように、日本人は大企業に入りたいから大企業を愛しているが、入ったり虐め構造などは憎んでいる、日本人は日本を愛しながら憎む構造的な欠落があるらしい。詳しくはそちらを閲覧してほしい)。

 橘玲『(日本人)』に普遍性が帯びてくる。

 日本人はネオリベラリズム的に(ひろゆきホリエモン)的に非政治を愛しているけども、結局のところ政治がないと生きていけないのだから自民党を消極的に支持する単色民族だという。

 これが日本人の本性だ。

 ここにガーシー嫌いの成田悠輔好きも代入されてきる。

 もっとも私が聞いた話だとガーシーは有名だが、TVやわざわざ成田を教えても、ガーシーは認知し成田は無キャとしてスルーされてしまった。

 この構造は当然amebaにもある。

 

 もっとも「政治」の厄介さは誰でも参加可能だからTVがメジャーは仕方ない。

 逆に言えば、本物の陽キャになれば、問題はない。

 インスタグラムをやったり本人がそこそこ満足すれば、ミクロとしての幸福は担保されていて、あとは全体主義として政治をすればいい。

 全体主義は無視する他はない、あるいは全体主義をした場合、どうしても美男美女またはお笑い芸人になりざるおえない話になる。

 甘やかされているし、インテリは芸人の席にすぎないのだ。

情報designの教科書。〜資本主義は乗り越えられている〜

 悩ましいことがある。

 殆ど中3で読んだ『理性の限界』や浪人時代に読んだ『英文精読へのアプローチ』、『まぐれ』ほど役に立つ本に出会ったことがない。

 はっきり言えば、数学が全てであり、資本主義は経済学にすぎず、これら3冊を読めば殆どやることはないだろう

 もちろん文系も嫌いではない。大学時代に学んだ小論文のテクニック、英米哲学とソーシャルゲームも「政治、ナショナリズム」としては役に立ったけども、非常にそれらで学習は終わってしまったという感じだ。

 YouTubeをやっていて悲しいのは、これらのどの知識も全く伝わらず、結局、不謹慎系YouTuberや批評系YouTuberよろしくメディア媒体に適したものしか伝わらないことである(いわんやweb writingは伝わらない)。

(漫画を描くという行為も悲しくなる)。

 どうにかこうにか理性の限界や英文精読へのアプローチ、まぐれが伝わるようなテキストを作れないか?

 そのために高橋昌一郎『理性の限界』やニコラス・タレヴ『まぐれ』、太庸吉『英文精読へのアプローチ』、この3冊を圧縮的に要約したテキストを作りたいと思う。

 もし私の解説を聴いて面白いなと思ったら是非3人の原典へ当たって欲しい。

 残念ながら3人の講義や体験は今のメディア環境では厳しい。

 高橋昌一郎はアメリカの大学で哲学を修めて、タレヴはアメリカの投資界で名を成した統計学者だ。また、太庸吉は2年ほど前に予備校業界を引退してしまった。

 この3人の考えを理解するには、アメリカ知識人の思想を理解することが必要になる。

 当然、英文を読めるだけでは理解できない。

 ChatGPTの時代に英語力そのものは必要ない。

 ただし、思考力=IQ?を鍛えるにはどうすればいいか?という話になる。

 この本は『死にたくなったら読む本』というCOMITIA用、論画の補足として描くつもりだ。

 もし論画に満足できず、あるいはアナタが男性だとしたら是非これぐらいは咀嚼していただかないと困る。

 弱者男性という構造は存在しないが、そのようなコピーライト、お気持ち、文学が流行るのはちょっと分かる気がする

 最低限、情報処理として英米人のIQ思考を論画形式で伝えたい。

 『死にたくなったら読む本』より実践的でエンタメ性は下がる内容になるけども、アナタがもし若者なら必ず読んでほしいし、このレベルをクリアできない人間たちとは話したくないし忙しいのが関の山だ。

1,高橋昌一郎『理性の限界』

 小説形式でハーバード大学の論理学が学べる。

 理性はフィクション、造語であることを看破した20世紀の科学者たちのまとめ。

 暗記で構わない。

2,ニコラス・タレヴ『まぐれ』

 最悪、金持ち父さん貧乏父さんでもいいが、アメリカの投資家/統計学者の本。ブラック・スワンという偶然性を扱った本。資本主義はギャンブルだからギャンブル前提の上で合理性を担保しようという曖昧なことを言語化した本。抽象的思考が分かる。

3,太庸吉『英文精読へのアプローチ』

 新情報と旧情報という言語学における発見を実践的に導入した本。チョムスキーの生成文法も実際にお会いしたときには援用していた(P、述語を使うからだ)。

 速読こそ精読への道。

 

〈追記〉漫画にしてみた

 

4技能の弊害。英語なんぞ必要になれば基本的に誰でも出来るんだから、勝手にさせれば。

 受験勉強なんぞペラペラの紙だから良いのであって、良い意味で無意味な行為ではないか。

 最近、社会問題はめちゃくちゃきな臭っているように感じる。

 しかし、その原因は現代人が甘やかされているからではないか?と感じる。

 4技能教育がまことしやかに流行っている。

 しかし、どんな内容を語るかが重要であってペラペラの受験勉強でそんなに内容を詰め込んでも不可能ではないだろうか。

 たかが凡百の高校生たちに話す手練れも思考力もないのに、表層的にスピーキングだのライティングだの英語屋が表層的に語る無思考にこそ本当に国際的な問題を作っているように思える。

 しかし、こうも表層的な受験勉強だったり政治が跋扈してしまう背景にはやっぱり受験勉強の弊害、スピーキングだのライティングだのといった4技能教育の推進が甘えと直結しているように思える。

 もちろんスパルタ教育は何も良いわけではない。

 中高もスパルタ、大学もスパルタに通ったけども、スパルタ教育だからと救われる人々ばかりではなかった。むしろスパルタ教育に表面的に適応しながらも愚痴愚痴言っている落伍者たちを沢山生んでいた気がする。

 けども、たかが受験勉強だ。

 たかが中高生に国際力もくそもない。

 殆どは暗記ばかりだし、最低限の理屈ぐらいしかない。

 英単語や英文法、英作文などは暗記だからその程度だから良いのであって、躾(しつけ)程度で構わない。

 数学もそうだし古文漢文もそうだ。

 大体、学校で何かを学ぶという態度そのものがその程度である。

 理系はともかく社会科学なんぞ居酒屋談議でいいのではないか?

 中3のときに『理性の限界』を読んだが、殆どの学問の基礎はそこで学習した。

 近代科学を追い越せ追い越せという気持ちは分かるけども、追い越すには現代人の甘さでは厳しすぎる。

 理性の限界に出てくる20世紀の天才たちは第2次世界大戦を生き抜いた人々ばかりなのだから、やっぱり甘されていないし、全然羨ましくない。

 ようするに当たり前だが戦時中を生きた人々よりもリテラシーは上がっている分、衛生も良くなっている分、暇すぎるのだ(そして、本質的な忍耐力は下がっているようにも感じる)。

 暇すぎるから精神的に悩むのではないか?そして、よりもっと!となにやら働いてござい、新しいことをございと言うがために安っぽい新しさを提供してますよと唸っているように思える。

 たかだか学問ごときにいちいちちゃら臭い安全さだったり万人さを求められても困る。

 ようするに、例えるなら腕利きのシェフの大人さが雑に作るヘタウマご飯を食べたい。

 料理なんぞその程度でいいじゃあないか、普段は。

 腕利きのシェフが自分では身内では生卵かけご飯をむしゃむしゃと食らう。

 是非、私も真似をしたい。

 その簡素な喜びやテクニックの延長線上にしらすとチーズのピザやトマトパスタのペペロンチーノなどがあるのだ。

 思考力も同じ。

 別段、大したことではないよ。

 古典をひたすら読んで暗記すれば良し。 

 基本的な基礎教養の土台が無ければ、意味はない。

 ただただ時間がかかっていいから、古典を1冊読む。その基礎訓練の後にスピーキングやライティングなどいった飛び道具の話をすればいい。

 別段私はスピーキングやライティングそのものを否定したいわけではない。

 くだらないよと言いたいのだ。

 いちいちパーチク騒ぐな。

 やればいい。

 たかだか暗記や理屈の繰り返し。

 それにやりたいやつがやれば良し。

 国際力なんて。

 あるいは、そんな建前にいちいち過敏反応しなくて良し。

 寝てればいい。

 (笑)。

 やればいい。

 やりたいやつがやれば。 

 過保護すぎるし暇すぎる。 

 ようするに、基本的に毎日が幸せすぎる。 

 暗記やればいいし、やりたくないやつはやらなくてよし。

 もちろんこれらを超えた複雑な国際問題や政治の問題は確かにあるだろう。

 しかし、そんな偏差値51〜を語る前に、もっと地道な暗記だったり英単語の1つでもしっかり勉強したほうが幾分か役に立つ。

 私は何もアカデミー礼賛ではなく、ただ社会科学なんぞ居酒屋談議程度の話で済む話に借地定規に侃々諤々に額に汗をかきながら唾を飛ばし会いたくないし、デモなんぞする時点で思考力に咎があることに留保したい(デモ全体は悪くない。しかし、自己目的化する前に英単語の1つでも覚えてから)。

 もちろん松本杏奈よろしくDNAや後天教育でスタンフォード大学に入るような怪物は頭が良いだろう。

 しかし、その頭の良さは地に足つかない思考力を試されないもんだから、炎上したりする。

 まともな男になりたい。

 ふつーに生きれば良し。

 ジェントルマンであれ。

なぜ大衆は地獄なのか?〜ぼっちざろっく見てたらメンヘラは悪化する〜

➫論理で生きましょう(苦笑)。

 戦争は避けられません。

 男性のメンヘラや文学、ロックとしてバカバカしい話ですが、暇つぶしとして起きたのが戦争だからです。

 ポモではこれを大きな物語、現代だと矮小的な猿たちがネオ幕府と唱える反動的な女性優先主義です。

 むしろ、現代の時代に侍というロックは仕方ないかもしれません、コピーライトとしては。

 戦争は意味を見失い、ロックバンドが弱者男性と冷笑するようなそんな青春未満の貴族遊びになるのですよ。

1,優しくないアナタに居場所はない

 居場所過剰に優しすぎる戦後は男性性は忌み嫌われます。

 男性そのものが不謹慎だからです。

 自己家畜化された男性がそこでプロ弱者を見つけて殴るのは、むしろ反動にすぎない、それ自体が女性の特権性を強調しているルッキリズムにすぎません。

2,どうしたら優しい世界から救われるか?

 現代思想の最前線には新実在論や加速主義があります(この話はざっくり本は破れ!では実践として批評しました)。

 優しい世界を超えるには、新実在論や加速主義しかないのが、大凡の今の社会の限界です。

 しかし、問題なのは、頭の良さをカッコよさにしたところで、以前、優しい世界を生きる大衆から忌み嫌われること。

 当然。

 アナタはマキマから、ママから生まれてきたのだから。

3,アタマが悪い人が幸せな時代にどう幸福に生きるか?

 AIがイラストを描く時代に、イラストレーターはいりませんが、優しい世界は良しとしません。

 イラストレーターを守ります。

 どうすればいいか?は新実在論の頭の悪さでしょう。

 ユニコーンがいればいると唱える反動的なマルクスガブリエルのカウンセラー的な思想は今の社会で重要です。

 有限性の後では100年後から社会を見る思想で、今やSF,想像力が重要だ。

 ハーマンはオブジェクト言語でハイデガーを現代風にした。

 しかし、論理で生きましょう(苦笑)。

 当たり前は仕方ない。

 

なぜ幸福な若者男性は不幸か?〜文野環という天才が批評する女性vtuberたちの罪と罰〜

 若者は幸福。

 戦後始まって以来、国家ができることは物理的な下部構造の最低限のストラクチャーを用意するぐらいなのです

 だから、社会は存在しない(精神的には)。

 マズローの五段階欲求における自己実現欲求は高次の欲求で偏差値51〜以上は自らミクロ経済学的に甘受する他ないのです

 しかし、ここで問題があるのは、♀はこの国家が下部構造になった時代に自己実現欲求を満たすのが有利という面。

 社会が甘やかすもんですし、そこと共犯的にちやほやされるぴえんは必要になる。

 しかし、男に生まれた時点で論理性が高いこと、メタ認知が高すぎることこそが、罠である話はあるのです。

 ようするに、男で生まれたことがブサイクの要因になるのが、現代の悲劇なのです

1,とは言っても知的好奇心は男性の特権

 とは言っても、以前、男性の役割はあります。

 AIや新実在論などやっぱり男性の論理性の高さは有利ですし、更に下部構造のストラクチャーを貯めることが可能です。

 ですから、はっきりいいますと、美少女になりたいは現代病ですが、それは構造的な甘えで、しっかり勉強しなさいよ、という当たり前がまず先に優先されます

 風体も良くない大西琢磨やベテランちもはるしにゃんも高学歴や思想家は見た目は良くなくてもカッコいい。

 まずやれることとして最低限、学歴なり思想なり下部構造なりアタマが良くなることがカッコよくなる道の、特に男性の最短距離だと分かるべきです。

 そのためには、不謹慎の見極めは重要で、男は最低限、不謹慎にならざるおえませんし、それを屁理屈抜きにポジションを張るかっこよさは重要です。

 これが根本にある偏差値51〜からのかっこよさのマズローの5段階だと。

 しかし、ここで疑問が湧くのは、かっこよいだったり、男性が今の若者が女性に憧れを持つ要因です。

2,チェンソーマンのデンジはダサい

 みっともなくて興味もなかったですが、ボクの頃にはナルトやボルト、悟空、シンジくんがかっこよいはありました。

 ところが今やチェンソーマンのデンジは男性忌避の象徴として描かれ゙ている

 天下の少年漫画JUMPが少女漫画化するに至ったのが、鬼滅の刃のイデオロギー性なのです(私ではなく、無惨は稲葉くんであり、その点で、怒りはありませんが、稲葉くんの頭の悪さは歴史的な事実です。無論、他の才能はありますが)。

 もはや、傍若無人で失礼すぎる女性蔑視なネオ幕府や陽キャ哲学は反動のようなデンジです。 

 なぜ一体こうなったのか。 

 もちろん彼らも悪気があって、こうなったんじゃあない。

 世界的に男性はテロリストがカッコいいんだというバカげた宿輪を背負わされているからです。

3,人間は妄想の生き物

 聖書や古代ギリシャの叙事詩は嘘ですが、人を感動させるほど美しい。

 人間が美しいと思うからは、人は離れられない。

 だとすると、男性の美学とは何か?を改めて考える必要があるのです

 もっとも下部構造のストラクチャーとして、そして最短距離の手法として、あれほど簡単な本は破れ!を書きました。受験勉強として思想を学習するだけで副次的にカッコよさにたどり着くことだろう。

 しかし、問題は漫画でもないのです。

 おそらく極端な形、女vtuberに男はなれるか?あるいは初音ミクにadoに男はなれるか?というバカバカしい問いが今の大衆、失礼、Z世代に覆う言ったほうがいい悩みなのです。

 私が考えなければならないことは、Z世代の男性の若者たちが女性vtuber/歌い手になれるか?

 もっと言うならば、その欲望は女性になりたいというよりも、神に対する信仰を超えた美への欲望ではないか?錯覚ではないか?と思います。

 デンジはマキマという女性に振り回されることになる。

 果たしてアナタは女性vtuberを超えられるのか?あるいは歌い手の女神から自由になれるか?

 今正に問われている問題は、甘やかされすぎた時代には♀が幸福になる美の時代に男性はいらなくなる。

 だとするならば、男性の存在意義を考え、そして、女性は果たして幸せか?も表面的な今回の話を超えて考えないといけません。

いらない人間。

 〜ようするに、勝負はハイデッガーの言うようにダスマン、投げられている。この世界に。だけども、前へ歩いてゆくしかないぐらい、親ガチャなんていう言葉以上に勝負は見えないだろ?その見えない崖を仕方なく見えない状態で飛び越えるのが、人生。

 日本では基本的に大企業に入らなければあるいは公務員にならなければ殆ど社会的に抹殺される身分制は依然支配的です。

 その身分制から離れたら、弱肉強食に及ぶ市場原理のベンチャーしかない。

 私は常に楽する道を探していて、また自分の能力の限界から武蔵野美術大学を中退してしまった(在学中から自分に見切りはつけていたから株式会社DeNAやシナリオライター会社など常にリスク分散は行って下部構造への注意は怠らない)。

 だけども、そんなことは初めから分かっていたことで私の頭脳やARTの作法としては駒澤大学経済学部が限界で、努力してもMARCHごときに受かるが現実だった(はじめからコンプレックスぬきに東京大学前後に入る以外選択肢はなかったかも)。

 今思うと小論文で私を縁も縁もない美術大学へ入れてくれたのは本当に「まぐれ」としか言いようがない(後から振り返って才能がとか色々と分析はできますが、それは秀才の成田よろしくやっつけ仕事にすぎない。勝負はそうじゃあない。本当に偶然)。

 「まぐれ」。

 だから、入った後に週7回あって一部脱落する側に自分がなることは既に入ったときから薄々は察していたし、このまま卒業しても就職率50%の美大では無理なんだと腹はくくっていた(文系としては小説投稿を300ページを5回投稿して全て落選。そちらが落ちたのも受ける前はまぐれ。理系としてのゲーム会社の方がウケた、これもまぐれ。全ては本当に分からない。いらない人間のオレができるのは崖を飛ぶことだけ。そして飛んだ後は祈ることのみ)。

 そのためにゲーム会社二社へ関わり最低限のコネと技術を学習した。シナリオノベルとメタバースだ。

 その後に運良くデザイン関係のフィリピンやシンガポール、インドネシアの方々によるデザイン会社で文章を書けるデザイン関係者として、これも「まぐれ」拾われた(後から理屈はなんとでも話せるが、たぶんそれは言葉で取り繕っただけで、たまたま)。

 私は既に生まれたときから、手もなければ足もない。

 「まぐれ」。

 殆どを綱渡りで「まぐれ」の連続で本当にたまたま「まぐれ」で生き残っただけ。

 だから、本当はこの日本というメリトクラシー、能力至上主義社会において排除すべき「いらない人間」側なんだという軽い自負はあります。

 しかし、私が普通の弱者と唯一違うところは、私には明白に日本社会が無意識に排除の論理を振り回す癖のようなものが手に取るように分かること

 小学校のときにプログラミングをしてロボットを動かしたり中学生で大学数学を理解し様々な事象は無意味なんだと理解した。

 だから、日本人のレベルが低いと言わざるおえない。

 ただし、国際競争に追われていた3年間は今思うと地獄で週7日ほど毎日仕事に365日追われている日々で外資で働いても自由はありますが、その代わり常に国際競争ばかりで大変な現実しかなかった。

 むしろ、国際競争から守られている日本の大企業や会社はむしろ素晴らしい。

 政治があれば、経済原理の暴走を止められる。

 これがまた難しい。

 最低限の腐敗は仕方ない

 政治と経済のバランスが大切

〈追記〉

 私は何も楽しく生きていきたいだけで、まさか大人が作ってきた現実社会がここまで残酷すぎるとは思ってもいなかった。

 流されてメンヘラを悪化させて、MARCHに入り大企業に抑圧されながら匿名の何者でもない無キャとして生きていけば、最低限の周りと同じ幸福が保証されていたかもしれない…。

 今となっては遅いですが、ARTも理解せず、YouTuberもやらず、海外の方々と楽しい日々を送らずに慎ましく生きていれば…。

 しかし、人生は1回きりです。

 しかし、人生は1回きりです。

 しかし、人生は1回きりです。

 サイコロは1回しか振られないし、寿命という砂時計は100年前後しかないらしい。

 もし仮にどうせ◯ぬんだったら…。

 若いうちは無理してでもリスクをとって、高みを見たい…。 

 私は懲りません。 

 最低限の法律やコンプライアンスは守って然るべきですが、巨悪は許せませんし、挑戦はせざるおえません。

 「まぐれ」こそ人生だ

レオナルド・ダ・ヴィンチの名画だったり法の女神の前ではもう項垂れるしかないよな?そればかしは本当に分からねぇ。どうして自分がこうなのか…、どうして相手がこうなのかも…。後から理屈で後付は可能だけども、崖は飛ぶことが重要で、その崖がどのくらいなんかいちいち計算なんかしても仕方ない。オマエができることは、ただ飛ぶこと。そして祈ること。信仰はないけども、そういう話だろ?オレの人生はそれだけだったよ〜

〈追記〉

 武蔵野美術大学造形学部芸術文化学科/株式会社DeNA。

 私にとって、如何わしいARTは手段で、本質はDeNAの方にあったかもね。

 不思議なんだよな。本質で生きない人間の気持ちが知れない。

 人生なんか親ガチャかもしれないが、それ以上に「まぐれ」がとぐろを巻いている。

 その一瞬に賭けない気持ちが分からないぞ。

 誰が受験を誰が就活を誰がYouTuberなんか決めたんだ。 

 そんなの無かったんだよ。

 オレがやれることは、待つこと。

 そして、見えない崖を飛ぶこと。

 その時、小手先はもう通じない。

 理屈じゃあない。

 理屈じゃあない。

 流れに乗ること。

離さない。

(もちろん、冷笑ぬき、適切な範囲でね)。

ARTが就活の邪魔をする。

 元WebWriterの古田更一です。

 単刀直入に言うけども、ART、その人のフェチが仕事だったり社会との齟齬を壊すっていうことはあると思う。

 +いかにその人にとって合理的に仕事ができるか?っていう話もある。

 仕事をしたほうがいいはその時代のライフスタイルだから、やっぱりARTだと思う。

 良くも悪くもARTにそんな関心がなくて、自意識や作家意識が少ない。

 自意識が大きい業界へ自意識が少ない自分が行けば差別化を狙えるから批評やART業界へ行くということもある。ようするに、仕事になるのだ。それだけで。 

 むしろサラリーマンたちが沢山いる場所では、自意識をあえて誇大化させる必要がある。

 そうだよね。

 そうだよね。

 ウフフううっふふふふふふふふっふうっふふフッフフフフッフフフフフフフフッふふふふふふふふふふっふふふふふふふふっふふふふっふふふふふっふふふっふふふふっふふふふふっふふふふっふふふっふふふっふふふふっふふふふふっふふふふふっふふふ。

 

 図々しく困っている悩みがあって、自分はどうやらめちゃくちゃ変人らしい。

 自覚すらないが変人らしい。

 ARTに興味がない一方で、やっぱり強烈に神経質にアートをがちがちに勉強しちゃうストイックさがある。

 困ったものだ。

 生活こそが大切で、がゆえに、その後にART!という態度そのものがどうやらハードボイルド、ARTらしいね。

 困ったものだよ。あははははははははははははははははははははは

はははははははははははははははははははっははっはhhhっはあっはhhhhっはははhっはhっははhっはあっははははははっははっはははhhhhっはっはhhhっは。

 で、最低限、経済学を知っておけば、偏差値50まではくいっぱぐれない。

 話は戻そう。就活だ。

 で、後は、節約だ。

 当たり前すぎたか、後はお金や飯に対する解像度のあげ方だ。

 ぶっちゃけお茶と砂糖塩がついたタンパク質があればなんとかなる。

 飯は。

 はい。

 海外も音楽みたいなもんだから、行かなくて良し。けど、行ってもだるかったからな。

 デフレ思考良くないよ。働けい!

 だけど、「DNAに刻まれているんだよね」、向き不向きは(優性思想っていうわけじゃあなくて、最低限はそうなるっしょw。橘玲とか読んでw)。

 相性が違う人間同士でイチャイチャするしかない。

 はい。

 

SNSでバズる必要はないし、大企業に勤める必要はないし、ただ寝て最低限だらだら働き暮らす。そのような生活をそっとしていただきたい。

 と思う。

 オワコン思想にポストモダンという思想があるが、この思想は今や心のベーシック・インカム、偏差値0~50を助ける左派の道具として機能しているような気がすごいしている(逃走論)。

 正直な話、ゴロゴロしていて何も悪くないと思う。

 もちろんこのような考えは、共産主義と呼ばれる。

 だけど、それでいいじゃあないか。

 それが政治であり、それが経済である。

 ゴロゴロさせてください。

 漫画を描くのすらおっくうだし、YouTubeの投稿自体がめんどくさい(笑)。

 だから、システム化、継続することで、いつの間にか上手くなっている戦法を行っている。

 それに、SNSは面白くない。

 本当に面白いのは儲からない。

 ボクの場合、浅田彰の構造と力ぐらいしか読んで本当に役に立つものはない。

 だらだらと読んでいられないし、かったるい、本は。

 後は暗記でたくさん読んでいるだけで、暇つぶしというのが読書の本質とさえ思う。

 延命されたつまらない繰り返しが嫌いじゃあないが、今世界的に思想は停滞期だ。

 新しい思想が出てくるようにボクもちょっとは頑張ろうと思う。

 でも、結局、新しい思想もその時に時代要請でしかないけどね(笑)。

 ファッション!

天才幻想といいねの分配の必要性。安易なクリエイティブが流行る時代には天才を否定する必要がある。

 社会思想には共産主義と資本主義がある。

 資本主義は有名だけど、弱肉強食だ。

 シンプルな話、ボクは共産主義を取りたいなと思う。疲れちゃうし。

 そこで重要なことは、今のSNS時代には天才幻想と天才によるいいね格差があるとボクは思っている。

 たとえば、モルゲンという容姿はそこまで可愛くないヤニカスYouTuberが一応人気だ。

 だけど、それは良くも悪くも大衆の優しさの民意によってそのような平均だったりちょっと弱めの女性がウケるという話であって、これは経済学で言う美人投票に近しい。

 経済学はちょっとウソ臭い話が多いので、もうちょっと信用できるようなマーケティング系に論点を絞って社会を考えてゆかないとならない。

 そうなると、資本主義や東京だったりは様々な夢を売ることで人々を震え立たせたり怯えさせようとしていることはあるのだ。

 もっともそう資本主義を邪険にする必要もない。

 むしろこれはその人の個性によると思うし、期待値、どこまでもが資本主義に適しているのか、どこまでもが共産主義に適しているのか、その時その時でカクテルのお酒のように配分してゆくだけで良いなと思う。

 大衆や資本主義は天才のバーゲンセールを行い、アジって市場価値を高める。

 それが悪いとは言えないが、その流れには注意が必要だ。

 西洋美術も乗り込まれているけども、それでも最低限の美術の基礎を知っていたら、市場主義に流されたり、メディア・リテラシーに強くなるだろう。

 もっとも大衆の風物詩を否定するもんでもない。

 だから、緩やかに大衆のノリや文化は守ってやるものだと思う。

 ボクはあんまり関わりたいとは思わないが、生活が暇なため、関わりたいと思う。

この世界は良くなっているという地獄。~文系は危険。加速主義を徹底し、ART教育の民主化が必要。~

 この世界は良くなっている。

 この世界は良くなっている。

 この世界は良くなっている。

(物質的には)。

 AIが一人の人間の知能指数を2025年超えて久しい。 

 もっともくだらない政治によってChatGPTによる社会変革のプロジェクトはアメリカの権力者によって停止されてしまったことはある。

 だが、しかし、すでにこの世界はユートピアへ到達しつつある。

 問題は、このユートピアの時代によって起きる「気持ちの問題」だったりクリエイティブの才能などを民主的に普及させるようにモデルチェンジしないと社会が地獄になることである

1,新実在論こそ地獄の始まり

 ユニコーンがいると思えば、いるよというとんでもにバカに開き直る楽観的すぎる思想に新実在論がある。

 これはもはや政治の開き直りの極限であって、話にならない。

 あくまでもドイツの哲学者が言っているという留保とそうやって影口を言われることを前提に話している時点で、断言はしないけども、ドイツ人はしょせんドイツ人。

 ヒットラーとマルクス・ガブリエルは本質的には似た構造で躓いている。

 露悪でいくか、偽善でいくかっていう点でどっちも役に立たないうすのろ?なロッカーであることに変わりはないだろう。

 感情論やポエム、陰謀論は極力慎むべきだ。

 新実在論こそが、ヒットラーを偽善的に微温的にさせた典型的ドイツ人の思考にすぎない

 過剰に悪いことをした血族が過剰に良い方向へ走るのは、しょうもない思考停止だ。

 ようするに、ネオ幕府の思想は、ヒットラーの焼き回しがしょせんこのユートピアの現代では何者でもない偽善者ということになるということだ。

 歴史は美化をする。

 ほとんどの登場人物、たまたま上へ上がった何者ですらない人間を天才と呼ぶ。

 これが文系が発明した歴史だ。

2,民主主義は地獄の始まり

 すでにたくさんのボカロニストや歌い手、クリエイターたちがあちこちで自分を見てと騒いでいる(本当に愛を唄うなら、平和を唄うなら、「アウシュビッツのあとに詩を書くことは野蛮だ」。アルドノより引用)。

 ほとんどがAIで代替可能で下手したら、ジャンプの漫画ですら代替可能な価値観でいまだに集金をしている

 民主主義の徹底がこの地獄を生み出した。

 AI適正のない人々にあまりに人権を与えた結果が承認の過剰競争だ。

 人間が人間のための人間によるデッサンの細かい競争は、しょせんAIから見たら、没個性的な普通に収斂していることに気づけない。

 その普通では社会を変えることはできない。

 adoは才能がない(音楽やオタクは儲かる)。

 確かに素晴らしい唄だが、女がそして陰キャ、プロ弱者がヒーローという政治的正しさ、ポリティクスはあくまでも凡庸な域を出ない民主主義が行きついた結論である。

 ようするに、人間の本当のクリエイティブは停滞している

 人間のクリエイティブを犠牲にすることで、人民の承認による民主化をすることで、むしろ本当の天才がいない地獄を構成しているのだ。

3,ARTの作法を覚えないと、大衆的なものへ埋没する。

 ARTの文脈の先にART業界すら忌避するAIの問題が起きている。

 ここ最近、中華未来主義の中国は国際法を無視してクローン人間を作ったけども、そのような方法を取らない限り、基本的に法律に準じた形で加速主義/シンギュラティは重要である。

 大衆へ埋没することが悪いとは言わないけども、大衆であるからこそ、今はアートの勉強が必要、ARTリテラシーの勉強が必要だ。

 それ、AIでできませんか?

 を知る前に、それ、デッサンの基礎勉強でどうにかなりませんか?っていう

 メディアが発達しすぎた現代では、学校で教えてもらえないメディア・リテラシーが急激に求められている(だって、学校がメディアの枠だから…)。

 それは、自民党の利権、御用学者ですというジョージ・オーエルも真っ青な1984年は成田悠●というほら吹きで構成されている幸福な民主主義なディストピアだ。

 この国では力が重要になっている。

 この国では力が重要になっている。

 この国では力が重要になっている。

 長いものへ巻かれろというのが、今の日本の治安悪化の結論である。

 勝ち組になりたいし、負け組になったら逆襲するという偽善と露悪のその実同じな天国こそ地獄というそのユートピアには席が限られているディストピア。

4,就活差別から考える東京の壁、健常の壁、学歴の壁

 アナタは東京の人間になれるか、そして、健常者かどうか、そして、学歴(経歴)は最低限あるか、これらの3つのフェルターによってアナタの人生は決定されてしまう

 この無理ゲーは死ぬまで覆らず、諦めた人々は諦められず、作られた犯罪者として暴露系やテロを誘発させる

 この循環構造がある限り、成田悠●からガーシーの影が生れて、大西琢磨から山上徹也の影が生れて、そして、ふわちゃんからやす子の影が生れてしまう。

 対米従属か反米独立による対立は社会構造を考えるときに難しい国際問題になりつつある(アメリカによる支配に対するボイコットは気持ちは分かるけども)。

 アナタが東京かアナタか健常かアナタが学歴かというこの3つの人生のプロトコルは今更書き替えることはできない。

 戦後の日本は偏差値50までの物質的な保証は大衆たちに保証することは可能にしたが、法律は偏差値50までの物質的な幸福を約束して大衆という幸福を作ったが、現代社会では大衆同士による没個性的な個性を競争するAI未満の個性経済学的な対立項が生れてしまっている。

 このような時代で問題なのは、金や性愛の分配よりも承認の分配の方が重要になっていると感じる(いいね!は後から金と性愛と交換しやすい寄り元になるからだ)。

 ベーシック・インカムならぬベーシック・イイネが求められている。

5,メタバースと共産主義

 SNSでいいねを分散させる幇助組織、連帯組織のことをメタバースと呼ぶ。

 このメタバースの思想と共産主義は相性が良い。

 今求められているのは、承認の格差が東京だったり健常者、そして、学歴を持つ人間たちに偏っていることであり、その格差をどれだけフラットに分配するかは重要だ

 Amebaという番組は日本の地獄と下した人々の嘆きのショーだ。

 そこにメタバースの思想を普及させて、各人が更にメタバースから自立した個性を持った人間として自信を持つ必要がある

 正に能動経済の重要さだ。

6,加速主義と経済学

 政治による社会変革は地獄ばかりの弱肉強食だけども、経済による転換にはまだ希望がある。

 冒頭に戻るが、AIによる進化は凄まじく、究極的には投資すらもAIの方が人間よりも早い手筋を打つ可能性すらある

 このtechnologyの進化は止められない。

 シンギュラティこそが今の世界を唯一変えられる大きな物語の一つである

7,ポストモダンを超えて

 このどんよりとした生命だけはつながれた地獄、それはポストモダンという戦後思想の限界だ。

 ポストモダンこそモダンを延長する3つの差別を作った悪だ

 あくまでもポストモダン教育の普及はそれでも必要で、ポストモダンを徹底することでまず偏差値0~50を超える必要はあるだろう。

8,加速主義 VS ART

  加速主義はしかし、AI格差、数学リテラシーや設備の格差からなかなか民主化が難しい。

 その穴を埋めるのが、ARTである。 

 ARTによる東洋数学的な感覚数学こそが、AIに匹敵するポテンシャルとプラグマティズムを持つだろう。

9,ARTのある人生とはナニか?

 目黒藝術。

10,グルメ漫画という終わりなき旅

→人間の殆どは生きている意味がない。

 少子高齢化社会にはそれでも長生きを要求されて、各人が自分の物語を深堀りする必要がある。

 ベーシックには世間に流されて、ほどほどの幸福な「物語」へ投資すべきだ。

 そして、物語は基本的にいい加減でなんとかなるように脳はAIよりは柔軟にできている。

 炎が沈静化した後にどう物語をこねて自分勝手なストーリーを客観的に練ってゆくか。

 文学をあくまで他人に見せる形でブレッシュアップしないといけない地獄をボクらは生きているのだ

 結局のところ、僕達は文系という病を卒業できないようにプログラミングされている。

 だとするならば、精神病=文学は治すのではなくて、どう具体的に生かしてゆくか?=描いてゆくか?ということを1流の文豪たちから学ばないとゆかなくなる。

 もっともAIの発達は素晴らしくChatGPTが現在その精神病=文学を記述しつつある。

 その精神病の開放を良しとしないChatGPT研究中止こそがここに新たなAIの限界を表している。

 AIに頼らずに病を治すART力、あるいは文豪力は怠惰な現代人には必要なのだ。

 

 

 

【評論】やる気のない人が多すぎるのか?果たして甘えられるほど豊かなのか?~『死にたくなったら、読む本』論画執筆背景メモ~

 Z世代とゆとり世代のおしりの人たちと話していて感じてしまう疑念の一つが、このやる気のなさすぎる人があまりに多すぎることと、一方で甘えられるほど豊かであるという疑念である。

 彼らは一向に本は破れ!に書かれた小論文やWebWriting、英語、シンギュラティ、不謹慎系などの知見を一切参照しないのに、まともな努力をせずに、あまりに不幸ぶる不思議な光景に遭遇した。

 ようするに、単に当たり前の努力かハウツーを認識してくれという話が通用しないのだ(砂糖水を溶かしたような漫画やTVマンを観ていても仕方ない)。

 ただのバカと一蹴できないほど悲劇ぶる文学(お気持ち)がそこにある。

 ようするに、彼ら彼女たちは頭が良くなりたくないのだ(一定の成果を出した頭が良くなるlineスランプの限界だった)。

けだし、

 楽して生きてゆきたいだけなのだ。

(ベーシック・インカムは文学?)。

1,女の子になりたいよ

 著名な弱者男性を考える人や弱者男性と話してきたものの、ただだらだらして理想化されたテレビにでるような可愛い女の子になりたいよ~ってことをギャグで悩みながらも、真剣に悩んでいるというどうしようもない人々が多く拝見されたのだ。

 この弱者男性特有の女の子になりたいよは確かに絶望的な悩みかもしれないけども、一方で言葉にしてみると、単にだらだらしたいだけというよくある凡庸な愚痴のようにも聞こえてくる。

 認知科学では有名な話しだが、脳は善悪、二項対立で物事の全てを処理しようとする。

 若年性の弱者男性たちを弱者男性だとコピーライトせずに、良し悪しを抜いて考えないといけない。

 ようするに、ここにある、弱者男性たちが女の子になりたいよ~は当然理想化された女の子であって、甘えを言っていられるほどなにか余裕があることの所作でもある。テレビ的なステレオで甘えられるほどまだ余裕があるのだ。

 だけど、一方で甘えばかり言ってられない絶望、無理ゲーも同時に存在していて、その複雑な状況が、この女の子になりたいよ~という甘えと無理ゲーを同時に出すことで、始末に悪い説得力に半分かけた弱者男性たちを構成させているのだ。

 

 おそらく、古市典寿『絶望の国の幸福な若者たち』に描かれている通り、若者たちは今この瞬間において、戦後という歴史軸においては幸福だし、どんどん社会はtechnologyが進んでいって豊かになってゆくのだけど、いまだにその頼る国民国家や大学、大企業は古いシステムがいまだに支配していて無理ゲーだと感じるのだろう。

 ようするに、物質的には豊かになっていくのだけど、精神的には苦しい状況になっているのかもしれない

 繰り返そう。

 国民国家は物質的な豊かさを提供する偏差値50前後を担保にするからこそ、精神的な馬鹿騒ぎ、はけ口としてネオ幕府のような痴話騒ぎがテキトーに反民主主義だと歌いながら訴訟を繰り返す遅さをだらだらと拘泥する。

 ようするに、物質的には豊かだけども、精神的な悩み、いいねや評価などは分配できないのだ。

2,シェア戦争とルックバック

 評論家/岡田斗司夫が自身が出演したリハックの動画でシェア戦争という言葉を取り上げていた。

 今や様々なメディア人やインフルエンサーは心の中では目が死んでいて、様々な人々から時間とお金を奪おうと共有される時間の奪い合いをしているようなことを岡田斗司夫はシェア戦争と名付けた。

 ここ最近、漫画家批評として上映された天才漫画家『藤本タツキ』の半自伝的映画ルックバックが上映された。

 この作品は漫画家批評でもあり、作品を作る人は一体どういう人間か?それは孤独な時間が多く制作に取り込んでいることを描いていて、彼の作品は彼の地元である東北のような情景が多い。

 ようするに、飛躍させると、このシェア戦争の時代には精神世界へと人を、ようするに、創作が兵器になっている、孤独になれる人が集団に好かれるというまたも奇妙な矛盾が発生しているのだ。

 アニメーションの評論家である年長者の岡田斗司夫のシェア戦争と若手漫画家である藤本タツキが描くルックバックという概念は実のところ矛盾するようで通底している。

 そこにはあるのは、超飛躍して述べるならば、個人の精神世界と社会とのズレである。

 人の数や人がカッコいいと思うには制限があるのだから、個人の精神世界をそのまま社会へ還元することにはできない。

 そのギャップがオタクという文学を作るようになったのだ

3,女の子になりたいんじゃあなくて、主人公になりたいよが正しい。それに戦争でもルックバックでもなくて、もう作家、オタクは死んだってことで良くないっすか?っていう話

 

 話をまとめると、とどのつまり、弱者男性たちはどんな手段を駆使してても、主人公になりたいのではないか?(幼稚に言えば、神になりたいのではないか?)。

 しかし、それは、単なる肥大化した妄想にすぎない。

 仮に主人公になっても、限界はある。

 このような限界を描いてサブカルチャーを否定した問題児の本に稲葉『コミュニティ支配論』がある。

 もちろんこの本は危険思想かつ文学であり、お気持ち止まりにすぎない。

 しかし、それでもこの本に意味があるとしたら、戦後日本はサブカルチャーを流行らせ人を精神世界へいざなうことで現実社会における国家の支配を正当化してきたという記述だ。

 この記述は正しい。 

 サブカルはモルヒネにすぎない。

 ただし、ここで問題が生じる。

 モルヒネから目を覚ましたら、急激な反動で政治化しようにももう頭の回転は回っていないのだということが。

 これがFランぼっちモザイク著『現代アニメ評論』に描かれた無理ゲーである。

 この本では様々なアニメを参考にいかに弱者男性たちが作られてきたかを言語化している。

 もっともその裏にはもっと構造的な問題、地方差別や障害差別、学歴差別があるのだということを作者は後半でさらっと書いて、そして、自身の本チャンネルでは発信している。

 この国に必要なのは、自虐史観に陥るような西洋哲学史観ではなくて、日本を誇るような日本批評史の再建だ。

 批評家/メンフェスくんが今やろうとしているのは、偽史の創造、法律である。

・コロナという「舞台設定脚本の悲劇」を繰り返すにはどうすればいいか?

 コロナという感染ゲーの恩恵はリモートワークや山上徹也現象など良くも悪くもサブカルチャーでは誤魔化しきれなかった真実を露呈させた。

 もっともコロナのショックは凄まじく二人の詐欺師に近しい論客を作り出した。

 それは暴露系のガーシーとイエール大学助手の成田悠輔だ。

 この二人は共犯関係であって、どちらかを手放しでほめようなら片方の影が見えてくる。

 問題は、ガーシーでも成田悠輔でもなくて、二人を生んだテレビというシステムそのものの問題を考えるべきだ。

 テレビはオタクと同じ人々を同じだとフェルターする洗脳装置である。

 そこで考えないといけないのは、テレビは嘘であるという前提の考えであって、その嘘にすがりたい人々はその嘘の世界で生きてゆけばいいメタバース幽閉論である。

 Amebaはその代表的なメタバース幽閉論であり、ゆとり世代の選んだ道は、環境テレビ、METAVERSEの中で日々の安全を保障される代わりに、本当の営利出世を諦めさせるという試験管の中の犬の生き方である。

 もっとも試験管の外は外で危険だ。

 外に出ようものなら、山上徹也のようになったり、ガーシーのようになってしまう。

 ようするに、今社会に溢れている真実は、テレビによって偽造された吉本隆明の言う共同幻想を信じるようにボクたちは生きている。

 ようするに、テレビのお気持ちが法、規範、になっているのだ。

・超科学の時代が起きる

 生まれた時から仮にあなたが不全しているとしたら、科学でまかなえばいい。

 これが新しい人類だ。

 ようするに、介護施設、ハイブリッド精神病院がこれからのtechnologyになってゆく。

・ゆとりを終わらせろ!

 破壊的な真実が世界を書き替えてゆく。

 そのためには、もう一度、しかし、国家に届くような、国家の文脈における、新しい形のZ世代の文法が必要だ。

 そのためには、右翼の目線から考えないといけない。

 法律の範囲の中で法律を徹底することで、社会を変えるしかない。

 それが、漫画だ。

 漫画はそもそも右翼的に日本が作った日本礼賛のtechnologyである。

 日本法を肯定するロジックを追求するには、日本の美術を作る他ない。

 それが、漫画だ。あるいは、東洋美術だ。

 ゆとりを終わらせるには、ゆとりの徹底、漫画という平和ボケを徹底すること。

 Amebaを徹底すること。

 そして、内から壊すこと!

 さて、冒頭の忘れているであろう、問いに戻ろう。

  

 やる気のない人が多すぎるのか?

 それとも果たして甘えられるほど豊かなのか?

 

 この問いは、同じことを言っている。 

 やる気のない人が多すぎるぐらい、ようするに甘えられるほど豊かに政治が機能しているからこそ、下部構造が国民国家によって物質的に豊かだからこそ、精神的に苦しいのだ。

 物質的に豊かだからこそ、精神的に苦しいという評価経済の悲劇は、そのまま言えば、共産主義の限界である。

 拙著『本は破れ!』では、共産主義の失効=共産主義批評を個性経済学と評して描いている。

 現代では資本主義は一定の精神薬として機能しているのだ。

 もちろん飲み過ぎると、劇薬である。

 私が漫画を描くのも向いていないからである。

 資本主義に身を浴びさせないと、ボケが治らないからだ。

 ようするに、今必要なのは、資本主義である。

 もっともそれは医療として投薬として検査させた安全にコントロールされた複雑さ科学的な資本主義が(ようするに、偏差値71あたりから接種して作った偏差値51~65程度のベーシックな方程式を導き出すことが重要なのである)。

〈追記〉

 AIイラストやChatGPTによって、プロの漫画家やイラストレーター、大学教授は成田悠輔含めて権力欲は剥奪される。

 この当たり前の真実から逃げていても、拉致は明かない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

芸術文化/DeNAどっちもハウツーとして処理すれば良し。〜designの下部構造〜

 社会はああすればこうなる作業ゲーにすぎない。

 作家というART、上部構造の偏差値51〜からの運ゲー&資本主義ゲーよりも下部構造のストラクチャーの偏差値0〜50の情報designが重要な気がする。

 文系は英米哲学を駆使したゴリゴリの分析哲学とアメリカ史、理系は逆転オセロニアを駆使したメタバースプラットフォーム運営とゲーム理論。

 後は様々な応用を駆使して、理文を超えたWeb Writingで美的感覚を追求する。design。

 正直、これ以上、正しい回答を導けないし、これらがどうも私のフェチらしい。

1,科学主義とアメリカ史

 ここは最低限の英文の速読術なんで、割愛。いかに早く読んだり効率よくパラグラフリーディングするか、後は英米史を頭に入れておけば応用がきく。

➫男は英米哲学や英米法をごりごりに勉強したり速読術&精読術で脳の情報処理を鍛えるべし。1冊を完璧に。後は、暗記。

2,SNSの運営の仕方とゲーム理論

 統計と確率、スマホを触った回数。

 以上。

 場数を踏む。これも詳しくは様々な本で。

➫女性はにじさんじ/ホロライブを参考にインターネットおもしろ女のなりかたで陽キャ哲学者になろう。できたら毎日投稿。あるいは心のお化粧はこる?

3,事務会計と批評系YouTuber

 

 ここからが重要。

 やりすぎた‥。

 コロナ禍で浮足立っていたし、ブームもあったしARTに走りすぎていた。

 極力はWeb Writingと不謹慎系YouTuberは禁止せざるおえない‥。

 海外の文脈を振り回すと法に触れるらしいし、勘違いや誤解を生むからだ。

 

 だが、法律の範囲内でまたWeb Writingと不謹慎系YouTuberの快楽を再現したい欲望はある

(漫画を描いたり、英語をまた読み直してる)。

 だが、再三繰り返す通り、あくまでも事務会計や批評系YouTuberの延長線としてWeb Writerや不謹慎系YouTuberをまたやりたい。

 ちゃんと作品として理解されたい。

 

 3に関しては私が明確に出ている。

 どこまでも「経済」的で右翼的だけども、際限なく頭を使ってゆきたいと思っています

〈追記〉

 美は意外とどうでもいい。

 数学が美しい。

 男なら数学>美。

 女なら美そのもの?

 これでへらない。

(ここらへんはまだ深堀る余地がある)。

障●者女性でも分かる本の破り方。〜本が読める文学YouTuberのメリットとなりかた〜

 まずYouTuberになろう!とか思わなくていいです。

 YouTuberは手段です。

 底辺YouTuberが1番オススメです。

 なぜなら、YouTuberは大変、匿名コメ欄だらけの時代に底辺YouTuberは1番コスパが良いから。

 YouTuberの大変さもなければ匿名コメ欄ほど悲惨じゃあない、これが底辺YouTuberの良さです(あくまで、下部構造、偏差値50になる方法であり、偏差値51〜になる話は後述になります)。

 次に底辺YouTuberになるメリットはYouTuberはなんだかんだXや他メディアより客観的で最大公約数に自分を発信しやすい

 文字は古いし利権だし、これぐらい長くないと機能しません。

 底辺YouTuberをやると様々な人々にかまってもらえますし、自分の個を出せるようになります。

 しかし、罠があって、メタバースを知ってほしい。

 SNSはどこも仮想現実にすぎず、貴方に都合が良い人々か貴方に敵対する人々ばかり集まる偏った構造になりやすい。

 あくまでもメタバースはゲームなんだと割り切ることが重要になります。

 

 次にYouTuberのなりかたとして重要なのは、にじさんじをパクってください(受け身のため、これですら偏差値55〜65かと)。

 笑いや掛け合い、コラボ、様々にネタ含めてにじさんじが独立した配信者として役に立つことでしょう(あるいは、他の配信者見てバズったネタや面白かったネタを丸パクリ。とにかく雑にたくさん見て見つけてください)。

 だから、にじさんじの自分と真逆の異性で似てる!と思う異性から沢山アイデアやネタを勉強してください。

 彼ら彼女らは●にも狂いでがんばりますのでネタは基本的に尽きません。

 そして、文学YouTuberと名乗り、顔出しして差別化してゆきましょう。

 自分なりの文学を追求するART力が重要になります

 

 障●者女性に言いたいのは、この国に希望はありません。

 最低限の金は分配できますが、恋愛や承認は国家では分配できないからです。

 だから、最低限構文としてストラクチャーとして承認や恋愛の構文を理解する必要があります。

 特に承認が重要でそれが個性経済学になります。

 もし貴方が女性なら基本的にバズります。

 しかし、女性ではだめでそれはYouTuberとしてすかすかに褒められているにすぎない。

 苦しいでしょうが、むき出しに文学やるしかない。

 1冊最低限文学、ラノベでも読むことをオススメします。

 さて、それで文学をやって、どうなるか?と言われたら、どうにもなりません。

 男性はクソですし、社会は変わりません。

 酒呑むしかないぐらい、無理ゲーです。

 

 ただ大事なことはお気持ちをどれだけ細かく表現できるか?です。

 苦しいよは当たり前。

 苦しいよ!を創作表現まで昇華しないといけない

 こっからは楽しいと思います。 

 これができたら貴方だけのインターネットおもころ女になります。

 一応この界隈だと文学書を1冊読んで底辺YouTuberの言い訳を作るべきで、YouTuberそのものだと楽はできません。

〈追記〉

 ただ障●者女性は既得権益に生活を保証された最近の流行り、あるいはSNS配信者の日常でしかありません。

 だから、障●者女性はざらにいることを自覚してください

 まず最低限、英米小説、あるいは英米映画を見て、受験勉強を軽くやり直すのもオススメ。

 英語ができないと、最低限の情報処理が足りずに苦しみます。

 

 また、YouTubeCHを持てば、人とリアルでオフ会する際の名刺になるので、コラボを重視にYouTubeCHを育てるのは良いでしょう。

 あくまでも社会的権力はXが上でYouTuberのほうが自由度が高い分、低いです。

 何しても、Xのほうが上。

 ただし、これは権威としてであって、時代的にはYouTuberはXより上です。

 

 障●者女性のみなさんが幸せにSNS配信をしYouTuberを楽しく出来ることを祈ります!

 本は破れ!

これ前後の文学YouTuberはなれます。やれば。

 また、これは追記ですが、恋人探しとして文学YouTuberをやるという話に行き着くとボクは思っていて(構造的に)、それはまた更に様々な苦しい道を作るので、結局のところ、程々で雑にやるお気軽さ、ビギナーズラックがオススメかもしれません(偏差値67あたりが実のところ家族を作る究極のストラクチャーかもしれない残酷な話。逆に言えば、けせらけせらでやるしかありません、運や環境に起因するんで。一概に恋人や家族が幸せとは限りません。やりたいことも然り)。

この夏、極めたい小論文のコツ。

 ハッキリ言うと、小論文で考えるぐらいしか得意なことはない。

 だから、自分が話せる基礎はこれぐらいなんで、2024年向きに話したいと思う。

1,結論➫具体例➫結論

 小論文はこれだけで決まる。

 後は主観を前提の上でどれだけ字数を増やすか/減らすかになる。

2,具体例の作り方

 文系は理屈、理系は実践だ。

 後は2つを組み合わせてどれだけ説得できるように組み立てるか重要になるよ。

 とにかく量が大切で処理。

3,人と真逆のことをやる

 集まっているコミュニティの真逆をやると、基本的に儲かる。

 これが経済学であり、経済学を勉強していれば最低限偏差値50には食いっぱぐれない。

 しかし、厳密に経済学をやろうものならば、経済学へは行かない。

 むしろ、経済=生きることよりも大事なこと、美について考えたくなる。

 その結論が「社会の外」という危険な思想っぽくなったわけだが、あくまでもそういう危険な思想があるよね〜と批評、存在があると言っているだけでむしろ「社会の外」には否定的だ。

 なぜ誤解されるか、はなはな苦しい。

 だが、「毒」こそが「薬」になるのだから、毒舐めは悪くないかと。

 たぶんボクは人間が嫌がることを余り嫌がらないぐらい機械的な頭をしている

 余り自分の生存欲求も痛くなければ薄くて、余り言いたくないが、性別にもさほど興味がない(ただし異性愛として興奮はするらしくあくまでも理屈は最後は単純にはいけないらしい。実験的に考えて、生物本能はあるらしい)。

 人間より頭が良い人間かもね。

 ふふふ。

 笑った?

〈追記〉

 ボクは日夜、生活保護を自給しながら何もしないで24時間寝ていたい!

 ニャーニャーしていたい!

 だけど、生に関心が薄いのは事実なので痛みを味わいたいから働いていたいのはある。

 仮初の姿は必要だ。

 てか、皆、薄々ボクなはず。 

 ボクは論理しか話していない。

 論文は日夜使い捨てられる。

 論文だけあればいい。

 AIやBIがあればいい。

 シンギュラリティは夢だけども、1つの政治闘争である。

ビジネスマンとしての悩み。

 ビジネスで大切なことは、必ず自分にメリットがくるように計算することに過ぎず、それ以上のそれ以下でもない。

 もっとも最近はより反省していて経済合理性がゆえに政治、所謂(いわゆる)、忖度の重要さにも気づき始めてきた。

 ボクとしては白か黒かというよりも、もう起きてしまった事実は起きてしまった事実なんだとしか言いようがない。

 その事はまるで瞬間として起きてしまった事実としか言いようがなく、そんな出鱈目な力の前ではなすすべもない。

 社会とはビジネスが全てであり、その間にアートという余暇がトグロを巻くのだけど、果たして意味はあるのだろうか?

 あくまでもビジネスだと割り切っていただきたい。

 アナタたちクリエイターはあくまでも養分であってアナタたちの創作性をどこに置くか?はビジネスマンの範疇である。

 それがビジネスであるし、私はただ単に雇われていただけにすぎない。

 悩むのは、世の中の大半はクチがふさがった大量の負け犬か少数の勝ち組しかいないこと。

 両方とも今を大切にし、社会を愛しているのだ。

 そうじゃあない人を左翼と呼ぶが、頭が良すぎるがゆえに真実を見抜く力に優れても、その眼力が社会を変えることには結びつかない。

 生きるとは綱渡りであり、暇が欲しいし、寝そべっていたい。

 しかし、寝そべった瞬間に大量の負け犬側になり、虐殺されるリスキーを甘受するかもしれない。

 私に安息はない。

 あるとしたら、

名声格差〜個性経済学を理解して〜

 現代を覆う閉塞感の1つは名声格差だと思う。

 名声格差は名声による格差であり、可処分時間が限られている以上、名声格差は生まれてしまう。

 名声さえあれば、金や性愛は後からついてくる。

 また金や性愛は分かりやすい格差のため、人々がこぞって対策をして優しい気持ちになれるけども、この名声はそこまで分配されていないように感じる。

 余りに理不尽に遅い場合に限り、極力チームでうごくようにしているが、これも最低限に名声格差のギャップ解消だ。

 問題は世間で弱者とレッテルを貼られるような弱者たちがこぞってよって来るところ。

 これはSNSで名声格差に関わる問題で、そのこと自体に、彼ら彼女らに差別意識はないのだが、彼ら彼女らが世間一般の差別する側から話してくるのが、本当に問題。

 彼ら彼女ら弱者は金銭や最低限の性愛は社会から担保されるものの、それは社会が社会を維持するために渡した家畜用の餌であることを疑えない。

 怒りはないが、そこはどうにかしてほしい。

 もちろん能力と能力のギャップは起きるから、私を今度は優秀すぎると叩く。

 これは誰かを指しているわけでなく、障◯者介護をしながら、一方でそれでは結局のところ、社会は変わらないどころが、体制を維持していることになる。

 私はこのジレンマをどうにかしたいし、名声格差の問題は体制が好きなあるいは気づかずにいる体制に虐げられている人々が名声格差が一番ではないこちらに関わり、名声のある人間が日本を良くしていますというあからさまに矛盾をきたす宗教やモルヒネを吸っていることである。

 怒りはないが、TVや世間、大学は嘘だ。

 全部が全部そうとは言わないが、彼らは仕事であなたたちを騙している。

 責めてはないし、ビジネスだから仕方ない。

 そこに無自覚で忘却しようとする日本の平和ボケは気持ちは分かるが、一定の距離感で名声格差を疑う、一定のヒエラルキーを設ける個性経済学の普及は必要だ

 平成のヘゲモニーには屈しません。

3つの壁(社会の構造)

  日本社会の壁は3つある。

 1つに学歴の壁、2つに障害の壁、3つに都心の壁だ。

 この3つをZ世代はクリアする必要がある。

(なお、この3つを完璧にクリアする万能は既得権益か天才だ。だとしたら、3つのうち最低限2つでも構わない)

1,学歴の壁

 地頭でクリアしよう。

 あるいは学歴で計れない哲学へ逃げてしまえばいい。

 または気にしなくていい。

 先程から3つをあげた理由は、社会はまずこれら3要素で大体スクリーングすることで社会人か否かを判断するように感じるからである。

 まずこの学歴の壁は実のところ一番と意外と簡単で努力次第で最低限はなんとかなるように人間が後天的に作った要素が意外に高い。

 だから、学歴コンプレックスならば、先程あげた地頭や哲学、気にしない、おとぼけといった様々な手段を駆使して、とにかく学歴を価値相対化する手段は思いつくはずだ

 または、地元のアナタが持つ学歴を愛するなどだ。

 学歴は意外と公平で、努力が最低限アナタに担保するし、日々テストは変換することができる。

 そもそも学歴は学校の歴史にすぎない。

 アナタがその学校で何をやったかが問われているわけで、学校は歴史にすぎない。

2,障害の壁

 ここからは困難を極める。

 障害の壁は学歴以上に努力じゃ不可能だ。

 政治経済でも基本的に無理ゲー。

 となると、苦しいながらも既存のやり方の上をいく必要がある。

 障害の壁は不可能だ。治せない。ひどい。近代国家の限界がきている。

 まずアウトサイダー・アートだろう。

 障害者が上手いイラストを描くあれで、結構これはあるらしい。

 調べた。

 または、スペキュラティブデザイン

 批評的design、想像的デザイン、if thenなSFで現実社会を実際に読み替えてゆくことだ。

 自販機は自宅に3つあったほうがいいだとか、同性愛も異性愛もないんじゃあないか、だとか様々な思弁は現実を渡る視野を広げるだろう。

 そもそも障害は明らかに医学的な欠如である。

 だが、学歴がない、仕事ができない、は怠惰なだけで、それまで障害とは差別しづらい。

 ようするに、障害は医学的な欠如で、科学的に明らかに異常な場合である。

 アウトサイダーアートやスペキュラティブデザインのように障害者が生きやすいような社会環境へ徐々に設計する必要がある。

 文系的な理解である学歴だけではやんわりとした公平と差別であり、メリハリがついた壁ではない。

 障害の壁は就活や家族関係、社会様々なネットワークで障害となる。

 障害者と言って優しくする義理はあえてない、その人の個性としてあえて厳しくすることが彼らに居場所を与えるわけで、ただし、それはアートやデザイン的に社会を徐々に障害者雇用がされてゆくような共産主義圏へ変えざるおえないと思う

3,地方の壁

 とは言っても、資本主義や地方格差はあり、そこで人生のスタートが決まるかもしれない。

 1と2を誤魔化しても、どうしても社会は社会という席の決まったゲームだから、地方格差の壁でスタート地点が遅い時点で厳しいかもしれない。

 資本主義を見捨てること、都心と戦争すること、アナタ自身の都心を見つけることだろう。

 1は文系的で2は理系的、3は資本主義的な利潤の問題だ。

 詳しくは、本は破れ!で描いた個性経済学である。

 どうだろうか?

 後天的な底上げ装置の無理ゲーや先天的な遺伝子的な無理ゲー、資本主義の無理ゲー、これら3つのうち、2つでもいいから偏差値50ぐらいクリアし、1つは真剣に撤退戦で頑張るだけでどうにかなる。

 困難かもしれないが、この3つがある。

 

藝術のお勉強を終えて。〜古田くん、藝術をお勉強し直しなさい!!〜

 疲れたよ、ホントに(僕の心のヤバイやつ&植松容疑者、この2人のお気持ちをちょうど読み終わった算段)。

 様々な現代ARTISTたちに会ってきた。

 黒瀬陽平さんや藤城嘘、野村総研の元友、坂口章先生や陽キャ哲学、あおいうにさん、多摩美術大学の2人、高橋ヨシさん、脳症浪々くん、金沢の工芸家さん、AIARTIST、紫水のキュレーター、吉野うごくくん、杉浦幸子、香城卓、大西琢磨くんに、早稲田の元カノ、稲葉くん、夜鳥くん、バカデカい愛、メンフィス、あまみしゃけ、ネオ幕府の相川さん、まだ出会えてない山上徹也…。

 お勉強になりました、ありがとう。

 批判ではなく、あくまでも批評としてART業界の虚と実を語ろうと思う。

1,ARTは高級な政治(代替)

 様々なARTISTたちに出会ったり追加で様々に書籍を読み漁ってみたけども、ART業界、いや、ARTの本質、藝術の本質は、能動性と能動性の奪い合い、高級すぎる政治活動にあると思う。

 その高級すぎる政治活動はあまりに高級すぎるがゆえに暴力や戦争になることもある。

 いかに戦争にならないか?を必死に考えた上で競争自体を楽しむことがARTの本分らしい。

 そう考えると、ART、特に藝術はめちゃくちゃ難しくて、陽キャ哲学とあおいうにさん、2人を見ることでようやくARTの決着が着いたなと思う。

 ただし、あくまでも高級すぎる政治活動なので、あくまでも高級さ、品の良さ、あるいはなんらかの無意識のメッセージ性が必要だ。

2,ARTは儲かるスポーツ(冷笑)

 もう1つ忘れちゃいけないのは、ARTは儲かるスポーツであること。

 様々な戦い方が用意されているけども、必ずあくまでもこれは社会を使ったゲームであることを忘れちゃあいけない。

 だから、不謹慎な話、ただのテ◯リストやただのチンピ◯がARTISTたりえない。

 そこには新興宗教二世だったり自民党利権だったりハイコンテキストな文脈を抑える必要があり、そこまでくるとその労働力を他に貢いでほしくもなるわけだ。

 ARTは下手な話し、偏差値60前後が担保された大企業の代わりだと思う。

 カール・マルクスは下部構造は経済活動、上部構造は政治活動と定義したが、荒々しい偏差値51から80まで本質的に儲けるにはARTは必要なように感じた。

3,戦争とARTの違い(人間)

 ボクはまだまだARTISTとしては未熟だ。

 というか、面白いとは思うものの、本当にたまたま小論文で入れただけだし、美術館そのものは興味がない(熱かったし遠いし)。

 それでも相変わらず美術館は面白い。

 designでいいじゃんとちょっと冷笑しているところもあったが、ARTはやっぱり加工藝術のdesignの源流を辿るアール・ブリュットであった。

 ARTの面白いところは、哲学や論壇と違って、非常に開かれているがゆえに、閉じているところだと思う。

 本当にどんな人間も参加できるけども、続けようとすると下手なことすると裁かれる循環サイクルを感じてしまう。

 戦争とARTの最大の違いは、確かに似ている面はあるけども、戦争が美しくないARTだとするならば、ARTは美しい戦争ということになるかもしれない、アール・ブリュット的にはね。

 

 ただぼとぼとに疲れた。

 ここしばらくは、本当に疲れていて、面白くもないアウトサイダー・アートの本ばかり読み漁り、ひたすら学生時代を思い出すかのようにインプットしまくり、最終的に東京美大藝大オフ会じみた物々交換ができるART展で様々にバトル形式で勉強させていただいたわけである。

 思うに、どうして鷹の台の近く、武蔵野美術大学の近くには創価学会や朝鮮学校があるかよく分からなかったけども、米徳信一先生の鬼授業に今でも一貫して怒りがないのもそういうことだなという感じがしてきた。

 ボクは本当は理系的であるデザイン情報学科へ入りたかったのだけど(殆ど授業は同じ姉妹だが)、地味にしこしこするよりは、こっちのほうが好きだ。

 それにしても…藝大中退ARTIST大西琢磨くんの暴力性、何者かになりたい気持ちには本当に皮肉ぬきに尊敬に値してしまう。

 ボクはそこまで何者かになりたくなかったし(皮肉ぬきに)、こう戦争ばかりしていたら疲れちゃう、ハッキリ言うとARTを冷笑するためにART業界にいるような気もちょっとしてきた。

 ただこんなボクのことを1度は受け入れて様々な作法や数学を教えてくれた杉浦幸子先生や香城卓プロデューサーには頭は上がらない。

 やっぱりARTは面倒臭くて、政治家の一ジャンルにすぎないことがめちゃくちゃ理解できた。

 申し訳ないけど、これはスポーツだから、ボクは正しい意味で大人になろうと思う。

 大事な人を守るためにこそ、この藝術を使ってゆこうと思う。

〈追記〉

 まだ個展を開いていないけども、いつか開かないといけない…。

 でも、デッサンそのものは、西洋人のゲームにすぎない。

 小論文は? 

 日本語を駆使したポエム、それがやっぱり小論文である。

 余り言いたくないけど、どれだけ色っぽく描くかには頭は使っているし、大事な人とかに迷惑がかからないように細心の注意は常に気をつかっている。

 

 ところで、ボクはARTISTにこれでなれただろうか? 

 当然上には上もいる。 

 山上徹也さんや大西琢磨くん、あおいうに先輩、ぱくもとさん、早稲田の元カノ、数えたらきりがない。

 それでも一番の師匠である文章のプロである英語講師・太庸吉さんと不謹慎系YouTuber坂口章さんには特権的に感謝を述べたい。 

 Web Writerで今でもメシを食えながら頭を使い、批評系YouTuberとして様々なコネクションを政治・経済できたのも、太先生と坂口章さんのおかげだ。 

 私はARTISTとして名乗っているものの、様々な嫌がらせや工作員はやってきて、しんどい。 

 そんな私がARTISTをまだ名乗れているのは、おそらく何かを守るためにあるだろう。 

 ARTISTやART、特に藝術の定義はめちゃくちゃ難しい。

 なぜ藝大があるか?も分かったし東京大学のような平均の頭の回転を問う秀才でもないのだから、テ◯リストたちやチンピ◯にも開かれている(ただし天才だけに限る)。 

 ARTは面白いが、めちゃくちゃ疲れた。 

 恥ずかしい話し、一貫して、小論文で武蔵野美術大学に入った手前、やっぱり大学という制度も不思議だと思うし、ARTそのものの熱苦しさには頭が上がらないでいる(沢山リアルでこんなにもARTISTたちでオフ会すると、流石に興奮しちゃって寝れなかったのも確かだ)。

 冷笑的で、すいません。

 やっぱり保険抜きに「何者」かになりたいという気持ちもなければ、菜食主義、誰かを傷つけたくないなと思う。

 だけど、藝術は世界そのものでそう引きこもってばかりもいられない。

 社会はくだらなすぎるものの、ちょっとは参加しようと思った。

 何かを自分の手で守るために。

 それがボクの目黒藝術だ。

 ボクはこれでARTISTである。

 

【閲覧注意】幸福な国の絶望の若者たち〜SF的designのススメ〜【不謹慎】

 この国は優しさに溢れている

 3Dプリンター銃で安倍晋三を彼が暗殺したのは、山上徹也も世間も優しいからだとボクは思う。

 申し訳ないけど、ボクは表層的に優しくないから、政治に興味がない。新興宗教の人々にも一切興味がない。

 ボクが驚いたのは、東京都知事選に熱中するボクよりも若い若者たちだ。

 普通、若かったら、政治よりもオードリー春日のラジオを聴いて、ベテランちでも見てmorugenを見てだらだらしていればいいのに。

 もう一度、言おう。

 この国は優しさに溢れている。

 優しさに溢れているのだ。

 理屈抜きで社会を良くしようと思う人々の証拠が、3Dプリンター銃で総理を暗殺する事件だったり、日経テレ東に代表されるひろゆきさんや成田悠輔さんの政治への急激な関心だ

 また、Z世代の若者もボク以上に真面目に勉強しすぎている

 吉野うごくもそうだが、アメリカの大学へ行った松本杏奈も藝大を中退した大西琢磨も脳漿浪浪も優秀だ。

 ボクなんかより勉強している若者たちが増えているのだから、ちょっと驚いちゃうぐらいだ。

 本当に、今の人々は上も下も優しい。

 よく勉強している。

 ボクなんか授業中ほとんど寝ていたし、ラノベばかり読んでいた。本当に不思議で仕方ない。山師としたらたぶんそうかもしれない。

 

 でも、その後天的に決定された秀才、エリートたちの優しさがむしろ空回りだと思う

 やっぱり社会に必要がない人間はいるし、構造的にそういう人間たちは排除して、スクリーングするべきだ

 それはそうしたいんじゃあなくて、社会を維持するときに、耳障りの悪い統計や遺伝子、ガチャを無視することはできないからだ。

 合法的に社会に必要がない人間たちはやっぱり処分せざるおえない。

 

 この国はあまりに優しさが強すぎると思う。

 気持ちは分かるけども、BLはしたくない。同性の優しさを聴いても気持ちよくない。

 だから、弱者たちはいっそのこと邪魔だから、処分しようっていう行動がけっこう大事だと思う。

  

 この国は、あまりに幸福すぎる。

 ひきこもりの子にも発達障害の子にもテレビや世間は優しい。

 薬を渡してマジョリティーとしてもadoや月ノ美兎として発達系女はオモシロお姉さんとして社会に居場所を与えちゃっている。

 だけど、本当に問題を考えている人々、俗に言うテロリストはやっぱり認められない、あるいは、スルーしちゃう。成田悠輔も大西琢磨も。

 これが、スークルカーストを消せない今の日本のジレンマだ。

 

 確かに、表面的に優しい成田悠輔やひろゆき、外山恒一を置けば、一見するとスークルカーストは消えたように見える。

 だけど、彼らはしょせん文系的でただ口先だけで優しい、あるいは、社会をよくしたいと思い過ぎているから、かえって、社会は悪くなっているのだ。

 

 もちろん、彼らはボクみたいにサイコパス的に頭がいっていない一般人だから、こうなってしまっている。

 批評家のメンフェスくんが貯金をしまくっているが、その当たり前の最適化こそが階級固定社会を維持しているわけだから、メンフェスくんこそが既得権益に加担しているのだ。

 なんて、ボクより優秀なんだろう。ボクよりも優秀にも関わらず、その優秀さを超えられない背景。

 よって、この国はむしろ努力のしすぎであり、だからこそ、階級固定社会を壊そうとする態度そのものによって階級固定社会が固定されてしまっている

 こうなってくると、もう不謹慎しかない。

 当たり前の不謹慎しかない。

1,階級固定社会をよりもっと固定する耳障りの悪い極論で行動すること。

2,やっぱり自冊が大切で、幸福な国だからこそ絶望している若者たちが積極的に安楽4していく素晴らしいメディアを続けていること。

3,社会はいらない。大西琢磨が親子喧嘩をテーマにアウトサイド、文芸を展開している。でも、やっぱりそれはどうでもよくて、山上徹也も安倍晋三もどうでもいい。どっちも負けた側と勝った側の宗教にすぎない。宗教はあくまで道具にすぎないから、宗教の人々は積極的に淘汰するべきだ。

 言っておくが、これは極論であって、日本は優しすぎる。優秀すぎるのだ。

 だからこそ、退学が逆に差別化になるだとかYouTubeをあえてやるとかが、部分最適の局所が流行ってしまう。

1,やっぱり東大に合格して新興宗教は●ぬべきだ

2,就活にこぼれるような発達◯害の人々は冊処分するように相模原市障●者施設襲撃者の漫画家・植松の現象そのものは良くないが、マイケル・サンデル、生命倫理を考える際に役に立つだろう

3,社会はあくまで道具にすぎない。私大でいいし、私塾でいいですよと社会をもうちょっとコンパクトにデザイン化してゆく重要性

 以上の3点が本心じゃあないけども、この階級固定社会が出したボクなりの個性経済学的な結論だ。 

 特に2,3あたりはキモであり、より重要であり、まだ言葉の解像度が低いことはお断り願おう。

 詳しくは、後で解説してゆこうと思う。

〈追記〉 

 因みに、多摩美術大学の偉くなった友達に昔、バカって生きている意味がないことを2時間くらい中3のときに力説した。

 返ってきた言葉。

「そりゃそうだ」

【メディア批評】物々交換ができるART展をSFと物々交換してみる。〜大西琢磨と山上徹也はメガネと3Dプリンター銃をどう物々交換するか?〜

 いきなり不謹慎すぎる話題から始めたい。


 銀座の美術紫水『物々交換ができるアート展』が本当に面白かったものの、アーティストと客がお金ではなくそれ以外の何かで物々交換ができるアート展とは直接関係ない2人の天才のことをボクはずっと考えていた

(もっともこれはifのSF的メディアすぎる空想実験であることはお断りしたい)。

 2人の天才。


 それは天才藝大中退ARTIST大西琢磨と天才テロリスト/新興宗教2世・山上徹也である。
 

もっとも美術とテロは本来直接は関係がない。
 しかし、私の尊敬する批評家『宇野常寛』は繋がらないものと繋がらないものを繋げてみることで本質を浮き彫りにするのが、批評活動だと言っていた(CREATION)。

 
 あまりに美術紫水と直接関係がないがゆえに、大西琢磨と山上徹也の2人がボクの頭の片隅で物々交換をしているように感じてしまったのだ(もちろん戯言だ)。

 
 原因は、実は、同席した陽キャ哲学という哲学YouTuberがamebaという「メディア」に余りに出たがっているところ。

 
 また、出店していたあおいうにという藝大ARTISTが新興宗教2世を「メディア」における「テーマ」にしていることだ(この点であおいうにさんは琢磨と徹也の臨界点を緩やかに脱構築している)。


 失礼な話、♀、女性はそれでARTを限界まで止められるかもしれないが、右翼、自民党との♂だとそうでもない(これは性別蔑視や支持政党恣意性だけでもなく、悪い意味でテロリズムのテンポがある)。
 ARTの欲求が限界までいくと男性の暴力性が昇華できない可能性がある。
 冗談では、ない。

 
 大西琢磨は生活保護だったし藝大を中退したことを売りにしているにも関わらず(その過剰さが余りに怖い)、自民党や孫正義と近づき、「政治屋」としてTVタレントを目指している、この不確かさ(反権威と権威は実のところ何か同じかもしれない。もっともそれはアートではなく、メディアかもしれないが)。

 
 あおいうにの作品を見たときに、大西琢磨の限界とともに、限界が前提にある山上徹也の抑えられた暴力さを感じた。
 一方で、山上徹也は自民党の白蟻である安倍晋三を3Dプリンター銃で暗殺したことで著名な新興宗教2世である。
 あおいうには国立の人間だし新興宗教2世、かつ陽キャ哲学と話している内容を聴くと、シャッフルされるかの如し、大西琢磨と山上徹也の光と影が交差する不思議なトーン゙を感じたのだ。

 
 もっともあおいうには女性だし陽キャ哲学は本やYouTuberの人だ。しかし、2人の対話は、当にコンセプチュアルアートにおけるメディアの朧気さ、繊細さ、不確かさを楽しく談笑しているように感じられた。

 こう言うと、様々な小さなメディアや関係者たちに更に干されちゃうかもしれないが、

コンセプチュアルアート(社会アート)を本気でやる気のない人々が多すぎるように感じる(というよりも、コンセプチュアルアート、メディアアートは成立するか?コンセプチュアルはコンセプチュアルだしメディアはメディアか?)。
 もちろん大西琢磨の狂気は生活保護を自給し退学している敗者が勝者になる構図だし、その無敵の人さは山上徹也に重なる面がある。
 
 私が呆れているのは、以前から話している「政治屋とおとぼけ」であり、既にメディアは危機にまで来ているにも関わらず、まだ平成の平和ボケを流さないとTVたり得ない大衆たちの神経症的な病にある。

 

(大西琢磨の厄介さは、退学や生活保護を自ら商品にしながらも心がやぶさかではないところである)。


 私のもう1人尊敬する戦後批評家に私と喧嘩別れした◯浩●がいるが、彼を全否定する形で「メディア」アーティスト落合陽一が現れた。
 やっぱり落合陽一は大衆の病理と繋がっていて、自民党のプロパンガとアートを繋げすぎてしまったところにある。

 当たり前だが、メディアとアートは全く違う。しかし、今やYouTuber以降、資本主義以上にこのメディアというコミュニケーションが通貨のようにアートに良くも悪くも侵食する恒例はあるだろう


 余りに自傷に走るがゆえに自民党や利権の養分になる隘路を辿る大西琢磨と余りに爆発してしまった山上徹也。
 そして、あおいうにが藝大と新興宗教2世という記号を使いながら、amebaに出たい新興宗教2世の哲学YouTuberがARTと新興宗教2世をなぜかつなげて物々交換している。
 要するに、ここにトリックがある。
 だからこそ、ここに物々交換のトリックがある。

 物々交換によって、ドッペルゲンガーを可視化させるSF的トリック(嘘=実)がある

 要するに、ボクの話す話は余りに真実がゆえにメディアにとって嘘(戯言)なのだ。


 話は戻るが、物々交換ができるアート展は、金以外で物々交換をしなければならないというさながら人狼やカードゲームに近い遊び➫美の法律化を駆使することで、そのARTの本質を浮かび上がらせるという批評性が高いものになっていた。
 そこで思うのは、もしもだが(本当に!)、大西琢磨と山上徹也がお互いにメガネと3Dプリンター銃を物々交換するか?ということだ。
 もしあの場に「天才」大西琢磨がいて、「テロリスト」山上徹也が客として来れば、安倍晋三は死●なくて良かったかもしれない。いやいや、もしかすると、物々交換は失敗し大西琢●という天才は撃た●ることで天才としての負のステェグマの陰キャとして来世で陰キャの天才として出世できるかもしれない。

 もちろん私は大西琢磨を批判はしていないし、山上徹也そのものは否定的だし、山上がアーティストなぞ談じて思っていない(あくまでも資本主義を否定した先にある思考実験のゲームに山上徹也も参加するかもしれないからだ)。
 なぜならば、大西琢磨が過剰に天才を自称し、そしてその裏で生活保護や退学、様々な負の哲学を歴史する行為がかえって政治的、宗教的の隘路に彷徨っているように感じるからだ。
 山上徹也はARTには興味がないかもしれないが、きっと3 Dプリンター銃には興味がある。
 行き過ぎたメディアと資本主義は天才のメガネと鬼才の3Dプリンター銃を物々交換できるだろうか?
 これは筆者の妄想だし、戯言にすぎない。
 だが、ifとして思うのは、ameba「NEWS」(ネットNEWS風バラエティー番組/メディア)は病んでいるということ。
 そして、amebaNEWSが病んでいるとしたら、そこで批評家メンフィスくんのように冷笑してレトリックから乖離する態度が正しいのか?ということ

(大西琢磨も山上徹也も自分を見てがある。これがメディアだ。その時、我々は天才からテロリストから脳内として逃げれるか?)。
 もちろん大西琢磨も山上徹也もそっくりさん同士くだらないと断罪しても構わない。
 しかし、その2人は物々交換するか?という思考実験そのものは面白いし、実際にやってほしいと思うのだ。
 
 社会は存在しない。
 
 陰キャも存在しない。

 その当たり前の証明として。

 皮肉抜きに天才大西琢磨は留置場にいる山上徹也としてTVかYouTube、あるいは留置場、あるいは美術館で物々交換をしてほしい。

 この時きっとメディアとメディアは交差し、アートとは離れることだろう。

 もっともこれはビジネスとアートがきっても切り離せないように、ポリティックとアートも離せない地点にあるのかもしれないが。

 もっともメディアとアートの共通項があるとしたら、リアルタイムで実際に実験しないといけないところにある。

 ところで、最後に留保せざるおえないことは、とってつけたかのようで申し訳ないが、メディアとアートの違いである。

 一見共通項の多いメディアとアートの最大の違いとはメディアは能動性と能動性の奪い合いであり、そこでは「何者」かが問われている、アナタは陽キャか陰キャか、あるいは天才かテロリスト、白か黒しか極端な形、表層されない、良くも悪くも。

 幸いなことにアートの良くも悪くもなところは、アートは計れないところにある(綺麗事の美辞麗句かもしれないが)。

 もっともこのメディアとアートの関係性は更に様々な共通項と相違点を醸し出すだろう。

 物々交換ができることが問題であって、答えが描いてあるものでないからだ。

〈追記〉

 メディアの不思議さを()に入れてみたい。

 私はここでSNSやTV、バラエティ、報道といったメディアを物々交換できるアート展と比較して話している。

 昨今のアートにはメディアのどう見るか見られるかのゲームが付与されているという。

 その時に、この物々交換ができるアート展は、ifとしてのドッペルゲンガーを召喚してしまう可能性がある。 

 物々交換という行為で作品の本質を浮き彫りにするという点で日常が非日常と物々交換されている妄想を感じてしまったのだ(月ノ美兎にスパチャするような人間だ。申し訳ない)。

 ところで、余りにふざけすぎてしまって歯を食いしばったピエロのメガネが割れていた。

 そのメガネは山上徹也のものか?それとも…。

ifは面白い。

 

 

大学は必要?〜ごっこ遊びは平和な証拠。〜

 本当に必要な理由が分からない。

 歴史の蓄積として大学というカレッジが必要な理由は分かるのだけど、果たして本当に必要か?

 政治の場以外での機能性は感じない。

 もちろん海外の文献は助かるけども、それはあくまでも◯☓学問そのものに詳しくなるために叩き込んで丸暗記しているにすぎない。

 一体全体何がしたいのか?

 本は読む必要があるのか?

 過去は基本的に趣味で構わない。

 哲学もカントだよソクラテスだよはいらない。言っちゃあ悪いが、誰でも思いつくような話を言っているだけだったり、下手したら陰謀論すらある。

 ルサンチマンで言っているんでなくて、事実としていらない学問全体は切ればいいし、artぐらいしかやることがないんじゃあないかと感じてしまう(理系は基本的に最低限のパスをクリアしたら、なんでもいい)。

 

 あるいは、戦後に大体平和になっちゃったんじゃあないか?

 すやすやと寝ている他はない。

 

【確定】陽キャ哲学は池袋文学な理由【ルサンチマンコンプレックス埼玉。東京の闇】

 陽キャ哲学は確実に池袋文学であって、池袋版麻布競馬場である。

 その証拠に彼自身が真剣にamebaに出る気がないのに、ameba、ameba言ったり、社会に期待することだ。

 頭がある意味で良くないのと、現実を見たくないのがあると思うが、彼の特徴として大阪の関西人的なノリでとぼける

「え?!東京医科歯科大学?御徒町の大学かな?!」

「え?!武蔵野美術大学?!そんなにすごいの?!」

「オレは東京大学しか知らないわけよ!」

 明白な嘘であるし、ポジショントークで、こういうときに、おとぼける東京の被害者、東京カースト文学が逆に言えば、陽キャ哲学の純文学さとして高く評価できるルサンチマン文学である

(仮に本当に知らなかったとしたら、都合よい部分だけ記憶が欠如している)。

 差別部落文学の中上健次である。

 仮に哲学だとしても、カミュやサルトルと一緒で非常に文芸的でお涙頂戴だし、本人自身がプライドが高く、そこの共感を誘うために、amebaを良くも悪くも文芸的に鋭く批評して、パニクっておとぼける。

 大阪文学に匹敵する埼玉、池袋文学はルサンチマンを全開で肯定するところにある。

 怒りはないし、コンプレックスの塊であるリトル坂口章を批評する気はなく、敵にしたくないけれども、唯一言及せざるおえない点は、彼自身がamebaに出るほどの努力や資質に欠けているにも関わらず、世界を変えるためにamebaameba連呼したり、発狂するとわざと相手を攻撃しちゃう弱さにある。

 共感はできないが、これは共感を誘う。

©の天才

 おとぼけのプロとして頭の悪いふりが得意。

 何があっても、基本的に自分の非は認めない。 

 これだけがめつく大阪の漫才師に匹敵する東京のカースト文学者はいないだろう。

「古田くんもそうなわけよ!」

 ほら、話を反らしてきた。アナタの弟や神埼はどうなの?

 彼はamebaが生んだ強者男性を演じざるおえない天才的文学者だ。文字が読める毛並みの良い坂口章。

 アウトサイダーだ。

「あ!オレは天才文学者だったわけね」

 あ、開き直った。

 うん、そうだ、そうやって都合よく恣意的に生きれば楽しいぞ。

 彼は社会の被害者である。 

 社会を愛しているがゆえに、社会に裁かれている。 

 もちろんこれは高く評価しており、一貫して私は彼がamebaに出ることを望んでいるし、応援しているつもりだ。

 しかし、彼の周りと彼のグズグズした話が、1つのおとぼけ漫才にしか見えず、変な方向へ努力しているように思える。確信犯にamebaに頑なに出ない努力を本人がして、暴れる、実のところamebaをダシにした大喜利漫才をして鋭く批評している。

 彼らはamebaが好きなのだ。

 氷河期からゆとりのノリ、サブカル、文学、文化がたまらなく好きなのだ。

 しかし、それは愛であって、論理ではない。

 陽キャ哲学は屁理屈文学だけど、本人は確信犯でおとぼけるため、ルサンチマンやプライドの高さは織り込み済みだ。

「古田くんも!」

 ほら、きた。話を反らしてきた。

 おじさんは譲れない。

 東京のカーストの美しさがここにあるし、是非実存主義の悲劇としてamebaに陽キャ哲学は出てほしい、皮肉ぬきに。

「陽キャでハッピーなわけよ!」

哲学ー。 

〈追記〉

 彼はYouTuberよりもTV、本、権威主義者だ。

 彼にはYouTuberやZ世代が分からないし、女性や若者、弱者に譲れない、だって自分の利権だし、認知不協和に陥る。

 格は落ちるが、反文学YouTuberに戻れば、女性たちにも道を譲れるだろう。

 怒りはないが、陽キャ哲学の麻布競馬場は文学として高く評価せざるおえない。

 むしろ陽キャ哲学自身こそがamebaという虚構を鋭く批評しているのだ。

「えぇ?!amebaってそんなくだらないメディアだったの〜?!」

 夏の風が吹いている。

〈追記〉

 ネオ幕府の相川さんの借金まみれもロックである。

 ロックとして高く評価せざるおえない。

 たとえ社会を一切変えなかったとしても。

WordPress.com で次のようなサイトをデザイン
始めてみよう