年齢としてのもとこさんに遂に責任というものが発生している
古田「我々で性交経済2をやろうぜ」
もとこ「はい」
古田「厳しいことをぶっこむけど、もとこさんとオレは対立していると思う。イデオロギーが実のところ」
もとこ「ははは。よく分からないけど、今みんなが大変なことになっているよね」
古田「それについて説明したくて、もとこ先生が頭が良いって批評をするってことは批判するってことがある。ようするに今は学問的に面白いことが起きているわけ」
もとこ「学問?」
古田「能動経済2の時代になってきた。1と2の違いに適する話を今日は力説してゆきたいなと思う。確かに能動経済1時代のもとこさんはシラケていておバカだった。バカキャラっていうか、初田龍胡的想像力におけるもとこさんは確かにおバカだった。論理性が確かに低かった。しかし、2からはそうではない。もとこさんの能動経済のアクチュアリ性が増していて、で、年齢としてのもとこさんに遂に責任というものが発生している」
もとこ「1の頃はまだ単なるFPだった」
古田「ようは1は岡田斗司夫の評価経済を実践してみましただったよね。あの頃は成田悠輔や初田龍胡的な学問への信頼というか依存がYouTubeブーム時にはあった。しかし、改めて読み直したけど、今YouTubeブームが終わった今にこそ読むといかに難しいことをアクチュアリに実践していた本なのか?ってことがすごく分かるようにこの能動経済は読み替えることができる。
今回はいつもはシンギュラティを教えていて、しかし、今回は2。
実はシンギュラティ講義の2、応用編でハッキリと言うけど、ほとんどの人はシンギュラティ講義を受けていないから、2はすごく難しい。
もとこさんとオレの性交経済を読んでいる前提で今回の話を聴いてほしい」
もとこ「探せば文字起こし元の動画は一部は残っているよね」
古田「簡単に言うと、シンギュラティがヤバいのは遂に2025年から本当にAIが人間一人の知能指数を超える技術的特異点が起きるらしい。Googleのカーツワイルや落合陽一がそう言っている。
で、今回の対談シリーズがヤバいのはあの頃の対談時はまだシンギュラティが起きるよねだったのに対し、今回はマジでシンギュラティが起きちゃうよっていう現実の話。
じゃあ1の復習をするけど、マジでシンギュラティが起きます。
昨日会った太田さんがシンギュラティまだ起きていないじゃんって悲しいんでいたけど、少し違う。
ガチでシンギュラティが起きるのが、2025年らしい。
逆に言うと、遂にシンギュラティの総括もできるということ。
落合陽一やGoogleここが良かったよね、ここが悪かったよね、つまり、100%落合陽一が批評=批判される年が来年なんだ。
逆に言うと、来年からは余りにAIが進んだりAI関係者の嘘が可視化されやすくなるから、落合陽一はあくまでも政治学者や文芸評論家にすぎないことがバレる。
つまり、政治経済的な立場からAIを操れた話も可視化されてゆく。良くも悪くも。
私の過去に書いたAIをAIするAIは世界最難関の数学abc予想などを駆使しながら、数学政治、理系界隈で政治をする昨今の批評家たちを全員切る内容になっている。成田も初田も嘘を言っている。
望月新一のすごい数学を使うことによって、いかに数学を悪用した男根のホモソ政治だったかを可視化させる内容だ。
まあここは難しいから、省くわ。
ぶっちゃけ、もとこさんは更に違う方向で活躍をお願いしたい。つまり、ようは来年における2025年問題という実践の年においてどうマイノリティ・ポリティクスやLGBTたちをDX化してゆくか?っていうことがある。
だから、今日はもっとシンギュラティの実践を話してゆこうと思う。
落合陽一の嘘と本当が可視化されるこの年はめちゃくちゃ面白い。
今回のテーマは1よりも悲観的でアカデミック的で応用的な話になる。
前回は楽観的にシンギュラティをオレがもとこさんへ教えていく講座だったけど、今回はむしろ真逆に過去の戦後史をどうやってDX的に読み替えるか?っていうテーマにスライドしているから、年長者であるもとこさんの方が偉いのかもしれない。
もっともAIの限界も可視化されてゆくだろう」
シンギュラティ、視聴者とのズレ、世間とのズレがどんどんと上がっている気がする
もとこ「だけど、シンギュラティ、視聴者とのズレ、世間とのズレがどんどんと上がっている気がする。あの隠蔽されているの?」
古田「隠蔽されているってこと?」
もとこ「世間ではね、そもそも産業革命というワードすらも出てきていない。なんか、なんかね、ここまでは常識としては一番下の線としては全然違う気がする。
警察官に配信者が職質されていて、大喧嘩していて、警察官は配信が勘に触るらしい。
大川宏洋の件に関しても。ホリエモンはYouTuberの大量弾圧って言っていたけど、世間のYouTuberへの風当たりが強くなっている気がする。厳しい」
古田「それはだから、明らかにぱくもとさんがおかしくなっていることだよね」
もとこ「うん。稲葉くんがなんかさ、メンタルやられているのは、結局、彼がYouTubeをやらさられているからじゃ」
古田「ああ、そのタームでいくんだ。じゃあ早速シン・性交経済2が始まるのだけど、シンギュラティの時代において一番大事な学問って何だと思う?
理系ではない!数学ではない!AIですらない!
これです」
古田、社会学のまなざしをもとこへ見せる
もとこ「社会学」
古田「社会学を勉強しないと死にます」
もとこ「うん」
古田「昔、技術的特異点で書いた内容を今回から分かりやすくかみ砕く必要がでてきた。
社会学者の宮台真司をちゃんと読まないと死ぬ時代がきている。
え?ってことで、なんで刺されて不倫して大学を首になった宮台をそして古田さんの敵のような本をどうしてあえて今読まないといけないのか?っていうことが起きている。
あえて褒める理由を宮台真司アンチYouTuberメンフェスが疑問に思うと思う。
古田さんがあえて社会学をあえて褒める理由は実はある。
むしろシンギュラティはAIが人間の知能指数を超えるってことだけど…、人間は耐えきれないわけよ、AIが人間を超えてしまった真実に。それは当たり前じゃん。
人間の実存やメンタルはこの真実にやられちゃう」
もとこ「メンタルね」
社会学はそもそも急激な近代化で人々がつながりや絆を失ってしまった前提の上でどう社会を模索するか?っていう学問
古田「だから、社会学を徹底するしかない。ちゃんと人間にとってのAIにギリギリ淘汰されない学問=政治化された社会学をあえて勉強することこそが大事。
宗教的に社会が存在するって妄信したり暴れるんじゃあなくて!
失敗学よ。社会が存在しなかった背景を逐一勉強するしかないんだ!っていう方向へスライドしている。
どうして宮台真司はメンヘラまみれの社会をある意味で作ったのか?どうして社会学というプロジェクトは失敗し社会は存在しないような空洞化を生んでしまったのか?を改めて失敗学として社会学を批評する=リサイクルする必要性が起きている。
だから、共同体は存在しないんだけど、ベタにはしご外し、学歴YouTuberが頭良い?うるせーよ、適応不全のメンヘラが、匿名が頭良い?黙れ田吾作がって冷笑を冷笑し返すベタこそが大事なんだっていう時代になってきた。
もとこさんを女性だから年上だからと冷笑している場合ではないんだよ。
ベタに学問をする、失敗学として学問をメタることが大事なことになってくる。
しかし、もとこさんには簡単な話。
ぶっちゃけシンギュラティと社会学どっちの方が簡単ですか?って言ったらもとこさんの年代だと大学や出版がまだギリギリ生きている時代だから、社会学の方が簡単だよ。今回からは社会学の復習になるだけ。もとこさんみたいに80年代のニューアカや90年代の社会学ブームの薫陶を受けている保守主義者のもとこさんならこの話は非常にオーソドックスで退屈する話かもしれない。
だけど、今の適応不全で苦しむメタバースを生きるゆとりやZ世代には非常に刺激的な話になるでしょう。
もとこさんに後輩として社会学を高説し、審査して古田更一批評をしてもらうっていうのが、今回のメインテーマである。
まず、ここは基礎すぎて、もとこさんなら最低限できていて、ゆとり&Z世代の屑どもは余りできていない当たり前の社会学の基礎だけど、マルクスを読もうね、マックスウェバーを読もうね、コンドルを読もうねっていうまあ当たり前の話があるよね。
まあここはゆとり&Z世代はできてください。
で、ここからはもとこさん向けの話になってくる。
そもそも社会学って学問をちゃんと勉強しているヤツがいるのか?っていう話がある。いない。
メディアに出ている批評家としての宮台真司はあくまでも社会学者としての実力は意外と貧相である面もある。
実はオレは武蔵野美術大学で英米系の社会学者の先生から勉強を受けて気づいたことがある。
社会学には根本がある。
なんとかコントが言っているんだけど、19世紀あたりにできた新しい学問が社会学だ。もとこさんが大好きな産業革命時代には自動車などが台頭した。システムが余りに凄すぎちゃって社会に穴が空いてきた。
現代だったら、システム、マクドナルドやコンビニ、郊外化によって社会と社会がシステム効率によって分断されていき、共同体に底が空いた状態になる。
人と人の関係性が分断されてしまうんだっていうのが社会学の始まりだ。
ようは、そもそも社会学はそもそも急激な近代化で人々がつながりや絆を失ってしまった前提の上でどう社会を模索するか?っていう学問なんだよ」
もとこ「社会は産業やtechnologyによって変わる」
古田「その通り」
もとこ「歴史やインフラから考えると分かりやすい。水道やガス、電波とか井戸みたいなさ、水道が井戸の時代には成り立たない。核家族っていうのは、小さい家族は各家族にインフラがないと成立しない。近代になると、一家に一台に急速に変わっていった。スマホっていうのは、インフラの余りの変化。先生もいらないんだみたいな」
古田「小幡正敏の本を改めて読み返したけど、さざえさんやドラえもんによる家族変動の話も近代化の典型的な話で能動経済にでてくるよね」
もとこ「うん」
古田「ちびまるこちゃんとかね」
もとこ「うん」
古田「でも、ゆとり世代から恐ろしいことが起きている。SPY・FAMILY。ゆとり世代のオタクが家族を作ろうと思ったら、存在もしないような金髪のイケメンと自分は陰キャだけどカワイイヨルさん、養子のアーニャっていう家族の危機を表していて社会が存在しないことを可視化している作品である。
で、二個の問題が更に面白い。あまみしゃけ批評しようか。詳しくは訂正不可能性の文学で書いたけど、彼女のことは前から批判していて、今日は昨年にどうしてあまみしゃけをオレは批判したのか?ってことをもう少し分かりやすく説明できると思う。
あまみしゃけは思想的には敵だと思っていて、もっとも世代論に回収すれば仲間だけどね、で、社会学批評のタームを使いあまみしゃけを斬ることで彼女がドールか否かの故古田更一流の答えを出せる。
あまみしゃけはコギャルです。
90年代に宮台真司は終わりなき日常を生きよっていう本を書いた」
もとこ「私はその世代だから大好きなワードね」
古田「あの本ではこういうことを宮台は言っている。社会には底が空いたわけよ。急激な流動性の高い戦後社会には。社会には底が空いてしまった。みんなが一人一人コンビニへ行き、共同体や団地、商店街を無視して孤独へなった。なんでオウム真理教が生れたのか。主婦と夫にも分断に亀裂がシステム依存によって起きてしまったと。そういう時代には終わりなき日常を生きろって言った。
で、最も終わりなき日常を生きている人は誰ですか?っていうことに宮台はこう言った。
コギャル。
テレクラや売春」
もとこ「そうそうそう」
古田「自分なんて分からない。どうせ入れ替え可能だ。だとしたら、シラケるしかないっていう含みがある。そこで浜崎あゆみとかは白あゆや黒あゆと全身をサイボーグ化
してゆく。
このニヒリズムを超越するためにあえてシラケる。
それが現代のSNSブームのシラケた屑どもだよ。最も彼ら彼女らゆとりも特にZ世代も被害者だがね。
ぱくもとさんの限界はあまみしゃけには否定的なんだけど、自分の弟や友達には否定的ではない余りそこから分析しないのが彼の狡さなんだけど、
なぜならば、ここであまみしゃけを訂正不可能性の文学w的にあえて褒めようか。
あまみしゃけはニヒリズムを更に冷笑する、みんながコギャル的にSNSで振る舞う遅れてきた80年代リバイバルを楽しむときに、更に彼女はまん〇という言葉を極限まで冷笑し尽くすことで、90年代的な80年代批評=批判まで社会学的実践を行っているところに彼女のシニシズムの教養性がある。
もっともコギャルは若い頃しか通じない。
宮台真司が久々に10年後にコギャルに会ったら皆メンヘラになっていたらしい」
もとこ「そうね」
古田「そこをオタク評論家の大塚英志に批判されてしまった。しかし、ここで宮台真司をあえてここは大塚よりは上だと読み替えたい。
ぱくもと=陰キャのゆとり世代のオタク論客は果たして正しいのか?
むしろコギャルをメタレベルほど俯瞰しているシニシズムはウェットに富んでいる女性なんじゃあないのか?っていうあまみしゃけの二重性をぱくもとは同族嫌悪なのか読み飛ばしている。まあ難しいね」
もとこ「難しいよ。私は終わりなき日常は団塊ジュニアが大好きな言葉で、うるせーヤツラ2のビューティフルドリマーにおける終わりなき日常」
古田「いつまでたっても文化祭は終わらない」
うちらの世代は戦争が起きてほしいと終わりなき日常を終わらすために私たちの世代はオウムを始めた
もとこ「そう。それが辛くて。うちらの世代は戦争が起きてほしいと終わりなき日常を終わらすために私たちの世代はオウムを始めた。で、私たちの世代は宮台さんが刺されたことはショックで、本当に終わりなき日常が終わってしまったんだっていう、日常が文化祭が、やっぱりコロナは第三次世界大戦なのか?それともこのメタバースは終わりなき日常なのか?ハルマゲドンは起きているのか?起こせ!って言うのは、村上龍で戦争をやろうぜってそっちの方が幸せなんだっていう、終わりなき日常が続いて生殺しなら戦争をしようぜって、でも、それはおっかないからアンビバレンツな気持ちなのよ」
古田「だから、宮台真司が刺されて社会が存在しない時代になって」
もとこ「そうなのよ」
古田「社会学は死んだのよ(→社会学批評)。もとこさんの世代は社会学を引きずっている世代でオレの所属しているZ世代は社会学を脱構築して抜けた最初の世代なんだよ。だから構築するものがないんだから、彼ら彼女らは良くも悪くもシニカルなんだろうね、自分事であるのだけど」
もとこ「大塚英志さんは好きで、彼は社会学的なものを無責任だと批判していたのは分かる」
古田「なるほどね。そうやってきたのね。じゃあここでぱくもとさんを完全に論破しようか、いや褒め殺し。ぱくもとさんの限界、なぜ超 陽キャ哲学を読んでも陽キャになれないのか?っていう問題を明晰に言語化しようか。あまみしゃけとか太田龍一、稲葉とか初田、もとこさんあらゆる人々があれを批判しているのだけど…」
もとこ「私は批判していないよ」
古田「皆絶妙に外していて、今日は本気であれを論破しようと思う。これは本当に面白い。今日は復活。もとこ論壇。
大塚英志です。
稲葉くんがおかしくなったか簡単で、戦後民主主義をちゃんとやろうよって稲葉くんに正論を言っているだけ。ようするに、大塚は近代民主主義者だけど、オタクじゃん。そのアイロニーがある。この構造とぱくもとの超 陽キャ哲学は構造が一緒。ぱくもとさんは鋭いのだけど、マジで陰キャそのものなんだよ。オタクの苦しい苦しいっていう卑屈なオッサンがあああああああって泣いていて、騒いでいるときに、近代民主主義の勉強をすることによって自分は変われたんだっていう論法を大塚は話している。で、ぱくもとの限界は大塚の限界だ。もっとも大塚は頭は良いよ」
もとこ「面白いよね」
古田「うん。面白い。しかしだよ、戦後民主主義をベタにやればいいんだっていう構造こそ無理な冷笑そのものではないか?人々はそんな戦後民主主義をやろうぜなんていうお題目でこの社会の流動性、戦後のニヒリズムを耐えきれるのか?って宮台真司は当時に大塚と対立した。そこに大塚はマトモに答えていない」
もとこ「そうなのよね」
古田「ようするに、大塚は理屈しか言っていない。9条を信じればいいっていう…。もっともぱくもとは新しいし新しいがゆえに欠落している部分、大塚から後退している部分は当然ある。
で、中森明夫と大塚には落差がある。
オタクやオウム真理教に対して戦後民主主義や教養主義で対抗しようぜっていう一見聞こえはいいけれど、政治的正しさをただ振り回しているだけのくだらなさはある。
メンヘラの子たちに共感がある。それで、9条を陽キャの勉強をしましょうっていう話になる。もちろん大塚もぱくもともオタクやメンへラに共感はしているだろう。しかし、そこで言葉の自動機械だけで弱者たちに言葉の美辞麗句の©を注入することに果たして意味はあるのだろうか?
勉強して治るという良くも悪くも人間への視座、二重性の問題、含みが大塚やぱくもとには存在しないんだ。
だってぱくもとさん自体が暗にオレは卑屈な陰キャだったと認めているクリシェがある。
彼は言語のセカイ、言語ゲーム、論理パズルのお化粧、段階を踏むことでMANUAL的に陰キャを後天的に陽キャに変えたという自己開発セミナーの匂いを醸し出している。仏教でいう所の大乗仏教的である。
では、本質的に彼は陽キャなのだろうか?っていう疑問符のクエスチョンがここで展開されていく。
後天的に開発された陽キャとは果たして本当に陽キャか?
もっとも、これは宗教ではない。
あの本は非常に理屈が理になっていて確かに理屈としては非常に納得できるんだけど、体験値や経験値としての陽キャという視座や目線、人生が非常に欠落している本なんだ」
もとこ「大塚英志が袋小路になっている理由は、朝日新聞という価値観から抜け出さないとダメじゃあないか。だって、戦後民主主義の矛盾って安保なのよ。アメリカとの関係。そこからそこに原因みたいなのを安保をどうするの?っていう問題になる。村上龍は破壊しろってことなのよ」
古田「そうね」
もとこ「でも、戦争は良くないよ」
古田「まあ初田のPPP-戦争論は嘘だからね。今後は戦争は起きない。起きても内紛だ。もっとも断定はできないが、なぜなら今回仮に戦争があるのなら、それはAIとの戦争だから、人間同士ではないし、あっても機械の代理にすぎない」
もとこ「そうなのよ!いや、だからそんな話できる状態じゃあない。今YouTuber弾圧が流行っていて、産業革命は不可欠。農業も工業革命ももう始まったらやめようとはできない」
古田「能動経済(technologyが思想になる)」
もとこ「そう。歴史を見ても、ヤバイものを作ったと広島&長崎に落としても、もう止まらない。AIやシンギュラティもこれは人間の知能指数を超えてやめようはできない。考えないといけないのは、本当に怖いと思っていて、人間の上にAIがくるってことは、恐竜→人間でその次にAIがくるって話じゃん」
古田「ただもとこさんの話に補足させてください。オレたちにとっては今回の戦争は楽なこともあって、大衆は大変だけど、第二次までは肉体戦争。車=肉体による戦争なんだ。だって、ラジオの発明とヒットラーの演説はリンクされている」
もとこ「そうね」
古田「じゃあ車は戦車になる。肉体を失う戦争はまあ例えばなんでしょうね…、あくまでも戦車や車輪といったtechnologyの物理的な進化によって起きている。逆に言うと、今回の戦争はAIが兵器になるし、SNSが兵器になるのだ。
でも、これは肉体を失うことよりもよりもっと恐ろしいことかもしれない。
モラル・ハザードやエチカ・ハザード、ブレイン・ハザード、脳による可処分時間の奪い合い、そして洗脳戦争の始まりだったと記述してもいいかもしれない。
つまり、AIは軍事利用は大前提。
で、このAIやSNSの危険的な利用について鋭く分析したのが初田龍胡くんだからみんな明日のコミティアには来てね。あ、3Dプリンター銃を持って初田くんを撃ちに来ないでね」
プラットフォーマーが一番勝っている
もとこ「PPP-戦争論で面白いのは傍観者が勝つっていう話はPPP-戦争論にある。ロシアvsウクライナで勝っているのはSNSじゃん。撮影者が勝つ。戦争した当事者は負けで、戦争の勝者はマスコミ。で、プラットフォーマーが一番勝っている」
古田「うん」
もとこ「その分析は納得したんだけど、しかし、古田くんの分析は思想じゃあないんだっていう観点から考えちゃうと、あまみしゃけさんこそ一番思想家なのかもしれないって思うけどね」
古田「あまみしゃけはコギャルを批評=冷笑しているよね。明らかに。メタのメタ」
もとこ「あゆ、安室奈美恵は女性の代弁者で、もろその世代だけど、まあ、バブルの頃の女性は自信に満ちていた。ドールをやめて、女性は自己主張しようだったけど、経済的に無理になった。ドールがキツイ女性もいる。結婚したらドールになるんだけど、それでメンヘラになっちゃうがあゆの話。私もリストカットしていたけど…」
古田「今こそ宮台真司『終わりなき日常を生きろ』を彼の政治的問題さはあるけども、あえて読んで欲しいよね。倫理あった上で」
もとこ「教養よね。日本人はどういう苦しみを抱えているか、無敵の人は40代に多いけど、アレは文化祭が終わらないのよね。ある意味で楽しいけど、自分は殺されている」
古田「じゃあミズサー&ネオ幕府を批評しようか。
昨日、元電通のQちゃんに会って酒呑んだけど、彼やゆとり、Z世代の糞さには本当に怒りが湧くね。
まあ社会学批評的に説明させてください。
オレの元カノがミズサー関係者だけど、Sは問題で、彼女はねこじるが好きなんだ」
もとこ「なにそれ?」
生きていても死んでいても別に意味なんかないんじゃあないかっていうセカイ観
古田「ガロの有名な漫画で、あの作品を貫くのは、生きていても死んでいても別に意味なんかないんじゃあないかっていうセカイ観が貫徹されている。90年代のガロで」
もとこ「あったね」
古田「サブカルでメンへラ系なんだけど、太田光あたりに取り上げられるぐらい大衆受けする猫の可愛さを持つ両義性→屈託した社会性があった。
しかし、そのねこじるは最後首を吊ったかで自殺してしまうんだ。
その漫画をSは好きでさ、その漫画ではインド旅行紀がある。
そこでインドの麻薬を吸って生きていて死んでいてもどうでもいい、実りなんかないんだっていうことが記述されている。
人を殺してもいいんじゃあないかっていうヤバイような描写も書かれている。
だって、生きていることにも根拠はないし、死ぬことにも当然、根拠なんかない、そんだったら、人を殺めていいし死んでいいんだみたいな社会に底が空いた情景が描かれている。
もっともそこでメンヘラだと言い切っていいんだけど、それでは社会的に大衆受けできたねこじるという含みの問題を疎外している。
再帰性近代を生きる女の子たちは社会の流動性に耐えきれない。入れ替え可能。どうせ自分なんか自己としての累積がないという発想が、つまり、ひろゆきは良くない。
彼女は早慶レベルで情報処理はずっとボクよりは高かったことは認めよう。
しかし、彼女もそうだけど、学歴YouTuberも昨今のお受験ママたちもそこを誤読しているのだけど、社会の流動性には耐えきれない人材を生んでしまう。
論理がすごくても、じゃあその論理をどうするの?!っていう社会をつぶさに見てエートス、行為態度を一つ一つ冷静に考えることができなくて、不安ベースになってしまう。ひろゆきを徹底すると、ニヒリズムになる。
あまみしゃけ批判するけど、陽キャ=コギャル批評をするっていう情報処理だけではその系からは抜け出せない。それはあくまでも社会学批評止まりである。
まあそれはすごいことだけど、そこに今はシンギュラティやAI、technologyの問題が微分的に累積されているんだ。
ミズサーは許せない。
オレは茂木に口伝で怒られて、古田にSNSで攻撃されたと言っている。いまだにその理屈で冷笑的に逃げる怯え、屑さに論理性の低さもだし、ひろゆき的な態度はやめてほしい。水子をたくさん集めて、悪化している状況を再生産しているのはオマエやろがと。よく言うぜとボクは酒を呑みながら、茂木の屑さに怒っていた。
証拠ないじゃんとか茂木は言うと思うよ。カルチャーのクセに。
オレが超越的な言語を超えた含みのある文芸を話すと、茂木だけじゃあないよ、最近のSNS中毒の屑どもは古田こそ適応過剰だと弄ったり冷笑してくるんだ。冗談じゃあないと言いたくなる。
茂木は確かにバカではない。論理性は高いよ。完全に悪いヤツじゃあない。プラットフォーマーだとオレに言い返してきた。
だけど、そこに彼に非常な狡猾さがめちゃんこあるよね。
ミズサーのメンヘラの集まりはこう総括できる。
ミズサーが余りにバカだからじゃあないんだよ。
彼らが余りに理屈として頭が良すぎることに彼らのカルチャーへの視座の欠落という…で彼らはメンヘラになっているんだ。ひろゆき&成田的な屑が多いから。
もとこさんが論理性が低いのは当たり前じゃん」
もとこ「うん」
古田「じゃあなんで論理性の低い人間がいるのだ!?っていう文学への視点が彼らこそ非常に欠けています。これは優しさではない。行間を読みぬく一つの態度→エートスだ。
彼らは適応不全、不安神経症的だよね。
そもそもカルチャーは特にサブカルは論理を超えた横の広がりのセカイを扱うわけだから。
茂木は頭は良いんだけど、欠落しているね。
彼は記号式でしか物事の視座を見れない。オレもあえて論理を腐すという意味でゲーム理論は使うけど、あえてがないんだよ、彼には。
彼には全てを論理記号式で説明できるんだっていう文化やカルチャーへの視座が低い。
余りに定量的な思考で文化を見ることの危険性があそこにはあるんだよ。
ミズサーはあくまで文化の場所だ。
プラットフォーマーであってボクは入れ替え可能な人間だっていう態度そのものがメンヘラを抱えて自分で問題を作って他責にしてぶーたれる屑さが露呈していた。
ボクはそんな屑には協力はできないし、確信犯だね、メンヘラをヤツラが生んでいるのは」
もとこ「分かったよ!最近の問題が!」
古田「ぱくもとは年上だし茂木は業界人wで上から目線なんだから、自分で作ったメンヘラ的外傷は自分で処理しろよボケがと言いたい。まあぱくもとの方が数段茂木なんかよりは良心的で賢い=がゆえに厄介とも言えるけどね。茂木は単に動きが小物すぎる。単純に女性や子供を食い物にするヤツラの屑さには反吐がでるね。まあぱくもとやQちゃんは葛藤している分色々とめんどくさいけどね」
もとこ「だから、陽キャ哲学さんが分かりやすいけど、Amazon出版から出している、既存のものを否定しているのは偉いんだけど、彼の語り口はすごい古臭くて、非常にミズサー的」
古田「そうね」
もとこ「でも、いる場所はインターネットだから、バー三代目、ヒロシ、ヒロシとエデン、ミズサーの距離感や関係性を私たちはもう少しちゃんと整理しないといけないと思う」
古田「ぱくもとさんは悪い人じゃあない。ただし彼は資本主義を前提にしてどう生きるか?経済合理性の中でしか機能しないタームを話している。超 陽キャ哲学って結局、マッチポンプ、ビジネスの枠を出ていないから、自分のビジネスを超えた領分は働かないよっていうひろゆき的なところがある。ビジネスでは助ける、助けない、ビジネスの倫理とエチケットという凡庸さは哲学ではない。だとしたら、ボクはビジネスだから!と聴いてもないのに大声を叫ぶ勢いの初田龍胡の余りの屑さの演劇性自体、確信犯の屑さの異常性の方こそマシということもある。初田龍胡の偉さはぱくもと&茂木と違って、ボクはビジネスにすぎないとハッキリと言えるところに彼の凄さはある。メンフェスくんもビジネスの枠を超えた話を余りしないから、限界がある。まあ初田龍胡を褒めたくないんだけど、馬鹿馬鹿しい。もとこさんと一緒で褒めるというよりも初田現象として」
もとこ「うん。議論としている場所はインターネットなのに、インターネットがないような議論を彼らは展開するのよね」
古田「東京なのよ!あの人たちw」
もとこ「うん。うちらの議論をしている場所はネットでしょう。インターネットを含めた思想を語らないといけない。えらてんさんもできていないと思う。相変わらず令和の虎をやっちゃうのが…」
古田「でもさ、えらてんは演技、あえてでしょ」
もとこ「そうそう」
古田「ぱくもとさんも初田&えらてん的なあえてまで昇華してほしい。もっともあえて、ネタがベタになるのは問題だけど。拝金主義の構造の問題を」
もとこ「ようするに右派左派の対立構造を煽って儲かるのは、プラットフォーマー、イーロンマスクでしょう」
古田「彼らはプラットフォーマーになりたいbot。コップの中の船の大群だ。ホモソ・ドール」
もとこ「そうよね」
古田「官僚たちがプラットフォーマーを目指している」
もとこ「もうプラットフォーマーは供給過剰」
古田「屑が多すぎる」
もとこ「だから、新しい経済を考えないとならない。プロ奢、評価経済、違うところで稼ぐことを選ばないとまずいよっていう」
古田「能動経済は評価経済批評=実践だよね」
みんなブラック企業で壊れちゃう。私も壊れちゃう。それで精神病院行って生活保護っていう限界はきている。
もとこ「みんなブラック企業で壊れちゃう。私も壊れちゃう。それで精神病院行って生活保護っていう限界はきている。それは昔の産業構造を繰り返しているっていうもう無理ゲーだよ」
古田「ああ…」
もとこ「私のように実践してくれる人々が中々いない」
古田「受験勉強ブームのノリがZ世代は強すぎる。英文解釈の勉強が足りない。オレは昔海外企業に勤めていた時に英語を読むとスッキリとするんだよね、論理性が日本語より高いから、でも、数学こそ暗記だし、記号式で、人間として文字の論理性を培う力が下がってしまうよね。後、大学は結局、翻訳とかやん、だから、社会学的な学際的なものは残ると思っている、AIが人間の知能指数を超えようと」
もとこ「私もしんどいフェーズに入っていて、能動経済と2でどんどん頭がよくなっている。どんどんインターネットのシンギュラティで脳味噌が進化しているけど、疲れるよね、今日もずっと寝ていて、今日は掃除してうたた寝していて」
古田「そこで社会学ですよ。AIが人間の知能指数を超える時代にベーシックに残る学問は社会学だから保守主義的に人間力をあえて今こそ培う処方箋はある。
でも、もとこさんは復習でいいんだよ。アナタの世代はその全盛期だったのだから。
これで、普遍的になった戦後日本のアクチュアリは分かります。
だけど、ゆとり&Z世代は単に勉強のしなさすぎ。あんまし公式見解にはできないけど、余りに脱社会的な存在は駆除の方向でいいんだっていう気は正直ある。受験勉強で逃げているんじゃあねーよ、この田吾作どもがってこと」
もとこ「私も今の若者に言いたいことがある。東京に来て本屋が本当に少なくなって、何これっていう浦島太郎だよ、徳島にいたけど、徳島の本屋の方があったよ」
古田「オレの行っていた渋谷のジュンク堂も潰れた」
もとこ「本屋ってどうするの?っていう」
古田「ただこれはAI化された社会の方がこれから重要なんだな。で、もとこさん、思い出して、思い出して。もとこさんは老害で、本屋潰れた方がいいんですよ、だって、本はこれになるんだから」
古田がAmazon自費出版『能動経済』を見せる
もとこ「ははは」
古田「で、これで悪だくみしようとして結局無理だったってノスタルジーで昔の東京や本屋の伝統を感傷マゾするのが初田くんのだるい文学ね。是非、皆さん、初田のコミティア=権威主義へ」
もとこ「BOOKOFFも減っているよね」
古田「うん」
もとこ「その私、今度書きたいのは、エロ本論ね。エロ本がフックになって様々なことをするノリが昔はあったのよ」
古田「そうね、エロ本はエロじゃあなくて、文化だし、その時代の風物を表している。メンへラ治るんだよね、そういうコンテキストの含みを理解するとさ」
もとこ「そう。男性は目で楽しむんだけど、満足できるんだけど、女性はメで楽しむことがない。エロはインフラとかファクターとつながっていて、テレビの需要はエロとつながっている」
古田「マルクス&ウェバー&コンドルは当たり前。社会学の基礎の基を話そうか。下部構造、プロティスタント、分業化。経済が政治を規定、メンヘラが金持ちになる、システム化により孤立化する。まあ些末な所はどうでもいい。これぐらいは1冊ぐらいはちゃんと読んでください、教養だね」
もとこ「うん」
古田「まあそこも能動経済に大体出てくるから、テキトーでいい」
もとこ「そうね」
古田「まあ社会学の批判があるとしたら、これはあの宮台真司の限界なんだけど、オレの先生である小幡さんも社会学のまなざしでとってつけたかのように社会学のまなざしでLGBT論を展開している。ただそのLGBTは言葉の自動機械的で、言葉の定義世界におけるマイノリティ・ポリティクスの話をしていて、弱者ともある種言えないような考現学的な実証学、FPもとこさん的な実存や学歴YouTuber、ヒキオ、闇チー牛みたいな人々は可視化されていないんだ。そこは社会学の明らかな間違いというか限界であって、既にシンギュラティやメタバース、GAFAM、テック化によって既に大学的言説は解体されている側面も否定できないね。大学批判は理系的な非シンギュラティ的な適応不全よりも、むしろ考現学的な視野が現代において重要だけどメタバース・プラットフォームを生かせない大学の限界の文系的問いこそ批判するべきかもしれない」