文学というディストピア.
紙の本よりも、Twitterよりも、
プロが設計した世界の方が気持ちいい。
ソシャゲというテクロノジーは文学もSNSも超えたのだ。
作者はいらない。読者はいらない。
シュミレーションとそれを操作するプレイヤーたちがいればいい。
逆転オセロニアというソーシャルゲームの何が凄いのか?
各人(本読みを含むインターネット利用者ほぼ全員)がSNSのシステムの中で射幸づけになっている現実の中で、いかに稚拙であっても自分の頭で考えようとしている姿形があったからだ。
ユーチューバー岡田斗司夫はAIのVUTUBERが人気者になり、人間の恋人はいらなくなると予言し、ツイッタラー橘玲は抽象的に今から精神世界の時代がやってくると言い張り、とうとう彼の抽象を具体化する第1段、スピリチュアルズが発売された。
だが、まだ手ぬるい。
実証例の先行モデルを彼らは見つけていない。
おれは見つけた。
だから、
逆転オセロニアなんだよ。
炎上が起きたら、運営者自身が謝り、日夜プレイヤーたちが考えて、システムが運営されていく。
こんな作用がある社会システムは今の東大でも今の政治や論壇でも不可能だろう。
そして、
薬漬けからは誰も逃れきれない。
TwitterやYouTubeを利用している時点で、もはや皆が理系だし、純粋な保守主義も左翼もリベラルも存在しない。
皆、唯物論的な認知科学で証明され尽くした単なる時計じかけのオレンジなのだ。
が、悲観する必要はない。
僕達はシステムから逃れることができない危険社会に住んでいる。
が、より愉しもうと思ったら、システムから独立したり、システムの快楽を徹底的に楽しむしかないのだ。
これから先、家族も恋人も友達もAIやVUTUBERで構わない時代がやってくる。性別も年齢も入れ替え可能だし、薬漬けになり、思考はなく甘美な母性のユートピアが実現する。
が、悲観する必要は、ない。
スピリチュアルズに従う覚悟が問われている。
これからは、
自己責任の時代がやってくるのだ。
文脈のゲームな絶望な他責から原理のゲームの幸福な自責の世紀へ.
本当は哲学にも社会にも興味ない人間たち、インフルエンサーに依存したいのに依存じゃないよとごまかす雑魚たちはこれから幸せになれる。
なぜなら、努力しなくても、AIやVUTUBERが相手してくれるから。
暗黒啓蒙が不徹底なのは、暗黒ではない正にすばらしい新世界だからだ!
努力しなくていい!
人格も消していい!
もう学歴や哲学、カリスマに取り繕う嘘をつく必要もない!
まさに純白啓蒙!
もちろんこれだけでは真には不具合でやられてしまう。だから、逆転オセロニアは先に進んでいる非リアなリア充たちであり、弱い人間たちがどうやってオセロニアという世界観を作るかプレイヤーたちが集まり議論を日夜してゲームバランスが構成されているのだ。
今、問題なのは、左翼も右翼も文系も全てはSNSの一部であって、統計的に誰でも構わない平均だと見なされているのに、認知科学の恩恵を得ながら、人間ぶるのが自己責任的に自身の弱さを認められず、苦しむのだ。
だとしたら、もう開き直ったほうがいい。
システムの利用により自覚的になるべきだ。
もはやSNSには愛情も友情も基本的には存在しない。全てはレバーを引けば動く快楽物質のトリガーにすぎない。
文学は、存在しない。
すばらしい!
新たな世界をディストピアと捉えるかユートピアと捉えるか、
いや、
君たちは口先ではディストピアと言い張るけど、きっとユートピアなSNSでそれを呟くんだろう。
【追記】
もちろん私はプラグマティストであり、AI資本主義だけでは満足できない。だからこそ、AI資本主義とAI共産主義のポジティブないいとこ取りの逆転オセロニアや書籍をこれからもイジるだろう。
が、ただ努力したくない人々は、これから先はAIの信者として生きてしまえばいいのだ。もちろんそのリスクすら口では言い訳するだろうが、どこにいっても口で言い訳するのなら、そこへぶち込んだ方がマシというものだろう。
これより平和な!そして自由な!社会が成立する。
毎日、強者もラーメンも食べて、弱者もラーメンが食べれる
すばらしい
新世界が!








