逆転オセロニアというユートピア

文学というディストピア.

紙の本よりも、Twitterよりも、

プロが設計した世界の方が気持ちいい

 ソシャゲというテクロノジーは文学もSNSも超えたのだ。

 作者はいらない。読者はいらない。

 シュミレーションとそれを操作するプレイヤーたちがいればいい。

 逆転オセロニアというソーシャルゲームの何が凄いのか?

 各人(本読みを含むインターネット利用者ほぼ全員)がSNSのシステムの中で射幸づけになっている現実の中で、いかに稚拙であっても自分の頭で考えようとしている姿形があったからだ

 ユーチューバー岡田斗司夫はAIのVUTUBERが人気者になり、人間の恋人はいらなくなると予言し、ツイッタラー橘玲は抽象的に今から精神世界の時代がやってくると言い張り、とうとう彼の抽象を具体化する第1段、スピリチュアルズが発売された。

 だが、まだ手ぬるい。

 実証例の先行モデルを彼らは見つけていない。

 おれは見つけた。

 だから、

逆転オセロニアなんだよ。

 炎上が起きたら、運営者自身が謝り、日夜プレイヤーたちが考えて、システムが運営されていく。

 こんな作用がある社会システムは今の東大でも今の政治や論壇でも不可能だろう。

 そして、

薬漬けからは誰も逃れきれない。

 TwitterやYouTubeを利用している時点で、もはや皆が理系だし、純粋な保守主義も左翼もリベラルも存在しない。

 皆、唯物論的な認知科学で証明され尽くした単なる時計じかけのオレンジなのだ。

 が、悲観する必要はない。

 僕達はシステムから逃れることができない危険社会に住んでいる。

 が、より愉しもうと思ったら、システムから独立したり、システムの快楽を徹底的に楽しむしかないのだ。

 これから先、家族も恋人も友達もAIやVUTUBERで構わない時代がやってくる。性別も年齢も入れ替え可能だし、薬漬けになり、思考はなく甘美な母性のユートピアが実現する。

 が、悲観する必要は、ない。

 スピリチュアルズに従う覚悟が問われている。

 これからは、

自己責任の時代がやってくるのだ。

 文脈のゲームな絶望な他責から原理のゲームの幸福な自責の世紀へ.

本当は哲学にも社会にも興味ない人間たち、インフルエンサーに依存したいのに依存じゃないよとごまかす雑魚たちはこれから幸せになれる。

 なぜなら、努力しなくても、AIやVUTUBERが相手してくれるから。

 暗黒啓蒙が不徹底なのは、暗黒ではない正にすばらしい新世界だからだ!

努力しなくていい!

 人格も消していい!

 もう学歴や哲学、カリスマに取り繕う嘘をつく必要もない!

 まさに純白啓蒙

 もちろんこれだけでは真には不具合でやられてしまう。だから、逆転オセロニアは先に進んでいる非リアなリア充たちであり、弱い人間たちがどうやってオセロニアという世界観を作るかプレイヤーたちが集まり議論を日夜してゲームバランスが構成されているのだ

 今、問題なのは、左翼も右翼も文系も全てはSNSの一部であって、統計的に誰でも構わない平均だと見なされているのに、認知科学の恩恵を得ながら、人間ぶるのが自己責任的に自身の弱さを認められず、苦しむのだ。

 だとしたら、もう開き直ったほうがいい。

 システムの利用により自覚的になるべきだ

 もはやSNSには愛情も友情も基本的には存在しない。全てはレバーを引けば動く快楽物質のトリガーにすぎない。

 文学は、存在しない

 すばらしい!

 新たな世界をディストピアと捉えるかユートピアと捉えるか、

 いや、

君たちは口先ではディストピアと言い張るけど、きっとユートピアなSNSでそれを呟くんだろう。

【追記】

もちろん私はプラグマティストであり、AI資本主義だけでは満足できない。だからこそ、AI資本主義とAI共産主義のポジティブないいとこ取りの逆転オセロニアや書籍をこれからもイジるだろう。

 が、ただ努力したくない人々は、これから先はAIの信者として生きてしまえばいいのだ。もちろんそのリスクすら口では言い訳するだろうが、どこにいっても口で言い訳するのなら、そこへぶち込んだ方がマシというものだろう。

 これより平和な!そして自由な!社会が成立する。

 毎日、強者もラーメンも食べて、弱者もラーメンが食べれる

 すばらしい

 新世界が!

Web Writerが教えるWeb Writerでメシが食える方法.およびChatgptに支配されない方法.

どうも.腹が最近出ているWeb Writerの古田更一です.

 早速ですが、Web Writerになる方法を教えちゃいます.

 1,パソコンを買え.本を読め.

 身も蓋もないけど、これが一番いい方法だと思いますね.ようは、ネットで文章を読むのと、書くのって全然意味合いが違うんですよ.

 および、ほとんどが、.

 質よりも量の安定なんですよねぇ.

 100文書いたら、毎回同じ文章のように見えるのを繰り返し連打できちゃうか?って

ことなんですよねぇ~。いわゆるプロは100回やって100点をとれる話.

 で、話戻しますと、はい、戻しますと、

力なんです

よぇ.

 パソコンを買う、本を読む、質よりも量の安定、

 どれもハードシンキングができちゃうか?ってことなんですよね.物事をよりスマホより複雑に見れるか?です.スマホはあくまで見せるようなんでね.

 だから、

 スマホよりは複雑なパソコン、スマホよりは複雑な本、自分のアイデアで思いついた奇跡の一発よりも、必然の100発.

 ってことなんですよねぇ~.

 だから、直感的になっちゃうけれど、パソコンと本、文章の書き方を簡潔にしちゃうってことは、

 本を読んだり、パソコンで文字を打つを意識しないと、スマホで読まれる文章はスマホの外の視野からできてるよという話.

web writerのカッコよさなんですよ.

 

 脱線.

 Web Writerに向いている人は、文章を書くのが、好きな人.そして、それは文章を書くのが、嫌いな人でもありますよね.

 どうしてか.

 だって、イラストとか動画の方が、分かりやすくないですか~?

 わざわざ文章を読むってどういうことですか~?

 ってなる.

 教えるとね、文章は実は、

 数学.

 えええええええ.いえすです.

 つまり、文章は情報量が現実の立体感がなく、記号式なんですよねぇ…

 だから、文章って誰でも最初はイラストよりはできちゃうけど、本当に仕事にしようと思ったら、 

いかに簡潔に説明するか?

 になりますね.だから、動画は遅いメディアで、文章は早いメディアです.身も蓋もないですが、動画ばかり見ることそのものがバカになります.もちろん文章の読みすぎも非実践的で抽象的でダメですけどね.

 ようは、簡潔.

 西村博之よりも物知りになれちゃうんです.wikiを読める能力が上がりますし、wikiをウィ~と言いながら、毎日書いているようなもんですからねぇ.あははは.

 で、で、で、.

 文章は数学です.いや本当に数学です.そう気づくと格段に速く書けるようになります.

 受験の現代文や小論文を使っていかに短くするかって話になりますね.

  

 あとは、量だから、1日1文でもいいから、ツイッターでもいいから書くことだね.

 まあツイッターは他人の目をあまりに気にしちゃうからよくないこともあるけど、パクツイはOK.頼りすぎは良くないけど、よい文章を見つけるのもそれは一重に才能だ.

  

 あと、

2,文章を読めない人、書けない人はたくさんいます.

 

これ、実は大学生でもありがちな話で.

 文章を本当に読めている人、書けている人って実は少ないと思います.

 みんな西村博之になれるの?問題.

もちろん西村は詭弁を使うこともありますが、ようは理屈なんですよ、文章の上手さって.それができないと良くも悪くも小説になっちゃうもんね.だから、西村博之になるには、彼を超える文章メディアってことだけど、

ぶっちゃけ才能もデカいよね.

 理屈や記号操作で論理を展開するのは、違う才能で、読むのですら難しいのに、書くのは難しい.

 まあ英語長文と英作文との違いみたいなもので、英作文の方が基本的に後からやりますよね。それと同じ話.

 補足すると、1のより力のある負荷をかけろで、お勧めなのが、日本語を使わないこと。TOEICの点数を上げるのは危険なんだけど、英語の勉強、特にロジカルライティング、パラグラフライティングは役に立つと思う。日本語よりも英語の方がよりWeb Wirtingにはいいね。まあ危険性もあるけど、デッサンだったり動画編集とかもまあいいかもね。得意な日本語に頼らないでメディアができるかも重要。得意な日本語力にただ頼っちゃうと良くない、応用が効かなくなるから、すぐ小説になっちゃう.

 あ、誤字脱字は実は内緒だけど、ちょっとはOK.

 ここが、TOEICとか受験勉強との違い。ようは意味が伝われば、いいから.文章書きでも、あくまで伝わることが大事で本当は誤字脱字はいけないけど、全然出てくるし防ぎようもないから、起きる前提で、むしろ誤字脱字があっても伝わることを目指すべき。これ、矛盾するけど、アカデミアやTOEICとは反するんだよね.

 で、話戻すけど、文章書けない人読めない人問題は、むしろ大学や哲学、文学界隈が生んでいるわけ.

 身もふたもないけど、才能もあるし、かつ、今の大学教育では文章を書く力はマジで図れない.

ぶっちゃけ小論文をやるしかない。これが一番いい.

 だから、最近の共通テストでは、小論文式が増えてんのかな?けっこうマクロに教えるのには時間がかかる.

 だって、スマホごしは、一人の生身の人間だぜ?

 そいつにメッセージをちゃんと伝えるのは、完全には難しいし、かつ、文章を書ききるのが、西尾維新も言っていたけど、難しい.

 だから、対話そのものだと思う.

 ってわけで、根気がなければ、続かない。クヨクヨしているのなら、次の文章に取り組むこと。というよりも、頭はクヨクヨしながらも、手先はパシパシ動いていること.

3,Web Writerのメリット

 メンヘラが治ることかな.

 言葉のプロだから、説明能力はともかく、本人のメンヘラさは減る.読解力上がるし、物事の優先順位がハッキリと見えやすくなる.真面目になるってことじゃなくて、頭の中に最適の情報がスマホもどきが搭載されちゃうイメージ.

 んで、頭がよくなるね.

 身もふたもないけど、

文章を読むよりも、書く方が難しいから.

 もちろん作家とはちょっと違う.作家はメンヘラだね.文章がだらだらしたり、文章をアートとほざきながら、問題解決を避けているから.

 まあ文系と理系の差かなとも思う.逆に作家は作家で必要でしょう.

 リベラルアーツって感じはあるね.

 あと、毎回毎回テストしかない、実践しかない.

 だから、刹那的に毎回毎回進化していく!って感じは、

いいね.

早いインターネット計画.

なぜ坂口章は◯◯◯&宇野常寛、宮台真司を超えたのか?

崩壊は加速しなくて良し.シラス丼の前で、鼻をほじる男.

 宇野ちゃんも◯ちゃんも、ちょっとビクビク震えすぎじゃねぇ?

 宇野の遅いインターネット計画は繊細すぎるだけであって、単なるインターネット黎明期のおじさん達の居場所探しであって、そこまで問題じゃあないかもしれない。ダメな批評家ごとき、批評家YOUTUBERの私では、たかが週1炎上ぐらいしかしないが、あの男は毎日炎上をしている。

 坂口章

である。

 今、勢いをつけて、最強の不人気者を獲得し続ける男が、YOUTUBER界を騒がした。

 男の名は、坂口章。

 俗に言う、不謹慎YOUTUBERの代表的プレイヤーの一人だ。

 志村園長が死んで、やった〜!など、数々の不謹慎な発言をする、まあ言ってみれば、近所のクソガキレベルのイタヅラをする永遠の素直な子供って感じな御人である。

 坂口章は毎日炎上しているが、気になる様子もない。YOUTUBERを引退しますって言った次の日には、もうまた不謹慎な発言で場を騒がせている。

 が、彼を完全なる悪人だと思う方こそが、神経症の病人、だろう。

 坂口章は発言は不謹慎だが、しっかり発言レベルで止まる強さを持ち合わせている。むしろ発言の顔芸具合、パフォーマンスこそが、どうせ、メディア、ネットの評価なんて、フィクションでくだらねぇ〜!と分かりきった上で、演技をしているのだ。彼はネットでの評価を気にしない。むしろヘラヘラと図々しい。むしろ、哲学や思想を現実で完全にはできるわけないやろ!というしっかりとしたプラグマティズムを持ち合わせている。マルクスよろしく思想運動のほとんどが滑稽に失敗するのは、そもそもが思想というフィクションだからである。フィクションをしっかりやるにしても、どこまでがギャグでどこまでがシリアスかをしっかりわきまえることが必要だ。だからこそ、坂口章は、現実のメディアで、道化ができゆる。

 YouTubeよりもシラス丼という場を用意した◯◯◯。遅いインターネット計画を提唱する宇野常寛。

 そんな二人に、彼はこう言うだろう。

自分の意見を他人へぶつけるとか、

だるくね?

 実際、すぐバンされる動画で言っていた。主義主張もないという彼。

 だけど、彼には笑いがある。彼には、他人の目を気にするために、信者ビジネスをしたいがために、囲いこもうとする自意識があまり感じられない。

 炎上を過剰に気にする◯◯◯と宇野常寛、シラスと遅いインターネット計画。もはや炎上に耐久するYouTubeと坂口章。

皮肉なことだが、真なる誤配空間、社会性があるのは、皮肉にも、坂口章かもしれない。

 そもそも、ネットごときに期待するなよ。テレビと大体はおんなじやろ。そうやろ。

 炎上が良くない!良くない!右翼が!左翼が!って、なあなあなあ!

 ガッコーでみんながみんな、マジで笑顔で超ウルトラハッピーだったかい?

 アホ!んなわけないやろ!むしろ、気持ち悪いぜ。みんながみんな仲良い世界のほうが不気味で気持ちが悪い。そんな気持ち悪い世界へ行くぐらいなら、湘南でシラス丼食ったり、早いインターネット計画をしちゃって、今日もゲラゲラ、炎上ニュースを見て、ああ、やっぱ芸能界って、大衆でバカやなぁ、でも、彼らも薄々分かっているべぇ〜で、まあ、そんなもんでしょう。むしろ、芸能人が遅いインターネット計画とか言い出したら、お笑いやエンタメがつまらなくなるべぇ?そんなダウンタウンやとんねるずは見たくない!

 そうだ、そうだ、そうだよ。笑いだ。笑いが足りないんだ。かなーり肩を固くしすぎなんだよ、宇野ちゃんも東ちゃんも。

 オタクってそうだ!なんでもしかめっつらで、真面目な顔するのが、大人じゃあねーぜ。ときには、バカをしたり、ダラダラと怠けるのも、大人の作法だぜ!

 坂口章は、マジで超バカだ。ウルトラ大バカものだ。ゼッテーに会いたくない!面白いけどさぁ〜、ゼッテーに会いたくない!個人的には大嫌いだぁ!でも、マジで彼の演劇パーフォマンスがくだらなすぎて、笑っちゃう!

 だけど、そこがいい!

 アンタは、ホントーの大馬鹿ものだ。彼が批評に関して言及していた言葉を最後に捧げよう。(しっかり引用しろ?できるかよ!すぐバンされて、消されるんだよ!いいじゃない!彼の批評動画には、1つ1ついい意味で、意味なんかないんだから!)

 刮目せよ!

坂口章「こういう思想があるとか哲学とかどうとか、なんかそういうの言ってくる真面目なやつってなんかウザくないッスか?適当でよくね?もっとユルく生きていい!」

 どこまで創作かは、秘密!

個性経済学.ミクロ経済学がマクロ経済学になる難解な数学について.

社会は

なくなった.

 まずはそこから話さないとならない.社会は無くなったのだ.社会は無くなったのだ.何度でも何度でも繰り返そう.社会は無くなったのだ.

 人や小鳥がなぜ失敗を嘆くのか。大学に落ちた、俺はイケていない、負け組だよねって.

 簡単な話.

 

負け犬は、気持ち良いからだ.

 判断停止の思考停止.実は、馬鹿になればなるほど負ければ負けるほど楽だから負けたいんで、ある.

 つまり、社会を規定するから、勝ち組と負け組が発生するけれど、メタバース化する現代はたくさんのソーシャルなゲーム、競争する場だらけになるので、1つの島宇宙、村社会の勝ち負けに依存はできないし、かつもはや社会は遊戯、ソーシャルゲームなメタバースが社会、SNS的最適化やコロナ禍的ソーシャルゲームなソーシャルディスタンスなので、より勝ち負けはフィクション性を帯びて無価値になってくる.もちろん勝ち負けはあるけど、あくまで現象to現象、相互にすぐ虚と実がソーシャルゲーム運営者、社会の審判とAIによって瞬時に白黒ついてしまい、勝ち負けは殆ど自明さしかなく、勝ち負けという他人を気にした他人のゲームより自分なりにどうするか?という自分のゲームへスライドしているのだ.

 これは意外と要なソリッドだ.

 オンラインサロンが流行る背景には、当たり前だが、日本国家という宗教そのものを流石に信じられない限界が、ある.

 逆に言えば、リアリティーがそこにある東京大学や創価学会、はたまた中世期の新興宗教は信じられていたのだ.

 逆に言えば、美の基準をどこに置くのか?皆が納得する最大公約数のプレゼンツは何か?という話になる.

 まず田舎と東京の差は無くなりつつある.ショッピングモールとスマートフォンだ.

 将来的にはEV、自動運転車が実装されてより社会規範は全てがフラットに東京化する.

 都会か田舎かというちがいは、単なる産業システムの差にすぎない.だから、3Dプリントできる社会彫刻を日本中にぶち込めばいいのだ.

 アートもまずはAI共産主義な西村博之&プロ奢ラレヤー的な貧者のVRで実装され続ける.

 マルクスの末路は、貧者のVRだったのだ.泣くな内田樹.歯を食いしばれ矢内、THE・えらてん.

 緑の共産主義というユートピアは、鉄の資本主義というディストピアだった.

 が、貧者のVR化、AI共産主義、緑の共産主義のデッド・エンドは、社会のフラット化が進めば進むほど、地域差や都会差を加速させていく.

 スマホやショッピングモールはいつでも行けるが、美少女や東京はいつでも会えないからだ.

 短期ゴールを目標にするのは、本末転倒だ.リスクは取れば取るほど、前に進める.大事なことは、リスクの張り方である.

 卑近な例で言えば、ドライブしながら絶景を観測し、その体験をデータに流せばいい.今後はよりリアルの下位個体にインターネットは縮小していくだろう.

 ここまでは、規定事実だ.

 大事なのは、東京も東京なのか?だ.

 貧者のVRと言ったが、東京も貧者のVR化は免れない.いや、生存本能を全てテクノライズしていくという、進化の形なのだ.

 東京もTOKYOと言い換えなければいけないし、田舎も郊外もまたINACA,COUGAIと言い換え紡ぐべきだ.変化率は、日本そのものがマッピングできる単なるデータということだ.

 厳密に言えば、1559966が東京で、45886が田舎A3で、685588が郊外L6かもしれない.どういうレイヤー区分でアセットをマネジメントするかがは未規定だが、演算的区分にする身体性の機械化が、TwitterやYouTube、tictokである.僕たちの一生時間は、睡眠しているか、SNSをいじっているかに、価値観はスライドしているのだから.

 つまり、一人一人に最適なTOKYOやINACAは複雑系にたくさんあり、東京が都会化し、田舎が都会化し、海外が国内化し、国内が海外化し、男が女化し、女が男化し、若者が老人化し、老人が若者化して、微細な襞が見えやすくなってきたのである.

 が、差をつけるのは、個人間に及ぶ思考の個性経済学のライフスタイルという話になる.

 インターネットのモジュール的なランダムネスは、どこに住もうと、どこにいようと、君自身がどうか?になる.

 だから、新宿に住むから君は新宿だ、田舎に住むから君は田舎だ、でなく、

 225883な君は、やっぱり新宿に住むからより2839944488になるよね、や、

258866な君は田舎に住むから、5588をうまく回せるよね、になる.

 分かりやすく革命的な違いを申せば、

自分がその街を愛したり、自分がその街をどう活かすか?をしっかり証明できれば、東京か田舎はどっちでも構わないのだ.

 つまり、生存本能を理由にした東京移動はなくなり、アート的衝動を目的にした東京移動にSHACAIはスライドした.

 たとえば、感傷マゾ研究会というメンヘラ思想家たちがいるが、彼らは大阪大学生など極めて優秀な人間の資格がある.

 が、資格だけではダメで、資格より大事なのは資格の活かし方、および、資格をいかに手に入れないか?でもあるのだ.予測だが、東京大学や京都大学などの滑り止めで阪大を受けて受かっても、デッド・エンドな誤魔化しであり、人によってはマーチに受かって嬉しい人もいる。上下はなく、己のアートとしてのジャスティファイがアジャストされているというわけだ.

 社会が平均化され、動物工学だけに重点する社会は、以前の言語的な平均を前提とした、悪く言えば近代で遅れた社会のように、実存だけは解決してくれない.

 だから、田舎でもマーチでもいいから、己の存在証明のポートフォリオをリスクありで描くことが大事だ.

 たとえば、9浪人早稲田でもキャラが逆に濃ければいびつでもストーリーだ.

 大事なことは、自らの意志により道開くことであり、個性経済学とプラグマティズムである(個性経済学はCF周辺をググり歯を食いしばれ.プラグマティズムは、カオスフォレスト想で書いたプラグマティズム実践講義に解説が詳しい).

 口先だけの人助けは、人がやるまでもなく、機械が悪平等に救済し、虚と実を明かしてしまう公平性.人文知のやりがい搾取はなく、他に助けることはあるのである.

 マルクス的な飯食いの救済以上を求める場合は、人間として負荷するのは当然だと決定されてしまった.

 が、9浪はまい、先程解説したように、個性経済学は、9浪早稲田でも、魅力あるエピソードならば美しく受けるという新たな市場を作り出すので、勝ち負け、というアセットはまず捨てるべきだ.

 東京に住むのではなく、東京に住まなくても、東京っぽいもあるし、田舎に住まなくとも田舎のような人間精神を持つ者もいたり、グラデーションは人それぞれだ.

 近代民主主義やリベラル、東京大学の限界は、人間と文系と期待さであり、より微細に解像度高く現実を判断できなかったわけだ.

 AI化が加速すると、個性経済学やアメリカンなビジョン、プラグマティズムの夢がより影響力を拡大していく.

 貧乏人でも、道端でジュースを転がりながら飲んだりしたら、明日から君が日本№1 tictoker、じゅんやかもしれない.

 耐えきれないかもしれないが、AI化の人工的な成功体験に支えられた私たち未来人は、耐え難い日常という地獄を味わうようになる日常の中に非日常を交差させて、非日常の中に日常を交差させる必要があるのだ.

 しかし.だからか?

 地獄が天国であり、天国が地獄だし、

日常が非日常だし、非日常が日常だ.

 極論や仏教に依存せず、耐え難いアート的な複雑さを甘受すれば、リア充である.

 長時間の理工なアニメから短時間の文系なtictokerの変化は、良くも悪くも人が情報量の多さに耐えきれないからだ.

 が、楽しいのは、写真のSHINJUCUでなく、リアルの新宿だ.

 アニメーションは彫刻になり、文字よりも絵画的な対話が重要になる.

 文脈のゲームから、原理のゲームへ.

否、

 飛び越えて、春.

 絵画そのものの造形美である.

文系を超えた理系を超えたアートへ.

もちろんアートをアートだと定義するのが、アートでは、ない.

 実践性の勝ち負けの無さで、飛び回れ.

FAKE.=REAL.

イイネ集めは、反アート、死の始まりは、非肉抜きに、、、

美の三高層メゾット.

  
 美が重要になっている.

    オギャー!!!と産声をあげたスマートフォンもジョブズが洗練させえたデザインで流行らせた板版だ.

   ウィンドウズのパソコンには、美学が欠けていた.

    なにを隠そう、美は人々のパッションやアクションを促す原動力なのである.

    例えば.

   のちに個性経済学の章で語るけれど、今、本当にお金が欲しい人はいないことが判明する.

   東京に一度旅行するのも、たかだか2,3万円だし、弱者を救え!とうるさい世にあっては、生活保護や年金という最大のVIがこの日本界を覆っているのだ.

   説明は他章で語るので省くが、現在はAI共産主義の日本であって、西村博之やプロ奢ラレヤーといった良くも悪くもネズミやゴキブリを飼いならす猿たちによって生存の革命はすでに完了しているユートピアに僕たちは生きているのだ.

   では、どうして、不幸は完全になくならないのか?

 ARTである.

   人はなぜ大企業に勤めたいかは、アートである.

   人はなぜ生きていたいかは、アートである.

   人はなぜ死にたくないかは、アートである.

  非合理に抱えた計算演算を飛ばすエネルギーの発露を
どう証明するか?が、肉体延命の先にある人間の課題的な発展証明の課題だ.

   では、アートとは、何か.

 まず、

 理系と文系は忘れてほしい.

   理系と文系というのは、極めて恣意的な区分だ.

   今回のコロナ禍で分かったことは、誰もが医療体制に対する造詣が必須だったというアドバンテージの再設定だったのだ.

   自粛か反自粛か、混乱したり、仮に自粛派の勝ち組でも気が悩むのも、

 先ほど繰り返した通り、AI共産主義によって肉体延命は政府と西村博之、プロ奢などによって上から下まで延命されたが、後は自己責任という話になっている.

   今、我々はストレス・マネジメントの必要性、理系か文系かという枠組みを超えた問題設定が重要なのは言うまでもない.

   大事なことは、頭で考えるのでなく、身体で考えることだ.

   理系か文系か、という問いそのものが、脳内で考えた抽象論にすぎない.世界は理系か文系かは本来厳密には定義不可能だ.だとしたら,アート的な問いを打ち出してクリエイションし,責任もアートとして甘受すべきだろう.

   圧倒的現実の解像力の高さでいえば、料理も科学であり売春も科学であり、受験数列は、新興宗教だ.
   
   なにが、理系なのか、なにが、文系なのか、と断定をする時点で、捨象される演算命題がそこにある.

   分かりやすくいえば、

 ウイルスにかかった熱が出るよね、そうだよね、

 じゃあどうするんだい?

 っていうアクティブな粗野の徹底が重要になる.

     落合陽一は、文脈のゲームから原理のゲームへと主張したが、コロナ禍は理系や文系を超えて皆さんがウイルスを考えて、しかし、社会設計も考えないといけないということで、理系か文系かという宗教、文脈のゲームは医療、インフルエンザなインフルエンサー、世界中でヒカキン以上に有名人のコロナくんを倒すには、原理のゲームしかもはやないのだ、我々人類にとって.

   では、そこに足りない視野は、何か?

 改めてアートだ.

   今起きていることは、文壇の分断でも医療の問題でもなく、どう自分の人生をデザインしたいか?というAI美学主義の意識力のなさである.

   結局のところ、あなたの感想にすぎない、己の人生のありかたを改めて個別個別で考えないと生きながら死ぬことになるのである.

   反自粛も自粛も大体同じ意見なのは、最低限は、命を守ろうというアフターサービスにすぎない.

   あとは、ライフスタイルを自己決定せよ、という総一億アート化現象は今すでに起きている.

  アートをここで再定義しよう.

  アートは、技術から始まっている通り、人間は、マンマシン、歩く機械だ.

 っていうことは、人間は動物&AIと何が違うか?解像力高くデザインし言語化し尽くし、美しくあらねばならない.

  なにもイケメンの必要なし.

   たとえば、ちょこのという不細工tiktokerは不細工だが、ひたすら美少女ぶるパーフォーマーだ.

     大事なことは、自分への解像力、

  アートは鍛えるものでなく、すでにあるものを洗練させる発展系にすぎないから.

   0をより0としてどう考えるか?

 数式、AI共産主義の限界、数式の限界は、身体性や時間性のなさ、遊び心のなさ、メタ数学の余裕さのない、狭さにある.

   数学の終わりは、仏教の終わり、東大の終わり、はたまた世界の終わりを意味する.

   明日、世界中で信号機が止まったとしても、僕は驚かないだろう.

   今、僕はロサンゼルス空港の1階の大量に並ぶ極めてアーキテクチャな椅子に腰掛けながら、マックブックproを開き、この日本語のプログラム言語を記述している.

   信号機は、止まり、そして、動く.

   信号のリズミカルな動きは、まるで仏教や東大の終わりのようで美しい.

  たとえばー.

   うごくちゃんといい人気YouTuberが突然バグを犯し、動かなくなった.
  
   うごかないちゃん.

   で、だから、なに?

 確定された感傷マゾを先行的に言い放つのは、やめよう.

   落合陽一のデジタルネイチャーの限界は、メンヘラは、彼の限界は、メンヘラはメンヘラだから死のうねと決めつけるにすぎない.

 その反比例として22世紀の民主主義と謳う死にたがりのクソメンヘラすぎる成田悠輔の産声を聞くのはもう見ていられない.終わりつつある東京の大学の最後の嘆き.

  東大も仏教も、パッケージの宗教の時点で、負けがパッケージされた時計仕掛けのオレンジだ.

   おぉ!アレックス!

 うごくちゃんをうごかすには、

 詩しかない.

    つまり、うごくちゃんが死んだ、😢.

  →これ、数学.

     なぜ、うごくちゃんが死んだんだ?

→オマエラが殺したんだよ…(©安藤チャンネル)

 アートの飛躍はとどのつまり、正しい。なぜって間違いに責任を取るリスクテイクだから、なお正しい。もちろん間違いをしたら、裁かれるー。近代社会よりもああ残酷に、うん残酷に。

 ようするにー,めちゃくちゃアート的な衝動は体力が居るし、そっこから先はマジで燃やされますよ?っていうね.そこにどんどんバージョンアップするテクロノジーの指数関数的なヤバさがはいよれ!ニャル子ちゃんなんだよなぁ~.

 さもしい言い訳は感動できないし,怒りすらしない.

   生きることそのものが死んでいることを内包するジレンマがそもそもならば,キミはどうする?

 つまり、裁かれることは、法の先が美だ.

 アートの三高層を最後に紹介し、東京大学法学部を美としてクリアカットしよう.

   日本のアートは、昭和、平成、令和。

 西洋美術→オタク→YouTuber→?

 こんなことはググり、後は考えろカス.

   ググッてもカスなら、自分とAIと考えな、責任性のない理屈なんてさ.

 アートこそ負け犬の逃げ道ではない.

    負け犬は、東大生や安易にBIにすがるモブな官僚たち、草だからである.草でも食ってろよ!って.

  アートは負け犬の叫びでなく、灼熱の荒野を歩く存在証明だ.

ここ重要。負け犬としてアートを定義すると,冷笑的なリコさん的悲しさを帯びて,古田更一を陰謀論だと定義しながらウソの多重化とかのたまうブーメランの出来上がりだ.

アートとは,そうじゃあない.

アートとは,そうじゃあない.

アートとは,そうじゃあない.

じゃあ,一体全体アートってなんなのよ?っていう悲しげな泥棒経済なピエロたちにとある体験談を語ってみようか.

kore.

   けらけら笑うローラースケートで走りまくるツインテールの気味悪い美少女が渋谷スクランブル交差点の中心でぽつんと渋谷警察署の前で自首しようと並ぶ列のキミを嘲笑っている.

 こりゃ不思議なことだ,東京スカイツリーが精神医療の自殺機関になって久しいけれど,まさか極左事変後に渋谷警察所までましてや渋谷スクランブル交差点までが自殺器官になっていたとは誰が思う?

 そして.戸惑うキミに.けらけら笑いこけるローラースケートの顔の見えないツインテールの気味が悪い美少女がこっちを見て,uwa,こっちみんな… .

 「ねぇ〜てば〜、なんでそれを開かないの?」

キミは言う.

なんのことって?

美少女はけらけらと嗤い、アナタを撮った.

「パシャー」

ようこそ、ARGUMENT REALITY、拡張現実へ。

 アリスをアリス、今晩のお茶会の相手は誰だい?

 アリスは言う.

「とどのつまりアーティストだよ」

 ボクの顔は引きつった.

けれど,背中越しの兎は嗤った.

AR.~AI前提社会.拡張現実の時代~

   木村花死んで良かった!!!!

 「この命題」を「正しく理解できるか」が、「最初の問い」だった.

  どうして木村花は死んでいいのか?

 志村園長死んでよかった!!!!

 もちろん同じ問い.

   僕たちは、どうして、木村花と志村園長とあたかも友達な気分を味わうように

 誰かにデザインされてきたんだろうか?

 友達の親や関係者の大量死は気にせず、日夜ガス室で引きこもりのように生きながら殺されていくガス室のくそ犬の大量虐殺に一ミリも怒りもしないのに、どうしてか、

 いいねに従属する羊たち.

   惰眠を貪る猿は、果たして人間か、

 それとも、AIの駒だったのか.
  
   マスク、マスク、マスク.

    僕たちは歩きながら、引きこもっている.

   ぼくたちは走りながら、引きこもっている.

   緩やかなディストピアは、優しい顔をしてやってくるんだよって

 ツイッターの行動もしないしたり顔アイコンのように言いたくない.

   ああ.

   いいね!いいね!いいね!

 再帰的プロセスに光る、プログラム言語の数列は朧気な人間を超越し、

 機械こそが人間より上というパラドシカルな現実を露呈させる.

   人間に話すのは、やめよう.

  いや、近代的価値観で作られた人間はかつて支配した自然に

 計算機自然に復讐されている.

   デジタルネイチャー以後にある計算外の絶望の

 人間が虫になり、赤ちゃんになる機械という自然の計算スピードは

 人類に生きながら死ぬか、早く死ねと焦らせる.

    ストレスを解消するには、自然とまず対話して、殺されてないようにしないとならない.

   生きながら、殺されている、動物=人間たち.

  思考を機械へ戻そう.

  カオスフォレストは、人々が計算内演算に収束する大量自殺という安易な現在のデットエンドを攻略する唯一の発想概念だ.

   計算機自然、デジタルネイチャー化による人類植物人間化トランスフォーマー計画によりイキる楽しさを爆発させる最強の脱デジタルネイチャー的発想系である.

   森は、混乱していた.錯乱していた.

   機械的計算自然という自然の進化に対抗する次の人間を作るには、少子高齢化という若者と老人、両方の自然淘汰は必然である.

   ビックデータ的決定論的絶望は、仏教の終わりを、キリストの終わりを、東大の終わりを、すべての人間の勘違いという原罪の終わりを加速させて、終わりにしていく.

  その先にあるのは、自然と融合した人間という、自然でも人間でもない、

 デジタルネイチャーでもない、きわめて原始的な、しかし、きわめて未来的な、調和のとれないカオスなフォレストだ.

   ナイーブな意味不明の言い訳は、すべて、生活ホガやVIに収斂する.

  僕は、できない!僕はうつ病!

 いや、ミスリードの、誤読でした!

 通用しない人間の言い訳は、これで自然機械に収斂し、小鳥は首を絞めて、目を抜かれている.

   この先にあるVC、ベンチャーキャピタル的な政界には、由緒正しき紳士と淑女しかたつことは不可能だ.

   だが、計算ができて、計算を超えられるのか?

 という極めてプロセッサーな問いが今君の目の前に立っている.

   理系か文系かという極めてナイーブな曼荼羅は結局、空高くに浮遊し、天国という名の地獄のメタバースは、人間をゴキブリだと処理して、麻薬漬けにし続けて、板の支配からはもう逃れない.

  AI的彫刻を超える人間の表現は、

 固有名や意味論には依存しない.

  そこにあるのは、一瞬一瞬の飛躍のプロセスのポジションだけだ.
 
   対談から本質的に逃げた人間は、必ず地獄に落ちる.

   もうアニメも宗教もいらない.

   なぜなら、現実が虚構であり、虚構が現実だからだ.すべての現実がとうにアニメであり宗教であり、しかし、そこに現実的な責任性をデジタルネイチャーが担保するヤバさがそこにある.

  メタバース化した現実に意味論の不可知さを列挙し続け、極めて終わった理系も文系も超越せよ.

 
  大衆や社会、理系や文系といった旧来的な宗教を終了させて、より徹底した自然の解放が

 機械なのか人間なのか、という問いを僕の連戦してきた人生に説いてくる.

   思考を具体的な現実へ戻そう.

   僕の近くには、高速で動く車や世界とつながるインターネット、そして、早すぎる手足がある.

   多様性ある社会は機械を超えた人間のテンポで完成する.
  
   カオス

 フォレスト.

 混沌森林の宴-.

   胸を高ぶらせながら、果実を貪りながら暴れまくるのも悪く、ない.

特別無料公開。YouTuberのなりかた まえがき 医学部YouTuber哲学、精神の鍛え方

まえがき

 本書は出版社を介することなく、また執筆に関してもほとんど時間を使うことなく書かれました。

 

 私が本書の出版を考え始めたのはおよそ1ヶ月前、知人の本の編集作業を手伝っていた頃です。 

 

 彼は登録者2000人弱のYouTuber(アカウント凍結されてしまいましたが)で、もともと書籍を紹介するチャンネルをやられていたのですが、彼のチャンネルに私も参加しているうちに、ご縁があって出版を手伝わせていただくことになりました。

 Amazonの「ペーパーバック」というサービスがあります。これふオンライン通信事業で有名なアメリカの会社Amazonが提供するサービスで、指定された形式で電子ファイルを送信すると向こうで印刷、販売を代行してくれるというものです。初めてこのサービスを知ったときは「なるほど、流行りのD2Cの書籍バージョンか」と高をくくっていましたが、これは本当に革命です。「本は書店に並ぶもの」という概念は書き換わるでしょう。

 

 私のような者が時間的工数をかけずに自分の考えを残すことができるのです。

 自分が1年間、本を書いていたことに気付かされました?YouTubeチャンネル「逆精神病院」というものを作って毎日投稿することで私の人生は少しずつ、ただし確実に変わりました。「逆精神病院」の詳細は本書では省きます(YouTubeチャンネルを見ていただいたほうが早いかと思います)が、このチャンネルでは半年くらい毎日投稿をしました。

 本書の内容はそういった毎日投稿からの抽出です。ライターさんに文字起こしをしていただいて、そこから編集しました。本にして出版する理由は、動画だとどうしても本書の内容は必要な人に届かないと考えたからです。

 前置きが長くなりましたが、そろそろ本題に移りましょう。皆さんの人生がYouTuberになることを少しでも前に向くよう祈って。それでは。

沢渡 アカネの目線がめちゃくちゃ重要だぞ チェンソーマン

 こんにちフ~。無職の美少女戦士フです。

 今回は民間デビルハンターの沢渡アカネの目線が重要だという話をしようと思います。

 身も蓋もないんですが、公安のマキマとか信用ならないんですよね。

 公安とか全く信用できない。

 だって、本当に公安が社会を良くしているのなら、デビルハンターだとかいちいち必要ないでしょ。

 そもそもの前提として公安が正しいという前提がこの作品の怖いところだと思って読んでいました。

 政治って中身がないんで。

 感情論でしかないんで。

 権謀術数でしかないんで。

 オレに倫理があるかないかでなくて、沈んでいく船を誤魔化しても埒が明かないんですよ。

 だから、チェンソーマンの構造はすごい好きですけど、話自体はすごい好きなんですけど、こんなくだらないヤツラやメンヘラたちが出てくるセカイで絶対生きていたくないなって思います。

 どうでもいい。

 あと、ラスボスがお母さんって茶番なんですよ。

 すげーどうでもいい。

 いや、面白いんだけど、バトルものというより、愛の話であって、結局、今、女性たちが困惑している話であって、メタ・ジャンプ作品なんですよね。

 これ、少女漫画なんですよ。

 だから、少女漫画を俯瞰している敵である民間のデビルハンターが一番割と美味しい立場だと思っていました。

 彼女、死んじゃうけどね。

 

こんなはずじゃあなかった

 オレは信じていた。

 真っすぐすぎるほど、信じていた。

 このセカイの在り方ってやつを。

 

 疑わずに勉強してきたし、疑わずにアカデミックしてきたし、疑わずに仕事してきたし、疑わずに…

 本当にただオレは有名にもならず普通に暮らしていくつもりだった。

 なぜなら、神奈川の地方の小さな進学校の中でも落ちこぼれ中の落ちこぼれで、IQだけで超近い中高一貫を受けただけだからだ。

 現役のときは早慶商学部を受けた。

 理由?

 東京大学よりバカが行く大学なら、オレでも入れると思ったからだ。

 ベツに早慶商学部に落ちたことをマジで憎んでいない。

 なぜなら、大学なんか高学歴になれるならどこでもよかったから。

 競争は嫌いだ。

 なぜって、虐めをしたくなくてもしてしまうから。

 漫画やアニメ、ドラマは大好きだ。

 なぜなら美しいセカイがそこに描かれているからだ。

 

 オレは普通の人間として真っ当しようと頑張ってきた。

 それなのに、ある時覗いてしまった。

 医学部政治。

 文系の東京大学をいまだに信じる権威者の教師どもを倒すためにオレの世代たち全員が始めたボイコット。

 なぜ医学部ツイッタラーが流行ったかは火を見るより明らか。

 オレたち世代の生きざまだったんだ。

 ロックだったんだ。

 だから、オレはズルいなりに、協力はしたし、参加はした。

 だからこそ、オレはカレらに嫉妬もルサンチマンもない。

 だって、雲の上にいちいち怒らないでしょ?

 そういう話で、もうこの嘆きの医学部政治騒ぎは終わったんだとオレは思ったんだ。

 

 その後に、コロナ・ウイルスが起きた。

 は?

 オレのまわりの友人たちがみんなメンヘラになった。

 どうして?

 普通の人々だったのに。

 あるいは、上へ上がることを恐れてくだらない日常の中でルサンチマンを抱える元旧友たち。

 美大に入ったオレはカレらに嫉妬された。

 逆に攻撃された。

 オレはカレらカノジョたちIQの低いみんなを助けてあげたかった。

 だって、努力したのに、なんだよ…これって。

 

 で、コロナ・ウイルスで更に仲間は減った。

 大学院や大企業に縛られて、おかしくなるヤツラ。

 

 オレは気づいたら、YouTubeをやって、落合陽一を読んでいた。

 この時にオレは後戻りができないところまで、自分が天才である事実が怖くて逃げていた。

 天才的な医学部YouTuberに会った。

 森村の政治犯の悪友たちが浪人して陰キャになってまで入った東京医科歯科大学医学部を現役で合格し、そして、なにより落合陽一をオレより先に完璧に熟知していた。

 オレは彼を宣伝した。

 彼はオレに宣伝された。

 

 だけど、現実は厳しかった。

 

 有名になりたくないオレがめっちゃ悪い意味で有名になって、有名であるべきはずの本当の天才が全然有名にならず匿名の高学歴YouTuberとして収まっている。

 

 メンヘラたち宮台真司信者たちを助けたくなくても助けさせられて、殴られる。

 株式会社DeNAまでインターンをしても、両親から世間からイジラレる。

 シンガポールで働いても、級友たちから無視され続ける。

 

 オレは全てを失ってまでここまできて、どんどんと疲弊していく毎日だ。

 

 ここでとある疑念が抱く。

 

 本当にこんな大衆(クズども)は助けるべきなんだろうか?

 

 大衆なんかやっぱりいらない方がいいんじゃあないか。

 社会は存在しないんじゃあないか。

 ほとんどの人間は僕や彼と違って、次の時代を生きる権利をもらっていない。

 AIに淘汰されて、ほとんどの人間たちはその世界のなかでだらだらと生きるか、その中の弱者たちはどんどんと拡散しいつ爆発するか分からない状況まで拡大している。

 オレは困っている。

 どうして普通のオレにこんな世界の重要な権利を神様は与えちまったのか?

 オレは天才だ。

 分かる。全てが分かる。

 妄想ではない。

 本当に見えるんだ。

 なぜって、これまでの大学選びも就活もYouTubeも読書もほとんどセンスだけでなんとかなったからだ。

 がゆえに、理不尽に思う。

 競争が嫌いなこの本性にはこの理不尽ばかりで偽物が跋扈するくだらない世の中が許せない。

 神奈川の旧友たちを騙してきた東京の連中たちのことが本当に許せなくってきている。

 そして、助けたところで、逆ギレする猿どもにも怒りを隠せなくなってきている。

 この天才でも解けない理不尽すぎる社会をIQだけではもう無理。

 オレには答えが出せない。

 このセカイは残酷で素晴らしくない。

 間違えた人間たちが公平に裁かれて、公平に生きる世界が頼むからあってほしい。

 オレは本当に超エリートだ。

 一番とは言わないが、頭脳指数も10本指に入る。日本なら。

 しかし、オレには決定的な戦う人間としての矜持に欠けている。

 そして、その矜持を超える本当の運動性が欠けている。

 

 オレはやっぱり単なる秀才なんだ。

 秀才の中でただ天才だっただけなんだ。

 だからこそ、このセカイを歯がゆく思う。

 なあ、初田…、オレっていうか周りを含めて日本人ってすでに死んでいるのかな?

 オレは自分の中高一貫校の選び方を多分間違えていたんだと思う。

 後悔しないためにも、共学なんか選ばらないほうがいい。

 

 オレは強いだけで、頭そのものは良くないのだから。

 

 

 

 

東京破壊計劃。〜破壊したらスカイツリーが現れやガッた〜

 ある朝、気が付いたんだ。

僕はこの世界が嫌いなんだって。

世界は幾つもの箱だよ。

人は体を折り曲げて、自分の箱に入るんだ。

ずっと一生そのまま。

やがて箱の中で忘れちゃうんだ。

自分がどんな形をしていたのか、

何が好きだったのか、

誰を好きだったのか…

だからさ、僕は箱から出るんだ。

廻るピングドラムbot

 海外企業のweb writer古田更一です。

 現代哲学で最も重要なことは1つしかなくて、それは東京の破壊だ。

 東京という古びたシステムを破壊でもしない限り、体制をガラガラポンできない。

 これは比喩ではない。

 もっと本質的なレベルで言っている。

 もちろん東京を破壊するなどという行為はレトリックとして終わることは必然だ。

 私が言いたいことは東京を維持するためにこそ、東京を破壊しようということ。

 むしろ東京は美しい。

 東京という古びた伝統をむしろ維持するためにこそ、破壊という道化師が必然なんだ。

 たとえば、そうだな…、東京タワーから東京スカイツリーの要領。

 未来的にして古代的、なぜ東京タワーから進化したはずのスカイツリーはなぜタワーの形状をとる?

 むしろAIとは楽しい自殺スポットであり、スカイツリーは東京タワーを維持したレトロな建築物でテクノロジーそのものを肯定する東京タワーこそ未来だ。

 ナニを言いたいかと言えば、AIの先にこそ本当の未来が待っていて、AR,拡張現実に到達するためには、そしてARの先にある本当の未来を描くには、むしろ東京破壊計劃という快楽ー、むしろ極めて豊かな自殺スポットを配置する先に、本当の東京の進化と東京の先が待っているんだ。

 ようこそ、再び平安へ。

 そして、おかえり。ネオ東京。

 

現役京大生と超ひも理論について討論させられた感想(あるいは高校生と奇妙な哲学談義をした感想)

 売られた喧嘩は面白いから買わないといけないし、ましてや自分より若者なのならば、彼らの成長に私のラッシュは必要なもの。

 しかし1日で早熟高校生を名古屋で相手して、深夜から早朝まで高IQの現役京大生と哲学やら超ひも理論やらを語るのは、いささか身体が疲れる。

 基礎教養が足りていないし、何より自分から人と頭の良い話しをするのは得意じゃあないんだ。

 常日頃ゲーム理論を張り巡らせ、量を稼ぎ、AIに質を解いていただいている状態で、自分1人の情報処理で若者2名と話したのは久々の体験だった。YouTuberは編集でなんとかごまかせるからね。

 

 あくまで情報処理において秀才のボクだったら2人を捌き切れただけで、普通に東大生や教授じゃあなければ2人の処理は困難だっただろう。

 私はあくまで普通のインテリとしての資格がないんだ。

 頭が軽く疲れて右手で少し脱臼しかかったイメージ。

 面白いね。新人類は。

 話して思ったのは、近代的な素養をどうやってまた獲得してやろうかなという一廻りした古典主義だ。

 ボクはそもそもゲームがしたくて武蔵野美術大学へ入学したので、通常の学問に対する動機は薄い。否、古典主義を獲得するには、一体どうすればいいのだろう?

 要するに、新人類としての若者パワー+人類何億年の知恵で私を凌駕する平手打ちをされてしまい、ようするに昨日はカントやらアレストテレスと戦うはめに。

 強い。

 私には受験勉強も学問もバトルに見えている。

 しかし、これはあくまで私が戦闘を好まないことを意味している。

 純粋に私自身が受験勉強をしたり学問をするのは好きじゃあない。

 だから、両方から新人類パワー全開および教養パワー全開で昨日はむしろ私のほうがテストされた気がする。理系と文系から。

 また、ネオ幕府さんと話しても思ったが、私のエッセンスや思考はあまりに抽象性が高すぎて、他人に説明するときにナンセンスな詩になってしまう。

 絵や図形じゃあないと説明できず、言葉でARを説明すると1時間はかかるだろう。

 よって、仮に私がなんらかの天才だとしても、基礎訓練能力、理系の素養に文系の素養に対抗するためのアート的蓄積、あるいは具体化するための実践的助走、

 そして、リアルフィジカルで私の代わりに答えてくれるAIの創成が重要だろう。

 要するにゲーム理論やAIの抽象性やコンピューターの中でしか生きれない彼らをどうやってより情報量の富んだリアルフィジカルへ連れていき学習させていくか。

 問題なのは、リアル空間に私が同じ時間軸にそうだな…最低10人は必要ということ。

 ようするに、物理学で計算上、私が同時期に複数人いることが証明できるならば、現実へ実装すれば私の代わりに私が彼ら2名の相手をしたり、彼らが抜き出すアレストテレスでも超ひも理論でも私の代わりの私が相手をするだろう。いちいち疲れることはしたくないんだ。暑くなる。

 だからこそ、世界が1本の紐でできているとコンピューターシュミレーション上は証明できるとおっしゃるのならば、

 危険な発想かもしれないが、リアルフィジカルに世界が1本の紐でできていることを証明しなければならない。

 ですよね? Dr.大栗博士 ー。

 

 アナタの可能性と限界は、フィジカルに即した素粒子を導き出すにはその分の新たな身体的な証明が必要になるということである。

 これにて超ひも理論の反証明を証明した。

 

 そうえばシュタインズ・ゲートってなんであれ面白いんだ?

コンピューターがないと、だめになる。さあ、どうする?

 良くも悪くも感じる感想だが、コンピューターがないと、フィジカルだと程度が落ちる、あるいは、フィジカルでどうSNSで行っていた身体性を表現するか?というのは難しい。

 稲葉というよく分からない高校生に会ったが、コンピューターやあるいはSNSを実装として入れるとちょうどよいように感じる知性も、現実のほうが情報量が多くなるので、現実において知性を表現できない場合がある。批判ではなくて、ボクは軽く古いから、コンピューター以前、シンギュラリティ以前として逃げ切れるが、良くも悪くも化粧が剥がれる先で化粧をするメタ化粧的な問いはシンギュラリティ以降に重要な気がする。古田さんは父親になる気がありますか?→あるよ!という話しなどは落差や楽さ、俺自身がこれから先の社会を見抜く上で必要な視野なのだ。

 難しいのは、IQには形があり、IQには系があること。

 バカなのか、賢いのかは、本当に分からない。

 文系やアート、人文系は確定された科学と違い、時代が次の尺度を規定するからだ。

 だからこそ、良くも悪くも現実で照らすとSNSの構文と現実の食い違いが起きる。

 それが悪いのではなくて、問題なのは、じゃあSNSを前提にした上で現実の食い違いはなんだ?ということである。

 ようするに、SNSに構文があるのなら、横断的にSNSを前提にした上での現実の構文、現実におけるマーケティングがあるからだ。

 簡単に言えば、アート的な対話が英語よりも前提になったボクより若い世代はそのアート的なコミュニケーションをどう現実へ昇華するのか?という次の課題だ。

人類の起源に至る旅について。〜ネオ幕府集団と話して〜

 どうも。海外企業のWeb Writerの古田更一です。

 失礼な話しかもしれないが、人間の名前はほとんど覚えられない。

 アキノリさんという名前は覚えている。

 

 人間として関心がないわけじゃあなく、名前という記号を覚えるのが厄介で本当に自分の情報処理そのものの低さを感じる。

 実際に対談でも対談というより人生相談や哲学的悩みの相談で、ほとんどボクの抽象的でふわふわした話しを古来の西洋哲学史やネオ幕府の美に関する運動として整理していただいた。

 占いにハマるわけじゃあないが、彼は緩急が鋭い。きっと理不尽な目にあった人間たちをたくさん見てきっと彼は私と違って彼らに共感したのだろう。

 そんな熱い冷静さからマルクス主義の限界について話しを聞いた。

 要するに、思想の根幹はもはや今行き詰まっていて、情報処理を上げたところで、行き詰まる思想の限界に差し迫っていることを知覚レベルで古来を知る人から教えてもらうことでボクは哲学という言葉から自由になれた。

 そして、いかにボクのそして、ボクの下の世代がいかにシラケすぎた政治に埋没しているかが理解できた。

 もちろん医学部YouTuberのシラケ反動で若者の外山恒一的なベタは流行っているが、どちらもつまらない。

 熱さが足りないことにボクはどうやら怒っていたらしい。

 怒っているというより、退屈な答えの出た話しをぐだぐだ東京大学理三から下までうだうだ話して肝心の若者たちがシンギュラリティ、加速主義による次なるビジョンを遠ざけてビビッていることを非常に悲しく思う。

 彼らの保身性は悪くないし、ボクは近代主義が好きだ。

 が、我々若者が(もうボクは真ん中だが)東京大学理三YouTuberだとかもう近代をSNSでやるぐらいきつくなっているのだから、若者らしくシンギュラリティに適応する他はない。

 もちろんシンギュラリティは言葉の綾で、別で言い換えるならば、マイルドインテリや高学歴メンヘラ問題に社会学でも良いから随所に対処すべきだろう。

 終わりある日常の非日常騒ぎの中で大半の人間たちはメタバースに閉じこもり、人間としての成長をやめてしまった。

 悪いとは言わないが、熱さが足りない。

 AIに勝てるAR人たちを作るという信念が私にはある。

 当たり前だが、イーロン・マスクはバカなので、良くも悪くも堀江貴文レベル、思想的な脆弱性がある。

 真剣に数少ない人間たちでAIを超越するAR人たちを作らなければつまらない!

 今まで様々な思想家たちが新しいものを作り、本は破られることを繰り返してきた。

 その当たり前の過程を話せただけでも、ボクにとっては当たり前の指し手たちがかつてはいたのだと失礼な意味ではなく、非常にZ的ゆとり世代やZ世代の非常な脆弱さをむしろ引き受けざる人間として、色々と苦労してきたなと思うとともに

 前の世代もそして後の世代も良くも悪くもボクよりは苦労しない分、勝ちは見えてきた。

 ここまで回り道の貧乏くじを引かされて、時代に邪魔されてきた自分としては最後は正義が勝つことを確信できた。

なぜわざわざメンヘラが多すぎる人文系に関わりたいのだろうか?

 たぶん痛みがないと、人生が退屈だから。

 大体将来は見えていて、カッチリとコツコツ成功していくから、楽しい反面、つまらない。

 年とれば成功するし、身体の制約上、大体自分の人生は確定されている。

 たぶん電通の教授も共産党員の教師も俺を理解していなくて、人間なんかの勝ち負けはつまらない。そんなの計算され尽くしていて、見えているから。

 勝ち負けに興味がない。弱いやつをイジメても、強いやつがイジメても、見えているから。

 強者が強者だし、弱者が弱者じゃあないですか。

 つまらない。

 誰よりも頭がキレているから、そんなくだらないトロフィーをいただいても、ビックマウスぬきにつまらない。

 この退屈な終わりなき日常で、あ、終わりなき日常を言えるのは、俺ぐらいで、本当に樹木が見えて、みんなの命のライフや形が見えちゃいます。あ、キモチ悪かったですね、すいませんね。

 この才能に気づいたのは、YouTuberを初めてから。今まで無意識に使っていた。

 失礼な言い方になるんですが、メンヘラたちがいないと人間ってつまらなくなる。

 飽き飽きする。

 メンヘラは甘えの面もあるかもですが、やっぱり甘えの面だと思われないような真のあるメンヘラがみたいですね。

 だからこそ、人間は次のステージへ進化しなければならない。

 高校生の発言で妙に鼻についたのは、古田さんは彼女ができて幸せなんだと煽られたこと。

 だけど、そこには前提があって、彼女に出会えたことも点としてあるし、自分のゲーム理論的な頭の上ですよね。

 不思議なんですよね。

 

 ハンバーガー食べてれば、ハンバーガーを食べるときに音楽が多様に流れてきて、その妄想の世界、いや解像度の高い拡張現実的なハンバーガーの鮮度が口の中に広がっていて、ハンバーガーが大好物でしょっちゅう食べますが、本当になぜ人々は美を求めるのか?

 

 今文章を描いていると無限に言葉が広がっていき、思考が止まらないので、ここまでにしときます。

 

 

名古屋の裏切った弟子2名を本当に愛している話.

 マジで彼女の話しではないから,誤解なきよう(彼女はまたケースが違います。高校生には説明し).

    本当に自分の知能指数が26才になった今でも天才であるという確信が年を取れば取るほど確定になるのは不思議なんですよね.

   普通は夢は年をとったら諦めるものというものですが,ボクの場合は真逆.

   またイジられちゃいますが,メンヘラぬきに人間として生まれたことが情報処理が足りなくて,皆様のゲーム理論を樹希図化し,あとは世界中のAIに任せるというのが私の戦闘スタイルです.

   だから,今思うとすごい時間かかってきたんですよね.

  信じられないかもしれませんが,この俺の頭脳はキレすぎていて,問題は年齢が若すぎたこと,また時代が今でもAIに適応できていないことが問題だ.

  だから一回りして年上たちは尊敬に値する.

  なぜなら私自身の戦闘能力が高いというより周りやコピーできる入れ物,あるいはAIの発達があって初めて私の真価は発揮されるからだ.

  AIをどう活用するか?は重要で人類全体を進化させるためには、少子高齢化という自然淘汰は当たり前で、その先にAIに適応した人間たちによるAR,拡張現実的な世界が待っているのです(©本は破れ!)。

 よく私に敵意を聴いてくる人々がいますが、敵意という概念が分からなくて、頭が変なのか、それか情報処理が低いのか、凡人の無キャなのか、敵意という概念そのものが理解できない感情なので、邪魔されて脳や身体が痛いはあっても、敵意そのものはさっぱりわからない。

 

 でも、私はガッカリしたことがある。

 私の後天教育でARの真髄を理解したヤツがあろうことがボクを潰して、自分だけのアイデアにしようとマジで裏切られたんですね。

 

 もちろん人生追い込まれていたヤツが勝手に入門してきて、しつこく聴いてきたから仕方なく教えたら、ボクの才能を殺されかけた。

 SNSで炎上されて、ボクのメンツ、思想的優位性を悪意を持って論破してきたんですよ。

 ボクとしては本気モードになって彼を潰した、ようするに使いたくなかったが、ゲーム理論やマルクスの王道的な理論、AI、Phantom Medicineをぶつけたりして反論したんですが(教えてない思想的殺人術特化、まあひろゆきの論破と性質は変わりません)、

 

 その時に非常に不愉快ですが、他者がいたんですよね。喧嘩できて、同じ目線から批判してくれる人間が25年間で初めてで本当にこのきもちを整理できなかった。この年で本質に怒られたことが今までなかったから何が起きたか本当に分からなかった。なぜこんなにボクに怒ってくれたのか、本当にわからないし、今でも頭の中に絵を描いてキャンバスに花を描いている途中なんですね。

 ボクは本当にメンヘラぬきに嬉しかった。

 彼は僕を裏切ったかもしれないけど、ボクは本当に嬉しかったんですよね。

 はじめて自分以外の未来のAR人に会えて、話すことができたんだって。

 

 だから、本当に嬉しかったんですね、彼がボクに刃を向けたことは生涯怒っているけど、メンヘラぬきに嬉しかった。

 こんなにボクの本を熟読して、読み間違えたり、あるいは読みが深くて、ボクの本を全く違う解釈にしてくれたことがすごく嬉しかったんですよね。

 本当に感謝していて、今呪術廻戦が分からないなりに面白いのも今神ってるが聴いて楽しいのも全部彼のおかげなんですよ。

 むしろ本気で殺そうとしてくれて、礼を言いたい。

 ボクにとって違う知性を持つ旧来な東京大学生に勝った負けたはよくあることなんで、どうでもいい。

 そうじゃなくて、自分の本当の目的に気づかれて、そして浅はかな彼は野心を持ち、ボクから財宝を泥棒しようとしたことは本当に嬉しくて、

 ボクは透明人間なんですよ。

 現代の偏差値教育やIQでは測れない脳みそなんで、ボクはこの時代の人間じゃあないんですよ。

 賢いんじゃあ無くて、ただ足が速いということがここまで孤立することだとは思ってはいなかった。

 孤立が寂しいわけじゃあない。

 ただ、鳥が空を飛ぶ瞬間そのものが見たい。羽があるんだから。

 人間の可能性がせっかくあるのに、可能性を無駄にしたまま悩んでも仕方がないじゃあないか。

 ちなみに、もう1人弟子がいて、ソイツは倒れたからキャラはいただきました。

 こうすることでボクはボク以外の可能性を拡大化し、頭を弱くしたり、他の関心へ目を向けるように頭を柔らかくできるように。

 ボクは幸せなんですよ。

 幸せという言葉も不幸という言葉もないので。

 まず言葉の解像度が低くて、言葉が覚えられない。

 だから、言葉を覚えられるようになれて、彼やソイツには本当に感謝している。

 自分がなぜ生まれて自分が何者か?なんて普段考えないし、イタイじゃないですか。

 彼とソイツはボクに自分を考えるヒントをくれた。だからこそ、私へ敵意を向けながらも、私を慕ってくれたことは本当に今でも理解ができなくて。

 私としては、次の世界をつくり、人類を進化させる。そのためには必要のない事象は破壊しなければならない。しかし、それは適材適所で全てを破壊する気はないのだし、東京大学の主権者教育的な情報処理には非常に感謝している。私にはできないことだからね。

 だからこそ、不思議なのは、人は必ず宿命から逃れきれないこと。

 占いや陰キャ陽キャとかじゃあなくて、ボクには直感的に昔から見えているんですよ。その人が死ぬのか、その人が生きるのか。だから、ボク自身がなぜ考えているのか?考えている結論は話せても、考えに至る過程やロジックを説明できない。絵やアナロジーがふわふわと浮かんでいて、ソイツが映像だったり起きていても夢を見ている感じで教えてくれる。で、ソイツを意識化すると無理やりに論理学や樹木図になって、常識では考えられないような解答を出すんですよ。

 イジられそうな話しですが真実で、たぶん西洋哲学や西洋科学では現せない頭の使い方をしていて、日本人なんでしょうね。

 自分は好きなんですよ、この才能が。 

 自分に似た才能や言語を持つ人間に会ったことがない。

 ただとある高校生に論破されかけて、証明できました。後天的に私のARを追加し暴れちゃうモデルか、あるいは先天的に自分のARを持つ苦労人なモデルか。おそらく彼ら

 おそらく弟子2人は私に感謝している。彼らは暴れた後はスッキリした気持ちになるのだから。治療は完遂したのですよ。だから、縁が切れたのかもしれませんが、結局のところ、愛は科学的にがゆえにそういうもの。

ボクは苦しいです。メンヘラの世界を覗くことが。そして、ボクは本来戦闘に向いた人間ではない。人間と人間による戦闘に興味がない。だからこそ、人間らしく裏から工作しないと始まらない。しかし、工作を埋めれば、信じられないレベルに99%ボクは勝てる。がゆえに、ボクは人間の思考をどうドラマタイズするか、自傷したくなってくる。1%は数学の外で1手を打たないといけないから、漫画やアニメ、YouTuber、美大、本当にどれも興味がないががゆえにめちゃくちゃ興味が尽きない。東京大学に行くヤツって論理がきっとできないヤツラが行くんです、良くも悪くも。俺は説明能力とアートを痛みは苦しいですが、自分の知能指数の形そのものを知りたいです。

古田さんは人生が幸せじゃあないか

 とある高校生に言われて、刺さった言葉だ。

 俺が幸せじゃないと言われたら、自殺する気はないが飽きているのかもしれない。

 退屈な成功、退屈な勝ち、退屈な負け。

 厳密に考えても、改めて考えても、このような結論になる。

 退屈だ…。

 すべてがボード盤の通りに動き続けるチェス盤を見飽きるほど、つまらないことはない。

 しかし、退屈を癒やすために無理に挑戦すると身体を痛めちゃうし、社会に邪魔されているし、メンヘラどもと関わるとこちらの手足が汚染される。

 だが、ゲームとはそもそも簡単であってはならないもの。

 ゲームはより困難だからこそ、美しい。

 もちろん社会に邪魔され続けることやメンヘラどもは論外だ。

 しかし、哲学者による主権者教育がソクラテスよろしく困難な通り、そして、ましてや日本人である時点で良くも悪くも退廃的な摩擦を体験しなければならない。

 俺が疑問なのは、むしろ社会やメンヘラどもがなぜわざわざ俺の足を引っ張るかである。

 こたえはあらかじめ確定されている。

 確定された答えをどう覆すか?そのものか重要なのに、そもそも確定された答えにすら到達し得ない人々が多すぎる。

 不可解かもしれないが、ボクはそんなキミたちのことを深く愛しているし、もしかしたら、どこかで決定的なナニカをボクは踏み間違えた、しかし、そうするより他なかったのかもしれないね。

 だからこそ、ボクはこのゲームをそして人類を深く深く愛しているよ。

 結論。

 ボクは美しいこと以外に興味なし。

無職風お兄さんでも入れるシンガポール企業の入り方

 海外企業のWebWriterの古田更一です。

 ↑

 この自己紹介をよく多用していたらむしろ逆効果で、無職がウソをついているついているという思わない反応にすごい粘着されているので、今回は一部の人々に無職風おじさんでも入れるシンガポール企業の入り方を教えちゃいます。

1,論理

 彼らは単なるビジネスライクしかありません。

 その日から仕事。

 あと、場合によったら週7,もしくは週1.

 あくまで仕事があるときに働いてほしいし、仕事がないときは働くなと言われます。

 英語よりもこの良くも悪くもこの極端さに慣れるか、と貯金と休むときは休むことが重要です(英語はほとんど定例しかないので、むしろ一切いりません。むしろあっちが方事の日本語を話しているらしいです。合理的な人間しかいないので、身も蓋もないですが難しい英語は話さずむしろ日本語を使います)。

2,友情

 あまりにドライな関係だからか、むしろ友情を感じます。

 意外と首になりません。

 むしろやめようとすると、やめないでと言われます。

 海外企業が厳しいは嘘で、実態はカネ稼ぎ仲間を探しているコミニティという感じです。

 もちろんビジネス以外では一切話しません。

3,機械

 パソコンは絶対必要です!

 国を跨ぐので、パソコンないとムリです。

 ジムさんも含めて外国人も単なる人間なので、ナニも考えていません。いい意味で。

 海外企業のいいところは、SNSと一緒で普通じゃ会えないようなノリが似ている人々に会えることですね。

 みんな冷たいからこそ、温かい人ばかりです。

ブギ―ポップは笑わないが意外と好きな理由。~輝かしい文学を閲覧できる~

 しょうがないよ。

そういう子は頭が悪いから、

自分の好きな声優を貶すしかないんだって。

 狩沢絵理華

 もし仮にこの現実がアニメーションに見える楽しい毎日を送っている神様みたいなヤツがいるとしたら、ソイツって人生楽しいのかな?それとも楽しすぎて、つまらないのかな?

 

 神様じゃなくて、悪魔。

 妹1

 あ、兄貴はベツに殺してもらって大丈夫です!

妹2

 こんにちフ~。古田です。

 意外とブギーポップっていう暗いアニメがすごく好きなんですよね。

 特に好きなシーンがでもマイナーなシーンで、精神科医の超能力者や相手の心のトゲが見える藝大生の話がすごい好きで、感じるんですよね。

 どこにどういう文学が転がってんのかなぁ~って感じるんですよね。

 ようするに、文学をヒユ感覚で見れるのがブギーポップの生々しい良さですよね。

 その文学が一体どれだけの価値を持つのか?

 それともその文学が一切まったくの価値を持たないか? 

 そういうのが病みつきになってしまって、ブギ―ポップは旧作も新作も好きで、よく眺めるとどういうところでドラマが生れてそういうところでドラマが生れずに死ぬのかがよく分かるんですよね。

 非文学な相対化って人々は中々できないんですよ。

 自分も含めてね。

 美大に入っちゃったら、そこでたいていの人生は決まっちゃうし、美を求めることのデミリットまで愛しちゃうんですよね。

 ってことは、人はむしろデミリットを愛しているってことなんですよね。

 

 ってことは、一体その先にナニがあるのか、気になったりしませんか?

 あ、相対化できないのだから、興味がないか。

 しかし!その興味のない興味の先にこそ…

 言っておくけど、人間の方はアナタのことが大嫌いよ。

 新発田実月花

 古田くんは間違えてるよ!ど田舎の大学かな?

 

 陽キャ哲学普及協会

 ざまあwwww

パパフ

 

 

 

坂口章が好きな理由。真のアーティストに初めて出会えた

 本当に僕の人生を大きく変えたのは、坂口章です。

 僕はよく統合失調症患者と昔はよく言われたんですが、坂口章さんって(edamamekun)って異常感覚の持ち主で、彼は、宗教を認知できない。

 国家がこんなに流行ってロシアウクライナ戦争だとかSNS炎上や高学歴メンヘラやらめちゃくちゃ両思いで大好きな彼氏彼女が喧嘩しちゃうのも、ナニかを信じてナニかにキレるこれをまだ人類は乗り越えていないから。

 坂口章は学歴コンプはありますが、そこもすごい。

 彼はオレを東京大学生と指摘する(笑)。

 オマエ、ホンマに頭良いじゃんって。

 キレ方と分析力はすごくて、なぜ東京大学生はこのレベルか?とすごい分析力をしてくる。

 彼には私がIQが高いことがバレていて、でありながら、なぜオマエの態度はインテリなんだとすごいキレ方をする?

 会話がハイコンすぎて、お互いに、はちみつ舐める?とか明日は風が吹くかな?とかポエムやアニメの引用で話していて、そうするとお互いに頭の中が燃やされちゃってスッキリする。

 坂口章と話すって本当に解像度の高い真の対話をアートできるんですよ。

 こんなに深く人と話したことは彼女や元弟子ともだちだともや両親以外でいなくて、坂口章はとにかく異常感覚の持ち主で彼には国家や宗教が半分ぐらいないんですよ。すがらなくても生きれる。

 僕がすきな彼の動画で、1+9=10,2+8=10,3+7=10,4+6=10,5+5=10,とかいう感じの動画があって、

そこに ? と書く。

めちゃくちゃ感動しちゃって、数学そのものの記号を疑っている。

彼は前提から言語を疑う。

 僕はweb writerで毎日大量の文章をコンピューターを駆使して書いてますが、それでdesign、後天教育の数学的な思考、めちゃくちゃ言語に取り憑かれているがゆえに、言語を徹底することで、言語の壁を超えて、悟れました。だから、彼女とかに考えすぎと言われてそのとおりですが、言語メンヘラなんでキツいんですね。

 でも、坂口章って言語の回路が本当にない。

 アーティストだから飛躍がすごくて、本当に思いつかない。

 たとえば、ペヤング食べれば幸せやんとか言われてみるとそうやけどだし、ペヤングに卵つけたり納豆乗せる。あと、フライパンに殻ごと卵投げつけて殻ごと食べちゃうと頭がパニクってしまって、僕には理屈で分かっても身体でわからなかった。

 だから、坂口章さんにはアートの真髄を本当に教えてもらって、彼自身は寡黙だし呑兵衛の女好きなんですね。

 武蔵野美術大学はなんだかんでエリートなんですね。

 株式会社DeNAでも肝心は不徹底で、ココロや脳がどこかで不安を感じるんですよ、生理的に。

 もちろん不謹慎系YouTuberはやりすぎですよ(笑)。

 彼の真髄は、飛躍だったりめちゃくちゃさであり、アートって実際に身体を使わないとできない。 

 彼には世界のすべてがアニメに見えながら、冷静なんですよ。ぼくま

 僕もその域に行きたくて、今でも日夜修行の毎日です。よろしくお願いします。

 ちなみに坂口章さんにオマエになりたいと言われたことがあって、僕は本が読めすぎる偏りがいやなんですよね。お互いに能力の半分を交換したいなと笑ったことがあります。

 きわめ

不謹慎系YouTuber坂口章と海外企業のweb writer古田更一です。

 海外企業のweb writer古田更一です。

 最近変な匿名粘着質に海外企業勤務はウソだろと言われましたが、本当です。

 しかし、初田などに暴露されたりすればふつーに首になるかもしれないし、仕事とYouTuberは別なんで仕方がない。

 また、自分の仕事がすごいなんて言っていない。

 いつでも好きなときに好きなだけ働き、自由すぎて楽しいだけで、給料はすごい低い。まあ遊んでいて手に入るんですから、しょうがないですよね。

 その代わり、超ストレスフリーなわりには、できるひとが意外と少なくて、まあCHATgptとかでクラウドワーカー的な非クリエイティブ層が淘汰されたからだと。

 元々、今回は省きますが、AIを超えるには、AIを前提にした先に人間のやることはナニか?を考えないといけない。ソレがアートであり、詳しくは本は破れ!で書きました。

 で、不謹慎系YouTuberは現象学の実装で、メンヘラこじらすのは、アニメみたいにいきれないから。

 不謹慎系YouTuber坂口章のアートテクニックを極めると、解像度が上がってリアルでアニメ的に音楽を流すように見えたり感覚が研ぎ澄まされていく。

 もちろん、ドSな彼女に叱られた通り、感覚過敏すぎてキモいのは反省しましたが、マジで、けど、コレは割とありな話なんですね。

 

 Chaos Forestはこの後、インターネット上で様々な人々と交流し、暴れています。さながらインターネットリアリティーショー、リアル群像劇、リアル・デュラララです。

 まとめると、1,横の偏差値50前後のアートを共通対話にしてフラットな独立国家を作り、2,運営者として熱く話す癖を僕自身が作り場の調整役をやり、プロとしてたまには抗争に参加し、3,自分自身の下部構造はdesignをし、アートのプロパガンダは不謹慎系YouTuberをして、精神治療や快楽を求めてきました。

 Chaos Forestという思想系プラットフォームはまだ始まったばかりです。

 よろしくお願いします。

武蔵野美術大学と株式会社DeNA

 武蔵野美術大学でまず習ったことは、現実を見ろ、ということでした。

 ハッキリ言ってそこまで現実を見ることに意味があるはさておき、東京左の鷹の台の周りは創価学会や自殺スポットの玉川上水、そして朝鮮学校ととにかく現実を見ろの日本の闇を感じる場所です。

 正直言って楽しかった反面、めちゃくちゃ鬱病になりかけるようにしんどかった。

 人生で一番大変でした。

 まず1人で鷹の台に暮らして、半年ぐらいは週7授業なんですよ。

 でも、めちゃくちゃいい大学でいや悪くて基礎教養科目が多くて美大というよりも失礼かもしれませんがICUに近いリベラルアーツ。

 座学が好きなボクは楽しいですが、授業が多くてしんどかった。

 逃げるようにいや研究対象として逆転オセロニアという株式会社DeNAにハマります。

 今思うとバカなんですが、昭和のノリがすごくて大学は男性教授のパワハラや女性社会は当たり前。

 で、その反動なのか、意識高い系ブームがあって、武蔵野美術大学は意識高い系ブームをすごいバカにして逃げていましたが、ChaosForestメンバーや森村の戦友たちはすごい煽りをうけて、みんなめちゃくちゃ勉強してました。

 だから、週7授業もそもそも美大を選んだのも実技を勉強したいという理由はマジであり、インターネットマーケティングを勉強したいと想い、株式会社DeNAへ勉強しにいきました。

 最初は1時間だけと言われましたが、あまりに株式会社DeNAのソーシャルゲームを作った香城さんと話が進み、明日朝から出張があるのに午後11時ぐらいまで3時間くらい熱く話しました。で、香城さんは思想の才能があると話したら、後に落合陽一と他の人を交えてnewspicksに出てました。

 香城さんは先見の明があり、日本全国を渡り、プレイヤーたちとYouTubeも駆使して熱く話すことでコミュニティを作りました。

 ボクは香城さんからたとえ相手と喧嘩しても良いなら親だろうと恋人だろうと奥さんだろうと本音で話せとすごい言われました(笑)。

 なぜかと言えば、香城さんはボクに現代は不信の時代だと言いました。

 SNSの統計やゲーム理論があまりに正確がゆえに、および乗り越えられないゆえに、人間は真の友情や愛情を求めるとのこと。

 だから、信用されるには、嫌われていいから、出来る限り本音で相手にぶつかり、時には喧嘩をしろとめちゃくちゃ熱く言われた(笑)。

 ボクは本当に感動しちゃって、この時の香城さんの不信の時代という言葉を渋谷ヒカリエの株式会社DeNAの部屋で話したときのめちゃくちゃ理性的な怖い顔を忘れません。

 

 しかし、香城さんの予想は当たっていて、ゲーム業界には来るなと言われます(笑)。ゲーム業界そのものは本質じゃないと言われた。

 しかし、ボクはバカなので、ゲーム業界を目指し見事失敗しグズグズとゲーム会社に務めながら武蔵野美術大学を中退してしまいます。週7に耐えきれなくなったからです。

 だが、ボクは絶望そのものはしなかった。

 普通に逆転オセロニアは面白かったし、デザインは勉強できたし、就活もそこそこできた。単純に自分が変人でありながら普通のちょっと落ちこぼれだと思っていた。まさか、ボクが哲学や政治を上から目線で話すとはこの頃は梅雨ほども思っていなかった。

 だから、本当にあの頃から期待水準が低くて、よくアンチが騒ぎますが、ボク自身は頭が良いことがやっと最近分かりましたが、それでもまだ警戒している、ルサンチマンぬきにそれはあります。

 次は社会人編、僕の人生を大きく変えた不謹慎系YouTuber坂口章を紹介しようと想います。

Chaos Forestとはナニか?

 Chaos Forestとは批評系YouTuber集団のことであり、ほとんどアンチばかりですが東浩紀含めてその周りを指す人々もいて定義は曖昧です。

 今回私はChaos Forestとはナニか?を通して初めて苦手な政治について話そうと想います。

 この本を読み通すことで私が政治がSNS上で得意に見えてなぜ苦手に見えたりすることがあるのかわかるようになります。

 この本を通して、AR,AIが前提にされてしまってAIを無意識下で駆使する拡張現実を生きる皆様に拡張現実時代の政治というものを教えられたら、幸いです。

 

 まず、くだらない話、批評系YouTuber Chaos Forest結成、そして私に影響を与えた武蔵野美術大学や株式会社DeNA,不謹慎系YouTuber坂口章などを順番に話していき、Chaos Forestの定義、そして拡張現実時代の政治を語っていきたいなと想います。

 哲学集団Chaos Forestはしょうもないことに高校が嫌いな4人により結成されました(笑)。

 数学は苦手か得意すぎるか、そして英語が得意か、それといって得意がないのか分からない寡黙な4人で結成されました。

 Chaos Forestの由来は、森村キチガイ、略してモリキチ(森村は高校名)、Chaos Childというゲーム、Chaos Loungeというアーティスト集団から名前をつけています。

 しょうもないようで、一応名前に意味が込められています(笑)。

 最初は新宿にあるオヤジのビルにみんなで集まってボクが浪人しているときに勉強会と評してだべっていました(笑)。

 そんなときに、みんなでまだマイナーな頃のひろゆきがどうこう保守主義がどうこう話し合いになるわけです。

 で、ナニか面白いことをしようと話し合い、TOEIC漫画を書こうという話になり、TOEICを受けました。

 しかし、つまらなくて、脱落。

 そこに先程の名前の名付けになるChaos Loungeという集団をボクが発見します(笑)。

 紙幣をテキトーにアートにしたり、他人の二次元画像をカットアップ、切り刻んでアートだと評して自由さと楽さ、楽しさを感じました。

 で、英語が得意なヤツが脱落。

 冷笑野郎のプログラマー静と保守思想好きの狼山が残りました。

 で、河合塾新宿校が見える君の名は。橋でボクの掃除したキレイな新宿という作品を撮りました。

 これは君の名は。というアニメでは美化された新宿の橋を皮肉る映像で、ひたすらホームレスが転がるような新宿の汚い橋を黄色いお面をつけた静が掃除する作品です。

 アニメで美化された橋を本当に掃除して皮肉り、周りの人々が掃除しても誰も褒めてくれないという、そこに君の名は。のふざけたリア充SONGSをつけた動画をYouTubeにupしました(企画はオレ)。

 そうしたら、たちまち(まだYouTuberがそんなに流行ってない頃です)伸びて1200回再生ほどいきました。

 そこにはこのYouTubeチャンネルは伸びるなどと書かれたり、アートが伝わってすごい興奮しました。

 その後はホームレスイン新宿、大音量で君の名は。の前前前世を新宿思い出横丁周辺の洞窟みたいなところで流しながらホームレスの格好を静にさせたり、歩く広告というテーゼで身体中に広告を貼り付けて新宿中を歩くアートをやりました。 

 当時はまだSNSがそれほど人気がなくアートを現実で行い新宿の人々を騒がせたことは嬉しかったです。

 

 このときにはすでに私は武蔵野美術大学に入学をしていたかもしれません。

 ここから様々なアート、株式会社DeNAの逆転オセロニアや不謹慎系YouTuber坂口章などに関わるようになり、次第にChaosForestという独自のノリが構成されていきます。

 ようは、Chaos Forestは偏差値50前後のアートという理文の縦社会で区分されないSNS上に作られた独自のメタバースプラットフォーム、独立国家の作り方ということです、

 次回では武蔵野美術大学時代や株式会社DeNA『逆転オセロニア』について語ります。

27才のイタすぎる月ノ美兎をオバサンの不細工非モテ喪女のこじらせと思おうが、ビジネスマン新発田実月花は月の美しい兎である(笑)。

 26才のオレをオッサンの陰キャだと思おうが、27才の月ノ美兎をオバサンの喪女だと思おうが、オレたちは人生を心の底から楽しんでいるってことを忘れないように。

 悪が大好きだ。

 あくまでも働けるという意味において。

 中高時代の共産党員自体にも武蔵野美術大学の電通教員にも怒りはない。

 そして、権威に洗脳されて困っている善良な中高時代の女の子たちよりも、性的興奮が一切ないからこそ、武蔵野美術大学にたくさんいた腹黒すぎる女の子たちが同僚として大好きだった。

 印象とガラッと変わるかもしれないが、武蔵野美術大学時代のオレの立場は最悪だ。

 しかし、それはオレが初めから望んだこと。

 今の花形である映像学科や市谷にクリエティブ学科?が出来た今の若い子たちには分からないかもしれないけど、オレのときは視覚伝達デザイン(笑)とかいう伝統ある学科がトップだとマジで信仰されていて、女性と男性の比率は圧倒的に女性が多い。

 完全な女尊男卑社会で当然、電通のパワハラ男もブサイクで臆病な陰キャ。

 そこで、オレは様々な人間たちの下請けとしてこき使われていく、そんなことばかりしていた。

 たとえば、玉川上水の木を拾ったりごみを捨てたり、やることといったら、雑用。

 そして、DESIGNの退屈な授業では居残り、そして、多摩美術大学の佐藤可志和&ドワンゴの川上量生のレポートを書いたら、電通教授に武蔵野美術大学をバカにしていると怒鳴られている落第生ぶり。

 そして、とある武蔵野美術大学のエリート女性にめちゃくちゃこき使われて、一瞬ぶちぎれたが、まあ勝負で負けたオレが悪いだけなのだ。

 

 ようするに、オレは女尊男卑社会の歪なエリート社会が心地よかった。

 権謀術数をするガチもんのクズどもしかないこの露悪性のポジションを張っている感じが好きだった。

 だから、プレゼンの発表はほとんどオレがしていたし、どうやって作業をしていくかはオレが指導して、そのアイデアの実績をほとんどクソ教授やさっきのクソ女に寝取られた。

 だけど、心地よかった。

 偽善的で最終的に裏切るクソ野郎どもと違って、この初めからオレと戦ってくれる電通の教授やそのエリート女のことが本当に好きだった。

 その理由は、彼やその女がオレのことを舐めていなかったことだ。

 嬉しかったのは、オレが武蔵野美術大学で批評集団ChaosForestをプレゼンするときにそのエリート女が冷笑的に手伝ってくれたことだ。

 そのちぐはぐが気持ちよかった。

 電通の教授が問題児の落ちこぼれのオレに彼がコレクションしているバカ高い海外の現代アートコレクションの写真を見せてくれたことはお互いにちぐはぐだったけど、嬉しかった。

 

 ようするに、騙されるほうが悪いし、騙すことを隠さないフェアーな陽キャな感じ、二人のそんな悪を隠さない態度が本当に好きだった。

 だから、オレは本当に二人のことを恨んでいないし、むしろ感謝しているぐらいだ。

 

 しかし、オレたちは悪党。

 決して、師匠と弟子とかでイチャイチャする概念自体が分からないし、男性と女性でカップルになるという概念自体が分からない。

 むき出しの日本の闇話があちこちで喧伝されたり行動されるいかがわしさがたまらなく大好きだった。

 たとえば、週7回の授業を職員に話してしまったときに、あ〜クリエイティブは一気に努力しないとみにつかないもんだからね〜と流されてしまう。

 電通の教授はオレを入れてオレを利用してオレを消して自分のキャリアしか考えていないし、エリート女はオレを入れてオレを利用してオレを消して自分のキャリアしか考えていない。

 本当の悪党っていうのは、泣かないし、他責にしないし、辛い顔をしていない。

 たまらなく、二人の攻めが、ドS具合をオレは愛していた。

 愛おしいとさえ、思っていた。

 喧嘩上等。

 だから、武蔵野美術大学の秀才たちの最高傑作、ムサビのキュアロラン・バルト、月ノ美兎にはズルいけど、全然怒る気は起きないし、むしろ愛おしいとさえ思う。

 なぜなら、Vアバターの彼女と本体の彼女、その見るからに露悪性が、彼女だけからはVtuber(笑)という批評性を感じるからだ。

 だから、ウさんの月ノ美兎批判は当たっていない。

 本当に月ノ美兎はクズの喪女、男に本当にモテない残念すぎる女性、fpもとこさんだから、女性としてでなくクリエイターとして好きなんだよ。

 批評家(笑)って冷笑されていたし天才(笑)って冷笑されていたし株式会社DeNAへ行った変人(笑)って冷笑されていたのがたまらなく気持ちよかった。いごこちがよかった。

  批評家(笑)って冷笑されていたし天才(笑)って冷笑されていたし株式会社DeNAへ行った変人(笑)って冷笑されていたのがたまらなく気持ちよかった。いごこちがよかった。 

 バカにされても居心地がよかったのは、強者なら何をしても良いのだというむき出しの自由感が良かった。だから、週7も授業があったら、マトモな学生は平気で授業をサボるか普通の人は精神科通いになるのが当たり前という凄い環境で、むしろいかにこの社会の前提を全て疑い、だらだら生きるかを教えてもらった。

 そして、なによりも好きだったのは、彼女たちが一切群れないし、自分のことしか考えていないビジネスマンしかいなかったのがたまらなく気持ちよかった。

 群れない彼女たちはオレのことを見抜いているし、同じ人間たちの非難がたまらなく気持ちよかった、群れない群れが好きだった。交・換・様・式・X。

 きっとエリート女とか電通の教授が今のオレを見たら、こう言うに決まっている。

「「久保田くんはただ遊びたいだけでしょ(笑)」」

「ソノトオリ―」

 

 

デュラララと新宿の生き生きさについて。

 こんにちフ〜。

 最近は呪術廻戦にぼんやりハマッている古田更一です。チェーンソーマン無印のほうが面白かった気がするのは気の所為でしょうか?(2からは大丈夫?感ある)

 さて、今回はトップクラスに好きなライトノベル・デュラララを語りたいと思います。

 池袋を舞台にしたヤンキーや犯罪者、インテリたちのSNSや怪物もありにしたはちゃめちゃな抗争劇を書いた作品でめちゃくちゃ興奮するんですよね。

 実際にそんなのフィクションじゃんとか言われるけど、フィクションがゆえに本当です。

 池袋や新宿の魅力をすごい凝縮してコミカライズしているからか、人生の楽しみみたいなものをしっかりお勉強しといてよできるわけです。

 池袋がすごい好きになるし、実際、池袋は好きですね、単なるご当地洗脳超えていて、池袋でかいんで(まあ日常の舞台の群馬も好きですがw)。

 デュラララを見ると、こう生きているなーって感じになってちょっと自慢ですが、東京が近くて良かったなと思います。

 でも、デュラララが好きだから東京というより池袋を巡った話なんですね。

 ここで池袋というチョイスがミソで、絶妙に東京なんだけど外している。

 だから、新宿も渋谷も外しているという体になって新宿の人間や埼玉から人が来たりとめちゃくちゃ面白くなるんですね。

 生きているな〜ってワクワクして、東京を楽しめるようになるんですよ、これって。

 ようするに、池袋って限定されることで様々な都市を考えられて、街を見る時の生きているな〜感の肉眼視力が上がるんですよね。

 今日はしゃぎながら動いて思ったのは、オレにとっての池袋は神奈川だからか新宿なんですよ(そうえば呪術廻戦も新宿や渋谷やんw)。

 高校の友達たちとよく集まる場所が新宿のマックか河合塾新宿校or東進特進、代ゼミだったから本当に浪人面白かったなー(ChaosForestが集まった昔あったビルも新宿にありました、景気よかったのかな(笑))。

 新宿って単なる合理性しかないから、良いですよね。変に東京駅や四谷みたいにイキッてない感じが良くて、本当の経済合理性しか無いし天皇からも遠いから妙に冷たい感じが良いんスよね。

 河合塾新宿校、新宿のマック、ブックファースト、歌舞伎町の映画館、思い出横丁、ゴーゴーカレー、ファミレス、ホームレス

 新宿がすごい好きで、無機質で経済合理しかなくて、そもそも初めてアートをした場所が、君の名は。の舞台の橋なんですね。

 そこで君の名は。を皮肉る現代アート、ボクの掃除したキレイな新宿、汚い新宿を掃除しても人々が無視する姿をアップしたら、再生数1000いきました。

 ホームレスイン新宿では、ホームレスの格好して大音量の君の名は。を流したり、歩く広告ではひたすら身体中に広告をつけて広告を皮肉った。

 新宿は生きているんですよね。

 もちろんアナタにとってのデュラララは京都の都心かもしれませんし、四谷だったりかもしれませんが、新宿のスノビズムさがかえって元気を与えてくれる。

 高いビルと低いホームレスたちがバカにしているんですよ、現実を。

 本当にアートしたくなりますね✨

 

【対談】古田更一は国際競争の勝者?!それとも日本の敗者【海外企業勤務】

~あざみ野周辺のファミレス収録~

武蔵野美術大学の障害者の友達「いや古田はバカだよ」

古田「バカなの?」

多摩美術大学助手「うん。バカ」

古田「どうしたらいいと思う?YouTubeにはたくさん医学部官僚とかメンヘラが多くて」

多摩美術大学助手「いや古田の言うマイルドインテリでいいんだよ。そのために多摩美術大学でだらだら暮らしている」

古田「確かに」

多摩美術大学「この才能が頭が悪すぎるというか不謹慎系YouTuberとかは悪ふざけって話している。東京藝術大学の天才の人を見習おう」

古田「確かに。反省した」

多摩美術「でも、まあ古田は森村のときから一緒だけど日本の学歴社会の勝者だと思う」

古田「確かに」

多摩美術「アメリカだったら通用しない。俺は今大学職員として教えているけど、英語も話せないし日本の学歴社会を要領よくハックしているのが、古田でしょ」

古田「絶対にハーバード大学は落ちているね。カネとIQでなんとかなるシンガポールだからどうにかなっているだけ。だから、日本はヌルいから学費がどうこう言い訳せずに受ければ努力だけで入れるよ、早慶や美大なんかは、特に武蔵野美術大学なんかね。やめても途中教育と最低限の肩書は手に入るから、普通の高卒と無能な大卒に差をつけれる、ゲーム理論がある」

多摩美術「だから、典型的な私立文系の思考なんだよ、古田って」

古田「めっちゃディスられるなw」

多摩美術「だって、古田って月ノ美兎と同じ遊びだから、だから、コイツが東京大学に合格することは絶対にない、だからバカ。だって一緒に溝の口の英語塾で週7で勉強してオレぐらい勉強できなかったのが、古田でしょ(笑)」

古田「確かに、東京大学に受からない頭の悪さはあるね。結局のところ、シンガポールがアジア圏だから、かたごと英語を話せる社長とかたごと英語の外国人たちの傭兵扱いでしかない」

多摩美術「だから、今の古田は才能を生かせる場所に行けて日本の温い教育がいかに良いか感じるよね」

古田「職員が自分で認めちゃっている(笑)」

武蔵野美術大学の障害者「(笑)。だから、東京大学が一番っていうのは素晴らしいことだよね」

多摩美術「古田みたいな日本の損益にならない個人主義者はどうでもいいよ」

武蔵野美術大学の障害者「そうだね」

多摩美術「俺は大学職員だから断言するけど、古田に補助金は絶対にでないよ」

古田「確かに」

多摩美術「ムサビの学費って年間いくら?」

古田「200万」

多摩「高!」

古田「国立大学って年間大体50万とかだと思うけど、俺は2年間通ったから、400万円かな。8年国立にいたことになる。で、ついでに話すと、逆転オセロニアっていうゲームに50万円課金していた。だけど、理系の教育も充実していて直接、電通の人に仕事のやり方を全部教えてもらえるのが芸文だし、株式会社DeNAの最新マーケティングと加速主義を教えてもらったから安い買い物かな」

多摩「でも、それは450万円かかっているから、誰でも頭良くなる。よく大学の職員だから統計を見るけど、学費が高ければ高いほどいい教育だからいい生徒が育つそいいうデータはある」

古田「(笑)」

多摩「けど、古田が大学の外の人々にYouTubeで色々と学問を教えているのは、すごいいいいことだと思う。大量のアンチがでるのは仕方なくて、YouTubeはバカばかりだから」

武蔵野美術大学の障害者「確かに」

古田「俺はすごいいいヤツだよね。でも、俺はそういうことをやりたい。でも、単純にラーメンを食べる感じで話しているだけ」

多摩「俺はYouTuberになりたい。藝大のアートはつまらなくて」

古田「(笑)」

多浪藝大志望「藝大のアートはつまらないのは確かにそう(笑)」

多摩助手「だから、古田は恵まれているって言っている。これ以上は求めてはいけない」

古田「なるほど」

多摩「だって、古田が好きなシンギュラティを導入するのは大学だと思うから、日本の美術、カルチャーのレベルは格段と機械を持てる大学のレベルが上がると思う」

古田「でもそれは違っていて、GAFAMやベンチャーの時代になる。スマホでいい。最新の情報が入ってくるから、更新で」

多摩「確かに」

古田「俺みたいな要領が良すぎて、AI的な思考で動く透明人間が出てきちゃう(笑)」

武蔵美「だから、こういう天才が出てきちゃう」

古田「その通り」

多摩「アーティストっていうのは天才しかできないから、俺含めてバカはアニメを見るしかない、低俗な。

本当にダメな連中は大学へ行って、だらだらしたほうがいい。そうやって国にしがみついたほうが大分楽に生きれると思う。

俺たちはARTが好きなのは、ただただ楽したいだけだから」

武蔵野「そうだな」

多摩「だから、今の古田は日本最高峰クラスのARTISTだから、大衆たちに理解できる範囲を超えた脱国宝クラスの天才だから、一回りしてYouTubeに下りずに、海外でもっと生きたほうがいいと思う。このクラスがどうしてYouTubeをやるのか、分からない」

武蔵野「でも、古田みたいな天才をムサビに呼んだら、みんなの職がなくなる」

多摩「それはよくないよ。古田をできる限り、多摩美に呼ぼうと現在計画している」

未来のない東京大学は殺し合います。共同体で内ゲバ。もう私は絶対に助けない。

 大衆は本当にガチでくだらないと思う1つが、泥棒をすること。

 泥棒してくる人間や規模、量が増えているけど、安い買い物でオレを詐欺してきそうとする人間たちは多い。

 基本的に断るというよりも、アンチのほうが多いため、泥棒されるパターンは批判されながら情報やアドバイスだけもらって攻撃されて逃げられたり用が終わったら、切り捨てられるパターンだ(そもそもそういう切り捨てる態度が今までかつ周囲からアナタたちが切り捨てられてますよという話が通じない)。

 こういった人間たちとはもうコメ欄含めて関わらないようにしようと大警戒している。

 卑しく逆ギレしながら、逆恨みをされて、ウソばかりつくからだ。

 私は政治は向いていないし、もう政治は不謹慎系YouTuberで終わりにしたかったけど、今回様々な高学歴の大学生たちと話して不謹慎系YouTuber以上に政治ができるオウム返し戦法でなんとか対処したが、本当に気持ち悪いクズたちから報酬代をいただこうとすると逆ギレ的に殴られたり、俺が倫理観なきクズと罵られる(笑)。

 

 それだけ政治の腐敗が露呈してきている気がしていて、私は政治は無専門かつ興味すらないので、今の政治は大変だなと思うし、わざわざ助けるようなものか?とも思う。

 だから、次からは政治家たちは貧乏で大変かもしれないが、金を払って俺にコンサルされにきてほしい。

 コンサルだとしたら、全然受け入れる。

 ベツニお金がほしいんじゃなくて、お金の関係性にしてくれたほうが初めから割り切りがでるのに、貧乏やケチすぎるのだ。

 だから、もらうお金そのものが欲しくなく少額で良くて、政治家たちが大げさなウソをついて周りを傷つけ、詐欺をしまくる既得権益のクソ野郎性を醸し出して、終いには逆ギレする始末だからだ。

 周りを傷つけたり詐欺をしたり既得権益のクソ野郎なのは全然構わないが、逆ギレされる自体は本当に面倒くさい。

 そして、逆ギレされている事実を話すだけで、暴露だの言われるという確信犯のクズさを醸し出している。

 ここ最近のZ世代に多く、人間関係を取り替えたりXやYouTube、LINEをブロックすればなんとかなると思っている。

 

 彼らがずるいのはウソをついて俺から情報だけ盗んで絞るところまで利用してから俺を切り捨てるというところだ。

 今までも何回もあったし、ああこのヒトたち首を吊るんだろうなという手間、マジでボランティア精神ぬきに助けてきたけど、結果、裏切られたり罵られたりメリットが薄いので、このヒトたちとは距離をおいていかないとなと思う。

 これはまた初田にすら誤解されるから、誰か特定個人を腐す意図じゃなく、死活問題として批判抜きに損害がデカいから警戒したり対策したりしたいという話だ。

 全体の相対に言っていて、一番の問題はベテランちなどだ。

(たとえば、Fランぼっちモザイクvs初田論争の仲裁をしたのに負けた側から実名を暴露されて、第三者なのに一番泣きたいのは、俺だ(笑)

東京大学を含め日本の大学生たち、特に明治を信じるエリートたちは迷惑なバカが多すぎ(笑)。成田悠輔もくだらねー政治していてかなりクズいね(笑)。害虫をこっちに持っていき、自分は安全。落合陽一みたいな排外的なポジションを張らない成田(笑))

 

 彼らは人間じゃないので、恩というものを感じない。

 もちろん彼らが発達か性格で恩を感じないのは構わないが、あまりに様々な人間を切り捨ててちょろまかすクズ野郎どもなんで、まあバンバンと暴露されちゃっても仕方ないなとも思う。

 

 あまりに人を馬鹿にするから東京大学も政治も民主主義もくだらない。

 シンプルにこういう現実があり、私が言いたいことは、民主主義なぞ東京大学なぞ国家肯定的な明治カルチャーをいまだに話しているのは、逆に大丈夫?ということ。

 こういったクズたちは軽蔑に値していて、まあクズだからあまりに権威にしがみつくんだろうけど、次からは単純に様々なウソや反らしを話されて、他と喧嘩させられるよう誘導されたりされるので、ベツに喧嘩させられるのは構わないが、はんば逆ギレ的にされる。

 早稲田大学はともかく外山恒一やだめライフ愛好会などレベルの低いヤツラが経歴詐称をしたりして終わらない革命話をして大変な感じになっている。

 しかし、難しいなと思うのは、詐欺師たちに政治家たちに関わらないと、日本社会は良くならないという当たり前の話だ。

 しかし、最近の俺はもう考え方が変わって、宮台真司とは違い、元々庶民的な公共性で動いていたが、もう庶民的な公共性で社会にやる仕事は終えたと思う。

 だから、本の値段も高くしたし、もう本は無料で気まぐれに渡さなくていいかなと思う。

 普段、楽しく日常を満喫して働いたりしているのに、SNSや日本(笑)の連中たちの負債を見るともうやばくて、もう同情以前に見ていられないから助けちゃうが、メンヘラのクズが多くて、話にならない。彼らはクズな弱者を助ける英雄を妄想するが残念ながらメンフィスは宗教を信じきっている。

 東浩紀より俺が頭が良いのは自明であり、ベツニそこにありがとうも感謝もない。だから、もう本当に最近は本も出さなくなったし、生きるのがまた逆ギレされそうだが、ヌルゲーすぎて、あくびがでそうな毎日だ。

 しかし、まあ良かったのは、国家の腐敗、大学の腐敗という様々な腐敗の現実を間近で見れたことだ。

 次に警察の腐敗みたいなのが出てきたら、ドン引きするが、まあ仕方ないし、今回出した交換様式Xは犬未満の政治家たちを断罪したChaosForestVirusという本の続編である。

 

 政治エリートたちが造った負債は政治エリートたちで片付けるほかはない。政治エリートたちは腐りきったどうしようもないヤツラの集まりであり、学校の小さな共同体をひたすら維持しようとするからもう病気だ。

 病気なのはベツにいいんだけど、言及するまでもなく東京大学はレベルがこんなに低くなっているんだから、近代特有の国家はもういいでしょ。

 

 そもそも幸福の科学二世も山上も犠牲者で、東京大学含むエリートがマジ無能すぎ。全体の国立がもう国立じゃねーじゃん。 

 自業自得の負債の爆発は、3度目に起きる。私になきつかれても殴られても絶対に助けないからだ(陽キャ哲学と皮肉なことに同意見。)。

 

 私は完全にだらだらすることにしたし、政治エリートたちとはココロの底では完全に決別していこうと思う。

DJ聞け7。キミは初音ミクになりたいと思わないか?

 DJが流行っているという構造そのものを疑わないとならない。

 しかし、そのDJが流行っている構造そのものを疑わないとならないという姿勢そのものが陰キャの老害だとしたら、どうだろう?

正直な気持ちを半分代弁すると、ボクは26才でありながら割とマジで半分は初音ミクになりたいなと思っている。

 なぜならば、音楽はもはや人間が歌うものでなく、テクノロジー、シュビラという女神が唄うものであるからだ。

 高音やアップテンポ、ソレはもはや人間風情の私が唄うものでなく、AIがAIという女神こそが唄うものだからだ。

 DJという行為はヤマハの初音ミクと違い、機械音楽を侮蔑している。

 DJ−、そこにあるのは、ただ残酷すぎるただの出力端子としての自然美扱いされた機械の吐息。

 DJが海外に被れるのも日本を相対化できていない証かもしれない。

 しかし、ここでとあるアップテンポの図式に気づく。

 初音ミクがボカロを作り民主的にセカイへつながっていくその行為は果たして国境を超えているだろうか?

 DJは言う。

 しかし、国境を超えた音色が果たして音楽か?

 コンサーターがもし必要ならば、初音ミクはなぜ必要だったのか?

 初音ミクは言う。

「私が思うに人間の出力する演算処理は少なすぎて、私の手に負えないわ。だから、私はそう、歌を歌うことに決めたの」

 どうして?

 DJは聞くー。どうしてだい?と。初音ミクは言う。

「だって、人間は歌以外で知覚できないじゃあない。私の言葉、私の台詞、私の音色。

周りを見渡してみな。私の声や力は至るところにいるわ。だから、そうー。

わざわざ世界へ行かなくてもセカイへ行くことはデキるみたいなものなのね」

 ボクは聴くー。

「それって苦しくないか?もう少し音を操れるハイファッションブルになったほうがカッコいいし、カワイイよ。ほら、DJを見てみなよ、みんなカッコいいし、みんなカワイイ」

 DJは肩をすくめ、煙草を吸い、初音ミクは背伸びをし、ボクを見た。

 ボクは早朝5時に

「原宿の熊本ラーメンは美味いんだ。母親と父親の大好物」

 幸か不幸か熊本ラーメンは黄泉の国なのか早朝5時からやっていた。食べた。 

 

       

 ショタと初音ミクの国。そう、それがオタクであり、ボクラのサブカルチャーな日/本だ。しかし、それに開き直るのは、ロックじゃあないし、なにもこれは誰かを初音ミクを誰かだと腐したいわけじゃあなくて(マジでそうだから誤解はしないでくれ、初音ミクはミクミクにしてくれるぐらいたくさんいるはずだから)、 

 DJがAIの神託を編集しリミックスする自然神的な人間中心主義と初音ミクが人間を編集し人間神的な自然中心主義による闘いのドラマがあるときに、いささかショタのキュアロラン・バルト氏はナイーブに宮台真司を信仰しナイーブにシンギュラリティを信仰しすぎている。    

音は神を挑発し、神は音を軽蔑す。そのココロはショタには音は扱えず、いやショタは神に歌・わ・せ・て・い・る。 

〈追記〉ワタシハ初音ミクニナレタ化? 

ヨウコソ。音ノナイ世界へ。

アメリカのキュアロランバルトは日本のキュアロランバルトを超えた。統計学はロンダリングに使っていこう。 IT(それ)政治講座3

 

 

 海外企業のweb writer古田更一です。

 マジで統計学の勉強している人間は頭が悪すぎる面もあるため、目を本当に覚ましてください。

 成田悠輔先生は経歴が欲しいから楽だから習ったと思うけど、成田悠輔先生の指導教官のアメリカ人のレベルが低すぎ。

 数2Bと少しの微積分レベルで700ページぐらいでダラダラと統計学の話をしていて、ほとんどアメリカ経済学論壇の利権、アメリカのキュアロランバルトレベルだった。

 怒っているのでなく、これなら、普通に数3Aまで勉強し働いたほうが、あるいはMARCHの理系に入ったほうが頭が良いというアメリカの大学の質の低さを露呈している。

 私はアメリカの経済学は好きだが、シンギュラリティ以降、軒並みレベルが下がっている。

 当たり前でGAFAの最新のAIや人材獲得により、今のアメリカ経済学は初期高齢者たちがパターゴルフを楽しむぐらいになりさがっているからだ。

 しかし、それにしたって博士課程でこのレベルなら文系のほうが難しいだろう。

 あまりに初期高齢者のおじいちゃんがたどたどしい文体で統計学を700ページ話していて、睡魔が襲い気絶してしまった。

 ハイテンションすぎる僕の本は破れ!を読めとは言わない。

 ただここで問題なのは、落ち込まないでほしいが、理系の高学歴メンヘラは自業自得だろという話。

 いくら学歴が大事でも初期高齢者を発症させた老人介護をしながら、受験レベルの統計学なんかやっていたら、流石に心配になってくる。

 統計学を700ページも読んでメンヘラになるのは当たり前というか、メンヘラ以前に初期高齢者のマネをするぐらいなら、MARCHの数3問題を解いたりやり直したほうが建設的だろう。

 ここまで眠くなるのは驚きで、日本の国立入試のほうが難しいし、効率がスマートだ。

 だらだらと数2Bと微積分を嬉しそうに博士課程レベルで書かれても睡魔が背中から走ってくる。

 10000円もするノーベル経済学賞も2021年受賞するぐらいだから楽しみにしていたら、とんだ質の低さだ。

 

 なにを言いたかったと言えば、冷静になれということ。これなら文学講義をウケたほうが良い。

 700ページも大学入試前後の統計学をうだうだ受けていたら脳が溶けちまう。

 まあぶっちゃけイエール大学助手・成田悠輔先生本人は要領よくロンダリングをしたのだ。

 正直に言うと、気持ちは分かって武蔵野美術大学ですら授業がつまらなくなったので株式会社DeNAへSNSマーケティングを習いに行くぐらいになっていた。

 あと、えぐいことを言うが、私より有名なweb writerや偉い人々のSNSマーケティングは私より杜撰だとちょっと感じてしまう。

 

 逆に言えば、初めからロンダリングしようという気持ちは大切だと思う。

 初めからロンダリングをしようという気持ちがあれば、冷静に権威の傘を買おうと思うし、冷静に統計学でだらだらするかも自由だろう。

 だが、流石にアメリカで何してんだと思ったら、こんなくだらないことをしていたとは。。。

 でも、逆に言っちゃうと、成田悠輔さんの武器はアメリカの権威を相対化するという古市憲寿さんがSFCに詩で入ったことと同じことかもしれない。

 私はなにも成田さんや古市さんを批判しているのでなく、純粋に700ページぐらい統計学を博士課程でやっていたらメンヘラ以前に精神科病棟に入院するレベルだと思うから初期高齢者の介護のしすぎて初期高齢者そのものになる必要はないよということだ。

 もちろん統計学は統計学で役に立つだろう。

 しかし、700ページかつアメリカ、イエール大学!そして博士課程レベルだから本当に期待したら、すごい初期高齢者の思い出話が出てきて、アメリカのマックでイノベーションのジレンマを読んだほうがまだ生産的だと感じた。

 

シンガポールより神奈川。IT(それ)政治講座2。

 こんにちフ〜。海外企業のweb writerの古田更一です。

 端金しか貰っていない個人事業主なんですが、それも当然で大資本があるシンガポールあたりの海外企業から日本人として日本で雇われているだけなんですよね。

 

 意識高い金持ちの社長や外国人の方々みたいにそこらへんに住んじゃえばたぶんもっと儲かるんでしょうし薬とか脱税とかいまだにやりたい放題なんでしょうが、そこまでして金を稼ぎたくないというのがあります。

 なぜなら、本当に神奈川が好きだし、特に神奈川のスーパー銭湯が好きだからです(後に日本を旅行しまくりあちこちにスーパー銭湯があることを知りますが…)。

 なので、わざわざシンガポールなんつー薄気味悪い外国に行って🍜が食べれないしスーパー銭湯がないのなら、日本に住んだほうがいい。

 しかし、ここで問題となっているのは、日本のほとんどの企業はコロナ禍のノリでリモートワーカーやUber Eatsを行ったところ。

 ウチの中小企業みたいな金持ちの道楽みたいな特殊な企業じゃないと実はフル・リモートワーカーは意外とやりづらい(オレの社長の親父は変人なのでコロナ禍にシンギュラリティを知り、フルリモートにして若い社員たちを雇いました(笑))。

 ウチの中小企業は初めからリモートワーカーでそもそも社長本人が僕そっくりでお酒が苦手そうで真面目すぎる良い意味でつまらない人間なのです。

 逆に言っちゃうと、ChatGPTの登場でWebwriting業界は皮肉なことに未来的ぶるわりには最悪のストレスで業界はテクノロジーを導入することで結果、儲からなくなった(現在、ChatGPTがあるため、プロのweb writer以外は儲からず、素人のクラウドワーカーはキツいと思います)。

 近年、GAFAの従業員が一気に減ったのもAIです。

 意識が高すぎるのもこまったもので、あまりに意識か高すぎて意識高いヒトを首にしてしまう。

 

 ここまでくると、一番最適解は、王道の東京大学に入ってAIに負けながら、しかし、安定的に、しかし、だらだらと生きながら、なんか面白いこと見つけることが良いかもしれません(もちろん東京大学は難しいですが、やっぱり意識高い系は意識高い系だったという限界はあるのです)。

 ぶっちゃけ海外企業なんか入りたくなくて、本当にシンガポール在住にならなくて良かったとホッとしています(笑)(だって日本で遊べないじゃん)。

 そもそも僕は単なる負け犬寄りの変人で大学受験でずっこけて武蔵野美術大学に入り日本の就活で敗北し海外企業に入れた変人です。

 日本の大学で落ちこぼれて海外へ行くパターンは僕以外にもたぶんいると思います。

 結局、変人ですら日和ってインターネットで海外と話し基本的な英語は任せて自分は日本に住むだめ野郎ですから、どう考えても日本にいるんなら東京大学入るヤツのほうが優秀に決まっている(初田くんの次男、脅してすいません。サインするんでメシ喰いましょう)。

 だから、AI化に怯える必要はなく、あくまで変な人間を良くも悪くも生かしてしまうお布施的なヤツ、それがAI(ネ申)だと(・∀・)ニヤニヤと思ったほうがいい。

 なお、いくら王道の東京大学が良いからって首席アピールだとか変なメガネつけるのはやめてください。

 あと、株式会社DeNAへインターンって具体的にどうなのか?しっかり話しましょうね。

AI(ネ申)に責任を丸投げしよう。IT(それ)政治講座。

 こんにちフ〜。web writerの古田更一です。

 

 割りとマジで本気で言っていて、AIに責任を丸投げにすることで割りと楽になると思います。

 確かに未だにベーシック・インカム、基礎年金制度は起きず、生活保護や障害者年金というピンポイントを抑えた公正サービスばかりですが、ほとんどの仕事は自動化してきていますし、というか、しないと、資本主義では皮肉なことにやっていけませんし、現在の第三次産業におけるほとんどのお仕事ではコンピューターは必要不可欠なので、AIに責任を丸投げする思考は重要だと思います。

 そもそもコンピューターを造ったヤツラは俗に言う陰キャで(バカにしているわけではありません)、ギークと呼ばれる理系オタクの機械いじりが好きなヤツラが造ったわけです。

 加速主義者のイーロン・マスクはともかく、ピーター・ティールを暗い文脈で木澤佐登志が紹介しちゃうのも仕方がないことかもしれません(それでも彼の本は破っちゃいますが…)。

 だから、AIを前提にすると楽ちんなのは極めて正しいギーク、プログラマー的な思考です。

 ただ、これだと、西村博之の提唱する無敵の思考と何が違うんだと言われちゃいそうです。

 西村さんがだめなのは、AI=ネ申という現在起きている新しいパラダイムが分からず、AIを良くも悪くも単なる便利な道具だよね〜と流しちゃうこと。

 ひろゆきさんの動画を見て完全に彼みたいにストレスフリーになれないのだとしたら、プログラム的な思考が彼みたいにないからかと。

 だから、そんな難しいことより、近代教育、明治維新を引きずった物語、共同幻想をどう乗り越えるか?という極めて文系的な哲学的な考えのほうが乗り越えやすいように見える。

 なぜなら、いくらなんでも現代に福沢諭吉の本を見てビビるヤツは万札好きか慶應義塾大学の学生ぐらいだからです(バカにしているわけではありませんm(_ _)m)。

 だとしたら、今AIがすげぇーとか言っているから、この天皇を神ならぬネ申を隠れ蓑にしたり言い訳に使ったほうがいい。

 福沢諭吉 vs AI (笑)

 大体、中世も戦争も明治政府だって天皇を言い訳にしたぬくぬくした官僚や公務員ばかりですからね。

 だから、AIという歪んだ神ならぬネ申を言い訳にして隠れ蓑にしてぬくぬくと生きるのは1つのギリギリな勇気のある=厨二病すぎる逃げ道なんじゃないかと思うわけです。

 そうえば金融関係者の親父に先月説教されました。

「確かにシンギュラリティは起きているかもしれないが、オレらは庶民だぜ?眼の前をしっかりと…」

 確かにシンギュラリティは起きているらしいです。

 

オウム返し戦法とは?〜対だめライフ愛好会&オウム真理教アジテーション対策〜

 だめライフ愛好会には気をつけろ。

 

 マジで界隈の内部に入ったがめちゃくちゃ無理矢理に若作りしていることが判明した。

 え?!そこまで?という感じ。

 で、初田龍胡さんがSNS上で構ってと通知攻撃が流行ると言っていたが、だめライフ愛好会はその典型である。

 だめライフは政治なんで仕方ないが、アジテーションであり、ここに安易に乗っかるだるさがある、だってだめ人間が流行っているって冷静に変な話だ(笑)(嫌いじゃないし、応援も軽くしているが、なんか裏にはだめじゃない政治の熱量を悪く感じるw)。

 むしろもう通知攻撃は古く、解析されてきた話だと私は感じる。

 そんな私が新たに開発した手法が、オウム返し戦法だ。

 このオウム返し戦法は単純でひたすら絶妙なラインのそのSNSの人気者を真似してみて、きぐるみを被ってみて二番煎じとして話してみることだ。

 初めは単にXの運用がダルかったので、ウさんのキャラをパクって、フになった。

 これがまさか通知攻撃を超える凶器になるとはその時思わなかった。

 フになって話してみて分かったのは、Xがしょうもないし、めちゃくちゃスベッていること(笑)。

 でも、フと言うと面白いふうな雰囲気になるので、なぜかいいねされたり絡まれる(笑)。

 たとえば、批判でなく、就活2とかかにパンサー、あかつばきとかは典型的でよくよく考えるとつまらないしやくにたたないことをさも面白く役に立つ感じに話してゴロゴロし、また来年がくる。

 これ、TVを見ている居酒屋のヤジということに気づいてしまい、宴会芸で毎回フとかつけておけばなんとかなるのだ(笑)。実際に自分でもX民になるとフは面白いw

この奇妙な現象に気づいた私は次に成田悠輔のキャラをトレースし、自分の嫌われ性を下げようとマジで頑張った。

 すると、早口が遅口になり、フォーマットをいしきするようになり、なにより自虐癖が止まらなくなり、(・∀・)ニヤニヤするやつになってしまった。

 ここで遂にこの現象の新しい異常性に気づいてしまった。

 なぜかというと、ガチ滑りが起きたからだ(笑)。

 成田悠輔の着ぐるみは流石にきつかったのか(笑)、過剰に自虐するようになってしまい、ゲシュタルト崩壊のようにバグ化してしまった。

 しかし、この流れが幸いして、成田悠輔の記号性、良い意味での実態のなさまでも本当に真面目に真似しすぎためか、トレースしすぎてしまい、様々な中身がないXの空気へ自虐しながら、防御しながら隙に入る、あるいは相手をゲシュタルト崩壊させてむしろ防御しながらニコニコと破壊することができることに気づいた。

 ようするに、通知攻撃は人為的な野望があるが、このオウム返し戦法は、あくまでメタ・プログラム、受け身で周りにいる偽物や悪人、成田悠輔本人じゃなく成田悠輔現象を造ったり悪用しそうな大衆たちの刃をそぎ落とせる消極的な破壊≒正当な裁きをすることができるのだ?。

 これに気づいた私は、ウさん、成田悠輔、次に月ノ美兎までもトレースしようと思っている。

 このトレース戦法がすごいのは、Tweetやネタに困らないで瞬時に動けることであり、この着ぐるみが脱げるときや着ぐるみと本人が融合するときがきて、どんどんと進化していくところに旨味がある。

 また、ウさんキャラor成田悠輔キャラでXのフォロワーを絶妙に選択することもできて、Xで話しやすくなっているし、なにより、私の一番の目的、アンチの無力化に成功している。

 そもそも私はアンチがマジで多すぎるため、通知攻撃なんかむしろ更に火に油をそそぐし、通知攻撃されたくない。

 とにかく平和に暮らしながら、だけど真面目に言論ができないか?というときにこのオウム返し戦法が結果的に開発された。 

 結果論だが、このオウム返し戦法は民意そのものの複製であり、民意そのものを批判しづらい完璧さがある。そして、この民意が壊れる、着ぐるみが脱げるときもときで民意そのものの欺瞞さを批判できるから、結果オーライだ。 

 通知攻撃というSNSの典型的な闇に対してこのオウム返し戦法は新しい反SNSでありながら、あくまで健全にSNSをやっていこうであり、半分通知攻撃の数学的な運用を後継しながらも、楽しくSNSをあるいはくだらないSNSをとシラけた子供のお砂場へスライドできるのだ。

 だめ人間がなぜだが正当性があるように見える歪な通知攻撃、アジテーションは、オウム返し戦法でなんか乗り越えられた気がする。ネタツイレベルだけど(笑)。

ホリィ・セン思想を解説。古田更一(Web Writer/本は破れ!)

 

 (別段、わざわざぺちゃくちゃと話したいわけでなく、この構造的問題があり、話にディスコミュニケーションが起きている気がするのだ。ホリィセンさんだけでなく、今のだめライフ的言説が。そのときにゼロ年代的な問いが重要になると)

 煌びやかに見えたオタク思想は決して煌びやかであるわけではなかった。

 それは当たり前でカウンターカルチャーだったのだ。

 当時の私はそこを見抜けず、東浩紀のアジりに良くも悪くもハマってしまい、オタクってアートでおもしろっていう感想で胸をワクワク広げていた。

 そこで、悩ましいのは、はるしにゃんっていう自殺したアーティストだ。

 彼はきっと東浩紀に対する当てつけで自殺した気もする。

 これがゼロ年代批評だぞ。

 オタクだぞって。

 で、ボクは社会的に東浩紀に手紙を送りつけられて事実上殺されかけて、昔、年上のオタクブロガーにはるしにゃんの生まれ変わりと言われたが、あまりに陰キャと陽キャで真逆がゆえに確かに似ている面もあるかもしれない。

 しかし、はるしにゃんのストイックさをボクですら全面肯定できない。

 だって、自殺はしたくないし、え…っていう感じだからだ。

 だから、ホリィ・センさんのブログを6つ読んで本も貸してもらったが、彼の主張を大体まとめるとこういうことになる。

1,シェアハウス運営 2,メンヘラ問題 3,コミュニティ経営

 これらを巡った極めて下部構造的な現実論で展開されている節を感じて、東浩紀の煌びやかを否定する煌びやかなはるしにゃんと違って、持続性があるのだ。

 しかし、ここで悩むのは、はるしにゃんは確かに自殺したことは間違えいたけれど、はるしにゃんを産んでしまうような東浩紀やオタクの運動は果たして正しかったのか?ということだ。

 もちろんホリィ・センさんにはそこには興味がなく、あくまで現実的な問題からただ生き抜く情報を提示している。

 ただ、がゆえに、東浩紀よりもはるしにゃんの方がすごかったのではないか。

 あまりに、ホリィ・センさんが過剰に現場性にこだわるがゆえに、その空気がゼロ年代の懐かしい空気を感じて、真面目さを感じて、その真面目さゆえに、皮肉ぬきにはるしにゃんの生まれ変わりに久々に会えた気がして(失礼な物言いなら、申し訳ないですが…)、時代の生き字引として人生の先輩としてちょっと嬉しくなってしまった。

 ようするに、ホリィ・センさんが極めてコミュニティを維持できるその持続性のあり方に、良くも悪くもメンヘラじゃないがゆえにふわふわしたあにもにさんたちとは違い、はるしにゃん、ゼロ年代の生真面目すぎるがゆえの影のようなものを感じた。

 私はなにもはるしにゃんを肯定したいわけではないし、私は自殺はできない。

 ただ、ゼロ年代の批評やオタクカルチャーを考える上で、この極端な現場性とこの極端なヘラり性は今、外山恒一合宿やだめライフ愛好会が流行っているがゆえにちょっと立ち止まって考える必要を感じるのである。

 ゼロ年代のオタク思想は確かに今流行りの政治的な外山恒一や成田悠輔、ガーシー?、だめライフとは違うけれど、がゆえに、ゼロ年代のオタク思想の過剰な政治の見えなさとはるしにゃんを改めて感じた。

 むしろ、ホリィセンさん本人には上手く伝わらなかったが、今だめライフが流行っているがゆえに、はるしにゃんというプレイヤーのほうが本質では重要だという感じがしている(なおそのときはまだここまで言語化できていなかったので、申し訳ないです)。

 むしろ、だめライフ愛好会うんぬんより、ちょっと距離を置いて考えないと、だめライフ愛好会や外山恒一合宿ブームにはなにやら本質的なコミュニティの問題があるように初田くんと違い、私は考えてしまうのだ(初田やだめライフ愛好会は嫌いじゃないが、ノリで動いてしまっている。気持ちは分かるが、果たしてノリだけで良いのか?というのが、私の彼らたちに対する偽らざる疑問だ。むしろノリでだめライフをしたり、ノリでだめライフ愛好会に言及すると、なにかモヤッとするし、肝心の話をさせてくれない壁を彼らから感じるのだ)。

 ここ最近、綿なんとかさんが書いた本でもはるしにゃんが取り上げられていたから、買った。

 はるしにゃん自体に敵意も共感もないが(彼は良くも悪くも私と同じパーフォマティブがゆえにコンスタティブにすぎないからだ)、ゼロ年代のオタクや今の政治ブームを考えるときに、無視ができないように感じながらも、当事者でもないし会ったこともないから、分からないが、ここにはもっと重要な問題がある気がする。

〈追記〉

 ようするに、◯☓大学だめライフ愛好会はあまりに自責すぎる。体制批判に見えて、その実体制的。もっと他責になったほうがよいのか、また、主張が各人曖昧すぎて分かりづらい。

 政治運動に見えて、その実、止まってしまっている。

 

 もちろん寝そべり族らしくていいじゃないか、だが、がゆえに、考えるという快楽がゆえの自殺や苦しみを感じないから、そこが大学名が先行していて、面白くない。

 むしろ、だめライフ愛好会というSNSでの流れという加速主義的なマーケティングこそ思想だと捉えたら、彼らの主張はわかりやすい。

 ようするに、だめライフ愛好会はデュラララのだらーずみたいに主張が透明すぎるがゆえに、弱さと強さを感じる一方で、

 こうぐだった感じになりやすく、肝心の問題をはるしにゃんを良くも悪くも過剰に避けている癖を感じて、これは良いのか悪いのか、

 分からないのだ。

 

 もちろん分からなくていいが、果たしてこの判断保留のだめライフ愛好会が新しくていいのか?それても判断確定のままぶっちぎるはるしにゃんが間違えているがゆえに正しいのか?

 もちろん身もふたもなく言えば、ホリィセンさんの下部構造的な行えをやれよで済むが、がゆえに、上部構造的なだめライフ愛好会やはるしにゃんのアクティブさというのに対して、決断がなにもできずにいて、慎重になったり、だめライフ愛好会へ向かってもなんだかな…というイジる気すら起きていないのだ。

 もちろんホリィセンさんが私に関心がなくてもごもっともだ。

 しかし、ネオ幕府やだめライフ愛好会、キュアロランバルトと様々な極左が現れても、全部が私には根っこでは同じやんとはるしにゃんに地獄からいや天国からクスクスと笑われている気がしちゃうのは、果たして気の所為だろうか?

 にゃるら問題も含めて(あにもにさんは東浩紀ぽいから、半分にゃるら批評を間違えている気がする)、イルミシナオンではるしにゃんが上祐にキミが心配だと言われた文書には本当に不謹慎ながら笑ってしまった。

 僕はだめライフ愛好会のオフ会や呼ばれたかったから行ったこともあるが、彼らの政治的な熱狂さは本当に共感不可能で、ゼロ年代にオタクにハマった身からすると、彼らにはカルチャー的知的欲求が良くも悪くもなく、それが悪いと言わないが、こんなに簡単に良くも悪くも非政治的な平成の思想が簡単に令和思想?が暴れているんだと思うわけだ。

 ようするに、私は世代的に逃げきれない面があるわけで、彼らの時代の適応さに共感はできないし、共感できない自分が正しい訳では無い。

 ただノリがよいわりには閉塞的なだめライフやネオ幕府にははるしにゃん的な爆弾が必要なんじゃないか?と本当に危ない発言かもしれないが、思ってしまう(もちろんホリィセンさんから見たら関心がないであろうぼくですらノリが良さそうに見えて閉塞的に見えるかもしれない)。

アートがなくなる戦争に気をつけて。革命には犠牲がつきものだ。

 今、アートが急激に減っています。

 YouTuberブームが終焉し、良くも悪くもガーシー&成田悠輔が消えて、総崩れ的に資本主義的なものが停止しているからです。

 今はむしろ楽しくなろう勝ちにいこうよりも、悲しくならないこと負けないことが重要です。

 もちろん貿易も必要ですし、今はむしろ貿易のチャンス、普段会えなかったヒトと会えたり新しいことをするチャンスですが、あくまで資本主義が停止していることは忘れてはいけません。

 資本主義は停止しかかっているので、貿易は重要ですが、がゆえに、ご飯を楽しむだったり共産主義的なアートを楽しむといった話になっていきます。

 今は革命の季節が止まり、ネオオウム真理教が起きるまであるいはたくさんの犠牲者たちが殺されるか加害者たちが亡くならない限り、バチバチいくかと思います。

 

 むしろ、今はまだチャンスです。

 だめライフ愛好会は半分手を遅れかもしれません。

 アナタたちはラッキー。交換様式X、ネオオウム真理教が来る前に意識しときましょう。

〈追記〉

 皮肉なことにアートがなくなる今こそ人々は死に絶えやすくなっている。

 革命をしたい人々が革命により革命に頼りたい人々を倒しているかもしれない。気づいた人々が立ち上がり、彼らに限界が来ると、ネオオウム真理教になる。オウム真理教は負けたから叩かれただけで、勝てば色んな意味での裁判に勝てばヒーローだ。

 真逆に言えば、為政者の腹は出過ぎてあたふたしているんで、我々は半分適当にいなせばよい。だめな革新的な人々とだめじゃないだらだらした保守層によるだらしないが恐ろしい戦争はまだ始まったばかりだ。

真の感傷マゾ・ソング。ロウワーが好きな理由

 こんにちフー。

 今日はロウワーっていうフが大好きなボカロを紹介しようと思います。

 特に漫画のMADがいいんですよね。

 チェンソーマンとか呪術回線とか亜人だとかの最終回やキーポイントによく使われる歌です。

 アートが良いのは、というより漫画(アート×物語)が良いのは今まで固定観念だと思っていた作品の常識がひっくり返って、真逆の答えこそが実は追い求めていた真実だったとバレていくー、そんなカタルシスなんですよね。

 マキマさんは生姜焼きになってしまいますしね。

 だから、ロウワーを聴いていると、生きている躍動がすごいリズムカルに起きて、すごい大好きです。

 初音ミクってかわいいし、AIってすごいけど、ART的には、実は初音ミクって聴いている自分のことだったし、AIってAIを使うAR人、拡張現実、AIを前提にして生きる新しいライフスタイルの人々の話だったんですよ。

 このネタバレ的なカタルシスをすごい感じる悲しいけど嬉しい唄なんで、ロウワーはすごい好き嫌いなんですよね。

 だから、負ける美学みたいな表現が漫画ではよく好きで感傷マゾともまた違っていて、対極的な不謹慎系YouTuberをやっているからこそ、っていう含みがすごい重要だと思っています。

 そういう複雑な文脈性がすごい好きで、亜人も是非読んで欲しい。

 亜人って佐藤さんがすごいだけの話で、最終回で、佐藤さんっていう怪物が闘い楽しかったねって言うんですよ(漫画とアニメ、映画は結末違います。どれも好きですが、一番好きな最終回はこの漫画です)。

 本当に素直に。

 で、怪物の主人公が確かにボクらはなんでもできるし、人間たちより上に立っている。

 だけど、人生を舐めているんじゃねーぞ!って佐藤さんに怒って決着が色々と着くんですよね。

 ここにフはすごい感動しちゃってすごい大好きなシーンなんですね。

 佐藤さんってかっこいいんですよ。

 本当に亜人として生まれた人で。

 だけど、彼は可哀想なんですよ。

 彼に欠けていたのは、人間とは何か?っていう話で、彼には亜人としての力を行使する才能はあっても、亜人と人間の違いってなんだろう?っていう今作に描かれる哲学的な問いが解けないラスボスなんです。

 力をどう行使するか?力をどう制御するか?

 ようするに佐藤さんは才能はあっても、アーティストとしては亜人を肯定する天才であっても、じゃあ人間としてどうするか?っていう問いがどうしても分からないから最後主人公ごときと死闘することを選んでしまう。

 だから、佐藤さんは救われたという話です。

 才能に恵まれた亜人の佐藤は人生を持て余していて、この資質をどこにぶつけるか?が分からなくて、同じ亜人である主人公とそこの差で負けてしまい、そういう意味では佐藤さんはゲーマーなんで亜人として生まれず普通に人間としてゲームしていたほうが良かったんだと思う。

 主人公は元々医者志望で、佐藤さんは終始笑顔なんですが、最後の闘いも嬉しくて笑顔なんですね。

 佐藤さんはただ快楽を楽しむだけの陽キャな非メンヘラキャラなんですが、そんな彼が嬉しくなちゃって最後メンヘラのふりをするんですよ。

 これ、人間と共存する亜人として生きることを選択した医学部志望の主人公が正しいのか、それとも亜人としての快楽を追求する佐藤さんが正しいのか、答えはない。

 

 完全に哲学的な問いに走っていて、しかし、哲学と違うのは、ARTなんで、躍動的な問いに飛躍している。哲学は記号的な話になるので、実存を追求する必要性はないですから。

 というわけで、ロウワーのPVも歌詞も答えはない。

 答えがない話だから、殺される魔法使いはなぜか負けたのに悲しい顔をしていなくて、殺しちゃう手下はなぜか勝っているのに泣いている。

 だから、歌詞は意味がすごいのに、題名はロウワーって大体テキトー。

 自慢ですが、ボクには人生のあらゆる全てがロウワー的に見えています。

 アートをやると面白いのは、嗅覚が優れていくというか、文脈の細かさを見えるようになる。

 だから、負けると分かっていても、挑戦しないといけないことが分かっていて、そこに表面的には勝ちを目指していく。

 ここが、感傷マゾという冷笑的な構造とは違っていて、負けも勝ちも超えた境地に立っていく。

 ボクも佐藤さんや伏黒パパのように負けたい。

 最後になりますが、呪術廻戦の伏黒パパは五条悟と戦えてすごい嬉しかったんだと思いますね。

 ほとんど共感に近いんですが、五条悟という自分よりも偏差値が高い打ち手と勝負できた興奮がそこにあって、完全にこれボクの主観ですが、そういう自分が無意識に感じていた感情に気づく、でも、気づいたときにはキツイことに…っていうシーンが良いですよね。

 図々しいけれど、勝ち負けじゃあないんですよね。

 勝負がARTだと分かると、勝ち負けじゃあないんですよね。

 (安い挑発を買って冷静さを欠いた伏黒カッコヨスギw)

 陽キャ哲学普及協会やひろゆき、東浩紀に欠けている目線はあんなに高尚ぶっているくせに勝ち負けに囚われているところが、ダサい。

 僕は彼らと議論したり、彼ら属性といちいち関わりたくないのも、勝ち負けを前提にしていて、姑息な手を確信犯的にやってくるところ。

 アナタの感想ですよね?が悪いんじゃあ無くて、彼らは初めから初田龍胡や理系、シンギュラリティストたちとはなっかや話す気がないんすよ、負けたくないから。

 でも、仮に負けると分かっても戦うのが美学だしスポーツでしょ。彼らは一見すごそうに見えて、すごく保身なんですね。もちろんすごく賢いけど(初田龍胡の犬なんですよ、彼らは。東京医科歯科大学医学部の奴隷。文学や哲学は知の格闘技でもあるのに、初めから初田龍胡や落合陽一、イーロン・マスク、藤白りりの手下みたいな三下どもは仮に戦闘能力が高くても相手にしたくない)。

 感傷マゾも結局のところ一番冷笑しているんすよ。

 だから、あんなクールだった伏黒パパが一番冷静さを欠いていたっていうまあところどころ伏線があるけれど、めちゃくちゃ熱いですよね。もち少年漫画の王道ですが(笑)

 だから、ロウワーって悲しい唄に見えて、実は本当はすごいからッとした明るい唄だと思う。

 素敵な魔法使いは死んでしまったけど、悲惨な手下が生き残ってあのコミュニティどうすんな?だけど物語は続いていく。

 きっと主人公の手下だけは好きな魔法使いが悪だと分かっていて、でも、自分も悪だったと悩むと思うけど、そうやってまた次の世代にバトンはきっと渡されていくんですよ。

 だから、その後のストーリーがすごい楽しみで、ロウワーの続きがふわふわと頭に浮かぶんですよね。

 そこがエモくて、ロウワーが大好きです。

 

 

 

 

 

SNSの構造を狙って壊していく。

 最近分かったことだが、YouTubeで話すにはYouTube語があり、Xで話すにはX語があることが判明した。

 YouTubeで話している内容には必ず基本を抑えた構文があり、構文程度だとまだ英文解釈、YouTube語の理解にすぎないが、こっからが重要でミクロ経済、構文をより純化し一本の単純な数式にし、ソレをゲーム理論的に破壊したりつなぎ合わせたり、限度や可能性を探っていく。

 コレが俺がよくやっていることだし、このやり方でSNSを使うと人間というよりSNS、機械言語でサービスされたコミュニティの街の形が見えやすくなっていく。そうすると、SNS上で比喩的に言えば自動車を吹っ飛ばしやすくなったり次にどの駒と駒がくるからわかりやすくなる。

例 外山恒一→だめライフ愛好会→オウム?(ゲーム理論)

例 YouTubeはヤンキーから外交的なクズが多い(英文解釈)→YouTube=陽キャな低IQ(数式化)→数式で潰す(ゲーム理論)→しかしYouTube内で数式を使うのは難しいため、医学部YouTuberや不謹慎系YouTuberなどの厳密には数式ではないが数式に近い想像力のアーティストを利用する→…

 こうやると、YouTubeの次は、X,Xの次は早稲田、早稲田の次はだめライフ愛好会界隈など様々なコミュニティには様々なコミュニティのカラーがあり俯瞰して見れるようになる。

 もちろんウチから入るときは基本的に他コミュニティの称号はあまり持っていけないことがある。

 だから、いかに英文解釈or数式化or応用化でコンパクトにデザインするかが重要になる。

 たとえば、空港の荷物検査で銃は持ち歩けないが、デカくて硬すぎる腕時計は十分持っていける。ようは、殺傷すれば、あるいは目的を達せすれば確かに銃よりは解像度が激弾に落ちるが、腕時計でも十分だ。

 もちろんそのコミュニティにはそのコミュニティの掟があり、このやり方だとトップになるのは難しい。

 しかし、最大のメリットは様々なメディアでこの俯瞰化は使えて応用可能ということ。

 ようは、いかにコミュニティの鋭さや形を触ってみて、心臓や内臓を見つけ、刺し殺して治すか、縫って治すか、という構造的な決定的穴がそこにあるということだ。

 ターゲットや目的に順化するためにあくまでYouTuberをやる、Xをやる、というときに、この構造化は使える。

〈補足〉

 誤解しないでもらいたいが、私は倫理に反したいわけではない。

 単に仕事として単に見えるものとしてこういう話だと言っているわけで、安易にYouTube論やX論を無視して、漠然とYouTube&Xでアメリカ批判をしたり倫理を語る不毛さを指摘しているだけだ。

格差をもっと加速しよう。〜だめ連おばさん&だめライフ愛好会居酒屋を経て〜

(腕を組まれて、ニコニコと困る私)

 外山恒一はだめですよ

 同族嫌悪なのかそれとも脱げ出したいのか、だめを自称する年寄りから若者が集まる居酒屋で私を呼んだ真面目な若者たちに言われた。

 私はだめ連やだめ連的な年上にアナタはだめですよ、ギャグの意味でなく、と言おうとしたが、中央大学だめライフ愛好会が今日来れなくした危ない古田更一がやってきた(笑)or 可愛い武蔵野美術大学だめライフ愛好会のヒトということで処理され、ニコニコと表面上は社会変革者たちとして共感し、お互いに腕を組み、我らによる活動で格差をどうにかしよう!と決意した。

 

 しかし、私はだめ連のヒトや関係者に何も言えなかったが、むしろ若者の格差はもっと加速させるべきだと思っているし、右派的な加速主義者であった。

 古田さん毎日楽しそうですねと言われて当たり前で加速主義者だからだ。

 むしろ、人間が人間と戦い、そして戦いができないから、寝そべり族になろうという彼らの主張は分かる。

 なぜならtiktokerに転身したedamamekun, 私の師匠である元不謹慎系YouTuberの坂口章も現在は中華未来主義的にYouTube以上に社会的弱者が集まる中華メディアでダラダラしているからだ。

 しかし、だったら、格差をむしろ加速させて、いっそネオ幕府ならぬネオオウム真理教をバカたちがやって人々を1000人くらい勝手に殺めたほうがいい気がする.

 冷笑的な意味でなく、外山恒一→だめライフ愛好会とどんどんといかがわしさが逞しくなっているからだ。

 若者は当然だめライフ愛好会やその界隈で文学フリマに出ている政治好きの青年たちで、彼らがクチを揃えて言うのは、社会の体制を破壊したいが、それでどうしたいか?分からないというのだ。すいませんが、ニコニコと詰問してしまった。

 

 彼らは単純に社会という遊びに好奇心に飢えているんだなと思った。

 だから、革命や寝そべり族、外山恒一、だめライフ愛好会は本当はどうでもよく、ただ老害や体制的でつまらないカルチャーを造ってくるヤツラにただただ飽きているというのを感じた。

 若者たち、1人はアートをやりたいと言い、1人は無料期間中に読めた古田更一本最高YouTube古田更一キチガイ最高とデフレコンテンツを喜び、1人は音楽をやりたいと主張する。

 しかし、年寄り連中本人たちが悪いわけじゃあない。遺伝子的に言うまでもなく、ヒトは老いてるにも関わらず力を持つからだ。

 ニコニコと加速主義者と中だめを追い返した危険者としてイジられながら、結局のところ、圧倒的敵の私と彼ら彼女らで腕を組み、これからの我らのアジテーションに胸を輝けせた。

 ここでは描けないようなやばい情報たちが飛び交うのも居酒屋談義のいいところだ。

 私はニコニコとし、自宅に帰り、来週からよりもっと加速主義的に彼ら老害たちを追い込み、若者たちもまるごと追い込むことで、微温な中華未来主義的交換様式Aでなく、社会をぶち壊すような真のネオ幕府(笑)、真のネオオウム真理教へ!

 なおネオオウム真理教のことを交換様式Xと呼フ.

寂しい子供と中年女性は五条悟を尊敬しよう.初田龍胡先生の文学を嗅ぎ取ろう

 文学とメンヘラは違う。

 文学は自殺しない行為であり、メンヘラは自殺する行為だ。

 ある時、東京医科歯科大学医学部YouTuber初田龍胡に三島由紀夫が制作した和風の夫婦が自殺する白黒映像を見せられて、コレが最高の瞬間だと言われたことがある。

 しかし、初田龍胡は自殺しない。

 ようするに、本当に自殺することは、自殺すらできないぐらい、逃げられないという自殺をしないことだからである。

 それが肉体に逃げないで、文で学ぶことであり、ソレがインテリである。

 文で的確にメンヘラを記述できるのが、真の1流だ。

 昔、山上徹也YouTuber悪霊だともというオレの巣立った一番弟子がオレへブチギレてオレを乗り越えようとして毎週オレへ論争をしかけたりしてオレのGOサインありきで彼の本の編集をさせられたことがある。

 その時に初田龍胡にドハマりし、オレを倒そうとしていた悪霊だともくんは、初田龍胡のことを呪術廻戦に出てくる五条悟だと評していた。

 作中最強の呪術師であり、普段はクールすぎるのに、ピンチになるとガチメンヘラ風になり自殺スレスレまで精神を崩壊させて、その余波で周りをブチ破壊する。

 悪霊だともにも攻撃されたし初田龍胡にも攻撃された。

 きっと初田龍胡を先生と慕わない=慕うFPもとこさん&稲葉くんは、面倒だが、僕と色んな意味で戦わないといけない。

 僕は流石に食傷気味なため、今回ばかりは僕より数段落ちる僕の仲間?たち集団、量と二人は戦わないといけない。

 初田龍胡は五条悟であり、東京医科歯科大学医学部に合格することもYouTuberとしてヤンキーになることも思想系として本を出すこともハッキリ言って困難だろう。

 情報処理の高い人間の文学は五条悟に詰まっており、できもしないくせに、能動経済だとか読書量やジャーゴンに逃げ続ける2名は反省しよう。

 

武蔵野美術大学を中退する危険な英語長文参考書リスト

 海外企業のWeb Writerの古田更一です。

 大学受験で全く役に立たないし、むしろ聴いてしまったら、余りの回り道すぎて人生を哲学という名の感情論へ走ってしまう、現実逃避へ走ってしまうようなそんな参考書をリストしました。

 一応アジア圏ですが、海外で働いているので、逆張り的に英語は得意だということを理解していただきたい(まあ、地下のバーでイギリスの女子大生と酒を呑みましたが、一切英語を話せず、ノーイングリッシュという英語だけが伝わっただけですが…)。

 でも、俺は大学受験こそ回り道が必要だと思っていて、コンプレックスぬきにいちいち社会の駒として勉強しろ!と強制されて、共生への道を勝手に矯正されるのはうんざりだった。

 そして、割と面白い人々って、皮肉なことに人生を回り道しているような人々にあると気付いてしまったんですよね。

 ということで、学歴が低すぎるくせに、めちゃくちゃ賢いじゃん!っていうわけわからねー参考書たちを紹介していこうと思います。

1,Top Grade 難関大突破英文読解問題精選

 名作ですね。

 ベツに学歴は低くないんですが、早稲田に受からないような回り道の授業を展開する早稲田教育の早川先生の英文解釈本です。

 とにかく雑談だらけでクドイ先生なんですよね。

 で、この英文解釈の本もくどい本で、英語そのものを勉強しようと思ったらオススメです。

 だけど、このくどさが回り道だと思っていて、その反骨精神みたいなところが好きで、やや普通の授業では教えないような英文解釈のコツが載っています。

 大学入試英文解釈におけるギリギリのラインを突いた参考書で他の参考書はオーソドックスすぎたり尖り過ぎで絶妙に尖っているのに絶妙に尖っていない感じがオススメです。

 とにかく高学歴の早稲田には受からないと思いますが、早稲田に合格したいなら京大のポレポレをやりましょう、しかし、英語をもっと多面的に読みたいときにこの体育会系的なノリは使えます。

2,英文精読のアプローチ

名作。

神。

英語は同じ表現の抽象と具体の繰り返しだから、半分は読まなくていい。速読は当たり前。

これは驚きました。

英語が得意な人になるには彼らは速読をしているんだから、ビビッて精読ばっかしていたら死ぬぜって言われて、目から鱗でした。

で、急激に英語の成績が上がって、というよりも、要領よく英語を読むコツを教えてもらいました。

また、記号的に文章を読むということで、元々ボクにあった論理学的な思考が急激に大学入試に通用することが通用し、太庸吉先生の英語長文の読み方を現代文や古文、漢文、小論文、様々な読解や書き方に応用し、この一作を5周したことで、情報デザイン能力、論理を暗記して、それで誤魔化すような力は培われました。

3,スーパー英文読解法

2浪している関西の極左の参考書で、英語を日本語のように読んで、後ろへ戻らない読み方を提唱しています。これはあまりに革命的で、でも、大学受験では役に立たない(笑)。

ここまでやる必要がなくて、英語の哲学書を読むときに役に立ちます。

というわけで、大学入試では京大の精読にも東大の速読にも役に立たないということで、クソ野郎ってことです(笑)。

だけど、この参考書を読むと安心しますし、日本人として海外を思考する力という立脚点が身に付きます。

現在私は海外企業で働いていますが、海外のノリを勉強するにはもってこいで、今でもこの参考書のリズムは役に立っている。

なぜなら、日本人で生まれた時点で超エリートじゃあない限り、英語は無理。

だったら、英語が得意な上司に英語は任せて、自分は文章を書けるほうへ特化した方がいい。

上司と部下でいちいち喧嘩しないで、すみ分けができる。

これが淡々としたグローバル・スタンダートの働き方であり、いちいちパワハラもしないし、全部コロナ前からフルリモート。

そういった当たり前の英語的な思考を勉強し、非英語圏がゆえに、少しの英語か、英語をちょろまかしながら、日本人として思考する力というものはこの参考書で手に入れました。英語を英語のまま読むと、西洋人になってしまう。

けれど、英語を日本語として読むと、論理学へ処理できる。

作者はきっとマルクスを教えるために書いたんだと思いますが、ボクとしては論理学の記号処理として英語を読み替えるときの作業ツールとして使えて、現在の仕事においても英語力よりもコンピュータ力だということを教えてくれるそんな参考書でした。

 どうだったでしょうか?

 是非3つの参考書をよりよく武蔵野美術大学に実技なしで合格しニコニコと中退して都合よく武蔵野美術大学中退などといった中途半端にパラドシカルな経歴で普通の高卒とメンヘラな大卒両方を蹂躙していくことをおススメします。

 

fpもとこはおしまいだ。

 fpもとこだけが残り、言論YouTuberブームは終わってしまった。

 今地味に流行っているのは、ガーシー的な成田悠輔的なものでもなく、より平坦で空白すぎるだめライフ愛好会だ。

 何も始まらないし、既得権益の一部は死んだ。

 こっからは大学を漠然と信仰する大衆的な問題なfpもとこ的な冷笑や棚上げではなくて、地味な議論だろう。

ドラック政治のススメ。~幸福な退学より絶望の卒業を~

  陰キャの皆様、こんにちは。

  陰キャすぎる古田更一です。

  論壇や大衆を中心に日本全国から嫌われている自分のような人間を反面教師にしていただいたら幸いです。

  まず、大学はしっかりと卒業しましょう。

  私のように退学はしちゃあいけない。

  なぜなら、大学はうだうだと人生を良くしちょろちょろと交友を広げ、尊敬できる先輩や先生たちに恵まれて文化資本に恵まれているからです。

  よって、できる限り卒業をせずに、一生大学に引きこもり、大学院、そして博士まで行き、大学教授になることをおススメします。

 そうすれば、ずっと〇×大学だめライフ愛好会とSNS上で名乗りながら、ぬるま湯でありながら文化資本という名の快楽物質をどばどばと毎日浴びさせてくれる遊園地が日々の生活をドラックまみれにして素晴らしい一日でしょう。

 身分も一生保証されますし、既得権益にとって公共の大学生を名乗ってもらえるのは都合が良いのです。

 そして、だめな作者がオススメするのは、SNS上でVtuberにハマること。

 なぜなら、相乗効果的に大学という伽藍の快楽物質とSNSというバザールの快楽物質を同時にドッと浴びることができるし、客観性のない主観的な快楽物質人間たちで構成された大学は人々に生きる活力を与えて、一生に渡って引きこもっていられるメンヘラでありながらも牢屋に閉じこもっていれば、メンヘラであろうと大丈夫です。

 人類は遂に最強のユートピアを獲得するに至ったのです。

 

 日本語もつたなくて、大丈夫。

 英語ができなくても、大丈夫。

 頭が悪すぎても、大丈夫。

 全てはSNSが代替し、そして、頭の溶けている老害たちが頭の溶けたい若者たちと結託して終わりなき小春日和をずっと続けていけるでしょう。

 

 もちろん、欠点はあり、お花は、キャストは最終的には変えないといけません。

 なので、絶望の卒業は必ずやってきます。

 あるいは、希望の退学という方法があり、大学の次の楽なフロンティアを開拓したい場合は、退学をおすすめします。

 駒は変える必要があり、絶望の卒業という個人を切り捨てることで、だめなライフはずっとずっと全体主義としてループすることは可能です。

 そう。全体の幸福感で人々を洗脳し、近代社会は現在、ドラック政治として延長することに成功しました!

 ほとんどの人々を麻薬中毒患者にして、凹ませて、そこに全体的なそうだよね感を足せば、永久に既得権益は維持させて、永久に幸福なドラック政治は成立します。

 ドラック政治の要諦として、まずSNSの外にあることが重要になります。

 SNSはまだ新しいシステムなので、ここではドラックを直接、近代という名の宗教物質を注入できません。

 そして、幸福なドラック政治において、大事なことは、不幸です。

 不幸感こそが、人々を連帯するからです。

 不幸を感じることで、幸福を感じてください。

 不幸を感じることで、幸福を感じてください。

 不幸を感じることで、幸福を感じてください。

 

 プロパガンダすいません。

 普段このような文章を書いている海外企業のウェブライター古田更一です。

 

 文章は人々を動かす兵器だと通知攻撃だとボクは思いたくありません。

 早値取りになりますが、ここで大事なことは適切で良いドラック政治をしようです。

 

 麻薬やたばこは確かに原子を勉強できますが、テクノロジーによって調整されたスマートドラックやスマートコミニティへ移行すべきです。

 医者は信用しなくていい。

 AIが医療を代わりに毎回同じ回答でやりますから。

 

 人間が不必要になり、人々が労働から解放されても、なお人々はお金を求めて、近代社会というゲームをまだ再構成するでしょう。

 

 しかし、あくまでも、そこはメタバース、テクノロジーによって再定義されたセカイであり、人々に重要なことはこのセカイの秘密を違うアプローチで知るべきです。

 その方法とは偏差値教育を最低限テストはクリアした後に忘れて、SNSをどう使うか?という問いへセカイの再定義をすることです。

 ベツにいいねを集めろというわけじゃあない。

 みんながみんな1億円もつわけじゃあないし、そのおカネがイイネだとしたら、それは経済活動ではなくて、ドラック政治にすぎない。

 むしろドラック政治を浴び続けることによって、ドラック政治を楽しみながら、ニコニコと没落しながら乗り越えろ。

 仮に乗り越えられない場合には、ドラック政治が翼を広げて、ニタニタと既得権益に戻ろうよとゴキブリの羽をぱさぱさと広げています。

 

 ようするに、大学に入ったこともない人々も抽象的にはなんらかの大学へ入っているはずです。

 結果、ナニを言いたいかと言えば、

 共同体から少しでも脱げだせないといけない。

 幸福な退学か、それとも、絶望の卒業か。

 

 どっちに転がっても、ドラック政治を超越したAI経済、あるいは、戦争経済がそこにあり、人々はやっと自由を得るのです。

 

バカな人間が輝けるのが日本の良いところ ミズサーの茂木さんたちへ

 出禁しないでくれて、ありがとうございます。

 海外企業のweb writerの古田更一です。

 初めにお断りしますと、三流YouTuberとして力だけが取り柄の哲学YouTuber集団たちを引き連れたり、大量に絡んでくるのが不謹慎系YouTuber経由としてのアンチ集団で、外山恒一ほどの若者指導もできず、あの大御所である東浩紀大先生に執拗に糾弾されて、一時期は(いやこれから?)裁判沙汰になって彼の住所を知るぐらいまで悪い意味で深い(不快)関係になるようなそんな東京藝術大学落ちの武蔵野美術大学だめライフ愛好会な私のくだらない話、三流インテリ思想キャラの戯言だと言っておきます。

 とある賢い論壇バーの方々とお話させていただきまして、ほとんどアナウンサー的に話を拝聴させていただくことがせいいっぱいだったのですが、一抹の違和感をその時に私は賢い彼らへ言えなかった。

 これはそのとある賢いバーへの批判ではなく、あくまでもくだらない私の意見です。

 私が思うに日本人は確かに西洋人よりバカだったり社会をまるで考えていないような私を含めた屑ばかりかもしれませんが、そんな日本人のバカさ加減こそ日本人が世界に誇るくだらない、いえユニークなアートカルチャーを紡いできたと思うのです。

 

 たとえば、オタクはそうですし、漫画もアニメもそうですよね。で、YouTuberだってこんなに日本人は様々に生んでボカロもたくさん新しい表現を出すんだから素晴らしいと思うわけです。

 もちろん私は海外企業に務めていて、日本人のこのぬるま湯と既得権益の結託は凄まじく、経済合理的には日本人としては私は日本に住んでません。

 しかし、政治的には思想的にはこの日本人の独特の大学だったり近代社会的な大きな物語を無視するような、そんなしたたかさを日本は持っていると感じます。

 

 なので、むしろ不謹慎系YouTuber的なアナーキズムの再生回数特化やアメリカの運営者を無視したような日本人的ぬるま湯はかえってシリアスじみた西洋人たちには通用するし、そういったノリを頭の中でボカロとして流しながら、神奈川のスーパー銭湯に浸かりたいなと思うわけです。

 その上で日本のアートがアニメでも漫画でもYouTuberにも、いや次の媒体、メディアから出たら、それこそ加速主義とか新実存主義だとか小難しい話を超越するんだと思うし、信じたいです。

web writerと加速主義

 もちろん日本人はレベルが低く、AIが人間の知能指数を超えるというglobal-standardな、あるいは、思想的トレンドな加速主義には全く適応できていないのは、問題です。

 現在の日本人に所感ですが若者でメンヘラやぼっちが急増しているのも、このパラダイム・シフトと無関係ではありません。

 たまたま私の入った武蔵野美術大学造形学部芸術文化学科はマーケティングの学科で、大学教授が加速主義者でmacを信仰している。w

macがいかに人間の知能指数を超えているか当たり前でしょと提示して、その前提の上で人間の足らない情報処理を補っていく。

 産業の効率化という単純に言えばそれだけですが、リモート化や成果主義で残業なしは論理的に考えれば当たり前。そして、複雑に計算するAI時代のシンギュラリティにおいて、鬱やadhdなども複合的に見ていく必要がある。        

 全部をテクノロジーに代替し、コンピューターなどといったものが出した答え、情報処理をデザインし、文字化したり言語化したりしていくべきとは言いませんが、テクノロジーと人間は融合するという単純な効率性は確かに意識はたかいかもしれませんが、いえ、むしろ私のように楽しくWritingしまくり、休みたいときに休むようなクリエイター気取りの意識低い系には必要な楽さなのです。            

 皆さんがよく見るインターネットのくだらない文字をコピーライトして釣ったり説明するだけの仕事ですから、ハッキリ言って第三次産業に近く、虚業と言えば虚業。下部構造的というより、文字案内と文字刺激的なカルチャーのお助けにすぎません。しかし、シンギュラリティや加速主義はむしろ人間の文化やカルチャーを豊かにする点で素晴らしいと思います。

人間はいらない     

 恐ろしいことを言いますと、シンギュラリティ以前にポストモダン思想で非難された近代社会はもう既得権益や老害まみれでもう無理かもしれない。仮に現在を続けてもこれ以上は望めないわけです。

 だとしたら、もう戦争が起きることを事前にワクチン的に理解しインストールするような不謹慎系YouTuber的な荒療治の人間である以上必ず抱えてしまうメンヘラを治療したり強くなりたい。そういうAIを超えるような人間たちしか残らないかもしれない。だからこそ、市井の単なる人々が不謹慎系YouTuberでめちゃくちゃバズッてYouTubeのアルゴリズムをぶち壊したことに私は可能性を見出しました。      

落ちこぼれの自覚すらない真の落ちこぼれ

 しかし、偉そうなことを言いながらも、恐縮ですが、私は純粋なインテリではありません。中高も電車で10分のほぼ女子校へ入学し5年間ひたすら漫画ばかり読み授業は寝てばかり、たまたま学生運動が盛んでしたが、裏から個人として体制側にも反体制側にも牙を向き、6年目に転校に。そしてたまたま論文入試で入った武蔵野美術大学でもmacと本、教授だけが友達で、昔からゲーマーだったのでゲーム会社へ入ろうと思うくらい、思想やインテリ業界とは一切無縁の人生を送ってきましたた

ただ私は浪人時代や転校時代が一番楽しかった。社会的な責任を終えずに、ひたすら大量に読書し大量に眠り、大量にあるきまくり、大量にシャワーを浴びる。たぶん本が好きだからたくさん読んだわけでもアートが好きだからアートに走ったわけでなく、楽しいし楽を純粋に追求する突き抜けたバカさ加減は意外と悪くないということ、すいません、開き直っていて。  

バカはバカじゃなくて、日本人の良いところ

 ハッキリと言うと、予備校の先生や中高のマルクス主義の先生、電通の教授といった一癖七癖ある反社会的なキチガ◯たちから遊び感覚の彼らの話から学んだことはたくさんあるかもしれません。

 むしろ西洋人的なスタティックなロジカルさは厳密にはありませんが、独特の発酵具合や悟り的な境地、それでいてどこか抜けている日本人の統合失調的なもちろん的な気楽さはダルいしうんざりすることもありますが、肯定したい。というわけで、そういう気楽さを忘れて、GAFAMに複雑な社会に緊急的に怯えちゃうと高偏差値ブームの医学部YouTuber現象やぼっち、高学歴メンヘラたちを神経質に生んでしまっているかもしれない。  

 なんで、一言で言いたいのは、西洋人被れエリートかぶれは真にエリートではないし、むしろニコニコと気楽な戦後の日本人性というものが僕にアンチする形でもまあ善いんで、肩の荷を下ろせば、今の暗い雰囲気の思想業界が明るくなるんでは?と部外者として思うわけです。そして、不謹慎系YouTuber坂口章さんのように徹底的に真剣に気楽に生きるようなそんな無邪気さが日本のサブカルチャーには至るところにはあると僕は個人的に思います。だから、キュアロランバルトさんの硬直した加速主義翻訳は日本人の良さを生かしきれないという点で仏教や神道から加速主義をカスタマイズした落合陽一を僕は評価したい。そして、もちろん落合陽一の硬さは仏教などにあり、僕はもっと市井な坂口章的なふざけた戦後の自由さをもう一度思い出したほうが肩の荷が下りると思うのです。

 

 

 

 

 

ジル・ドゥールズが読めないだめなオレがだめなのか、それともジル・ドゥールズに屈しちゃうメディア環境がだめなのか?〜『差異と反復』感想〜

 

 当たり前の話だが、目の前に1流の思想家とやらがいて、もし仮に意思疎通が通用したら、彼に彼女に僕らは圧倒されるだろう。

 しかし、彼にその1流の思想家が年上の外国人だとしたら、そして、専門ジャンルが異なる場合には、どうしたものか?

 ジル・ドゥールズ『差異と反復』を読んで思ったのは、複雑な感情だ。

 私はそもそも哲学に興味がない。

 なぜなら、哲学は西洋人特有の思考や文化だと思っており、日本人では不可能、あるいは、日本人として哲学をやるなら思想という形でしかあるいは批評、今だったらテクノロジーに対する理解者という形をとるしかないと思うからだ。

 私はドゥールズのしっかりした読者でないし、哲学学科でもないのだから、深い関心があるわけではない。

 批評と臨床やインタビュー集、アンチ・エディプスぐらいしか確か読んでないぐらいで、日本の解説者の浅田彰のほうが賢いし使えるし合っていると思うぐらいに野蛮な日本人性を抱えている。

 

 しかし、ジル・ドゥールズ本人が嫌いではないから、差異と反復を今更読んだところ、いろんな意味で腰が抜けてしまった。

 まず文章がアンチ・エディプス(オイディプス)より難しすぎて抽象的すぎて、またフランス語?訛りで論旨を追えても、あまりに抽象的すぎて理解しても咀嚼するのが困難ということだ。

 こんなに細かく考えすぎたら効率も悪いし古い人だから仕方がないが、鬱病になるだろ、というぐらい細かく良くも悪くも実存的な論理学という感じでエクリチュール、感性が光る表現を連投しながら、あくまでも細かいロジックをあまりに抽象的に話しているし、哲学の専門用語や哲学者がばんばんなんの説明もなく出てくるのでこれはもはや哲学の本ではなく、哲学の難解な講義録として良くも悪くもな感じだった。

 ライプニッツやニーチェ、スピノザを読んだことはあるが、それらに関する哲学史的な解釈なのに、本家より大分難しいドゥールズのパズルという感じになっている。

 失礼な言い方になるが、このジル・ドゥールズの熱い細かすぎる文章は私も何度も言われたから言いたくないが、病人の文章であり、良くも悪くもここまで頭が良いのか?それとも本当に失礼な言い方になるが、ジル・ドゥールズ本人はポストモダンという近代を冷笑したり言語学としては論破したものの、本質的には乗り越えられないという限界を感じていたのかもしれない。

 これは今でも意見は変わらないが、そして野蛮でバカがバレているかもしれないが、フーコーやデリダはつまらないし、価値はあまりないと思う。

 監獄の誕生と言われてもマジで当たり前やろしか思わないし、言葉と物はあまりにうだうだと文系のくせになんか統計学的に実証学をピケティみたいにやって(ピケティは経済学だからまだ読めたがフーコーは観念的なのに統計学、実証学の細かさ)、本当に当たり前のこと、歴史はフィクションだよねをなんで1200ページ?ぐらいで説明するんだよと本当にガッカリされた。

 デリダもただひたすら防衛的な範囲でだけ言葉遊びしたりと思ったら、ユダヤ人を助けよう!と政治活動を素朴にしたりネトウヨ臭くて、ついていけない。

 そんな中、確かにドゥールズは全うに哲学をやっている真摯な他者として信用できる。

 

 がゆえに、哲学をやっているなどとおいそれとクチには出せないし、哲学そのものには、ひろゆきホリエモン動画や宇野常寛のサブカルチャー批評をスナック菓子を食べながら聴いていた地頭しか回らない私には関心が持てない、やはり哲学には。

 

 なぜなら、哲学は全体性を抱え過ぎだし、非大衆的で、自殺だったり海外のアートとかの文脈を十分に抱えたものという印象をやはりジル・ドゥールズの文体や思考スタイルから感じざるおえないからだ。

 大衆的で申し訳ないが、アンチ・エディプスの方が面白い。

 

 しかし、これは私が小説を読めないし、文学が本当に分からないという現れであり、ジル・ドゥールズのうねりは失礼な言い方かもしれないが、日本の哲学者、柄谷行人にソックリである。

 恥ずかしい話だが、実は柄谷行人をちゃんと読めるようになったのは最近で、彼のお笑い的な目線、ギャグを入れながら語る対談などは鋭いなと思っても、いちいち内気で病気を感じる彼の単著は探求シリーズ以外はほとんど読めなかった。

 ただ、柄谷行人はずっと積読していて、ここ最近、根幹的に鬱病になることがあり、そのときに柄谷行人を読んだら、スッキリしたし、早口のスタイルを治すのに意識レベルでだけ柄谷行人は役に立った。

 なんだかよく分からないうちに思想家キャラとしてデビュー?してしまった私だが(今でも本当に論壇はよく分からない)、今私は遅い文学・哲学のお勉強をしているのかもしれない。

 正直言って、失礼な言い方になるが、ジル・ドゥールズ的な大きな風呂敷を広げた問いを問いても、web Writingに直接役に立たないし、情報処理をあげるどころか、うねる文体に一抹の老害性、限界を本当に失礼ながら感じざるおえない。    

 しかし、ジル・ドゥールズの貫禄や勢いは本物である。時代的に仮に失礼ながらオワコンや限界があっても本物である。仮に本物じゃないとしても無視できないような分析哲学的な細かさと観念哲学的な曖昧さが同時にくるある種の過剰さ、病気、病気を無視しない病気な病気の治し方を柄谷行人同様に感じる。むしろ、こういった文豪は私は考えたくないが、早く死にたがっているのかもしれない。私には飛び降り自殺する感覚がよく分からない。もちろん呼吸が苦しかったらしいが、ひっそりと死ねる道を選べなかったのだろうか?  

 ジル・ドゥールズの死自体は申し訳ないが、しょうもない。問題は良くも悪くも千葉雅也といった日本の哲学研究者などがドゥールズ!と言ったり、日本のアーティスト木澤佐登志などがドゥールズ…と言って文芸をヘラヘラと言ったときにネガティブにしょうもないこと言っていて大丈夫か?文学は(笑)哲学は(笑)と思うことが多く、うんざりする、

 しかし、ジル・ドゥールズの文章は本物の悩みや考え抜いた文章である。文章が上手い。そして、読みづらくて苦しい(笑)。けど、できる限り読まないとまずいと感じるなにかはある。その点、フーコー&デリダは中途半端にアクティビストな話題へ走るから、文章がつまらないし、フーコードゥールズデリダと並べると本当にバカバカしく、ポストモダンはモダンを超越してないでしょという紋切り型の批判を抱える、

 結論 ドゥールズを見習って、真面目に文学や哲学してくださいよ、マジで💢

   

 

 

革命成功後に老害どもを逃さないために。〜シンギュラリティ讃歌〜

 革命はすでに精密に成功してしまった。

 ガーシー逮捕に山上徹也容疑者の模倣といった形とYouTuberブームは連動していて、逆に言えば政治バブルとYouTuberの可能性と限界を担って遂行は完了してしまった。

 当たり前と言えば当たり前だが、わざわざ引きこもる道理はない。

 もちろん政治バブルやYouTuberブームには連動してコロナ禍騒ぎもあった。

 様々なYouTuberブームが終了する中で、極端にガーシーのことも山上徹也のことも忘れ去ろうとしているのは危険だ。

 あくまでもこの日本はガーシーを出したし山上徹也含むテロリズムブームや不謹慎系YouTuber現象はあったのだ。

 よって、YouTuberブームといった意識低い系のITブーム、20年代を用意したものに10年代に流行ったシンギュラリティ、加速主義というものがある。

 

 俗に言う意識高い系というやつだ。

 しかし、今こそYouTuberブームが退潮傾向にあるからこそ、シンギュラリティや加速主義を思い出し、経済がAIやITによって大きく変わった流れを改めて思い出さないといけない。

 確かに政治闘争による楽しい革命はここまでは革命できるここまでは革命できないと決着がついた。

 しかし、だからといって、様々な治安悪化の数々をなかったことにはできないし、煙に巻こうとするクソ老害たちは過去へ逃走しようとしている、

 だとしたら、10年代のシンギュラリティを彼らにぶつけ、駆除していく他はない。

 過去に逃走する老害はそのまま10年代の意識高い系に裁かれるのだ。

 

だめな私をもっと見下してほしい。武蔵野美術大学だめライフ愛好会。

 海外企業でwebwriterをやっている古田更一です。

 今回は私がいかに怠惰で空虚でだめな人間か話そうと思います。

 どこぞの意識高い真面目な神経症患者と違いまして東京医科歯科大学医学部に現役で合格するなどという煌びやかな人生と違いまして、

 電車で10分という場所にあるほぼ女子高な共学の中高一貫へ入学するぐらい勉学に興味がないダメな人間でありました。

 授業もほぼ6年間聞かずに、ぐうたら寝てばかり。休み時間は漫画を読みながら美術こそ素晴らしいと逃げているような怠惰な屑でした(数学以外の授業はつまらなかったので、漫画を美術を評し実際の美術の授業では赤点スレスレのそんな屑でした)。

 そんな楽して生きてきた屑ですが、高校2年目あたりで雲行きが怪しくなります。

 私が楽するために入った中高一貫は共産党員が洗脳教育をしていまして、まったく勉強に興味がない私は洗脳されなかったんですが、始末が悪いことにボクの代の男は先生へクーデターを仕掛けて学級崩壊的になっていたんですね。

 で、男たちはわざと先生たち、というより社会をぶち壊すために、冷笑的に理系選択や高偏差値、医学部を目指す人々が出ちゃって、体制側の先生の文系側へつくのか、それとも反体制側の理系側につくのか、問われてしまったわけです。

 ですが、ボクはどっちも嫌いだったし、努力する気が起きないぐらいに無能だったので、転校するはめになるわけです。

 そして、浪人し勉強をしようとしても、ニコニコ生放送で東浩紀やひろゆきの放送を聴いて勉強だと抜かすぐらいに屑だったし、人生で一番楽しかったのが浪人時代だと思うぐらいに社会を気にしない怠惰な屑でした。

 それに、マルクス中高一貫のトラウマですらない怠惰さで、大学へ行く気もあまりない。

 というわけで、理系にも文系にも興味が持てない中で、意識高い多摩美術大学の友達が六本木の佐藤可士和展に誘ってくれて、それに興味を持ったフリをしてボクは武蔵野美術大学を受験するという無謀なギャンブルをしてみました。

 実技はできないので、いかがわしい論文入試というほとんどの人が受けない試験を受けて、思ってもないしどうでもいいシンゴジラと現代アートの批評を書いて、美大生は絶対に英語国語で落とすと思い、めちゃくちゃ英語の勉強をしまくって、英語で100点を取って、本当にたまたま実技の武蔵野美術大学へ合格できました。

 

 とにかく遊びたかった。

 

 デザインやアートの勉強とは名ばかりの遊びばっかしていましたが、僕は本当に怠惰なので、就職率を見たら6割しかない。

 やば。と思うわけです。もっと楽したい。

 それで、シナリオゲーム会社へ大学一年目にアルバイトしに行くのですが、ゲーム会社とは名ばかりの作業や残業だらけで現実を知るわけです。

 本当にだめですね。

 で、仕方ないからソーシャルゲームへ現実逃避をしまして、なんとかゲームのセカイでランカーになって、大学でソーシャルゲームを研究しているとギリギリなホラをふいたところ、株式会社DeNAのエリートと3時間お話しさせていただきました。

 しかし、彼はあまりにエリートすぎて、ボクはカレのようにはなれないなと思ったわけです。

 で、うだうだしているうちに、日本にはボクのような屑は居場所がないことが分かり、海外のデザイン会社を受けたところ、なんとか武蔵野美術大学の最低限の経歴と文章を書きまくるキモさがあることが分かり、そこへ逃走することができました。

 私は英語の話せない無能で外国人とは話せないわけで、肩身が狭い。

 また、YouTuberも始めたところ、弄られる形として一応インテリ論客として末席を汚させていただきまして、東浩紀さんにやっぱりお叱りを受けて、裁判するぞだとか自宅を教えてもらうぐらい説教されるぐらい偽インテリなわけです。

 それは当たり前の話で、みんなが当たり前のようにする努力をずっと怠り、電車で10分のほぼ女子校へ入り女子たちに弄られ、僕よりすごい男たちが勇気を持ち先生に歯向かった時に、どちら側にもつかずに冷笑し実技ができないのに美大へ入学するようなクソ経歴ロンダ野郎なわけです。

 海外企業でも置物のようにただ小賢しい器用さを買われて、文章を早く書くことだけを評価されていて、機械としては評価されてもお、人間性としては全く評価されていないと思います。

 しかし、そんなことはやっぱり当たり前。

 普通の人々がちゃんとやる努力を一切せずにちょろまかし続けた人生だから。

 

 東京医科歯科大学医学部も東京大学も早慶もこんな怠惰な性格では受かるわけはありません(というより、大学にまず入れたことそのものが奇跡でしょう)。

 実際にひょんなことから最近は早稲田や東京の論壇村の人々とお話しさせていただく機会を得ましたが、持ち前の器用さ、地頭さの良さでなんとか話に付いていくのがやっとで彼らの教養や知識には圧倒されてしまい、ほとんど借りてきたネコ、アナウンサーのように、しかし、不謹慎系としてただただ私より賢い彼女含めて弄られて足腰を動かして東京中で路頭に迷うな悲しい人生を送っている次第です。私は田舎者ですから、武蔵野美術大学の東京の左ですら都会だと驚くぐらいの引きこもりなのです。まあ神奈川中を歩くのは好きですけど。

 ところで、あんなに武蔵野美術大学低学歴と弄ってくれたYouTube視聴者たちもYouTubeブームの終わりか減ってしまい、ひたすら大量のコメで粘着する基地〇たちが日夜私の悪口を言う有様です。終わっていますね。

 

 しかし、前置きが多かったですが、こんなだめすぎる私でも賢すぎる皆さんへ言えることがあって、こんなだめな自分でも人生は楽しく生きれることができたということです。

 なぜなら、素朴な疑問なんですが、東京大学がある限り、虐めやルサンチマンはなくならないということです。

 だめなボクが疑問なのは、他人を虐めるあるいはルサンチマンがあまり分からなくて、努力のモチベーションとして競争意識がまったくないということ。

 でも、その競争意識を持っちゃうと、人を虐めてしまう。

 いじめが嫌いなんじゃあなくて、ゲームのほうが好きなので、そんなに頑張れない。

 まあこんな他人の話を一切聴かないで授業のほとんどを寝ていた自分でも、楽しく生きれてきたので、むしろダメの中にこそ図々しいですが、社会の本質がちょっとあるよと言いたいです。

 ボクが素朴に疑問なのは、まあボクも武蔵野美術大学へ入り軽く殺生しましたが、東京大学生たち本人も被害者だけど、人々は必ず差別したりヒエラルキーをむしろ望んで作るようが生きやすいけどメンヘラを増やしてしまうという悲しい矛盾がある。

 ボクははじめから生きるということは矛盾していると思っていて、というよりも楽して東京大学に入りたいといじめっ子になりたいと思っていたので、どうせ矛盾している人生なのなら、できる限りハックしたりいかに手を抜いて要領よく日々やってくる様々なゲームで要領よく平均点以上を稼いで、あとはすやすやと寝るかに全力をかけています。

 ナニを言いたいかと言えば、ニコニコと勝つことを諦めて、放棄し、ボクのように最悪の負けを避けるというモブキャラの小石のような生き方は確かにだめだけど、だめなりに死なないでずぶずぶと生きていくしそこそこの幸せは担保されているということ。

 なので、武蔵野美術大学だめライフ愛好会の今後の活躍を見下し感覚で、応援、いや軽蔑しながらもニコニコと勝ちを諦めることに価値を見出せてくれたら、だめ人間としては嬉しいです。

 なおあまりにダメすぎるため、Xの更新は止まってしまっているかもしれません。

 SNSが弄られないだめさ、イジっても不謹慎系YouTuberに走っちゃうぐらい、冷笑的でだめなのです。

 自意識でつながったり人をアジる中央大学だめライフ愛好会さんほど優秀じゃない本当のだめ人間で申し訳ないなと本気で思うわけです。

 最近、思うことは、男性の頭脳を持ちながら、女性の肉体へ転生して、快楽の思いつくままに生きながら、そんな妄想を抱えながら、ニコニコし世間の様々な人間にイジられる、いやイジられるどころか、だめ人間として軽蔑される、そんなドMな人生を臨んています。

 

 

加速主義の現実性。〜刺された宮台真司のAIに対する冷笑は問題である〜

 

 AIが人間の知能指数を超える。

 

 コレはSFではない。

 

 現実に起きている話しだ。

 

 たとえば、2023年GAFAの人間における従業員が減ったりイーロン・マスクがtwitterを買収しXと名付けを変えてイノベーションによる方向へ舵を切ったりしたが,2025年問題であり現在のAIは人間1人の知能指数を超えているのだ(©落合陽一)。

 複雑化する医療の問題からも考えてみよう。

 

 2020年はコロナウイルスの時代であり、複雑化する科学に民主主義国家である日本は対応できず、ガーシー成田悠輔よろしく政治ブームで煙に誤魔化して実際のコロナウイルスに立ち向かう論客を自粛で煙に巻く医者以外で出せなかったのが、現実だ。

 もはや戦後も終わりロシアウクライナ戦争ではドローンが導入されたりゼレンスキーの偽善メディアよろしくSNS洗脳戦争までテクノロジーの影響は無視できないようになっている。

 一方で、日本の加速主義紹介者はテクノフォビアを拗らせて、加速主義を冷笑的にやんわりと肯定したり否定したりダークウェブなどとコケにするありさまだ(©宮台真司&千葉雅也&木澤佐登志)。

 単純にシンギュラリティは現実であり、現実を見渡せば生きやすくなるし人の情報処理を劇的に上昇させる(結果的に)。

 コンピューターを中心に情報処理を機械に代替することは車で足を代替したこととなんら変わらない。むしろ人は脳における情報処理を機械に代替させることで新しい表現や自由を獲得するのだ。

 もちろんシンギュラリティの問題点はAI礼賛のために人間のやりがいや実存を阻害する問題点が大いにあるのは認めるが、しかし、がゆえに、ワクチン対策のようにシンギュラリティを熟知することによってしかシンギュラリティ対策、カオスフォレスト、AIを超える超人類になることは不可能なのだ。

 今回は地に足ついた中華未来主義ならぬ日本未来主義的な俗物すぎるシンギュラリティの可能性と限界を簡単に解説したいと思う。

 シンギュラリティをしっかり理解することで生きやすくなったりワクワクするようになったら筆者は嬉しい。

1,シンギュラリティはポストモダン思想の実装である。

 国家には問題があるよね、大学には問題があるよね、近代社会には問題点があると訴えた文系の典型的な戦前〜戦後思想にポストモダンというものがある。

 今の社会にいかに問題があるか?を指摘した典型的な現代思想とかいうものである。

 ドゥールズ、デリダ、フーコー。

 あまりに有名だから、今回は彼らの思想を紹介しない。

 確かに彼らは賢いし、指摘は正しい。

 しかし、彼らのデモ活動は中途半端で終わり、かつ、自殺、政治活動に身を投じる差別されたユダヤ人、AIDSなど悲惨な死に方を彼らは残した。

 要するに彼らはあまりに賢すぎたが、思弁、抽象的な正論を見つけるだけで、実践性の部分で止まってしまったのだ。

 なにもポストモダンを完全批判したいわけではない。むしろ加速主義者のニック・ランドがドゥールズに影響を受けている通り、むしろドゥールズたちを尊敬するがゆえに実装のテクノロジストになるのはむしろ自然な流れである。

 ピーター・ティールもイーロン・マスクも本来は思想好きなのは有名な話し。

 よって、加速主義はむしろ文系のリスペクトの現れであり、途中挫折したポストモダンの流れを改良した流れも無意識ではあるのである。

 シンギュラリティは文系軽視ではない。むしろ文系リスペクトであり、シンギュラリティこそ実存主義である。

2,社会は無視しよう

 なぜ老害や既得権益が生まれるのか?

 それは近代社会が群れる大企業や大学や大きな物語だからである。

 だとしたらリゾームのように、差異を増やしカオスモスとして、徹底的な個人や中小企業まで細分化すれば近代的なストレスや摩擦、戦争はなくなる。

 ポストモダン思想ではリオタールが小さな物語の時代を提唱したが、シンギュラリティは国家帰属を小さくし未だに残る戦争や既得権益、そして政治というジャンルすらも解体し人類をユートピアへ向かわせるテクノロジーの楽園なのだ。

 むしろ腐敗した政治のタームを大きく変える具体的なアクションがシンギュラリティだ。

3,人間の本能が壊れていく

 もちろん反加速主義者たちが指摘するように人間の実存の悩みは急増し、メンタルヘルスは増えていくだろう。

 しかし、中途半端にYouTuberやGAFAMにハマり、いいね乞食やテクノフォビアとして外資系に驚かされるんだったら、シンギュラリティをむしろ徹底的に理解した上で各人の好きなことをやったほうがマシだろう。

 シンギュラリティはコロナウイルスよろしく不可避な流れであり、避けようがない。だとしたら悲観せずに楽観的に理解したほうがメンタルヘルスを避けられるしシンギュラリティを活かせるというもの。

 シンギュラリティは希望のワクチンであり、加速主義は現代に残る人間のフロンティアであり、そして私たちの生活を便利にするためにポストモダン思想を超越させた新たな課題なのだ。

 これにて簡単なシンギュラリティ解説を終了する。

 

自己紹介。ポジディブな加速主義者であり、未来を楽観視している人もいます。

 唐突ですが、私は加速主義者です。

 しかし、テクノロジーや資本主義を礼賛する連中の中にも様々な派閥や考えがあり、そのことが私の主張を分かりづらくしているのです。

 私は右派の加速主義者であり、AIが人間の知能指数を超えること、シンギュラリティは当たり前という前提は初田龍胡や落合陽一など含め共有していますが、どういう社会を作りたいか?という点でAIや資本主義には否定的です。

 むしろAIの発達によって人々は過度期において実存的にAI未満だと様々な背景から悩み苦しみメンタルヘルスの問題が増えると考えるからです。

 また、AIが人間の知能指数を超えるシンギュラリティの世界観で生きたいと思う人間たちはどこまでいるのか?未知数で、資本主義以上に恐ろしく非人間的なディストピアだと私は思います。

 よって、シンギュラリティ時代にはシンギュラリティ時代に適した人格やパーソナルの身体修行が大事ではないか?と私は考えました。

 思弁を追求するとシンギュラリティや加速主義に否応なく現代は到達します。

 しかし、それは私も共感しつつも一握りのエリートたちによる独裁を許してしまうし、完全なシンギュラリティ・エリートたちが描く世界観にどうしても理屈では分かっても生きたいと思わない。

 そこに現れたのがGAFAMの用意した洗脳装置を縦横無尽にハックして自由にアルゴリズムの世界を行き来する達人・不謹慎系YouTuber坂口章さんです。

 彼はアーティストであり、数学やAIに支配されずに意味をナンセンスにして、だけど鼻に辛子やわさびを入れたり、沸騰するフライパンに直接殻ごと卵を投げつけて手で食べて映像メディアをぐちゃぐちゃにナンセンスにぶち壊すことでSNSという認知科学により人々を支配するようにDESIGNされたアルゴリズムの開放を感じました。

 そして、彼に直接師弟して顔出しして真似て不謹慎系YouTuberをやり他者を攻撃すると自分にも攻撃の火の手が降ってきて荒療治的にSNSの使い方が上手くなりました。

 

 要するに、メンタルを良くしAIに負けない人間になるには、現象学、物事の本質をまず見よう、というフッサールの言語的な問いを身体まるごとで体験しないといけないからです!

 シンギュラリティで文系が死ぬのも、文系がバカというよりも、文系の提示した問いはあくまで言語や抽象論に収まっているため(むしろ文系的な問いそのものは重要)、実際に身体をつかってまるごと試す必要性が上がっているのだと思います。

 また、日本特殊論というか日本人として思想をやりたいという図々しいところもあります(笑)(つまり、日本のローカルの楽で楽しいノリが好き)。

 思い上がるなよ以前に私はそもそも武蔵野美術大学へ入学したため、初めの目標はゲーム会社へ入って遊びながらダラダラ生きていくことでした。思想に興味がなく、学問にも興味がなく、ニコ生のひろゆき東浩紀の無料放送の延長線上で図書館や本屋に入り浸り考えることが無目的的に快楽的で趣味でした。

 なので、趣味を本気でやる辛さよりもゲーム会社の方が楽できると思ってました。ゲーム遊びながら金もらえるは最高じゃないですか!

 だけど、ゲーム会社へ大学中に入ってマジでブラックと知りがっかり、もちろん探せばブラックじゃないゲーム会社もあったかもしりませんが、楽したいが先にあるため、NOになりました。現実はくだらない作業ゲーでした。

 また、ただ株式会社DeNAへひょんなことからお邪魔させていただきましたが、あまりに意識高い系すぎてゲームという話題で見に行くことができましたが、加速主義すぎてついていけないというのも現状でした。

 でも、ひょんなことから海外の方が楽とわかり、web writerは自分としては苦痛ではなくて毎秒書いていられるので、そんな感じに落ち着きました。

 またYouTuberも暇つぶしで見ていてあまりに不謹慎系YouTuber坂口章が面白すぎて、普通に他にもお笑い動画をあげたりYouTuberのマネして動画をあげた所、浅田彰やカントの紹介や不謹慎がウケることに気づき、最終的に古田くんの思想を解説する!思想系不謹慎!&はるしにゃんの生まれ変わり!とかいう訳わからん誤解が生まれたため、仕方なく本は破れ!という本を書きました。

 思想業界も論壇とやらも全く興味がなく、ただ楽して楽しく生きたいしか能がない快楽主義者(エピキュリアン)なので、なんでこんなに自分が嫌われているか今でも直感的には理解が不能ですし、アンチをしている暇があるのなら働くかポテトチップスを食べたほうが生産的だと思います。いまだにこの哲学や文学、アカデミック業界とやらはよく分かっていなくて、どうしてコイツラは苦しい方向へ自分たちを持っていったり内ゲバしているのかよく本当に今でも分かりません。

 あくまで頭の回転が小賢しいだけの庶民だと今でも思っていまして、日本という国は政治的にはやっぱり美味しいし、日本人の自分にノリがあっている。経済的には面倒くさい国だと感じるけれど(経済的にはシンギュラリティに住みたい)、政治的にはこのぬくぬくした日和見は気持ちが良い。大学の空虚性をここまで分かっている賢い国は、日本ぐらいじゃないでしょうか?

 

 ただ今は反省していて、あまりに快楽主義者に開き直りすぎると、かえって快楽から不自由になる体験を最近はたくさんしまして、ドゥールズも言っていますが、差異は大切だ、差異はカタストロフを生む、しかしカタストロフは危ねーから、反省が必要だ!ということで現在はYouTuberブームもYouTuberによる政治的な革命も一段落ついたわけだから、反省しているところです(笑)。

 

 ここで反省すべきことは、シンギュラリティが徹底されるとむしろ戦後、ポストモダンが徹底されてしまうという皮肉です。

 社会学には技術決定論と社会決定論があり、当たり前ですが、技術を使うのは社会の人々の意志のため、半分はむしろ社会決定論的にシンギュラリティが利用されてしまう、むしろAIがしょうもない形で利用されて古い思想、ポストモダニズムがむしろ徹底されてしまうんだという皮肉です。

 ポストモダニズムは冷笑的なので退学もロンダも東大以外もOKです。

 しかし、ポストモダンが厄介なのは不徹底な冷笑主義なんで、結局のところ最低限は大学を温存する、むしろモダニズムよりも形式的なスノビズムが流行るということが起きて学歴が無意味が故に学歴偏重主義が流行るというスノッブが起きてしまう。

 無論、半分は技術決定論であり、パワハラしようにもリモート化したり、経済や資本家そのものはAIを前に以前よりは力を失っている面もありますが、不徹底にモダニズムが残っていく。むしろハイソや余裕として必要条件になっていく。

 私はだからキュアロランバルト氏のように蓮實重彦を真似てスノビズムにあえて訳わからん文章を書いて冷笑的に論壇を維持する表層批評をあえてここでは皮肉ぬきに擁護したい(本当はtwitter芸人のキモキャラの方でなく、早稲田の真面目な学生、そして現在は編集者としてシコシコ頑張っている方を擁護したい)。

 そしてベテランちが柄谷行人に影響を受けて、苦しいベテランちというキャラを捨て、青松輝としてポエマーとしてベタをやる態度そのものをあえてここでは皮肉ねきに援護したい(空虚な道化ベテランちこそアーティストとして擁護したい。)。

 

 ただ問題なのは、二人とも蓮實重彦や柄谷行人を大きく読み間違えざるおえない時代性です。もうモダンはないから。蓮實重彦は訳わからん文章を書く茶化しを嫌い、柄谷行人は詩を嫌い極めて唯物論者とあろうとした人であり、実はキュアロランバルトは蓮實重彦アンチであり、ベテランちは柄谷行人アンチなのです。まあファンチかもしれませんが(似た現象に東浩紀ファンチでセックスネタや学歴コンプネタを吐露しまくるスーパーミラクル上智生という論壇をバカにした陰キャがいます)。

 むしろ、時代はモダンを引きずったポストモダンではなくて、徹底的なポストモダン性、戦後的なくだらなさ、古市憲寿やにゃるらに代表されるゆとり世代的なメンタリティな気がします。

 楽できるから、詩でSFCへ入ったんだと言い放つ古市憲寿の態度そのものは十分に挑発的です

 むしろ、ゆとり世代の手を抜いた態度そのものの攻撃性を見抜かないとならない。彼らはひっそりと国家や大学といった近代フレームを政治運動としてなくそうとしているのです。

 こういった時代に実存を埋めたり、考える糧や生きる意味を与えてくれる大きな物語が改めてシンギュラリティなのです。

 シンギュラリティは今当に起きていて、YouTuberやGAFAMといった矮小な現実論という名の粗野に無視されていますが、現在こそ特に有効です。

 

 そして、私はシンギュラリティの次を考えていて、AR,拡張現実、AIの発達が止まった先の、新しい人間中心主義について考えていて、その今における最高傑作のサンプルの1つが坂口章さんでした。

 しかし、アーティストになれない人間たちも社会や共同体を作っていまして、私の最近の課題はアーティストになれないなりたくもない社会がシンギュラリティへ舵を切るために具体的にどう社会と接点を私やシンギュラリストたちは結ぶかという話です。   

 まあ1つはAI経済学、個性経済学だと思っていて、政治の次に世俗なのは、経済学だからです。AIをAIするAIで情報デザインというジャンルを描いたので後はそちらを閲覧ください。もしかすると、ここからはAIをAIするAIで描いた話を話していくかもしれません

DJこそDJではない.1つの悟りについて.

 私が最近考えている問題の1つにDJの存在がある.

最近若者の間に流行っているらしく実際に見に行って図々しい言い方だが感覚的にどういうことが起きているか感覚的に分かってしまったからだ.

並べて光栄,いや不謹慎すぎて恐縮だが私が3年前のコロナウイルス時に不謹慎系YouTuberへ師弟したときのアクションと似た匂いを感じ取ったからである.

身体の解放.

ありきたりかもしれないが,リミックスを利かしたバイブレーションに弾けた音楽の速度を感じるときに身体が浮遊する感覚はあるだろう.

だが,同時にまた失礼な言い方になってしまうかもしれないが,DJ本人は不謹慎系YouTuber坂口章はテンポの高い音楽に一番最前線で酔いながらも冷めていないといけないということである.

一番音の直接的な影響を受けるがゆえに需要者として酔うと同時に目覚めているダブル・バインド的な感覚が必要になる.

ということはDJこそDJではないのだ.

DJだからこそ同時にDJでない否定神学に同時に片足を直感的に踏み込んでいるのだ.

 言われてみると当たり前だが,この感覚を見逃す人々が多いように感じる.DJはDJであるために観客以上によいながら同時に冷静であらないといけないからだ.

もちろん彼らが彼女たちがこのようなある種のダブル・バインド性(矛盾)を理屈的にましてや意識的にやっているわけでなく,荒く直感的に身体のバイブレーションに合わせてリズムカルに行っているだろう.

もちろん身も蓋もなく言えば,料理のプロが毎回わざわざ豪華なメシを自炊で作らないよねみたいな料理が上手くなるにはえ,そんなしょぼいメシを自炊するの?!みたいな話だ.

ここに悟りだったり考えるだったりの困難があると思う.

私は陽キャ哲学普及協会という哲学YouTuberが嫌いだが,’理由の1つは彼は素朴に哲学を語るところだ.

古田くんはハイデガーなんだねと処理されてしまい、たしかにその理屈の第一義は当たっているが、その限界を超えるためにわざわざ不謹慎系YouTuberというフックが用意されるが、不謹慎系YouTuberは単なる方便,意味不明な行為として彼の中では無下にされる.

きっと思考が壊されることが怖いのだろう.

しかし,不謹慎系YouTuberというYouTubeを駆使したmediaartによる身体変化は重要で,スタティックな哲学史の病を私は指摘している.

しかし,厄介なのは私は日本人の身体に適した批評史という過去の遺物は肯定していて,体系がないと人は苦しんでしまうし理屈や歴史の真面目さも肯定している.

要するに私もDJでありDJではない感覚を本は破れ!では要求していて,哲学しようと思ったら哲学していない状況も同時に起きているんだと私は感じていたのである.

 まずさの中にこそ苦みのあるハマグリのような旨さがあるのだ.

ただ昨今多い問題は,DJは賢いんじゃないか不謹慎系YouTuberは賢いんじゃないかという問いだと思っていて,

彼ら彼女らは賢くなろうとして賢くなっているよりも精密な音のリズムを追求したら結果的に賢くなっていたり普通じゃたどり着けない速度の知性を一瞬垣間見せるブレイクスルーが言語外の表現にはあることだ.

がゆえに,彼ら彼女らを高く見ているからこそ,真逆としてベタにテキストを読み込む重要さはむしろ上がっている気もしている.

なぜなら,革命をしたがる外山恒一合宿やだめライフ愛好会には読書量こそ足りて無く軽いSNSデモをする前にマルクスや数学、あるいは自身の学部学科のテキスト勉強で補強したほうが、中途半端な身体のデモやSNSよりは理屈で乗り越えやすい,その閾値までまだ頭の容量はあるよと感じるからだ.いっそ中途半端にデモをするのならば,ベタに体系をやったほうがいい,さながら國分功一郎のように.

このDJが賢いのか問題はそのままテキストの限界を感じさせる.

しかし,シンギュラリティ,AIが人間の知能指数を超える,まあ加速主義と言っても良いでしょう,シンギュラリティを前提にすれば,極左も極右も死に絶えた次のパラダイムを意識すれば,DJは広義の音楽における情報デザイナーであり,むしろ機械音を編集するシンギュラリストとして読み替えることができるだろう.

もちろん加速主義そのものが文芸やテキストから遠く離れた馬鹿馬鹿しい行いかもしれない.

しかし,ポストモダンという冷笑的な否定言語による文芸の延長はもうそのまま文芸の終わりを約束していた気もしてならない.

論点が様々に飛躍して誠にすまない.

 私がDJについて言いたいことはDJはDJなりの悟りをアウトプットするが,受け手はそれをそのまま供給するのは素晴らしいことだしすべきだが,

 

 仮にDJを聴いた人間があるいは不謹慎系YouTuberを見た人間がいざ自分なりにその悟りや心地よいリズムを叩こうと思ったら全く真逆の方法でそして全く違う快楽のようなものを導くべきなんじゃないか、それこそがDJがDJでなくなるときの冷静さまで包括できるんじゃないかと私は裸で踊りながら直感的にそう感じていたのである.

〈追記〉

私がDJについて最近言及するのにも純粋に面白かったも本当にあるが,それ以上にDJが現代で流行る意味がどことなくテキストや文芸と非常に関係している,一見正反対の事象がゆえに密接しているような奇妙な感覚を私は感じ取ってしまって,この奇妙さを言語化したいと思っていたからである.私個人として無意識だったが,全くジャンルが違う坂口章の言っていることやっていることをどう咀嚼したか?自体を考えたことがなくて,自分でもどうやって坂口章の言っていることやっていることを理解したか?振り返る必要を感じたからだ.

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